2008年12月3日水曜日

『日本語が亡びるとき』

水村美苗さんの新著『日本語が亡びるとき——英語の世紀の中で』(筑摩書房)を二回読みました。私が自分の著書で脈絡もなく水村さんに言及するので、かねてから私が水村さんの小説すべてに深い思い入れがあることをすでにご存知のかたもいるでしょうが、『日本語が亡びるとき』は、小説ではなくて評論です。水村風に書くと、「嗚呼、私はこの本に出会うため今日まで生きてきたのだ」と両手を天に揚げて感謝したいくらい、共感を覚える本です。一回目はそれこそ寝食忘れて一気に読み、二回目は付箋をつけながら読んだのですが、これじゃあ目印の意味がないぞ、というくらい沢山付箋がついてしまいました。

インターネット上でも『日本語が亡びるとき』についてはさかんに議論がされているようで、こうした知的に重厚な本が多くの読者に読まれ議論されるということに、一種の安心感と希望を覚えるものの、ざっと見た印象では、どうも水村さんのメッセージをきちんと把握しないままごく表面的なところで会話がされているようなのが残念です。(だいたい、この本に限らず、誰かのブログで書評された本について、その本を読みもしないで書評に反応してズレたコメントを書き込む人がたくさんいるようですが、まずは自分で本を読んで自分でしっかり考えてからコメントしてほしい!と強く思います。)やや挑発的な響きのタイトルであること、そして後半がインターネット時代の英語や日本における英語教育といった話題になっていることから、飛ばして読むと、さも、英語が世界の流通語としてますます覇権を強めるなか、日本語という言語の使用そのものが衰退していく、というのが論旨のように思えるのかも知れませんが、水村さんのメッセージはそんな表層的なことではありません。もちろん、国際政治経済の流れと言語の衰勢は結びついているので(そもそも英語が世界の普遍語となったのも、歴史と政治と経済によるものですから)、日本の少子化も考えれば今後数百年のあいだに日本語を使う総人口は次第に減っていくことはじゅうぶん考えられますが、『日本語が亡びるとき』はそういうことを問題にしているのではありません。

水村さんが問うているのは、一般的な意味での「言語」としての日本語の将来ではありません。水村さんが問うているのは、「書き言葉」「読まれるべき言葉」としての日本語によって書かれる、我々が生きている日本の「現実」を描く、「日本文学」の将来です。

水村さん曰く、

英語が抽象的・普遍的なことを表現伝達するための言語として世界じゅうで流通し、より多くの「叡智を求める人」が英語で「現実」を表象するようになる過程で、日本語をはじめとする多くの「国語」は、その「普遍語」に対して二次的な位置にならざるを得ない。「英語」と「日本語」のあいだの力関係に象徴される「西洋近代」と「日本」の関係、その関係から生まれる様々な精神的文化的曲折は、明治時代から、夏目漱石を初めとする多くの日本の文豪が対峙してきた問題であり、その「西洋の衝撃」こそが、日本近代文学を生んだ。それらの作家たちは、西洋近代に直面し、いっぽうでは、感動的なまでに貪欲な知識欲をもって急速に世界を吸収し、翻訳していった。また、世界の「言語」を身につけることで、自らも世界の一員にならんとした。そのいっぽうで、そうした衝撃や曲折を含む自らの「現実」、日本の「現実」を描くため、彼らは、日本語という言葉、そして日本文学の伝統や小説という芸術形式に真剣に立ち向かった。漢文に始まって、ひらがな文、漢字カタカナ交じり文を経由し、言文一致体や文語体という、複雑多様な(日本語を知らない人が聞いたら「複雑怪奇」と形容するだろう)幾層もの伝統が折り重なって織り成された日本語を「書き言葉」として昇華させ、彼らは「日本近代文学」を生んだのだ、

と。

そもそも文学というものは、「普遍なこと」と「固有なこと」のあいだの衝突や緊張関係にこそ、その醍醐味があるのでしょう。国境や文化や時代を超えた「普遍的」なものこそが世界中の人々の心を打つ、などと陳腐なことはよく言われるけれども、「読まれる言葉」「書き言葉」としての「国語」を使って書かれた本当にすぐれた文学とは、きわめて固有な現実を描いたものです。それは、ある時代のある国のある地域のある階層に固有な現実かもしれないし、ある状況におかれた個人に固有な現実かもしれない。いずれにせよ、その現実を、その固有性にもっともふさわしい言語と形式で書き表すのが文学、と言えるでしょう。それと同時に、その固有性を共有する者たちのあいだでしか意味をもたなければ、文学として成功しているとは言いがたく、現実の固有性を失うことなくいかに普遍の言葉に翻訳するか、それが作家の課題です。普遍の概念を固有の現地語に翻訳することももちろん大変だけれど、固有の現実を普遍語に翻訳することはそれ以上に困難だとも言えます。普遍語が自由に使えるのであれば、固有の現実などに煩わされることなく、はじめから普遍語で世界的・抽象的な聴衆を相手に書いたほうが、よっぽど楽でもあるし、世界とのつながりをもてる。「叡智を求める人」が、そうした著述に惹かれていくのは自然なことでしょう。しかしそうしたときに、「日本文学」はどうなるか。日本語という固有の言語、日本文学という固有の伝統、先達が生み出してきた近代日本小説という素晴らしい芸術には目もくれず、自分の内面の自己表現としてだけ小説を書く人ばかりが「日本文学」を担うようになったら、「日本語」はどうなるのか。それが水村さんの叫びなのだと思います。

この本を読んだ上で、ふたたび水村さんのこれまでの著作のそれぞれ『續明暗』『私小説 from left to right』『本格小説』を読み直したり考え直したりしてみると、またずっと違ったレベルでその醍醐味が味わえます。

みなさん、是非とも自分でゆっくり読んで自分でじっくり考えていただきたいですが、以下、とくに私が「嗚呼」と叫びたくなる箇所を数点だけ抜粋します。

 当時(吉原注・漱石の時代)の日本の知識人が大学の外へと飛び出したのには、先にも触れたように、さらにもう一つ別の動機があった。それは、大きな翻訳機関でしかない大学に身をおいていては、自分が生きている日本の<現実>を真に理解する言葉をもてないということにほかならない。また、自分が生きている日本の<現実>に形を与えてほしい読者の欲望に応えることができないということにほかならない。実際、学問=洋学の場では、日本とは何か、日本にとっての西洋とは何か、アジアなどというものが果たして存在するのか、そもそも近代とは何かなど、日本人が日本人としてもっとも切実に考えねばならないことを考える言葉がない。「西洋の衝撃」そのものについて考える言葉がない。日本人が日本人としてもっとも考えねばならないことを考えるためには、大学を飛び出し、在野の学者になったり、批評家になったり、さらには、小説家になったりする構造的な必然性があったのである。
 自分の<現実>——それは、過去を引きずったままの日本の<現実>である。
 いうまでもないが、そのような<現実>はたんにモノとしてそこに物理的に存在しているわけではない。人間にとっての<現実>は常に言葉を介してしか見えてこないものだからである。西洋語を学んだ当時の日本人にとって、当時の日本の<現実>は、西洋語からの翻訳ではどうにも捉えられない何かとして意識され、そうすることによって、初めて見えてきたものであった。(218)

 それにしても、まさに漱石が言う「曲折」を強いられた結果、何とおもしろい文学が生まれたことか。
 日本が近代以前から成熟した文学的な伝統をもっていたおかげ——まさに、漢文も含めた長い文学の伝統、しかも、市場を通じて人々のあいだに広く行き渡っていた文学の伝統をもっていたおかげである。日本の文学は、「西洋の衝撃」によって、<現実>の見方、そして、言葉そのもののとらえかたに「曲折」を強いられた。世界観、言語観のパラダイム・シフトを強いられた。だが、日本の文学はその「曲折」という悲劇をバネに、今までの日本の<書き言葉>に意識的に向かい合い、一千年以上まえまで遡って、宝さがしのようにそこにある言葉を一つ一つ拾い出しては、日本語という言葉がもつあらゆる可能性をさぐっていった。そして、新しい文学として生まれ変わりながらも、古層が幾重にも重なり響き合う実に豊かな文学として花ひらいていったのである。(225−226)

 この先、アリストテレスでさえ英語で流通するようになるとき、もし英語で書くことができれば、いったいどの学者がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
 いや、もし英語で書くことができれば、学者のみならず、いったい誰がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
 <学問の言葉>が英語という<普遍語>に一極化されつつある事実は、すでに多くの人が指摘していることである。だが、その事実が、英語以外の<国語>に与えうる影響にかんしてはまだ誰も真剣に考えていない。<学問の言葉>が<普遍語>になるとは、優れた学者であればあるほど、自分の<国語>で<テキスト>たりうるものを書こうとはしなくなるのを意味するが、そのような動きは、<学問>の世界にとどまりうるものではないのである。<学問>の世界とそうではない世界との境界線など、はっきりと引けるものではないからである。英語という<普遍語>の出現は、ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、<叡智を求める人>であればあるほど、<国語>で<テキスト>を書かなくなっているのを究極的には意味する。
 そして、いうまでもなく、<テキスト>の最たるものは文学である。(252−253)


アメリカの大学に身を置き、英語で学問をしている身として、そしてまた、英語と日本語の両方で執筆活動をしている身として、そして、「普遍のこと」と「固有のこと」ということについて常に考えざるをえない身として、本当に考えさせられます。