2008年12月13日土曜日

DatingからHooking Upへ

今日のニューヨーク・タイムズに、「デーティングの終焉(The Demise of Dating)」という論説(?)が載っています。『ドット・コム・ラヴァーズ』や『新潮45』11月号でdateという単語のややこしさを、『新潮45』12月号190頁ではhook upという表現の用法を説明しましたが、まさにそれらの表現の実例です。『新潮45』の連載は、なんて実用的なんでしょう!:)

調査によると、今のアメリカの若者(ここで引用されている調査の対象となっている「若者」は高校3年生)の多くは、もうdateなんかはせず、むしろなんのコミットメントもないカジュアルなセックスをするhook upを楽しむことが主流だとか。一昔前までの男女は、何回か「デート」を重ねてから(この用法での「デート」とは日本語と同じ名詞の「デート」)性的関係に進むかどうか決めていたのに対し、今の若者は、まず何回かhook upをしてから、その相手と「デート」に行きたいかどうか決めるんだそうです。これらの若者は、カジュアルにセックスをするからといって、誰それ構わずやたらとセックスをしまくっているかというと、そういうことではなく、むしろ彼らがセックスをする頻度は少し前の同年代の若者より低く、また、セックスをする相手はたいてい学校の友達などだとのことです。一対一の「デート」(この用法では、名詞の「デート」と動詞の「デート」の両方の意味が含まれています)にしばられるよりも、大勢の友達仲間で交際を楽しむことを今の若者は重視する。そしてそのほうが、「デート」にありつけない人が周りに馬鹿にされたりのけ者にされたりすることが少ない。とのことです。とはいっても、このhook up文化がいいことばかりかというとそんなことはもちろんなく、セックスを重ねるにつれて、女性のほうはより長期的な交際を求めるようになるのに対して、男性はよりフリーな状態を続けたいと思う傾向があり、女性のほうがhook upに飽きてしまうというケースは多いそうです。また、hook upにはアルコールが絡んでいる場合が多いので、性的暴力などの事件も少なくない、とのことです。

それとはまったく無関係ですが、ハワイの現代史においてもっとも重要な人物の一人であるといえる女性、Ah Quon McElrathが亡くなりました。享年92歳。1915年にハワイで中国移民の両親のもとに生まれた彼女は、13歳のときからパイナップル缶詰工場で働き始め、ハワイ大学で社会学と人類学を専攻しました。1930年代に、ハワイのInternational Longshore and Warehouse Union (ILWU)すなわち港湾労働組合の組織化に中心的な役割を果たし、1950年代からは組合のソーシャルワーカーとして、労働者たちに健康保険や年金などについての説明をしたり、日々の生活の手伝いをしたりという仕事をするようになりました。1950年代からのハワイでは、ILWUなどの労働組合が非常に重要な役割を果たしましたが、その運動の鍵となった人物のひとりです。1981年にILWUからは退職したものの、彼女は生涯を通して労働運動をはじめとする各種の社会運動にたいへんなエネルギーをもって参加し、ハワイの労働者や活動家たちのインスピレーションとなってきました。同時に彼女は、音楽や芸術もこよなく愛し、ホノルル・シンフォニーのコンサートには欠かさず通い、シンフォニーの労使争議や財政難にあたっては、音楽家たちのパワフルな味方として支援活動をしました。亡くなる数日前に、親しい友達が家を訪ねていったときには、芸術団体やさまざまなチャリティー団体への募金を入れた28の封筒を彼女に渡して、投函してくれるように頼んだそうです。私も、Ah Quonとは数年前に、労働組合関係の対談のようなもので会ったことがあります。年齢が半分以下の私よりずっとエネルギーがあり、見事な分析力と明晰な言葉で話をすると同時に、どんな人にも温かい優しさをもって接する人でした。彼女についての今日のホノルル・アドヴァタイザーの記事は、こちらをどうぞ。