一昨日、ハワイ大学で村上春樹の講演があり、行ってきました。6年前に同じ会場で村上氏が講演したときの混雑ぶりを覚えていたので、今回は友達と早めの食事をして、開場時間(講演開始の1時間前)まもなく到着するようにしたのですが、我々が行ったときには600人ほど入る会場がすでに4分の3以上いっぱい。講演30分前には立ち見オンリーになっていました。講演が始まる頃には、壁沿いに大勢の人たちが立ったり座ったりしていて、たいへんな熱気。大学関係の人だけでなく、赤ちゃんや小学生の子供を連れてきている人やら、高校生からお年寄りまで、実にいろいろな種類の人たちが聴衆をなしていて、村上ファンの層の厚さに素直に感心。早く行っておいてよかった。
前回の講演のときは、たしか村上氏自身がすべて英語で話をしたような気がする(でもあまり記憶はさだかでない)のですが、今回は、初めに少し英語で話した後、短編を2本日本語で朗読し、文の合間合間に英語の翻訳を別の人が朗読する、という形式でした。朗読されたのは、1980年代の作品である「鏡」と「とんがり焼きの盛衰」。私は、村上氏の作品は小説よりも短編のほうが好きなのですが、この2本は読んだことがありませんでした。その内容もなかなか興味深かったけれど、なにより印象的だったのが、村上氏の朗読家としての魅力。ペースや間のとりかた、抑揚のつけかたなどが、ものすごく上手で、まるでプロの役者さんの朗読を聴いているようでした。たとえば、ふたつの文が「...。そして、...」でつながっているとすると、普通だったら「。」の後に間をおいて読むところが、そこでは敢えて間をとらず「そして」まで行って、その後で息をつく、といったテクニックで、文章の意味的な流れがリズミカルに伝えられるのです。『走ることについて語るときに僕の語ること』
や『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
で、村上氏は文章のリズムということについて触れていて、私はおおいに共感したのですが、今回彼の朗読を聴いて、非常に納得がいきました。一緒に行った友達は、今回読まれた2本の短編は前に読んだことがあったけれど、村上氏の朗読を聴くと、まるで全然違う作品のような印象を受けた、と言っていました。ちなみに、英語の朗読もたいへん上手で、翻訳者、そして朗読者が村上氏の文章のリズムをきちんと意識していることが感じられて、こちらも感心しました。
朗読の後で少しだけ質疑応答の時間があったのですが、私が招待した友達(ハワイ・シンフォニー・オーケストラのヴァイオリニストで、趣味で自分でも小説を書く、とても面白い人物。おおいなる村上ファンなので、この講演のことを教えてあげた)が、「作品を書いたり翻訳をしたりするときに、自分の文章を声に出して読むことがありますか」と訊いていましたが、これはとてもいい質問だと思いました。村上氏の答は、「はい、たいてい声に出してみます。ただし、それをするのは3稿めか4稿めになってからです」というものでしたが、これも非常に納得。
講演の後でサイン会があり、瞬時にして老若男女何百人もの人が列をなしていました。すごい。
たいへんご無沙汰いたしました。3月終盤は春休みで、ニューヨークに5日間とトロントに4日間行っていました。私が到着する直前までは嘘のような春の気候だったとしきりに言われたのですが、私がニューヨークに着いた日はかなり暖かかったのに、その後一転してまた冬のような気温になり、さらにトロントでは夜には雪までちらつく寒さ。東海岸に住んでいたときはこれよりずーっと厳しい寒さを何年も経験したのですが、人間はやはり環境に適応するもので、長年のハワイ生活で私はすっかり寒さに弱い身体になってしまいました。寒さはともかくとして、ニューヨークはやはり刺激に満ちて楽しい街で、ありとあらゆる人たちがたくさん言いたいことをもっていて、なんだか道を歩いているだけで自分の背筋もすっと伸びる気がします。とくに短期間バケーションで行く身には、街の喧騒や混沌や悪臭までもが愛おしく感じられます。
今回の旅行は基本的にプライベートで、友達と過ごすことがメインだったのですが(ちなみにリンカーン・センターでMurray Perahiaのリサイタルを聴きました。その純粋な音楽性が素晴らしかったです)、唯一の仕事関係のミーティングで、コロンビア大学出版の編集者とランチをしました。コロンビア大学出版のオフィスは、コロンビア大学のキャンパス内にあるのかと思いきや実はそうではなく、なんとリンカーンセンターのすぐ向かいの、一等地(マンハッタンはどこでも一等地ですが)の眺めのいいビル。オフィスの雰囲気からして知性と感性が感じられて、そこにいるだけで賢くなる気持ちがするほど。私が今回会ったのは、人文系、とくにアジア関連の書籍の編集責任者をしているベテランの女性編集者で、私が今手がけているプロジェクト(すでに契約済みなのですが、まだ現在進行中のプロジェクトなため、具体的な出版の予定が立ってから公表いたします)で一緒に仕事をさせていただいている人です。ランチに出かける前に彼女のオフィスでおしゃべりをしながら書棚をじろじろ眺めていると、刊行ほやほやの一冊のカバーに惹かれ、手に取ってみたのですが、その解説をみて、ムムム!「これは絶対読まなくちゃ!」とおおいに興奮してぺらぺらめくっていたら、よほど物欲しげな表情をしていたのか、「じゃあそれ持って行っていいわよ」と言われていただいてしまいました。それが、この本。『The Philosopher's Touch: Sartre, Nietzsche, and Barthes at the Piano』
サルトル、ニーチェ、バルトの3人の哲学者たちは、みながアマチュア・ピアニストであったとのこと(知らなかった!)。クラシック音楽の愛好家として音楽を聴くだけでなく、みずからも熱心にピアノを弾いたこの3人は、ピアノを弾くという行為が、その人間性の重要な一部であったにもかかわらず、彼らの思想とピアノの関係はこれまでほとんど論じられてこなかった。そして、彼らのピアノとのかかわりかたと、著書にあらわれる哲学とには、一筋縄ではいかないなかなか複雑な関係がある。3人の演奏のしかたや、彼らが愛した作曲家や作品を、彼らの思想と照らし合わせて分析し、とくに音楽のリズム、テンポ、時間性といったことに焦点をあて、ピアノを弾くという行為の身体的・感情的・理論的な側面をまさに「哲学」したもの。著者自身もピアノを熱心に弾くフランス哲学者で、原書はフランス語で書かれた哲学者ゆえ、論の運びのスタイルはアメリカの学術書とはずいぶん違っているのですが、その内容ももちろんですが、なにしろ文章の美しさにすっかり魅了されます。翻訳されたものとは思えない。ああ、私も死ぬ前にこういう文章を書いてみたい!あまりに興奮して、旅行中そしてトロントからの帰りの飛行機で読み終えてしまいました。長い本ではないので読むのにそれほど時間はかからないのですが、なにしろ哲学書ではあるので、さらっと読み流しただけではじゅうぶんに理解・堪能できない箇所も多く、これはこれからの人生において何度も手に取ってじっくり味わいたい一冊になることでしょう。プレビューとして、最初のあたりを一部抜粋してご紹介します。どうぞお楽しみください。
The unity of the self is a construction that hides the personal dissonances and rhythms with which we never cease to compose. And playing an instrument, far from expressing who we are, engages us in the experience of an active passivity and a different time. My choice of these three writer-philosophers--Sartre, Nietzsche, and Barthes--comes from my interest in temporality as a window, an opening onto the self as subject to compositions. The piano is assuredly not the only path to free oneself from the collective rhythms of society. Nevertheless, playing the piano is no simple hobby, no mere violin d'Ingres. I believe, through my own long experience with this instrument, that it engages a unique disposition to the world, to past generations, and to the contemporary. Among the signs confirming such an intuition, I note that the musical activity of these thinkers often contravened their public works. The discordances thus revealed allow us to approach this gap and take a step to the side. We can observe the unchaining of the will and the play of the body that result under the constraint of touch and tempo . . .
How are we to explain such a gap between listening and playing, between public discourse and private pleasure? Is it imposture? contradiction? dissonance? a secret conservatism? The reality is less clear-cut. More interesting for us is to follow this path of escape through which one's synchronous self can become disoriented with unsuspected rhythms. In this gap, in this path of escape, we can see a complex movement develop in the relation of a subject to the intersection of different times: chronological, historical, and singular. These debates cannot be reduced to questions of taste or to some imagined compatibility among musical genres. Instead let us ask what happens when an intellectual like Sartre retreats from the noise of this world to play Chopin. How do those who profess themselves to be abstract thinkers experience emotions, the body, and touch? How do they find themselves implicated and disconcerted by these feelings, these movements, and these durations of time?
先日このブログで紹介したSoyeon Leeから、昨日ピアノのレッスンを受けました。ほんの1時間に、技術的にも音楽的にも本当にいろんなことを教わり、自分にとっての曲そして楽器の可能性がわっと広がった感触。嬉しくて、早く家に帰って復習と練習をしたかったのですが、レッスンの直後に彼女のマスタークラスがあったので、それを2時間見学。こちらもまた素晴らしかった。ハワイ大学でピアノを専攻する学部生と大学院生合わせて4人がそれぞれ30分ずつ指導を受けたのですが、どの演奏についても即座に問題点をとらえ具体的な解決法を示すさまは、まさにマスターとしか言いようがないと同時に、チャーミングな人柄で生徒を精神的にリラックスさせる様子も素晴らしい。ピアノについてたくさん勉強しただけでなく、教師として学ぶことがとても多かったです。
マスタークラスといえば、先日こんなものを発見してしまいました。カーネギーホールのWeill Music Instituteが、若手音楽家が世界的な芸術家から集中的な訓練を受けるためのワークショップを主催しているのですが、その様子が、なんとネットで見られるようになっています。現在ネットにのっているのは、レオン・フライシャーによるシューベルトの後期ソナタのマスタークラス。こんなものが自宅でネットで見られるなんて、なにかの拍子で天国に来たかと思うほど素晴らしい。しかも、「クレッシェンド」とか「リズム」とか「ペダル」とかいった具体的な項目についての指導を見たければすぐその箇所に行けるようになっているばかりか、楽譜の該当箇所を見ながら指導を見学できるようにまでなっていて、文句のつけどころのない親切ぶり。見ているだけで自分までピアノが上手になりそうな気持ちになり、私は一日中これを見て過ごしたい気分。さすがにレオン・フライシャーがトップレベルの若手演奏家を指導しているだけあって、ピアノの弾き方にかんする技術的なことだけでなく、シューベルトの音楽の芸術性についての深い理解と解釈が、生徒だけでなく聴衆にも披露されている。こういうものをインターネットで世界に公開しようという主催者とそれを可能にする資金提供者の精神が実に立派。
これを発見して興奮していたところに、今朝はまた別の音楽関連のネット資料を発見。ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団のデジタル資料館です。1842年以来のニューヨーク・フィルのありとあらゆる史料がこれからデジタル化されるらしいのですが、その第一段階として、1943年から1970年までの史料がネットで公開されています。これがとにかくすごい!!!リンカーンセンターのみならず世界各地のツアー公演のプログラムなどはもちろん、レナード・バーンスタインが書き込みをした楽譜(しかも、音源を聴きながらその楽譜を見られるようになっている!)だとか、プログラミングにあたってのスタッフミーティングの記録や書簡だとか、あらゆる写真だとか、もう、研究者としては涙が出るやらよだれが出るやらの史料がいっぱいで、私は見ているだけで文字通り心臓がドキドキしてきました。音楽を焦点のひとつにした文化政策や文化外交についての研究をしようとしている私としては、この人たちは私のためにこのデジタル資料館を作ってくれたんじゃないかと思ってしまうくらい貴重なソース。
クラシック音楽のファン層が高齢化して、熱心にクラシック音楽を勉強するのはアジア人ばかりという傾向を嘆く人たちも少なくないですが、このような形でニューメディアを駆使して、たんに演奏をネットで公開したり販売したりというだけでなく、一般聴衆はもちろん専門家の音楽理解を深めるような画期的な試みに取り組んでいる人たちがいるということを知ると、クラシック音楽の将来も明るいのではないかと思います。こういうことを企画する人たちと一緒に仕事をしてみたい!
昨日3月4日は、ハワイのコミュニティにとっては記念すべき大きな一日でした。以前の投稿でも言及しましたが、ハワイにひとつのプロのオーケストラとして長年愛されてきたホノルル・シンフォニーが2年前に経営難で破産申告をし、以来ハワイでは交響楽の生演奏は聴くことができない状態でした。私の友達もたくさんホノルル・シンフォニーの団員をしていたのですが、ハワイは島ゆえ、アメリカ本土の大きな都市と違って車で通える距離にフリーランスの演奏の仕事がそうあるわけでもなく、生計を立てられず、仕方なく長年住み慣れたハワイを去っていく人も何人もいました。しかし、ホノルル・シンフォニーのメンバーたちは、交響楽の演奏に加えて、ソロや室内楽の演奏、オペラやバレエのための演奏、学校の音楽プログラムや個人レッスンを通じての地域の音楽教育、世界各地からハワイを訪れる演奏家の公演プロデュースなど、プロの音楽家たちだからこその重要な役割を果たしていました。ホノルルの規模の都市にプロのオーケストラがないのは街そして州全体の文化度に大きな悪影響で、どうしても困る、と考える人たちは多く、音楽家たちの活動を支える寄付活動が続くかたわら、コミュニティの一部の有力者たちがオーケストラの再組織化を企画し続けていました。昨年秋には新シーズンが始まるとか、クリスマスシーズンにこそ発表になるとか、いろいろな噂が流れつつも、なかなか確とした発表がなかったのですが、先月にようやく、新しい理事たちのリーダーシップのもと、ハワイ・シンフォニー・オーケストラという新名称でオーケストラが再出発することが公表されました。そして、昨日4日がその新オーケストラのシーズン初日のコンサートだったわけです。新オーケストラとはいっても、メンバーのほとんどはホノルル・シンフォニーの旧メンバー。この日を待ちながらこの2年間個人レッスンやその他の仕事でなんとか生計を立てていた人たちもいれば、しばらくアメリカ本土などに行っていたけれどもこのシーズン開始に合わせてハワイに戻ってきた人たちもいます。
私は大張り切りで、友達7人と一緒にチケットを取って出かけました。それこそ「Welcome back, Symphony!」とでも書いた垂れ幕でも持って行こうかと思ったのですが、シンフォニーでそれはちょっと品がないかと思ってその案はとりやめ。でも、ホールに着いてみると、ホノルルじゅうが大喜びでこの日を迎えているということが一瞬にしてわかるほど、人々の熱気がいっぱいで、その場にいるだけでワクワクしてきました。そして、コンサート開始にあたり、「Ladies and gentleman, here is the Hawai‘i Symphony Orchestra!」というアナウンスが流れると、満員御礼のホールの聴衆は全員が一斉に立ち上がり、大歓声と大拍手の嵐。私たちも誰にも負けないくらい大声をあげていましたが、ホール全体が、オーケストラのコンサートでこんな大騒ぎは見たことがない、というほどの熱狂ぶり。しかもまだオーケストラが一音も演奏していないときから、何分間にもわたる総立ちの大拍手。舞台にそろった団員たちも、聴衆の愛情と熱気を感じ取ったと思いますが、聴衆たちの側も、この瞬間を共にしているという一体感があり、知らない人たち同士でも皆微笑み合って、実に胸が熱くなる時間でした。
初コンサートの指揮者は大友直人氏。演目前半は、ウェーバーの「オベロン」序曲、モーツアルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調、ピアニストはハワイ出身で日本でもさまざまな活動をしているリサ・ナカミチさん。休憩をはさんで、後半は堂々のベートーベン交響曲第5番。変な小細工をしない、正々堂々のプログラムですが、2年間このメンバーで演奏をしていなかったとは思えない、素晴らしいアンサンブルの見事な音楽で、「ああ、交響楽とはこういうものだった」という思いが五感にしみわたる経験でした。もちろん、ベートーベンの最後の劇的なハ長調和音が響き終わるや否や、聴衆はまた総立ちの大々拍手。普段は演奏会の最後に、スタッフによって指揮者にレイがかけられますが、今回は団員全員にもレイがかけられ、聴衆の拍手と歓声が長ーいこと鳴り止みませんでした。ああ、地域社会にオーケストラがあるということはこういうことなんだなあと、涙が出るような思いがすると同時に、このコミュニティのとても重要な瞬間を多くの人々と共有した気持ちがしました。末長くこのオーケストラが、この土地の暮らしを豊かにしてくれますように!日本や他の場所からハワイを訪れるかたも、ぜひハワイ・シンフォニー・オーケストラのスケジュールをチェックして、ぜひともコンサートに足を運んでください。
ちょっと投稿が遅くなりましたが、先週末は、ハワイ諸島を演奏ツアーしているピアニストSoyeon Leeのリサイタルがハワイ大学であったので、いそいそと出かけてきました。その日の昼にはふたりでランチをし、リサイタル終了後はふたりで飲みに行くという、私にとってもこの上ない贅沢な一日でした。
私が初めてSoyeon Leeに出会ったのは、ニューヨークでMusicians from a Different Shore
のための取材をしている2003年の秋でした。当時彼女はジュリアードのアーティスト・ディプロマ課程に在籍中で、ジュリアードのピアノ専攻のなかでもっとも優秀な学生に与えられるWilliam Petscheck Awardを受賞しました。賞の一部としてリンカーン・センターのアリス・タリー・ホールで演奏会をしたときに私も聴きに行きましたが、瑞々しさと鮮やかな音色に満ちた、聴衆にエネルギーを与えるような演奏でした。
私がインタビューした数多くの音楽家のなかでも、彼女がとくに印象的だったのは、彼女の視点や洞察が、多くの同世代のピアニストとはひと味違っていたことです。「もっとも尊敬する音楽家は誰ですか」という質問に対して、たいていのピアニストは、バッハとかショパンとかいった作曲家や、グレン・グルドやアルゲリッチや内田光子などといった演奏家を挙げたのに対して、Soyeonは間髪入れず「ビートルズ」と答えたところにもそれは表れていました(ちなみに彼女の妹は、韓国のポップ歌手)。また、インタビューの最中に自分のことを「フェミニスト」だと明言し、性や人種と音楽のかかわりについて、通りいっぺんでない、しっかりとした考えをもっていて、話していてとても面白い相手でした。そして、2009年のテキサスでのクライバーン・コンクールの出場者リストに彼女の名があるのを見て私はとても嬉しく、コンクールの最中にも練習の合間にインタビューをさせてもらいました。コンクールで聴いた演奏は、5年前に聴いた彼女の音楽と比べると、あきらかに熟成した、内省的で繊細な部分が感じられ、自分のあらゆるものを聴衆にさらけ出すリスクをとっている演奏でした。残念ながらこのコンクールでは予選を通過しませんでしたが、翌年にはWalter Naumburg Competitionで見事優勝を果たし、今回のハワイでの演奏もその賞の一環でした。
今回の演目は、バルトークのルーマニア民族舞曲、シューマンのダヴィド同盟舞曲集、アルベニスのイベリア組曲第一巻、そしてリスト編のグノーの『ファウスト』よりワルツという、舞曲ぞろいのプログラム。いや〜、すごい演奏でした。彼女の演奏には、実に気持ちのいい歯切れやリズムがあり、それと同時に、たくさんの聴衆のなかでも自分ひとりにそっと語りかけてくれているかのような親密さが感じられ、そしてまた、最後のリストは、座って聴いているだけで、人生なにも不可能なことはないというような気持ちにさせられるエネルギーと高揚感があり、私は、プログラムが終わった瞬間、もう一度初めから全曲聴きたい、できることなら他の島(彼女はホノルルの後、カウアイ島、ハワイ島、マウイ島をまわっています)についていってまた聴きたい、と思ったほどでした。とくに何十もの音の色が見事な層を成して編み上げられたシューマンは素晴らしく、私のピアノの先生は、「あのシューマンは、僕は死ぬ日までずっと忘れない」と言っていました。
というわけで、演奏も素晴らしいですが、今回再会して、ふたりでいろいろなおしゃべりをして、私はさらに人間としての彼女の大ファンになりました。2009年に会ったときから、私生活においてもいろいろと変化のあった彼女なのですが、そうしたひとつひとつの経験がきちんと血となり肉となって人間的な厚みと深みにつながっているし、自分のキャリアだけでなく、クラシック音楽全体のありかたについて、とても冷静でかつ真摯な態度で接している。そして、音楽を超えて実に広くいろいろなことに積極的な興味をもっているし、人に対する接し方もそれを表している。そして明るい。私は彼女と一緒に時間を過ごし、彼女の演奏を聴いたことで、自分が幸せな気持ちになり、エネルギーをもらい、多くのことを学んだと感じました。また自分も、そういう人間でありたいとも思いました。ハワイの他の島を演奏してまわったあと、再び数日間だけホノルルに戻ってきてマスタークラスをする予定ですが、そのときに私もレッスンをしていただく約束になり、ワクワクドキドキしながら練習に励む毎日です。
彼女の生い立ちや考えなどは、Musicians from a Different Shore
および『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
を参照していただけばよいですが、せっかくですので是非彼女の演奏を聴いていただきたいです。彼女のウェブサイトでもいくつか演奏が聴けますが、CDもありますのでぜひどうぞ。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
に入っているバッハ=ブゾーニのシャコンヌは大変おすすめです。私は自分がコンクールの準備のためこの曲を練習しているときに、いろいろなピアニストによるこの曲の演奏を聴きましたが、私はやたらマッチョな演奏よりも、彼女の内省的で深みのある演奏のほうが好きで、何度も繰り返し聴きました。
今日2月19日は、第二次大戦中にルーズベルト大統領が西海岸の日系人を強制収容する行政命令9066を発令した70周年記念日です。この行政命令によって、何十年間も西海岸で農業や造園業や小売商店などを営んできた日系移民そしてアメリカ国籍をもつ日系二世の11万人以上が、強制的に砂漠の真ん中などの人里離れた収容所に送られ、3年間を過ごすことになりました。この日系人強制収容の歴史は、法学・歴史学・政治学などの数多くの研究者が分析を続け、アジア系アメリカ研究の分野では今でもさまざまな視点から優れた研究が生み出されています。公民権運動の流れのなかで生まれた1960年代後期からのアジア系アメリカ人の社会運動のなかでも、日系人強制収容は大きな焦点となり、1988年にはレーガン大統領が署名した市民的自由法によって、国が非を認め、強制収容の被害者に謝罪し、ひとりにつき2万ドルの補償が支払われました。収容所生活を実際に体験した世代が徐々に亡くなっていくなか、この歴史をきちんと記憶に残していくためのさまざまな企画が各地で行われています。でも、日本では、意外にこの歴史を知っている人は少ないのではないでしょうか。というわけで、強制収容をめぐる研究書を、今では古典となっているものから最近のものまで数点、以下リスト紹介しておきます。
Years of Infamy: The Untold Story of America's Concentration Camps
Prisoners Without Trial: Japanese Americans In World War II
で、その行政命令9066から70年の今日、とくにアジア系アメリカ人のコミュニティのなかで大きな話題となっているのが、台湾から移民してきた両親をもつ、プロバスケのNew York Knicksの選手のJeremy Lin。『ドット・コム・ラヴァーズ』
の最後の章で書いたように、私はバスケファンのボーイフレンドと同居していたときは、いろいろ教えてもらいながら一緒にテレビでバスケ観戦をしたのですが、その彼と別れてしまってからは再びさっぱり観なくなり、最近Jeremy Linがフェースブックなどでもしきりに話題になっているのをみても、「ふーん、そういう人がいるのか〜」くらいにしか思っていませんでした。でも、とくにここ数週間の騒ぎはただごとではなく、メインストリームメディアでも、彼の活躍を「狂気」を意味するinsanityにかけてLinsanityと表現して大きく取り上げられています。私はちょっと観てみようと思いつつ見逃してしまった今日の対Dallas Mavericks戦でも、見事な活躍をみせチームに勝利をもたらし、今や国民的ヒーローに。野球やゴルフではアジア人の活躍が増えてきていますが、プロバスケでアジア人が活躍するのは珍しく(『現代アメリカのキーワード』
に項目のあるヤオ・ミンは昨年引退)、しかもLinはハーヴァード卒。アジア人にまつわるさまざまなステレオタイプを打ち破るめざましい成績をあげているなかで、アジア人に向けられる偏見は強固に残っている部分もあり、先日はスポーツ専門のネットワークのESPNが、携帯用のサイトでChink In the Armor(Chinkというのは、19世紀から20世紀前半にかけて中国人を指すのにしばしば使われた差別用語)という見出しでLinの話題を報じたことで、大きな抗議の声があがり、数時間後には局は謝罪文を発表し見出しを取り下げました。人種をめぐるアメリカの意識や言説は、依然として実に複雑です。