オザケンこと小沢健二クン(赤の他人ではあるのですが、大学の後輩で一時期柴田元幸先生の小人数の授業に一緒に出ていたことがあるので、今でも頭のなかでつい「クン」と呼んでしまうのです)が、原発と核兵器の関係について第二次大戦以後の歴史をふまえて書いた文章を、フェースブックで何人かの人がシェアしているので読みました。もとは去年書かれたもので、知る人はもう前から知っていていたのでしょうが、議論の輪を広げるためにこのたび(「ネット公開によせて」の文章をみると、今日公開されたもののよう)ネット公開となり、てきめんに拡散されているようです。大学のときから、頭脳明晰でかつ謙虚な、とても感じのいい青年でしたが、この文章も、情報も論理も語り口も、とても納得がいくものです。また、内容もそうですが、ネット上でこうした形で公開して議論の輪を広げるという選択にも賛成なので、拡散に貢献させていただくため、ここにリンクしておきます。(このリンクのページの下の「ダウンロード」の部分をクリックすると文章が読めます。)
アメリカにおけるエネルギーとしての原子力と核兵器としての原子力の関係については、私の友達でも研究している人がいて、もう少ししたら論文あるいは本の形になると思うので、完成しだいここでも紹介させていただきます。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2012年7月20日金曜日
2012年7月19日木曜日
ケベックいろいろ
5日間ケベックを旅行して、昨夜トロントに戻ってきました。カナダでゆっくり時間を過ごすのは今回が初めてなので、トロントでもいろいろ発見があって面白いのですが、フランス系の歴史をもつケベックはやはりトロントとは全然違って、たいへん興味深い5日間でした。宿はモントリオールでしたが、毎日モントリオールから車で1~2時間の距離のところで開催されている音楽祭でピアノリサイタルを聴きに通っていたため、都会のモントリオールとは別のケベックの様子も垣間みることができました。モントリオールは、古い伝統と新しい文化、フランス系とイギリス系と世界の他の地域からの移民とイロコイ先住民などの歴史が混じった都会で、英語でもまあやっていけるのですが、一歩モントリオールを出ると、フランス語しか通じないという人たちがたくさん。当たり前といえば当たり前なのですが、そういう基本的なことも、やはり実際にその土地に行ってみてこそ実感が湧くものです。ケベックのナショナリズムというものを、ちゃんと勉強してみようと思いました。ついでに、大学のときに結構せっせと勉強したにもかかわらず、きれいさっぱり忘れてしまったフランス語を、またやってみようかとも思いました。
で、今回行ったのは、Le Festival de Lanaudiereと、Festival Orfordというふたつの音楽祭。Le Festival Lanaudiereのほうは、Jolietteというきれいな名前の町にある屋外シアターを中心に、近郊の小さな町(「町」らしきものも見えないほど家がまばらなエリアもありましたが)の教会などで、約一ヶ月のあいだほぼ毎日コンサートがあります。私たちは、その屋外シアター(マサチューセッツにあるタングルウッドをひとまわりこじんまりさせたような雰囲気のところ)で行われた、ケベック出身のピアニストAlain Lefèvreによる、カナダ人作曲家François Dompierreの新作24 Préludesの世界初演を聴きました。ケベックのピアニストによる世界初演ということもあり、今年のこの音楽祭のなかで一番チケットの売り上げがよいコンサートだったらしく、聴衆にはたいへんな熱気で迎えられていました。それから、同じ音楽祭の一環で、それぞれ別の小さな町の教会で行われた、Beneditto Lupo(1989年のクライバーン・コンクールで3位入賞したイタリア人ピアニスト)のリサイタルと、最近日本でも演奏しているロシア人のAlexander Melnikovのリサイタルに行きました。演奏もそれぞれ素晴らしかったけれど、周りになにもないような小さな町の教会を、音楽に対する感性の高い聴衆でいっぱいにする音楽祭の運営に脱帽。それから、モントリオールから南東に2時間近く行ったMt Orfordという山間部(冬はスキーリゾートらしい。近くには聖ベネディクト派教会の修道院もあり、見学ついでにそこで作っているワインやチョコレートも買ってきました)にある芸術センターで開催されている、Festival Orfordでは、まだ20歳という若手イタリア人ピアニスト(前述のBeneditto Lupoに師事していたそうですが、今はドイツのハノーヴァー音楽院在籍中)Beatrice Ranaのリサイタルを聴きました。彼女の解釈はちょっと変わっている部分も多いのだけれど、20歳とは思えない成熟した独自の声をもっていて驚愕。ちなみにこのFestival Orfordは、コンサートだけでなく若手音楽家のための夏期プログラムでもあり、他の楽器の学生による演奏も少し聴くことができました。
私にとってはバケーションでしたが、同行人(正確には私のほうが「同行人」ですが)にとっては仕事の出張。で、その仕事関係のランチやディナーに私もくっついて行った(日本ではそういうことはまずないでしょうが、こちらではそうした仕事上の社交の場に配偶者や「デート」が参加するのは普通)おかげで、ケベックの人たちに会ってお話することができました。考えてみたら、私はケベックの人というのにこれまで会ったことがなかった(と思う)ので、彼らの言語感覚(今回私がお話したのは、みなフランス系のケベック人ですが、仕事の関係上、英仏バイリンガルな人たちばかり)もそうですが、いろいろなお話が面白かったです。音楽祭の芸術監督をしている男性は、「ケベックの人間としては、オンタリオを含むカナダの他の地域に行くよりも、バッファロやボストンやニューヨークなんかのアメリカの東海岸の都市に行くほうが居心地がよい」と言っていました。もちろんケベックの人たちみながそう感じるわけではないでしょうが、カナダという国のなかでのケベックの位置づけ、他の地域のカナダ人がケベックをどう捉えているか(とケベックの人たちが感じているか)を、ちょっと垣間みさせてくれるコメントではあります。ピアノの技術者をしている男性のガールフレンドで、建築現場の監督をしているという人にも会いました。その人は、スタイル抜群のセクシーな美人で、雰囲気としては彼女自身がピアノ関係の仕事かしらんと思うような女性なのですが、きいてみると彼女はピアノにはまったく関係がなく、子供の頃からおてんばで外で動き回ったり手足を使って物事をするのが好きだったので、この仕事につくようになったそうです。さすがに女性の建築現場監督というのは珍しく、ケベック全体でも女性で彼女と同じ立場にいるのは他にひとりしかいないそうですが、毎日何十人もの男性に指示を出しながら、現場をとりしきっているらしい。カッコいい。そして、音楽祭の運営者や、ピアノの調律師といった人たちと何人もお話をしましたが、そういう人たちがどういう経緯でその仕事をするようになって、その仕事のどういう側面を楽しいと思うのか、その仕事においてはどんな苦労があるのか、そうした話を聞くのが私にはとっても面白い。
モントリオールでは、考古学・歴史博物館と、モントリオールやカナダの歴史を専門にするMcCord Museumに行って、モントリオールの歴史をちょっと勉強しましたが、アメリカの隣国であり、歴史的にもさまざまな接点があるにもかかわらず、カナダのことを自分がいかになにも知らないかということを、しみじみ認識。勉強しなくっちゃ〜。
で、今回行ったのは、Le Festival de Lanaudiereと、Festival Orfordというふたつの音楽祭。Le Festival Lanaudiereのほうは、Jolietteというきれいな名前の町にある屋外シアターを中心に、近郊の小さな町(「町」らしきものも見えないほど家がまばらなエリアもありましたが)の教会などで、約一ヶ月のあいだほぼ毎日コンサートがあります。私たちは、その屋外シアター(マサチューセッツにあるタングルウッドをひとまわりこじんまりさせたような雰囲気のところ)で行われた、ケベック出身のピアニストAlain Lefèvreによる、カナダ人作曲家François Dompierreの新作24 Préludesの世界初演を聴きました。ケベックのピアニストによる世界初演ということもあり、今年のこの音楽祭のなかで一番チケットの売り上げがよいコンサートだったらしく、聴衆にはたいへんな熱気で迎えられていました。それから、同じ音楽祭の一環で、それぞれ別の小さな町の教会で行われた、Beneditto Lupo(1989年のクライバーン・コンクールで3位入賞したイタリア人ピアニスト)のリサイタルと、最近日本でも演奏しているロシア人のAlexander Melnikovのリサイタルに行きました。演奏もそれぞれ素晴らしかったけれど、周りになにもないような小さな町の教会を、音楽に対する感性の高い聴衆でいっぱいにする音楽祭の運営に脱帽。それから、モントリオールから南東に2時間近く行ったMt Orfordという山間部(冬はスキーリゾートらしい。近くには聖ベネディクト派教会の修道院もあり、見学ついでにそこで作っているワインやチョコレートも買ってきました)にある芸術センターで開催されている、Festival Orfordでは、まだ20歳という若手イタリア人ピアニスト(前述のBeneditto Lupoに師事していたそうですが、今はドイツのハノーヴァー音楽院在籍中)Beatrice Ranaのリサイタルを聴きました。彼女の解釈はちょっと変わっている部分も多いのだけれど、20歳とは思えない成熟した独自の声をもっていて驚愕。ちなみにこのFestival Orfordは、コンサートだけでなく若手音楽家のための夏期プログラムでもあり、他の楽器の学生による演奏も少し聴くことができました。
私にとってはバケーションでしたが、同行人(正確には私のほうが「同行人」ですが)にとっては仕事の出張。で、その仕事関係のランチやディナーに私もくっついて行った(日本ではそういうことはまずないでしょうが、こちらではそうした仕事上の社交の場に配偶者や「デート」が参加するのは普通)おかげで、ケベックの人たちに会ってお話することができました。考えてみたら、私はケベックの人というのにこれまで会ったことがなかった(と思う)ので、彼らの言語感覚(今回私がお話したのは、みなフランス系のケベック人ですが、仕事の関係上、英仏バイリンガルな人たちばかり)もそうですが、いろいろなお話が面白かったです。音楽祭の芸術監督をしている男性は、「ケベックの人間としては、オンタリオを含むカナダの他の地域に行くよりも、バッファロやボストンやニューヨークなんかのアメリカの東海岸の都市に行くほうが居心地がよい」と言っていました。もちろんケベックの人たちみながそう感じるわけではないでしょうが、カナダという国のなかでのケベックの位置づけ、他の地域のカナダ人がケベックをどう捉えているか(とケベックの人たちが感じているか)を、ちょっと垣間みさせてくれるコメントではあります。ピアノの技術者をしている男性のガールフレンドで、建築現場の監督をしているという人にも会いました。その人は、スタイル抜群のセクシーな美人で、雰囲気としては彼女自身がピアノ関係の仕事かしらんと思うような女性なのですが、きいてみると彼女はピアノにはまったく関係がなく、子供の頃からおてんばで外で動き回ったり手足を使って物事をするのが好きだったので、この仕事につくようになったそうです。さすがに女性の建築現場監督というのは珍しく、ケベック全体でも女性で彼女と同じ立場にいるのは他にひとりしかいないそうですが、毎日何十人もの男性に指示を出しながら、現場をとりしきっているらしい。カッコいい。そして、音楽祭の運営者や、ピアノの調律師といった人たちと何人もお話をしましたが、そういう人たちがどういう経緯でその仕事をするようになって、その仕事のどういう側面を楽しいと思うのか、その仕事においてはどんな苦労があるのか、そうした話を聞くのが私にはとっても面白い。
モントリオールでは、考古学・歴史博物館と、モントリオールやカナダの歴史を専門にするMcCord Museumに行って、モントリオールの歴史をちょっと勉強しましたが、アメリカの隣国であり、歴史的にもさまざまな接点があるにもかかわらず、カナダのことを自分がいかになにも知らないかということを、しみじみ認識。勉強しなくっちゃ〜。
2012年7月3日火曜日
PianoTexas 2012
テキサスで12日間過ごした後、昨日トロントにやってきました。テキサスにいるあいだにその興奮を伝えたかったのですが、滞在場所のインターネット環境が悪く、まとまった文章を書ける状況ではなかったので、投稿は断念していました。
クライバーン・コンクールのあるフォート・ワースのテキサス・クリスチャン大学で開催される、PianoTexas International Academy & Festivalというイベントに参加していたのですが、夏のテキサスの気温(なにしろ40度になることもある猛暑)にもかかわらず、天国に来たかと思うような素晴らしい日々でした。ウェブサイトを見ていただければわかりますが、PianoTexasとは1981年にクライバーン・コンクールと提携した形で創設されて以来毎年開催されているピアノフェスティバル。もとは若手ピアニストのためのプログラムだったのですが、1990年代からは大学や個人スタジオで教えるピアノ教師のためのプログラムと、私のようなアマチュアのためのプログラムが加えられました。さすがクライバーン・コンクールが開催される街の大学だけあって、テキサス・クリスチャン大学のピアノ科はたいへん充実していて、錚々たる教授陣がそろっているのですが、大学の教授に加えて、世界各地からゲスト・アーティストが招待され、演奏に加えマスタークラスや個人レッスンをしてくださる。今年は、伝説ともいえるPaul Badura-SkodaやLeon Fleisher、そして海老彰子さんがゲストアーティストでした。こうした人たちのマスタークラスを見ていると、「マスター」という単語の意味がしみじみと感じられます。真に深く幅広い知識をもち、あらゆる試行錯誤を経てさまざまな技術を身に付け、つねにより優れたものを志すと同時に、作曲家や作品への底知れぬ畏敬の念を抱き続け、芸術を次世代に伝えようと惜しみなく指導にあたる彼らは、顔つきから人間性がにじみ出ているのです。芸術家は往々にして独りよがりの暴君であるといったイメージがありますが、真に優れた芸術家は、謙虚でもありジェネラスでもあるのだ、と改めて感じさせられました。
プロの演奏家を目指す若手のピアニストたちがこうしたベテランの指導を集中的に受けるようなイベントは世界各地に存在しますが、アマチュアにもこれだけ充実したプログラムを提供してくれるところは他にないだろうと思います。素晴らしいピアニストたちに指導を受けられるだけでなく、普通だったらアマチュアが触る機会がないような立派な楽器(スポンサーとなっているメーカーが楽器を提供してくれるので、スタインウェイの他に、ベーゼンドルファー、ベクシュタイン、ヤマハ、カワイなどの超一流の演奏用ピアノを弾かせてもらえます)をちゃんとしたホールで弾かせてもらえるというのもすごい。私は、1989年のクライバーン・コンクールの優勝者であるJose Feghaliにマスタークラスでシューベルトの即興曲作品142第3番を指導していただいたほか(あー緊張した)、John OwingとGloria Linに個人レッスン、そしてさらに追加でPianoTexasの運営者であるTamas Ungarにレッスンをしていただきました。今回取り組んだのは、スクリアビンの左手のための前奏曲と夜想曲作品9、およびラフマニノフの楽興の時作品16の第1番と6番。ここ1年くらい練習してきて、5月のリサイタルでも演奏した曲なのですが、うーむ、まーだまだ肝心なことができていないことを実感。
ソロの他に、今年初めての試みとして、室内楽のセッションもあり、アメリカ各地から参加している若手の弦楽奏者たちと一緒に室内楽のリハーサル、マスタークラスを経てコンサートで演奏する、というオプションも設けられました。私は室内楽をほとんどやったことがないので、是非この機会にと思って、前から一度弾いてみたいと思っていたシューマンのピアノ四重奏作品47の第3楽章をやりました。いくらなんでも一度も弦楽器を合わせたことのないままテキサスに行くのもなんだと思って、ホノルル出発前に、ハワイ・シンフォニー・オーケストラの団員(ヴァイオリンはコンサートマスター、ヴィオラは首席、チェロは数年前に亡くなったホノルルで伝説的に素晴らしいピアノ指導者の娘でベテランのチェリストだったので、私なぞにはもったいないような顔ぶれ)の友達に頼んで合わせてもらったのですが、これがあまりにも刺激的で目ならぬ耳からウロコが落ちるような経験でした。今回は、初めて顔を合わせる人と一緒に、きわめて限られた準備時間で演奏にもっていかなければいけないというチャレンジがありましたが、それはそれで大変面白く、ソロとはまったく違う種類の音感の使い方を学び、おおいに勉強になると同時に楽しい経験をしました。室内楽の他に、歌曲の伴奏のセッションもあり、今回のPianoTexasはシューベルトがテーマだったので、若手の歌手たちによるシューベルト歌曲をたくさん堪能することができました。私は正直言って、シューベルトはあんまり好きではないなあと思っていたのですが、歌曲と室内楽をじっくり聴いてからピアノ曲を聴いたり弾いたりすると、今までどうもよくわからなかったことがずいぶんと合点がいくようになり、シューベルトも悪くないなあと思うようになりました(と、いかにも素人的なコメント)。
というふうに、自分自身のピアノの理解やスキル向上にはとてもよいプログラムなのですが、なんといっても一番素晴らしいのが、こうした場で育まれる仲間との絆。アマチュアプログラムに参加する人たちのレベルには結構幅があり、プロの演奏家にもまったくひけをとらないレベルの人もいれば、私のような純粋なアマチュアレベルの人もいるし、技術的には初級の上から中級の下といった人もいる。ベートーベンのピアノコンチェルトを堂々と弾く人もいれば、楽譜と鍵盤を必死に見ながらショパンのマズルカを弾く人もいる。けれど、スキルのレベルとは無関係に、なにしろピアノが好きで、どうしてもこの曲を自分なりに弾けるようになりたい、という気持ちはみな共通。その演奏から、それぞれの人生が垣間みられる。そして、コンクールと違って、演奏に誰かが優劣をつけられるわけではないので、参加者全員がよりリラックスしてお互いの音楽に心を開き、ちょっとくらいミスがあろうがなんだろうが、その人が伝えようとしていることをみんな熱心に受け止める。人のタイプも実に多様で、大きな身体をした、いかにもビールを飲みながらフットボールを見ていそうな男性が、緊張しながら一生懸命にドビュッシーのアラベスクを弾いたり、アメリカ人のステレオタイプを絵に描いたようなおおらかな男性が繊細なブラームスの間奏曲を弾いたり、これまた大きな身体をした年配の男性ふたりが椅子を並べてシューベルトのファンタジーの連弾をしたりしているのを見ると、「ああ、音楽というのはこういうものだった」と胸が熱くなります。なにしろあらゆる意味で素晴らしいプログラムですので、アマチュアピアノ愛好家のかたは、ぜひ来年以降の参加をご検討ください。
というわけで、興奮と刺激と感動に満ちた11日間が終わってしまって淋しいことこの上ないのですが、心機一転、これから8月上旬までトロントに滞在し、夏のあいだに仕上げなければいけない仕事を片付けます。
クライバーン・コンクールのあるフォート・ワースのテキサス・クリスチャン大学で開催される、PianoTexas International Academy & Festivalというイベントに参加していたのですが、夏のテキサスの気温(なにしろ40度になることもある猛暑)にもかかわらず、天国に来たかと思うような素晴らしい日々でした。ウェブサイトを見ていただければわかりますが、PianoTexasとは1981年にクライバーン・コンクールと提携した形で創設されて以来毎年開催されているピアノフェスティバル。もとは若手ピアニストのためのプログラムだったのですが、1990年代からは大学や個人スタジオで教えるピアノ教師のためのプログラムと、私のようなアマチュアのためのプログラムが加えられました。さすがクライバーン・コンクールが開催される街の大学だけあって、テキサス・クリスチャン大学のピアノ科はたいへん充実していて、錚々たる教授陣がそろっているのですが、大学の教授に加えて、世界各地からゲスト・アーティストが招待され、演奏に加えマスタークラスや個人レッスンをしてくださる。今年は、伝説ともいえるPaul Badura-SkodaやLeon Fleisher、そして海老彰子さんがゲストアーティストでした。こうした人たちのマスタークラスを見ていると、「マスター」という単語の意味がしみじみと感じられます。真に深く幅広い知識をもち、あらゆる試行錯誤を経てさまざまな技術を身に付け、つねにより優れたものを志すと同時に、作曲家や作品への底知れぬ畏敬の念を抱き続け、芸術を次世代に伝えようと惜しみなく指導にあたる彼らは、顔つきから人間性がにじみ出ているのです。芸術家は往々にして独りよがりの暴君であるといったイメージがありますが、真に優れた芸術家は、謙虚でもありジェネラスでもあるのだ、と改めて感じさせられました。
プロの演奏家を目指す若手のピアニストたちがこうしたベテランの指導を集中的に受けるようなイベントは世界各地に存在しますが、アマチュアにもこれだけ充実したプログラムを提供してくれるところは他にないだろうと思います。素晴らしいピアニストたちに指導を受けられるだけでなく、普通だったらアマチュアが触る機会がないような立派な楽器(スポンサーとなっているメーカーが楽器を提供してくれるので、スタインウェイの他に、ベーゼンドルファー、ベクシュタイン、ヤマハ、カワイなどの超一流の演奏用ピアノを弾かせてもらえます)をちゃんとしたホールで弾かせてもらえるというのもすごい。私は、1989年のクライバーン・コンクールの優勝者であるJose Feghaliにマスタークラスでシューベルトの即興曲作品142第3番を指導していただいたほか(あー緊張した)、John OwingとGloria Linに個人レッスン、そしてさらに追加でPianoTexasの運営者であるTamas Ungarにレッスンをしていただきました。今回取り組んだのは、スクリアビンの左手のための前奏曲と夜想曲作品9、およびラフマニノフの楽興の時作品16の第1番と6番。ここ1年くらい練習してきて、5月のリサイタルでも演奏した曲なのですが、うーむ、まーだまだ肝心なことができていないことを実感。
ソロの他に、今年初めての試みとして、室内楽のセッションもあり、アメリカ各地から参加している若手の弦楽奏者たちと一緒に室内楽のリハーサル、マスタークラスを経てコンサートで演奏する、というオプションも設けられました。私は室内楽をほとんどやったことがないので、是非この機会にと思って、前から一度弾いてみたいと思っていたシューマンのピアノ四重奏作品47の第3楽章をやりました。いくらなんでも一度も弦楽器を合わせたことのないままテキサスに行くのもなんだと思って、ホノルル出発前に、ハワイ・シンフォニー・オーケストラの団員(ヴァイオリンはコンサートマスター、ヴィオラは首席、チェロは数年前に亡くなったホノルルで伝説的に素晴らしいピアノ指導者の娘でベテランのチェリストだったので、私なぞにはもったいないような顔ぶれ)の友達に頼んで合わせてもらったのですが、これがあまりにも刺激的で目ならぬ耳からウロコが落ちるような経験でした。今回は、初めて顔を合わせる人と一緒に、きわめて限られた準備時間で演奏にもっていかなければいけないというチャレンジがありましたが、それはそれで大変面白く、ソロとはまったく違う種類の音感の使い方を学び、おおいに勉強になると同時に楽しい経験をしました。室内楽の他に、歌曲の伴奏のセッションもあり、今回のPianoTexasはシューベルトがテーマだったので、若手の歌手たちによるシューベルト歌曲をたくさん堪能することができました。私は正直言って、シューベルトはあんまり好きではないなあと思っていたのですが、歌曲と室内楽をじっくり聴いてからピアノ曲を聴いたり弾いたりすると、今までどうもよくわからなかったことがずいぶんと合点がいくようになり、シューベルトも悪くないなあと思うようになりました(と、いかにも素人的なコメント)。
というふうに、自分自身のピアノの理解やスキル向上にはとてもよいプログラムなのですが、なんといっても一番素晴らしいのが、こうした場で育まれる仲間との絆。アマチュアプログラムに参加する人たちのレベルには結構幅があり、プロの演奏家にもまったくひけをとらないレベルの人もいれば、私のような純粋なアマチュアレベルの人もいるし、技術的には初級の上から中級の下といった人もいる。ベートーベンのピアノコンチェルトを堂々と弾く人もいれば、楽譜と鍵盤を必死に見ながらショパンのマズルカを弾く人もいる。けれど、スキルのレベルとは無関係に、なにしろピアノが好きで、どうしてもこの曲を自分なりに弾けるようになりたい、という気持ちはみな共通。その演奏から、それぞれの人生が垣間みられる。そして、コンクールと違って、演奏に誰かが優劣をつけられるわけではないので、参加者全員がよりリラックスしてお互いの音楽に心を開き、ちょっとくらいミスがあろうがなんだろうが、その人が伝えようとしていることをみんな熱心に受け止める。人のタイプも実に多様で、大きな身体をした、いかにもビールを飲みながらフットボールを見ていそうな男性が、緊張しながら一生懸命にドビュッシーのアラベスクを弾いたり、アメリカ人のステレオタイプを絵に描いたようなおおらかな男性が繊細なブラームスの間奏曲を弾いたり、これまた大きな身体をした年配の男性ふたりが椅子を並べてシューベルトのファンタジーの連弾をしたりしているのを見ると、「ああ、音楽というのはこういうものだった」と胸が熱くなります。なにしろあらゆる意味で素晴らしいプログラムですので、アマチュアピアノ愛好家のかたは、ぜひ来年以降の参加をご検討ください。
というわけで、興奮と刺激と感動に満ちた11日間が終わってしまって淋しいことこの上ないのですが、心機一転、これから8月上旬までトロントに滞在し、夏のあいだに仕上げなければいけない仕事を片付けます。