今週28日は、マーティン・ルーサー・キングJr牧師が「I Have a Dream」で知られる歴史的な演説をし、公民権運動の大きな節目となったワシントン大行進の50周年。今週末はワシントンで記念イベントが行われ、各メディアでも、ここ50年間でアメリカの人種関係がどれだけ前進したか・していないか、といった特集をしています。
その50周年に合わせて公開となった、リー・ダニエルス監督の映画『The Butler』を観てきました。奴隷制廃止から50年以上たっても白人の暴力と搾取のもと南部の綿農場でシェアクロッパーとして働く黒人の両親のもとで生まれ、少年時に母親が暴行され父親が殺害されるのを目撃した主人公が、南部を逃れ、使用人としての修行を受け、やがてはホワイトハウスの執事にまで登りつめる。アイゼンハワー政権(実存の人物がホワイトハウスで務め始めたのはトルーマン政権からだったらしいですが、映画ではアイゼンハワー政権という設定になっている)からレーガン政権までの30年間、公民権運動やベトナム戦争の激動の時代を通じて、ホワイトハウスで大統領およびその家族やスタッフに仕えた実存の人物の生涯を描きながら、戦後アメリカの人種関係の歴史を追う大河ドラマです。
ハリウッド的な映画づくりになっているといえばもちろんその通りで、文句をつけようと思えばいくらでもつけられるでしょうが、全体としてはよくできた映画だと思いました。公民権運動というものがどれだけ危険に満ちたもので、運動に身を投じた人々がどんな覚悟で運動に参加していたか、ということも描かれているし、50年代から80年代までの公民権の拡大が、決して一直線のものではなく、それぞれの大統領の公民権問題へのかかわりかたも、単純なイデオロギーで整理ができるものではなかった、ということがよくわかります。そして、物語の中心となっているのが、ホワイトハウスの執事としての役割を徹底的に務めることを黒人として、また一個人としての誇りとしている主人公と、キング牧師の非暴力抵抗から武力行使も辞さないブラック・パンサー党の活動まで、平等と正義を求める運動に身を投じる長男とのあいだの葛藤。それぞれが自分の信じる形で黒人の地位向上を追求していながら、双方のあいだの溝はどんどんと深まっていく。親子やきょうだい同士でこうした分裂を経験した黒人の家族はじっさいに非常に多かったことと思います。(黒人だけでなく、第二次大戦中の強制収容を経験した日系人たちのなかにも、「日系アメリカ人として生きるとはどういうことか」をめぐって親子で大きな対立を経験した家族はとても多かったのです。)この父子関係を通じてアメリカの人種問題の複雑さが巧みに描かれています。また、2008年にオバマ大統領が当選したということが、黒人にとってどういう意味をもっていたか、ということも改めて考えさせられます。主人公を演じるフォレスト・ウィテカーと、彼の妻を演じるオプラ・ウィンフリーの演技が素晴らしい。
日本でいつ公開になるのか今のところ不明ですが、観る価値おおいにありですので、公開になったらぜひどうぞ。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2013年8月25日日曜日
2013年8月6日火曜日
デジタル時代の史料収集
まる2ヶ月もご無沙汰いたしました。この夏(日本だと学校もまだ夏休みが始まって間もない時期ですが、こちらではすでに夏は終盤、ハワイの公立学校ではすでに新学期が始まっています)はとりわけ忙しく、テキサスで1ヶ月を過ごした後、ホノルルでアロハ国際ピアノ・フェスティバルのアマチュア部門の企画運営のお手伝いをし(こじんまりとしながらとてもいいイベントとなりました。来年はさらに充実したイベントにするつもりですので、年齢・レベルを問わずふるってご参加ください)、その後すぐ日本で10日間を過ごし、そして2日間だけハワイに戻って、今度はワシントンDCとボストンで3週間のリサーチをし、1週間前にハワイに帰ってきました。どれもとても充実した素晴らしい時間でしたが、いろいろな時間帯を行ったり来たりしながらいろいろな意味で刺激を受け続けると、さすがに体力を消耗します。
2ヶ月のあいだに体験したこと、たくさん書きたいことがありすぎて困るので、今日はあえて本業にかかわる話題にしておきます。5月にテキサスのオースティンにあるジョンソン大統領図書館で1週間リサーチをしたことは以前書きましたが、それと同じプロジェクトで、ワシントンの議会図書館で2週間(本当はメリーランドにある国立公文書館にも行く予定だったのですが、時間が足りずに今回は断念)、およびボストンのケネディ大統領図書館で1週間史料集めをしてきました。議会図書館には以前にも何度も行ったことがあるのですが、この巨大な図書館、同じ図書館のなかでも部によってまったく違った文化があるのが面白い。Law Libraryと、Manuscript Reading Roomと、Performing Arts Reading Roomでは、そこで調べものをしている人たちの服装やふるまいがまるで違い、スタッフの人柄も違い、おまけに、資料をとりよせるための請求書の記入の仕方や資料を見るときのルールまで違う。Science, Technology, and Business Divisionや、American Folklife Centerや、Motion Picture & Television Reading Roomに行ったら、またそれぞれ全然違った雰囲気なんだろうなあと想像。そしてまた、世界各地の資料が集まったこの図書館で働いているスタッフ、そして調べものをしに通う人たちは、きわめて多様な人々で、お昼に食堂に行くと、実にいろいろな言語がまわりから聞こえてきます。この図書館内の文化を文化人類学的に観察したら、それだけでじゅうぶん面白い研究ができそう。そしてまた、ケネディ大統領図書館は、ジョンソン大統領図書館とはまた全然違った雰囲気で、ケネディ大統領が愛したボストン湾の海が目の前のガラスの巨大な窓一面に広がる、物理的にとても気持ちのいい資料室。たいてい研究図書館の資料室というのは窓がないものですが、こんな空間もありうるんだなあと、妙に感心しました。
さて、博士論文の研究をしているときから、いわゆる一次史料(とくに歴史的な文書)を調べるという作業はしてきたのですが、この夏のリサーチでは、研究者として改めて多くのことを学びました。
当たり前のことですが、一口に「史料」といっても、研究の性質によって史料のありかたはまるで違う、ということ。私がこれまで主にやってきたのは、いわゆる「文化史」。今回のプロジェクトも、「文化史」には違いないのですが、広義の「文化ポリティクス」ではなく、政府の活動そのものを調べる、という点では、これまで私がやってきた研究とは性質がずいぶんと異なります。しかも、博士論文転じて初の著書となったEmbracing the East: White Women and American Orientalismや、2作目のMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの歴史分析の部分で扱ったのは、19世紀後半から20世紀半ばくらいまでの時代だったのに対して、今回のプロジェクトで調べているのは、1960年代から1970年代にかけての冷戦期。これらの違いが、リサーチという行為に実際的にどんなことを意味するかというと、ごくごく基本的な次元で、目の前に存在する資料の量が圧倒的に違う。私がこれまでやってきた種類の文化史では、具体的なトピックにもよりますが、一般的には、「なんとかコレクション」とか「だれそれペーパーズ」などといったまとまった史料が存在するわけではなく、いろいろなところから違った種類の史料を引っかき集めて、自分でそうした史料同士の関係を導き出し、論を生み出す、というのが主な作業。そうした探偵のような作業にこそ、難しさもあれば面白さもあるのですが、いったいどこに行ってなにを見れば自分が探しているものに関連する史料が見つかるのかわからず、なにも見つからないままどんどん時間が過ぎていくこともよくある。それに対して、議会であれホワイトハウスであれ、政府にかかわるものに関しては、とにかく「もう結構です」と言いたくなるほどの量の資料が存在する。ごくちょっとしたことをめぐっても、政府機関内のいろいろな人たちのあいだで、何十という書類のやりとりがある。しかもこの時代の書類は、当然ながらすべて紙の書類。もちろん、政府の活動がこうしてきちんと記録に残されているのは正しいことなのですが、調べる人間にとっては、頭を抱えたくなる量の紙が目の前に出てくることになります。
前の投稿でも書いたように、今回は初めてiPadで文書のデジタル写真を撮りまくるという方法を使ったのですが、限られた時間内で大量の史料を集め持ち帰る、というためにはたしかに有効ですが、この「少しでも関連のありそうなものはとにかく撮っておく」というやりかただと、せっかくの史料を自分で処理しきれなくなってしまうという可能性が大。資料がないよりはあったほうがいいに決まっていますが、この一夏だけでiPadに7,000枚以上集まってしまった写真を、果たしてこれからどのように整理して、いかに調理するか、考えただけでも頭が痛いです。分析という頭を使う作業に至る前に、まずはiPadにひたすらズラ〜ッと並んでいる写真を整理して、PDFに変換して、タグなりコメントなりをつけながら、なんらかのデータベースに入力しなければ、史料として使いものにならない。ほかの研究者はどうやってこういう作業をやっているのか、フェースブックなどで体験談を集めているのですが(いい知恵やテクのある人は、ぜひ教えてください)、こういうものはやはり、研究の性質によって、また人によって、やりかたはさまざまで、「このソフトを使ってこうやればよい」というひとつの解決策があるわけではなさそう。トホホ。ともかくは、いっぱいになってしまったDropboxの容量を増やし、iCloudの容量も増やし、古くなって遅くなってきたパソコンを買い替え、外付けのハードディスクを買い、せっかく集めた史料が消えてしまわないようにすることから始めましたが、さて、大変なのはこれから。とくに歴史研究の分野においては、史料収集がデジタル化されて、調査という作業の性質がかなり根本的に変わっているような気がしますが、果たしてこれによって本当に研究が促進されているのかどうか、たいへん興味のあるところです。学会などでも、こうしたプラクティカルなことにかんするセッションやワークショップをもっとやってほしいなあ...
とはいうものの、今回は、もともと探していたものとはほとんどまったく関係のないところで、心臓が止まるかと思うような史料を発見し、研究者としてはこんな出会いは一生に一度できれば大きな御の字、というような体験もしました。これについては、実際の分析や執筆が進むまで内緒にしておきますが、研究というのは、95%は(私の性格にまるで合わない)地味で地道な作業でありながら、残りの5%は、眠ることも忘れてしまうような本当に興奮に満ちたものである、ということを改めて実感するリサーチの夏でありました。
2ヶ月のあいだに体験したこと、たくさん書きたいことがありすぎて困るので、今日はあえて本業にかかわる話題にしておきます。5月にテキサスのオースティンにあるジョンソン大統領図書館で1週間リサーチをしたことは以前書きましたが、それと同じプロジェクトで、ワシントンの議会図書館で2週間(本当はメリーランドにある国立公文書館にも行く予定だったのですが、時間が足りずに今回は断念)、およびボストンのケネディ大統領図書館で1週間史料集めをしてきました。議会図書館には以前にも何度も行ったことがあるのですが、この巨大な図書館、同じ図書館のなかでも部によってまったく違った文化があるのが面白い。Law Libraryと、Manuscript Reading Roomと、Performing Arts Reading Roomでは、そこで調べものをしている人たちの服装やふるまいがまるで違い、スタッフの人柄も違い、おまけに、資料をとりよせるための請求書の記入の仕方や資料を見るときのルールまで違う。Science, Technology, and Business Divisionや、American Folklife Centerや、Motion Picture & Television Reading Roomに行ったら、またそれぞれ全然違った雰囲気なんだろうなあと想像。そしてまた、世界各地の資料が集まったこの図書館で働いているスタッフ、そして調べものをしに通う人たちは、きわめて多様な人々で、お昼に食堂に行くと、実にいろいろな言語がまわりから聞こえてきます。この図書館内の文化を文化人類学的に観察したら、それだけでじゅうぶん面白い研究ができそう。そしてまた、ケネディ大統領図書館は、ジョンソン大統領図書館とはまた全然違った雰囲気で、ケネディ大統領が愛したボストン湾の海が目の前のガラスの巨大な窓一面に広がる、物理的にとても気持ちのいい資料室。たいてい研究図書館の資料室というのは窓がないものですが、こんな空間もありうるんだなあと、妙に感心しました。
さて、博士論文の研究をしているときから、いわゆる一次史料(とくに歴史的な文書)を調べるという作業はしてきたのですが、この夏のリサーチでは、研究者として改めて多くのことを学びました。
当たり前のことですが、一口に「史料」といっても、研究の性質によって史料のありかたはまるで違う、ということ。私がこれまで主にやってきたのは、いわゆる「文化史」。今回のプロジェクトも、「文化史」には違いないのですが、広義の「文化ポリティクス」ではなく、政府の活動そのものを調べる、という点では、これまで私がやってきた研究とは性質がずいぶんと異なります。しかも、博士論文転じて初の著書となったEmbracing the East: White Women and American Orientalismや、2作目のMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの歴史分析の部分で扱ったのは、19世紀後半から20世紀半ばくらいまでの時代だったのに対して、今回のプロジェクトで調べているのは、1960年代から1970年代にかけての冷戦期。これらの違いが、リサーチという行為に実際的にどんなことを意味するかというと、ごくごく基本的な次元で、目の前に存在する資料の量が圧倒的に違う。私がこれまでやってきた種類の文化史では、具体的なトピックにもよりますが、一般的には、「なんとかコレクション」とか「だれそれペーパーズ」などといったまとまった史料が存在するわけではなく、いろいろなところから違った種類の史料を引っかき集めて、自分でそうした史料同士の関係を導き出し、論を生み出す、というのが主な作業。そうした探偵のような作業にこそ、難しさもあれば面白さもあるのですが、いったいどこに行ってなにを見れば自分が探しているものに関連する史料が見つかるのかわからず、なにも見つからないままどんどん時間が過ぎていくこともよくある。それに対して、議会であれホワイトハウスであれ、政府にかかわるものに関しては、とにかく「もう結構です」と言いたくなるほどの量の資料が存在する。ごくちょっとしたことをめぐっても、政府機関内のいろいろな人たちのあいだで、何十という書類のやりとりがある。しかもこの時代の書類は、当然ながらすべて紙の書類。もちろん、政府の活動がこうしてきちんと記録に残されているのは正しいことなのですが、調べる人間にとっては、頭を抱えたくなる量の紙が目の前に出てくることになります。
前の投稿でも書いたように、今回は初めてiPadで文書のデジタル写真を撮りまくるという方法を使ったのですが、限られた時間内で大量の史料を集め持ち帰る、というためにはたしかに有効ですが、この「少しでも関連のありそうなものはとにかく撮っておく」というやりかただと、せっかくの史料を自分で処理しきれなくなってしまうという可能性が大。資料がないよりはあったほうがいいに決まっていますが、この一夏だけでiPadに7,000枚以上集まってしまった写真を、果たしてこれからどのように整理して、いかに調理するか、考えただけでも頭が痛いです。分析という頭を使う作業に至る前に、まずはiPadにひたすらズラ〜ッと並んでいる写真を整理して、PDFに変換して、タグなりコメントなりをつけながら、なんらかのデータベースに入力しなければ、史料として使いものにならない。ほかの研究者はどうやってこういう作業をやっているのか、フェースブックなどで体験談を集めているのですが(いい知恵やテクのある人は、ぜひ教えてください)、こういうものはやはり、研究の性質によって、また人によって、やりかたはさまざまで、「このソフトを使ってこうやればよい」というひとつの解決策があるわけではなさそう。トホホ。ともかくは、いっぱいになってしまったDropboxの容量を増やし、iCloudの容量も増やし、古くなって遅くなってきたパソコンを買い替え、外付けのハードディスクを買い、せっかく集めた史料が消えてしまわないようにすることから始めましたが、さて、大変なのはこれから。とくに歴史研究の分野においては、史料収集がデジタル化されて、調査という作業の性質がかなり根本的に変わっているような気がしますが、果たしてこれによって本当に研究が促進されているのかどうか、たいへん興味のあるところです。学会などでも、こうしたプラクティカルなことにかんするセッションやワークショップをもっとやってほしいなあ...
とはいうものの、今回は、もともと探していたものとはほとんどまったく関係のないところで、心臓が止まるかと思うような史料を発見し、研究者としてはこんな出会いは一生に一度できれば大きな御の字、というような体験もしました。これについては、実際の分析や執筆が進むまで内緒にしておきますが、研究というのは、95%は(私の性格にまるで合わない)地味で地道な作業でありながら、残りの5%は、眠ることも忘れてしまうような本当に興奮に満ちたものである、ということを改めて実感するリサーチの夏でありました。