2007年の金融危機以来とくに、アメリカの大学では、政府の教育予算が大きく削られた州立・市立大学でも、また寄付や基金がかなり減少した私立大学でも、財政難に苦しんでいるところがほとんどです。そんななかで、昨日のニューヨーク・タイムズに載って話題になっているのが、ニューヨークのブルームバーグ市長が、母校のジョンズ・ホプキンス大学に3億5千万ドルの寄付をすると発表したこと。これまでの40年間にブルームバーグ氏が同大学に寄付した額は、これを含めるとなんと11億ドルになるとのこと。ひょえ〜。
マサチューセッツで育ったブルームバーグ氏は、高校生のときは、成績もそれほどよくなく、大きな野心を抱いているわけでもない、普通の青年だったのだが、アルバイト先の会社の社長がジョンズ・ホプキンスの卒業生で、その人物に同大学に応募することを強く勧められ、運よく合格してしまったとのこと。小さな町の生活に退屈していたブルームバーグ青年は、荘重な建物の並ぶキャンパスで、世界のリーダーを目指している若者たちが、さまざまな思想を論じている大学の空気に魅了され、成績も優秀で、さまざまなキャンパス活動においてリーダーシップをとる人物へとめきめき成長していった。そうやって自分の意識や知力を育ててくれた母校への感謝の念を表すために、卒業の翌年に5ドルを寄付したのに始まって、ブルームバーグ氏の財力が膨らむにつれ、氏の母校への寄付もどんどん増えていった。氏の寄付に支えられた同大学は、ここ数十年のあいだに、大学の知名度やランキング、教授陣や学生を集める力、キャンパス施設など、すべてにおいて飛躍的な成長をしてきた、とのこと。とくに、政策にかかわる公衆衛生の分野に興味をもったブルームバーグ氏は、公衆衛生関連の研究増進に多額の寄付をしてきた、とのことです。
医学など以外の分野では、ジョンズ・ホプキンス大学は日本ではそれほど知名度が高くないかもしれませんが、政治学や歴史学などにおいてもたいへん伝統と定評のある、名門大学です。ちなみに、ジョンズ・ホプキンズ出版局もたいへん立派な学術出版局で、私の分野の学術誌、American QuarterlyそしてJournal of Asian American Studiesはともに同出版局が刊行しています。
それにしても、11億ドルはすごい。これは、個人が存命中に教育機関に寄付した額としては、アメリカ史上最大のもので、ロックフェラー、カーネギー、メロン、そして現代においてはビル・ゲイツやウオーレン・バフェットと並ぶフィランソロピストとしてブルームバーグ氏が名を残すことは間違いありません。氏は、自分の財産250億ドルを死ぬ前にすべて寄付すると宣言しており、そのための財団を設立してもいます。
アメリカではフィランソロピーが第三セクターといわれるくらい経済において大きな影響力をもっている国なので、財産のある人たちには是非ともこのような形で寄付をしていただきたい。そして、大学への寄付は、その大学の教授や学生だけでなく、研究や教育の成果を通じて長期的には社会全体へのメリットをもたらすので、おおいに結構。ブルームバーグ氏にも拍手だけれど、卒業生のなかにこれだけの愛校心を育んだジョンズ・ホプキンス大学に拍手を送りたい気持ちにもなります。
それと同時に、財政難に苦しむ州立大学に勤めるものとしては、こういった形で名門私立大学の財産が増大することで、裕福な私立大学と、一般の州立・市立大学の格差がますます拡大していく、ということに一種の苛立ちを感じることも確かです。実際、私立大学と公立大学のあいだには、さまざまな意味で雲泥の違いがあります。名門私立大学で教育を受けた人と、ハワイ大学のような州立大学で教育を受けた人が、社会に出ると同じ土俵で競争しなければいけないということ自体、納得がいかないくらいです。そもそも、公立大学に通うだけでも巨額の学資ローンを抱えたり、学費を払えず進学や卒業をあきらめる若者がたくさんいるいっぽうで、ひとりの個人が250億ドルもの財産を成す社会自体に、なにか大きく歪んだものがあるようにも思えます。この記事に投稿されている読者コメントのなかにも、ブルームバーグ氏の寄付を讃える人たちがたくさんいるいっぽうで、格差社会への疑問を提示している人たちがけっこういるのが面白いです。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2013年1月27日日曜日
2013年1月25日金曜日
安倍フェローシップ・リトリート
先週末、ニューヨーク近郊のタリータウンという町で開催された、安倍フェローシップのリトリートに参加し、その後2日間マンハッタンで過ごしてから一昨日ハワイに戻ってきました。ニューヨークは私がいるあいだに最低でマイナス10度という寒さで、ハワイの天候に身体が慣れている私にはたいへんキビしいものがありました。
さて、このリトリート(日本語でいえばまあ「合宿」です)、予想以上に有意義で楽しかったので紹介しておきます。まず、安倍フェローシップとは、アメリカの社会科学評議会(Social Science Research Council)と日本の国際交流基金日米センター(The Japan Foundation Center for Global Partnership)が共同運営している研究助成プログラムで、「現代の地球的な政策課題で、国際的な調査研究の増進を目的」としているものです。研究者のための奨学金と、ジャーナリストのための短期研究取材の助成があります。私は、研究奨学金をいただいて、2010〜2011年度のサバティカルに合わせて、半年間をハワイおよびアメリカ本土で、残りの半年を東京で研究調査をして過ごしました。芸術文化をめぐる政治経済、とくに文化政策および芸術支援のメカニズムをめぐる日米比較、というのが私の研究プロジェクトです。ちょうど調査の最中に東日本大震災があり、あらゆる状況が変わってしまったので、当初の調査予定は大幅に変更することになりましたが、この奨学金のおかげでふだん大学の仕事をしなければできない、いろいろな形のデータ収集をすることができました。こういうフェローシップは、とくに研究資金が世の中にあまり存在しない文系の研究者にとっては本当にありがたいものです。
基本的にこのフェローシップは個人の研究者のための奨学金なのですが、受給の条件として、フェローシップをもらっている年またはその後数年以内に、このリトリートに参加する、というものがあります。3日間にわたって、研究者とジャーナリスト合わせて十数人のフェローが合宿をし、それぞれの研究プロジェクトについて議論する、というもの。たいへん優雅でありながら、歩いては簡単に外に遊びには行けないような環境(なにしろ今回の開催地は寒いし、ちょっと人里離れたリゾートのようなところ)で缶詰にされるので、嫌でも他のフェローたちと交流をしなければいけないようになっているのです。
このリトリートが有意義だったことの理由の第一はまず、他分野の人たちとの議論と交流。このフェローシップは基本的に社会科学を中心にしたものなので、私はディシプリン的にはかなりアウトサイダーで、果して他分野の人たちと話がかみ合うかどうか、私がやろうとしていることを他の人たちがじゅうぶんに理解してくれるかどうか、他の人たちのプロジェクトに自分が意味のあるコメントをできるかどうか、けっこう不安でいっぱいだったのですが、この他分野交流、たいへん面白かったです。私がコメントを担当したのは、人口統計学の専門家と、物理学や建築学の専門家のプロジェクト。逆に私のプロジェクトについてコメントをしたのは、virtual water(この概念も私は今回初めて知りました)と食糧輸出入を専門とする政治学者と、コミュニケーション学の専門家。というふうに、本当に学際的な会話で、ふだん自分が属している「アメリカ研究」が「学際的」だと思っていた私には、自分がふだんいかに同じような理論的枠組や言語を共有している人たちとばかり交流しているのか、認識しました。このリトリートがなければ決して自分が読むことはなかっただろうけれど、読んだり聞いたりしてみると実に興味深い、という種類のプロジェクトに触れることができたし、他分野の人たちと話をするには、自分のやっていることを平易でわかりやすい言葉で伝えることを強いられるので、とてもいい知的エクササイズでした。
また、ジャーナリストと研究者が一緒に議論する、というのもとても素晴らしかった。今回参加したジャーナリストは、日本人新聞記者一名、テレビ・新聞・雑誌などのさまざまなメディアで仕事をするアメリカ人のジャーナリスト三名でしたが、この人たちの優秀なことといったら、申し訳ないけれど私がこれまでに接してきた日本のジャーナリストたちの多く(全員とは言ってませんよ!)とは比べものになりませんでした。ジャーナリストが高度な調査能力をもっているのは当然としても、研究者顔負けの分析能力、そして研究の意義をわかりやすい言葉で伝える力には、学ぶところが多かったし、人間的にも非常に魅力的な人たちばかりで、彼らと知り合えたのは本当によかった。
さらに、このリトリートの特徴は、社会科学評議会そして日米センターのスタッフが、単に裏方として事務的な作業にあたっているだけでなく、実際の知的な議論にフェローたちと一緒に参加する、ということ。関連分野について専門知識をもち、長年知的な国際交流に携わってきた人たちだけあって、とても鋭いコメントをしたり、フェローにとって有益な情報や人脈をもっていたりして、リトリートに大きな貢献をしてくれました。また、過去のフェローや、関連分野のベテラン専門家が、各セッションのモデレータ−兼メンターを務めてくださるのですが、偶然にも私のグループのモデレーターは、松田武先生でした。かつてこのブログで、松田先生の著書をあれこれ評したのを、ご本人が読んで、批判的なコメントも多かったにもかかわらずきわめてポジティブに受け止めてくださり、学会でお会いしたときにとても温かく接してくださったのですが、今回のリトリートでさらに親しくなることができて、とても楽しかったです。温かい人柄が、いつもニコニコ顔の表情と関西風ユーモアによく表れていて、一緒にいて幸せな気分になる人物です。
安倍フェローシップ、こういうわけでよいことづくめですので、関連分野の研究者およびジャーナリストには大変おすすめです。
リトリートでおおいに刺激を受けたので、リトリートのあと基本的には遊びのつもりで行ったマンハッタンでは、半日間New York Public Library for the Performing Artsでリサーチをしました。また、メトロポリタンオペラで、信じられないくらい安い値段で信じられないくらい前のほうのいい席で、私の大好きなJuan Diego Flores主演のLe Comte Oryを観ることもでき、寒さにもかかわらず幸せ気分いっぱいでした。というわけで、暖かいハワイに戻ってきたところで、再び仕事全開です。
さて、このリトリート(日本語でいえばまあ「合宿」です)、予想以上に有意義で楽しかったので紹介しておきます。まず、安倍フェローシップとは、アメリカの社会科学評議会(Social Science Research Council)と日本の国際交流基金日米センター(The Japan Foundation Center for Global Partnership)が共同運営している研究助成プログラムで、「現代の地球的な政策課題で、国際的な調査研究の増進を目的」としているものです。研究者のための奨学金と、ジャーナリストのための短期研究取材の助成があります。私は、研究奨学金をいただいて、2010〜2011年度のサバティカルに合わせて、半年間をハワイおよびアメリカ本土で、残りの半年を東京で研究調査をして過ごしました。芸術文化をめぐる政治経済、とくに文化政策および芸術支援のメカニズムをめぐる日米比較、というのが私の研究プロジェクトです。ちょうど調査の最中に東日本大震災があり、あらゆる状況が変わってしまったので、当初の調査予定は大幅に変更することになりましたが、この奨学金のおかげでふだん大学の仕事をしなければできない、いろいろな形のデータ収集をすることができました。こういうフェローシップは、とくに研究資金が世の中にあまり存在しない文系の研究者にとっては本当にありがたいものです。
基本的にこのフェローシップは個人の研究者のための奨学金なのですが、受給の条件として、フェローシップをもらっている年またはその後数年以内に、このリトリートに参加する、というものがあります。3日間にわたって、研究者とジャーナリスト合わせて十数人のフェローが合宿をし、それぞれの研究プロジェクトについて議論する、というもの。たいへん優雅でありながら、歩いては簡単に外に遊びには行けないような環境(なにしろ今回の開催地は寒いし、ちょっと人里離れたリゾートのようなところ)で缶詰にされるので、嫌でも他のフェローたちと交流をしなければいけないようになっているのです。
このリトリートが有意義だったことの理由の第一はまず、他分野の人たちとの議論と交流。このフェローシップは基本的に社会科学を中心にしたものなので、私はディシプリン的にはかなりアウトサイダーで、果して他分野の人たちと話がかみ合うかどうか、私がやろうとしていることを他の人たちがじゅうぶんに理解してくれるかどうか、他の人たちのプロジェクトに自分が意味のあるコメントをできるかどうか、けっこう不安でいっぱいだったのですが、この他分野交流、たいへん面白かったです。私がコメントを担当したのは、人口統計学の専門家と、物理学や建築学の専門家のプロジェクト。逆に私のプロジェクトについてコメントをしたのは、virtual water(この概念も私は今回初めて知りました)と食糧輸出入を専門とする政治学者と、コミュニケーション学の専門家。というふうに、本当に学際的な会話で、ふだん自分が属している「アメリカ研究」が「学際的」だと思っていた私には、自分がふだんいかに同じような理論的枠組や言語を共有している人たちとばかり交流しているのか、認識しました。このリトリートがなければ決して自分が読むことはなかっただろうけれど、読んだり聞いたりしてみると実に興味深い、という種類のプロジェクトに触れることができたし、他分野の人たちと話をするには、自分のやっていることを平易でわかりやすい言葉で伝えることを強いられるので、とてもいい知的エクササイズでした。
また、ジャーナリストと研究者が一緒に議論する、というのもとても素晴らしかった。今回参加したジャーナリストは、日本人新聞記者一名、テレビ・新聞・雑誌などのさまざまなメディアで仕事をするアメリカ人のジャーナリスト三名でしたが、この人たちの優秀なことといったら、申し訳ないけれど私がこれまでに接してきた日本のジャーナリストたちの多く(全員とは言ってませんよ!)とは比べものになりませんでした。ジャーナリストが高度な調査能力をもっているのは当然としても、研究者顔負けの分析能力、そして研究の意義をわかりやすい言葉で伝える力には、学ぶところが多かったし、人間的にも非常に魅力的な人たちばかりで、彼らと知り合えたのは本当によかった。
さらに、このリトリートの特徴は、社会科学評議会そして日米センターのスタッフが、単に裏方として事務的な作業にあたっているだけでなく、実際の知的な議論にフェローたちと一緒に参加する、ということ。関連分野について専門知識をもち、長年知的な国際交流に携わってきた人たちだけあって、とても鋭いコメントをしたり、フェローにとって有益な情報や人脈をもっていたりして、リトリートに大きな貢献をしてくれました。また、過去のフェローや、関連分野のベテラン専門家が、各セッションのモデレータ−兼メンターを務めてくださるのですが、偶然にも私のグループのモデレーターは、松田武先生でした。かつてこのブログで、松田先生の著書をあれこれ評したのを、ご本人が読んで、批判的なコメントも多かったにもかかわらずきわめてポジティブに受け止めてくださり、学会でお会いしたときにとても温かく接してくださったのですが、今回のリトリートでさらに親しくなることができて、とても楽しかったです。温かい人柄が、いつもニコニコ顔の表情と関西風ユーモアによく表れていて、一緒にいて幸せな気分になる人物です。
安倍フェローシップ、こういうわけでよいことづくめですので、関連分野の研究者およびジャーナリストには大変おすすめです。
リトリートでおおいに刺激を受けたので、リトリートのあと基本的には遊びのつもりで行ったマンハッタンでは、半日間New York Public Library for the Performing Artsでリサーチをしました。また、メトロポリタンオペラで、信じられないくらい安い値段で信じられないくらい前のほうのいい席で、私の大好きなJuan Diego Flores主演のLe Comte Oryを観ることもでき、寒さにもかかわらず幸せ気分いっぱいでした。というわけで、暖かいハワイに戻ってきたところで、再び仕事全開です。
2013年1月2日水曜日
ベアテ・シロタ・ゴードンと占領期の日本女性
あけましておめでとうございます。ハワイで新年を迎えるのも1998年以来ほぼ毎年のことになりますが、今回初めて年越しの瞬間をワイキキで過ごしました。友達の家で夕食をご馳走になったあと、しばらくワイキキを散歩していたのですが、あまりの人混みに疲れ、12時を待たずに家に帰ろうという途中にお腹が空いて、年越しそばのかわりにラーメンを食べているあいだに(そのあたりにラーメン屋がすぐ見つかるところがハワイのよいところ)12時近くになったので、ついでにワイキキの路上で花火見物をしてきました。
さて、ベアテ・シロタ・ゴードンさん逝去のニュースは、日本のメディアのほうがアメリカよりも2日間ほど早く報道していました。諏訪根自子さん逝去の報道は、アメリカのほうが数日早かったのに対して、今回は逆のパターン。このあたりの違いの背景に私は興味があるのですが、それはそれとして、シロタ・ゴードンさんの生涯は、日本国憲法の起草のほかにも、ピアニストであった父親レオ・シオタの日本の音楽界における位置づけや、彼女自身1950年代以降ニューヨークのジャパン・ソサイエティで率いたさまざまな文化交流という点からも、私にはたいへん興味深いものです。
ニューヨーク・タイムズに掲載された彼女の訃報・追悼文がこちら。アメリカではシロタ・ゴードンさんのことを知っている人はごくわずか(日本でも彼女が憲法起草にかかわっていたことが知られたのは比較的最近のこと)でしょうし、たしかに、法律の専門家でもない22歳のアメリカ国籍の女性が日本国憲法の起草にかかわり、両性の平等をうたう憲法24条を執筆したというのは、きわめて特異で興味深い歴史ではあります。また、訃報・追悼文という文章の性質上、こうした内容になるのはやむをえないのかも知れません。が、アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究に携わるものとしては、まるで彼女がひとりで日本女性の権利拡大をもたらしたかのような書き方にはちょっと疑問が。日本でも戦前からさまざまな日本人の知識人や活動家による女性運動の歴史があったのだし、また、憲法24条によって日本社会で性の平等が実現したわけでもない。また、占領という状況下での日本の性をめぐる力学には、単なる女性の権利拡大というだけでは片付けられない複雑な冷戦の政治学があったということを、私のハワイ大学の同僚(私と同じ年にハワイ大学で仕事を始めた人です)である小碇美玲さんの著書もあきらかにしています。この機会に、よかったら読んでみてください。
さて、ベアテ・シロタ・ゴードンさん逝去のニュースは、日本のメディアのほうがアメリカよりも2日間ほど早く報道していました。諏訪根自子さん逝去の報道は、アメリカのほうが数日早かったのに対して、今回は逆のパターン。このあたりの違いの背景に私は興味があるのですが、それはそれとして、シロタ・ゴードンさんの生涯は、日本国憲法の起草のほかにも、ピアニストであった父親レオ・シオタの日本の音楽界における位置づけや、彼女自身1950年代以降ニューヨークのジャパン・ソサイエティで率いたさまざまな文化交流という点からも、私にはたいへん興味深いものです。
ニューヨーク・タイムズに掲載された彼女の訃報・追悼文がこちら。アメリカではシロタ・ゴードンさんのことを知っている人はごくわずか(日本でも彼女が憲法起草にかかわっていたことが知られたのは比較的最近のこと)でしょうし、たしかに、法律の専門家でもない22歳のアメリカ国籍の女性が日本国憲法の起草にかかわり、両性の平等をうたう憲法24条を執筆したというのは、きわめて特異で興味深い歴史ではあります。また、訃報・追悼文という文章の性質上、こうした内容になるのはやむをえないのかも知れません。が、アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究に携わるものとしては、まるで彼女がひとりで日本女性の権利拡大をもたらしたかのような書き方にはちょっと疑問が。日本でも戦前からさまざまな日本人の知識人や活動家による女性運動の歴史があったのだし、また、憲法24条によって日本社会で性の平等が実現したわけでもない。また、占領という状況下での日本の性をめぐる力学には、単なる女性の権利拡大というだけでは片付けられない複雑な冷戦の政治学があったということを、私のハワイ大学の同僚(私と同じ年にハワイ大学で仕事を始めた人です)である小碇美玲さんの著書もあきらかにしています。この機会に、よかったら読んでみてください。