2011年2月26日土曜日

痛烈、痛快、でも議論が必要 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』

昨年から京都外国語大学の学長を務めている松田武氏の『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー―半永久的依存の起源』を読みました。これは、もともと英語で書かれ2007年に出版された原書の日本語版で、英語のほうを図書館から借りたまま積ん読になっていたのですが、文化政策や文化外交についてのプロジェクトを始めたからには読まない訳にはいかず、このたび日本語で読みました。今となっては、中東研究に限らずいわゆる地域研究をする人がサイードの『オリエンタリズム』を読まないわけにはいかないのと同じように、これは、日本のアメリカ研究者は必ず読むべき本です。

本の論旨を簡単に要約すると、こうなります。占領期に始まるアメリカの対日政策は、いわゆる「ソフト・パワー」をきわめて重視した。アメリカの政府もロックフェラーなどの民間財団も、戦後の日米関係を継続的に友好的なものに育て上げるためには積極的な文化攻勢が必要であることを理解し、なかでも、日本のエリート知識人たちへの学術・教育支援、そして日本におけるアメリカ研究の振興の重要性を認識していた。国際文化会館の設立や、日本アメリカ学会の創設、そして日本人学生や研究者にアメリカの大学での教育機会を与えたさまざまな奨学金や助成金プログラムは、そうした文脈のなかで生まれたものである。アメリカのこうした対日文化政策は、日本にアメリカの専門家を育て、日米関係の橋渡し役となる人材を育成するという点では大きな貢献をしたといえるが、それらの政策はあくまで、共産主義に対抗するという冷戦イデオロギーのなかで、日本を親米的な同盟国として保とうとする米国の国策の一環であった。そして、官民合体となったアメリカの対日文化政策は、皮肉な結果を生むことにもなった。たとえば、日本のアメリカ研究に対して注がれたアメリカの支援は、東京と京都の対抗関係や、東大を頂点とする大学の不均衡なヒエラルキーをさらに強化させることになり、占領政策の一部であった高等教育の民主化は実現しないままに終わった。さらに重要なことは、アメリカによる支援は、日本の知識人たちのあいだに深刻な対米依存の精神構造を生み、日本の国民がアメリカの動向について説明を要しているときや、日米関係が危機を迎えたとき、また、アメリカに対して日本が明確な立場を表明すべきときにも、日本のアメリカ研究者たちは沈黙を守り、討論の場から身を引いてきた。そのように、現実の日米関係や社会問題について発言や関与を避ける体質を身につけてしまったアメリカ研究者は、知識人としての社会的・道義的役割を果たしているとは言えない。つまり、ぶっちゃけた言い方をするならば、アメリカ研究を専門とする日本の知識人たちは、占領期からのアメリカの対日文化政策にまんまと釣られ、アメリカの政策や論理を無批判に受け入れる、合衆国ヘゲモニーの駒となり果て、自分たちの専門的知見が日本においても日米関係においてももっとも必要とされているときに、その社会的役割を回避している、ということ。

この論を展開するにあたって事例としてとくに詳しく取り上げられているのが、1950年からの東京と京都での「アメリカ研究セミナー」に始まる、日本のアメリカ研究。私は、まさにこの歴史から生まれた東京大学の教養学部教養学科のアメリカ科の出身であり、現在は日本アメリカ学会の会員でもあり、当学会の『アメリカ研究』に論文を何度か投稿してもいる身なので、当事者としてたいへん興味深くこの本を読みました。そして、ここで展開されている日本のアメリカ研究のありかたへの批判は、私自身長年感じていたこととぴったり合致するものでもあります。たとえば、ここで論じられている占領期からすでに50年が経過した今でも、日本のアメリカ研究の学会やセミナーでは、アメリカからおエラい先生をおよびして講演をしていただき、その先生を囲んで日本人研究者がお勉強をする、といった構造が依然として残っている。(そのおエラい先生たちの講演は、すでにアメリカで講演や論文として発表されたものであることが多く、1950年代ならともかく、今では日本在住の研究者もあらかじめそれらを読んで上で議論に参加するということがじゅうぶん可能なはずなのに、おエラい先生のほうも、ありがたく拝聴するほうも、それがあたかも初めて発表される研究かのような姿勢でのぞんでいることが多い。)また、日本のアメリカ学会で役職を務めていたり、日本のアメリカ研究を代表してアメリカの学会などに参加するのは、明けても暮れても同じような顔ぶれの重鎮たち(その多くが東大の先生や東大出身の研究者)で、たいへん失礼ながら、第一線での研究を正確に反映しているとはいえない。発表される研究の多くからは、それが歴史的な問題を扱ったものであれ、現代にかかわるものであれ、現実のアメリカ社会で今起きていることになんらかの直接的な問いかけや発言をしていくといった姿勢がまるで感じられない。そして、日本の大学の人事は、学閥や人脈などが研究実績よりも重視される傾向が強く、まったくもって理不尽なことが多い。(ちなみに、東京グループと京都グループの対抗関係の話は、その分野の人間である私には「なるほどそういうことだったのか」と思うことが多いですが、うーん、究極的にはどーでもよいことのようにしか思えない。それを「どーでもよい」などとエラそうに言ってしまえるのは、私が日本を拠点にしてアメリカ研究に従事する人間ではないからでしょうか...)私は会員でありながらここ十年以上日本アメリカ学会にあまり近寄っていない理由はこのような点にあるので、この本で展開されている批判には、「よくぞおっしゃってくださいました!」とパチパチ拍手したい気持ちでいっぱいです。が...

提示されている論そのものには賛同するいっぽうで、論の運びには納得のいかない部分もあります。アメリカ研究者たちが、社会のニーズや日米関係の状況に応える形で、分析的・批判的発言をしてこなかったというのは、おおむねその通りだと思いますが、それが、彼らが奨学金や助成金などの「寛大な」支援に代表されるアメリカの対日文化政策に取り込まれ、主体性のない無批判な「親米家」になってしまったからだ、という説明には、もうちょっと具体的な論拠がほしい。私はその説明に必ずしも異論はないけれども、なんの具体的な例もないままそう言い切られても、どうも納得しきれない思いがします。私自身、文化史や文化論を専門としているので、こうした類の研究では、ある論を証明するのにモノや数字などのハードなデータは必ずしも存在せず、状況や現象をさまざまな視点と文脈から考察して読者を説得するしか方法はないというのもよくわかるのですが、この論にかんして言えば、学術研究や著述が素材なのだから、1950年代から数十年にかけて「アメリカ専門家」としての立場を築いていった日本の研究者たちが、実際にどういう研究に従事してどういう議論をしていたのか(いなかったのか)、それらがその研究者たちのアメリカ政府や財団との関係とどのように結びついていたのか(いなかったのか)を、何人かに焦点を当ててじっくり分析してもらえれば、もっと説得力があったと思います。本の結論部分で、いわゆる「状況証拠」として挙げられているのが、1970年代からの貿易摩擦にはじまる日米の緊張関係のなかで、日本のアメリカ研究者たちは自分の専門性を活かした発言をしてこなかった、という例ですが、占領政策の下で日本の学界にアメリカ研究が発足した1950年代からそれまでには20年以上のときが経過しているわけで、その間に日米関係そして日本のアメリカ研究(者)たちになにがあったかという考察のないまま、これを例として日本人知識人の対米「半永久依存」の例としてしまうのは、いささか乱暴な気がします。

そもそも、日本の知識人たちが、いくらアメリカの政府や財団から潤沢な支援を受けてアメリカの大学で学び、そこで寛大で暖かい待遇を受けた経験から、親米的な立場になっていったからといって、それで彼らがアメリカの政策を無批判に受け入れたり、異論があっても口を閉ざしたりしてしまうほど、単純な頭脳と精神の持ち主であるとは、私にはちょっと信じがたい。もちろん、(松田氏自身がそうであるように)長期アメリカで生活をしたり研究をしたりして、アメリカの生身の文化を体験し、アメリカの人々と親交をもった人々は、歪んだステレオタイプではとても説明しきれない、アメリカ文化の多様性や複雑さを理解するようになるので、その理解に基づいてアメリカを説明することはあるでしょうが、それは、アメリカに対する批判的視点を喪失してしまうことには必ずしもならない...と思いたい。とくに、少なくともここ数十年間は、アメリカの学界におけるアメリカ研究(American Studiesと名のつくもの以外にも、歴史学や社会学、人類学、文学などでも)自体が、アメリカの政策や支配的イデオロギーにきわめて批判的なのだから、そうした場できちんと教育を受けた知識人は、そうした批判精神を身につけているはずでは。ちなみに、ハワイでの私の教え子のひとりが、これと同じ文脈で沖縄占領期に沖縄からアメリカに留学したいわゆる「米留組」の社会的位置づけやアイデンティティを研究しています。この本に見られるような、留学や学術交流といった人や知の流れの輪郭を形成している地政学的・政治経済的な枠組みの社会学的分析が、その流れの主体である人物たちが自らの経験や位置づけをどのように理解し実践しているかという人文学的分析で補われると、とてもいいと思います。

そしてまた私は、松田氏に、この本で扱われている時代から現在に至るまでの変化も論じてもらいたい。私自身、日本の大学を卒業した後、アメリカで博士号をとり、その後もアメリカの大学で仕事をする道を選んでいます。1950年代や60年代には、日本人のアメリカ研究者にはそうした選択肢はまず存在しなかったでしょうが(入江昭氏は特異な例外)、今では、大勢ではないものの、ぽつりぽつりとそういう人が出てきています。別にアメリカで仕事をすることが良いとか立派だとかいうのではなく、そうした選択が可能になったということは、日本の研究者とアメリカの関係が、この本で扱われている時代とはずいぶん違ったものになってきている印ではないか、と思うのです。そしてまた、アメリカにおけるアメリカ研究のありかたも、1970年代頃から大きく変化しているので、そうしたことも含めて、日米関係におけるアメリカ研究のありかたや位置づけを考えることは意味のあることだと思います。

というわけで、議論すべき点はいろいろあると思うのですが、私はぜひ、日本アメリカ学会で、松田氏本人と、さまざまな視点や世代を反映した研究者でパネルを構成し、この本を題材にしたディスカッションを開催してほしいです。この本で展開されている議論や批判を堂々と受け止め、自由で率直な意見の交換をするような場であることを、アメリカ学会が自ら証明すれば、この本の論に対する最強の異論となるはず。

1 件のコメント:

hinano.st さんのコメント...

初めまして。大変興味深く拝読しました。
以前、アジア系留学生の多い大学で「異文化コミュニケーション論」の授業を担当していました。日本の「異文化コミュニケーション論」は、主に「よいアメリカ市民になるための手引き」という印象が強く、そのままでは日本のアジア系留学生にはちっとも興味の持てない授業になります。わたしは、日本における「異文化コミュニケーション論」という立場で授業を構成したのですが、ほぼ一からやらないといけませんでした。
同じく「異文化コミュニケーション論」を研究テーマとする同僚がいたのですが、わたしの住む地域には南米等から出稼ぎにきた親と暮らしている未就学児童・生徒の問題があります。文化融合や多言語という問題ですので、まさに「異文化コミュニケーション論」の対象だと思い、実際にそうした児童・生徒の指導にあたる中学の先生の講演会が開かれたので、件の同僚を誘ったところ、まるで興味が持てない、なんでそんなことに誘うの、と断られて、唖然としました。同僚はアメリカ文化やハワイの文化を紹介する授業を熱心にやってたのですがね。
こうした一種の気味の悪さが、今も日本の大学にないことを祈ります(現在は、その職場を離れたので、最近の「異文化コミュニケーション論」の動向はわかりませんが)