2014年2月10日月曜日

カルチュラル・スタディーズの創始者、スチュアート・ホール氏逝去

朝一番にフェースブックを開いて大打撃を受けたのが、スチュアート・ホール氏逝去のニュース。通称カルチュラル・スタディーズという名で知られるようになった学際的な分野の生みの親のひとりで、第二次大戦後の人文科学・社会科学に非常に大きな貢献をもたらした人物です。私にとっては、エドワード・サイードと並んで、知的にもっとも大きな影響を受けた思想家のひとりといえます。

1932年ジャマイカ生まれ。キングストンで古典的英国式の教育を受けながらも、脱植民地運動に影響を受け、ジャマイカの人種状況の束縛を逃れるため、世界的に権威のあるローズ奨学金を受給して1951年にオックスフォード大学に留学。英文学を専攻しながらも、裕福で名門の家庭背景からくる学生たちの空気に馴染めず、街の移民マイノリティたちとの交流を深めるにつれ、自らの黒人としてのアイデンティティに深く向き合い、そして世界各地の脱植民地主義運動や学生運動にかかわるようになる。New Left Reviewという左派思想雑誌の創設者となり、ロンドンに移住し、大学講師をしながら大衆文化の研究に身を投じるようになる。1964年に思想家Richard Hoggartがバーミンガム大学にCentre for Contemporary Cultural Studiesという研究書を創設した際にホールを教授陣に招待したのがはじまりとなり、ホールは他の数名の思想家たちとともに、いわゆるバーミンガム学派のカルチュラル・スタディーズの生みの親のひとりとして、斬新な研究・教育活動を展開していくことになります。

その広汎な研究・言論活動を一言で要約するならば、広義の「文化」と「政治」「権力」の関係を考察する、ということ。マルクス思想の流れを汲みながら、大衆文化・若者文化・メディアなどの文化を緻密で丁寧に理論化し、現代社会におけるマルクス主義の役割、グローバリゼーションの状況、多文化主義と人種・エスニシティや性の力学などさまざまなテーマについて、文学理論・言語学・哲学・社会学・文化人類学などの手法を使って精力的に論じてきました。批評理論の世界的リーダー、そしてカルチュラル・スタディーズや多文化主義の生みの親とみなされながらも、(とくにアメリカにおける)カルチュラル・スタディーズが流行りの学術用語を駆使した単なる表象分析に傾倒することに強い異議を唱え、本来のマルクス主義の理念を学び直すことを、左派の思想家たちにむかって常に説いてもいました。そしてまた、カリブ海社会はもちろん、アジアやアフリカの研究者たちにも多大な影響を与えながらも、批評理論というものは、固有の歴史・社会の流れのなかで生まれるもので、理論を固定化させてそのまま別の文脈に移植しても意味はない、と警鐘も鳴らしました。正統的な教育制度にアクセスをもたない低所得者層・地方在住者・社会人などに高等教育の機会を与えることを使命として1960年代に創設されたオープン大学での教育活動に身を投じたことからもわかるように、生涯通じてマイノリティや移民や労働者階級との直接のかかわりを優先した人物でもあります。

学術界のスター・システムを嫌い、共同研究や共同執筆、そしてジャーナリズムやメディア一般を通じての言論活動を重視したホールは、その影響力から考えると、単著の書籍は少なく、彼の貢献の多くは、さまざまなエッセイやインタビュー、共編著などの形で残っています。

これを機に、真剣にホールを読み直してみたら、日本の惨憺たる政治状況のなかで、人々が「こりゃあちょっと頑張らにゃあかん」と奮い立つ...かな?


2014年2月7日金曜日

平等な夫婦はセックスを(あまり)しない?

たいへんご無沙汰いたしました。年が明けて、晴れて学部長代理の役割を離れたので、嬉しくてたまらず、自分の新しいプロジェクトのための研究・執筆に日々(とはいっても、やはり授業や大学院生の指導そして学務の雑用はつねにあるので、毎日できるわけではないですが)取り組んでいます。

久しぶりの投稿がこのネタ、というのもなんなのですが、ニューヨーク・タイムズ・マガジンのこの記事がちょっと面白かったので紹介します。タイトルからして、Does More Equal Marriage Mean Less Sex? すなわち、「より平等な結婚は、セックスの頻度の低下を意味する?」統計によると、現在アメリカにおいて、18歳未満の子供がいる夫婦の64パーセントは共働き。共働きの夫婦が増えるにつれて、経済力や家事・子育ての役割分担などにおける男女の差は縮まり、夫婦関係がより均衡なものになっている。そして、とくに若い世代においては、男女ともにこうした傾向を肯定的にとらえており、夫婦それぞれが仕事で活躍し、家事を平等に分担し、趣味や交友関係を共有する、平等な結婚生活を目指している。しかし、そうしたなかでひとつ、意外な結果が生まれている、とのこと。

去年発表されたある社会学の調査によると、家事をより平等に分担している夫婦のうち、とくに「一般的には女性の役割」とされているような家事—洗濯物をたたむ、料理、掃除機をかける、など—を男性がしている夫婦は、より「男性的」な家事—ゴミ出し、車の修理、など—を男性がしている夫婦に比べて、性行為の頻度が1.5倍低い、との結果が出ているらしい。しかも、これは頻度だけの問題ではない。より「男性的」な家事を男性がしている夫婦のほうが、女性の性的な満足度も高い、とのこと。なんと!

もちろん、こうした数字をあまり額面通りに受け取るのは問題。こうしたデータ収集は、被調査者の自己申告にもとづいて行われるので、質問に答える人が必ずしも事実を言うとは限らないし、「性的満足度」といった質問にかんしては、その質問がなされた状況によって答えかたが変わってくる可能性もじゅうぶんある。そしてまた、相関関係を因果関係と混同してはいけないので、「夫婦関係を平等にすると、セックスが(あまり)なくなる」と結論づけるのも間違っている。しかし、そうしたことを考慮にいれてある程度差し引いて考えるとしても、この調査の結果にはある程度の真実がある、と、夫婦を相手にするサイコセラピストであるこの記事の著者はいう。

たしかに、男性が女性を対等の人間として扱い、さまざまな家事を積極的にやってくれるほうが、女性の満足度は高くなる。いつも女性にばかり面倒な雑事を押し付ける男性には、女性は性的魅力を感じなくなるのは当然。しかしそのいっぽうで、男性が台所の掃除や食料の買い出しをせっせとしてくれたからといって、そのぶん女性が男性に性的な魅力を感じるようになるかというと、そういうわけでもない、と。

この状況についてのひとつの説明は、「ジェンダー(性への社会的・文化的意味づけ)差がなくなるにつれ、性的な欲求は低くなる」というもの。キンゼイ研究所のある調査によると、一般的にゲイのカップルはレズビアンのカップルよりも性行為の頻度が高い。そして、より頻繁にセックスをするゲイのカップルは、性的に自分と違った趣味(性行為においてリードする側かされる側か、など)の相手を選んでいることが多い。それに対して、レズビアンのカップルは、そのように性的に自分と対照的な相手を選ぶ、といった傾向が少ない。

もちろん、セックスの頻度が低いからといって、そうした夫婦の幸せ度が低い、というわけではない。とくに女性にとっては、男性が家事や子育てを分担してくれることのほうが、男性の収入や共通の信仰などよりもずっと、結婚における満足度に貢献する、という調査結果もある。また、男性が家事をまったくしない夫婦と比べると、男性もなんらかの家事を分担している夫婦のほうが、セックスの頻度は17.5パーセント高い。ただ、どんな家事をするかが鍵となっているらしく、伝統的に「男がするもの」「女がするもの」とされている行為は、「男らしさ」「女らしさ」ひいては「男性的魅力」「女性的魅力」と結びつく。そして、男性も女性も、相手を性的に惹き付けるためには、自分と相手の相違をアピールする。ゆえに、家事などの社会的・文化的役割において、男女の差が縮まれば縮まるほど、「他者」への吸引力が減る、というのだ。ムムム。(この記事の残りの半分くらいに、他にもいろいろと興味深いことが書いてあるのですが、ここでは省略します。)

そうかあ〜。そうなのかなあ〜。でも、私の友達(ゲイの男性)があるときプレゼントしてくれた、女性に人気のオモシロ本は、Porn for Women。むっちゃカッコいい男性が、積極的にこちらの話に興味をもって聞いてくれたり、女性の家族や友達と一緒に時間を過ごそうとしてくれるだけでなく、みずからすすんで掃除や洗濯をしたり、料理の腕をふるってくれたりする、その様子を、写真と台詞で並べた本。ポルノといっても、上半身裸だったり下着姿だったりする写真が数点あるほかは、男性はすべて服を着ている。つまり、女性にとって性的に魅力的な男性というのは、こういう男性ですよ、ということ。ちなみに、この本を編集・刊行しているのは、The Cambridge Women's Pornography Cooperative (CWPC)という女性団体。本の後ろにある文章によると、この団体は、「『ポルノグラフィ』という単語を、金のネックレス、胸毛たっぷりの上半身、レジャースーツ、大きな口を開けたバカ、といった従来のイメージから解放し、我々のものにすることを使命としています」とのこと。さらに、「学界、医学界、メディア界などでは、ユーモアのセンスがじゅうぶんに発達していない人たちもまだいると思われるので、現時点ではCWPCは会員名簿を公開してはいません。この本が、そうしたユーモアのセンスを培う一助となることを願っています」とのこと。いいなあ、こういうの。でも、上記の調査によると、こうした「ポルノ」観はあくまで理想で、現実の男女の性的欲求とは合致していないということなのか?ウ〜ム...

2013年12月21日土曜日

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』および『ドット・コム・ラヴァーズ』書評・感想文募集!

私は今学期、学部長代理という役を務めていたのですが、昨日の教員会議をもってようやくだいたいの仕事は終わり、月曜日に書類処理を終え、冬休み中にいくつかの業務をメールでやりとりすれば、晴れてお役目終了となります。やれやれ、実に疲れる一学期でした。こういう役につくと、組織として日常的にこなさなければいけない諸々の事務作業に加えて、なぜよりにもよって今こういうことが起きるんだ、といった類の「問題」が次々と浮上し、その危機管理に心身を消耗します。なぜか今学期はとくべつそういった危機が多かったような気がしますが、もしかすると、自分が学部長でないときは知らないだけで、いつの学期にもこういうことが起こっているのかもしれません。ともかく、学部が崩壊することなく学期の終わりを迎えられそうなことに感謝。

さて、まるで関係ないですが、ふと思い立って、拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』および『ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 』についての、書評・感想文コンクールを著者みずから主催することにいたしました。

自分の本が新聞や雑誌に紹介されたり、ウェブサイトやブログに書評を書いてくださるかたがいたり、知人友人そしてときには未知のかたがメールやフェースブックを通じて感想を送ってくれたりするようになって、本の読みかたというのは本当に人さまざまなんだなあということを、深く実感するようになりました。書評や感想を読むと、どういうポイントに読者が反応するのかがわかるだけでなく、著者が意図していなかったものを読者が感じ取ったり考えたりしているのを知ったり、読者からの疑問・質問から多くのことを学んだりします。また、「ああ、自分ではこういうことを伝えようとしたつもりだったんだけど、あの書き方ではいまいち伝わっていなかったんだな」とか、「そうか、あのあたりが書き足りなかったんだな」とか、反省点も見えてきます。なにより、自分の本をきちんと読んで、わざわざ時間を割いて感想を文章にしてくださる読者、それをいろいろな媒体に載せて他の人たちとシェアしてくださるかたがたがいる、というのが、著者としてはなによりありがたく、読者の反応をそのように手応えとして感じられるのが嬉しいのです。というわけで、10月発売になった『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』および、2007年発売の『ドット・コム・ラヴァーズ』について、書評・感想文を募集いたします。(ちなみに、『ドット・コム・ラヴァーズ』は現在の在庫がなくなったら増刷にはならないそうです。(泣)今ならまだ手に入りますので、どうぞお早めにお求めください。)募集要項は以下のとおりです。

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』または『ドット・コム・ラヴァーズ』の書評・感想文(両部門への応募ももちろん歓迎です)

形式自由・字数制限なし (すでにブログなどで書評や感想文を書いてくださっているかたの文章も対象内といたします。その場合は、文章のファイルやリンクをお送りください。その場合は他薦も可です。)

審査は、本の理解が核心を突いている・なにが面白かったか、なにに驚いたか、なにを学んだかなどを具体的に説明している・鋭い疑問や批判を提示している・本の内容に新しい視点をもたらす・読者自身の感じ方を素直に記述している、などなど、複数の基準や視点を組み合わせておこないます。審査員は著者のこのワタクシひとりです。ひとつ強調しておきたいのは、著者が審査員だからといって、本をほめればよいというものではない、ということです。本が気に入ったのであれば、どこがどう面白かったのかを具体的に書いていただければもちろん嬉しいですが、よい書評・感想文、とくに著者にとってもっとも勉強になる書評・感想文というのは、著者に考える題材を与えてくれるような文章です。本を痛烈に批判した文章でも、批判が的を得たものであれば、漫然とほめた書評よりも著者にとってはずっとありがたいものです。なにより重要なのは、読者が感じたこと・考えたことを素直に表現してあることです。

トップ受賞者の書評・感想文は、このブログで紹介させていただき、その書評・感想文へのコメントをワタクシが書かせていただきます。副賞は以下のとおり。

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』部門

受賞者の居住地で受賞から1年以内に開催される、著者オススメの「アジア人」音楽家による演奏会のチケットを2枚差し上げます。ただし、受賞者の居住地によってはこれが不可能な場合もあるので、その場合は、本に登場する「アジア人」音楽家のアルバムを著者が5枚厳選してプレゼントいたします。

『ドット・コム・ラヴァーズ』部門

著者みずからが受賞者を「デート」にお連れいたします。ただし、著者はホノルル在住、日本への帰国はほぼ一年に数週間ですので、有効期限は無期限、実現可能なときに世界のどこかで、ということにいたします。ご了承ください。

応募締切 2014年2月28日(金)
応募先 件名に「書評・感想文コンクール応募」と明記の上、メールの添付ファイルとしてmyoshiha@hawaii.eduまでお送りください。
結果発表 2014年3月中旬 このブログにて

ふるってのご応募を楽しみにしております。


2013年12月16日月曜日

American Studies Association, 対イスラエル学術ボイコット決議を採択

私が所属するおもな学会であるAmerican Studies Association (2014年7月からは、この学会の学術誌であるAmerican Quarterlyの編集本部がわがハワイ大学にくることになり、なんと最初の5年間は私が編集長を務めます)が、対イスラエル学術ボイコット決議を採択し、世界的に大きな話題を呼んでいます。今日のニューヨーク・タイムズはこの話題をトップ記事で取り上げています。American Studies Associationがニューヨーク・タイムズのトップ紙面で扱われるなどということは、史上初めてのことだと思われます。対イスラエルのボイコットという、ひじょうに複雑な問題が、アメリカにおいて、そして世界においてもつ意味の大きさを示唆しています。

「対イスラエル学術ボイコット」とはなにか?ひじょうに複雑なこの問題を一言で説明するのは難しいのですが、要は、イスラエル占領下のパレスチナ人研究者や学生たちが、学問の自由や基本的人権を侵害され、イスラエルの大学ではパレスチナ人研究者や学生がさまざまな差別を受けていることなどから、人種差別や植民地主義などを批判的に研究・議論しあらゆる形の社会正義を提唱するアメリカ学会は、パレスチナ人の迫害に加担しているイスラエルの大学や学術団体などと組織的レベルでの交流を拒否する、と表明するものです。ただ、この一文では説明しきれない要素がたくさんあるので、実際の文面をこちらでごらんください。

このボイコット決議が学会会員全員の投票に委ねられるまでの数ヶ月、学会の内外でひじょうに大きな議論が繰り広げられました。ボイコット決議は、ちょうど一年前に、学会内のAcademic and Community Activism Caucusという部会が、役員会に検討を申請したことから始まりました。部会が役員会に申請した決議は、内容にかかわらず役員会で検討すると学会の規約で決められており、規約にしたがって役員会は提出された決議の内容を丁寧に議論してきました。その過程で、決議に反対する会員たちが強い抗議を表明し、ボイコット反対の署名運動を繰り広げたり、高等教育全体にかかわる話題をカバーするChronicle of Higher Educationという媒体で名の知れたブロガーがボイコット決議を強く批判する記事を投稿(その後、このブロガーは修正された決議の文面を読み、この決議をめぐって学会がとってきた手続きなどを知って、立場を変更、決議を支持する投票をしています)したりしたことで、この話題は当学会の外にも大きく広がっていきました。決議に反対する人たちのなかには、検討されているボイコットの具体的な内容や、決議の文面を実際に読まずに、「イスラエルに対するボイコット」という行為に抗議している人も少なくないことが、抗議の内容から明らかでしたが、決議の文面を熟読した上で、パレスチナ人研究者や学生の学問の自由や基本的人権を支持するという理念には賛同するものの、ボイコット決議には反対する、という人もたくさんいました。ボイコットに反対する人たちのなかには、「イスラエル一国をとりあげてボイコットのような制裁措置をとるのは、反セミティズムである」「特定の国の大学や学術団体との交流をボイコットするのは、相手国だけでなくアメリカを拠点とする研究者の学問の自由を侵害するものである」「アメリカ学会とは学術団体であって政治団体や思想団体ではなく、このような問題についてボイコットといった立場を表明するのは組織の主旨に反する」といった意見から反対する人もいましたが、「イスラエルの大学には、イスラエル国家の対パレスチナ政策に強い批判をする研究者も数多くいるなかで、そうした人たちを敵にまわしイスラエルの大学や学者たちとの交流を阻止するのは、パレスチナ支持という目的のむしろ妨げとなるものである」「アメリカ政府がイスラエルに対して巨大な軍事的・経済的支援を続けているなかで、アメリカ学会が自国の政策を棚に上げてイスラエル、しかもイスラエルの学術団体を批判するのは偽善的である」などという意見から決議に反対する人も少なくありませんでした。(注:この段階での議論は、もともと部会から提出された決議の文面にもとづいたもので、以下説明するように、今回会員の投票にふされた実際の決議の文面は、こうした意見をふまえてかなりの修正を加えたものになっています。)そのいっぽうで、さまざまな立場からボイコットを支持する研究者や学生たちも、インターネットをはじめとする多くの場で次々と発言を重ね、議論が白熱していきました。世界各地で展開されるBDS運動(イスラエルの対パレスチナ政策への抗議として、イスラエルに対しボイコット・投資接収・制裁措置をとる運動)の一部として、国際的に話題も広がっていきました。

こうした議論を受けて、学会役員会は、私も参加した先月11月ワシントンで開催された年次大会で、この決議についてじっくりと議論し(学会誌の次期編集長という立場で、私は投票権はないものの役員会には出席しました)、この決議についてさまざまな視点から議論するフォーラムを4日間の学会のあいだに3回主催し、そのうちのひとつは、会員誰でも発言権をもつオープンフォーラム。このフォーラムが真に「オープン」であらゆる立場の人が自由にそして平等に発言できるものになるよう、さまざまな配慮や工夫がなされました。(発言したい人はフォーラム開始前に紙に名前を書いて箱に入れ、進行役がその箱のなかからランダムに名前を抽出する。発言者はみな一様に2分間以内の発言をする。などなど。)私はこのオープンフォーラムは最後の15分ほどしか出席できなかったのですが、そこでの発言や聴衆の態度をみるかぎりは、発言者はみなとても思慮深く、知的で、建設的でかつ情熱に満ちた発言をし(とくに大学院生による勇気ある発言が感動的でした)、聴衆はすべての発言に集中して耳を傾け、中傷・嘲笑・妨害などの行為はまるでなく、きわめて民度の高い議論だと思いました。私が実際に聞いた発言は、ボイコットを支持するものばかりでしたが、後から聞いたところによると、このフォーラムでは決議に反対する人による強い発言もあったものの、発言した人たちの圧倒的多数は決議賛成の立場の人たちだったそうです。

そして、このオープンフォーラムの翌日、役員会はふたたび会議を開き(これには私は不参加)、これまでの議論やフォーラムでの会員たちの発言をふまえて、次のステップを検討。その日2時間の会議では決定に至らず、結局、役員たちがそれぞれの拠点に散らばって行った後で数週間にわたり、メールや電話会議で審議が続けられたそうです。そして、それまでに寄せられたさまざまな意見をふまえた上で、決議の文面を修正し、決議採択の是非を会員全員の投票に付す、という決定が役員会全会一致でなされました。そして、投票した1252人の会員のうち66%が賛成、30.5%が反対、3.43%が棄権という、いわゆる「地滑り」的結果で、決議が採択されました。

人文・社会科学系の学会がこうした決議についてこれだけ白熱した議論を重ねるという状況、そして、この問題がアメリカ社会でどれだけ緊迫した議論を呼ぶかということは、なかなか日本ではわかりにくいかもしれません。私は、今回の決議は、とくに修正された文章は、歴史・政治・軍事などを専門とする研究者たちが各方面からの視点や意見を丁寧に検討した上で草案されたことが明らかな、立派な決議だと思います。私も決議を支持する投票をしました。ですから、決議が採択されてよかったと思いますが、それ以上に、私がもっとも強い帰属意識をもっているこの学会において、こうしたとても複雑な問題について、あらゆる立場の意見にきちんと耳を傾け、丁寧な議論を重ね、規約に沿った手続きを踏んで、民主的な方法でこの決議に至ったということに、一種の感動を覚えます。

学会のサイトで、決議にかんする情報や、この問題にかんしてのさまざまな人々の発言が読めますので、興味のあるかたはぜひ読んでみてください。いろいろな点で勉強になります。

2013年11月9日土曜日

同性婚法案、ハワイ州議会上下両院を通過

ここ数週間ハワイで最大の話題になっていたのが、州議会の特別会期で審議されているSB1同性婚法案。結果からいうと、昨晩、下院で審議されていた法案が30対19で通過し、すでに法案を通過させた上院と修正案などの具体点をめぐる交渉が来週なされ、正式に同性婚が可能になる模様です。

数年前に、法的な結婚とは違うものの同様のさまざまな権利や保護を同性同士のカップルに付与するシヴィル・ユニオンがハワイで制度化されたことはこのブログでも報告しましたが、これはシヴィル・ユニオンではカバーされない領域を含む、異性者同士の結婚と同じ「結婚」を同性者にも可能にするものです。ここ数年間で、アメリカ全体における同性愛をめぐる世論は確実に変化し、同性婚を認める州も次々に出てきていますが、ハワイでも同様。州議会のリーダーたちが同性婚を支持するようになってきたこと、また、Neil Abercrombie州知事が支持を表明していることから、州議会の特別会期が開催され、上院で提出された法案は難なく通過、その後、先週から下院で審議がされていました。この際、委員会の公聴会で、一般市民が証言をする機会を与えられたことから、何千人という市民が計50時間以上(ひとりに与えられる時間は2分間)にわたって議員たちの前で証言をしました。私は意見文を書面で提出しただけで実際に証言はしませんでしたが、私の友人や学生のなかにも、何時間も自分の順番を待って発言した人たちが何人もいます。

特別会期開催が決まった頃から、法案自体は通過がほぼ確実といわれていたものの、一般市民の証言の実況中継をネットでしばらく見ていると、ふだんの生活のなかでは浮上しない分裂が浮き彫りになり、とても暗い気持ちになりました。法案を支持するさまざまな人々(自身が同性愛者であるという人ももちろんたくさんいますが、そうでない人もたくさん証言しました)が、権利の平等を主張するいっぽうで、反対派の人々(そのほとんどが一部の保守キリスト教団体に属する人々)は、同性愛は神の意思や自然の摂理に反するもので、同性愛者に結婚を許すことは家族という形態ひいては社会全体の崩壊につながる、と説く。数年前のシヴィル・ユニオンの議論のときと比べると、同性愛を小児愛症や屍姦症などと結びつけて憎悪に満ちた攻撃をするといった類の発言は減り、むしろ、「私は同性愛者の同胞にも愛情をもっています。でもだからといって同性愛者の人たちが結婚するべきかというと、それは間違っています。結婚というのは男性と女性のあいだでなされるものです」という種類の証言が続きました。また、州議事堂の前には連日法案反対派の人たちがたくさん集まって道ゆく車に向かってLet the People Decide、つまり、この問題は議会での投票ではなく住民の直接投票によって決定されるべき、というプラカードを掲げていました。

昨日は朝から夜遅くまで州議事堂のまわり法案に賛成する人々・反対する人々の両方が多数集まり、私も午後1時間ほど行ってきました。





支持派は、ゲイ・プライドの象徴である虹色のカラフルな旗を振り回し、人々は虹色のレイを首にかけ、ポップな音楽を大音量でかけて、道行く車に向かって大きく手を振り声をかけながら歌ったり踊ったりして、一大パーティのようでした。

反対派ももちろん数多く集まって、審議がおこなわれている議事堂のなかにむかって抗議の意を表明していましたが、この日はレインボーカラーの元気に押され気味だった模様。この後、法案が正式に成立し、ハワイが同性婚を認める第16の州となれば、さらなる抵抗があるでしょうが、同性愛をめぐる感性や世論が徐々に変化していることは確実。

キリスト教の教義を主張して法案に反対する人々に向けた、Kaniela Ing議員の発言がとても立派だったので、以下紹介しておきます。

2013年10月24日木曜日

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?—人種・ジェンダー・文化資本』本日発売!

拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』が本日発売になりました!

小澤征爾、ヨーヨー・マ、内田光子、チョン・キョンフア、五嶋みどり、ラン・ランをはじめとする数多くの「アジア人」が西洋音楽の分野で世界的な活躍をするようになったのはなぜか。音楽と人種・性・社会階層にはどのような関係があるのか。音楽的・文化的アイデンティティとはなにか。「アジア人」音楽家たちはクラシック音楽をどのように体験しているのか。そうした問いを、歴史史料および民族誌的フィールドワークを通じて分析したものです。

この本は、もとはMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicというタイトルで、英文で出版したものを、日本の一般読者に向けて、私自身が翻訳したものです。自分が書いた英語を、自分の母語である日本語に訳すのだから、そんなに難しいことはあるまいと思ってのぞんだのですが、この翻訳の作業は、想像をはるかに超えたチャレンジでした。学術的な英語を一般読者のための日本語に訳すという実際的な問題もたくさんありましたが、もっと本質的な次元で、そもそも自分が設定した問いや議論の枠組みが、いかにアメリカ的なものであるかを、翻訳しながら痛感しました。「アイデンティティ」という単語がやたらと飛び交い、人種やジェンダーといったカテゴリーが軸になっている分析は、日本の読者にはピンとこない部分もあるかもしれません。でも、そうした前提や議論の違いを日本の読者に感じ取っていただくことも、意味のあることだと思っています。なるべく読みやすくわかりやすい文章にするため、日本の読者に向けて説明や修正を加えたり、高度に特化した学術議論は削除したりしました。また、クラシック音楽そのものに興味のある読者以外にも考える素材を提供するような本作りを心がけました。少しでも多くの読者に読んでいただけたら幸いです。

私が心から敬愛する水村美苗さんが、帯にとても素敵な推薦文を書いてくださいました。感謝感激です。



もとの研究を始めた2003年頃から続いてきた多くの音楽家たちとの交流や、私自身のピアノとのかかわりも、いろいろな形でこの本の一部となっています。本書に登場する音楽家たちの一部は、私のウェブサイトリンクページで紹介していますので、興味をもったかたはぜひ彼ら・彼女たちの音楽をのぞいてみてください!

2013年10月22日火曜日

11/9(土)佐藤康子二十五絃箏コンサート

何度かこのブログでも紹介している、私の親友の佐藤康子さんの二十五絃箏コンサートが11月9日(土)にあります。年に一度コンサートも今回ですでに7回目。毎度、私が日本にいない時期なのでみずからコンサートを体験できないのが無念でたまりませんが、彼女を通じて、邦楽にまるで馴染みがなかった私も、二十五絃箏という楽器のスゴさを少し知るようになりました。正直言って、「お箏」というと、お嬢様のたしなみごと、という程度のイメージしか抱いていなかったのですが、彼女の音楽は、そういう先入観を粉みじんに(といった単語がふさわしいくらいの強烈さ)打ち破ってくれます。迫力、鮮やかさ、哀しさ、強さ、優しさ、深み、伸び、などなど、それはそれは多くの音の感覚を体験できます。88の鍵とペダルでも平板な音しか出せずにへこんでいる私としては、たった二十五本の絃でこれだけの多様な世界を生み出す楽器そして演奏者に舌を巻くばかり。まだチケットが若干残っているようですので、みなさまぜひどうぞ。

11月9日(土)18:00開演
自由学園明日館ホール
前売り券 2,500円 当日券 3,000円
お問い合わせメール  contact@satoyasuko-koto.com

私の言葉だけでは伝わらないかもしれないので、演奏の動画をひとつだけご紹介しておきます。