あけましておめでとうございます。と言っても、ハワイではまだ2008年が5時間近く残っているのですが、日本ではすでに2009年になってからまる一日近くたちますし、アメリカ東海岸でもついさっき年が明けました。2008年は、とにかく金融市場の暴落、失業率の上昇、不動産価格の下落などの経済状況で、アメリカでは将来への不安感が隠せない年となりました。それと同時に、オバマ氏当選にいたるまでの実に長かった大統領選は、これだけ暗い世の中でさえ、というか、これだけ暗い世の中だからこそ、アメリカ国民が政治家に希望と期待をかける様子が本当によくわかるプロセスでした。経済においても国際情勢においても(イスラエルのガザ攻撃に抗議するデモが、先日アメリカの多くの都市で行われ、オバマ氏が休暇を過ごしているハワイでも、ダウンタウンの連邦ビル前でデモがありました。私は参加できなかったのですが、参加した友達の話によると、ホリデーシーズンにもかかわらず、数多くの老若男女が集まってパワフルなデモだったそうです)すぐには改善しないであろう大きな課題が山積している状態でのオバマ大統領就任になるので、なんとも気の毒です。でも、選挙中に国民の多くが示した、「自分もなにかしなくちゃ」という熱意と行動力を、実際のオバマ政権中にも誘発するようなリーダーシップを、オバマ氏が示してくれることを私は期待しています。
アメリカの大晦日と元旦というのは、日本の静かな風情はまるでなく、外に出てパーティをして大騒ぎするときです。夜中パーティをして、夜12時になるとワーッと騒いでシャンペンで乾杯をして近くの人とキスをするわけです。ニューヨークのタイムズ・スクエアの状景をはじめとして、テレビの画面には、それはそれは幸せそうに騒いだりキスしたりしている人たちの姿がたくさんうつります。こうして社会の表がパーティをしているあいだに、貧しい人や病気の人や不幸な人はどうしているんだろうと、自分が貧しくも病気でも不幸でもなくてもこのときばかりは妙にもの悲しい気分になります。
ハワイでは例年、海辺であがる大花火にくわえて、一般市民がそこらへんでものすごい勢いで花火だの爆竹だのをするので、騒音も煙もただごとではありません。ぜんそくの人などは、大晦日はどこかに避難するくらいです。数年前に、名目上は事前に許可を得た人以外は花火をしてはいけない決まりになったのですが、その効果はまるで見られず、今年も、まだ7時半だというのに、すでに外は大騒ぎです。私はこれから、ワイキキにあるハレクラニ・ホテルという高級ホテルでのパーティで、ホノルル・シンフォニーが演奏するので、シンフォニーの音楽家の友達について食事とシャンペンにあやかりに行ってきます。
2009年が、世界にとって、みなさん一人一人にとって、健康と幸せなものでありますように。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2008年12月31日水曜日
2008年12月30日火曜日
Currently Separated: 不動産と離婚
健康保険のために離婚できずに"currently separated"だという人たちがいる、ということについて『新潮45』1月号で書きましたが、最近の不動産下落と住宅ローン危機が、離婚にさらに深刻なインパクトを与えている、という記事が『ニューヨーク・タイムズ』に載っています。共同名義で所有している家の価格が大幅に下落してしまったために、通常であれば離婚に際してその家の取り合いになるところが、残りのローン額よりも価値が下がってしまったその家の処分に関して長く醜い争いが続くというケースが増えているそうです。利益は出なくてもとにかく売ってしまってローン返済は二人で分担する、と合意しても、この不動産市場では家が売れず、仕方がないので法律上は離婚せず、currently separatedの状態のまま、ひとつ屋根の下別々の階に住み続けたり、あるいは一人が家を出てアパートに住んだりして、経済状態が改善するのを待っている、という人たちも少なくないようです。
私の友達にもそういうカップルが一組います。その二人は、最後まで(今でも)友好的な関係だったので弁護士を介した醜い争いにはなりませんでしたが、共同で持っていた家が売れないので、とにかく彼女が家を出てアパートを借り、ローンは彼が一人で負担するようになったものの、それまで彼女が払っていたローンのぶんはどうする、という問題が残り、一年以上currently separated状態を続けていました。最近になって、彼はその家に残り、二人で合意した額を彼が彼女に払って、そのお金を頭金の一部にして彼女が新しい家を買う、ということにまとまりました。この二人の場合は今でも友好的な仲だからよかったものの、そうでなければ、彼が彼女に払う額で相当にもめていたことでしょう。他にも、これは不動産下落以前の話ですが、大学の職員住宅(普通にアパートを借りるよりは家賃がずっと安い)に住んでいた夫婦が離婚することになり、大学職員の夫が家を出て新しいガールフレンド(やがて妻)と新居を構え、前妻はもとの家に残ったものの、彼女はその大学の職員ではないため、離婚してしまったら職員住宅は出なくてはならず、子供と一緒に住む家を探すのにてんてこまい、というケースもありました。こうした話は、結婚している夫婦や、住宅を保有しているケースばかりでのことではありません。ニューヨークのマンハッタンなどでは、賃貸でもいいアパートを手に入れるのは大変なので、一緒に住んでいた恋人同士(もちろんゲイのカップルの場合もある)が別れることになっても、代わりの住処が見つからないとか、今のアパートをどちらも手放したくないとかの理由で、カップルとしては別れながらも一緒に住み続ける、というケースもそう珍しくありません。
経済上の理由で離婚ができないとか、離婚の交渉が長引くとかいったことは、もちろん日本でもいくらでもあるでしょうが、アメリカでは、離婚率の高さと、不動産下落と住宅ローンの崩壊で、事態がいっそう深刻です。
私の友達にもそういうカップルが一組います。その二人は、最後まで(今でも)友好的な関係だったので弁護士を介した醜い争いにはなりませんでしたが、共同で持っていた家が売れないので、とにかく彼女が家を出てアパートを借り、ローンは彼が一人で負担するようになったものの、それまで彼女が払っていたローンのぶんはどうする、という問題が残り、一年以上currently separated状態を続けていました。最近になって、彼はその家に残り、二人で合意した額を彼が彼女に払って、そのお金を頭金の一部にして彼女が新しい家を買う、ということにまとまりました。この二人の場合は今でも友好的な仲だからよかったものの、そうでなければ、彼が彼女に払う額で相当にもめていたことでしょう。他にも、これは不動産下落以前の話ですが、大学の職員住宅(普通にアパートを借りるよりは家賃がずっと安い)に住んでいた夫婦が離婚することになり、大学職員の夫が家を出て新しいガールフレンド(やがて妻)と新居を構え、前妻はもとの家に残ったものの、彼女はその大学の職員ではないため、離婚してしまったら職員住宅は出なくてはならず、子供と一緒に住む家を探すのにてんてこまい、というケースもありました。こうした話は、結婚している夫婦や、住宅を保有しているケースばかりでのことではありません。ニューヨークのマンハッタンなどでは、賃貸でもいいアパートを手に入れるのは大変なので、一緒に住んでいた恋人同士(もちろんゲイのカップルの場合もある)が別れることになっても、代わりの住処が見つからないとか、今のアパートをどちらも手放したくないとかの理由で、カップルとしては別れながらも一緒に住み続ける、というケースもそう珍しくありません。
経済上の理由で離婚ができないとか、離婚の交渉が長引くとかいったことは、もちろん日本でもいくらでもあるでしょうが、アメリカでは、離婚率の高さと、不動産下落と住宅ローンの崩壊で、事態がいっそう深刻です。
2008年12月27日土曜日
停電の過ごしかた
クリスマス・イヴは友達の家でディナーパーティ、クリスマス当日は友達と島の北側のビーチでピクニックをしに行きました。日本と違って、クリスマスというのはこちらでは家族でゆっくり過ごす休日なので、一部のスーパーなどを除けば店もすべて閉まり、街はひっそりと静かですが、問題はクリスマスにいたるまでのショッピング・シーズン。サンクスギヴィングからクリスマスにかけては、一年のあいだで最大の売り上げがある時期なので、このシーズンの客入りは経済全体にも大きな影響があります。今年は経済危機で、正確な数字は年が明けてから出るでしょうが、例年よりずっと売り上げが低いようです。
昨日の夜は、雷が原因でオアフ島全域、一晩中停電でした。夕食を作ろうとしているときに真っ暗になってしまったので、料理もできず、することもなく、仕方ないので道向かいのマンションに住んでいる友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」)のところに行って、彼のボーイフレンドと、遊びに来ていた友達、階上に住んでいるもう一人の友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)と一緒に過ごしました。暗闇のなかろうそくを灯しているだけなので、スナックをかじりワインを飲みながらおしゃべりをする以外にすることもありません。「こういうときに日本の子供はしりとりをするんだよ」と教えてあげて、英語でしりとりというものができるかどうか、みんなで試してみました。単語が音節で成り立っている英語でしりとりをするのはかなり難しいということがわかりました。最後のアルファベットをとるだけでは簡単すぎて面白くないので、最後の音節をとる、という方式にしたのですが、綴りをそのままにするのでは無理がありすぎるので、音が大体合っていれば綴りは違ってもよし、ということにしました。(mister-termite-mighty-teacup, seagull-gullible-blisterなど。)ワインを飲みながらだったので、どんな例があったかもう忘れてしまいましたが、うまく行ってもせいぜい10単語つながればいいほうで、どうも難しすぎるので、しばらくするとこの遊びは放棄しました。
残りの時間は、スティーヴが持っていた、David Sedarisの本からエッセイを朗読(読む人が懐中電灯をもって)したりして過ごしました。David Sedarisとは、National Public Radio(現代アメリカのキーワード (中公新書)
231-235頁参照)などで自分の生い立ちや家族、自分がやってきた奇妙な仕事やアルバイト(クリスマス・シーズンのデパートでの小人の仕事など)などについての自虐的ユーモアいっぱいのエッセイを朗読し人気を博しているユーモア作家・コメディアンです。家族や人間関係をめぐる面白可笑しい話題が多くなるホリデー・シーズンには、彼のエッセイがとりわけ面白いです。彼のエッセイ集のうち一冊は日本語になっていますが、ユーモアというのはとくに翻訳しにくいものです。彼自身の朗読を聞くと一段とその面白味が伝わる(かもしれない)ので、よかったらこちらで聞いてみてください。
昨日の夜は、雷が原因でオアフ島全域、一晩中停電でした。夕食を作ろうとしているときに真っ暗になってしまったので、料理もできず、することもなく、仕方ないので道向かいのマンションに住んでいる友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」)のところに行って、彼のボーイフレンドと、遊びに来ていた友達、階上に住んでいるもう一人の友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)と一緒に過ごしました。暗闇のなかろうそくを灯しているだけなので、スナックをかじりワインを飲みながらおしゃべりをする以外にすることもありません。「こういうときに日本の子供はしりとりをするんだよ」と教えてあげて、英語でしりとりというものができるかどうか、みんなで試してみました。単語が音節で成り立っている英語でしりとりをするのはかなり難しいということがわかりました。最後のアルファベットをとるだけでは簡単すぎて面白くないので、最後の音節をとる、という方式にしたのですが、綴りをそのままにするのでは無理がありすぎるので、音が大体合っていれば綴りは違ってもよし、ということにしました。(mister-termite-mighty-teacup, seagull-gullible-blisterなど。)ワインを飲みながらだったので、どんな例があったかもう忘れてしまいましたが、うまく行ってもせいぜい10単語つながればいいほうで、どうも難しすぎるので、しばらくするとこの遊びは放棄しました。
残りの時間は、スティーヴが持っていた、David Sedarisの本からエッセイを朗読(読む人が懐中電灯をもって)したりして過ごしました。David Sedarisとは、National Public Radio(現代アメリカのキーワード (中公新書)
231-235頁参照)などで自分の生い立ちや家族、自分がやってきた奇妙な仕事やアルバイト(クリスマス・シーズンのデパートでの小人の仕事など)などについての自虐的ユーモアいっぱいのエッセイを朗読し人気を博しているユーモア作家・コメディアンです。家族や人間関係をめぐる面白可笑しい話題が多くなるホリデー・シーズンには、彼のエッセイがとりわけ面白いです。彼のエッセイ集のうち一冊は日本語になっていますが、ユーモアというのはとくに翻訳しにくいものです。彼自身の朗読を聞くと一段とその面白味が伝わる(かもしれない)ので、よかったらこちらで聞いてみてください。
2008年12月22日月曜日
日本の高校で英語の授業を英語で行うことの愚かさ
13年度からの日本の高校学習指導要領改訂案で「英語の授業は英語で行うことを基本に」という方針が示された、というニュースを読みました。水村美苗さんが『日本語が亡びるとき』で英語教育と日本語教育について真剣な提言をしているすぐそばから、水村さんが頭を抱えて嘆く姿が目に見えるような馬鹿馬鹿しい案を文科省が提示してくるのですから、「あー、こりゃあダメだ」と思わずにはいられません。
一般の日本人が、目も当てられないほど英語ができないのは、確かに憂えるべき事態です。中学高校で嫌というほど英語の勉強をさせられ、立派な大学で二年間は英語の授業をとった人たちでも、英語の新聞を読んだりテレビのニュースを見たりしてすんなり理解することができるような人は非常に限られているし、それどころか、自分の仕事の内容を簡単に英語で説明ことはもちろん、街で英語で道を聞かれて普通に答えることだってままならない、というのが平均的な日本人の大卒の英語力でしょう。英語圏で生活していると、一般の日本人がいかに英語ができないかということが日常的に認識されて、本当にいたたまれない気持ちになります。私の父親はかつてメーカー系の商社に勤めていた関係で、私も子供の頃にアメリカに住んでいたことがあり、父の仕事関係のオジサン達と接することも多かったのですが、「よく日本のオジサン達は、こんな英語力で、日本経済をここまで成長させてきたものだ。これだけ英語ができなくてもこれだけ日本の製品を世界で売ることに成功しているということは、日本の技術力がよっぽど優れたものであるに違いない」と、子供ながらに思っていたものでした。今でも、大学で言葉を使って仕事する人たちでさえ(そして、英米文学などを専門にしている人でさえ)、日本人は恥ずかしいほど英語ができないのが実態です。
あれだけみんなが英語の勉強に躍起になっていながらこの状況なのですから、日本の英語教育のありかたが根本的に間違っているのは確かです。が、「言葉は使うもので、多用すれば生徒の意識も変わる」だの「まず先生が使うのが第一歩」だのという理屈で、英語で英語の授業を行うことをその解決策にもってくるということは、まったくもって見当違いです。
確かに、言葉というものは音楽と同じように、日常的にたくさん耳にしていれば、音にも慣れるし自然に身についてくるという面はあります。英語圏で生活している子供が「自然に」英語ができるようになるのは、一歩家を出れば学校でも街でもほとんどすべてが英語という環境にいるのですから、当たり前といえば当たり前です。でも、英語を耳から慣らして自然に身につけるという方法を学校教育で行うには、小学校なり中学校なりで初めて英語を学ぶときから、月曜から土曜まで毎日最低一、二時間、きちんとした英語に触れていることが必要です。私立学校ならそうしたことも不可能ではないかもしれませんが、文科省のカリキュラムに沿って限られたリソースで英語の授業をしている公立学校で、そんなことはまず実現不能でしょう。
第一、この案を生み出した人たちは、「英語で英語を教える」ということが、いったいどういうことを意味しているのか、まるでわかっていないのが明らかです。そんなことがきちんとできる高校の英語教師は、全国で百人にも満たないのではないでしょうか。五十人いるかどうかも疑問です。英語の文章を読んで正確に理解し、自分の言いたいことを正確に作文ができるようになるために最低限必要な、基本的な英語の文法や構文を、日本語を母語とする生徒にきちんと説明するということが、日本語でもどれだけ難しいことか、そして、それを英語で行うということがどれだけ非生産的なことか、文科省の役人(なり、この案を作るのに関わった「専門家」なり)はまるでわかっていないようです。それ以前に、外国語を学ぶということがどういうことか、そのごく基本的なことが、まるでわかっていないとしか思えません。
「生きた英語」ができるようになるのを目指すのは結構なことですが、そのために、「和訳と作文偏重」の英語教育を「英会話重視」に変更するなど、愚の骨頂です。最低限の単語の意味とその正しい用法を覚え、構文と文法を理解し、それを使って作文するという作業に時間をかけずに、会話などできるようになるわけはありません。文法や作文重視が悪いのではなくて、むしろ文法や作文をじゅうぶん重視していない、また、文法や作文を教えるときの教え方が間違っているのだ、と私は思っています。構文や文法や単語や句の用法をきちんと身につけるのに一番大事なのは、パズルのように英語の「問題を解く」のではなく、基本的な文例をひたすら丸暗記することだと思います。そうして文例を覚えれば、単語だけ入れ替えればそれに類似の文をすらすらと言えるようになるのです。
ハワイ大学で私が教えている日本人の大学院生のひとりに、実に感心するくらい英語がよくできる学生がいます。読解力をとっても授業での発言をとっても論文で書く文章をとっても、実にしっかりした英語なので、私はてっきり彼女が帰国子女なのだろうと思っていたのですが、話を聞いてみるとそうではなくて、大学院でハワイに来るまではずっと日本で育って、地方の公立学校の授業で英語を勉強した、「普通の日本人」なのです。「どうしてそんなに英語ができるようになったの?」と聞いてみたところ、中学のときに少しアメリカにホームステイをしたときに、あまりにも英語がわからないのにショックを受け、英語ができるようになろうと一念発起して、自分なりの方法を考案してひたすら勉強した、ということです。その方法を聞いてみると、なんときわめて古典的な「丸暗記法」。学校の教科書や自分で買ってきた参考書をひたすら丸暗記することで、構文や単語の使い方を身につけ、リスニングや発音に関しては、教科書についている付属テープを繰り返し聞きながら、自分も同じペースで言えるようにひたすら練習した、ということです。私はこの丸暗記が、語学習得の基本かつもっとも効果的な方法だと強く思います。ただし、なぜある文がそういう構造になっているのか、理屈を理解していなければ、丸暗記しても応用ができないので、その理屈は、生徒がじゅうぶん理解できるように、丁寧に日本語で説明するべきです。
ついでになりますが、日本人は英語の発音コンプレックスがあり、なにかというとRとLの発音に執着しますが、そんなことを心配するのも間違っています。もちろん発音は「正統的」な発音に近ければ近いほど、わかってもらえる確率は高まるので、その基本はきちんと覚えるべきですが、日本人は英語の発音というときに、舌を丸めたり伸ばしたりすることにばかりやたらこだわります。でも実際は、発音がちょっとくらい違っていたって、単語の使い方と文の構造が正しければ、文脈で相手は理解してくれます。発音に関していえば、RやLを初めとする子音の発音なんかよりも、ずっとずっと重要なのは、アクセントの位置と母音の発音です。アクセントの位置と母音の発音が間違っていたら(また、母音のないところに母音を入れて発音したら)、いくらRやLやTHがきれいに言えても、絶対に通じません。
それにしても、この「英語の授業を英語で」案は、あまりにも愚策で、情けなくなります。水村さんと一緒に文科省に抗議に乗り込んで行きたい気持ちです。
一般の日本人が、目も当てられないほど英語ができないのは、確かに憂えるべき事態です。中学高校で嫌というほど英語の勉強をさせられ、立派な大学で二年間は英語の授業をとった人たちでも、英語の新聞を読んだりテレビのニュースを見たりしてすんなり理解することができるような人は非常に限られているし、それどころか、自分の仕事の内容を簡単に英語で説明ことはもちろん、街で英語で道を聞かれて普通に答えることだってままならない、というのが平均的な日本人の大卒の英語力でしょう。英語圏で生活していると、一般の日本人がいかに英語ができないかということが日常的に認識されて、本当にいたたまれない気持ちになります。私の父親はかつてメーカー系の商社に勤めていた関係で、私も子供の頃にアメリカに住んでいたことがあり、父の仕事関係のオジサン達と接することも多かったのですが、「よく日本のオジサン達は、こんな英語力で、日本経済をここまで成長させてきたものだ。これだけ英語ができなくてもこれだけ日本の製品を世界で売ることに成功しているということは、日本の技術力がよっぽど優れたものであるに違いない」と、子供ながらに思っていたものでした。今でも、大学で言葉を使って仕事する人たちでさえ(そして、英米文学などを専門にしている人でさえ)、日本人は恥ずかしいほど英語ができないのが実態です。
あれだけみんなが英語の勉強に躍起になっていながらこの状況なのですから、日本の英語教育のありかたが根本的に間違っているのは確かです。が、「言葉は使うもので、多用すれば生徒の意識も変わる」だの「まず先生が使うのが第一歩」だのという理屈で、英語で英語の授業を行うことをその解決策にもってくるということは、まったくもって見当違いです。
確かに、言葉というものは音楽と同じように、日常的にたくさん耳にしていれば、音にも慣れるし自然に身についてくるという面はあります。英語圏で生活している子供が「自然に」英語ができるようになるのは、一歩家を出れば学校でも街でもほとんどすべてが英語という環境にいるのですから、当たり前といえば当たり前です。でも、英語を耳から慣らして自然に身につけるという方法を学校教育で行うには、小学校なり中学校なりで初めて英語を学ぶときから、月曜から土曜まで毎日最低一、二時間、きちんとした英語に触れていることが必要です。私立学校ならそうしたことも不可能ではないかもしれませんが、文科省のカリキュラムに沿って限られたリソースで英語の授業をしている公立学校で、そんなことはまず実現不能でしょう。
第一、この案を生み出した人たちは、「英語で英語を教える」ということが、いったいどういうことを意味しているのか、まるでわかっていないのが明らかです。そんなことがきちんとできる高校の英語教師は、全国で百人にも満たないのではないでしょうか。五十人いるかどうかも疑問です。英語の文章を読んで正確に理解し、自分の言いたいことを正確に作文ができるようになるために最低限必要な、基本的な英語の文法や構文を、日本語を母語とする生徒にきちんと説明するということが、日本語でもどれだけ難しいことか、そして、それを英語で行うということがどれだけ非生産的なことか、文科省の役人(なり、この案を作るのに関わった「専門家」なり)はまるでわかっていないようです。それ以前に、外国語を学ぶということがどういうことか、そのごく基本的なことが、まるでわかっていないとしか思えません。
「生きた英語」ができるようになるのを目指すのは結構なことですが、そのために、「和訳と作文偏重」の英語教育を「英会話重視」に変更するなど、愚の骨頂です。最低限の単語の意味とその正しい用法を覚え、構文と文法を理解し、それを使って作文するという作業に時間をかけずに、会話などできるようになるわけはありません。文法や作文重視が悪いのではなくて、むしろ文法や作文をじゅうぶん重視していない、また、文法や作文を教えるときの教え方が間違っているのだ、と私は思っています。構文や文法や単語や句の用法をきちんと身につけるのに一番大事なのは、パズルのように英語の「問題を解く」のではなく、基本的な文例をひたすら丸暗記することだと思います。そうして文例を覚えれば、単語だけ入れ替えればそれに類似の文をすらすらと言えるようになるのです。
ハワイ大学で私が教えている日本人の大学院生のひとりに、実に感心するくらい英語がよくできる学生がいます。読解力をとっても授業での発言をとっても論文で書く文章をとっても、実にしっかりした英語なので、私はてっきり彼女が帰国子女なのだろうと思っていたのですが、話を聞いてみるとそうではなくて、大学院でハワイに来るまではずっと日本で育って、地方の公立学校の授業で英語を勉強した、「普通の日本人」なのです。「どうしてそんなに英語ができるようになったの?」と聞いてみたところ、中学のときに少しアメリカにホームステイをしたときに、あまりにも英語がわからないのにショックを受け、英語ができるようになろうと一念発起して、自分なりの方法を考案してひたすら勉強した、ということです。その方法を聞いてみると、なんときわめて古典的な「丸暗記法」。学校の教科書や自分で買ってきた参考書をひたすら丸暗記することで、構文や単語の使い方を身につけ、リスニングや発音に関しては、教科書についている付属テープを繰り返し聞きながら、自分も同じペースで言えるようにひたすら練習した、ということです。私はこの丸暗記が、語学習得の基本かつもっとも効果的な方法だと強く思います。ただし、なぜある文がそういう構造になっているのか、理屈を理解していなければ、丸暗記しても応用ができないので、その理屈は、生徒がじゅうぶん理解できるように、丁寧に日本語で説明するべきです。
ついでになりますが、日本人は英語の発音コンプレックスがあり、なにかというとRとLの発音に執着しますが、そんなことを心配するのも間違っています。もちろん発音は「正統的」な発音に近ければ近いほど、わかってもらえる確率は高まるので、その基本はきちんと覚えるべきですが、日本人は英語の発音というときに、舌を丸めたり伸ばしたりすることにばかりやたらこだわります。でも実際は、発音がちょっとくらい違っていたって、単語の使い方と文の構造が正しければ、文脈で相手は理解してくれます。発音に関していえば、RやLを初めとする子音の発音なんかよりも、ずっとずっと重要なのは、アクセントの位置と母音の発音です。アクセントの位置と母音の発音が間違っていたら(また、母音のないところに母音を入れて発音したら)、いくらRやLやTHがきれいに言えても、絶対に通じません。
それにしても、この「英語の授業を英語で」案は、あまりにも愚策で、情けなくなります。水村さんと一緒に文科省に抗議に乗り込んで行きたい気持ちです。
2008年12月20日土曜日
映画『ミルク』
期末試験・論文の採点はあと一息で終わります。学生さんには失礼ですが、飛び抜けて優秀な一握りの答案や論文を除いては、採点というのはかなり辛い作業です。こちらは一生懸命準備していろいろ工夫して授業をしたつもりなのに、答案を見てみると、重要なポイントが多くの学生にまるで伝わっていなかったことが判明したりして、がっくりしてしまいます。でも、同じクラスのなかにも、ものすごく見事な答を書く学生も何人かはいるので、一部の学生の出来の悪さは、百パーセント教師の責任でもないだろうと思いたいです。
採点の合間に、『MILK』という映画を観てきました。アメリカでは数週間前に公開になった映画で、ハーヴィー・ミルク(Harvey Milk, 1930-1978)という、アメリカで初めて主要な公職に選挙で選ばれたゲイの政治家についての物語です。ショーン・ペンが演じるミルク氏は、ゲイのメッカとして知られるようになったサンフランシスコのカストロ地区でカメラ屋を営みながら、コミュニティ・オーガナイザー、活動家として、サンフランシスコのゲイ・コミュニティを動員していき、何度もの落選にもめげず、ついに1977年にサンフランシスコの市議会員に当選しました。翌年には同じく市議会員のダン・ホワイトに暗殺されてしまうのですが、比較的短い政治生命のなかで、同性愛者の権利を守る法律を通過させたほか、労働組合や高齢者たちとも絆をむすび、実質的にも象徴的にも非常に大きな功績を残しました。彼が暗殺された日の夜には、3万人の住民たちが自然に集まり、灯したろうそくを手にサンフランシスコの通りを行進して追悼の意を表しました。ミルク氏が活動家・政治家として誕生、そして成長していく様子を、ショーン・ペンが実に素晴らしい演技で表していますが、それと同時に、1970年代アメリカの政治史・社会史としてもとても興味深い映画です。同性愛者たちの存在が次第に社会全体に知られるようになっていき、アメリカの一部の都市では同性愛者の権利保護のための法律なども通過するなかで、それに対する反動、そしてキリスト教右派の台頭が、同性愛者の権利を奪う動きも作っていきました。そうした流れのなかで、ゲイの文化やネットワークが、重要な社会運動へと集結されていった様子が、よくわかります。ゲイの男性たちのあいだの恋愛模様や性関係、また、ゲイとして生きることの苦悩も、率直に描かれています。このブログでも何度も言及してきた、先月の選挙のカリフォルニア州のProposition 8のことや、オバマ氏の政治家としての起源がシカゴのコミュニティ・オーガナイザーとしての仕事にあったことなどを考えると、とくにいろいろなことを教えられる映画です。日本では来年ゴールデンウィークに公開になるようなので、その頃まだ覚えていたら、是非観てみてください。
採点の合間に、『MILK』という映画を観てきました。アメリカでは数週間前に公開になった映画で、ハーヴィー・ミルク(Harvey Milk, 1930-1978)という、アメリカで初めて主要な公職に選挙で選ばれたゲイの政治家についての物語です。ショーン・ペンが演じるミルク氏は、ゲイのメッカとして知られるようになったサンフランシスコのカストロ地区でカメラ屋を営みながら、コミュニティ・オーガナイザー、活動家として、サンフランシスコのゲイ・コミュニティを動員していき、何度もの落選にもめげず、ついに1977年にサンフランシスコの市議会員に当選しました。翌年には同じく市議会員のダン・ホワイトに暗殺されてしまうのですが、比較的短い政治生命のなかで、同性愛者の権利を守る法律を通過させたほか、労働組合や高齢者たちとも絆をむすび、実質的にも象徴的にも非常に大きな功績を残しました。彼が暗殺された日の夜には、3万人の住民たちが自然に集まり、灯したろうそくを手にサンフランシスコの通りを行進して追悼の意を表しました。ミルク氏が活動家・政治家として誕生、そして成長していく様子を、ショーン・ペンが実に素晴らしい演技で表していますが、それと同時に、1970年代アメリカの政治史・社会史としてもとても興味深い映画です。同性愛者たちの存在が次第に社会全体に知られるようになっていき、アメリカの一部の都市では同性愛者の権利保護のための法律なども通過するなかで、それに対する反動、そしてキリスト教右派の台頭が、同性愛者の権利を奪う動きも作っていきました。そうした流れのなかで、ゲイの文化やネットワークが、重要な社会運動へと集結されていった様子が、よくわかります。ゲイの男性たちのあいだの恋愛模様や性関係、また、ゲイとして生きることの苦悩も、率直に描かれています。このブログでも何度も言及してきた、先月の選挙のカリフォルニア州のProposition 8のことや、オバマ氏の政治家としての起源がシカゴのコミュニティ・オーガナイザーとしての仕事にあったことなどを考えると、とくにいろいろなことを教えられる映画です。日本では来年ゴールデンウィークに公開になるようなので、その頃まだ覚えていたら、是非観てみてください。
2008年12月16日火曜日
アメリカ女性史 期末試験問題
今週は、ハワイ大学は期末試験週間です。今朝は、私が教えている「アメリカ女性史」の授業の期末試験がありました。アメリカ文化研究概説の大学院の授業の課題論文は、今日の夕方が締切です。ちなみに、女性史の期末試験の問題は、こんな感じです。1950年代くらいまでは中間試験でカバーしたので、今回の試験では20世紀後半が中心の問題になっています。
第一部 以下より五つの項目を選び、それぞれについて、それが何であるか説明し、歴史的背景とアメリカ女性史における意義を論じなさい。
第二部 以下の両方に答えなさい。
第三部 以下より一つ選んで答えなさい。
学生の出来はどんなものか、これから採点にとりかかります。
第一部 以下より五つの項目を選び、それぞれについて、それが何であるか説明し、歴史的背景とアメリカ女性史における意義を論じなさい。
Women's Christian Temperance Union
Frances Perkins
Reynolds v. the United States
Feminine Mystique
Equal Rights Amendment
Defense of Marriage Act
第二部 以下の両方に答えなさい。
1 フィリピンにおけるアメリカの植民地主義が、フィリピン人看護婦のアメリカへの移民のパターンをどのように形作ったか説明しなさい。
2 第二次フェミニズムの主な功績を三つ説明しなさい。
第三部 以下より一つ選んで答えなさい。
1 南北戦争後の自由黒人局、1930年代のニューディール、そして1990年代の社会福祉政策のあいだに共通していた、支配的なジェンダー観や家族観とはなんであったか説明しなさい。
2 女性参政権運動と第二次フェミニズム運動を、その起源、主なリーダー層、運動組織の方法、運動内での葛藤などの観点から比較しなさい。
3 中絶合法化にいたるまでの運動を説明しなさい。運動の契機となった歴史的背景、運動の中心となった人々、また運動の組織化の方法などを具体的に説明すること。
学生の出来はどんなものか、これから採点にとりかかります。
2008年12月13日土曜日
DatingからHooking Upへ
今日のニューヨーク・タイムズに、「デーティングの終焉(The Demise of Dating)」という論説(?)が載っています。『ドット・コム・ラヴァーズ』や『新潮45』11月号でdateという単語のややこしさを、『新潮45』12月号190頁ではhook upという表現の用法を説明しましたが、まさにそれらの表現の実例です。『新潮45』の連載は、なんて実用的なんでしょう!:)
調査によると、今のアメリカの若者(ここで引用されている調査の対象となっている「若者」は高校3年生)の多くは、もうdateなんかはせず、むしろなんのコミットメントもないカジュアルなセックスをするhook upを楽しむことが主流だとか。一昔前までの男女は、何回か「デート」を重ねてから(この用法での「デート」とは日本語と同じ名詞の「デート」)性的関係に進むかどうか決めていたのに対し、今の若者は、まず何回かhook upをしてから、その相手と「デート」に行きたいかどうか決めるんだそうです。これらの若者は、カジュアルにセックスをするからといって、誰それ構わずやたらとセックスをしまくっているかというと、そういうことではなく、むしろ彼らがセックスをする頻度は少し前の同年代の若者より低く、また、セックスをする相手はたいてい学校の友達などだとのことです。一対一の「デート」(この用法では、名詞の「デート」と動詞の「デート」の両方の意味が含まれています)にしばられるよりも、大勢の友達仲間で交際を楽しむことを今の若者は重視する。そしてそのほうが、「デート」にありつけない人が周りに馬鹿にされたりのけ者にされたりすることが少ない。とのことです。とはいっても、このhook up文化がいいことばかりかというとそんなことはもちろんなく、セックスを重ねるにつれて、女性のほうはより長期的な交際を求めるようになるのに対して、男性はよりフリーな状態を続けたいと思う傾向があり、女性のほうがhook upに飽きてしまうというケースは多いそうです。また、hook upにはアルコールが絡んでいる場合が多いので、性的暴力などの事件も少なくない、とのことです。
それとはまったく無関係ですが、ハワイの現代史においてもっとも重要な人物の一人であるといえる女性、Ah Quon McElrathが亡くなりました。享年92歳。1915年にハワイで中国移民の両親のもとに生まれた彼女は、13歳のときからパイナップル缶詰工場で働き始め、ハワイ大学で社会学と人類学を専攻しました。1930年代に、ハワイのInternational Longshore and Warehouse Union (ILWU)すなわち港湾労働組合の組織化に中心的な役割を果たし、1950年代からは組合のソーシャルワーカーとして、労働者たちに健康保険や年金などについての説明をしたり、日々の生活の手伝いをしたりという仕事をするようになりました。1950年代からのハワイでは、ILWUなどの労働組合が非常に重要な役割を果たしましたが、その運動の鍵となった人物のひとりです。1981年にILWUからは退職したものの、彼女は生涯を通して労働運動をはじめとする各種の社会運動にたいへんなエネルギーをもって参加し、ハワイの労働者や活動家たちのインスピレーションとなってきました。同時に彼女は、音楽や芸術もこよなく愛し、ホノルル・シンフォニーのコンサートには欠かさず通い、シンフォニーの労使争議や財政難にあたっては、音楽家たちのパワフルな味方として支援活動をしました。亡くなる数日前に、親しい友達が家を訪ねていったときには、芸術団体やさまざまなチャリティー団体への募金を入れた28の封筒を彼女に渡して、投函してくれるように頼んだそうです。私も、Ah Quonとは数年前に、労働組合関係の対談のようなもので会ったことがあります。年齢が半分以下の私よりずっとエネルギーがあり、見事な分析力と明晰な言葉で話をすると同時に、どんな人にも温かい優しさをもって接する人でした。彼女についての今日のホノルル・アドヴァタイザーの記事は、こちらをどうぞ。
調査によると、今のアメリカの若者(ここで引用されている調査の対象となっている「若者」は高校3年生)の多くは、もうdateなんかはせず、むしろなんのコミットメントもないカジュアルなセックスをするhook upを楽しむことが主流だとか。一昔前までの男女は、何回か「デート」を重ねてから(この用法での「デート」とは日本語と同じ名詞の「デート」)性的関係に進むかどうか決めていたのに対し、今の若者は、まず何回かhook upをしてから、その相手と「デート」に行きたいかどうか決めるんだそうです。これらの若者は、カジュアルにセックスをするからといって、誰それ構わずやたらとセックスをしまくっているかというと、そういうことではなく、むしろ彼らがセックスをする頻度は少し前の同年代の若者より低く、また、セックスをする相手はたいてい学校の友達などだとのことです。一対一の「デート」(この用法では、名詞の「デート」と動詞の「デート」の両方の意味が含まれています)にしばられるよりも、大勢の友達仲間で交際を楽しむことを今の若者は重視する。そしてそのほうが、「デート」にありつけない人が周りに馬鹿にされたりのけ者にされたりすることが少ない。とのことです。とはいっても、このhook up文化がいいことばかりかというとそんなことはもちろんなく、セックスを重ねるにつれて、女性のほうはより長期的な交際を求めるようになるのに対して、男性はよりフリーな状態を続けたいと思う傾向があり、女性のほうがhook upに飽きてしまうというケースは多いそうです。また、hook upにはアルコールが絡んでいる場合が多いので、性的暴力などの事件も少なくない、とのことです。
それとはまったく無関係ですが、ハワイの現代史においてもっとも重要な人物の一人であるといえる女性、Ah Quon McElrathが亡くなりました。享年92歳。1915年にハワイで中国移民の両親のもとに生まれた彼女は、13歳のときからパイナップル缶詰工場で働き始め、ハワイ大学で社会学と人類学を専攻しました。1930年代に、ハワイのInternational Longshore and Warehouse Union (ILWU)すなわち港湾労働組合の組織化に中心的な役割を果たし、1950年代からは組合のソーシャルワーカーとして、労働者たちに健康保険や年金などについての説明をしたり、日々の生活の手伝いをしたりという仕事をするようになりました。1950年代からのハワイでは、ILWUなどの労働組合が非常に重要な役割を果たしましたが、その運動の鍵となった人物のひとりです。1981年にILWUからは退職したものの、彼女は生涯を通して労働運動をはじめとする各種の社会運動にたいへんなエネルギーをもって参加し、ハワイの労働者や活動家たちのインスピレーションとなってきました。同時に彼女は、音楽や芸術もこよなく愛し、ホノルル・シンフォニーのコンサートには欠かさず通い、シンフォニーの労使争議や財政難にあたっては、音楽家たちのパワフルな味方として支援活動をしました。亡くなる数日前に、親しい友達が家を訪ねていったときには、芸術団体やさまざまなチャリティー団体への募金を入れた28の封筒を彼女に渡して、投函してくれるように頼んだそうです。私も、Ah Quonとは数年前に、労働組合関係の対談のようなもので会ったことがあります。年齢が半分以下の私よりずっとエネルギーがあり、見事な分析力と明晰な言葉で話をすると同時に、どんな人にも温かい優しさをもって接する人でした。彼女についての今日のホノルル・アドヴァタイザーの記事は、こちらをどうぞ。
2008年12月12日金曜日
水村美苗 + 梅田望夫
アメリカは、今週はイリノイ州知事の汚職発覚事件で大騒ぎでした。
ただ今発売中の『新潮』(私の連載の載っている『新潮45』ではなくて文芸誌の『新潮』のほうです)に、水村美苗さんとミューズ・アソシエイツの梅田望夫さんの対談が載っています。水村さんの『日本語が亡びるとき』発売当初から、梅田さんはブログでこの本をとても賞賛していて、そのことがアマゾンでしばらく1位という素晴らしい売れ行きの一因でもあったそうです。
私は水村さんと同様に(と言ったら水村さんに失礼かも知れませんが、ご本人もそう言っているのでよしとしましょう)まったくのテク音痴で、コンピューターの知識も使い方も周りの人たちと比べたら数年ぶんくらい遅れています。メールとサーチエンジンとスカイプなど、自分の仕事と人間関係に必要だったり役立ったりするアプリケーションの使い方は覚えるけれど、それがいったいどういう理屈と構造で動いているのかなどということは、まったくわからないし、正直なところあまりわかりたいとも思っていません。授業でパワーポイントを使うようになったのもなんと今年になってからだし、こうやってブログを書いてちゃんと人に読まれているらしいということも、自分としてはものすごい快挙のように思っているくらいで、ITの世界がどうなっているかということは、ドがつく素人の消費者としての視点しかもっていません。それでも、(実は水村さんのつながりで)梅田さんや小飼弾さんなどのお仕事についても知ることになり、また、自分がオンライン・デーティングについての本を書いたり自分でブログをやるようになったりして、媒体としてのインターネットということについても少し考えるようになりました。ごく最近、梅田さんの『ウェブ進化論 』も読みました。というわけで、私にはこの対談はとくに興味深く、なるほどなるほど、と思って読みました。先日投稿した、私の『日本語が亡びるとき』の読みが間違っていなかったということも確認できて安心しました。
水村さんの著書での核である日本近代文学論とは話が違いますが、この対談にも出てくる、インターネットを舞台とする言論活動のコンテンツの日米での差は、私もずいぶん前から感じていることです。インターネットのテクノロジーにかけては、日本はアメリカに決して負けていない、いやむしろアメリカより進んでいるくらいなのでしょうが、私のような一般消費者が目にするウェブサイトの内容にかけては、日本はアメリカよりだいぶ遅れていると日頃から感じています。たとえば、新聞ひとつにとってもそうです。今や、アメリカの主要な新聞(ホノルル・アドヴァタイザーのような地域紙でも)はどこでも、紙の新聞に載っている記事はまるごとすべて、それどころか、紙の新聞では見られない映像やブログ、関連記事へのリンクなども含めて、無料でネットで見られるようになっています。こんなことをしたらさぞかし紙の新聞を買う人がいなくなるだろうと思いますが、それでも敢えてこのように情報を世界に公開することのほうが長期的に新聞社にとっても世の中にとってもよいと、経営者がIT革命の初期に判断して、オンラインでの広告収入などに財源をうまく移行したのでしょう。(とはいえ、最近もシカゴの大手新聞が倒産を発表したばかりですから、どこもその移行に成功しているわけではないのでしょう。)紙の活字文化に愛着がある私のような人間は、オンライン版と紙の新聞の両方を使っていますが、完全にオンライン版に移行している人はとても多いし、私がおばあさんになる頃にはもう紙の新聞は存在しないかも知れません。それでも、新聞社は、(長期の調査にもとづいた、日本の新聞にはまず見られない長文の記事を含め)質の高いジャーナリズムを提供し続け、オンライン環境を巧みに利用すれば、新たな形の報道・言論活動に進化できると信じているのでしょう。ニューヨーク・タイムズしかり、ウォール・ストリート・ジャーナルしかり(ウォール・ストリート・ジャーナルは、メディア帝王のルーパート・マードックの支配下に入って以来、テレビを初めとする他のメディアとの連携もよりしやすくなったので、よりいっそう画像などが充実しています。)。これらの新聞を見たことがない人は、だまされたと思って、ちょっと見てみてください。それにくらべて、日本の新聞のオンライン版などは、せいぜい数段落、ともするとほんの数行の記事しか出てこないし、オンラインでは見られないものもたくさんあります。(私は書評が一番読みたいのに、オンラインでは読めない!)もちろん、宣伝のために各種の企業が作っているサイトは、デザイン面でも内容面でも素晴らしいものがたくさんありますが、それは当たり前のことで、公共性・公開性をより真剣に考えるべきなのは報道機関などのメディアでしょう。アメリカでも、出版社などはやはり、情報や活字のデジタル化の加速にかなりの危機感を抱いていますが、それでも、インターネットを自分たちの産業にうまく利用しようという積極的な意欲と工夫は、日本の出版社などよりずっと進んでいると思います。大学のウェブサイトをとっても、日本の大学のサイトは、概して情報量がとても少ないです。(日本の大学に勤める教授のメールアドレスを探すのがどんなに面倒なことか!)この対談で、水村さんと梅田さんは、この状況を、「パブリックな精神」の違いとして話していますが、せっかくテクノロジーがこれだけ発達しているのだから、それを有意義に活用していくようなコンテンツの刷新も目指したらいいんじゃないかと思います。
ただ今発売中の『新潮』(私の連載の載っている『新潮45』ではなくて文芸誌の『新潮』のほうです)に、水村美苗さんとミューズ・アソシエイツの梅田望夫さんの対談が載っています。水村さんの『日本語が亡びるとき』発売当初から、梅田さんはブログでこの本をとても賞賛していて、そのことがアマゾンでしばらく1位という素晴らしい売れ行きの一因でもあったそうです。
私は水村さんと同様に(と言ったら水村さんに失礼かも知れませんが、ご本人もそう言っているのでよしとしましょう)まったくのテク音痴で、コンピューターの知識も使い方も周りの人たちと比べたら数年ぶんくらい遅れています。メールとサーチエンジンとスカイプなど、自分の仕事と人間関係に必要だったり役立ったりするアプリケーションの使い方は覚えるけれど、それがいったいどういう理屈と構造で動いているのかなどということは、まったくわからないし、正直なところあまりわかりたいとも思っていません。授業でパワーポイントを使うようになったのもなんと今年になってからだし、こうやってブログを書いてちゃんと人に読まれているらしいということも、自分としてはものすごい快挙のように思っているくらいで、ITの世界がどうなっているかということは、ドがつく素人の消費者としての視点しかもっていません。それでも、(実は水村さんのつながりで)梅田さんや小飼弾さんなどのお仕事についても知ることになり、また、自分がオンライン・デーティングについての本を書いたり自分でブログをやるようになったりして、媒体としてのインターネットということについても少し考えるようになりました。ごく最近、梅田さんの『ウェブ進化論 』も読みました。というわけで、私にはこの対談はとくに興味深く、なるほどなるほど、と思って読みました。先日投稿した、私の『日本語が亡びるとき』の読みが間違っていなかったということも確認できて安心しました。
水村さんの著書での核である日本近代文学論とは話が違いますが、この対談にも出てくる、インターネットを舞台とする言論活動のコンテンツの日米での差は、私もずいぶん前から感じていることです。インターネットのテクノロジーにかけては、日本はアメリカに決して負けていない、いやむしろアメリカより進んでいるくらいなのでしょうが、私のような一般消費者が目にするウェブサイトの内容にかけては、日本はアメリカよりだいぶ遅れていると日頃から感じています。たとえば、新聞ひとつにとってもそうです。今や、アメリカの主要な新聞(ホノルル・アドヴァタイザーのような地域紙でも)はどこでも、紙の新聞に載っている記事はまるごとすべて、それどころか、紙の新聞では見られない映像やブログ、関連記事へのリンクなども含めて、無料でネットで見られるようになっています。こんなことをしたらさぞかし紙の新聞を買う人がいなくなるだろうと思いますが、それでも敢えてこのように情報を世界に公開することのほうが長期的に新聞社にとっても世の中にとってもよいと、経営者がIT革命の初期に判断して、オンラインでの広告収入などに財源をうまく移行したのでしょう。(とはいえ、最近もシカゴの大手新聞が倒産を発表したばかりですから、どこもその移行に成功しているわけではないのでしょう。)紙の活字文化に愛着がある私のような人間は、オンライン版と紙の新聞の両方を使っていますが、完全にオンライン版に移行している人はとても多いし、私がおばあさんになる頃にはもう紙の新聞は存在しないかも知れません。それでも、新聞社は、(長期の調査にもとづいた、日本の新聞にはまず見られない長文の記事を含め)質の高いジャーナリズムを提供し続け、オンライン環境を巧みに利用すれば、新たな形の報道・言論活動に進化できると信じているのでしょう。ニューヨーク・タイムズしかり、ウォール・ストリート・ジャーナルしかり(ウォール・ストリート・ジャーナルは、メディア帝王のルーパート・マードックの支配下に入って以来、テレビを初めとする他のメディアとの連携もよりしやすくなったので、よりいっそう画像などが充実しています。)。これらの新聞を見たことがない人は、だまされたと思って、ちょっと見てみてください。それにくらべて、日本の新聞のオンライン版などは、せいぜい数段落、ともするとほんの数行の記事しか出てこないし、オンラインでは見られないものもたくさんあります。(私は書評が一番読みたいのに、オンラインでは読めない!)もちろん、宣伝のために各種の企業が作っているサイトは、デザイン面でも内容面でも素晴らしいものがたくさんありますが、それは当たり前のことで、公共性・公開性をより真剣に考えるべきなのは報道機関などのメディアでしょう。アメリカでも、出版社などはやはり、情報や活字のデジタル化の加速にかなりの危機感を抱いていますが、それでも、インターネットを自分たちの産業にうまく利用しようという積極的な意欲と工夫は、日本の出版社などよりずっと進んでいると思います。大学のウェブサイトをとっても、日本の大学のサイトは、概して情報量がとても少ないです。(日本の大学に勤める教授のメールアドレスを探すのがどんなに面倒なことか!)この対談で、水村さんと梅田さんは、この状況を、「パブリックな精神」の違いとして話していますが、せっかくテクノロジーがこれだけ発達しているのだから、それを有意義に活用していくようなコンテンツの刷新も目指したらいいんじゃないかと思います。
2008年12月7日日曜日
真珠湾攻撃の記憶
ハワイ時間の今日のちょうど67年前、日本がオアフ島の真珠湾を攻撃しました。1941年12月7日の攻撃によって一般市民49人を含めて2400人のアメリカ人が死亡し、さらに1000人以上が負傷しました。現在の一般の日本人の意識のなかではこの日は特筆すべき日として記憶されていないでしょうが、アメリカの歴史の記憶においては、今でもRemember Pearl Harbor!という文句はかなり生々しいもので、20世紀の歴史のなかで刻印されるべき瞬間のひとつとして残っています。(ちなみに、11月4日のオバマ氏の勝利演説でも、「我々の港に爆弾が落とされたとき」という一節がありました。)今朝も真珠湾の戦艦アリゾナ記念館では、退役軍人などを集めて67周年記念式典が行われました。真珠湾攻撃を実際に体験した退役軍人が次々と亡くなっていき、海軍と国立公園局の主催で毎年行われるこの記念式典に参加できる人も少なくなってきています。時の流れとともに、真珠湾攻撃に関する情報や解釈も変化してゆき、平和な島を「だまし討ち」した日本へのあからさまな敵対感情もおおむね姿を消しています。また、アリゾナ記念館のビジターセンターにある、真珠湾攻撃に関する展示も、現在全面的な改装が進行中で、当時の日本の政治社会状況や一般市民の暮らし、また、真珠湾がアメリカ海軍の支配下におかれる以前の先住ハワイ民にとっての真珠湾の意味や、日系アメリカ人の第二次大戦経験などにも焦点を当てた展示に作り変えられるようです。それにしても、真珠湾攻撃が、歴史的にそして現在のアメリカでどのように記憶されてきているかということを、日本人が知っておくのは大切なことだと思います。今日のハワイの新聞を参考までにどうぞ。なお、矢口祐人『ハワイの歴史と文化』(中公新書)第二章、および矢口祐人・森茂岳雄・中山京子『ハワイ・真珠湾の記憶——もうひとつのハワイガイド』(明石書店)も参考になります。
2008年12月3日水曜日
『日本語が亡びるとき』
水村美苗さんの新著『日本語が亡びるとき——英語の世紀の中で』(筑摩書房)を二回読みました。私が自分の著書で脈絡もなく水村さんに言及するので、かねてから私が水村さんの小説すべてに深い思い入れがあることをすでにご存知のかたもいるでしょうが、『日本語が亡びるとき』は、小説ではなくて評論です。水村風に書くと、「嗚呼、私はこの本に出会うため今日まで生きてきたのだ」と両手を天に揚げて感謝したいくらい、共感を覚える本です。一回目はそれこそ寝食忘れて一気に読み、二回目は付箋をつけながら読んだのですが、これじゃあ目印の意味がないぞ、というくらい沢山付箋がついてしまいました。
インターネット上でも『日本語が亡びるとき』についてはさかんに議論がされているようで、こうした知的に重厚な本が多くの読者に読まれ議論されるということに、一種の安心感と希望を覚えるものの、ざっと見た印象では、どうも水村さんのメッセージをきちんと把握しないままごく表面的なところで会話がされているようなのが残念です。(だいたい、この本に限らず、誰かのブログで書評された本について、その本を読みもしないで書評に反応してズレたコメントを書き込む人がたくさんいるようですが、まずは自分で本を読んで自分でしっかり考えてからコメントしてほしい!と強く思います。)やや挑発的な響きのタイトルであること、そして後半がインターネット時代の英語や日本における英語教育といった話題になっていることから、飛ばして読むと、さも、英語が世界の流通語としてますます覇権を強めるなか、日本語という言語の使用そのものが衰退していく、というのが論旨のように思えるのかも知れませんが、水村さんのメッセージはそんな表層的なことではありません。もちろん、国際政治経済の流れと言語の衰勢は結びついているので(そもそも英語が世界の普遍語となったのも、歴史と政治と経済によるものですから)、日本の少子化も考えれば今後数百年のあいだに日本語を使う総人口は次第に減っていくことはじゅうぶん考えられますが、『日本語が亡びるとき』はそういうことを問題にしているのではありません。
水村さんが問うているのは、一般的な意味での「言語」としての日本語の将来ではありません。水村さんが問うているのは、「書き言葉」「読まれるべき言葉」としての日本語によって書かれる、我々が生きている日本の「現実」を描く、「日本文学」の将来です。
水村さん曰く、
英語が抽象的・普遍的なことを表現伝達するための言語として世界じゅうで流通し、より多くの「叡智を求める人」が英語で「現実」を表象するようになる過程で、日本語をはじめとする多くの「国語」は、その「普遍語」に対して二次的な位置にならざるを得ない。「英語」と「日本語」のあいだの力関係に象徴される「西洋近代」と「日本」の関係、その関係から生まれる様々な精神的文化的曲折は、明治時代から、夏目漱石を初めとする多くの日本の文豪が対峙してきた問題であり、その「西洋の衝撃」こそが、日本近代文学を生んだ。それらの作家たちは、西洋近代に直面し、いっぽうでは、感動的なまでに貪欲な知識欲をもって急速に世界を吸収し、翻訳していった。また、世界の「言語」を身につけることで、自らも世界の一員にならんとした。そのいっぽうで、そうした衝撃や曲折を含む自らの「現実」、日本の「現実」を描くため、彼らは、日本語という言葉、そして日本文学の伝統や小説という芸術形式に真剣に立ち向かった。漢文に始まって、ひらがな文、漢字カタカナ交じり文を経由し、言文一致体や文語体という、複雑多様な(日本語を知らない人が聞いたら「複雑怪奇」と形容するだろう)幾層もの伝統が折り重なって織り成された日本語を「書き言葉」として昇華させ、彼らは「日本近代文学」を生んだのだ、
と。
そもそも文学というものは、「普遍なこと」と「固有なこと」のあいだの衝突や緊張関係にこそ、その醍醐味があるのでしょう。国境や文化や時代を超えた「普遍的」なものこそが世界中の人々の心を打つ、などと陳腐なことはよく言われるけれども、「読まれる言葉」「書き言葉」としての「国語」を使って書かれた本当にすぐれた文学とは、きわめて固有な現実を描いたものです。それは、ある時代のある国のある地域のある階層に固有な現実かもしれないし、ある状況におかれた個人に固有な現実かもしれない。いずれにせよ、その現実を、その固有性にもっともふさわしい言語と形式で書き表すのが文学、と言えるでしょう。それと同時に、その固有性を共有する者たちのあいだでしか意味をもたなければ、文学として成功しているとは言いがたく、現実の固有性を失うことなくいかに普遍の言葉に翻訳するか、それが作家の課題です。普遍の概念を固有の現地語に翻訳することももちろん大変だけれど、固有の現実を普遍語に翻訳することはそれ以上に困難だとも言えます。普遍語が自由に使えるのであれば、固有の現実などに煩わされることなく、はじめから普遍語で世界的・抽象的な聴衆を相手に書いたほうが、よっぽど楽でもあるし、世界とのつながりをもてる。「叡智を求める人」が、そうした著述に惹かれていくのは自然なことでしょう。しかしそうしたときに、「日本文学」はどうなるか。日本語という固有の言語、日本文学という固有の伝統、先達が生み出してきた近代日本小説という素晴らしい芸術には目もくれず、自分の内面の自己表現としてだけ小説を書く人ばかりが「日本文学」を担うようになったら、「日本語」はどうなるのか。それが水村さんの叫びなのだと思います。
この本を読んだ上で、ふたたび水村さんのこれまでの著作のそれぞれ『續明暗』『私小説 from left to right』『本格小説』を読み直したり考え直したりしてみると、またずっと違ったレベルでその醍醐味が味わえます。
みなさん、是非とも自分でゆっくり読んで自分でじっくり考えていただきたいですが、以下、とくに私が「嗚呼」と叫びたくなる箇所を数点だけ抜粋します。
アメリカの大学に身を置き、英語で学問をしている身として、そしてまた、英語と日本語の両方で執筆活動をしている身として、そして、「普遍のこと」と「固有のこと」ということについて常に考えざるをえない身として、本当に考えさせられます。
インターネット上でも『日本語が亡びるとき』についてはさかんに議論がされているようで、こうした知的に重厚な本が多くの読者に読まれ議論されるということに、一種の安心感と希望を覚えるものの、ざっと見た印象では、どうも水村さんのメッセージをきちんと把握しないままごく表面的なところで会話がされているようなのが残念です。(だいたい、この本に限らず、誰かのブログで書評された本について、その本を読みもしないで書評に反応してズレたコメントを書き込む人がたくさんいるようですが、まずは自分で本を読んで自分でしっかり考えてからコメントしてほしい!と強く思います。)やや挑発的な響きのタイトルであること、そして後半がインターネット時代の英語や日本における英語教育といった話題になっていることから、飛ばして読むと、さも、英語が世界の流通語としてますます覇権を強めるなか、日本語という言語の使用そのものが衰退していく、というのが論旨のように思えるのかも知れませんが、水村さんのメッセージはそんな表層的なことではありません。もちろん、国際政治経済の流れと言語の衰勢は結びついているので(そもそも英語が世界の普遍語となったのも、歴史と政治と経済によるものですから)、日本の少子化も考えれば今後数百年のあいだに日本語を使う総人口は次第に減っていくことはじゅうぶん考えられますが、『日本語が亡びるとき』はそういうことを問題にしているのではありません。
水村さんが問うているのは、一般的な意味での「言語」としての日本語の将来ではありません。水村さんが問うているのは、「書き言葉」「読まれるべき言葉」としての日本語によって書かれる、我々が生きている日本の「現実」を描く、「日本文学」の将来です。
水村さん曰く、
英語が抽象的・普遍的なことを表現伝達するための言語として世界じゅうで流通し、より多くの「叡智を求める人」が英語で「現実」を表象するようになる過程で、日本語をはじめとする多くの「国語」は、その「普遍語」に対して二次的な位置にならざるを得ない。「英語」と「日本語」のあいだの力関係に象徴される「西洋近代」と「日本」の関係、その関係から生まれる様々な精神的文化的曲折は、明治時代から、夏目漱石を初めとする多くの日本の文豪が対峙してきた問題であり、その「西洋の衝撃」こそが、日本近代文学を生んだ。それらの作家たちは、西洋近代に直面し、いっぽうでは、感動的なまでに貪欲な知識欲をもって急速に世界を吸収し、翻訳していった。また、世界の「言語」を身につけることで、自らも世界の一員にならんとした。そのいっぽうで、そうした衝撃や曲折を含む自らの「現実」、日本の「現実」を描くため、彼らは、日本語という言葉、そして日本文学の伝統や小説という芸術形式に真剣に立ち向かった。漢文に始まって、ひらがな文、漢字カタカナ交じり文を経由し、言文一致体や文語体という、複雑多様な(日本語を知らない人が聞いたら「複雑怪奇」と形容するだろう)幾層もの伝統が折り重なって織り成された日本語を「書き言葉」として昇華させ、彼らは「日本近代文学」を生んだのだ、
と。
そもそも文学というものは、「普遍なこと」と「固有なこと」のあいだの衝突や緊張関係にこそ、その醍醐味があるのでしょう。国境や文化や時代を超えた「普遍的」なものこそが世界中の人々の心を打つ、などと陳腐なことはよく言われるけれども、「読まれる言葉」「書き言葉」としての「国語」を使って書かれた本当にすぐれた文学とは、きわめて固有な現実を描いたものです。それは、ある時代のある国のある地域のある階層に固有な現実かもしれないし、ある状況におかれた個人に固有な現実かもしれない。いずれにせよ、その現実を、その固有性にもっともふさわしい言語と形式で書き表すのが文学、と言えるでしょう。それと同時に、その固有性を共有する者たちのあいだでしか意味をもたなければ、文学として成功しているとは言いがたく、現実の固有性を失うことなくいかに普遍の言葉に翻訳するか、それが作家の課題です。普遍の概念を固有の現地語に翻訳することももちろん大変だけれど、固有の現実を普遍語に翻訳することはそれ以上に困難だとも言えます。普遍語が自由に使えるのであれば、固有の現実などに煩わされることなく、はじめから普遍語で世界的・抽象的な聴衆を相手に書いたほうが、よっぽど楽でもあるし、世界とのつながりをもてる。「叡智を求める人」が、そうした著述に惹かれていくのは自然なことでしょう。しかしそうしたときに、「日本文学」はどうなるか。日本語という固有の言語、日本文学という固有の伝統、先達が生み出してきた近代日本小説という素晴らしい芸術には目もくれず、自分の内面の自己表現としてだけ小説を書く人ばかりが「日本文学」を担うようになったら、「日本語」はどうなるのか。それが水村さんの叫びなのだと思います。
この本を読んだ上で、ふたたび水村さんのこれまでの著作のそれぞれ『續明暗』『私小説 from left to right』『本格小説』を読み直したり考え直したりしてみると、またずっと違ったレベルでその醍醐味が味わえます。
みなさん、是非とも自分でゆっくり読んで自分でじっくり考えていただきたいですが、以下、とくに私が「嗚呼」と叫びたくなる箇所を数点だけ抜粋します。
当時(吉原注・漱石の時代)の日本の知識人が大学の外へと飛び出したのには、先にも触れたように、さらにもう一つ別の動機があった。それは、大きな翻訳機関でしかない大学に身をおいていては、自分が生きている日本の<現実>を真に理解する言葉をもてないということにほかならない。また、自分が生きている日本の<現実>に形を与えてほしい読者の欲望に応えることができないということにほかならない。実際、学問=洋学の場では、日本とは何か、日本にとっての西洋とは何か、アジアなどというものが果たして存在するのか、そもそも近代とは何かなど、日本人が日本人としてもっとも切実に考えねばならないことを考える言葉がない。「西洋の衝撃」そのものについて考える言葉がない。日本人が日本人としてもっとも考えねばならないことを考えるためには、大学を飛び出し、在野の学者になったり、批評家になったり、さらには、小説家になったりする構造的な必然性があったのである。
自分の<現実>——それは、過去を引きずったままの日本の<現実>である。
いうまでもないが、そのような<現実>はたんにモノとしてそこに物理的に存在しているわけではない。人間にとっての<現実>は常に言葉を介してしか見えてこないものだからである。西洋語を学んだ当時の日本人にとって、当時の日本の<現実>は、西洋語からの翻訳ではどうにも捉えられない何かとして意識され、そうすることによって、初めて見えてきたものであった。(218)
それにしても、まさに漱石が言う「曲折」を強いられた結果、何とおもしろい文学が生まれたことか。
日本が近代以前から成熟した文学的な伝統をもっていたおかげ——まさに、漢文も含めた長い文学の伝統、しかも、市場を通じて人々のあいだに広く行き渡っていた文学の伝統をもっていたおかげである。日本の文学は、「西洋の衝撃」によって、<現実>の見方、そして、言葉そのもののとらえかたに「曲折」を強いられた。世界観、言語観のパラダイム・シフトを強いられた。だが、日本の文学はその「曲折」という悲劇をバネに、今までの日本の<書き言葉>に意識的に向かい合い、一千年以上まえまで遡って、宝さがしのようにそこにある言葉を一つ一つ拾い出しては、日本語という言葉がもつあらゆる可能性をさぐっていった。そして、新しい文学として生まれ変わりながらも、古層が幾重にも重なり響き合う実に豊かな文学として花ひらいていったのである。(225−226)
この先、アリストテレスでさえ英語で流通するようになるとき、もし英語で書くことができれば、いったいどの学者がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
いや、もし英語で書くことができれば、学者のみならず、いったい誰がわざわざ<自分たちの言葉>で書こうとするであろうか。
<学問の言葉>が英語という<普遍語>に一極化されつつある事実は、すでに多くの人が指摘していることである。だが、その事実が、英語以外の<国語>に与えうる影響にかんしてはまだ誰も真剣に考えていない。<学問の言葉>が<普遍語>になるとは、優れた学者であればあるほど、自分の<国語>で<テキスト>たりうるものを書こうとはしなくなるのを意味するが、そのような動きは、<学問>の世界にとどまりうるものではないのである。<学問>の世界とそうではない世界との境界線など、はっきりと引けるものではないからである。英語という<普遍語>の出現は、ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、<叡智を求める人>であればあるほど、<国語>で<テキスト>を書かなくなっているのを究極的には意味する。
そして、いうまでもなく、<テキスト>の最たるものは文学である。(252−253)
アメリカの大学に身を置き、英語で学問をしている身として、そしてまた、英語と日本語の両方で執筆活動をしている身として、そして、「普遍のこと」と「固有のこと」ということについて常に考えざるをえない身として、本当に考えさせられます。
2008年12月1日月曜日
オンライン・デーティング・コーチ
夕暮れ時にジョギングに行くために車を運転していたら(ジョギングに行くのに車で行く、というのもなんですが、うちの周りはあまりジョギングに適さないので、車でアラモアナ公園という海辺の公園まで行って、その公園のなかを30分くらい走り、また車で戻ってくるのです)、ナショナル・パブリック・ラジオ(『現代アメリカのキーワード』231-235頁参照)でオンライン・デーティングについてのコーナーが始まったので、聞き終わるまで駐車場でしばらく座ったままになってしまいました。(ナショナル・パブリック・ラジオを聞いていると、よくそういうことがあります。)それによると(ナショナル・パブリック・ラジオの番組は、内容も文章もとても良質なので、英語のヒアリングの勉強によいと思います。サイトに行ってListen Nowをクリックすれば聞けますので、よかったら聞いてみてください)、オンライン・デーティングのコーチというものを職業にしている人がいるらしいです。異性の関心をひくためにはプロフィールにどんなことを書くのがよいか、プロフィールを読んでいる人にはどんな決まり文句が陳腐に思えるか、どんな写真はどんなタイプの人の関心をひくか、といったことまで、オンライン・デーティングの指導をするんだそうです。聞いてみると、アドバイスの内容は、私が『ドット・コム・ラヴァーズ』や『新潮45』で書いていることととくに変わらないので、私もサイドビジネスとして、このコーチをやったら、株価が下がって減ってしまった403b(公務員用の401k)のぶんくらいは取り戻せるだろうと、強く思いました。それにしても、オンライン・デーティングは普及とともにますますマーケットの特化が進んでいるらしく、ベジタリアンのためのデーティング・サイトとか、億万長者のためのサイトとか、農業に従事する人のためのサイトとかがあるらしいです。ふーむ。
今月18日発売の『新潮45』では、「恋愛単語で知るアメリカ オンライン編」として、オンライン・デーティングで頻出する単語や表現について解説しますので、どうぞお楽しみに。
2008年11月29日土曜日
Proposition 8 投票分析
アメリカは木曜日がサンクスギヴィングの休日でした。友達の家でのパーティを2軒はしごして、たくさん七面鳥を食べました。これからクリスマスにかけて本格的なショッピングシーズンですが、不況がどれだけ消費者の財布のひもに影響するのか、注目されるところです。
というわけで、同性婚の合法化を提唱する活動家は、黒人人口、とくに黒人女性の支持をとりつける努力をするべきだ、との論旨です。その過程で、同性婚の権利を異人種間結婚(アメリカの多くの州では、20世紀後半にいたるまで、法律上は異人種間の結婚が禁じられていた)にたとえて議論を進めるのは得策ではない。非黒人男性と結婚する黒人女性の割合は、非黒人女性と結婚する黒人男性のほぼ三分の一であることにも見られるように、多くの黒人女性は、黒人が非黒人と結婚することに否定的であるからだ。また、聖書の内容について議論しようとするのも得策ではない。信仰というのは論理で成り立っているものではないからだ。そして、過ぎ去った時代の性的道徳を、現代の性文化に適用することの危険性について、より広い観点から議論するべきだ。とのこと。
同性愛に否定的な黒人人口の態度は、同性婚の合法化のほかにも、深刻な影響があるとBlow氏は指摘しています。同性愛が間違っているとの道徳観のもとで育った黒人のうち、それでも同性愛指向をもつ人は、きわめて危険な性行為に走りがちで、黒人人口におけるH.I.V.の流布に結びつく。実際、H.I.V.に感染した女性のうち、自分の性パートナーがバイセクシュアルであるということを知っていたのは6%で、同じ立場の白人女性の14%という数字の半分以下である、と。
敬虔なキリスト教信者がみな保守的であるわけでもないし、聖書にもとづいた神学的分析と現代の文化や社会問題をめぐる真剣な議論がまったく対立するわけでもないので(私の同僚にも、カトリック神学の学位をもつレズビアンで、宗教とセクシュアリティについての研究や授業をしている、人間としても学者としてもとても立派な女性がいます)、Blow氏の論には100%賛成はしかねますが、こうした論説からは、アメリカにおいて、人種・宗教・セクシュアリティといった軸が、実に複雑に絡み合っていることはよくわかります。
2008年11月25日火曜日
幸せな結婚の鍵はセックスにあり
昨日、ホノルルに戻ってきました。気温は25度で青空です。気候の面での暮らしやすさは、ハワイに勝るところは世界にもなかなかないでしょう。歳をとるにつれて飛行機での旅や時差への対応が辛くなってくるので、すぐに仕事に戻るのはなかなかしんどいですが、今日は、学部の女性史の授業では中絶問題についてのディベート、大学院の授業ではGeorge ChaunceyによるGay New York (1994)という第二次世界大戦以前のニューヨークにおける「ゲイ」男性の世界についての研究書についてディスカッションと、なかなかヘヴィーな仕事の日でした。ちなみにGay New Yorkは、圧倒されるような膨大な調査にもとづいた重厚な書ですが、社会史の醍醐味というものを教えてくれる、素晴らしい一冊です。理論的な問題は扱ってはいるものの、文章はとても読みやすいので、興味のあるかたはぜひどうぞ。
ところで、今日のニューヨーク・タイムズに、ずばり「幸せな結婚の鍵はセックスにあり」という意味の記事があります。(この記事が、今日のタイムズ紙オンライン版の「最も人気のある記事」となっているところがまた笑えます。)テキサス州にある福音教会(教会には約3千人の人々が通い、礼拝はテレビモニターを通じてより広範囲の人々に流される、いわゆる「メガ・チャーチ」のひとつ)の牧師で、テレビ番組のホストでもあるエド・ヤング氏が、教会に通う夫婦たちに、夫婦の絆を強めるために、一週間毎日欠かさずセックスをすること、そしてそれをずっと続けることをすすめている、という話です。セックスとは神様が生み出したものなのだから、けっして恥じることはない、よい性生活を送ることは、神によりよく仕えることでもある、とのメッセージを、聖書を手にユーモアをまじえて力説するらしいです。仕事の疲労、日常生活のストレス、子供の世話などを理由に、だんだんとセックスの頻度が低下する夫婦が多いなか、気分が乗らなくてもとにもかくにも毎日セックスをすることで、夫婦の精神的intimacy(『新潮45』11月号140頁参照)も強まる、とのこと。実験的に365日間毎日セックスをした夫婦の体験記365 Nights: A Memoir of Intimacyも最近話題になっていましたが、目標を決めてせっせと真面目に実践するひたむきさが、なんともアメリカ人らしいです。でも、せっせと真面目に実践ということにかけては、日本人は一段と得意ですし、最近日本では本当にセックスレス・カップルが多いようなので、日本のみなさんも、ちょっと試してみたらいかがでしょう。
ちなみに、『新潮45』は連載2回目(今回は「恋愛単語で知るアメリカ 応用編」として、「お手軽な関係と真剣な関係」というトピックです)の12月号も現在発売中ですので、どうぞよろしく。
2008年11月22日土曜日
おくりびと
東京も秋から冬にさしかかっていることが感じられるものの、ソウルと比べるとずっと暖かいです。私が宿泊している東大駒場のキャンパスは、今銀杏並木がとてもきれいで、ハワイでは見られない色合いを堪能しています。今週末、キャンパスは駒場祭です。その昔、クラスのみんなと、かっぱ橋で道具を買い、徹夜で下ごしらえをして、おでん屋さんをやったのを懐かしく思い出します。(ちなみに、今ではいろいろな規制があって、戸外のテントで夜を明かすなんていうことは、もうできないらしいです。)
仕事のミーティングや友だちと会ったりなど、もりだくさんの3日間を送っています。先日は、白河桃子さんとの対談もありました。ご参加いただいたメディア関係のかたがた、また、わざわざ私の顔を見るために来てくださったファンのかた、どうもありがとうございました。
日本に帰ってくるたびに、いろんな感想をもちますが、今回とくに印象に残ったこと。(1)日本のサラリーマンがカッコ良くなったこと。表参道のあたりにいる男性がお洒落なのは当然としても、丸の内とか新宿とかで飲んでいる、また電車に乗っている「普通」のサラリーマンが、5年、10年前と比べてあきらかにカッコ良くなっていると思います。バブルの時代に学生生活を送ってお洒落を学んだ世代が働き盛りになったからなのか、日本人男性の体型に合ったカッコいいスーツが出回るようになったからなのか、それとも不況だからこそ張り切って活き活きと仕事をしている人たちが多いからなのか、理由はわかりませんが、とにかくカッコよく見えるサラリーマンが増えたのは確かです。(2)仕事でお会いする人たちの多くが、自分とほぼ同い年であること。ちょっと前までは、なにもわからない自分が、ベテランに仕事を教えていただく、というパターンだったのに対して、年齢においてもキャリア段階においても、自分と同じくらいの人たちと一緒に仕事をすることが多くなりました。私の世代の人たちが、一通り仕事のやりかたを覚えて、自分で新しい企画を作ったりさまざまな判断をしたりする立場になったということでしょう。同年代の人たちと一緒にものを作っていくということは、とても嬉しいことです。(3)日本には、服とか食器とかにおいては本当に洗練された素敵な色彩がふんだんにあるのに、なぜか、看板とか、ウェブサイトとか、一般家庭のインテリアとかにおいては、やたらと趣味の悪い色使いが多いこと。他の部分にあれだけお金をかけるんだったら、安っぽくのっぺりとした真っ白の壁をもうちょっと素敵な色に塗り替えたらいいんじゃないかと思うことがよくあります。(私は半年前に、ハワイの自分のマンションの各部屋の壁のペンキを塗り替えたので、どうも敏感になっているようです。)
昨日の午後は、滝田洋二郎監督の「おくりびと」を観てきました。なかなかいい映画だと思いました。アメリカでは、Six Feet Underという、葬儀屋の家族を舞台にしたケーブルテレビドラマがヒットしていましたが、チェロ奏者としての仕事を失った主人公が納棺師の修業を積む「おくりびと」も、テーマとしては似通った部分があります。自分や同年代の友だちの親の病気や介護、死などが身近に増えてくるにつれ、死ということについて考えることも多くなってきたので、とても興味をもって観ました。納棺師を演じる山崎努と本木雅弘は、人類がなぜこんなにややこしい儀式というものを生み出しご丁寧に実践し続けるのかということを、美しく伝えていると思います。また、故人の生前の生きかた、家族のありかた、そしてなんといっても経済力によって、いろんな死の迎えかたや送られかたがあるのと同時に、個々の状況にかかわらずすべての人に尊厳のある旅立ちを提供する納棺師のありかたに、心打たれます。自分が死んだらこういう人に納めてもらいたいと、私も思いました。
日本の人の多くには「いかにもアメリカ的な感想だ」と言われそうですが、私には、妻が納棺師という仕事に理解を示さないときに、なぜ主人公は、自分がなぜこの職業が尊く大事なものだと思うかということを、もっと言葉でしっかり説明しようとしないのかということが不可解でした。ナレーションで主人公は、とても明確にそして美しく、納棺師の仕事の性質を描写しているのに、なぜ、自分が一番大切にしている相手にそれを説明する努力をしないのか。この物語のなかでは、最後に妻が夫の仕事を見る機会があるからこそ、理解と愛情とサポートを抱くようになるものの、多くの夫婦は、お互いの仕事の現場を見ることはあまりないでしょう。そして、多くの仕事は、同業者以外にはなかなか理解されないものでもあるでしょう。だからこそ、仕事が自分の人生のなかで大きな部分を占めている人は、なぜ自分がそれほどのこだわりと情熱をもってその仕事に多くの時間とエネルギーを注ぐのか、その仕事のなにが面白くてなにが大変なのか、仕事を通じて自分がどんなことを感じたり考えたりするのか、ということを、恋人や結婚相手に伝える努力をすることは、大事じゃないかと思います。
もうひとつは、私はMusicians from a Different Shoreのリサーチ・執筆を通して、食べて行けない(あるいは食べて行けなくなる可能性のある)クラシック音楽家たちと数多く接してきて、今ハワイで一番の仲良しも、今にも倒産しそうなホノルル・シンフォニーの音楽家たちなので(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」と「マイク」)、この映画の主人公が、プロのチェロ奏者で、やっと職を得たオケが解散になってしまうという設定にとても興味をもちました。が、プロのオケの職を得るような人は、幼少の頃から毎日何時間も厳しい練習を積み、それまでの人生のすべて本当に音楽ばかりできたような人なわけで、そうした人が、やむをえず音楽の道を去るという選択や状況には、普通の人にはちょっと想像できないような苦悩があります。そのあたりをもうちょっと深く描かれていたらよかったのになあとも思いました。
が、全体としては、いい映画だと思いました。前回帰国したときは、「歩いても歩いても」(私は是枝裕和監督の作品はどれも大好きです)と「ぐるりのこと」を観ました。日本映画もとてもいいものがあるなあと思いますが、昨日の上映館は、土曜日の昼間の有楽町だというのに、悲しくなるほどガラガラで、日本の映画界は厳しいんだなあとも思いました。なにしろ日本は映画に行くのは高いですから、一般消費者の足が遠のくのもしかたないかもしれませんね。
2008年11月19日水曜日
ソウルより
今、ソウル空港から成田に向かうところです。ほんの数日間の滞在でしたが、初めて訪れるソウルはとても興味深かったです。私は日本以外のアジアを訪れたことは恥ずかしいほど少ないのですが、行くたびに、いかに自分の世界観が日本とアメリカという二項対立の構図で成立しているかということを痛感します。言葉もまったくできず、数日間の滞在でなにを見たとも言えませんが、少なくともごく表面的な印象では、街のつくりとか空間の感覚(信じられないほど細い道にところせましと民家や商店が混在して立ち並んでいるところなど)において日本の街と共通する部分が多く(そしてそれらはアメリカやヨーロッパとはまるで違う)、東アジア文化圏というものの存在を感じます。
でも、それよりなにより、私にとって興味深いのは、出会った人たちです。今回の訪問は、梨花女子大学で開催されたTranscultural Studies in the Pacific Eraというテーマのシンポジウムに出席するのが目的だったのですが、そこに集まった20名ほどのアメリカそしてアジアの研究者や、進行の裏方をつとめていた梨花女子大学の大学院生たちとの出会いには、いろいろ考えさせられるものがありました。現代の韓国は、日本とくらべてずっと意識が外に向いていて、ミドルクラス、とくに学者のような知識層は、誰も彼もみなアメリカを初めとする海外に留学するので、シンポジウムのホストであった梨花の英文科の教授たちも、一人残らずすべてアメリカやイギリスで博士号をとった人たちです。韓国の知識層の留学熱は、アメリカの大学に身を置いている私は以前から知っていたので、このこと自体にはとくに驚きませんでしたが、なんだか不思議な気持ちにさせられたのは、彼らがみななんの不自由なく英語を操るだけでなく、社交のスタイルからいわゆるボディー・ランゲージにいたるまでが、とてもスムーズにアメリカ的であることです。英米文学・文化の専門家たちの集まりですから、英語が共通語であるのは当然といえば当然ですし、アメリカ、日本、台湾、シンガポール、フィリピンなどの研究者たちのあいだの唯一の共通言語は英語なのは、そう不思議はないかもしれません。そしてまた、そうした人々のほとんどがアメリカやイギリスで教育を受けたことがあるからといって、彼ら(私自身を含めてですが)の社交スタイルを「アメリカ的」であると形容するのは、それ自体がアメリカ中心的な見方かもしれません。それでも、私はちょうど、私がかねてから深く敬愛する水村美苗さんの新著『日本語が亡びるとき』を読んで、普遍語としての英語、そしてそれがもたらす国語や文学へのインパクトということについて考えている最中なので(『日本語が亡びるとき』についてはまた後でゆっくり書きます)、うーむと考え込んでしまいました。Transcultural Studies in the Pacific Eraといったテーマを、英語を共通言語として、アジアやアメリカの学者たちが論じるということは、歴史的・便宜的なこと以上に、言説の境界をある程度規定することでもあります。人文学系の学術的な議論は、postcolonialismとかtransgressionとかcomplicityとかhybridityとかいったキーワードをつなげていけば、内輪の人間のあいだでは、実際はそれほど目新しいことを言っていなくてもなんだか会話が進んでいくものですが、そうしたことを超えて、英語やアメリカといった媒体を経由してこうした人間たちが交流することの意味は、もっとじっくり考えるべきだと思います。
そしてまた、こうした場で交流する人たちの多くは、それぞれの国の知識層であるばかりでなく、いわゆるコスモポリタンな経験と感覚をもった人たちです。今回の20名ばかりのなかにも、台湾で生まれアフリカで育ちイギリスで教育を受けた人とか、エチオピアとアメリカで育った韓国人とか、南アフリカ文学を研究する韓国系アメリカ人とか、そういった面白い背景の人たちがたくさんいます。彼/彼女たちは、外交官やビジネスマンや学者を親にもつ人たちです。こうした社会階層の人たちのあいだの、hybridityだのidentityだのいう会話には、独特なものがあります。文学研究者が中心だったということが、より経済的・政治的・法的な構造の話が驚くほど少なかったことと関係しているのかどうかわかりませんが、「うーむ、なんだかなー」と思わされたことは事実です。
ソウルは私の滞在中、連日氷点下の寒さで、ハワイの気候に慣れた私は死にそうな思いでした。空港の周りは雪です。東京もだいぶ寒くなってきているとは聞いていますが、これと比べたらさぞ暖かく感じられるでしょう。では、搭乗します。
2008年11月14日金曜日
Ruth Ozeki
昨日、ホノルルを訪問中の小説家・ドキュメンタリー映画監督のRuth Ozekiさんの講演に行ってきました。私は、彼女の小説 My Year of Meats (1998)を分析した論文の査読を頼まれたことがきっかけで、最近になってこの小説を読んだのですが、設定、登場人物、筋の展開、そして文章の技巧からなにからたいへん気に入って、途中からは本当に寝食忘れて読みふけりました。日米文化、そしてジェンダーや家庭といったテーマからしても私の関心にぴったりなのですが、なんといっても私が一番感心したのは、鋭い社会批評と、ユーモラスで人間的で読者を引き込む語りの両方を、見事なバランスで同時に達成していることです。アメリカの、とくにマイノリティの作家による小説は、人種差別をはじめとする社会の不均衡をえぐることや、小説を通じて自らのアイデンティティを模索するということが先にたって、えてして頭でっかちだったり説教臭かったりして、ストーリーとしては面白みの欠けることも少なくないのですが、Ruth Ozekiの作品は、綿密なリサーチに基づいた社会批評(My Year of Meatsはアメリカの牛肉産業の日本進出を背景に、現代アメリカの食糧産業に代表される資本主義の構造や、商業メディアのありかたを鋭く描いています)と、斬新で楽しめるストーリーテリングの両方を、見事に達成しているのです。彼女の講演も、彼女の作品のそうした特徴がそのまま出ていて、45分間ほど、鋭く、明晰で、面白く、可笑しく、大事な情報にあふれ、優しく、真摯な話(白人アメリカ人の父と日本人の母をもつ自分のバックグラウンドの話に始まって、小説のテーマでもある工場的農業やGM作物の問題から、オバマ大統領誕生の話までを、「ハイブリッド」というテーマでつなげる、見事な講演でした。いかにも無理してつなげたように聞こえるかも知れませんが、本当にちゃんと深い分析と論旨が一貫しているのです)で聴衆をすっかり魅了しました。このように全国各地を講演してまわる作家は、どこに行っても同じ講演を繰り返す人も多いのですが、彼女の場合は、ハワイの聴衆のためにきちんと考えて原稿を書いてきたことが明らかでしたし、講演の前後に私たちファンともとてもフレンドリーに会話をして、性格的にもとてもいい人であることが伝わってきて、私はすっかり大ファンになってしまいました。講演を聞いてこれほど感動するというのも、なかなかないものです。私は彼女のAll Over Creation (2003)はまだ読んでいないのですが、一刻も早く読もうと思いました。というわけで、おススメです。My Year of Meatsは翻訳も出ているようですので、是非どうぞ。
私は明日の朝、ソウルに出発します。梨花女子大学でのシンポジウムに参加するために行くのですが、韓国に行くのは初めてなので、張り切っています。その後、日本に行くのも楽しみです。夏休み以外に日本に行くことはまずないので、秋の気候と食べ物も楽しみです。
2008年11月10日月曜日
婚活対談 11/21(金)
来週仕事でソウルに行くついでに、帰りに数日間東京に寄ることにしました。東京滞在中、日本match.comの主催で、白河桃子さんと対談することになりました。ご存知のかたも多いと思いますが、白河さんは山田昌弘氏との共著『「婚活」時代』を初めとして、未婚晩婚、少子化などについて数多くの著書のあるジャーナリストです。今回は、「婚活対談〜日米の恋愛・結婚事情」というトピックでお話しすることになりました。メディア関係のかたの取材も受けつけますが、その他一般のかたにご来ていただいても結構です(と思います)ので、興味のあるかたはどうぞ。
11月21日(金)17時〜19時
パレスホテル(千代田区丸の内1−1−1)パレスビル3F 3−D室
お問い合わせのかたは、マッチドットコムジャパン、japanpress@match.comまでお願いいたします。
2008年11月7日金曜日
大統領選以外の選挙結果
首席補佐官も決まり、当選後最初の記者会見もして、オバマ政権への移行準備は早速始まっています。選挙後も株式市場はまた下落し、失業率はさらに高まって、経済状況は実に暗いので、これからの4年間、オバマ政権への課題は本当に大きいです。
オバマ氏当選に世界の注目が集まっているのは自然なことですが、今回の選挙には大統領選以外にもいろいろな側面がありました。前回の投稿でも言及した、同性婚を禁じるカリフォルニア州の住民投票Proposition 8は、52%の票を得て通過しました。カリフォルニアの他にも、フロリダとアリゾナの2州ではより大きな票差で同様の住民投票が通過しました。この結果、40以上の州で同性婚をはっきりと禁じる法律ができ、同性愛者が合法に結婚できるのは、マサチューセッツとコネチカットの2州のみとなりました。カリフォルニアでは、既婚者と同様のさまざまな権利を認めるシヴィル・ユニオンは今後も継続されますが、アリゾナとフロリダではそれも認められません。カリフォルニア州では、黒人投票者のうち70%、ラテン系投票者の過半数がProposition 8可決に投票した(つまり同性婚合法化に反対した)という結果が出ています。全国の黒人投票者の95%、ヒスパニック系投票者の67%はオバマ氏に投票したというデータと合わせて考えると、「リベラル」「保守」といったラベルが、決して人種・経済・国際関係といった軸でだけきれいに整理できるわけではないことがよくわかります。
ほかにも、選挙前はほとんど知られていませんでしたが、フロリダ州では、アジア系アメリカ人への差別の歴史を払拭するための憲法改正についての住民投票が否決されました。これはなかなかややこしい歴史的背景があるのですが、要は、20世紀前半に、日本などアジアからの移民が土地を買い占めるのではないかとの懸念から、帰化不能な外国人(当時はアジア人移民にはアメリカ国民に帰化する権利がありませんでした)は土地を所有できないという法律ができたままになっていたものを、アジア人への差別を取り除くために憲法を修正する、というイニシアティヴでした。ところが、投票用紙に記載されたイニシアティヴ自体の表現が不明瞭だったこともあり、とくに非合法移民の流入を恐れる住民の多いフロリダでは、「非合法移民が国民と同じ『権利』をもつのは間違っている」と主張する人々が多く、このような結果が出ました。
そのいっぽうで、中絶により厳しい制約を加えることについては、カリフォルニア・コロラド・サウスダコタの3州すべてで住民が反対しました。マリファナの少量の保持を犯罪でなくすることについてはマサチューセッツで可決、マリファナの医療用の使用はミシガンで可決しました。人種や性に関するアファーマティヴ・アクションを州のプログラムから取り除く、という住民投票は、コロラドではごく僅差で否決、ネブラスカでは通過しました。といったように、オバマ氏に投票した人たちのなかでも、さまざまな問題については大きく立場が分かれています。なにしろ、大統領選そのものをとってみても、州ごとに与えられた選挙人数という特殊な制度をとっているからこそ、オバマ氏とマケイン氏のあいだには倍以上の差が出ましたが、直接選挙制度であれば、52%と46%の差でしかないわけで、それぞれの州のなかでも、またアメリカ全体のなかでも、イデオロギーや社会文化的価値観をめぐってたくさんの分断があります。アメリカの「統一」をかかげて勝利にいたったオバマ氏が、どうやってそれを実現していくか、期待が高まるいっぽうです。それにしても、オバマ氏の勝利演説のなかの、I will listen to you, especially when we disagree.という一文がとくに印象的でした。恋人や結婚相手にも、そう言ってもらいたいですね。(まず自分が言うことから始めたほうがいいでしょうかね。笑)
2008年11月5日水曜日
オバマ大統領のアメリカを前に
昨晩は意外に早く大統領選の結果が出て、ハワイ時間で夜8時には一通り感動と祝福の波が過ぎたものの、その後も12時近くまで、皆でテレビの分析や他の選挙結果を見たりしながら騒いでいました。オバマ氏勝利が決まった瞬間は、みんなで涙を流しながら抱き合って歓声を上げ、その後、シャンペンを飲み、手を握り合ってテレビを見ながら、それぞれが携帯電話で世界各地の家族や友達と祝福しあっていました。私にも、アメリカ本土からも日本からも、友達が電話やメールを即座に送ってくれて、この歴史的な瞬間を共有できたこと、とても嬉しく思っています。テレビに映された、アメリカ各地でニュースを聞いて老弱男女が涙しながら歓喜をかみしめている姿が本当に感動的で、オバマ氏の勝利演説を聞きながら涙を流しているジェシー・ジャクソン氏の姿はとくに印象的でした。
アメリカの中産階級や労働者階級の人々の生活の現実についての理解、大恐慌につながると一部では言われている経済危機への対応、イラクとアフガニスタンの戦争をふくめ国際情勢についてのビジョンなど、オバマ氏を勝利へと導いた要素はたくさんあると思いますが、なかでもやはり決定的だったのは、人種問題への取り組みかたと、一般市民のボランティアや献金を底力とする草の根のキャンペーン活動の成功だと思います。
「初の黒人大統領」とはいっても、「黒人」としてのオバマ氏のバックグラウンドやアイデンティティはとても複雑です。ケニア人の父親とカンザス出身の白人の母のもとに生まれ、ハワイとインドネシアで育った彼は、アメリカ南部、あるいはinner cityとよばれる、貧困や犯罪の集中した各地の都市部で暮らす黒人とは、「黒人」として経験してきていることも「黒人コミュニティ」との関係もかなり違います。彼が大統領選に立候補した当初は、黒人コミュニティのあいだからも、「黒人」としての彼のアイデンティティを疑問視する声もありました。キャンペーンの過程でそうした声は次第になくなりましたが、そのいっぽうで、現在のアメリカでは、自分の黒人としてのアイデンティティや人種問題を前面に掲げるような政治家が大統領に選ばれることはまずないと言えます。(そうした意味で、ライト牧師の人種問題についての発言は、オバマ氏のキャンペーンにそうとう大きな危機をもたらしました。その直後に、オバマ氏が有名な「人種演説」をしたのは、とても示唆的でした。)そうした状況のなかで、オバマ氏のキャンペーンは、人種問題をあえて避けることなく、黒人やヒスパニックなどのコミュニティの支持を確保しながら、自分は「黒人代表」「有色人種代表」なのではなく、一アメリカ人として、人種や階層や政党を超えた、統一したアメリカを目指すという彼のメッセージは、彼に「リベラル」とか「社会主義者」とか「過激テロリストと関係がある」とかいったラベルを貼って攻撃する共和党キャンペーンと対照的でした。それと同時に、オバマ氏の当選が、アメリカじゅうの黒人にとって、どれほど大きな意味をもつかは、説明する言葉が足りないくらいです。
そしてまた、これまで一度も政治活動に参加したこともなければ、選挙に興味をもったこともないような一般市民を、「この選挙は自分たちの将来を決定する」「自分が関わればアメリカが変わる」という気持ちにさせて、投票者登録をしたり、献金をしたり、戸別訪問をしたり、電話をかけたりといったボランティア活動に参加させる、草の根キャンペーンの力は、本当にすごいものでした。もちろん、こうした活動は、選挙運動としてはずっと昔からある古典的なものですが、今回のオバマ・キャンペーンで画期的だったのは、そうした伝統的な選挙活動と、インターネットを使った現代的なコミュニケーションの手法を実に見事に結びつけて、とくに若者層に訴えかけたことです。このブログですでに何度か言及したFacebookなどでも、この選挙への若者(Facebookを使っているのは若者だけではありませんが、基本的には若者文化の代表といっていいでしょう)の関心と熱意が明らかでしたし、MoveOn.orgといった、インターネットを使った社会運動の媒体も、実に洗練された方法で、一般市民の選挙活動参加を広げてきました。私などはまさにその手法の思うつぼで、Tシャツを買ったり献金したり、電話のボランティアをしたりしましたが、私のような人間を、歴史を変えるプロセスのごくごく一端にでも自分が参加したんだという気持ちしてくれるところが、この草の根キャンペーンのパワーです。
大統領選の結果ばかりが注目されていますが、この選挙には他にも重要な側面がいくつもあります。上院・下院ともに、民主党は席を増やし、ホワイトハウスおよび上下両院で民主党マジョリティになるのは、クリントン政権以来のことです。注目されていた、作家・批評家・左派のラジオショーホストであるミネソタ州の上院議員候補、アル・フランケン氏の選挙は、結果が僅差すぎて再集計、この投稿の時点ではまだ結果が出ていません。また、カリフォルニア州でほんの数ヶ月前に最高裁が合法とした同性愛者の結婚を違法にするという州のProposition 8も、まだ最終結果は出ていないものの、今の時点では通過しそうな気配です。というわけで、オバマ氏が当選したからといってアメリカ全体がリベラルな方向に進んでいるとは決して言えませんし、とくに経済・国際関係・環境などの面では、オバマ政権にはとても大きな課題が待ち構えています。
が、とりあえずは、新しいアメリカの到来を祝福!
2008年11月4日火曜日
オバマ大統領誕生!
やったー!たった今、マケイン氏が敗北演説をしました。間もなくオバマ氏がシカゴで演説するでしょう。私の家では、シャンペンをあけてみんなで乾杯し、涙を流しながらテレビを見ているところです。この興奮ぶりを伝えるために、ちょっと落ち着いたらまた投稿します。
2008年11月3日月曜日
大統領選最終スパート
いよいよ大統領選は明日に迫りました。私は正直言って、興奮で夜も眠れず、昼間もなにをしていても手がつかない状態なので、学校での仕事は早々に済ませて家に帰ってきて、これから最後の一押しということで、オハイオやフロリダなどの浮動州の有権者に電話をかけるボランティアをします。昨日も少しやったのですが、時差だけで5時間もある遠くにいる、赤の他人に電話をかけて話をするというのも、なんとも不思議なものです。こうした活動がどれだけ実際に効果があるのかはよくわかりませんが、なにかしていないと気がすまない、私のようは人間には、なにかしたような気持ちになれるのでちょうどいいです。最後の献金もちょっとだけ足しておきましたが、オバマ陣は私のような小口の献金が驚異的な額集まっているので、まあ、お祝いのシャンペンが一本増えるくらいでしょう。今日は大学でも、みなそわそわして、同僚とも選挙の話題にしかならない状態です。明日は、私は友達を家に集めてみんなでテレビを見ながらお祝い(だといいですが)のパーティをするのですが、知人友人の何人もが似たようなパーティをホストすると言っています。これまでの選挙は、これほどの騒ぎではなかったので、やはりとても歴史的な瞬間に立ち会っているということだと思います。
オバマ氏をハワイで育てたおばあさんが、今日の早朝亡くなったという知らせが入りました。大学から帰り、おばあさんの住んでいたアパートの建物の前を車で通りましたが、テレビのレポーターたちの他にも多くの人たちが辺りに集まっていました。あと1日で、オバマ氏が大統領に選ばれるところを見られたでしょうに、とてもお気の毒です。でも、オバマ氏のような立派な人を育てた彼女に、世界中の人々が感謝の気持ちを送っているところだと思います。
2008年11月1日土曜日
訂正 「水道屋」のジョー
先ほど投稿した「配管工のジョー」について、矢口祐人(前にも出てきましたが、私と一緒に『現代アメリカのキーワード』を編集し、また、『ドット・コム・ラヴァーズ』を書くことを私にけしかけてくれた人です)さんから指摘がありました。日本のメディアではJoe the Plumberを「配管工のジョー」と訳していますが、英語のplumber(ちなみに、bは発音しないので、「プランバー」ではなくて「プラマー」です)を「配管工」と訳すのはちょっと誤解を招くらしいです。日本での「配管工」とは、水道作業だけでなく、空調や防災用設備、下水、土木管などの大型作業もする職業であるのに対し、個人の家にやってきて水道管を修理したり移動したりする人はテクニカルに言えば「給排水設備業者」、平たく言えば「水道屋さん」だとのこと。plumberの免許も持っていないワーゼルバッカー氏は厳密に言えば本物の「水道屋さん」でもないわけですが、「配管工のジョー」というよりは「水道屋のジョー」のほうが正しいようです。日本のメディアで使われている訳を、きちんと調べもせずにそのまま使っていたこと、お詫びして訂正いたします。
配管工のジョー
いよいよ大統領選まであと3日を残すところとなりました。各党の予備選から始まってあまりにも長い選挙戦だったので、見守るほうもみなかなり疲弊気味ですが、ここ数週間の世論調査では全体としてオバマ氏優勢とは言うものの、オハイオ、ペンシルヴァニア、ミズーリなど、鍵となるいくつかの浮動州がどちらに動くかまだまだわからないので、両候補ともこの週末に最後のスパートです。オバマ氏の出身地であり、1960年代からは伝統的に民主党支持でもあるハワイでは、オバマ氏勝利は決まっているようなものなので、地元の選挙活動は州や市レベルの活動がほとんどですが、アメリカ本土での大統領選キャンペーンのための電話でのボランティアなどは、大学生などの若者も含めさかんに行われています。私も明日の日曜日、ボランティアしようと思っています。
今学期、アメリカ女性史の学部レベルの授業を教えていることは前にも書きましたが、選挙にちなんで、先週の授業では、学生たちに討論をさせました。「どちらの大統領候補が、女性にとってよりよい政策をもたらすか」というテーマで、クラスを一チーム5人ずつ、4つのチームに分けました。5人それぞれが、冒頭弁舌、質問、質問への応答、反論、結論のどれかの役を担当し、2分から5分のあいだ全員の前で話さなければいけない、という設定にしたので、もとはそれほど政治に関心のない学生も、人前で話すのが苦手な学生も含め、全員が参加しなければいけません。授業中の討論に加えて、各学生は同じトピックで800語の論説も書いて提出しなければいけません。(論説でとる立場は、討論で自分が課されたチームと違ってもよし、ということにしました。)おかげで、みなしっかりと両候補の政策やこれまでの経歴などをリサーチし、それぞれのチームは授業の外でも何度も作戦を練るためのミーティングをして、チームによっては討論の当日わざわざおそろいの服まで着て、張り切ってのぞみました。両チームとも熱弁をふるって、学生はなかなか楽しんでいたようです。準備には相当時間がかかったし、質問に即座に応えるのはとても難しくストレスフルだったけれども、こうして選挙前に両候補のことをきちんと調べて考える機会が与えられたのはとてもよかったと学生は言っていました。エヘン。
ところで、日本でも報道されているようですが、ここ2週間、大統領選の話題で注目を浴びているのが「配管工のジョー(Joe the Plumber)」。オハイオ州遊説中のオバマ氏に、オバマ氏が大統領になったら自分のような人間にとっては増税になるのではないか、と質問したことがきっかけで、オバマ氏対マケイン氏の最終討論のときに両候補に計26回も言及されて以後、世界中の注目の的になったのが、オハイオ州在住の34歳の配管工、ジョー・ワーゼルバッカー氏。話題になってから、彼は実はきちんとした配管工としての免許ももっていないこと、彼が現在勤めている従業員2人の会社を買い取ったとしても、オバマ氏の政策によると多少の増税となる年収25万ドルのラインには到達しそうもないこと、さらには、彼は本当に税金を払うのが嫌いで、既にオハイオ州に千ドル以上の未払いの税金があることなどが、世界中に露呈されています。それでも、共和・民主両党とも、「配管工のジョー」を、アメリカ国民の象徴として扱い、マケイン陣は、ワーゼルバッカー氏の自宅に運転手を送り、マケイン氏の遊説先で彼にスピーチをさせています。全国メディアからの取材が殺到して、あまりにもたいへんな騒ぎなので、ワーゼルバッカー氏はついに取材を管理するエージェントを雇ったという話です。
選挙選にはいつもいろいろな珍談がつきものですが、なぜよりにもよって配管工の一男性がここまで大騒ぎになるのか、日本の人にはわかりにくいかもしれません。もちろんアメリカの人だってかなり首をかしげるような状況なのですが、社会・文化的な要因として、「配管工」という職業が意味するものやイメージが日本とアメリカではだいぶ違う、というのもあるでしょう。日本の配管工について私はなにも知らないので、そのうちちょっと調べてみようと思っていますが、一般消費者が必要があって家に配管工事に来てもらうときにやってくる「配管工さん」というのは、概して、地域の配管工事会社の従業員で、きれいな制服を来たお兄さんまたはおじさんが、お願いした日時にきちんと現れ、「お邪魔いたします」とかなんとかあいさつをして、出されたスリッパをはいて、台所なり風呂場なり問題の箇所に行き、床が汚れないように敷物などを敷いて、てきぱきと仕事をし、作業が終わったらそのあたりをきれいにふいて、また「失礼いたしました」とかなんとか言って頭を下げて帰って行くのではないでしょうか。アメリカにだってもちろんいろんな配管工がいますが、少なくともイメージとしては、ちょっとあるいはおおいに太っているおじさんが、約束の時間よりずっと遅れてやっと現れたかと思うと、泥のついたブーツで面倒くさそうに問題の箇所に行き、「よっこらしょ」とかなんとか言ってかがむと、ずり下がったジーパンの後ろからお尻の割れ目がちょっとのぞいてしまう。そして、なんやかんやといじっていたと思ったら、「部品が足りないので今日は仕事を終えられない」とかなんとか言って、じゃあ次にいつ来てくれるのかと思ったら2週間くらい先まで空きがないと言う。そのあいだ水道は使えない。やっと2週間がたって、また約束の時間よりずっと遅れて現れた「ジョー」は、しばらくごちゃごちゃと作業をし、終わったと思ったら、「じゃあこれ」と、膨大な額の請求書を出す。なにしろそういうイメージなのです。自動車の修理工などと同じで、素人の消費者はこうした技術者にはまるで口出しも反論もできない立場なので、納得がいかないながらも請求された額をおとなしく支払う、という状況です。
とにかく、アメリカでは配管工というのは、ブルーカラーの職人、しかも仕事の依頼さえあればかなりの高収入を得られる職業、というイメージが強いのです。大きな企業に勤めるよりも自営業を目指す指向の強いアメリカの文化には、誰の指図を受けることなく、自分の腕で仕事をする、配管工のような職業を、古典的な働く男性像として賞賛する部分があります。そしてさらに、配管工というと白人労働者をイメージする人が多いのです。つまり、「配管工のジョー」は、かつてヒラリー・クリントンが主要支持基盤のひとつとしていた社会階層を象徴するような存在なのです。その「ジョー」が、すっかり共和党のアイドルになってしまったのには、数多くの皮肉があります。ノーベル経済賞受賞が決まったばかりのポール・クルーグマン氏は、実際のオハイオ州の配管工の収入についてのデータを分析して、オバマ氏の政策のほうがワーゼルバッカー氏のような人々にはずっとサポーティヴである、と論じています。
まあとにかく、「配管工のジョー」に加え、maverickだのhockey momだのdrill, baby, drillだの、今回の大統領選では、独特のキーワードがたくさん生まれています。いずれどこかで、これらの用語や表現を説明したいと思っていますので、ご期待ください。
2008年10月22日水曜日
ネット恋愛もろもろ
友達が、こういう記事を送ってくれました。いわゆるオンライン・デーティングの他にもネットを介した出会いや恋愛はいろんな形であるのは知っていましたが、なるほどこれはなかなか面白いです。飛行機や電車やエレベーターのなかで素敵な人と目があったり少し会話をしたりしたものの、名前や電話番号を聞き出す勇気や時間がなかった、しかしその相手がとても印象的で忘れられない、といったときに、インターネット・サイトを使ってその相手を探し出し、再会・交際・恋愛にいたる、というパターンが、けっこうあるらしいのです。こうやって出会って結婚したカップルの写真まで載っています。世界じゅうのいろんな街で、アパートやベビーシッター、バンドのメンバーや家具まで、なんでも探せるcraigslistには、個人広告の欄があって、一夜の情事を求める人たちのコーナーもあり(なかなかスゴいです)、このcraigslistを使って探す人もいますが、その他にも、その名もなんとsubwaycrush.com(『新潮45』の私の新連載を読んでくださったかたには、crushとはなんのことだかわかりますねー。とても実用性のある連載でしょ?(笑))とかisawyou.comとかkizmeet.comとか、「やっぱりもう一度会いたい」相手を探すための専用のサイトまである、ということを私もこの記事で初めて知りました。今これらのサイトをちょっと見てみましたが、とても面白い!「何月何日何時頃、x駅からy駅までのz線に乗っていた、黒い服を着ていた茶色い髪の素敵な女性、ぜひメールください」といったようなメッセージがたくさんあるのです。公共交通機関での移動が普通で、かつ赤の他人とはあまり会話をしにくい日本では、けっこうこれは流行るんじゃないでしょうか。
2008年10月20日月曜日
Musicians from a Different Shoreペーパーバック発売
私の英語の著書、Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicのペーパーバック版が発売になりました。
『ドット・コム・ラヴァーズ』で、私が「サバティカル」中にニューヨークでいろんな男性とデートをした、と書いたので、読者のなかには、「サバティカル」というのは楽しい休暇だと思ってしまっている人がいるようですが、それは大きな間違いですよ!サバティカルというのは、あくまで、本来学者の中心業務である研究活動に集中するために与えられた仕事期間です。『ドット・コム・ラヴァーズ』の本題からはそれるので少ししか言及しませんでしたが、私が2003年から2004年にかけてニューヨークに住んでいたのは、アジア人と西洋クラシック音楽についての研究をするためで、音楽家のインタビューをしたり、レッスンやマスタークラスの観察をしたり、図書館で調べものをしたり、また私自身ピアノにふたたび取り組んだりと、毎日研究活動に勤しむあいまに、ときどきデートをしていたわけです。ホントですよ。その一年間にせっせとリサーチをした成果が、このMusicians from a Different Shoreになったわけです。昨年の刊行時はハードカバーだけでしたが、大学の授業で教科書として使われることをねらって、このたびペーパーバックが出ました。ハードカバーよりはかなりお手頃な値段で買えますので、興味のあるかたはどうぞ。
ちなみに、この本と『ドット・コム・ラヴァーズ』の両方に登場する人物は、ひとりだけいます。
2008年10月18日土曜日
『新潮45』新連載
ただいま、学会でニューメキシコ州のアルバカーキという街に来ています。学会の最中は基本的に会場のホテルとその周辺しか見ないので、街の様子などはあまりわからないのですが、この学会が行われているダウンタウンを見るかぎり、アルバカーキというのはとても閑散とした街に見えます。ダウンタウンだというのに昼間も夜もほとんど人通りがなくて、まるでゴーストタウンのようです。一昨日は友達とレンタカーをして一時間ほど離れたサンタフェまでドライブしました。砂漠と山がひたすら続く風景は、ハワイとはまるで違って、アメリカというのは本当に広い国だなあと思います。
さて、18日に発売になった『新潮45』11月号に、私の書いた文章が載っています。「恋愛単語で知るアメリカ」というエッセーで、恋愛にちなんだ英語表現、とくに、アメリカでは日常的に使うのに日本の学校ではまず習わないような表現について、それらが使われる状況やさまざまな用法を解説しながら、現代アメリカ文化の一端をのぞく、という主旨のエッセーです。今月号で扱っているのは、たとえば、crush, flirt, see, intimacy, commitment, baggageなど。なんのことだかわかりますか?このエッセーは、今月号から始まってしばらく連載することになっています。『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだかたには、なかなか面白い内容だと思うので、ぜひ読んでみてください。『新潮45』は、今月号から総合雑誌として全面リニューアルです。
2008年9月27日土曜日
Facebookふたたび
学期の真っ最中なので、忙しくてあまりブログをアップデートする時間もありません。今学期は、アメリカ研究入門(この分野の歴史や理論・分析手法の変遷を追う授業)の大学院ゼミのほかに、学部レベルの、アメリカ女性史の授業を教えています。女性史の授業は、ずいぶん前に一度教えたことがあるのですが、今回は内容をまるで変えて教えているため、一時間の授業のために八時間以上も準備するようなことを繰り返しています。もうこの仕事について十二年目になるのだから、もうちょっと効率的に授業の準備ができてもいいんじゃないかと自分で思うのですが、その点ではどうも成長が少ないようです。でも、女性史の授業はとても面白く、学生もとても一生懸命で、自分や自分の家族の話に引きつけて授業の内容を考えてくれるので、なかなかやりがいがあります。学生には、シングルマザーとして二人の子供を育てながら大学に通っている女性とか、かつてドメスティック・ヴァイオレンスの被害者で今は女性研究を専攻し卒業後は女性のための福祉の仕事をしようと思っている女性、40代になってから大学に通い始めて歴史を専攻しているが普通の授業では女性のことがほとんど出てこないのでこの授業をとることにしたという男性など、私立のエリート大学にはなかなか入ってこられないような学生がたくさんいます。そうした学生が、それぞれの人生経験や考えをディスカッションに貢献してくれるのは、とても有意義です。そしてまた、前回私が女性史を教えたときと比べると、パワーポイントも発達して授業でプレゼンできる視覚材料もずっと洗練されたものになったし、インターネットでアクセスできる一次資料の幅もぐっとひろがっているしで、授業の内容やスタイルも21世紀らしくなってきました。
これから大統領選がいよいよ加熱するので、10月末には、授業で、「どちらの候補が女性にとってよりよい政策をもたらすか」というトピックで、ディベートをさせ、課題のひとつとして論説を書かせます。日本でも放映されたことでしょうが、昨日はマケイン対オバマの第一回のディベートがありました。予想通り、経済関係のトピックについてはオバマ氏優勢、外交関係についてはマケイン氏が強みを見せて、あきらかにどちらかの候補者が勝ちという結果ではありませんでした。金融市場の転落(ほんとうに大変な騒ぎです)で、アメリカ市民は今後の生活にますます不安を感じているなかの選挙戦で、目が離せません。
ところで、ずいぶん前にFacebookについての投稿をしましたが、FacebookやMySpaceなどのアメリカ中心のSNSサイトと、ミクシーのような日本のSNSサイトでのインターネット文化の差異が、こうした記事でも話題になっています。(この記事を載せているのは、テキサスに本拠地をもつ、科学技術や健康医療などを専門にするRedOrbit.comというサイトです。)本名を含め、自分に関する情報をほとんどまるで明かさないまま1500万人もの人がミクシーで「社交」「ネットワーキング」している様相というのは、アメリカのインターネット文化からするとやはりかなり奇妙に見えるようです。Match.comのようなサイトがなかなか日本では普及しにくいのも、匿名性の高い文化と関係がある、ということも述べられています。なるほど。
それでも、Facebook自体も日本でもだいぶ広まってきているようで、私は最近、Facebookを通じて、20年くらい連絡がなかった昔の知人や、小学校時代の友だちのお兄さん(!)から連絡をもらったりしています。また、『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んでとても面白かったと、Facebookを通じてファンレターを送ってくださったかたも何人もいます。そして、日本のネット文化についての上記の記事も、私はFacebookに友だちが投稿していたので知りました。なんとも面白いものです。
2008年9月11日木曜日
幸せな結婚の鍵はお財布にあり
2001年の世界貿易センターとペンタゴンのテロ攻撃から今日でちょうど7年。追悼行事のため今日は大統領選のキャンペーンも休止です。
まったく関係ないですが、今日のニューヨーク・タイムズに、幸せな結婚の鍵はお財布にあり、という主旨の興味深い記事があります。お金持ちと結婚すれば幸せになれる、ということではまったくありません。要は、お金に関しての価値観が自分と合致している相手と結婚して、定期的にお金に関する率直な話し合いを続けることが、円満な結婚生活への大きな鍵だ、ということです。どんなものにどれだけのお金を使うかということは、どんなライフスタイルを思い描き、また人生になにを求めているかということと密接につながっている。だから、結婚を考え始める頃から、カップルは、これから数十年どんな生活をしたいか、子供はほしいか、子供の日常的な世話は誰がするか、学校は公立にするか私立にするか、仕事はいつまで続けるか(アメリカの職場では普通定年がないのでこれは重要なポイント)といった話し合いをしてから結婚生活へのコミットメントをする。そして、結婚してからも、毎月どれだけの貯金をするかといったことに始まって、収入と労働時間との兼ね合い、家族での時間の過ごしかたなどについて、定期的な話し合いを話し合いをすることが大事だ、とのこと。お互いの仕事への理解とサポートも大変重要で、目的達成のためにしばらくは低収入の生活を続けたり、収入はかなり減るものの本当にやりたいことをするために仕事の方向転換をしたりする場合は、パートナーが精神的にも金銭的にもそれをサポートしてくれることが必要である。そして、金銭面での感覚や意見の違いが続くようなら、ファイナンシャル・プランナーやセラピストなどの第三者のプロに二人で相談に行って、客観的なアドバイスをもらうことも大事だ、というあたりはいかにもアメリカらしい。そしてまたアメリカらしく、最後のアドバイスが、「結婚生活に投資すべし」。ときには子供を預けてふたりでデートに出かけるためにお金を使うのは、結婚生活を長期的な幸せにつなげるための小さな投資だ。夫が高収入の仕事を何十年も続けて巨額の財をなし、妻が立派な家を美しく飾っていても、退職する頃には夫婦が共有している経験や考え、感覚などがまるでなく、退職してから離婚にいたる夫婦も少なくないという。夫婦関係そのものが投資の対象、という考えかたは、なんともアメリカらしいですね。『ドット・コム・ラヴァーズ』にも書いたように、小市民的な金銭感覚の私には、相手がどんなものにどのくらいのお金を使うかということが結構気になるので、この記事、私にはずいぶん納得がいく気がします。よかったら読んでみてください。
2008年9月9日火曜日
大統領選と「家族」
新学期が始まると同時に、2週間続けて民主党全国大会と共和党全国大会があってほぼ毎日テレビに釘付けになっていたので、仕事や雑用がたまってしまいました。民主党全国大会では、最終日のオバマ氏の演説ももちろんですが、ヒラリー・クリントン、ビル・クリントン、ジョー・バイデン副大統領候補の演説がとても印象的でした。現在の政治・経済・軍事状況を根本的に方向転換しなければいけないという切迫感と、一般市民の声を反映したワシントンの編成への希望が合わさって、ものすごい熱気のうちに大会は幕を閉じました。私の友達にも、サンディエゴからデンヴァーまで出かけて行って大会の一部に参加した夫婦がいますが、「スポーツの試合で感じるような原始的な熱気と、ロックのコンサートにあるような欲望と情熱、それに加えて一番危険な要素である知性というエネルギーが合わさって、生まれて一度も体験したことのないような熱気が街中に溢れていた」とメールを送ってきました。
共和党のほうは、大会開幕直前にサラ・ペイリンが副大統領候補に指名されたことですっかりそちらに話題が集中しましたが、私にとってまずとにかく印象的だったのは、テレビ画面に映るセント・ポールの大会会場の観衆の実に均質だったことです。民主党大会の参加者が、年齢・人種・スタイルなどにおいて多様だったのときわめて対照的に、共和党大会でテレビ画面に映る実に9割以上は、白人の中高年層だったのが、なんとも奇妙でした。また、ペイリンやマケインのみならず、大会での演説はほとんどまったくといっていいほどブッシュ政権に言及せず、これまでの共和党のリーダーシップからはっきりと一線を画し、オバマ氏の提唱する「変革」を自らのスローガンに取り入れるレトリックは、現状に不満と不安を抱いている一般市民、とくにどちらの政党にも属していない有権者の支持を獲得するための作戦でしょう。それにしても、ルーディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長や、ミット・ロムニー元マサチューセッツ州知事の演説にみられた、生理的といっていいほどの反リベラル主義、反知性主義、反エリート主義(といっても、オバマ氏本人やバイデン副大統領候補の生い立ちや社会的背景と、共和党の政治家たちのそれを比べたら、社会経済的な意味での「エリート」は明らかに後者なのですが)には驚くべきものがあります。
ペイリンはあまりにも急に全国政治の舞台に現れたので、副大統領候補指名以来、メディアは彼女の経歴、政策、そして家族関係などを追うのにおおわらわです。若くてきれいでエネルギッシュな女性が指名されたことで党全体が活気を取り戻し、中絶問題などについてきわめて保守的な立場をとっているペイリンがキリスト教福音主義者などの社会的保守派を再確保できるという見通し、またヒラリー・クリントンが民主党大統領候補(もしくは副大統領候補)に指名されなかったことに落胆している女性がペイリンを支持するために共和党に転向するという可能性などの点で、マケイン氏の意外な選択は、とても巧妙だと言えます。ただ、いくらなんでも、ヒラリー・クリントンを支持していた女性がペイリンのために共和党に転向するとは、私には考えられません。とにかく女性がホワイトハウスに入りさえすればいいと思ってヒラリー・クリントンを支持していたような女性はごく少数で、ほとんどは彼女の政策に賛同していたわけでしょうから(と思いたいです)。
ペイリンの演説、そして彼女の経歴や政策についてはたくさん言いたいことがありますが、『ドット・コム・ラヴァーズ』との関連で言えば、やはり、「家族」というものの政治性が、ペイリンの登場によって一段と明らかになり、それがアメリカならではの様相を見せているのが興味深いです。ダウン症の乳幼児と妊娠中の17歳の娘を含め5人もの子供がいる女性がこれだけの政治舞台にたつのは、確かに画期的なことで、女性の仕事と家庭の両立を促進する社会作りという点ではこうした人物の登場は賞賛すべきことに違いありません。が、実際の政策面で、マケイン・ペイリン政権がとくにミドル・クラスや労働者階級の女性や家庭の暮らしをよい方向にもっていくとは、私には考えられません。私は今学期ちょうどアメリカ女性史の授業を教えていて、今ちょうど19世紀から1920年までの参政権運動の部分をカバーしているので、歴史的なことと現在の選挙戦を結びつけて、学生たちと活気にあふれたディスカッションができて面白いです。
それにしても、原油に代わる代替資源開発の必要を両党とも唱えているなか(しかし、マケイン氏は代替資源開発に関わる立法案に再三にわたって否決の投票をしてきています)、共和党大会で観衆が叫んでいた、"Drill, baby, drill"(アラスカ油田開発を進めろ、ということ)というかけ声には呆れました。
とはいっても、世論調査では、現在共和党支持は民主党支持をやや上回っているらしいので、これからの選挙戦がいったいどう展開していくのか、目が離せません。アメリカに身を置くには、とても面白い時期であるのは間違いありません。
2008年8月25日月曜日
ミッシェル・オバマ
コロラド州デンヴァーで、民主党全国大会が始まりました。今日のミッシェル・オバマの演説を聞きながら、私は思わず涙してしまいました。強くて賢くて美しくて愛情と信念にあふれた女性のモデルとはこういう人をいうのだなあとしみじみ思いました。オバマ氏本人の政策や背景ももちろんですが、こういう女性を妻にもつ人物を大統領にしようというアメリカには、私は素直な希望を抱きます。とにもかくにも、彼女の演説を見てみてください。
明日はヒラリー・クリントンが演説します。
2008年8月22日金曜日
Sex and the City
今日8月23日、日本で『セックス・アンド・ザ・シティ』の映画版が公開になります。アメリカでは5月に公開されたので、私はもうだいぶ前に観ました。
ご存知のかたも多いかと思いますが、『セックス・アンド・ザ・シティ』は、1998年から6シーズンにわたってアメリカのケーブルチャンネルHBOで放映されてテレビ番組で、今回の映画はその主人公たちの数年後の姿を描いた映画版です。(テレビ番組のほうは、日本でもDVDで入手可能です。)マンハッタンの4人の女性(映画の物語の時点では、ひとりはブルックリン、ひとりはロスに住んでいる)が主人公の、恋愛遍歴が中心の物語です。テレビ番組を通じて主人公たちの性格やこれまでの遍歴を観客が知っていることが、ある程度の前提となって映画ができているので、元の番組のほうを一度も見たことがない人にとっては、映画はそれほど面白くないかも知れません。私は、テレビ番組が流行っていたときは、ときどき見たことはあっても特にファンではなかったのですが、再放送がほぼ毎日テレビでやっているので、シリーズ自体が終わってから見るようになりました。あまりにも現実離れした設定で、しかも究極的な恋愛至上主義の物語で、馬鹿馬鹿しいといえばその通りなのですが、けっこうはまりやすく、私はふとしたときに、妙に感情移入して、一人で見ながらおいおいと泣いてしまうこともあります。ちょうど、私がホノルルでマンションを買おうとして、自分の財政状況では自分の気に入るようなところはとても手が届かないことを認識してしょげていたときに、ふとテレビをつけると、主人公のキャリーがボーイフレンドと別れて、かつ、住んでいたアパートを出るか買うかしなければいけない状況になり、私に負けず経済力のない彼女が落胆しているところに、離婚したばかりでかつお金持ちの女友達のシャーロットが、「これを売って頭金にして」と要らなくなった婚約指輪を彼女にプレゼントする、というエピソードをやっていて、私は訳もわからず10分以上もぼろぼろ泣いてしまった、ということもありました。
映画のほうは、「30分の連続テレビ番組だったからこそ成功した素材を、むりやり2時間以上の映画にしている」と酷評した批評が多かったので、それほど期待していなかったのですが、仲良しのゲイの友達(「ジェイソン」と、しばらく前にブログで言及した「アンディ」)に誘われて、公開まもなく観に行きました。そして映画が始まって30分とたたないうちから私は大粒の涙を流し始め、なんと2時間15分の映画のうち実に2時間近く、ずーっと泣きっぱなしで、終わったときには目も鼻も真っ赤、身体も心もぐったり疲れ果てしまいました。「いくらなんだってそこまで感情移入するとは思っていなかった」とジェイソンとアンディに驚かれました。(「泣いたあとには甘いもの」と、帰りにアイスクリーム屋に行きました。)そしてさらに私は、その1週間後に、今度は女友達と、再び同じ映画を観に行ってしまいました。私が泣いた量は1回目の四分の三くらいでしたが、私の友達は一滴も涙を流さず、「エンターテイメントとしては楽しめるけど、私にはまるで感情移入できない」とクールに言っていました。確かに、くだらないといえばくだらない映画なので、2回もお金を払ってあんなものを観に行った私は、友達のあいだでかなり呆れられています。
泣いたといっても、恋愛コメディですから、全体が悲しいということはなくて、むしろ面白可笑しいのですが、私がそこまでこの映画に感情移入した理由のひとつには、私が主人公のキャリーと同い年で、ちょうど映画が公開になった数日前に40の誕生日を迎えたところだった、ということがあるかも知れません。『セックス・アンド・ザ・シティ』は、きゃぴきゃぴちゃらちゃらした4人の女性の恋愛物語だと言ってしまえばその通りですが、この映画が、そのへんにいくらでもころがっている恋愛ものとひと味違うのは、40代、つまりは「中年」を迎える女性たちの人生を、夢物語ながらにまっすぐに捉えている、ということです。もちろん、「まっすぐ」といっても、ニューヨークやロスアンジェルスで最高級のマンションに住み、靴や洋服を中毒者のように買いものし、それぞれキャリアがあるはずなのにいつ仕事しているのかまるでわからない4人の主人公たちの生活は、実際にはまるっきり現実味がなく、そういった意味ではこの物語はまったくのファンタジーでしかありません。それでも私は、この映画は、40代(主人公のひとりのサマンサは、物語の途中で50の誕生日を迎えます)のアメリカ女性のある種類の「現実」を、とてもよく描いていると思います。私が見るに、その「現実」とは3つあります。
ひとつは、「痛み」。人に裏切られたり、思いが叶わなかったりといった痛みは、もちろん20代や30代だっていくらでもありますが、この映画で描かれているのは、「本当に自分が愛して大事にしている相手でも、傷つけてしまうこともある」「本当にいい人でも、バカな間違いをすることもある」「どんなに後悔、反省、改心しても、とりかえしのつかないことがある」といったようなことです。酸いも甘いも経験して、いろんなことを乗り越えてきて、こうしたことはすでに理解して回避できるはずの大人たちであるがこそ、こうした「現実」の重みが大きいのです。
ふたつは、「前進」。そうした大きな痛みは、なにをどうしたってなくなるものではない。自分のおかした過ちは、どう償いをしても、自分のなかでも相手のなかでもきれいに消え去るわけではない。傷つけ合った二人は、いくら関係を修復したとしても、その傷を負う以前の関係と同じというわけではない。失ったものは、二度と戻ってこない。それでも、人は、長かったり短かったりする時間を経て、やがて、「しかたがない、よっこらしょ」っと起き上がって、また先に進んでいく。そこには、勇気だとか自信だとか決意だとかいった立派なものは別になく、あるのはただ、「しかたがないから重い腰をあげて前に進む」という現実だけです。ハッピーエンドでありながら、一面バラ色の結末ではなくて、苦いものも酸っぱいものもとりこんだ上で笑顔で進んでいく、というのが大人の物語らしいところです。
そして最後に、これはテレビ番組の『セックス・アンド・ザ・シティ』について以前から言われていたことですが、女友達の絆です。30代で独身でみながマンハッタンに住み、朝食からマルティーニまで四六時中集まって時間を共にしていた頃とは、4人の女性主人公たちの生活はだいぶ変わっています。それでも、大小の痛みそして喜びを4人で分かち合いながら、それぞれ別の方向ではありながらも手を取りながら前進していく、その女性同士の関係は、物語の表面では最大の価値がおかれている恋愛関係よりも、ずっと重みのあるものです。Boyfriends come and go, but girlfriends are forever.(ボーイフレンドは現れたり去ったりするけれど、女友達は永遠だ)という表現がありますが、私自身、ここ数年間、そのことを深ーく実感するようになりました。選択する生き方はみなそれぞれ違うし、だからこそ「女性として」経験することの内容もまるで違うけれど、人生の中盤で出会ういろんな喜びや悲しみを、一緒に歓声をあげたり涙を流したりしながら分かち合ってくれる女友達の存在は、本当にかけがえのないものです。
と、書いてしまえばいかにも陳腐な結論ですが、まあとにかく、よかったら観てみてください。『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくるニューヨークとはまるで違う世界ですが、出会いと別れと前進という意味では、ちょっと通じる部分もあるかもしれません。(ちなみに、『ドット・コム・ラヴァーズ』のことを、「在米日本人版『セックス・アンド・ザ・シティ』だ」と形容する人がけっこういます。)お楽しみください。
2008年8月9日土曜日
オバマ氏ハワイに到着
民主党大統領候補となることがほぼ確実となったバラク・オバマ上院議員が、9日間の休暇を生まれ育ったハワイで過ごすために、昨日8日、ホノルルに到着しました。
ハワイはなにしろ地理的にアメリカ本土から隔離された周縁にあり、人口100万人強で数の上でも合衆国の政治へのインパクトが比較的少ないため、大統領候補が選挙活動中にハワイまでキャンペーンにやってくることはまずありません。歴史も、人種・民族構成も、文化もアメリカ本土とは大きく違うハワイでは、ワシントンを中心とする合衆国政治は、自国のこととはいえ、自分たちの日常生活とはかなりかけ離れたものという感覚をもっている人が多いのですが、ハワイを「故郷」とするオバマ氏が大統領選出馬は、ハワイの人々には大きな熱気を巻き起こしています。とはいえ、『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、ハワイの「ローカル」というアイデンティティはなかなか複雑なものがあり、ハワイで生まれ育ったからといって、誰もが「ローカル」を名乗れるわけではありません。とくに、ケニア人の父とカンザス出身の白人の母のもとに生まれ、ハワイでトップと考えられている名門私立校に通い、子供時代の一部をインドネシアで過ごしたオバマ氏のバックグラウンドは、ハワイで一般に理解されている「ローカル」アイデンティティとは大きく違うものです。オバマ氏を「ハワイ出身」としてお祭り騒ぎをするのはたやすいが、はたしてハワイで生まれ育ったこととオバマ氏の政策や理念とどんな関係があるのか、きちんと考えて議論するべきだ、と多少冷ややかな目で見る人ももちろんいます。
ハワイ云々は別にしても、私自身はオバマ氏が大統領になることを強く願っています。ハワイで大統領候補を直に見られることはそうないので、オバマ氏ハワイ滞在中の唯一の公開イベントである昨日の集会に行ってみようと、会場である空港近くの公園のほうまで出かけたものの、あまりにも道が混雑していて車を停めるところもなさそうだったし、待ち時間が何時間にもなりそうだったので(実際、仮に車が停められていても、オバマ氏が登場するまで3時間以上あったらしいです)、あっさりと諦めて戻ってきました。その集会の様子は、こちらでどうぞ。
また、昨日は、民主党大統領候補に出馬していた、ジョン・エドワーズ上院議員が、2006年にキャンペーンのスタッフと不倫をしていたというニュースが発表されて大騒ぎになりました。私は、貧困や医療といった問題にもっとも真剣に取り組んでいる(と私には思えた)エドワーズ氏の政策には一番共感していて、彼がオバマ氏のもとで副大統領候補になればいいと思っていたので、おそらくこのスキャンダルでその可能性がなくなってしまうであろうことは、とても残念です。とほほ。
2008年8月4日月曜日
日経新聞、週刊朝日
8月3日(日)の日経新聞と8月5日発売の週刊朝日に、『ドット・コム・ラヴァーズ』がかなり大きく取り上げられました。といっても、私のところにはまだ現物が届いていないので、私は見ていないのですが、話を聞くかぎり、どちらもかなりの紙面をさいてくださっているようですね。おかげさまで、アマゾンでの売り上げが急速に伸びて、最高では100位まで行きました。2桁の気分を味わうために、自分で数冊買おうかと思ってしまいますが、海外への発送はやたらと送料・手数料が高いので、やめておきます。(笑)
これらのおかげで、「記事見たよ!」と、何年間(ときには20年くらい)も音沙汰のなかった旧友から連絡をもらったり、幼なじみのお母様から私の実家に電話があったりなど、ここ数日はa few moments of fameを経験しています。さすが全国紙の影響力はすごいものです。
また、記事を読んで早速本を買って読んだというかたから、ファンレターも届きました。なかでも、自分はゲイ、あるいはレズビアンで、このように日本人の異性愛者が同性愛について偏見なくまたカジュアルに語るということにとても感銘を受けた、というメッセージが、私にはとても嬉しかったです。ゲイの文化や恋愛・セックスについて書いた章は、私自身とくに思い入れのある章です。日本では、人種や社会階層などの問題についてかなりリベラルな考えをする人でも、同性愛のことになるとかなりの無知と偏見をもっている人が多いのに、私は以前から驚いていました。同性愛のことに限らず、性文化がアメリカと日本ではまるで違うので、それほど驚くことではないのかもしれませんが、日本にも同性愛者は少なからずいるわけですし、一般の人々がもう少しオープンに同性愛について考えるきっかけがあるといいなと思っていました。それで、あまり説教臭くないトーンで、本の残りの部分と同じように面白可笑しい話を盛り込みながら、ゲイの人たちを人間的に描こうと努めました。一面的なステレオタイプを生み出したり強化したりする結果になっても困るし、かといってある程度は一般化した話をしないとポイントが伝わらないしで、叙述のバランスにもだいぶ気を遣って書きました。でも、ゲイの友達が多いとは言え、私自身は異性愛者なので、LGBTの人々の体験や思いは、想像でしかわかりませんし、「ゲイとはこういうものである」などと私が語る資格もありません。ただ、自分が異性愛者だからこそ、異性愛者の読者に伝えられることもあると信じて書きました。そんなわけで、ゲイやレズビアンの読者に、こうして喜んでいただけると、「この本を書いてよかった」と思えます。
日本からくるメールには必ず、「とにかく暑い」と書いてあります。よっぽど暑いんですね。水分をたくさんとって、元気のつくものを食べて、残りの夏を乗り切ってください。
2008年7月28日月曜日
デートの会計 その2、そしてインターネットと読書
昨日、『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」と、もう一人のゲイの友達(ここでは「アンディ」としておきましょう)と一緒に食事と映画に出かけ、先日の投稿に書いた、ゲイの人同士のデートの会計について聞いてみました。「ジェイソン」は、よく知らない相手や、もう二度と会わないかもしれない相手と、貸し借りの関係を作るのは嫌なので、初めてのデートのときにはいつも割り勘にする、と言っています。ただ、しばらく交際するようになってからは、お互い順番におごり合いっこをするそうです。彼は、ここ数年間つき合っているボーイフレンドがいるのですが、彼ともそうしています。私も一緒に三人で出かけるときなどは、私のぶんまで二人のうちのどちらかが払ってくれることもあり、私もときどき彼らのためにおごったり料理を作ったりします。(ただ、「ジェイソン」はヴェジタリアンで、彼が来るときはかなり考えて料理をしなければいけないので、ついつい彼とは外で食事をすることが多くなります。)「アンディ」はシングルなのでよくいろんな人とデートに出かけますが、デートに誘ったほうが払うのが普通、と言っています。
話題は変わって、先日の「ニューヨーク・タイムズ」に、インターネットと読書についてのこんな長文記事が掲載されました。ビデオもあって面白いので、ちょっと見て(読んで?)みてください。インターネット時代に育った十代の若者や大学生の「読書離れ」について、多くの人が危機感を抱いていますが、一日に何時間もインターネットでものを調べたり読んだり、あるいは友人知人とチャットやメールをしたりする若者は、本当に「読書離れ」しているのでしょうか。従来の紙の本の読書と、ネット上での「読書」は、どう違うのでしょうか。莫大な量の情報がネット上でアクセスできるようになったことは、私たちの知識や思考を豊かにしているのでしょうか、それとも貧困にしているのでしょうか。インターネットという媒体に懐疑的な人たちは、静かに座って本をひろげ、線的な叙述と思考に集中する、という伝統的な「読書」が若者の日常生活から姿を消してきていることに強い危惧の念を抱きます。そのいっぽうで、インターネットの可能性をよりポジティヴに評価している人たちは、従来の「読書」とは、本あるいは著者から読者への一方的なコミュニケーションであるのに対して、ネット上での読者は、「読書」の過程で、自分の興味に応じて関連資料を同時に調べたり、コメントを書き込んだり、他の読者と対話したりすることができるぶん、より能動的で積極的だ、という見方をします。こうしたトピックはえてして偏った議論になりがちですが、いろんな視点から話を展開しているあたり、さすが「ニューヨーク・タイムズ」です。私は、かつては本を読みふけって育った文学少女で、内容もそうですが物体としても、紙の本というものをこよなく愛しているし、今では本を書く人間になったので、本という媒体の将来はとても気になります。それと同時に、「デート」はもちろんですが、自分の読書やリサーチ、執筆などが、インターネットという媒体ができたことによって、それまでとは比較にならないくらい可能性が広がったのも確かで、インターネットのない生活はもはや想像できません。ひとくちにインターネットといっても、そこにある情報や、その使いかたは、ほんとうに複雑多様なので、ひとくくりにして乱暴な議論をせずに、その実体をきちんと丁寧に考えていきたいと思います。
追伸 私の高校と大学の同級生だった男友達(普通のお友達です)のお父様が、『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んでくださいました。私は、そのお父様が駐在中にロスのお宅にしばらく遊びに行ったことがあるので、ご家族そろって仲良くさせていただいているのですが、そのお父様は、この本を読んで、息子に、「真里ちゃんの男性遍歴が赤裸裸に書いてあって、びっくりした。お前が出てくるんじゃないかと思ってハラハラした」と言っていたそうです。読者はそれぞれ、いろんな読み方をするもんですねえ。(笑)
2008年7月26日土曜日
ホノルル便り--デートの会計、シャワー、そしてFacebook
ホノルルに戻ってきました。私が留守にしていたあいだはかなり蒸し暑かったそうですが、今ではこちらは東京よりずーっと快適な気候です。日本にいるあいだは毎日食べ飲み歩いていたので、ちょっと運動しなくてはと、夕方の海辺の公園でのジョギングも再開しました。ダイアモンドヘッドを見ながら、そよ風の吹くなか、夕暮れ時の海辺をジョギングできるのですから、文句は言えません。東京での数週間はほんとうにいろんな刺激や出会いが多くて楽しかったですが、ハワイでの暮らしも違った意味でよいものです。
さて、私の友達のお母様が『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んで感想や質問をくださいました。なかなか面白いので、私の回答を含めて以下にご紹介します。
1 オンライン・デーティングで知り合った相手と会っているときに、過去につき合った人の話をするということに、驚いた。
これは、オンライン・デーティングに限らず、「デート」するようになった相手とはよくあることで、私だけのことではないようです。「過去にどんな相手とどんな恋愛関係をもってきたのか、それらの関係はどんな理由で終わったのか、といったことから、その人の恋愛に対する態度がかなりわかる」という理屈だと思います。30代後半にもなって、真剣な恋愛を一度もしたことがないような人はむしろ危険信号だし、かといって、過去の別離をずっと引きずってそれを今の関係に持ち込むような人も困るし、恋愛において同じようなパターンを繰り返しているとすればそれにはなにかの意味があるだろうし、など、話を聞くほうとしてもいろんな思いがありますが、過去の恋愛にまったく触れないことのほうが不自然だという考えは、一般的なようです。
2 オンライン・デーティングで知り合った人とお洒落なレストランなどに行く場合の会計は、割り勘なのか、それともどちらかが払うのか?そういったことに関する決まりや合意はオンライン・デーティングをする人たちのあいだにあるのか?
デートでは男性のほうが払うのが礼儀、という観念は日本同様アメリカでもかなり一般的です。だから、たいていは、男性のほうが払う意思表示をします。そこで女性のほうが、「いいです、払います」という意思表示をするのも礼儀のひとつです。そこで実際に割り勘にする場合もあれば、女性に少なめの額をもらう場合もあれば、「いいよ、いいよ」と言って男性が払う場合もあります。そのあたりは、男性のお財布状況と感性によるでしょうが、普通は、男性は、自分が相手のぶんも払えないようなお店には初めから連れて行かないでしょう。経済的に自立していて「自分のことは自分でする」という女性が比較的多いアメリカでも、このあたりの感覚は割と伝統的と言えます。ですから、いわゆる「タダ飯ねらい」でデートに出かける女性も存在します。ただし、「デート」からステディな関係に移行してからは、女性のほうが男性よりもずっと収入の多い場合などは、女性がいろいろな支払いを受け持つということは珍しくありません。
私自身は、実際につき合うようになった相手が、愛情表現のひとつとしてときどきプレゼントをくれたりご馳走してくれたりといったことはもちろん大歓迎ですし、私も相手にそうしますが、きちんと収入のある者同士の関係で、恒常的に経済関係が不均衡(つまり、いつも一人が相手のぶんを払う)な状況というのは、ふたりの関係そのものに不健全だと思うし、毎回男性に払ってもらうのは嫌なので、数回以上「デート」するようになる相手とは、たいてい割り勘にするか、あるいはおごり合いっこをするようにします。ただ、初めてのデートで、いちいちそうした交渉をするのも面倒臭いので、男性のほうがぜひ払うと言えば、ありがたくご馳走になるようにしています。
ゲイのカップルのデートの場合は、このへんがどうなっているのか、私にはよくわかりません。デートに誘ったほうが払うのかもしれないし、割り勘にするのかもしれないし、その場の雰囲気によるのかもしれません。近々、「ジェイソン」や「マイク」に聞いて、ご報告します。
3 その場の勢いで、ロマンチックな夜を過ごすことになった場合、シャワーは浴びるのか?
私は、初めはこの質問の意味がよくわからなかったのですが(質問の意味がよくわからないということ自体、こういったことについての私の感覚がかなりアメリカンであることの印なのかも知れません)、要は、セックスの前にシャワーを浴びるのかということだそうです。日本の感覚では、特に初めての相手とそういうことになるときは、汗など落として清潔にして臨みたいし、それが相手に対する礼儀でもある、ということなのでしょう。
こうしたことは、個人の好みによる部分が大きいでしょうが、私の経験では、アメリカでは概して、その場のノリでベッドに入ることになる場合は、やはりその場のノリを維持することが大事なので、普通はそのままベッドに入ります。その途中でシャワーが入ると、自分がシャワーを浴びたり、相手がシャワーから出てくるのを待っていたりするあいだに、「今日セックスをするのはよくないかもしれない」などと冷静な声が頭をよぎったりして、いざという場になってぎこちないことになるようなこともあるんじゃないでしょうか。(もちろん、それならやめておいたほうがいい、ということもあるでしょうが。)セックスが済んだあとには、汗もかくし、シャワーを浴びることは多いですが(二人で一緒にシャワーに入ることもある)、ホットな雰囲気のままそのまま寝てしまうこともあります。アメリカの人はたいてい朝シャワーを浴びるので、夜を一緒に過ごすなら、シャワーは朝浴びることが多いです。
最後の質問は、実に面白い質問ですね。どうでもいいことのようでいて、実は、こうした些細なことに、文化的感覚の違いというものが一番よく顕われるものかもしれません。
ところで、話は変わりますが、ここ数日間、すっかりFacebookにはまっています。これは最近日本語でもできるようになったSNSサイトで、友達数人から「招待」が送られてきたので少し前にアカウントを作ったのですが、初めはほとんど使っていませんでした。ところが、いったん始めると、「友達」の「友達ネットワーク」から、何年も連絡が途絶えていた自分の友達が何人も見つかったりして、けっこう面白いし、多くの人に同時に近況報告などができるので、便利なことも沢山あります。だから、つい次々といろんな友達のプロフィールをチェックしてしまい、メッセージを送ったり写真をアップロードしたりしているうちに、あっという間に何時間もたってしまいます。既にメールを中心に毎日の生活がまわっているような状態で、メールに費やす時間をもっと制限しないとまるで仕事がはかどらない、と思っているそばから、もっと耽溺しやすいFacebookにはまってしまいました。
日本滞在中、『ドット・コム・ラヴァーズ』について講演したときに、日本とアメリカでのネット文化の違いについての質問やコメントを、おもに若い学生さんたちから多く受けました。日本では、ミクシーなどのSNSサイトを使っている人は多いけれども、本名や顔写真を載せている人はまずいないのに対して、Facebookを初めとするアメリカの同類サイトでは、ほとんどの人は本名を使い、顔写真を含む個人情報をたくさん載せている、とのことです。私は日本のSNSサイトを使ったことがないのでわかりませんが、確かにFacebookではたいてい皆、本名を使っています。だからこそ友人知人を検索できるし、また、本名を使わないのであれば、なんのためにネットワーキングをするのかわからない、という理屈だと思います。このあたりの違いは、インターネットという媒体への感覚と態度、そしてネット上の行動規範(ネットに載せるものへのアカウンタビリティを含め)をめぐる文化的な差異によるものが大きいのでしょう。もちろん、アメリカでも、ネット上の個人情報を悪用した犯罪などは存在しますが、一般的には、日本の多くの人が警戒するほどの危険は感じられません。また、たとえば、日本では、大学教授のメールアドレスを調べるのにはかなりの苦労がいりますが、アメリカでは、ごく基本的なネット検索をすれば、大学に教員として所属する人のメールアドレスは数分以内で出てきますし、そうでないと日常的な仕事に大変な支障をきたします。こうしたことからも、ネット文化の違いが感じられますね。
Facebookは、はまると時間がどんどん吸い取られるということの他にも、社会文化現象として特有のものがあると思います。手書きの手紙を郵便で送るという文化から、メール文化に移行して、物理的な距離をへだてたコミュニケーションのありかたはとても大きく変わったことを、外国に住んでいると特に実感しますが、Facebookのような媒体は、そうした短縮コミュニケーションをさらにずっと先の段階に移行させます。こうしたサイトで人が交換するメッセージは、普通のメールの文章よりもずっと短いですし、また、「メッセージ」ですらなく、キスマークとかバラの花束などのいろんなアイコンを送り合うだけの、言葉なしの「コミュニケーション」が、こうしたサイトでは主流のようです。本当にコミュニケーションが促進されているのだか、それとも単に我々を怠慢にしているのかは、大きな疑問だと思います。それに比べて、オンライン・デーティングでは、少なくとも、言葉を使って自分を表現し、相手とコミュニケーションをするということが出会いの核となっているので、同じネット上の交際といってもだいぶ種類が違うように私には思えます。
それでは、また。
2008年7月16日水曜日
2008年7月14日月曜日
7月15日(火)同志社大学講演会
今日7月15日(火)、4:45pmより、京都の同志社大学今出川キャンパスのアメリカ研究所で、講演をします。今回は『ドット・コム・ラヴァーズ』についてではなく、去年刊行されたMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicをもとにして、『アジア人と西洋クラシック音楽——歴史と文化的アイデンティティ』という題で講演します。京都は祇園祭の真っ最中だそうで、とても混雑していそうですが、私は祇園祭に行ったことがないので、楽しみにしています。また、同志社大学は、新島襄の時代から、アメリカ研究・日米文化交流に重要な役割を果たしてきた学校なので、そうした場所で私の研究について話す機会ができるのも、嬉しく思っています。京都近辺のかたがいらしたら、ぜひどうぞ。
7月15日(火) 4:45pm——
同志社大学今出川キャンパス アメリカ研究所 博遠館内
出版記念パーティ、亀井俊介先生叙勲祝賀会・結婚アドバイス
先日11日(金)に、駒場にて『ドット・コム・ラヴァーズ』出版記念パーティをしました。来てくださったかたがた、どうもありがとうございました。おかげさまで、とても楽しい集まりになりました。アメリカのパーティの様子は『ドット・コム・ラヴァーズ』でも少し書きましたが、アメリカのパーティ式の、知らない者同士が集まって話をするような社交の場は、日本にはほとんどありません。今回のパーティは、私の中・高時代、大学時代、そしてブラウン大学院時代の友達と、そして仕事関係やその他のところで知り合った友達など、いろいろ別な方面の人たちが一緒になり、しかもそのほとんどはアメリカ式のパーティを経験したことがない人たちだったので、はたしてこうした形式の集まりがうまくいくものかどうか、少し心配していたのですが、そこはやはり皆さん大人で、初対面の人同士も仲良く歓談して、楽しいひとときになりました。私がピアノを弾くということを話で聞いたことはあっても、実際に私が弾くのを聴いたことがない人も多かったので、少しピアノ演奏もしました。『ドット・コム・ラヴァーズ』にちなんで、私が勝手に恋愛関係のテーマをつけた小曲を6曲弾きました。ちなみにその6曲とは、シューマン「アラベスク」、ドビュッシー「La Plus que Lente」、バーバー「Souvenirs組曲より Pas de deux」、同じくバーバー組曲より「Hesitation-Tango」、ラフマニノフ「エレジー」、シューベルト 即興曲変ト長調でした。テーマはそれぞれ、「出会い」、「戯れ」、「疑念」、「浮気」、「別れ」、「成長」です。何人かのかたがたに、スピーチもしていただきました。それぞれ、本から読みとれるアメリカ像や恋愛論、吉原真里像などを、とても的確に語ってくださって、とても嬉しかったです。
パーティのさい、『ドット・コム・ラヴァーズ』についての感想やコメントを書いてくださったかたがいますが、その中で、数人のかたが、「そのヘアカットと眼鏡にああいう意味があったとは知らなかった。でも効果は疑問」という主旨のことを書いていました。ガックリ。どうもなめられっぱなしだなあとは以前から感じていましたが、どうせ効果に関係ないのなら、他の人がいいと思うものよりも、自分がセクシーでファンキーだと信じているスタイルを続けます。
昨日、7月13日(日)には、私の大学時代の恩師、亀井俊介先生の叙勲祝賀会が原宿でありました。私は亀井先生の遊び相手代表としてスピーチをしました。なんだかこのスピーチが大ウケだったようで、亀井先生ご本人はもちろん、ほかの長老先生がたに大いに気に入られてしまった私は、2次会3次会まで合わせて計12時間もおつきあいすることとなりました。私は、自分のジェンダー観に反するような媚びた行動をとらない割には、日頃からおじさまたちにはとてもモテるのですが、自分で言うのもなんですが、この日のモテモテぶりは格別で、まるで長老のアイドルでした。このくらい、40代の独身男性にも愛されるといいのですが...それはともかく、亀井俊介先生は、アメリカ文学・文化史・日米文化交流史などの分野での大家で、重厚で画期的な研究書を若いときにお出しになったばかりでなく、平易でかつ読者を引き込む文体でアメリカ文化を語る著書を、ほんとうに数えきれないくらいお出しになっています。現在75歳で、東大退官後は岐阜女子大で教えていらっしゃいます。数年前に私が東京でデートしたとき、「これからじっくり勉強し直してアメリカ近代詩についての本を書く」をおっしゃっるのを聞いて私は恐れ入りました。現在もまったく衰えぬエネルギーでお仕事を続けておられ、アメリカ文化史の本を執筆中です。
ところで、数日前の「ニューヨーク・タイムズ」の論説欄に、この記事が載りました。結婚に関するアドバイスです。この記事を書いたMaureen Dowdは、女性・ジェンダーを初めとして政治・社会問題ひろく一般に、辛口批評をする、「ニューヨーク・タイムズ」の人気論説ライターです。「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、調査の点でも分析の点でも、本当に一流ジャーナリズムの名に値する立派な記事が多く、ファッションや料理などのより「軽い」欄も、実に見事な読み物です。また、「ニューヨーク・タイムズ」の論説を毎日読むだけでも、かなりの勉強になります。英語を読む力をつけるには、自分が興味のある題材についてのきちんとした英文を定期的に読むことが効果的ですので、ふだん英語を読むことに慣れていない人は、「ニューヨーク・タイムズ」のなかで自分の好きな部分を定期的に読むことをおススメします。今は、記事のすべてがネットで無料で読めるほか、紙の新聞にはない、ビデオや写真なども見られます。こうしたサイトの充実ぶりは、日本のほとんどのメディアとはまるで比較になりません。こんなにオンライン版を充実させたら、紙の新聞が売れなくなるだろうと思うのですが、オンライン版を発達させることが、社全体のパワーアップにつながると判断してこうなっているのでしょう。この記事は、「軽い読みもの」の部類ですが、結婚に関するアドバイスということで、『ドット・コム・ラヴァーズ』に興味をもって読んでくださったかたなら誰にでも関心のある話題でしょう。文化・社会を問わず「普遍的」と思えるアドバイスもありますが、アメリカならではと思えるものもあります。それぞれのアドバイスに、自分が賛成するか反対するか、考えてみましょう!
2008年7月8日火曜日
『ドット・コム・ラヴァーズ』への反応 その2
『ドット・コム・ラヴァーズ』についての感想がさらに集まりましたのでご紹介します。
まず第一に、「こんなことまで書いちゃって大丈夫なの?」という種類の反応をする人がとても多いのが、私にとっては興味深いです。コメントのなかで「赤裸裸」という単語を使う人が多いので、「こんなこと」というのは、おもにセックスに関する描写を指しているのだと思います。そして、「こんなものを書いて、今後、学界や仕事仲間から偏見をもたれたり、見当違いの批判を受けたりしないのだろうか」とか、「この先、日本の大学に就職するという可能性はまるで考えていないのか」とかいった心配をしてくださる人が多いです。そうしたプラクティカルな考慮に加えて、単純に、「よくもまあ恥ずかしげもなくこんなことまでさらけ出すなあ」と半ば呆れた反応をする人は多いようです。
セックスを含め、普通はあまり不特定多数の読者に対しては公表しないような話題も本にはたくさん入れたので、そうした反応をする人がいるであろうことは想像していましたし、実際、執筆や編集の段階で、「こんなものを本当に本にしてしまっていいのだろうか」という疑問がときどき頭のなかで湧いてきたのも事実です。そして、自分はアメリカの大学ですでにテニュアを取得し、昇進審査も通過していて、職業上の立場は一応安定しているし、日本の学界や出版界での仕事は続けていくつもりはあっても、日本の大学に職を求める予定は今のところない、という現実の状況が、この本を執筆するにあたってのプラクティカルな考慮にまったく入らなかったとは言えません。
が、実際のところ、そうしたことについては、私はあまり悩まなかったのも事実です。センセーショナリズムを狙った本だと捉える人もいるでしょうし、はしたないとか下品だとかいった思う読者もとくに学界にはいるでしょうが、そんなことを心配していては、執筆活動はできません。そういった心配から、書きたいこと論じたいことを削除したり変えたりするくらいの内容だったら、初めから書く価値がないだろうと思っています。また、正直なところ、セックスに関する記述も、私はそれほどたいしたことだとは思っていません。男女関係についての著述でセックスに触れないことのほうが変だと思いますし、かといって私は本のなかで具体的な行為の描写をしているわけでもありません。あくまで男性との出会いや交際の一部としてのセックスについて書いただけで、そうした著述を通じて自分がとくに画期的なことをしているとかいった意識もあまりない、というのが正直なところです。私の知人友人はみな「うん、確かに」と言うでしょうが、もとから平均よりはかなりぶっちゃけた性格なんです。
それから、この本を、一種の「恋愛論」として読む人が多いらしいというのも、私にとっては実はかなり意外な発見です。本を読めばわかるように、私は、いろいろな男性と出会ったりつきあったりはしてきましたが、そんなことは40まで独身でいればごく当たりまえのことでしょう。そもそも、これだけ多くの男性と出会ったりつきあったりしていながら、今でもシングルだということ自体、自分が「恋愛論」などを展開するにはまるで不適格な人間であるということは、(残念ながら)強く強く認識していますし、「論」を展開しているヒマがあったら、実際の恋愛にエネルギーを使いたい、というのが正直な気持ちです。ですから、「この本を読んで、恋愛や結婚についてすごく考えさせられた」とか「恋愛についての勇気をもらった」とか「これは一種の恋愛バイブル」とかいったコメントを聞くと、私が一番驚いてしまいます。
私がこの本を書いたおもな動機は、研究書や論文といった形式の文章では伝えにくい、アメリカの姿を描くことにありました。長期にわたってアメリカで生活や仕事をしてきたアメリカ研究者として、知的な意味でもパーソナルな生活体験といった意味でも、「アメリカ」について語るだけの資格が少しはできてきたかなと思うので、こうした本を書いたのです。だから、オンライン・デーティングや恋愛といったテーマや、体験談という著述スタイルは、著者の私にとってはどちらかというと副次的なことなのですが、アメリカ文化といったことの他に、恋愛だとか男女関係だとかインターネット上の出会いだとかいった視点からこの本に興味をもってくださる読者がいるのは、むしろ私にとって、「なるほど」といった感じです。
といった前置きをしておいて、以下、寄せられたいくつかの感想をご紹介します。
-トニ・モリソンを知らなかった自分は、明らかに著者の交際の対象外なんだなあと思った。[ちなみに、このコメントをくれたのは、私の大学時代からの友人の男性ですが、別に私の交際の対象になりたいからこう思ったわけではなくて、単に、「へー、こんなことを基準に選んでいるんだ」と思った(呆れた)わけです(と思います)。他にも、女性の友達でも、「とくに政治意識も強くない私なんかと、著者がよく友達でいるなあと思った」といった感想をくれた人もいます。]
-けっして著者のよいところばかりをアピールしているわけではないけれど、この本を読んだら、さすがに著者の価値観に合わないような人物が寄ってくることはないだろう。著者を交際相手として考えたり、口説くことをねらっている男性には、この本を読むことが非常に役に立つだろうと思った。[確かに、それはそうですねえ。素敵な独身男性で、この本に書いた私の価値観に合っていそうな人がいたら、ぜひともこの本を読ませてあげてください(笑)]
-アメリカに住んだことも、文化に親しんだことのない自分でも、著者の交際の様子や、著者の視点からの人物の描きかたで、ものすごく具体的に相手の男性たちの雰囲気、価値観、生活スタイルを知り、感じ取ることができた。ベースは、サイトを通じての著者の体験談だが、その内容を通じて、アメリカのさまざまな人物の雰囲気や文化的な背景による違いを知ることができた。小説や映画だと、感情移入ということが先に立って、文化的な差異といったことに思いをめぐらせないことが多いが、この本では、著者の交際相手という意味で、読者にとってある種の身近さ、どきどきわくわく含みの先行きへの期待感を感じさせつつ、人物の描きかたが、冷静な表現での記述に徹していて、驚くほどよく相手の男性たちをイメージすることができた。いいバランスで読めた。[私のもともとの意図が伝わったという点では、こう言っていただけることが、私には一番嬉しいです。]
-これはある意味、恋愛バイブルのようなものになりうるのかなと思った。一人の女性がある特定の年代の数年間のなかで、これだけ多くの男性と真面目な恋愛を前提とした交際をした記録というのも、なかなかありえないだろう。著者の個人的な考えや価値観に沿った恋愛の記録ではあるけれど、それでもここまで自分の感情にウソなく、熱い恋愛感情も表現しているのに、その恋愛の背景を冷静な広い視点から描いているのが凄い。人と人とのつきあい、特に男女の交際や人生のパートナーとのつきあいにおいて、「価値観のある程度の合致」が一番大事だというのは、もともと共感できる考え方だし、男女交際の最大の「真実」かなと思っているので、この本を読んだほかの人たちも、そのように感じるといいなーと思った。
-登場する人物たちについて、文化、宗教、職業、地域的な背景をもとに、「こうした人たちはえてして、こういった価値観をもち、こうした行動をするものだが、彼にとってもやはりそうであった」という類の描写がよく出て来たが、アメリカの現実を知らない自分としては、そうしたパターンをどの程度の確度のものとして理解すればいいのか、ちょっと不安に感じた。著者を知っている自分は、漠然と、「典型的な文化観」を先に持たないところから入るのかと思っていたので、意外だった。[これはなるほど、私にとってとても面白いコメントです。要するに、この本が、文化や地域によるステレオタイプを作ったり再生産したりしているのでは、ということだと思います。私としては、いっぽうでは、日本の読者の多くがもっていそうなステレオタイプ・偏見・無知(たとえば、ゲイの人々や、ワシントン・ハイツ、ハワイについて)をある程度修復したいという意図はあります。またそのいっぽうでは、現実のアメリカ社会において、人種や民族、宗教、地域、社会階層、性的指向、政治的志向などのカテゴリーによって、価値観や感覚、生活スタイルがかなりの程度違ってくるという状況も、描写したかったのです。そうした状況を、多くの日本人はよく理解していないと思うので、そうしたことを、男性の描写を通して具体的に伝えることには、意味があると思いました。それを、ステレオタイプ強化という結果にならずに伝えるのが難しいところです。]
以上は、友人からのコメントです。さらに、つい昨日、評論家の小谷野敦さんが、以下のようなコメントを発表してくださいました。ご存知のかたもいるかと思いますが、数年前に、私は某学術誌で、小谷野さんの著書についてきわめて批判的な書評を書き、それに反駁した小谷野さんと、ネット上で数回のやりとりがありました。小谷野さんは(あれだけ批判的な書評を書かれたら著者は誰でも気を悪くするのは私もわかっていました)たいそう気を害されていたはずです。それにも関わらず、『ドット・コム・ラヴァーズ』についてこうした好意的な評を発表してくださっているのは、小谷野さんのプロフェッショナリズムの顕われで、たいへん感謝しています。いつも私の味方でいてくれる友人知人に「よかった」「面白かった」と言ってもらうのはもちろん嬉しいですが、かつて激しい議論を交わした相手にこのように評価していただくのは、いっそう意味があることだと思っています。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080708
7月9日(水)東京大学駒場キャンパスにて講演会
急なお知らせですが、本日7月9日(水)4:20pmより、東京大学駒場キャンパスにて、『ドット・コム・ラヴァーズ』についての講演をします。矢口祐人先生の大学院の授業ですが、一般公開でどなたに来ていただいても大丈夫ですので、興味のあるかたはぜひいらしてください。研究者が自分の経験について語ること、といったテーマで少しだけ話したあと、みなさまからの質問やコメントにお答えするという形をとり、講演といってもきわめてカジュアルなセッティングです。
7月9日(水)4:20−5:50pm
東京大学駒場キャンパス(京王井の頭線駒場東大前駅下車すぐ) 8号館209号室
2008年7月1日火曜日
『ドット・コム・ラヴァーズ』への反応
『ドット・コム・ラヴァーズ』を早速読んで、感想を送ってくださったかたがた、ありがとうございます。丁寧に読んで、率直で具体的なコメントをくださる読者がいるのは、著者にとっては本当にありがたいことです。
「他の読者がこの本にどんな反応をするのか興味がある」というかたが多いので、以下に、いくつかのコメントをご紹介します。
-ここまで恋愛、男にこだわりがあるとは...
-自分は結婚して何年もたつうち、恋愛などという話から遠ざかっていたので、とても新鮮。
-ここに描かれているアメリカ社会は、私にとってはとても親近感がある。出てくる男性も自分の知り合いのようだったりして、「え、この人、別人だよね」とそれを確認するのに数度読み直したりした。
-eHarmony検索結果ゼロ大ウケ!そこに至るまでの質問項目の嵐にも笑える。
-ストーカーまがいの看護師の話には、「やっぱりコワい体験もしているんだ」と思った。「やっぱり」という形容詞は、日本の読者の多くがつけるのではないか。(日本ではネットでの出会いとは)危険なものという印象が強いから。
-(オンライン・デーティングが)遊び人だけのものとか、出会いがない人のためのものとかいうのではなく、またとくに危ないものでもなく、むしろ人生経験を豊かにしてくれる、というのが全体のトーンと感じた。とはいえ、そうしたポジティヴなものを得るための条件が実はたくさんあるように思う。私が強く印象づけられたのは、堂々と駆け引きをする真里さんの振る舞い。それは、英語による(広い意味での)コミュニケーション・スキルがきわめて高いことに裏打ちされていると思った。
-インターネットの普及とともに「ネチケット」が発達するように、オンライン・デーティングのマナーや規範が形成されてきているのが、社会学的に面白いと思った。でも、それが「従来型」の恋愛や恋愛観とのあいだで齟齬を生じることもあって、それぞれの人がなんとか折り合いをつけようとしている、そんなふうにも見える。
それから、最終章に出てくる「ジェフ」の部分については、「読んでいてとても辛かった」とか「涙が出てきた」というかたが何人もいます。彼との一件については、私自身はすっかり立ち直っているのですが、読者からそれだけの感情を喚起するということは、あの部分を書いたときは、私自身がまだずいぶん悲しみのなかにいたということでしょう。
以上は、私の友人知人からのコメントですが、「他人」の読者で、こんなに丁寧なコメントを書いてくださっているかたもいます。
http://bestbook.livedoor.biz/archives/50592689.html
なお、なかには、私が本を書く取材のためにオンライン・デーティングを始めたと思うかたもいるようですが、それは違います。私は本当にデートの相手を探すためにオンライン・デーティングを始めたのです。体験談を話しているうちに、「そんなに面白い話がたくさん集まったんだったら、いっそのこと本でも書いたら」と親友の矢口祐人さんに薦められて、その気になりやすい性格の私は本当に書いてしまった、という次第です。この本を通じて、日本の読者のかたがたに、現代アメリカの一端を伝えられるのなら、私のいろいろな出会いや別れも、ムダではなかったと思えます。
ちなみに、私の親は、一言だけ、「これは過激な本だね」とだけ言って、それ以上の感想は述べていませんでした...
2008年6月27日金曜日
『ドット・コム・ラヴァーズ』発売
私の新著、『ドット・コム・ラヴァーズ——ネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書)が、6月25日に発売になりました。
この本は、ニューヨークおよびハワイでの私自身のオンライン・デーティング体験談を軸に、あえてあちこちに脱線しながら、私の現代アメリカ文化・社会論を展開したものです。私の本業である研究書や論文の執筆では伝えにくい、人間臭い生身のアメリカの姿を、少しでも伝えられたらと思って書きました。自分で言うのもなんですが、なかなか面白い本だと思っています。是非読んでください。
なお、7月3日から21日まで、私は日本に滞在します。その間、取材などご希望のかたは、中央公論新社の中公新書編集部までご連絡ください。(cshinsho@chuko.co.jp)