2017年3月17日金曜日

Arts in Conversation: Immigration コンサート

トランプ政権発足以来、本当に呆れるほど毎日蒼くなるようなニュースばかりで、自分の限られた時間とエネルギーを有意義なアクションに結びつけるにはどうしたらよいのか、明らかに長丁場になることが必至の闘いを前にして、個人としても社会としても持続的な活動をどのようにして展開すればよいのか、頭を悩ませるところです。状況はまるで違うけれども、「この状況において自分は一体なにをすべきなのか」と考えると頭がクラクラするというという点では私にとっては共通する、3.11の震災後の日々もそうでしたが、(1) クラクラする理由はたくさんあるのだから、しばらくはクラクラしている自分をそのまま受け入れるのもよし。(2) ただ、いつまでもクラクラしているのは、自分にとっても社会にとっても役に立たない。(3) どんなに小さなことでもよいから、一日ひとつくらい、自分にとってとくに大事な問題について、具体的なアクションをとろう。(4) 社会全体からみたら小さなこと、周縁的なことに思えるようなことでも、自分が何らかの知識や経験をもっているエリアでアクションを起こすことこそが、世の中の役に立つ。と自分に言い聞かせて毎日を暮らしています。

そのひとつとして、今週火曜日にハワイ大学のコンサートホールで開催された、Arts in Conversation: Immigrationというコンサートに参加しました。現在の政治状況を憂慮する地元の音楽家が中心となって立ち上げたArtists for Social Justiceという集まりの発案で、トランプ政権下とくに熟慮と議論と活動が必要になるとピックについてアーティストの立場から対話を始めよう、という趣旨のもとでのコンサート・シリーズ。その第一弾として、「移民」をテーマにしたコンサートです。私が仲良くしている素晴らしいソプラノ歌手のRachel Schutz(以前の投稿で言及したteach-inで歌ってくれた人です)を中心に、ハワイで活動するプロの音楽家たちに加え、ハワイ大学の学部生や大学院生も混じって、音楽の演奏だけでなく、スポークン・ワードやダンスも含めた多様なプログラムになりました。私は企画段階からかかわり、今回はピアノ演奏ではなく、アメリカ研究者の立場から参加し、プログラムの半ばで、Music and U.S. Immigration/Exclusionというトピックの10分間弱のトークをしました。

このコンサート、私が今までかかわったイベントの中でも群を抜いて素晴らしいコンサートとなりました。フェースブックなどのソーシャルメディアと、ラジオでのインタビューやチラシやハガキなどの従来型のメディアの両方を使っての宣伝をしたのですが、なにがとくに有効だったのかはよくわからないけれど、とにかく驚くほどたくさんの聴衆が集まり、しかも大学でのイベントであるにもかかわらず、大学とは無関係のコミュニティの人たちがとても大勢来てくださり、そして、普通のコンサートではなかなか感じられない、演奏者と聴衆との一体感が感じられました。演奏者がそれぞれ自分のバックグラウンドなどについて話をしてから演奏したことや、演目のそれぞれがなんらかの形で「移民」に関連するものであったことで、親近感や興味が生まれたのがよかったのかと思います。音楽もスポークン・ワードもダンスもすべてがパワフルで美しく、涙が浮かんだり鳥肌が立ったりするようなパフォーマンスでした。




私自身のトークは、どういった内容にするかかなり悩みました。アメリカ研究者相手なら、知識や「知っているべきこと」の認識を共有している(はずな)ので、準備はむしろ楽。でもこういう一般聴衆との対話を目的としたイベントでは相手が果たして何を知っているのか、何を考えているのか、さっぱり見当がつかない。「こんなことくらいは知っているだろう」との前提で話をして通じなければ意味がないし、逆にあまりにベーシックな話をして「そんなことくらい知ってるよ、バカにするな」と思われるともっと困る。「一般のひとたち」は、1882年の中国移民排斥法や、1965年移民法について、どのくらい(少しでも)知っているのか?ユダヤ系アメリカ人と黒人音楽の関係や、ロシア移民の音楽家たちの位置づけなどについて、どのくらい(少しでも)知っているのか?といったことに加えて、そもそも聴衆が、音楽そのものに興味をもってくるのか、移民問題に興味をもってくるのかも、ちょっと見当がつかない。というわけで、ピッチングの加減についてずいぶん悩みながら準備したのですが、結果的には、自分のトークにこんなにポジティブな反応を聴衆からもらったことはないのでは、と思うくらいの大好評でした。

コンサートの模様は、画質音質はあまりよくありませんが、こちらのビデオで見られますので、興味のあるかたはご覧ください。(私のトークは58:00過ぎあたりから始まります。)

コンサート終了後、本当にたくさんの人たちが、「実に素晴らしい、有意義なイベントだった、どうもありがとう」と声をかけてくださり、出演者たちと長い時間「対話」をしていたことからも、このコンサートの開催は意味があったのだと実感しました。音楽やダンスや演劇などの生のパフォーマンスは、その場限りのものだからこそ、その経験を共有する人たちにとって意義深いものなのだと感じることができました。ちょうど、自分の研究・執筆において、広島平和記念コンサートについて書いている最中のことだったので、こうした社会問題をテーマにした音楽イベントの意義を再認識できた、という意味でも、私にとって学ぶことの多い一晩でした。

2017年1月23日月曜日

Women's March を2日後に振り返って

前回の投稿でも書いたように、一昨日のウィメンズ・マーチは、地元で参加している最中も、終わってから世界各地でのマーチの写真や動画をメディアや延々と続くフェースブック友達の投稿で見るにつれ、これまでに感じたことのない感動を覚えました。こんなに世界各地で同時進行した人々の意思表示、連帯活動を、私はこれまでに体験したことがあっただろうか。9.11後のアフガニスタン・イラク戦争への反対運動のときも各地で抗議行動はあったけれども、抗議の対象やメッセージがより絞られていたのに対し、今回のマーチは、トランプ政権というもっとも直接的な対象、そして運動の火付け役となった女性というアイデンティティを広く超えて、環境、軍事、人種、教育、移民、LGBT、性と生殖にかんする権利、労働、科学、刑務所産業複合体、文化芸術などなど、トランプ政権の影響を受けることが確実なありとあらゆる問題について、実に多様な人々が集まって意思表示をする、という大きな行動になったのが特徴的でした。

信じたくないような政治状況のなかで、マーチに参加することで、近くにも遠くにも同志がこんなにたくさんいるんだと実感でき、「じゃあ頑張らなくっちゃ」という気持ちになれた、という意味ではとても意義深いイベントだったと思います。そして、終わった後でも皆が「いや〜、感動的だったね」としみじみ語り合いながら、マーチで味わったエネルギーや連帯感をどうやって具体的で地道なアクションにつなげていくか、フェースブックなどのソーシャルメディアでも実際に顔を合わせての会話でも、みんなでアイデアをシェアしている。それはとてもポジティブなことだと思います。私もこれから、最低でも一日ひとつ、なにか具体的なアクションをしていこう、という決意をしました。

そのいっぽうで、渦中の興奮は少し冷めたところで、振り返ってさらに考えさせられることもあります。

ホノルルのマーチでも、実に多様な人々が参加していたのは素晴らしかったのと同時に、多様であるからこその難しさもなかったわけではありません。たとえば、マーチが終わった後での州議事堂広場での集会で、いろいろな団体や立場を代表する女性たちのスピーチが続きましたが、そのなかでももっともパワフルだったのは、若い(多くは10代)先住ハワイアンの女性のグループ。ハワイアンの権利と尊厳の回復などを求める活動家でもあり、素晴らしいスポークン・ワード・アーティストでもあるJamaica Heolimeleikalani Osorioのリーダーシップのもとで、このグループは、トランプ政権が代表する世界観・価値観に強い異議を唱えると同時に、「今大勢のマーチ参加者が集まっているこの州議事堂は、ハワイアンの人々にとっては、自分たちの王国が非合法に転覆されたことを思い出させる場所であり、アメリカ合衆国とハワイの圧倒的に非均衡な歴史を象徴するものである。今日のマーチはトランプ政権に異議を唱えるものであるが、私たちハワイアンは、1897年以来ずっとアメリカ大統領を相手に闘ってきたのだ。トランプ政権に抗議し、アメリカそして世界における女性の権利を守っていくためには、ここハワイにおけるアメリカ合衆国の暴力の歴史を直視し、ハワイを脱植民地化し、脱軍事化しなければいけない」というメッセージを発し、ハワイ王国最後の女王リリウオカラニが王国転覆に抗議した文章をグループで読み上げ、現代ハワイにおけるもっとも強力な活動家であるハウナニ・ケイ・トラスクの言葉を借りて、拳を振り上げながら「私たちはアメリカ人ではない!私たちはアメリカ人ではない!私たちはアメリカ人ではない!私たちは死ぬまでハワイアンとしてあり続ける!」と声高らかに訴えました。
 












ハワイの歴史やハワイアン運動について知っている人たちにとっては、「その通りだ」という内容で、それを若いハワイアンの女性たちが、こうした舞台で声高に訴えているということが感動を呼ぶものでした。そのいっぽうで、マーチの参加者のごく一部にはこうした発言を快く思わない人もいたようです。彼女たちのパワフルな発言の最中に、「こうして女性の連帯を表明するためのイベントで、白人とハワイアン、アメリカとハワイを分断するような発言はふさわしくない」という意の苦情を口にしていた人たちがいた、というのを後で何人かから聞きました。

女性の連帯を強化すると同時に、「女性」というカテゴリーのなかに含まれる多様なアイデンティティ、「女性」を区別する人種や民族や国籍や階層やセクシュアリティや障害などのきわめてリアルな「差異」にどのように向き合っていくか、という問題は、1970年代からフェミニズム運動が格闘してきた難題です。アメリカの文脈では、そうした「差異」を隠蔽することなく正面から捉え、「女性」としての立場や経験は差異の軸によってまるで違うのだ、という認識が、第三次フェミニズムという流れになって、以前の投稿でも書いたインターセクショナルな思考がだいぶ広まってきたものの、このような場面では、幅広い問題意識を共有した人々のあいだでさえ、差異を直視した上での連帯というのは難しいんだなあということを改めて感じさせられます。

それと多少関連して、アメリカ以外の世界各地であれだけ今回のマーチが人を集めたのだから、東京でもあったはずだ、どんな感じだったんだろうと、ネットで検索してみました。ちょっとネット検索して引っかかったごく選択的な情報をもとに印象や意見を固めてしまうのは危険なのはわかっていながらも、見つけたものにだいぶ違和感を感じたので、感じたことをフェースブックに投稿し、友達に情報や分析や意見を求めたところ、とても参考になるコメントをいろいろともらいました。(コメントや情報くださったみなさま、どうもありがとう!以下、いただいた情報や知恵を拝借して書かせていただいてます。)まだ十分に考えが整理できていないし、情報もまだまだ足りないし、なんといっても現場にいない私は社会の「感じ」をつかめないので、おそらくきわめて不十分な考えなのだろうとは思いますが、上に書いたこととの関連で書いておきます。

もちろん東京でもウィメンズ・マーチは開催され、ごく一部ながら報道もされているけれど、参加者は主催者報告によると680人くらいと、その規模は他の世界の主要都市とは比べることもできないほど小さく(ゆえに英語媒体では世界の他の都市の写真はたくさん出てくるけれど東京の画像はまず出てこない)、しかも画像や動画を見る限り、参加者のほとんど、そして取材されている参加者はすべてが日本在住のアメリカ人あるいはその他の外国人で、日本人(らしき人)の姿はほとんど見えない。(参加した友達の観察だと、日本人らしき人は三割くらいだったとのこと。)参加者が行進しながら唱えるチャントや歌も、掲げているサインもみな英語。これにはかなり違和感を覚えた。

もちろん、私の検索に引っかかる情報が偏っている可能性はじゅうぶんあるけれど、アメリカ各地はもちろんヨーロッパ在住のFB友達のマーチに関する投稿は何百と連なっているのに、私のFB友達で東京のマーチに参加したという人はひとりだけ。とすると、国によってこのイベントへの関心の温度差はやはり現実としてありそうだ。この温度差はいったいどこからくるのだろう?

前回のブログでも書いたように、マーチに参加さえすれば活動家としてのお墨付きになるとか、マーチに参加しないのは社会的意識が低い証拠だとか、思っているわけではありません。マーチというのはあくまでもひとつの象徴的な行為であって、大規模で平和的なこのイベントを成功させた実績を、実際の政策に結びつけることができなければ、マーチの意義はない。そして、マーチという形の意識表明はひとつの文化なので、いくら世界各地でこのマーチが行われたからといって、それが普遍的な社会運動の印だとも言えない。それでも、日本でも集団的自衛権をめぐってはSEALDsをはじめとして若者を含む数多くの人たちが抗議行動に集まったのだから、マーチといった行動自体が今の日本の人たちにとって異質だとか、日本の人々の政治的関心が低いとか、そういうことはないと思う。では今回のマーチにかんするこの温度差はどこからくるのか?

考えられることとしては、

 (1)トランプの行動や発言や掲げている政策には確かに問題点は多いとはいえ、民主的な選挙よってアメリカ国民が選んだ大統領なのだから、その政権に日本の人間が抗議する筋合いはない。実際にトランプ政権が日本に不利益をもたらすようであれば、その時点で日本の政財界リーダーが交渉力を発揮し、それでも不十分であれば日本の人々が抗議行動に出るかもしれないが、今の時点で日本人がマーチをするインセンティブはない、と考えられている。

 (2)トランプ政権がもたらす危機が、日本の人々にじゅうぶんな現実感をもって伝わっていない。医療保険や移民政策において極端な立場を表明している、といったことは報道されていても、それはアメリカの人たちにとっての問題であって、日本にいる人たちには直接の影響はない、少なくともわざわざ寒いなか出かけていって行進するほどの切迫感はない、と捉えられている。

 (3)ウィメンズ・マーチというと、女性の運動として限定的に捉えられやすい。そして、トランプ政権と女性の問題というと、女性の中絶の権利の問題に注目が集中しがちである。中絶の権利が現実の問題として感じられにくい日本では、女性の連帯といってもかなり抽象的な次元でしか感じられない。
 
 (4)東京のウィメンズ・マーチを企画したのはロスアンジェルス出身のアメリカ人女性らしいが、企画チームが、日本の市民団体、女性団体と提携する努力が足りなかったのか、努力はしたけれど日本の団体側からの反応が足りなかったのか、とにかく、このウィメンズ・マーチの趣旨を日本の人々にとっての問題意識にじゅうぶんに結びつけ、広く日本の人々を動員することができなかった。

 (5)カナダやヨーロッパ、オーストラリア・ニュージーランドなど、先住民と入植者の関係や人種問題と格闘してきた歴史、移民の大量流入とその排斥の歴史をもち、現在も移民や難民の流入とそれに対する政府や社会の一部の反応に向き合っている国々では、トランプが象徴するようなファシズム的ナショナリズムのもたらす危機を、自分たちの問題として引きつけて考えやすい。ゆえにそうした国々では、トランプ政権そのものに抗議するということを超えて、自国の政府や社会に対する訴えとしても、多くの人たちが、マーチに参加した。それに対し、日本ではトランプ政権を自分たちにレレバントな問題として捉えるとっかかりが少ない。

 (6)アメリカ国外であれだけマーチに人が集まったのは、大国アメリカが象徴的に担ってきた、そして実際にリードしたり維持に貢献してきた、自由や平等を追求する姿勢や多様性や開放性を尊ぶ価値観が、トランプ政権によって損なわれてしまう、という強い危機感を内発的に抱いた人々が、アメリカでのマーチをきっかけにやむにやまれず自ら行動に出た、という要素が強い。日本はアメリカの同盟国であり人々はおおむね親米的な心情であるとはいえ、社会全体としてはアメリカが象徴するそうした価値観を見習おうという姿勢はそもそもそれほど強くない。ゆえにトランプ政権に抱く危機感もそれほど強くない。あるいは、内発的危機感はあったとしても、人々の多様な危機感を求心的に行動に結びつけるようなリーダーシップや組織力が不在だった。

今の時点で思いつくのはこのくらいです。それぞれの点について「そうはいってもねえ」と言うことはいくらでもできるのですが、それはともかく、上で書いたハワイアンの問題との関連で一番引っかかっているのが(4)。私の知り合いのなかで唯一東京のマーチに参加した友達によると、彼女はマーチの二日前に在仏アメリカ人の友人からの情報でイベントの趣旨を知って参加したものの、東京のマーチに関して日本語での呼びかけは目にしなかった、とのこと。また、「反トランプ」を唱えるのが主な目的ではなく、「人権・多様性・自由・平等」の価値を尊重していることを示すための静かな行動を目指していること、ウィメンズ・マーチといっても性別・ジェンダーに関係なく誰でも参加できる、というマーチの趣旨やイベントの具体的な情報は、日本では広く拡散されていなかった。東京のマーチの共催団体は(アメリカ)在外民主党、ということで、党派性もあった。ということだったようで、そう考えるとやはり企画者が「アメリカの政治に関する抗議マーチ」という以上の訴えかけを日本の人々にしなかったのではないかと推測します。

日本でマーチをするにあたって、日本語で情報を拡散せず、日本の人々の関心を喚起するようにマーチの大きな趣旨をきちんと説明せず、日本の各種団体への働きかけなどをしなかったんだとしたら(本当にしなかったのかどうかは、きちんと調べてみないとわかりません)、それは呆れる姿勢だと思います。日本在住アメリカ人が東京でトランプ政権に抗議するマーチをするのは、それはそれで結構だと思いますが、どうせするんだったら、この危機が日本の人々にどのようにレレバントであるか、なぜこれが「アメリカの問題」を大きく超えた世界の問題であるかを説明し、日本の人々との連帯を育むようなイベントとして企画するべきではなかったのか。日本語で広報する必要を感じなかったのだとしたら、それはあまりにも日本に対する無知・無神経の表れではないか。ある意味コロニアルではないか。インターセクショナルどころか、このマーチの趣旨に相反するものではないか。

などと考えると、これだけ世界の人々を動員したマーチでも、差異を認識した上で深い意味での連帯を築くというのは、実に難しいものなのだなあ、こうした困難がこれから必要なたくさんのアクションでマイナスに表面化しないといいなあ、マーチ大成功万々歳と喜んでばかりいる場合ではないなあ、という気持ちになります。

トランプ政権は「アメリカの問題」を大きく超えて世界の問題である、という現実はトランプ大統領就任三日目の今日にしてすでにいくつもの具体的な形になって表れていますが、それらについてはまた追って書いていくつもりです。

2017年1月21日土曜日

J20 Day of Resistance & Women's March@ホノルル

とうとうトランプ政権が発足しました。もはやこれはトランプ氏というひとりの人間の人格や価値観や政策の問題だけではなくなっています。閣僚に選ばれている人は、見事にひとり残らず、これまでにアメリカの人々が障壁を克服してきたり権利を勝ち取ってきた流れに逆行する立場を公表している人物。大統領就任の当日には早々、ホワイトハウスの公式ウェブサイトから気候変動やLGBTにかんするページが削除される。オバマケアを撤廃しようという動きはすでに始動中。などなど、ニュースの見出しを見るだけで吐き気がするようなことだらけ。

でもそのいっぽうで、昨日と今日は、計25年近くになる私のアメリカ生活の中でもいい意味でもっとも印象に残る2日間に入るものでした。

トランプ大統領就任が象徴するものに抗議する人々がアメリカ全国でさまざまな活動を企画し、とくに各地の大学では、伝統的な講義やセミナーという形式を超えて、開かれた場で活発な議論をするためのteach-inと呼ばれる活動が行われました。ハワイ大学でもJ20 Day of Resistanceという名のもと多様な活動がありました。午前中は、さまざまな学部がその専門に沿った内容のワークショップやディスカッションを開催。アメリカの宗教と政治を専門にしている同僚が開催した「トランプ時代におけるムスリムとの連帯」というセッションを見学しましたが、ハワイ大学を卒業し現在は医学部の学生である、ムスリムの女性をゲストに呼び、世間に蔓延するムスリムにかんする誤解や、ムスリムとしてアメリカそしてハワイで暮らすということの意味を、体験的に語ってもらいながら、参加者の質問やコメントに答える、というもので、とてもいいセッションでした。私自身は、今学期「アメリカの音楽と文化」という学部生用の授業を担当しているため、これを機会にSongs of Protest, Songs of Solidarityという特別セッションを企画し、授業を受講している学生だけでなく誰でも参加してもらえるように公開しました。私がアメリカにおけるプロテストソングの歴史と、We Shall Not Be Moved, We Shall Overcome, Amazing Graceの3曲の背景や普及の経緯(どれもとても有名な曲ですが、それぞれにとても興味深い歴史があるのです)を簡単に説明。その後で、ゲストとして来てもらった素晴らしいソプラノ歌手の友人であるRachel Schutzがリードし、アメリカ研究学部の同僚で趣味で演奏や作曲をするJoyce Marianoがギター、私がキーボードで伴奏して、皆で実際にその3曲を歌う、というセッション。受講生以外の参加者も予想以上に多く、学生だけでなく他学部の教員やアドミン陣、大学外の一般の人たちも参加して、積極的に質問や発言をしてくださったうえに、初めは気恥ずかしそうにボソボソしていた学生たちも最後には元気に声をあげて歌っていました。(テレビの取材も来ていて、後から友達に聞いたところによると夜のニュースにこのセッションの様子が出ていたそうですが、残念ながら動画はアーカイブされていない模様。)




その後キャンパスの中心で行われた全体のteach-inでは、女性の安全、LGBTの権利、移民政策、ハワイ先住民とアメリカ合衆国の関係史など、さまざまなトピックについての専門家・活動家が問題を提起し行動を促すスピーチをし、その合間に私は再び上記の3曲についての背景説明と伴奏をして皆で歌いました。その後、キャンパスからワイキキまでの行進があり、他の3ルートの行進と合流して、トランプタワーの前でデモをしました。


就任式を見てうんざりした気分になるよりもこうやって過ごすほうが有意義だと心から思えた昨日でしたが、一夜明けて今日はさらに感動的でした。全米の何百もの都市だけでなく世界中の各地で企画されたWomen's Marchがホノルルでも行われ、私も参加しました。


私は計17年間ほどになるハワイ生活で、数多くのデモ集会や行進に参加してきましたが、今日のハワイ州議事堂周りの行進は私がこれまでに参加したもののどれよりも規模が大きく、メディアによる推定人数は5000人から8000人ほど(メディアによって推定人数にだいぶ差がありますが、これは各メディアの政治的指向の他にも、どの時点・地点で人数を推定するのかが難しい、という要素があるでしょう)。Women's Marchとはいっても圧倒的に女性が多いということはなく、私が見た感じだと少なくとも四分の一から三分の一くらいは男性だったし、人種や年齢(若い人たちの元気も胸に迫るものがありますが、車椅子や杖で行進している高齢者の人たちの姿にも勇気をもらいました)や、いわゆる「スタイル」が実に多様な人たちが、こうして一堂に集まり、ホノルルにしてはかなり肌寒く強風で雨もあった天候のなか、皆で行進しているということに、言いようのない感動と高揚感をおぼえました。










そして、家に帰ってからフェースブックを見ると、ボストン、プロビデンス、ニューヨーク、アトランタ、シカゴ、マディソン、コロンバス、セントルイス、ヒューストン、オースティン、シアトル、サクラメント、ロスアンジェルスなど、本当にありとあらゆる都市でみなが行進に参加している写真を投稿している。そして、行進に参加するため、何時間も飛行機や電車や車に乗ってワシントンに出かけていった人たちがたくさんいる。みなが、この行進のトレードマークとなったピンクの毛糸の帽子を被ったり、政治的メッセージとユーモアの混じったサインを掲げたりして、何万人もの人たちと一緒に道を歩いている。その様子をフェースブックで見ていると、「そうだ、これこそが私の信じてきたアメリカだ」という思いがこみ上げてきて涙が出そうになります。

もちろん、考えを同じくする何千人、何万人、都市によっては何十万人もの人たちと、時と場所を体験を共有するというのは、否定しようのない高揚感や連帯感があるものです。それと同時に、こうした行進といった活動はあくまで象徴的なものであって、それ自体が具体的な政策につながるものではないのも事実。行進に参加したということで、自分が政治的な活動をした、フェミニストとしての責務を果たした、というような気分になり、その場で写真を撮ってフェースブックやインスタグラムに投稿することで、自分が「ちゃんと活動している」ことを友達に証明したつもりになり、その翌日からは何もしない受動的な位置に落ち着いてしまう、という可能性もあるでしょう。でも、今日の世界各地での行進で参加者が感じ取った、多くの人に共有されている政治的決意や使命感、そして「皆で力を合わせればこれだけのことができるのだ」という実感は、明日からも息の長いさまざまな活動につながっていくのではないか。そう実感できる一日でした。

2016年12月13日火曜日

2万枚のSPレコード・コレクションの危機

先日、オーケストラとアーカイブについての文章を書いたばかりのところに、今朝フェースブックで数人の知人が投稿している「巨匠の響きよ永遠に!藝大に遺されたレコード2万枚の危機を救うというリンクを開いて蒼ざめました。

世界的SPレコード研究家であったクリストファN・野澤さんが収集した2万枚のクラシックSPレコードが、野澤さんが亡くなったあと東京藝術大学附属図書館に寄贈されたものの、資金不足により適切な保存・保管ができておらず、段ボール箱に入ったまま倉庫や図書館のすみに置かれている、とのこと。ぬぁ〜んと!SPレコードはLPよりもずっと重く割れやすいので、こんな状態で長く放置されていたら大変なことになるでしょう。 

私は、もう10年以上も前のことですが、『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』のための (正確に言えばその原本であるMusicians from aDifferent Shoreのための)研究の一部で三浦環について調べていた頃、知人の紹介でクリストファN・野澤さんのご自宅に伺い、コレクションの一部を聴かせていただいたことがあります。SPレコードというものを聴いたのはその時が初めてでしたが、鮮やかで立体的な音がするのに驚いた記憶があります。また、野澤さんの穏やかで誠実で知的な、「紳士」という単語がぴったりのお人柄にも感動しました。研究についてのご報告をする機会を逸したままになってしまったのを申し訳なく思っています。 

さて、2万枚というこのコレクション。日本における洋楽受容史だけでなく、クラシック音楽そのものの歴史や、録音技術の発達に伴う音楽文化の歴史を辿る上で、きわめて貴重な資料であることは間違いありません。なにしろ2万枚もあれば、それだけで数多くの物語を語ることのできるたいへん立派な「アーカイブ」。 日本だけでなく世界の音楽家や研究者にとっても貴重なコレクションなのではないかと思います。 

レコードというとまずは「音源」として扱われる、すなわち、そこに記録されている音の内容に目ならぬ耳が向けられるのは自然なことですが、きちんと保存されれば、「もの」としてのレコードにはもっと多様な意味があります。それぞれのレコードがどんな風にパッケージされていたのか、曲や演奏家についてどんな紹介文が掲載されていたのか、といった、商品としてのSPレコードを分析することもできるでしょうし、野澤さんのコレクションの形成の過程を分析することで、「コレクター文化」を語ることもできるでしょう。 

などなど、このコレクションの可能性はいくらでも考えられる。しかもそれがまとまった形で東京藝術大学の附属図書館にある。(ちなみに私は去年と今年の夏、資料集めのためこの図書館に何度か通いました。学外者でも簡単な手続きだけで資料を閲覧できるのはありがたかったのですが、少なくとも建物の様子で見る限りは、東京藝術大学の図書館だったらこの十倍くらいは立派であってもよさそうなものだとの印象を受けました。来年秋から改修工事が行われるということなので、それによって、建物だけではなく肝心の資料の収集・保存・公開にもたくさんのリソースが注がれるとよいのですが。)それなのに、それが段ボールに眠っているなんてことは、現在そして将来の人類の知に対する一種の暴力といってもいいくらいだと思います。 

現在、レコードをきちんと保存するための保存箱を手配するため、500万円を目標額にReadyforで資金集めがなされています。500万円なんてせこいことは言わずに、もっと大きなビジョンをもって、少なくとも数千万円の資金を、国や財団や篤志家から集めたらよいのに、と思います。そして、きちんとした保存・保管だけでなく、カタログ化や(少なくとも一部の)デジタル化をして資料を世界に公開し、コレクションを利用する音楽家や学生や研究者のために助成金を出し、また、コレクションからキュレートした一連の音楽会や放送番組をプロデュースする(あるいはそうしたプロデュースをしようという人や団体に助成金を出す)などして、閲覧や研究をさまざまな形で促進するような、大規模なプロジェクトにしたらよいのにと思います。 

私は少し前に日本の文化政策について少し調べていたので、文化庁や関連の公的機関や民間財団にそうした財源がないわけではない、また、そういったプロジェクトをしようという人たちの意欲や知恵がないわけではない、ということはわかっています。ただ、グラントライター(さまざまな財団や公的機関の助成金に応募するための書類を作成する人)が専門職業として確立していて、芸術団体を含むそれなりの規模の非営利団体はグラントライターをスタッフとして雇っているのが一般的なアメリカと比べると、グラント文化がまだ未熟(「まだ」というといずれはそうした文化が発達するかのような表現ですが、そうなる兆しはあまり見えないし、そうなるのが望ましいかどうかも不明です)な日本では、そうした資金を提供する側も受け取る側も、そのノウハウがじゅうぶん発達していない、という印象。 

私が日本在住だったら、私自身何か働きかけたいところですが、とりあえず今は、自ら少額の購入予約をして、勝手に広報の一端を担うくらいしかできないので、こちらにてお知らせしておきます。

2016年12月8日木曜日

真珠湾攻撃75周年記念式典を(テレビで)見て

昨日は真珠湾攻撃75周年で、パール•ハーバー=ヒッカム共同基地のキロ埠頭で記念式典が行われました。

私はハワイで生活するようになって20年近くがたちますが、 127日を迎えるたびに、ハワイそしてアメリカの歴史観や歴史のナラティヴの中での真珠湾攻撃の位置づけにはっとさせられます。今年は、調査と短い旅行を兼ねて夏に広島に行くことになっていたので、どうせなら平和記念式典を見学してみようと、86日に合わせて行きました。せっかく広島の式典に出たので、太平洋戦争の記憶や表象の比較ということで、パール•ハーバーの式典にも出てみようかと思ったのですが、現地に行くためにはなんと朝の4時くらいに指定の駐車場に到着して、そこからシャトルに乗らなければいけない、そしてそんな時間に出かけて行っても一般人は式典会場内に入るのはまず無理で、別の場所に設置された大きなスクリーンで映像を見るだけだ、ということだったので、断念して家でテレビ放送を見ました。そこまでの混雑になるほど多くの人々がこの式典に出かけていく、ということ自体に、人々にとっての真珠湾攻撃の意味を再認識させられますが、今年は75周年という大きな節目で、例年よりもさらに深い意味づけがされています。

127日に至るまでのしばらくのあいだ、 地元の新聞やテレビは、75周年記念に向けてのさまざまな特集を組んでいました。その多くは、日本軍の攻撃作戦、攻撃当日のオアフ島の様子と破壊の状況、若いアメリカ兵士たちの勇敢な行動とアメリカ軍の素早い復興、生存者や退役軍人たちのその後、といった点に焦点が当てられていて、これまでのアメリカにおける真珠湾攻撃についての記述や表象と特に変わったことはないように思えました。ただ、存命中の真珠湾攻撃経験者や第二次世界大戦の退役軍人はすでに百歳前後で、彼らの生の声を聞けるのはそう長くはないこと、75周年が重要な歴史の一点である、ということは強調されていました。

当日は朝4時半からテレビで特集番組が始まり(私は6時半くらいまで寝ていたので、式典が始まる少し前からしか見ませんでしたが)、世界から現地に集まった数千人の参加者たち、なかでも攻撃生存者や退役軍人たちの姿を映していました。攻撃の始まった時間である755分には黙祷が捧げられ、続いてアメリカ合衆国の国家、もとハワイ王国の国家で現在はハワイ州の州歌であるハワイ•ポノイが演奏され、さらにカフと呼ばれるハワイの儀式を司る僧侶によるチャントと祈祷の言葉がありました。

パール•ハーバーにおける歴史の表象においてもアメリカの人々の意識においても、「真珠湾」とは「1941127日の日本軍による奇襲攻撃」とほぼ同義になっていて、日米戦争の始まりを意味するもの、として認識されています。アメリカの人々に限らず、たいていの日本人にとってもその認識は当てはまるでしょう。

真珠湾が「日米戦争の始まり」という歴史の一点としてしか認識されないということは、そもそも真珠湾はどういう「場所」であったのか、1941127日以前にはそこには何があったのか、という視点が失われることでもあります。より直接的に言えば、 アメリカ海軍の拠点になる以前には真珠湾はハワイアンの人々にとってどんな場所であったのか、アメリカ軍に占拠されることによって湾の自然環境にはどんな変化があったのか、そしてその近隣で暮らしていた人々はどうなったのか、といったことには、現代の人々はまず思いを巡らせることはない。

そういうなかで、真珠湾攻撃を記念する式典でハワイアンのカフが祈祷を捧げる、ということをどう解釈するべきなのかは複雑です。式典の企画委員会がハワイアンの歴史や文化や宗教に敬意を払っている印と見るべきなのか、それとも、ハワイアンの歴史を無視して真珠湾を「日米戦争の始まり」として記念式典をするなかで形だけハワイアンの文化を取り入れて収斂していると見るべきなのか。ハワイアンの祈祷に続いたのが、世界連邦日本宗教委員会の代表による祈祷挨拶であった、ということも、真珠湾をめぐるアメリカ合衆国とハワイと日本のあいだの力学を示しているように思えます。

アメリカ海軍とともにこの式典の主催者の一部である、National Park Serviceの代表である女性ふたりのスピーチは、アメリカの歴史を保存•表象•記念するなかでの国立公園の役割について語っていて、真珠湾攻撃の記念式典でのスピーチとしては興味深かったです。アメリカの国立公園というものは確かに非常に面白く、研究もいろいろなされている(ことは知っていてもその中身はよく知らないので、勉強しなくては)のですが、一般の観光客が「パール•ハーバーに行く」ときに訪れるWorld War II Valor in the Pacific(このネーミングがこれまた象徴的)が、National Park Serviceによって運営されている国立公園である、ということに気づき、そのことの意味を考える人は、あまりいないのではないでしょうか。

いろいろ考えさせられることの多い式典でしたが、なかでも私が一番どきっとしたのが、海軍太平洋司令部のハリー•B•ハリスによるスピーチ。式典の性質上、そして海軍太平洋司令官という立場を考えると、このスピーチが、真珠湾攻撃で亡くなった人たちに祈りを捧げ、生存者や退役軍人の果敢な行動を讃える内容になることは予想していましたが、びっくりしたのが、彼は正式なスピーチ(文面はこちらで公開されています)を始める前に、国歌を演奏した海軍バンドを讃え、そして「私たちが今日敬意を表している人々、そして75年前のあの運命的な朝に命を落とした人々は、国歌が演奏されたときには必ず立ち上がり、跪くなどということは決してしなかったはずです」と強い口調で言ったのです。すると聴衆の多くは立ち上がり、声をあげてまる1分間以上拍手をしていました。

「国歌が演奏されたときに跪く」というのは、フットボールのサンフランシスコ49ersのクオーターバックであるコリン•カパーニックをはじめとする何人かの選手が、今年8月以来、試合開始前の国歌の演奏の際、慣習通り起立するかわりに、跪いて前を直視していることを指したものです。全国各地で次々に起こっている、アフリカ系アメリカ人への警察の暴力と、それに象徴される人種関係に抗議の意を表する行為で、カパーニックは「黒人やほかの有色人種を抑圧する国家の旗に(国歌の演奏中に起立をすることで)誇りを示すことはしない」「僕にとって、この問題はフットボールよりもずっと大きなもので、(無視できない大きなことが世の中で起こっているのに)あえて目をそらすというのは身勝手な行為だと思う。道で人が殺されていて、その殺人を犯した人間が有給休暇をもらっている(黒人に暴力をふるった警察官が処分を受けないことを指す)世の中なんだ」と公式に発言しています。その後、49rsの代表は「国歌の演奏は、これまでもそしてこれからも、試合の儀式の重要な一部です。それは、我々の国家に敬意を表し、アメリカ国民として与えられた自由に思いをはせる機会でもあります。宗教の自由や表現の自由といったアメリカの原理を尊重する上で、国歌の祝福という儀式に参加するかどうかの選択は、選手個人の権利であるということも我々は認識しています」と、彼の選択を認める公式発表をしています。しかし、カパーニックと彼に続いて国歌演奏中に跪くようになった選手たちの行為は、大きな議論や非難を巻き起こし、カパーニックは嫌がらせの標的になり、試合中に彼に向かってものを投げる観客も出てきています。自由や平等といった理念を国家やそれを代表する組織が裏切って、人々が抑圧されている以上、その状況に抗議することこそが愛国的な行為であると、彼に賛同しその勇気を讃える人々も多いいっぽうで、国歌の演奏中に起立しないのは国に対する冒涜である、と強く考える人も多いのです。

アメリカにおける人種関係の深刻さは、今回の選挙の展開にも見られる通りです。国歌の演奏中に起立を拒否するという象徴的な行為が政治的にもつ意味については、大いに議論されるべきことだとは思います。しかし、真珠湾攻撃の記念式典で、国のために命を落としたりキャリアを捧げたりした人々を讃えるのに、わざわざこの話題に言及することで平和的抗議活動を批判するというのは、とくに現在の政治•社会状況においては大きな問題だと思います。この発言に続く正式なスピーチでは、予想通りの内容に加えて、安全保障の重要性、日本をはじめとする環太平洋同盟の強化の必要性を訴えるものでした。トランプ政権誕生を前に、真珠湾攻撃という歴史の記憶とこうした軍事強化のメッセージが重なることで、ハワイ、アメリカ、日本、そして世界はどうなっていくのかと、ますます不安が深まる思いでした。

月末にオバマ大統領と安倍首相が真珠湾を訪問するとの発表がなされたばかり。オバマ大統領の広島訪問に次ぐこの真珠湾での会合は、歴史的にも政治的にも意義深いものになるとは思います。それについで、ムスリムの「登録制」を検討しているトランプ氏の大統領就任前に、マンザナー(ここもまた国立公園となっていますが、私はまだ行ったことはありません)などの第二次大戦中の日系人強制収容所の記念地を訪問してほしい、と私は思っています。

現在の政治そして社会の将来を方向づけていくなかで、歴史の記憶というものの重要性を再認識する75周年でした。式典の全容はこちらで見られます(放映権の関係で、もしかするとアメリカ国外では閲覧できない設定になっているかもしれません)。上述したハリス氏の発言は51:25くらいからです。


2016年12月2日金曜日

オーケストラと「アーカイブ」

NHK交響楽団の月刊機関誌『フィルハーモニー』に「オーケストラのゆくえ」という連載があり、12月号に私の文章が掲載されています。12月中にN響のコンサートに行くかたは現物が手に入りますが、そうでないかたはこちらでPDF全文をご覧いただけますので、読んでいただけたら嬉しいです。(私の文章はp.38~41です。)

題して「音楽文化のリソース・センターとして−−開かれるアーカイブ」。アメリカ研究者としてさまざまな調査をしていると、「アーカイブ」というものをめぐる意識や姿勢の日米での違いに驚くことが多く、いずれアメリカのアーカイブ文化について本を書いてみたいと思っているのですが、今回の文章では、現在進行中の研究で大いにお世話になっている、ニューヨーク・フィルハーモニックのデジタル・アーカイブを紹介しました。

このアーカイブ、なにしろスゴい。そもそも、オーケストラが専属のアーキビストをスタッフとして配置しこれだけのありとあらゆる資料を保存・整理・公開しているということ自体に、演奏活動ということを広く超えてオーケストラのミッションを捉えている、そして「アーカイブ」というものの意味を深く理解している(たいていの人は「こんなものを保存していていったいなんの役に立つんだろう」と思うであろうようなメモでも、他のさまざまな情報を合わさると貴重な資料となって、時代や社会や組織を映し出す)ということが見てとれる。さらに、リンカーン・センターに足を運ぶことのできる人以外も利用できるようにするため、その莫大な資料を漸次的にデジタル化しようという心意気に、情報公開に対する積極的な態度、そしてニューヨーク・フィルをニューヨークの人のためのものではなく世界の人のためのものにしよう、という姿勢が見られる。さらには、相当な費用と労力のかかるそのデジタル化企画に資金を提供する篤志家や財団が存在するという事実に、アーカイブというものの価値への社会的理解が感じられる。

このデジタル・アーカイブのおかげで、私はハワイの自宅にいながらにして、バーンスタインの書き込みのあるスコアを見ながら彼の指揮するマーラーの交響曲の録音を聴くことができる。そればかりではない。家のソファに寝そべったまま、1961年のニューヨーク・フィルの初来日ツアーの際の演目をめぐるやりとりの書簡や、そのツアーではバーンスタインのアシスタントであった小澤征爾氏が1970年の次のニューヨーク・フィルの日本ツアーまでには正真正銘の国際的指揮者として認められるようになったことがわかる資料、ツアーの道中団員がどんな場所をまわってどんな日本を経験したのかを伝える写真や文書などを見ることができる。

文中でも紹介した「サブスクライバース・プロジェクト」もまたスゴい。こうしたプロジェクトに、音楽学者ではなく社会学者が携わっている、というところにも、各種資料の幅広いレレバンスが見てとれる。社会学の他にも、歴史学、経済・経営学、文化人類学、人文地理学など、このアーカイブの用途の可能性を考えると、研究者としてはそれだけでワクワクするのです。

現在デジタル化されているのは1943年から1970年までの、ニューヨーク・フィルのいわゆる「国際化時代」のものだけですが、繰り返して言いますがこれだけでもとにかくスゴい。試しに検索画面で、Seiji OzawaとかGlenn Gouldと入力してみてください。(公演プログラムももちろんたくさん出てきますが、画像やビジネス文書のほうがむしろ面白いです。)特に音楽ファンの人は、あれこれ見ているあいだにあっという間に数時間くらいたってしまうでしょう。

私が現在取り組んでいる研究では、このアーカイブに加えて、ワシントンの議会図書館にあるレナード・バーンスタイン・コレクションが主な一次資料なのですが、これがまたさらにスゴい。これについてはまた別の機会にたっぷりと書くつもりです。

2016年11月21日月曜日

選挙直後のAmerican Studies Association 年次大会をふりかえって

コロラド州デンヴァーで4日間にわたって開催された、American Studies Associationの年次大会から帰ってきたところです。大学院生の頃からほぼ毎年参加してきたこの学会は、私にとっては知的な故郷ともいえる集まりです。アメリカにおけるAmerican Studiesという分野は、1930年代頃に書かれた包括的なアメリカ思想史や、「ニュー•クリティシズム」とよばれる文学批評のありかたへの批判から生まれた新たな文学•文化史研究にその起源がありますが、とくに1960年代からは、さまざまな社会運動に深くかかわってきた人たちがリーダーとなって、エスニック•スタディーズやジェンダー•スタディーズなどと密接につながりながら発展してきました。政治•思想的には、いわゆる「左」の人たちが圧倒的。リベラリズムの批判分析は大いになされますが、それは保守からではなくリベラリズムよりさらに左の視点からなされる、というのがこの学会の特徴です。学会の運営に携わる役員や年次大会のプログラム委員などの顔ぶれを見ても、白人男性はむしろ少数派で、学会での研究報告者や参加者たちも、人種やジェンダー、セクシュアリティなどにおいて実に多様。こういった集団ですから、トランプが大統領に選ばれた直後の年次大会は、例年にまして切迫感があるものでした。年次大会のプログラムをさっと見ると、いったいどんな学会なのか雰囲気が少しわかると思うので、興味のあるかたはこちらをご覧ください。

私は2年半前から、この学会の学術誌であるAmericanQuarterlyというジャーナルの編集長を務めています。この仕事についてはまた別の機会に投稿するつもりですが、編集長の任務中、年次大会では、編集会議だの学会の役員会議だのジャーナル主催のパネルの司会だのといった仕事がいっぱいで、何百とあるパネルを見学する時間がほとんどない、といった状態なのが無念。今回の年次大会では、 今年度の学会長であるRobert Warrior氏(彼はオサージ族のネイティヴ•アメリカンです)とプログラム委員のイニシアティヴで、選挙結果を受けて緊急に企画されたパネルもいくつもありました( 強制送還される可能性のある移民の学生を保護するための大学サンクチュアリ運動についてのセッションや、ダコタ•アクセス•パイプライン問題についてのセッションなど)。選挙の結果にショックを受けながらも、人種やジェンダーなどにかんする専門知識と長年の社会運動の蓄積、そして行動力と組織力を武器に、学会そして社会全体にとってのこれからの課題を活発に議論する人々のエネルギーに、力をもらいました。

見学することのできたもののなかでとくに印象的だったのが、政治•政策部会によって企画されたセッションで、部会のメンバー4人が今回の選挙結果について議論したパネル。American Studiesは学際的な手法に重きをおく分野なので、年次大会での報告やジャーナルに掲載される論文は、従来のディシプリンの枠を超えた分析手法を使ったものが多く、選挙のような狭義の「政治」を扱う場合にも、正統的な政治学で使われる手法とはずいぶん違った議論になるのですが、このセッションでは、American Studiesとかかわりをもちながらも政治学部に籍を置く研究者たち4人による報告だったのが特徴的。政治学の専門家が正面から選挙を分析することの有用性を感じると同時に、「う〜む」と思わされることも多いセッションでした。

その「う〜む」は、American Studiesと政治学との間にある明らかなギャップからくるものでした。4人の報告は、1970年代頃からのアメリカ政治における南部の流れ、今回の選挙での人種意識の動員のされかたや「セクシズム」の再構築のありかた、テレビなどの従来のメディアとソーシャル•メディアのかかわりなど、それぞれ学ぶところが多く、選挙以来いろいろ読んできた記事で得た情報を深めてくれるものでした。が、私がなにより気になったのは、いわゆる「インターセクショナリティ」(intersectionality)の分析の欠如。

ブログ投稿で「インターセクショナリティ」を簡潔に説明するのは無理があるのですが、あえてするなら、人種•民族•国籍•ジェンダー•性的指向•階級などといった社会的カテゴリー は、それぞれが別個に存在しているのではなく、相互に作用しながら形成されている、という考えかたのもとに、そうしたカテゴリーを軸にした力の不均衡のありかたを分析するものです。「インターセクショナリティ」という単語は、キンバリー•クレンショー(Kimberlé Crenshaw)という人種理論を専門とする法学者が1989年に発表した論文の影響によって一般化してきましたが、その考えかた自体は、19601970年代のフェミニズム運動、とくに白人ミドルクラス女性の視点や経験を中心にしたフェミニズムを批判する第3次フェミニズムのなかで、さまざまな形で実践されてきたものです。

たとえば、労働者階級の黒人女性の経験や位置づけは、(「労働者階級」の搾取)+(「黒人」に対する差別)+(「女性」の抑圧)によってできているという、「足し算」方式の理解では不十分で、そもそも「労働者」という概念がどのような人種的•性的意味づけをもって構築されてきたか、「黒人」としてのアイデンティティにはどのような性的意味づけが社会によってなされ、黒人コミュニティのなかでどのような性的規範が機能しているか、「女性」としての尊厳や理想にはどのような人種的•階級的意味付けが伴うか、といった、カテゴリーの「交差」を考えなければ、「労働者階級の黒人女性の経験や位置づけ」は理解できない。「カテゴリーの相互構築」を少し具体化していえば、19世紀の産業化のなかで、白人男性の労働者たちは、自分たちは「(黒人)奴隷ではない」「(中国人)苦力ではない」などと、人種的意味付けをされた他の労働形態と自らを差別化して階級意識を形成してきた。20世紀、とくに第二次大戦後から1970年代までには、工場などで身体を使って作業するなかで培われた 男性同士のつながりが、多くの場合労働組合によって組織化され、「家族を養う」という立場や能力が「労働者階級男性」としてのアイデンティティの中核をなすようになった。その中で、「男性不在の家庭」とレッテルを貼られた黒人や、女性の社会進出によって共働き家庭が一般化した白人ミドルクラスとの区別が、現実においても意識においても強化された。といった具合に、「労働者階級」というカテゴリー自体に、人種的•ジェンダー的刻印がなされているわけです。

ここ数十年における南部や中西部の保守化、とくに今回の選挙の流れは、このような人種•階層•ジェンダーなどの相互構築の様相をきちんと分析しなければ理解できないはずなのですが、メディアに出てくる記事などで、個々の分析はとても納得のいくものであっても、この「インターセクショナリティ」を満足のいく形でとらえたものはほとんど目にしません。そして、そうした記事を書いているのは、多くの場合政治学者。政治学者をひとまとめにして批判するつもりはありませんが、なぜAmerican Studiesでは常識となっているインターセクショナル分析が、政治学には応用されにくいのか、というのが素朴な疑問で、質疑応答の時間に質問してみました。すると、4人のパネリストは深く頷きながら、「その指摘の通り、政治学という分野はインターセクショナリティを扱う道具をもっていない。数量的分析を主な手法とする正統的な政治学では、統計をとったり分析したりするにあたって、人種•性•学歴などの変数を互いに分解して扱わなければいけないと同時に、人種意識やセクシズムなどを『測量』する方法も、American Studiesの視点から見れば馬鹿げているとしか思えないような手法しかもっていない。歴史的視点と質的分析をもってインターセクショナリティのありかたを深く扱ってきたAmerican Studiesから、政治学は学ぶべきことが多い」との回答でした。それと同時に、真に学際的な研究が、これからの社会にますます必要とされている。だからこそ、数量的なことは従来あまり扱ってこなかったAmerican Studiesのほうも、政治学から学ぶべきことが多いのだということを、今回の選挙は感じさせてくれました。

ホノルルからデンヴァー(ちなみに、私が到着してからの最初の2日間はハワイとそれほど変わらない気温だったのですが、一晩のあいだになんと気温が20C以上下がり、木曜日はなんと雪でした!)の往復の飛行機のなかで読んだのが、社会学者Arlie HoschildStrangers in Their Own Land: Anger and Mourning on the American Right9月に刊行されたばかりの新刊ですが、この選挙結果により本書のレレバンスはさらに高まり、ベストセラーになっています。選挙の前に読んでいれば、少しはトランプ当選に直面する心と頭の準備ができていたかもしれない。

社会科学的視点(とはいっても、この著者は社会学の中でも質的分析を主な研究手法としているので、大きな「社会科学」のなかではメインストリームではないのでしょうが)とエスノグラフィックな深い質的分析を合わせて、「ティー•パーティ」層といわれる保守派の人々の意識や生活を描いたものです。著者は、アメリカのアカデミアの中でも左で定評のあるカリフォルニア大学バークレー校の社会学者で、これまでにジェンダーや労働や市場を扱った多くの著者がある人物。本書では、5年間にわたって「ティー•パーティ」の牙城のひとつであるルイジアナ州の湿地帯のコミュニティに入り込み、保守派を自負する人々と親しい交友関係を築きながら、彼らの生活や意識を密接に取材し分析しています。とくに、地元に雇用と発展をもたらすとの触れ込みで誘致された石油産業が、地域の環境や経済におよぼしている影響に焦点をあてながら、公害の影響をより受けている地域の人々のほうがそれ以外の地域の人々よりも産業規制に反対するのはなぜか。大企業の利益を優先する政策が彼らの生活をさらに苦しくするにもかかわらず、彼らが自由市場主義を賛美し、共和党を支持し、トランプのような人物に投票するのはなぜか。人々が自らの経済的利害に反する政治的選択をするのはなぜか。といった問いを丁寧に探索していきます。

著者自身はあきらかなリベラルで、研究対象としている人々とは世界観や意識がまるで違い、取材対象の人々もそのことは百も承知。そのうえで、彼らのコミュニティに入り込み、インタビューやフォーカス•グループで率直な話を聞き、一緒に教会やタウン•ミーティングに通い、彼らの見るテレビ番組を見、ひとりひとりの人間として彼らについての理解を深めていきながら、自分自身のなかにある「共感の壁」をなんとか崩そうとする、著者のその真摯な姿勢が、研究者としても人間としても素晴らしい。最終的には「ティー•パーティ」の世界観や政治意識を是認するわけではなく、彼らがもっている考えが事実とどうずれているかをきちんと指摘しているのですが、彼らについて価値判断を下すのではなく、なぜ彼らがそのような意識をもつにいたったのか、彼らにはアメリカ社会や世界がどう見えているのか、をきわめて誠実に描いていて、説得力があります。自分にこういう研究ができるだろうかと考えると、(この著者は白人女性であるのに対して自分は日本人女性である、ということが意味することは別にしても、)私は人格的器量が不十分なような気がします。本書は人種問題については分析が薄く、選挙以後すでに各地で起こっているマイノリティへの攻撃やムスリム「登録制」をめぐる問題についてはこの本の枠組みでは説明できない、という印象ですが(このような質的研究においても、本当に深いインターセクショナル分析を完徹するのはとても難しいのだ、ということを再認識します)、トランプ政権を前に、リベラル•保守の両方の人々に広く読まれるべき一冊だと思います。また、 リベラル•保守にかかわらず、日本の読者にとっては、アメリカの社会の一面を知るうえでとても参考になると思うので、じきに和訳が出版されるのではないでしょうか。

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