2009年12月31日木曜日

2009年の終わりに

18年ぶりの日本での年越しです。大晦日は雑用と原稿書きで過ごしましたが、2009年が終わる寸前になって原稿の一章を書き上げられたのは気分がいいです。1年の初めの364日間もこのくらい生産的だとよかったのですが、ま、いいか。

個人的には、2009年は、クライバーン・コンクールを見学したことと、夏以降を日本で過ごしたということが最大の収穫でした。クライバーン・コンクールについてはこのブログでたくさん報告しましたし、今それについての本を書いているところなので、ここでは繰り返しません。

1991年に渡米して以来、私は毎年夏に日本に帰ってきてはいるのですが、数週間の滞在と実際に住んで生活するのとでは、当然ながら経験することや感じることがまるっきり違います。今回日本に住んでみて、本当に驚くことが多く、逆カルチャーショックの連続の半年間でした。今は、インターネットや各種メディアの発達で物理的にも心理的にも日米の距離感はかなり縮小され、日本にいなくても日本のいろいろな情報は入ってくるものの、やはり住んでみないとまったくわからないことというのはたくさんあるんだということを再確認しました。

日本に来て一番驚いたのは、とにかく暗い、ということ。景気が悪いのはわかっていましたし、経済状況に関していえば失業率が10パーセントを超えたアメリカのほうが悪い側面もたくさんありますが(ちなみにハワイ大学では、大学側と教員労働組合の契約交渉が破綻し、教員は2010年1月から6.667%の給与削減を一方的に申し渡されました。とほほ)、社会全体の雰囲気としては、日本のほうがずっと暗い印象を受けます。これは、高齢化、少子化がかなり大きな要因なのではないかと思います。

社会全体の雰囲気が暗いことと関連して、日常的な人間関係のありかたが日米で大きく違うのにもかなり衝撃を受けています。もちろん、地域や人によって人間関係のありかたは様々でしょうが、私が観察する限りでは、日本では人と人とのあいだの敷居がずいぶんと高いように思います。他人同士が会話をするということがまずないし、バスや電車のなかはほとんどいつもしーんとしているし、知人や友達同士でも、気軽にものを頼み合ったりすることが少ない。家族同士のつき合いというのが少ないのは、友達が遠く離れたところに住んでいる場合が多いとか、人を家族ごとよべるような大きな家に住んでいる人が少ないといった、プラクティカルな理由もあるにせよ、それを抜きにして考えても、なんだか日本の家族はそれぞれとても閉じた生活を送っているように見えます。

日本のメディアの薄っぺらさにも衝撃を受けました。民放テレビのくだらなさはまったくもって信じがたいですし、新聞や雑誌が物理的にも内容的にも薄っぺらいのにも驚愕です。そして、これだけたくさんの本が世に出ていながら、読み応えのある、きちんとした情報と分析にもとづいた深い考察は本当に少ない。本をまったく読まないという人が増えているという事態は、本を書く人間としては実に困ったものですが、読者の動向を嘆く以前に、まずは言論界のほうがもっとしっかりしないといけないと思います。私はなんでもアメリカのほうがいいなどと言うつもりはこれっぽっちもありませんが、ジャーナリズムや言論界の質に関していえば、トップを見れば日米の差は歴然としています。そんなことを言われるのは納得がいかないと思う人は、騙されたと思って、とにもかくにも、ニューヨーク・タイムズやウオール・ストリート・ジャーナルといった新聞、そしてニューヨーカーといった雑誌をしばらく読んでみてください。日本の一般市民がこうした外のメディアに日常的に触れることなく、日本のテレビや新聞だけから情報を得て生活しているということが、どれだけオソロしいことか、わかっていただけるといいのですが。

そして、日本の教育のありかたについても、大いに悲観せずにはいられません。中等教育までのことは、専門でもないし、自分の子供もいないので、人の話を聞いてしかわかりませんが、それでも、日本の受験のありかたも、学校教育のありかたも、根本的に変わらないと、日本はこれからの時代に経済的にも精神的にも強く生きて行ける若者を育てることはできないのではないかと思います。そして大学に関していえば、もっとひどい。せっかくせっせと受験勉強をして大学に入ってきた、知的好奇心はそれなりにある若者も、大学教育がこれでは、たいていの人は学問に興味をもたないまま終わってしまうし、学問以外の実学についても、今の大学が有益な教育を行っているとはとても思えない。大学は「高等教育」を行う場であるということを大学の経営者側も教員も思い出して(というか、教育という点に関しては、日本のたいていの大学はこれまでまったく真剣に考えてこなかったと思うので、思い出すというよりは、学んで、といったほうが正しいかもしれません)、なにをどのように教えるべきかという基本的な議論からし直し、体系が整ったら、今の10倍くらい大学生に勉強させるべきです。それでついて来られない学生は落第させればよい。でも、教えるほうが本気になって教育に取り組めば、少なくとも過半数の学生は必死の思いをしてでもついて来るものだと、私は信じています。

などと書くと、日本について文句ばっかり言っているように見えるかも知れませんが、日本の暮らしには素晴らしいこともたくさんあります。社会の仕組みや組織のありかたには大いに問題はあっても、その中にいる個々の人たちは、感動的なまでの責任感と勤労倫理をもって良心的に動いている(だからこそ、これだけ時間通りに電車も宅急便もくるのです!)し、学生のなかにも、こちらが見習いたくなるような立派な意識をもって真面目に勉強している人もいます。人の役に立とうとか、世の中をよくしようと思っている人はたくさんいます。日本が経済的にも政治的にも文化的にも力強く立派な国になれる素質はじゅうぶんあると思いますが、いろいろなことが今のままだと、10年20年のあいだではそう大きくは変わらないかもしれませんが、50年のあいだにはやはり日本は静かに衰退していくような気がします。政権が変わって、いくつかのいい動きも確実に見られますので、国民のほうも、絶望せず、気を抜かずに、きちんと自分の頭でものを考えて社会づくりをしていきましょう!

2009年あと10分となりました。今年1年、このブログをフォローしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。面白くて、ものを考えるきっかけになるような話題を提供しつづけて行けるよう、今後も心がけます。来年が、みなさんにとって、より明るい1年になりますように。

2009年12月24日木曜日

米上院、健康保険法案を可決

米時間木曜日、連邦政府上院が、現行の健康保険制度を抜本的に改革する法案を可決しました。まったくもってやれやれです。オバマ大統領が政権の最大目標のひとつとして掲げていた皆保険制度は、保険業界の利権や保守派からの猛烈な反対を受けて、議論は修羅場となってきましたが、類似の法案を先月下院が可決、クリスマスを前にこの法案を上院が可決したことで、オバマ大統領や故テッド・ケネディ上院議員が目指していた健康保険改革のうち最低限の項目は実現することになりそうです。この法案によって、保険会社は、保険加入希望者の過去や現在の疾患を理由に加入を拒否することや、性別や健康状態によって保険料をあげること、また、加入者が病気やケガをしてから保険を取り下げることなどができなくなります。また、この法案によって、現在保険に加入していない3100万人の人々に保険が手に入るようになります。連邦政府の権限拡大という意味では1930年代のニューディール以来と言われるほど、健康保険改革はアメリカにとって重要な案件ですが、連邦政府がスポンサーとなる保険制度への反対の強さには、日本の感覚からすればまったくもって不可解なものがあります。今回の法案も、可決されたとは言え、票は政党ラインではっきりと分かれ、つまり共和党議員はひとりもこの法案に可決票をしませんでした。共和党中道派のメイン州のオリンピア・スノウ上院議員は、両党が協力して保険改革を実現させることを目指して活動を続けてきましたが、それにはまだ長い道のりがありそうです。

それにしても、日本のクリスマスは、当たり前ですがアメリカ本土のそれともハワイのそれともまるっきり違いますね。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、アメリカのホリデー・シーズンは、家族や親戚と過ごすものなので、それにまつわるストレスや悲喜劇も多いのですが、一緒に過ごす人がいなかったりどこにも招待されていなかったりする人にとっては、それはそれで孤独感を刺激する時期でもあります。日本は、まあもちろん家族や恋人や友達とプレゼント交換をしたりケーキを食べたりして楽しく過ごす人たちも多いのでしょうが、あまりにも見事に宗教的な要素が欠落しているので、私などは、こうした商業的なクリスマスのありかたに、首を傾げると同時に妙な解放感を感じたりもします。クリスマスをやらない、ということに、なんの寂しさも感じないからです。というわけで、これからちょっと家の掃除をしてから、授業がないあいだにしかできない仕事に取りかかります。

2009年12月19日土曜日

日本語を読むすべての人に読んでもらいたい本 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読みました。この本は、ほんとうにすごい。日本語を読むすべての人に読んでもらいたい本です。読んでいる最中から、興奮して何人かの友達に、「頼むからこれは絶対に読んでちょうだい、そして子供や生徒にも読ませてあげてちょうだい」と嘆願するメールを送ってしまったほどです。(笑)

私はかねてから、日本の中学・高校での勉強の教えかた、とくに教科書のありかたは、根本的に間違っていると感じてきました。私は数学がとくに苦手だったのですが、たとえば高校の「行列」で、なんだってカッコの中に数字を縦横に並べて、それを掛けたり足したりするのか、そうすることにいったいなんの意味があるのか、一度たりとも説明を受けた記憶がありません。微分・積分の導入部分で、せっかくきれいに曲線を引いたと思ったら、ある接点をとって直線を引いたりする。そしてその直線を軸に曲線をくるくるまわしたりする。二次元までで頭がいっぱいの私は、こうやってくるくるまわってしまうともうそれこそ自分の頭のほうがくるくるまわってしまうのですが、なんだってくるくるまわす必要があるのか、まわすとなにができるのか、誰も説明してくれなかった。そして、くるくるまわした挙句に、今度は二枚の平面でそれをスライスしてその体積を求めたりする。なぜそんなことをしなくちゃいけないのか、せめてちょっとくらい説明してくれれば、興味をもってやったかも知れないのに、意味を説明されないまま、ひたすら問題の解き方を記憶して当てはめるばかりで、私にはまるっきり不毛に感じられたのです。数学は嫌いだったからなおのことでしたが、嫌いではなかった歴史だって、意味がわからなかったことについては似たようなものです。「東フランク王国が云々」とか一文だけで書かれていたって、その「東フランク王国」とはいったいなんなのかもわからない。私は少し前にプラハに旅行をしようと思っていたことがあって(代わりにクライバーン・コンクールに行くことになったので、プラハとは似ても似つかぬテキサスに行き、プラハはとりあえず延期になりました)、そのときに、チェコの歴史に関する本を読んだのですが、そのときに初めて「ああ、東フランク王国とはこういう意味だったのか」と理解しました。私は、高校の世界史の教科書は、今のものの十倍くらいの厚さであるべきだと思っています。それぞれの地域や国が、地理的、文化的にどんなところで、どんな人たちがどんなふうに暮らしていて、というところからまず実際の人間についての話だという実感をもたせて、それぞれの出来事やら流れやらについて、もっとイメージが湧くような描写をもって説明してくれないことには、なんのことだかさっぱりわからない。そして、その出来事や流れがどういう意味をもっていたのか、ということを考えるように差し向けてくれなければ、それを学ぶことの必然性がわからず、ひたすら年号やカタカナや漢字を暗記するばかりになってしまう。歴史というのはいろいろな因果関係や相関関係のなかで形成されるものだから、そうした関係が理解できれば、それを構成する出来事や年号はしぜんと覚えられるはずなのに、そういうふうに教科書も授業もできていない。

この本は、日本近現代史において第一線の研究者である東大教授の加藤陽子先生が、神奈川の栄光学園の中学・高校生を相手に、日清戦争から太平洋戦争までをカバーした五日間の特別講義をし、そのときの講義録を本にしたものです。授業のありかた、そしてこの本のありかたの根底にあるコンセプトそのものが実に見事。複雑怪奇にしてきわめて重要な二十世紀前半の日本の歴史や国際関係史を、ダイナミックに説明するその内容もさることながら、「歴史を学ぶとはどういうことか」「歴史的にものごとを考えるとはどういうことか」「第一線の歴史家たちはどういう問いに答えようとして、どういう資料をどういうふうに分析しているのか」といったことを中高生向けにわかりやすく、かといって、中高生相手だからといってレベルを下げることなく、むしろ頭の柔らかい好奇心旺盛な中高生相手だからこそ、大きく根源的な問題をどんどん投げかける。それぞれの国でさまざまな立場にいた人たちの状況や思考パターンを説明し、自分がその立場だったらなにを考えてどんな選択をしていただろうかと、自分たちの頭でいろいろ考えさせ、なぜ「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」のかを検討させる。検討させる際に、地図やら統計データやらいろいろな立場の人の日記やら手紙の抜粋やら、そしてまた古今の歴史家たちの研究やらをふんだんに紹介し、資料を分析して論点を導き出すという作業を披露する。なんと素晴らしい!

レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルの指揮者・芸術監督を務めていた時代に、彼が成し遂げた最も意義のあるプロジェクトのひとつに、Young People's Concertがありました。これは、子供たちを相手に、「音楽とはなにか」を教えるためのコンサート・シリーズだったのですが、子供たちにもわかるように、かといって子供相手だからといって内容を薄めるのではなく、むしろ子供相手だからこそ、根源的なことに訴えかけ、選曲も本格的でショスタコヴィッチなども平気で入っている。こういう形で、若者に自分でものを考えることを教え、そのための道具を与えることこそが、教育の本質だと思います。中学生や高校生が勉強に興味をもつためには、それぞれの分野の第一線でどんなことが行われているのか、それをやることによってどんなことが可能になる(かもしれない)のか、それがどんな意味をもつのか、といったことを、情熱的にかつわかりやすく語ってくれる人を連れてくるのは、とてもいいことだと思います。

歴史の教え方ということの他にも、内容的にも、知らなかったこと、考えたこともなかったことだらけで、とても読み応えがあり、勉強になります。ただでも複雑な時代のことで、高度な内容を扱っているので、さらさらと読み流すというよりは、一章に一日くらいかけて(実際の授業はその形でなされたわけですし)じっくり読むのがおススメです。

こういう先生に、こういう授業で勉強を教わっていたら、人生が違ったんじゃないかと思います。また、アメリカ史なりアメリカ文化なりジェンダー研究なりで、似たようなプロジェクトを、どこかの中学や高校でやらせてもらえたらいいなあなどとも思います。もちろん、こういうことは私立学校だからこそできることで、また基本的学力も高い栄光学園の生徒相手だからこそ大きな問いに対して大きな答えが返ってくるのでしょうが、カリキュラムにおいて自由がききやすい私立学校は、こういった独創的な教育をどんどんやってほしいものです。

ちなみに、加藤陽子先生の「研究の手ほどき」的なウェブサイトはとても充実していて、私はこれもずいぶん勉強になりました。研究者としても、また教師としても、たいへん尊敬すべき人であるのがこれからも明らかです。

2009年12月18日金曜日

海兵隊がやってくる

数日前に、普天間飛行場のグアム移転案について言及しましたが、すでに決定されている8000人の米海兵隊員のグアム駐留がもたらすインパクトについて考察した番組が、アメリカの公共放送であるPBSで放送されました。今ならインターネット上でビデオが観られます。(こういうものが無料でインターネットで観られるなんて、本当に便利な世の中になったものです。)タイトルは、The Marines Are Landing、つまり「海兵隊がやってくる」です。25分足らずの短い時間のなかで、さまざまな視点を紹介しています。島における米軍の存在が急速に拡大することが環境や社会インフラや文化にもたらす負担を住民が認識しながらも、長い植民地化と軍事化の歴史のなかで、米軍への憧れや依存が島民の意識や生活の奥底にまで浸透しまってもいる。アメリカ国民であり、アメリカ本土よりも米軍志願率が高いほど米国への忠誠心をもちながらも、住民は大統領選には投票することができず、国家間の協定や交渉において住民の声は聞いてもらえない。そうした複雑な状況を、効果的にまとめたいい番組ですので、よかったら観てみてください。アメリカの州となって50周年を迎えるハワイとは、違うこともありますが、共通する点も多いです。

2009年12月15日火曜日

『パリ・オペラ座のすべて』

昨日、映画『パリ・オペラ座のすべて』を観て来ました。以前にこのブログで紹介したフレデリック・ワイズマン監督の最新ドキュメンタリーです。彼は、議会や学校、軍隊などの組織のありかたを捉えた社会派のドキュメンタリーを多く制作していますが、それと同時に、自らが大ファンであるバレエをはじめとする芸術関係の作品も作っています。この映画は、世界最古のバレエ団であるパリ・オペラ座のあらゆる側面を映し出したもので、バレエファンにはもちろん、創造的な活動に興味のある人、また、組織のありかたに興味のある人には、大いに楽しめます。

ただし、楽しめる、とは言っても、ワイズマン監督の作品は、現代で主流となっているドキュメンタリーとはずいぶんとアプローチが違います。そして、今の日本のテレビ番組の作り方とはとてつもなくかけ離れたアプローチを使っているので、日本のテレビに慣れた視聴者にはかなり違和感があるだろうと思います。というのは、彼のドキュメンタリーは、なんのナレーションもなく、効果音やBGMもなく、わかりやすい物語性もなく、ただひたすらさまざまな映像を淡々と映し出して行くだけ。しかも彼の作品は概して長く、この映画も160分もあります。今の日本のテレビでは、トピックやキーワードだけでなく、キャスターやコメンテーターやインタビューされている人が言っていることをそのままやたらと文字表示するのを、私は以前から気持ちが悪いなあと思って見ているのですが(聴覚障害者のためのものだったら理解できますが、そうではないようだし、聞いていることと同じことをなぜ文字で表示するのかがわからない。聞いてるだけではこちらが理解できないと思っているのか、とバカにされたような気持ちになるのは私だけでしょうか?)、ワイズマン監督の作品はそれとは対極的で、まったくなんの説明もないまま、ひたすら映像だけが続いていきます。パリ・オペラ座の歴史とか、ダンサーたちがどのような経過を経て入団するのかとか、組織構造はどうなっているのかとか、これほどお金のかかる芸術活動がどのようにして経済的に成り立っているのかとか、ダンサーのキャリアにはどのような試練があるのかとか、振り付け師やダンサーはバレエという芸術の伝統と革新をどのようにとらえているのかとか、そういったことを、わかりやすくナレーションが解説してくれる、といったことがないのです。映像に現れるそれぞれの人が、どういった人物なのかという説明すらない。代わりに、淡々と続いていく映像を集中して見ることで、視聴者自らが、その意味を考え結論を出す、という作りになっているのです。もちろん、監督独自の視点やメッセージは非常にしっかりとしたものがあるのですが、それを理解するには視聴者がきちんと見て考えることを作品も要求するのです。(ワイズマン監督がハワイ大学に講演に来たときに、私は一緒に食事会に出席したことがあるのですが、そのとき、「マイケル・ムーアの作品をどう思うか」と聞かれて、彼は「僕はああいうのはドキュメンタリーだとは思わない」と言っていました。ワイズマン監督の作品とマイケル・ムーアの作品を見比べてみると、政治的・社会的メッセージにおいては大いに通じるものがあるにしても、ドキュメンタリー制作についての考え方はまるで違うのが明らかです。)そうした意味では、ワイズマン監督の作品は、今の10代の若者の多くにはまったく理解されないでしょう。というか、それ以前に、160分もこうした作品をじっと座って観ていられる若者は少ないかもしれません。でも、自分でものを見て考える意思のある視聴者には、たいへん満足度の高い作品です。音楽にせよダンスにせよ、舞台芸術を扱った映画や番組では、時間の制約もあってそれぞれの曲や演目を細切れにしか見せないものが多いのですが、バレエをきちんと理解している監督の作品だけに、まるごとではないにしても、芸術的に意味のある単位で演目を見せてくれるのが嬉しいです。渋谷Bunkamuraではあさって18日(金)で上映が終わってしまうので、興味のあるかたは急いでどうぞ。


2009年12月13日日曜日

ヒューストンでレズビアン市長誕生

テキサス州ヒューストンの新市長に、レズビアンであることを公言している会計検査官のAnnise Parker氏が当選し、ヒューストンは同性愛者を市長にもつ都市としては全米で最大の都市になりました。より小さい都市(私が通ったブラウン大学のあるロードアイランド州プロヴィデンス市や、ハーヴァード大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジ市など)では同性愛者が市長になっている例はありましたが、ヒューストンは220万人の住人のいる大都市、しかも伝統的に保守的な政治風土で、最近の選挙でも同性婚を禁じる法律が成立したテキサス州で、レズビアン市長が誕生したのは、やはり画期的なことです。彼女は、自らの性的指向を前面に押し出すようなことはせず、むしろ会計検査官としての経験を強みにして選挙運動をしてきたものの、1980年代から同性愛者の権利拡大の活動にさまざまな形で携わってきた彼女がヒューストン市長になったことは、LGBTコミュニティに大きな勇気を与えています。(私がこのニュースを知ったのは、Facebookにゲイの友達がこのニュースを投稿していたからでした。)Parker氏は、19年来のパートナーと共に、3人の子供を育ててきた53歳の女性。地元ヒューストンの新聞の記事はこんな感じです。ビデオもありますのでよかったらどうぞ。

2009年12月10日木曜日

ニュースわからないことだらけ

日本の新聞やテレビのニュースは、なにしろ短すぎて、「今日はこういうことがありました」とだけ言われても、もっといろんなことを説明してくれないと、なんのことなんだかさっぱりわからない、ということが多いです。ニューヨーク・タイムズだったら同じ話題で20倍くらいの紙面を使って取り上げるようなことについて、ほんの5行くらいしか説明がなかったりするので、わからないことだらけ。

たとえば、今日の話題で言えば、小沢一郎氏率いる訪中団。600人って、ただごとではないと思うのですが、これは一体どういう意味があるのでしょうか。議員数名を連れて中国共産党の首脳と会談をするというのならともかく、議員140人を含む600人が一斉に訪れるというのは、明らかになんらかのメッセージです。ではそのメッセージはなんなのか。その基本的なことをきちんと問いかけている(そして答えている)報道をまだ見ません。「小沢氏の政治力を示す」という説明もありますが、それじゃあいくらなんでも分析に欠けていて訳がわからない。だいたい、この600人はいったい中国に行ってなにをしているんでしょうか。小沢氏本人は明日はもうソウルに移動するらしく、残りの一団は、「数グループに分かれて軍事施設や汚水処理場を視察」し、「万里の長城を見学」する予定らしいですが、果たしてこれにはどういう意味があるんでしょう。訪中が悪いというのではありません。どう考えても中国はこれからの世界でたいへんな影響力をもつ国ですから、政治家が積極的に中国との交流を図るのは大事なことですが、だからこそ、それをやる政治家はきちんとした理念と方針をもって、それを報道するジャーナリズムは深い分析をもって、国民に伝えてほしいものです。

そして、いよいよ暗礁に乗り上げてしまったらしい普天間問題。グアムを訪問した北沢防衛相が、「グアム移転は日米合意から大きく外れる」と言ったそうですが、これはいったいどういう意味なのかもよくわからない。グアムでなにを見てそう判断することになったのか。地勢的条件や設備の問題なら、わざわざ現地に行かなくてもわかるだろうし、そもそもなぜ日本の防衛相が、アメリカ領であるグアムを米軍基地の移転先候補として視察に行き、「日米合意から外れる」と判断するのか。北沢氏が「グアムで結構」と判断したらグアムに移転することになったのか。まるで日本とアメリカの政府の意向でグアムはどうにでもなるかのような話の流れですが、グアムには18万人の住民がいます。そこに既にこれから8000人の海兵隊員(その家族や関係者を入れると3万人にもなると言われている)が駐留しようとしていて、そんな小さな島にどーんと米軍が押し寄せたら、社会的にも経済的にも自然環境的にもいろいろなインパクトが及ぶのは必至。グアム知事は「グアムには受け入れ態勢がない」と言っている。だいたいグアムの住民の意向はどうなのか。なぜそういう問いが報道に出てこないのでしょうか。沖縄住民の我慢ももう限界に達しているし、もちろん早く普天間から基地を移転させることはとても重要ですが、「自分の県や自分の国の外であればなんでもいい」という主張では、軍事再編の根本的な問題は解決されないので、基地反対の活動家も、ジャーナリズムも、より大きな視点で問題をとらえてほしいです。

2009年12月7日月曜日

既婚者は読むべし

「既婚者は読むべし」と未婚者の私に言われてもまったく説得力がないかも知れませんが、まあそれはよしとしましょう。今週末のニューヨーク・タイムズ・マガジンのメイン記事で、同紙のなかで「その日にもっとも読者が知人にメールした記事」の一位になったのが、この記事。Married (Happily) With Issues、すなわち、「問題を抱えながら(幸せに)結婚生活を送っている」、という意味のタイトルです。結婚して9年になる著者が、とくに危機を迎えているというわけではないけれども、なんとなく仕事や子育てや日常の雑事のなかでマンネリ化したり受身になったりしてしまいがちな夫婦関係を、より活性化しようと思い立って、渋る夫を駆り立てて「結婚生活活性化」を試みる、その体験にもとづいたエッセイです。私は自分が結婚していないからこそ、多少距離をおいて「なるほどねえ、そういうもんだろうねえ、ふむふむ」などと面白がって読んでいますが、既婚者、それも結婚して5年以上がたつ既婚者にとっては、読んでいて心理的になかなか疲れるエッセイかもしれません。それでも、この記事が「その日にもっとも読者が知人にメールした記事」になっているということは、やはりたいへん興味をもって世界の読者が読んでいるということですから、一読の価値はあるでしょう。(ただし、ニューヨーク・タイムズ・マガジンのメイン記事がたいていそうであるように、かなり長文の記事です。このブログで何度も書いているように、こういう記事がこういう媒体に載るということだけでも、アメリカのメディアのすごさを感じます。まあ、長いですが、英語はそんなに難しくないし、愉快で面白いですので、どうぞ。後半にはセックス活性化の話題もあり。)

「結婚生活活性化」のために、著者は、結婚生活のハウツー本を買ってきて、それに載っている課題や練習問題に夫と一緒に取り組んだり、カップルズ・セラピー(こういうものに通うアメリカ人カップルが少なくないことは『ドット・コム・ラヴァーズ』でもちらりと言及しました)に通ったりと、なんとも懸命な努力をします。そうした「課題」のなかには、アメリカではよく知られているものもあるし、「なるほどねー」と思うようなものもあります。カップルズ・セラピーでよく課される「練習」は、二人でセラピストのオフィスで座っているときに、一人が、自分の今の気持ち(相手にxをされたときに自分がどういう気持ちになるか、ということでもよい)を正直に言う。このときに、あれやこれやと理屈を言って「考え」を述べるのでなく、自分の正直な「気持ち」「感情」を述べることがポイント。(たとえば、「私はあなたが私の話をうわの空でしか聞いてないような気持ちがする」とか、「僕がなにをやっても君には気に入ってもらえないような気持ちがする」とか、「あなたと話していると、私が自分の親や友達と時間を過ごすことがまるで悪いことみたいな気持ちにさせられる」とか。)そして、その直後で、もう一人が、今その相手が言ったことをそのまま繰り返して言う。そのときに、相手の言うことについての自分の反応や意見は一切挿入せずに、今自分が聞いたことをただそのまま繰り返すことがポイント。このエクササイズを何度か繰り返すことで、二人は、相手の言っていることにきちんと耳を傾けているか、言おうとしていることや気持ちを本当に理解しているか、どれだけオープンな気持ちで相手のことを受け入れているか、ということが試される、とのことです。何回か繰り返すどころか、一人が言ったことに対して相手が即座に反論を始めて大喧嘩が始まり修羅場になる、ということも少なくないらしい。確かに、なかなか苦痛ではあるけれども、練習としては効果があるような気はします。他にこの記事で出てくる「練習」は、「あなた/君が...してくれるときに私は愛されて大事にされているんだという気持ちになる」という文の...に入る言葉をなるべくたくさん考えて、完成させた文を相手に言う。また、恋愛初期の頃のことを思い出して、「あなた/君が...してくれたときに私は愛されて大事にされているんだという気持ちになった」という文も作る。などなど。

こういう「練習」は、当然ながら、自分そして相手の心の深い奥底に、ときには故意に、ときには無意識のうちに、埋め込んであった、感情やら過去の経験やらコンプレックスやらを掘り起こすことになって、そうした現実にきちんと立ち向かった上で人間関係や愛情を築き直すということにおいては重要ではあるけれども、それと同時に、しまって整理がついていた(と少なくとも思っていた)ものをわざわざ掘り返すことで不必要にことをややこしくしたり傷つけ合ったりしてしまうこともじゅうぶんありうる。それがうすうすわかっているからこそ、多くの人はこういう改まった「活性化」作業を避けて何年も、ときには何十年も、「なんとなく」の結婚生活を続けるのではないでしょうか。それで日常生活も自分の精神状態もふたりの関係も円滑にいっているのなら、それで悪いということはないでしょう。が、この著者はある日、「仕事や友達関係や子育てに関しては、優等生の私はつねに『努力』をしてきた。なのになぜか結婚生活に関しては『努力』をするということを思いつかなかった」ということに気づき、ひとつのプロジェクトのようなつもりで、「結婚生活を充実させるための『努力』」に励むことにした、とのこと。ここで、えへん、『ドット・コム・ラヴァーズ』より引用:

どんなに似通った背景で育った二人でも、結局は別の人間なのだから、恋愛初期の、どきどきわくわくでいっぱいの時期を超えて、長期間の深い関係を続けていくためには、相手を理解する努力を続け、二人の関係をつねに評価し合わなければいけない。どんな関係でも大小いろいろな問題があるのは当然で、そうした問題から目をそらすことなく、二人で向き合って乗り越える努力を続けなければいけない...
付き合い始めの頃には、自分のことを気に入ってもらおうとしたり相手を幸せにしようとしてせっせと努力をするが、いったん結婚したら、よくも悪くもその関係は一生続くものとの前提のもと、そうした努力をさっぱりやめてしまう男女は、世の中にたくさんいる。そこまで極端でなくても、多くの人は、ステディな関係に入ったり結婚したりしたら、だんだんと相手の存在と愛情を当然視するようになって、関係を深めるためあるいは維持するための意識的な努力を減らしてしまうのではないだろうか...(231−232)

というわけで、結婚しているかたは、是非この記事を読んでみてください。ちなみに、セックスライフの部分は、他の「練習」よりも意外なほど簡単に「活性化」に成功したらしいです。(笑)

2009年12月5日土曜日

3人の天才男と過ごす雨の一日 — バッハ、イシグロ、チョムスキー

昨日は寒いし雨だし外に出たくないので、一日家でゆっくり、3人の天才男たちと過ごしました。過ごしましたといっても、彼らが町田の田舎の団地にやってきたわけではないですが、町田の田舎の団地にいながらにして彼らの才能と仕事に触れ、刺激と感動を味わえるというのは、この上ない贅沢です。

まずは、J. S. バッハ。このブログを読んでくださっているかたは、私がピアノを弾くことはご存知のかたが多いでしょうが、私は町田に来てから、実家に置いてあったアップライトのピアノを運んできて、ちょろちょろと弾いています。こちらに来てからは定期的なレッスンに通っていないので、我流できわめて非体系的に練習しているだけですが、それでも、音楽はやはり右脳と左脳を両方使うので満足感があります。しばらくバッハ=ブゾーニのシャコンヌに取り組んで以来、新たに長い大曲を始める気力がなかなか出ないので、バッハの平均率第二巻の曲を次々に弾いているのですが、いやー、弾いたり聴いたりするたびに(とくに楽譜を見ながら聴いていると)、バッハというのは、天才を通り越して、遺伝子の突然変異かなにかで生まれてきた、ちょっと異常な人間だったのではないかと思います。バッハがスゴいのは当たり前で、改めて言うのも馬鹿馬鹿しいくらいですが、それでも言わずにはいられない。人間業とは思えない数学的な構成と、それによって生まれるこれまた信じられないくらいの美しさ、そして、見事なまでに形式的に整った流れのなかで、そこかしこでぎょっとするような遊びや工夫がなされていて、それらが合わさって、均整のなかからものすごいメッセージが伝わってくる。私は、バッハの音楽を知ることができただけで、この世に生まれてきた甲斐があった、これらの曲を少しでも自分なりに納得がいくように弾けるようになるためだけにでも、長生きしようと思うくらいです。

私が子供時代ずっとついていたピアノの先生は、素晴らしい先生であり、同時にかなり変わった先生でした。毎回バッハの新しい曲を始めるときには、レッスンの最中に、私をソファーに座らせ、先生のレコードコレクションのなかから5枚ほどのレコードを一緒に聴く、ということをしていました。確か、リヒテル、グルダ、ブレンデル、グールド、とあと一人は誰だったか忘れてしまいましたが、とにかく、特にバッハのような音楽に関しては、無限に解釈と演奏のしかたがあって、どれが正しいというものではない、けれども演奏の巨匠たちがそれぞれどんな演奏をするのかを聴き比べてみることは大事である、ということを、小学生相手に教えていただいたのは、とてもありがたいことでした。毎週土曜日の午後がレッスンだったのですが、夕方日が暮れる時間になると、「鍵盤に向かっていることよりも人生には大事なことがある」とレッスンを中断して、夕日の見える部屋に二人で座って日が沈んで空がいろいろな色に変化する様子を眺めること15分ほど。なにもわかっていない小学生だった当時は、レッスンというものはそういうものなのだろうと思っていましたが、今考えるとなんと贅沢な教育を受けたのだろうと思います。ちなみに、私が最近聴いているのはAngela HewittのCDです。現代のピアニストのなかではバッハに関しては彼女は世界でトップのひとりだと言われています。はたして本当にそうかどうか、他の演奏をたくさん聴いてみないと判断できませんが、iTunesのいいところは、CDをまるごと買わなくても一曲ずつダウンロードできることですね。そういう聴き方が、クラシック音楽のCDの聴き方として正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず、ひとつの曲のいろいろな解釈を聴いてみたい、というときに、平均率第二巻のCDばかり何枚も買うような財力はちょっとないので、その点、一曲ずつ聴けるのはとても便利。

次の天才は、カズオ・イシグロ。私は彼の小説はすべて読んでいて、なんともイギリス的(これはステレオタイプ以外のなにものでもないかもしれませんが、まあ私にはそう思える)で独特な内省的な心象風景とか、表面的な言葉のコミュニケーションと本当に言おうとしていることがまったく噛み合わない状況とか、自分に勇気がなかったために大事なものを永遠に失ってしまったことへの後悔とか、そういった世界を完璧にコントロールされた言語で作りだす、天才的な作家だと思っています。そしてまた、なんとも言えぬ不気味な雰囲気、なにかこれからものすごくオソロしいことが起こりそうな感じ、というのを描くことにかけては、イシグロ氏に勝る作家はあまりいません。今回読んだのは、彼の短編集、Nocturnes。音楽がテーマになっているという点でも興味があったのですが、これは彼のこれまでの作品のなかでも一、二に入ると思います。同窓会で大学のクラスメートと20年ぶりに会って間もなく読んだのでなおさら感慨深い気持ちになったのかもしれませんが(40代の主人公が多いのです)、それを別にしても、愛情とか夢とか理想とかいったものが、時間とともにどのように形を変えていくか、そうした変化に人がそれぞれどんなふうに立ち向かったり折り合いをつけたりするか、その懸命でもあり哀しくもあり滑稽でもある(この本に関してはこの「滑稽さ」の描き方が卓越していて、私は読みながら声をあげて笑った箇所がいくつもあります)さまが、シンプルでエレガントな文章で描かれています。読んでしばらくは味わいのある余韻に浸ることができます。翻訳も出ていますが、英語自体は全然難しくないし、イシグロ氏の言語世界にぜひ触れていただきたいので、原文で読むことをおススメします。

最後の天才は、故エドワード・サイード氏(ここでサイードについて書き始めてしまうときりがないのでやめておきますが、私の研究者としての起源の多くはサイードの『オリエンタリズム』〈上〉 〈下〉 にあります。本当は原書で読んでいただきたいですが、学者以外のかたには、まあ翻訳でもいいかな。今となっては古典ですが、何度読み直しても新たに学ぶところがある本です。数ある研究書の名著のなかでも、こういう本はなかなかあるものではありません)を追悼・記念して開催されているコロンビア大学の講義シリーズの一環で行われた、ノーム・チョムスキー氏の講演。チョムスキーを、「現代最高の知識人五人」に入れる人は多いでしょう。もともとは言語学者ですが、歴史や政治など幅広く研究そして言論活動を行い、とくにアメリカの外交政策に鋭い批判をし続けています。知的にも倫理的にも最高レベルの人物で、彼のことを「アメリカの良心」と呼ぶ人も少なくありません。この講義でも、冷戦終結後の国際関係がどのように変わったか変わっていないか、「帝国主義の文化」を軸に語り、オバマ大統領へも鋭い矛先をむけています。この講演を、町田の部屋で見られるというのも、YouTubeのおかげ、また、この講演をYouTubeで見られるということを私が知ったのも、Facebookのおかげです。

というわけで、昨日は実に贅沢な雨の一日でしたが、晴れた今日は、どんな天才とともに過ごそうか、考えているあいだに半日過ぎてしまいました。このあたりに、私の凡才ぶりが表れていますね。

2009年12月4日金曜日

天野郁夫『大学の誕生』

先週末、大学一・二年生時代のクラスの同窓会をしました。私は幹事のひとりだったので、人探しだの名簿作りだのといった準備をしているあいだに、運動会前の子供のように、始まる前からワクワクドキドキ勝手に興奮していたのですが、実際の集まりは大成功で、参加者みんなが心から楽しんでいたようなので、本当にやったかいがあったと思えました。このクラスは、大学の初めの二年間に語学や体育実技の授業を一緒に受ける50人ほどのクラスなのですが、なにしろバブルで遊んでばかりいて授業にほとんど出なかった人もけっこういるし、軟派対硬派(まあ、1980年代の東大の「軟派」と言ったって、全然軟派じゃないのですが、まあこれは内部での相対的な比較です)だの、東京出身者対地方出身者だの、政治活動家対ノンポリ(「ノンポリ」であるということがひとつのアイデンティティの印として機能していたということが今考えるとスゴいような気もする)だのといった、さまざまな分類によって、交際範囲はかなり限定されていて、二年間をともにしたクラスメートのなかにも、当時はほとんど口をきいたことがなかった人というのが結構たくさんいるのです。だから、20年を経た今になってその当時の人たちと集まっても、果たして楽しいのかどうか、そもそも会ってもお互い覚えていない人が多いんじゃないか、などといった不安を抱えながら、おそるおそるやってきた人も少なくなかったようです。が、実際集まってみると、そんな心配はまるで無用で、それこそ不思議なくらいのポジティヴな空気が場内いっぱいに漂う一夜となりました。単に、久しぶりに会う友達とわいわい騒いで楽しかった、というだけではなくて、クラスで一緒だったときの年齢の二倍の年齢になった今、それぞれの人が、あの時代の自分を思い出したり、それから20年のあいだに自分が生きてきた人生を振り返ったり、人とのつながりということについて改めて考えたりするきっかけになったのだと思います。そして、昔はろくにしゃべったこともなかった相手、正直言って「うざったい奴だな〜」とか「訳のわかんない人だな〜」とか思っていた相手とも、こうしてお互い大人になって会ってみると、なかなか魅力的で面白い人間であるということがわかって、昔の知り合いと新しい友達になったような、不思議な幸せ感を味わう、というのもあったと思います。また、このトシになるとやはり、いろいろな山あり谷ありの経験をしてきている人も多く、そうしたものを乗り越えて、大きくも強くも優しくもなって前に進んでいる姿を見ると、とても勇気づけられます。というわけで、いろいろな意味で感動の多い集まりとなり、幹事は勝手に大満足しております。

さて、大学といえば、少し前に、「東大本はもうやめよう!」という投稿をしましたが、私は最近、天野郁夫『大学の誕生〈上〉ー帝国大学の時代 』を読みました。これはとても読み応えがあり、勉強になり、面白い本です。どうせ東大に関係する本を読むのなら、絶対これを読むべきです。本全体が東大の話ではもちろんないのですが、現在の東大が組織の形としても教育や研究の内容としてもなぜ今のようなものになったのか、日本の社会で東大が占めているような位置を占めるようになったのはどういういきさつによるものなのか、他の国立大学や私立大学と帝国大学の関係はどのようにしてできたのか、という歴史が、とてもよくわかります。私は知らなかったことをたくさん学び、「おー、なるほど、こういうわけだったのか!」と線を引いたり付箋をつけたりしながら読みました。明治期に官僚を初めとする国家のリーダー養成の目的で帝国大学が作られたということくらいはわかっていましたが、特有な近代化の過程をたどった明治の日本が急いで大学制度を整える上で、中世ヨーロッパの大学の伝統、フランス型の「専門学校」、ドイツ型の「国家の大学」、アメリカ型の私立大学など、いろいろなモデルがあり、結果的には多様なそれらのモデルが合わさったような形の大学制度ができあった、ということ。また、医師や法律家のための国家試験の仕組みが、大学の整備と絡み合って制度化されていったこと。また、西洋の学問を輸入するという急務が、初期の大学教育のありかたをどのように形作っていったかということ。などなど。(水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』を読んだかたにはこの本はなおのこと面白いはずです。)また、私はアメリカの大学の仕組みから考えるとさっぱり理解できなかった「講座制」というものがいったいどのようにしてできたのかも始めて知りました。日本の大学のありかたには、私は大いに疑問を感じることが多いのですが、なにごとも、改革をするにしても、まずはなぜ今のようになったのかというきちんとした歴史的理解が必要ですので、その点で、この本はとても重要です。大学教育や学問、言論のありかたについて興味のあるかたにはおススメです。というわけで、「東大生の勉強法」の類の本を読むヒマがあったら、こちらを読んだほうが、ずっと勉強になります。

2009年11月25日水曜日

Facebook、恋愛、家族関係

以前からこのブログを読んでいただいているかたで、Facebookを使っていない人は、「Facebookの話はもう勘弁してくれ」と思っているかもしれません。すみませんが、もう一回(うーん、でもこれから先もまだあるかも)ご辛抱ください。先週のニューヨーク・タイムズに、Facebookをめぐって展開される恋愛(の終わり)と家族関係についての面白可笑しいエッセイが載っています。著者は、ガールフレンドと別れた後も、彼女とはFacebook上で「友達」であり続けている。彼女の「近況アップデート」を見て、自分なしでも彼女は着々と人生を先に進んでいるという悲しくも当然な事実を何度も認識したり、彼女が自分の知らない男性の腕をとって幸せそうな笑顔で写っている写真を見て、「こいつはいったい何者だ」と、軽症ストーカーまがいにその男性の素性をリサーチしたりする。そうこうしているうちに、自分の83歳になるおじいさんが、突然Facebookを使い始めた。初めのうちは、Facebookを通じてなんとも可愛らしい会話をおじいさんとやりとりしていたのだが、そのうち、そのおじいさんと自分の元彼女が、Facebook「友達」になっているのを発見。おじいさんと元彼女は数回しか会ったことがないはずだし、当の自分が彼女ともう別れているのに、なぜこの二人が「友達」なんだ、納得がいかん。と思いながらも、たかがFacebookごときで本気で機嫌を損ねるのも馬鹿馬鹿しいと思い、初めは冗談半分で「なんでおじいちゃんが僕の元彼女と『友達』なんだ!」などとおじいさんにメッセージを送ったのだが、それに対するおじいさんの冗談とも真面目とも判断つかねる回答に、本気で機嫌を損ねてしまい、83歳のおじいさんの血圧をあげるような怒ったメッセージを書いてしまった。そうやって、訳のわからないやりとりを繰り返しているうちに、おじいさんとは仲直りしたものの、おじいさんはFacebookのアカウントをきれいさっぱり取り消してしまった、とのこと。Facebookを使っていない人には、なぜこれがそんなにおおごと(?)なのか、なぜ恋愛や家族関係のありかたにFacebookがそこまでの作用を及ぼすのか理解できないかもしれませんが、私のようなFacebook中毒者には、たいへんリアリティがあって面白いエッセイであります。よかったら読んでみてください。

2009年11月22日日曜日

ETV特集 「ピアニストの贈り物〜辻井伸行・コンクール20日間の記録〜

NHK教育テレビのETV特集で、「ピアニストの贈り物〜辻井伸行・コンクール20日間の記録」を今見たところです。クライバーン・コンクールの現場には、NHKの取材は来ていなかったので、おそらくクライバーン財団と正式の契約を結んでいるドキュメンタリー監督のピーター・ローゼン氏の動画を買い取って作ったものなのだろうけれど、日本の聴衆にむけた番組としてそれを編集するとどういう作品になるのだろうと興味津々(ついでに、コンクールの演奏中ずっと前から3列目に座っていて、しかも辻井さんや他の演奏家にもちょろちょろとついてまわっていた自分がちらっと写っていたりするかしらん、という興味もありました。確かに一カ所、ばっちり写っていました:))で見ました。

が、正直言って、私にはさっぱり面白くない番組でした。なにが面白くないって、なんのメッセージも伝わってこないからです。このコンクールについて制作者が聴衆に伝えたいことはなんなのかがさっぱりわからない。クライバーン・コンクールというものの熾烈さなのか、参加者たちの音楽にかける情熱なのか、彼らの人生や人間性なのか、コンクールで披露される演奏の多様さ(あるいは多様さのなさ)なのか、辻井さんの音楽性なのか、辻井さんというピアニストをここまで育てあげた人々についてなのか。どんな視点からでもとても面白い番組が作れるはずなのですが、なんとも焦点が定まらず、なにが言いたいのかよくわからない番組でした。まあそれは、NHKの制作者が実際に現場で取材をせず、すべてが終わった後で他の人がその人の視点からとったテープを編集して作った番組なら、焦点が定まらなくても仕方ないのかもしれませんが、それならそれで、いっそのことそのピーター・ローゼン氏と彼の視点をもっと前面に押し出した番組作りにしたほうが面白いんじゃないかと思いました。(番組紹介のHPには、ローゼン氏のことが書いてあります。)また、とくに物語性をもたせず、演奏を見せ聴かせることをメインにした番組にするなら、それはそれで立派なことだと思いますが、それだったら、あんな風に演奏をこちゃこちゃと切り貼りしないで、せめてそれぞれの曲の一楽章くらいはまるごと聴かせるべきでしょう。

このブログを以前から読んでくださっているかたたちには、私のクライバーン・コンクール記録を追っていただきましたが、私はこれからこのコンクールについての本を書くことになっています。というわけで、私が伝えたいと思っていることをこの番組にすべて言われてしまったら困るなあとちょっと心配もあったのですが、それはまるでなかったので、そういう意味では安心しましたが(笑)、一視聴者としては、不満感が残る番組でした。NHKにはもっと気合いの入った番組作りを期待します。

2009年11月20日金曜日

Mary Karr, LIT

連休の週末に街に出ても人混みでどっと疲れるだけなので、昨日の夕方から家でゆっくり本を読んでいます。普段はなんだかんだと締切だの用事だのがあって一日ゆっくり本を読むなどということはめったにできないのですが、こうしてちょっと仕事が一段落ついたときに、好きな時間に好きなだけ本を読めるというのは、一人暮らしの特権のひとつであります。

で、ここ昨日から今日にかけて読みふけったのが、詩人Mary Karrの回想録、Lit: A Memoirという本です。このブログで何度も言及しているNPRのFresh Airという番組で著者がインタビューされているのを聞いて興味をもち、アマゾンで購入しました。テキサスの小さな町で、アルコール依存症や神経衰弱を繰り返した母親のもとで育った子供時代(については、彼女の以前の著作にもっと詳しく描かれているようですが、私はそれを読んでいません)から、きわめて裕福な環境で育ちながら禁欲的な文学者としての道を選んだ男性との結婚生活、自分自身のアルコール中毒そして死の近くまでいった神経衰弱、そしてスピリチュアルな鍛錬を通じての精神的・経済的回復と自立、息子との関係などを追った回想です。このように説明するとせっかくの休日をわざわざこれを読むのに使おうと思うような題材にはとても聞こえないでしょうが、確かにハッピーな気分に満ちた本ではないものの、辛い話のなかにも自分を冷徹に見据えているものならではの強さとユーモアがあって、勇気と希望を与えてくれる本でもあります。自分を傷つけたり苦しめたりした相手について、決して嘘っぽい美化をしたりはしないと同時に、心の底では愛情を失っていない、ということも伝わってきます。(そうした意味で、しばらく前に読んだNick FlynnのAnother Bullshit Night in Suck Cityに通じるものがあります。ちなみにMary KarrとNick Flynnは友達同士らしい。)スピリチュアルな発見とか宗教的な目覚めといった話題は、正直言ってどうも苦手で、普段はわざわざ本を買って読んだりはしないのですが、著者の話しぶりがとても地に足がついていて親しみがもてた(著者自身、宗教や神といったものにはずっとまるっきり関心がなく、スピリチュアルなものに心を開くということ自体が彼女にとってとても大きなステップだったということが、インタビューからも本からもわかります)ので読んでみたのですが、無宗教の読者にもとても響いてくるものがあります。興味をもって、Mary Karrについてネット検索してみたのですが、ちなみに彼女ははっとするほどの美人で、しかもその美人のありかたが、日本ではあんまり見ないタイプの美人なのです。興味のあるかたは、本、インタビュー、写真ともに是非チェックしてみてください。

2009年11月19日木曜日

ホリデーシーズン悲喜こもごも

アメリカでは来週がサンクスギヴィングの休日です。ハワイやアメリカ本土の私の友達からも、今年のサンクスギヴィングは誰が七面鳥の担当だとか、誰の家でパーティがあるだとかいった報告が入ってきます。キリスト教人口も少なくクリスマスが休日ではなく基本的にクリスマスが商業的なものである日本と違って、アメリカでのサンクスギヴィングからクリスマスまでのホリデーシーズンは、家族や親戚が集まってゆっくりと食事をすることが中心です。普段顔を合わせることの少ない家族や親戚が食事やお酒をまじえて濃厚な時間を過ごすからこそ、そうした場で展開される人間模様は、暖かく愛情に溢れたと形容できるようなものばかりでないことは、『ドット・コム・ラヴァーズ』でも説明しましたが、いよいよ再びホリデーシーズンが到来することにちなんで、今日のニューヨーク・タイムズに、休日に露呈される家族関係や人間模様についての話題を集めたエッセイが載っています。他人の話だからこそ笑える話ばかりですが、実際にこうした経験・思いをしてきている人は私のまわりでも本当にたくさんいます。そうした思いをするのが嫌だから、はじめからサンクスギヴィングはどこにも行かずに一人で家にいるとか、家族のもとには行かず友達同士でパーティをするとかいう人もけっこういます。やはり家族関係が親密であればあるほど、ホリデーシーズンにこうした悲喜劇が展開される度合いが高くなるようです。なかなか面白いですので、ちょっと読んでみてください。

2009年11月17日火曜日

服部崇『APECの素顔』

札幌に行ってきたところなのでそれと比べるとずっと暖かいものの、東京もずいぶん寒くなりました。冬の寒さは東京よりずーっと厳しいニューイングランドやニューヨークに何年も住んでいたこともあるのですが、今では身体がハワイの気候に慣れている私には大変です。(ニューイングランドでの生活の四年目くらいには、外が零度くらいだと、「なんだ、そんなに寒くないじゃん」などと言うようになっていたのを思い出します。慣れというのはすごいものです。)なんといっても、日本は家の中が寒いのには参ります。アメリカでは寒い地域でも家のなかはセントラルヒーティングなので暖かい(そのぶんずいぶんとエネルギーが浪費されているのでしょうが)ですが、日本は家がスコスコだし、暖房を入れても寒い!北海道のような厳寒地はさすがにセントラルヒーティングが普及しているようですが。

さて、今日は私の友達の著書をご紹介します。服部崇著『APECの素顔 —アジア太平洋最前線』。出版ほやほやです。経済産業省から三年間の出向で、シンガポールにあるAPEC(「アジア太平洋経済協力」)事務局にプログラム・ディレクターとして勤務した経験をもとに、APECという組織や、シンガポールでの暮らし、そして仕事を通じて触れたアジア太平洋地域の人々や文化について紹介した本です。私はAPECという名前は知っていたものの、実際にどんなふうに運営されていてどんなことをしている組織かはほとんど知らなかったので、いろいろと興味深いことを学びました。たとえば、APECでは、参加国それぞれのことを「国」といわずに「エコノミー」と呼ぶんだそうです。APECというのは経済圏としてのコミュニティだからまあそういうものかとも思いますが、なぜそういうことになったのか、そして国といわずにエコノミーということで参加国や地域全体の意識にどのような意味をもたらしているのか、そのへんがもっと知りたくなってきます。また、APECは単なる自由貿易圏としてでなく、互いの国内制度の相互調整にも踏み込むような「深い統合」を目指すべきだという論もあるそうですが、そうした方向に進むとなると、超国家的地域コミュニティと、それぞれの国家の論理やナショナリズムがどのように関係していくのか、「国内制度の相互調整」には経済体制だけでなく人権や言論といったことも含まれるようになるのか、などなど、質問したいことがいろいろ出てきます。なにも知らないと質問もないけれど、ちょっと知るといろいろ質問が出てくるものですね。文章も読みやすく、組織の話だけでなく同僚とのやりとりなど人間的な話題が多いので、親しみをもって読むことができます。よかったら手にとってみてください。友達が書いた本だけに、私としてはパーソナルな視点からもなかなか興味深く、なるほど私の友達が『ドット・コム・ラヴァーズ』を読むときにはこういう気持ちで読むのかしらん、などと思いました。(といっても、この本は、『ドット・コム・ラヴァーズ』とは内容も性質もまるで違うものです。念のため。)

2009年11月15日日曜日

東大本はもうやめよう!

週末、札幌に行ってきました。北海道大学の応用倫理研究教育センターというところの主催の、応用倫理国際会議というものの一環で今年から始まったジェンダー分科会の基調講演をしたのですが、なんと講演のタイトルは、"Politics and Ethics of Personal Narrative: Or, How I Came to Write Dot Com Lovers and What I Have Learned from It." 応用倫理の学会ですから、参加者のほとんどは哲学者で、他の講演も生命倫理とか環境倫理とか、ガザがどうしたとか死刑がどうしたとか、そんな話ばっかりの中で、私ひとり、オンライン・デーティングの話をしているのですから、実に変てこりんな様子でしたが、招待してくださった先生がたや講演を聴きにきてくださった人たちにはそれなりに喜んでいただけたようだったのでよかったです。聴衆のなかには、『ドット・コム・ラヴァーズ』や『アメリカの大学院で成功する方法』を持ってきて講演後サインを求めてきてくださったかたも何人もいました。どうもありがとうございました。(私は哲学の分野のことをなにも知らないので誰がどういう人なのだかさっぱりわからなかったのですが、雰囲気からして国際的に著名な哲学者も何人もいたようでしたが、ファンにサインを求められている人はいなかったようなので、そういう意味では私の勝ち!:))ちなみに、この講演では、「学者がパーソナルなことを公の場で書くということにはどういう意味があるか、読者の反応から考えて、『ドット・コム・ラヴァーズ』はどういった点で成功してどういった点で限界があったか」といったことを著者自らが省みる、という内容でした。アカデミックな場で『ドット・コム・ラヴァーズ』について語るというのも、自分にとってはいい頭のエクササイズになりました。また、普段自分が慣れているのとはまったく別の分野のディスコースの中に身を置いてみるというのも、なかなか興味深いものでした。私から見ると、他の発表の多くは、実際の具体的なデータなどに基づかずに仮の設定のもとでなされたあまりにもメタなレベルの理論的な話か、あまりにも実際的な話に終始してそれを哲学や倫理学の視点から論じることの意味がよくわからない話かが多く、具体性と理論性においてその中間くらいの話がもうちょっと聞けたら私にはもっと勉強になったと思うのですが、それは分野の性質によるものなのかも知れません。

ところで、羽田空港の書店をうろうろしているときに、以前から街の書店で気になっていたことをさらに確認。世の中には、なんだってこんなに「東大本」が多いんでしょうか。東大生の勉強法とか記憶法とかノートのとりかたとか、はてには子どもを二人東大に入れた親による子育て本とか、あるいは東大卒の母親をもった子どもについての本とか、東大生の性生活についての本とか、それだけで書店にひとコーナーできてしまうくらい沢山東大本が出版されている。見ているだけで私は気分が悪くなってくるのですが、いったいこれはどういうことなのでしょうか?

ご存知のかたが多いでしょうが、私は東大に行きました。バブリーな時代にちゃらちゃらした大学生活を送ったので、今から思うとせっかく知力も体力もふんだんにあった若かりし頃の四年間を馬鹿な使い方をしたなあと後悔が多いものの、それなりにいい学生生活だったと思っています。大学時代の友達とは今でも仲良くしていますし、自分が発起人のひとりとして近々一二年生のときのクラスの同窓会まですることになっています。また、学者の道を進んだこともあり、東大の先生がたとの関係はかなり強く、卒業後も母校とのつき合いは続け、今でも日本に一時帰国するときは駒場キャンパスの施設に泊まるくらいで、母校への愛着はあります。来るときには駒場で講演をさせていただいたり、この夏は集中講義を担当させていただいたりしたので、今の学生と話をすることもあります。そうした体験から言うと、確かに、東大生というのは一般的に、頭の回転が速いし、要領がいいし、ものごとを知ったり考えたりすることが好きだし、ものを論理的に思考したり表現したりすることが得意です。大学全体のなかでのそうした学生の割合は、他の大学と比べるとやはり高いのかも知れないと思います。でも、旧帝大時代ならともかく、現代は少子化で大学は以前よりずっと入りやすくなっているし、「勉強ができる学生」をこえた、本当の意味でのエリートと呼べるような学生はそんなにいません。驚嘆するような天才的な頭脳をもっている学生(確かに存在します)というのは、ごくごく一握りで、残りの東大生の多くというのは、教育程度が高く経済的にもそれなりに恵まれた家庭環境で育ち、子どものときからいろいろな文化や知識に触れる機会をもち、塾などに通って進学校に入って受験勉強をしてきたから、東大に入った人たちです。(東大生の家庭の収入が全国の大学で一番高い、というのはずいぶん前から指摘されていましたが、今はますますそういった傾向が強くなっているそうです。)そのことを、社会階層や文化資本の形成・再生産という視点から注目(そして批判)する意味はありますが、東大に入る学生をなにか特別な能力をもった人間のように見たり扱ったりする意味はありません。ましてやそれについて何冊も何冊も本を出版する価値のあるようなことはなにもありません。

もちろん、東大の実態とはまったく独立して、東大というラベルに日本社会が特別の付加価値をつけ、それがゆえに東大卒業生が、多くの場合実力以上の待遇を受けるのはわかっています。わかっているもなにも、それだからこそ自分だって東大に行こうと思ったわけです(私が東大を受験しようと決めた背景にはもうちょっと具体的な理由があったのですが、それはまあよし)から、そのことを否定しようとは思いません。在学中も卒業後も、東大だということだけで人から一目置かれるようなことは多々ありましたし、東大に行ったことのメリットは十分以上あったと思っています。東大生だということでステレオタイプや偏見をもたれることもあり、それをうっとうしいと思うこともありますが、実際に東大が日本社会で占めている位置を考えたらそんなことをうっとうしいと思うほうが馬鹿でしょう。(「東大生らしからぬ東大生」になりたいと思った時期などもありましたが、そんなことにこだわっていることこそ馬鹿な東大生だということにじきに気づきました。)ですから、東大生が「東大生を特別扱いするな」と言っても、多くの人には嫌味にしか聞こえないのは十分承知なのですが、やはり言わずにはいられないくらい、「東大神話」が再生産されているようなので、敢えて言います。東大生がどうしたこうしたという本をそんなに沢山出版するような価値は、東大生にはありません!

どうせ東大についての本を作るのだったら、東大では実際にどんな研究が行われているのかとか、教育内容はどうなっているのかとか、日本の他大学と比べてなにが違うのか違わないのかとか、世界の大学と比べるとどうなのかとか、そういうことをじっくり分析した本ならば、意味はあると思いますが、東大受験に成功した人にやたらと付加価値をつけるような本作りは、もうやめましょうよ!そんなことを日本の言論界が繰り返していたら、東大の価値は入ることにある(あそして、入ってからどんな勉強をするかということが、まったく問題にされない)という悲しい事態が、今後もずっと続くでしょう。そして、世界的にみたら東大は一流大学とは到底言えない、という事態が今後も続くでしょう。東大に多くの場合不相応な付加価値がつけられるからこそ、社会は、東大を厳しく分析・評価する必要があるのです。というわけで、東大本はもうやめましょう!

2009年11月9日月曜日

11/14(土)佐藤康子二十五絃箏コンサート

お知らせがぎりぎりになってしまいましたが、今週14日(土)に、『ドット・コム・ラヴァーズ』の149頁に「箏の道を志してここ十年以上本格的に修業を積んでいるセミプロ」としてほんのちらりとだけ出てくる(オンライン・デーティングとはまるで関係のない文脈です)、私の親友の佐藤康子さんの二十五絃箏のコンサートがあります。彼女はここ数年間定期的に演奏会を開いているにもかかわらず、私が日本にいないので実際の演奏を聴けず、今年こそは、と期待を膨らませていたにもかかわらず、なんと今回の演奏会は私が札幌で講演をすることになっている週末と重なってしまったので、非常に残念ながら私自身は聴きに行くことができません。ので、みなさんのうち一人でも多くのかたが私に代わって彼女の音楽に触れてくださると嬉しいです。普通、箏というと十三絃で、一般の人が聴いたことのある箏の音楽は十三絃の楽器で弾かれたものですが、二十五絃の楽器はそのぶん音域が広く、違った味わいの音楽が楽しめます。行ったら、演奏後に「吉原さんのブログを見て来ました」と本人に声をかけて感想を聞かせてあげてください。そして、感想をこのブログのコメントに載せてくださるととても嬉しいです。

11月14日(土) 開場18:00 開演18:30
前売り 2,000円 当日 2,500円
会場 Studio K(JR高円寺南口徒歩5分)
お問い合わせ e-mail: yasunei@m7.gyao.ne.jp

ところで、先週末は以前にご紹介した、名倉誠人さんのマリンバ・リサイタルに行ってきましたが、本当に刺激的で素晴らしい演奏会でした。現代の作曲家による委嘱作品と一口に言っても、実にいろいろな構想とスタイルと雰囲気の曲があるものだと、当たり前のことが改めて実感されるし、マリンバのソロ曲からはマリンバという楽器の味わいがよく伝わってくる一方で、他の楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ)との合奏曲では、アンサンブルから生まれる音の色彩や触感がとてもよく、感覚にも頭脳にも真摯に語りかけてくる音楽ばかりでした。「森と樹の音楽」というテーマへにも、作曲家がそれぞれの方法で取り組んでいて、比較的物語性のある曲の場合も、安易にプログラマティックになりすぎることなく、情感と理性の両方で構築されている音楽だと思いました。ぱちぱち。

まるっきり関係ないですが、私は最近I Love You, Manというアメリカ映画を見ました。日本では劇場公開されておらず、公開の予定があるのかどうかもわかりませんが、iTunesから「レンタル」という形でダウンロードして見ることができます。(そんなことができるというのを私が知ったのはごく最近のことです。世の中はほんとに便利になったものですねえ。)Paul RuddとJason Segel主演のコメディなのですが、軽いながらにもなかなか深い真実があるストーリーで、脚本がとてもよくできています。以前の投稿で紹介した、National Public RadioのFresh Airという番組でJason Segelがインタビューされているのを聞いて興味をもって見たのですが、確かに彼の演技が素晴らしいです。要は、感じがよく社交的で女性の仕事仲間や友達には好かれている男性が、恋人と婚約して結婚式の準備をする過程で、実は自分には日常的に親密な会話をしたり一緒に出かけたりする親友といえる男友達がいない、ということに気づき、あわてて「男友達探し」をする、という話です。一般的に、女性と男性では友達づきあいのありかたにずいぶん違いがあるものですが、確かに、アメリカでも日本でも、女性がいうところの「友達」がいない男性というのは、かなり多いように見受けられます。男性から見ると、女性同士の友達づきあいというのは、どうでもいいようなことをひたすらしゃべり続けたり、どうしてそんなことまで人に話す必要があるのかと思うようなことまで打ち明けたり、とくに何をするでもないのにべったり一緒にいたり、といったふうに見えることが多いようですが、以前も書いたように、『セックス・アンド・ザ・シティ』が巧妙に描いたのは、そうした「なんでもないこと、どうでもいいこと」を日常的に共有しあう女友達同士の関係というのが、女性にとっては生命線といってもいいくらい大きな意味をもっている、ということです。男性は、親密なことや感情にかかわることを話すのが照れくさいとか女々しいとかいったジェンダー観や男同士の競争心などから、なかなか同じような関係を築きにくい。スポーツや音楽をやっている男性は、その仲間との濃厚な関係はありますが、男同士のつき合いや遊びというものは、ともするとやたらと子供じみたものに走りがち、という特徴もある。などなど、そうした「男友達」のありかたを、面白可笑しく描いた作品で、とても楽しめます。

2009年11月3日火曜日

中国の本屋






文化の日にちなんで(?)、北京で見たもののうち文化的な話題を少し。

北京で行った場所のうちもっとも面白かったところのひとつが、大山子798芸術区。かつて工場(残っている設備や機械からして、重工業だったのだろうと思います)だった場所を改装して、ギャラリーやアート・スタジオ、レストランやカフェなどの集まる芸術空間にしたものです。とても大きなスペースで、私がいた数時間に見たのは全体のほんの十分の一くらいだったらしいですが、それでも大いに楽しめました。アメリカにも似たような意図の芸術スペースはありますが(マサチューセッツ現代美術館はその一例)1950年代の共産主義全盛時代に産業複合施設として活気のあったらしい空間の遺物が、今ではポストモダン芸術の舞台となり道具となっている、そのコンビネーションがなんとも興味深いです。クレーンや線路を前に結婚の記念写真を撮影するカップルが多いらしく、私が行ったときにも一組が撮影の最中でした。また、工場の内部には今でも「毛首席万歳」といった赤字のスローガンが残っており、それが今ではオシャレなアート空間となっているのも面白いです。

忙しく動き回っていたので、プライオリティの上位に入っていなかったショッピングはまるでしなかったのですが、最終日に食事をしに行った王府井という、東京の銀座のようなエリアにある、大きな本屋さんに入ってみました。言葉が読めないのだから、本屋さんに行っても仕方がないといえばその通りですが、本屋さんというものがどんな風なのかをちょっと覗いてみるだけでも私のような人間には面白いし、漢字文化のおかげで、どんな本が並んでいるのか少しはわかるのがありがたいです。紀伊國屋のような、何階もある大きな本屋の一階をちょろっと見ただけなのですが、本がどんな風に分類されているかとか、どんな本が売れているらしいかとかを見るだけでも、やはりとても興味深かったです。

たとえば、「マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンの思想」という特別コーナーがあり、書棚二つくらい充てられていました。なるほど。『資本論』の翻訳や、思想史や哲学や経済学の観点からの研究書らしき書物が並んでいました。そして、そのすぐ隣には、「成功学」というコーナーがあるのが面白かったです。そのふたつのコーナーが隣同士であることの論理を知りたいところです。また、「男性読物」と「女性読物」というコーナーが隣同士であり、本のデザインの色使いからして明らかに違っている(やはり女性読物はピンクが多く使われている)のです。そして、中身が読めないのであくまで漢字のタイトルやイラストから推測するだけですが、「お金持ちの男をつかまえて嫁になるための本」とか「完璧な女性になるための何か条」みたいな本がかなり沢山並んでいるのも面白かったです。また、地図を作る仕事をしている友達へのお土産として地図を買おうと、地図コーナーにも行ってみましたが、中国で売っている世界地図は、なるほど中国や太平洋が中心となっていて(ハワイ島からミッドウェイにいたるハワイ群島もかなりしっかりと載っている)、アメリカ合衆国などは右のほうになんだかずいぶん歪んだ形でぐちゃっと押しやられているのが面白いです。

「売れている本」らしきコーナーには、大前研一氏の本も並んでいました。日本でもかなり売れているらしいオバマ氏の演説集らしき本も並んでいました。中国の人々が、オバマ氏をどう見ているのか、友達に聞いてみるべきでした。

オバマ氏といえば、先週末のニューヨーク・タイムズ・マガジンに、オバマ夫妻の関係についての長文記事が載っています。以前から、この夫婦は、これまでのホワイトハウスのイメージを大きく塗り替えるとして話題になってきました。クリントン夫妻も、それまでの大統領夫妻とはずいぶん違う存在でしたが、オバマ夫妻はそれともまただいぶ違うイメージ。ミッシェル夫人のカッコ良さ、強さ、賢さに加えて、なにしろ夫妻が今でもお互いに恋をしているのが明らかだ、というのが新鮮なのだと思います。「新潮45」の連載で説明したように、to love someoneとto be in love with someoneというのは違うのであって、オバマ夫妻の場合は、長年の結婚生活を経た今でもなお、in love with each otherであるということが、お互いを見る視線やふたりでいるときのちょっとした仕草、ふたり一緒にインタビューされているときの会話などから伝わってくるのです。そうした恋愛感情を、弁護士としての仕事や社会運動、そして政治家としてのキャリアを築くなかで維持していくことはたやすいことではないのは当然で、とくに自分のキャリアをもったミシェル夫人が、オバマ氏が政治家となったことをどのように考え、それがふたりの関係にどんな影響を及ぼしたか、ということなど、いろいろ考えさせられるいい記事です。やはり、いい関係を続けていくためには、政治と同じくらい、あるいはそれ以上の努力とコミュニケーションが必要なのでしょう。

2009年11月2日月曜日

北京訪問






数日間、北京を訪問してきました。本当は日曜日に戻ってくるはずだったのですが、前の晩に北京では雪が降り始め、空港でチェックインして搭乗してから、飛行機の翼の除雪作業の順番を待つことなんと10時間、その挙句に、これから出発しても成田空港が閉まるまでに間に合わないということで、フライトがキャンセルになってしまいました。空港近くのホテルで一泊を過ごし、翌朝は4時半に起こされ、空港に行ってからはなんと3つの航空会社のチケットカウンターをたらい回しにされ、やっとのことで帰国、成田からは桜美林大学のスタッフのかたたちが主催してくださった私の歓迎会(といっても桜美林に来てから既に3ヶ月ですが)に直行しました。やれやれ。

私は中国本土に行ったのは今回が初めてだったのですが、北京はやはりとてつもなくいろいろな面をもった場所であるということが、数日間の滞在でも感じられました。着いた翌日は、北京外国語大学で講演をしました。私の元教え子が現在北京外国語大学で仕事をしていて、講演の前には彼女が教えている授業を見学に行きました。この日見学した授業は、Gender and Societyという授業で、50人くらいの3年生が選択しているクラスだったのですが、授業は先生の講義、学生の発言や発表を含めすべて英語で行われます。学生の英語はかなり高レベルだったので、「留学経験のある学生が多いのか」と聞いてみたら、「あのクラスには海外生活の経験がある学生はひとりもいない」とのことでした。彼女の授業に限らず、北京外大では、英語圏文化・社会に関する授業はすべて英語で行われるそうです。教授陣は、私の教え子のように長年アメリカで勉強して英語も母語と変わらないレベルで話す人ばかりではないので、教えるほうは大変だろうと思いますが、このように読むのも聞くのも話すのも英語で勉強するおかげで、学生の英語能力は平均的な日本の大学生と比べたら格段に高くなっています。私は、水村美苗さんが『日本語が亡びるとき』で論じているように、「叡智を求める人」が英語だけで言論活動を行うようになったらいろいろな弊害が生まれると思うし、日本の大学でのすべての授業を英語でやるべきだとは思いません。でも、大学教育を受けた人が、普通に英語の新聞や書物を読んだり英語のテレビやラジオから情報を得たりすることができるだけの英語力はつけるべきだとは強く思うし(これについてはまた別途投稿します)、とくに英語圏の社会や文化や歴史を専門にする学生は、北京外大の学生くらいの英語力を身につけてもらいたいと思います。私の講演自体は、
Musicians from a Different Shoreの内容を話したのですが、聴衆はたいへん興味をもって聞いてくれて、とくに大学院生が非常に的を得た興味深い質問をたくさんしてくれました。

ちなみに、北京外国語大学は、外国語・外国文化や国際関係、コミュニケーション論などを専門にしようとする学生のうちもっとも優秀な人たちが集まり、外交官なども多数生んでいる(というか、外交官を養成するための大学として設立された部分が大きいようです)エリート機関で、ありとあらゆる外国語が専門的に勉強できるとのことです。で、私は、「中国の少数民族の言語も勉強できるの?」と聞いてみたところ(北京に行く飛行機のなかで、加々美光行『中国の民族問題―危機の本質 』(岩波現代文庫)を読みながら行ったので興味があったのです。ちなみにこの本は論点が明快で歴史的なコンテクストがわかりやすくて、おススメです)、北京外国語大学は「外国語」を専門としているために中国内の言語は講座がない、とのこと。少数民族言語を専門にする、別の大学があって、そこには少数民族の学生もかなりたくさん在籍しているらしいです。それはそれでまた興味深いです。

残りの2日間は、その元教え子(彼女は、両親が学者だったためにブルジョアとみなされ文革のときに新疆に送られ、ゆえに彼女は新疆で育った後に北京で大学に行ったという背景の持ち主です。新疆にいるのはせいぜい1、2年のことだろうと思っていたので家には段ボールの箱を積んで荷解きもすべてしないまま、結局10年もいることになったので、彼女は子供時代といえば段ボールのイメージが強いそうです)と、私の高校・大学の同級生で今北京で金融の仕事をしている友達に案内されて、北京観光をしました。北京は英語もほとんど通じないし、いろいろなことが実に混沌としているし、メジャーな観光スポットでも近くに地下鉄が通っていない場所が多いので、言葉ができない観光客にとっては相当エネルギーを要するところです。よって、言葉ができない観光客である私は、その二人に完全に依存しきっていたのですが、おかげで短期間とはいえ、実にいろいろな顔の北京を見ることができました。中国はすでに富裕層の絶対数は日本よりも多いそうですが、確かに巨大な新しいビルが次々と建っているし、ショッピング街の様子はアメリカや日本と同じような雰囲気だし、噂で聞いていたとおり大変なエネルギーが感じられました。経済活動という意味では資本主義国家となんら変わるところはなさそうで、政治体制が共産党独裁であるということ以外に、今の中国が社会主義国家であることは具体的にどういう意味をもっているのか、もっと知りたいと思いました。そして、全般的にそうしたエネルギーが感じられ、また中国の人口を考えると、中国全体にさまざまなインフラが整備されて社会の底辺層の生活レベルが数段上昇したら、そりゃあやはり中国が世界をリードするようになるだろうと実感されました。そのいっぽうで、紫禁城などに群をなして押し寄せる(「群をなして押し寄せる」という表現がこれほど的確な場面にはなかなか遭遇するものではありません)、中国の田舎からバスでやってきている観光客(観光バスの大型版で、みな赤や黄色やオレンジの帽子をかぶり、旗をもったガイドさんについてまわる)の波を見ると、北京のスーパー富裕層がいると同時に、中国には、いわゆる文明発達段階においてずいぶんと後の地点にいる人たちがものすごい数で存在するんだということが感じられます。こんなことを言うと、19世紀末から20世紀初頭にかけて白人優越主義者たちが唱えた文明論と似たようなロジックのようですが、本当にそんなことを感じてしまうくらい、田舎から来ている中国人(それも、北京に観光に来られるくらいの人たちはそれほど貧しい人たちではないはずですから、本当の貧困層はさらにそうでしょう)の姿や言動を観察していると、近代化・都市化・西洋化といった線的な流れの力を感じずにはいられませんでした。こんなふうに、経済・文化の発展段階が極端に違う人たちをこれだけの数抱えて、かつ、言語も宗教も生活様式もまるで違う50以上もの少数民族をも抱えて、「国家」として進んでいく中国は、これから先どういう道を辿っていくのだろうと、中国におおいに注目する必要を感じました。

他にも、感じること考えることはいろいろあった旅でしたが、きりがないので、今回はこれにて終了します。

2009年10月27日火曜日

11/7(土)名倉誠人マリンバ・リサイタル

ここ二、三日で東京は急に寒くなり、ハワイの気候に身体が慣れている私は寒くてたまらず、また、アメリカ東海岸のとても寒いところに住んでいたときにも、家のなかはセントラルヒーティングでぽかぽかと暖かかったのに、日本の家は風がスコスコだしセントラルヒーティングはないし(それにいくらなんだって暖房を入れるにはまだ早いですし)で、毛布を身体に巻いてがたがた言っていましたが、今日は気持ちいい秋晴れでほっとしました。

今日は宣伝です。11/7(土)に、私の友達のマリンバ奏者、名倉誠人さんのリサイタルが、代々木の白寿ホールであります。名倉さんとは、私がニューヨークで過ごした一年間に仲良しになり、一緒に飲み食いを楽しむほか、音楽や芸術についての真剣な話を聞かせていただいたり、CDのレコーディングのお手伝いをさせていただいたりしました。私の著書Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicには、名倉さんのインタビューの抜粋を大きく入れさせていただいています。名倉さんに出会うまで、私はマリンバという楽器にはまるで馴染みがなかったのですが、初めて名倉さんの演奏を聴いたとき、マリンバという楽器を生んだ樹や森の感触が伝わってくるような温かい音色に、音楽っていうのは有機的なものなんだなあということを改めて知らされ、衝撃的な思いをしたのを覚えています。今回のリサイタルも、「森と木と音楽II」というタイトルがついていて、そうしたテーマが全体を貫いているようです。名倉さんの音楽は、とても繊細で優しい音であると同時に、芸術音楽というものは、呑気にだらっと座ってバックグラウンド・ミュージックのように流しているのでなく、聴くほうも集中して真面目に向き合うものであるということを促すものでもあります。(その点で、以前紹介した岡田暁生さんの『音楽の聴き方』で書かれていることに通じる部分が多いです。)普段から名倉さんが演奏するのは、現代の作曲家に委嘱した新作が多く、作曲家たちと名倉さんの気迫がぶつかり合いながら、新しい創造に関わっている、そのプロセスに、名倉さんの演奏を通じて触れることができるのも、実に幸運なことです。今回のリサイタルでも、作品のほとんどがなんと世界初演です。作曲家のうちふたり、長田原(「おさだもと」と読みます)さんとKenji Bunchさんも、Musicians from a Different Shoreでかなり大きく取り上げています。

世界初演の音楽に触れられる機会は、そうあるものではないですし、刺激的な新曲の素晴らしい演奏が聴けることは間違いないので、ご都合のつくかたは是非どうぞ。小学校中学年以上くらいでじっと静かに座っていられる年齢だったら、お子さんにも楽しめる音楽だと思います。演奏会前には作曲家を交えたトークもあります。ニューヨークなどでは、リサイタルの後に聴衆が演奏家(や現代曲のときは作曲家)とロビーで気軽に話をできるように設定されていることが多く、そのぶん音楽活動が身近に感じられるのですが、今回のトークもそうした主旨でしょうから、是非積極的に参加して、質問などしてみてください。いらした方は、会場で私を見つけて声をかけてくだされば、私が喜んで名倉さんや長田さん、Kenji Bunchさんにご紹介します。

チケットの情報などは
こちら、またはミリオンコンサート協会へどうぞ。今ならまだチケットが手に入るそうです。来られないかたは、名倉さんのCDを是非聴いてみてください。これも名倉さんのホームページから買えます。私がレコーディングをお手伝いしたのは、Triple Jumpです。素晴らしいですよ。

演奏会といえば、私は先週、紀尾井ホールであった、辻井伸行さんのリサイタルに行ってきました。辻井さんの演奏を聴くのは、クライバーン・コンクールでの彼の優勝に居合わせたとき以来初めてでした。こちらは、ベートーベンの「悲愴」と「熱情」に始まって後半はすべてショパンという、実にオーソドックスなプログラム。私としては、辻井さんのように、今なら演奏会をやればすぐに完売になる演奏家にこそ、現代曲を初めとしてあまり演奏されないような曲目を演奏して、聴衆を新しい音楽に触れさせてほしい、という気持ちが正直なところです。なにしろ辻井さんは、クライバーン・コンクールでは現代曲の演奏の部門でも賞をとっている(現代曲は、作曲家に委嘱された四作品の楽譜が、コンクールの数カ月前に参加者に送付され、参加者は急いで曲を選んで覚えなければいけないわけですから、楽譜が読めない辻井さんがこの部門で受賞したというのは、さらにすごいことです)のですから、その受賞曲やコンクールで演奏された他の委嘱作品を聴かせてくれたら、スタンダードなレパートリーに限られない辻井さんの音楽性の幅を日本の聴衆に知らせることができるし、作曲家にとってもいいし、現代においてクラシック音楽を演奏するということの意味を考えさせてくれるプログラムになるのではないかと思います。あるいは、同じベートーベンのソナタなら、クライバーンの準本選で彼が演奏した「ハンマークラヴィア」を聴かせてくれたらいいのではないかと思います。弾くのももちろん大変だし、聴くほうにもなかなか大変な、難解複雑な曲ですが、だからこそ辻井さんの演奏でそれを聴いてみたい、という聴衆は多いはずです。

もちろん、地方都市を含めたくさんの場所で連日本番を続けている状況で、また、クラシックにそれほど馴染みのない聴衆もいるであろう舞台で、あまり珍しいプログラムを組むのも難しいのだろうことは想像できます。演奏そのものも、技術的にはもちろんなにも文句をつけるような点はないものの、なんだかちょっと、慣れで演奏しているような印象を受けてしまったのが残念でした。クライバーンのときは、本当に一曲一曲に身体が揺さぶれるような思いがしたのですが、優勝以来モーレツなスケジュールで世界各地や日本全国をツアーして、同じような演目を演奏し続けているのですから、毎回の演奏に同じようなテンションや感動がなくても無理ないのかもしれません。ただ、クライバーン本人も、チャイコフスキー・コンクールで優勝してスーパースターとなった後、練習や休憩、ものを考える時間がとれなくなって、演奏家としてはかなり辛い時期を過ごしたことはよく知られていますので、辻井さんがそういうことにならないように、せっかく大きく花開いた可能性が頭打ちになるようなことがないようにと、願うばかりです。そうした意味で、辻井さんを見守る聴衆のほうも、「悲愴」「熱情」「月光」ばかりを彼に求めるのではなく、メッセージ性のある音楽作りを期待することが重要だと思います。(念のため付け足しておきますが、私はベートーベンの三大ソナタが嫌いなわけじゃありません。三大ソナタが頻繁に演奏されるのはやはりこれらが名曲だからで、曲そのものにはいろいろな感動があります。ただ、日本のリサイタルのチラシなどを見ていると、あまりにもこれらのソナタがたくさんのプログラムに入っているので、ちょっとげんなりした気持ちになるのです。わざわざお金を払って出かけて行ってこれを生で聴くべき理由をはっきりと知らせてくれるような演奏であれば、なにも文句はありません。)辻井さん、頑張れ!

2009年10月26日月曜日

「女性の地位」に真正面から取り組む

日本での生活が3ヶ月がたち、例年の数週間の滞在の際に見たり感じたりするのとはずいぶんと違う日本を知るようになりました。驚くこと、考えさせられることがたくさんあり、近くに「逆カルチャーショック・レポート」の続きを書こうと思っていますが、今日はそのなかの一点。女性の地位の低さです。一応ジェンダー研究を専門のひとつにしている人間として、今さらこんなことに驚いている場合ではないかもしれませんが、この驚愕の思いを忘れずにいることも大事だと思います。

なにしろ、ここ3ヶ月で私が出かけて行った場所や参加したしたさまざまなイベントや会合において、リーダー的な立場に女性が立っていることがほとんどまったくと言っていいほどないのです。私が行くようなイベントや会合というのは、大学関係、芸術文化関係、出版やビジネス関係、労働組合関係などですが、その業界や分野で活動している人全体のなかでは女性が比較的多いであろうエリアでさえ、女性が舵を取ってものごとを動かしているところにほとんど遭遇したことがありません。リーダーどころか、50人ほどの参加者がいるイベントに、私以外は1人たりとも女性がいなかったことも何度もあります。男子校を訪問したわけでもないのに、部屋いっぱいに人が集まっているところに入って、そこにいるのが全員男性だと、私にはものすごく異様な光景に映るのですが、日本で多くの分野で仕事をしている人たちにとってはそれがかなり普通のことなのでしょうか、その光景を特に異様だと思っているような様子も感じられないし、「おじさんばっかりだね」とか「女性が少ないね」とかいったコメントを参加者のほうから聞いたこともありません。

活躍している女性がいないと言っているのではありません。自分の知人友人を含め、非常に優秀で大きなビジョンのある女性がいろいろな分野で活躍していることは知っていますし、いわゆる「エリート」女性以外にも、派遣社員やパートタイマーなどを含め、今の日本の社会経済を支えている女性労働の功績は巨大なのもわかっています。しかし、あまりにもそうした女性たちの存在が見えないし、声が聞こえない。単なる労働者数の点からいっても、これだけ女性がいるのですから、それに相応する割合で女性がさまざまな場で発言するようになって当然じゃないでしょうか。もちろん、数合わせのためにとにかく女性を配置すればいいとか、とにかくリーダーを女性にすればよいなどとは言っていません。それでも、あらゆる場に女性がいることが普通の社会にはなるべきで、そのためには要所要所に女性が配置されることはとても重要だと思います。アメリカでも、ビジネスや科学や軍事など、分野によってはまだまだ圧倒的男性優位な分野がたくさんありますが、それでも、女性(そしてマイノリティ)がまったくその分野にいないのはよくないことであるという建前が少なくとも存在し、人工的な策をとってでも女性を積極的に採用したり参加を促したりしています。50人以上の会合に行って女性がひとりもいなかったなどということは、私はアメリカでは体験したことがありません。

といったことを考えていると、今日のニューヨーク・タイムズに、現代アメリカの女性の地位について論じた論説が載りました。筆者は、長年ウオール・ストリート・ジャーナルの記者と編集者を務めたのち、大手出版社コンデ・ナスト社でビジネス誌を創設し初代編集長となったJoanne Lipmanという女性です。第二次フェミニズムといわれる1970年代のアメリカ女性運動の功績によって、確かに女性はさまざまな分野で活躍の道が開かれるようになり、筆者自身を含めさまざまな分野で女性がリーダー的な地位に立つようにもなった。しかし、よくよくデータを検討してみると、そしてメインストリーム・メディアでの表象をきちんと見てみると、現代アメリカにおける女性の地位は驚くほど低い、との主旨。女性の所得や管理職につく女性の割合など、数量化できるデータにおいて女性の地位が明らかに低いのみならず、テレビやラジオやインターネットにおける女性をめぐる言説においても、信じられないほど前時代的な発言が平気でなされている、とのこと。

キャリアを築いてきた女性として、そしてリーダーの地位にたっている立場から、こうした状況を変革していくために彼女が出しているアドバイスがなかなか興味深いです。ひとつは、女性はもっと自分に自信をもち、つねに「よい子」であろうとすることをやめ、自分の要求や希望をはっきりと表明することをためらわないこと。(編集長である彼女のもとに、男性社員はしょっちゅう昇給を求めてくるのに対し、昇給を求めてきた女性はひとりもいない、とのこと。お金に関する態度の男女差については、同じ主旨のことを他でも読んだり聞いたりしたことがあります。)もうひとつは、ユーモアのセンスを忘れないこと。ここでいう「ユーモアのセンス」とは、日本で言う「ユーモア」とはちょっと違って、面白可笑しい冗談を飛ばすとかそういうことばかりではありません。難しい状況にあっても、一歩も二歩も引いたところから自分のおかれた状況やものごとの全体像をゆったりと見回す心の余裕を忘れずに、自分のことも周りのことも面白がって笑える態度を大事にする、ということです。どんなに正当な論を吐いていても、つねにキリキリして怒ってばかりいる人とは、やはり周りの人はつき合いにくいものです。次に、女性であることを大事にすること。フェミニズムや女性の地位向上というのは、女性が男性と同じになることを求めるものではない。女性には女性特有の文化や行動パターンや生き方があるのであって、それを大事にすることが社会全体が豊かになることでもある。そして最後に、職業の機会拡大や所得増大といった目標に力を注ぐなかで、本来もっとも大事なはずのこと、つまり、「尊敬を得る」ということを忘れないようにする、ということ。どんなに政治家や管理職や大学総長に女性が増えても、社会文化全体が、女性の基本的な尊厳を無視するような女性イメージをたくさん生み出しているようでは、本当の意味で女性の「地位」が向上したとは言えない。

まったくもってその通りです。女性の地位が向上するということは、弁護士の女性も、寝たきりで介護されるおばあさんも、子育てに専念する主婦も、お掃除のおばさんも、女子高生も、派遣OLもみな、男性にも女性にも尊厳と愛情をもって扱われる、ということでしょう。

「女性は『よい子』であろうとすることをやめる」という点に関連して、とくに日本の女性は、「『可愛く』あろうとすることをやめる」のがいいんじゃないかと思います。別に、可愛いことが悪いわけじゃありません。可愛いことで、本人も周りも幸せになることはたくさんあるし、可愛いか醜いかだったら可愛いほうがいいに決まっています。しかし、この論説にもあるように、そもそも女性の特性が「可愛い」か「醜い」かの二分化で考えられることがそもそも間違っているのであって、日本の女性に求められがちな「可愛さ」を追求しようとするあまりに、もっと大事なものを失ってしまっている女性があまりにも多いように私の目には映ります。そして、やたらと「可愛い」ことを要求するような相手や文化に対しては、「糞喰らえ」と言ってしまえばよいと思います。「可愛い」ことよりも、もっと大事なことがたくさんあります。「強い」とか「人の気持ちがわかる」とか「勇気がある」とか「賢い」とか「知識がある」とか。そういったことを真剣に追求している人は、自然に可愛くもあるものではないでしょうか。可愛さというのは、ひとつには謙虚さの顕われであって、本当に強くて賢くて人の気持ちがわかる人は、謙虚なものです。

それと同時に、「ユーモアのセンスを忘れないこと」と関連して言えば、日本においては、「おじさんと上手につき合うこと」がとても大事。自分で言うのもなんですが、私はおじさんの扱いが上手です。かなり無茶苦茶なおじさんとでも、自分の尊厳を損なったり主張を曲げたり相手に媚びたりすることなく(これが大事)、結構楽しくわいわいやって、自分の言うことを聞いてもらうのが得意です。世の中をおじさんたちが動かしている以上、これは大事なスキルです。どこでどうやってこうしたスキルを身につけたのか、自分でもわからないのですが、まあとにかく、それこそ状況を面白がって笑える「ユーモアのセンス」を忘れずにいることはポイントです。

書いているうちになんだか訳のわからない文章になってきましたが、とにかく、日本でもアメリカでも「フェミニズム」などという単語はまるで流行らなくなってはいるものの、個々の女性自身も、さまざまな組織も、そして社会全体も、女性の地位ということに関して、もっと正面切って取り組むことが必要だと思います。とりあえず、福島大臣には頑張っていただきたいです。

2009年10月25日日曜日

「市民感覚を強調」した判決理由に疑問

今回の帰国は、政権交代と同時に、裁判員制度の開始とも時期が重なったので、興味深くニュースを見ています。法制度については日本のこともアメリカのこともまったくの専門外なので、わからないことだらけなのですが、裁判についてのニュースを見たり読んだりする範囲では、アメリカの陪審員裁判との違いに驚くことが多いです。

今朝の朝日新聞に掲載された、「判決理由の表現 様変わり」という記事によると、裁判員が加わった裁判の数が増えるにつれ、裁判官が書く判決理由の書き方が、「市民感覚が生かされたことを強調する」「議論の経過や悩んだ様子を紹介する」ような表現に変化してきている、とのこと。この記事で例に挙げられている判決そのものについては、とくに異論はないにしても、この「市民感覚の強調」という点については疑問を感じます。「日々の生活に照らすと」とか「われわれの健全な社会常識に照らして」とか「一般的に抱かれるイメージは」とかいった表現が盛り込まれているらしいですが、「日常の生活」とは誰のどんな生活のことなのか、「われわれの健全な社会常識」の「われわれ」とは誰で、「健全」とは誰がどう判断するのか、「社会常識」を構成するものはなにか、「一般的」とは具体的にはなんなのか、「イメージ」はどのように形成されているのか、といったことがじゅうぶんに検討されることなく、究極的には定義不可能なこうした表現が法的な文章に使われるということは、かなり危険なことなのではないかと思います。法制度への市民参加を促すための裁判員制度を試行することはいいと思いますが、その過程において「市民感覚」を形成するものについての慎重な検討がないままそれが人を裁く材料として使われると、たいへんおそろしい事態も生みかねないと思うのですが、そうした議論はないのでしょうか。記事にももうちょっと突っ込んだ分析がほしいところです。(しかもこうした記事がオンライン版に掲載されないのが、日本のインターネット・コンテンツの困ったところです。)

2009年10月22日木曜日

州予算削減で学校閉鎖

ハワイ州では、州の大幅な予算削減に合わせて、さまざまなサービスを停止し、今後しばらくは月に二回金曜日に州の機関のオフィスごと閉めてしまう、という強硬手段に出ています。職員をこのように「一時解雇」することによって人件費を削減するほか、光熱費なども節約できるというわけで、似たような手段をとっている自治体はアメリカじゅうで他にもたくさんあるものの、公立学校を閉めてしまう、それも、学期中に授業を削減してしまうというのは、全国でも初めてのことです。英国のガーディアン紙にも取り上げられてしまうという不名誉な事態となっています。全国の統一学力テストの結果でハワイの生徒の平均学力は既にかなり下のほうに位置している現実のなかで、さらに17日間も授業を減らすなどということは、まったくもって信じられない状況です。ただでも、日本など世界の他の先進国と比べるとアメリカの公立学校は授業日数がかなり少ない(多くのアメリカの学校での授業日数は年間180日)のに、さらにこの事態。教育への投資を削減することは、短期的な収支の調整にはなっても、長期的な経済成長や社会基盤の発展にはマイナスになることは、誰が考えてもわかること。また、多くの家庭では、親が仕事に出ている平日に学校が休みになり、その日の子供の面倒は誰がみるのだ、という現実的な問題も抱えています。ハワイ時間の金曜朝には、この決定に抗議する生徒や親たち、地元の人々の抗議デモが、各地の学校そして州議事堂で行われ、私の大学の同僚がリーダーとなってその計画に携わっています。ちなみに州議事堂でのデモでは、ジャック・ジョンソンも演奏するらしいです。

2009年10月17日土曜日

アメリカの声を聞く

日本に来て早速手に入れ、愛用していたiPhoneが、金曜の朝、充電中に突然まったく反応しなくなり、あらゆるボタン(といっても押せるボタンは二つしかないのですが)をいじってみても電源すら入らなくなって、大パニック。慌てて渋谷のマックストアに行ったのですが、テクニカルサポートにはその日はすでに150人(!)もの人が列をなして待っているということで、予約がとれるのは月曜朝。iPhoneなしで週末を過ごしています。電話の機能もさることながら、カレンダーもアドレス帳も全部iPhoneに入っているし(これはまあ、パソコンに同じデータが入っているのでパソコンもクラッシュしないかぎりは大丈夫)、なんといっても、バスや電車の中で(なにしろ都心から遠いところに住んでいるので、移動時間が長いのです)iPodで音楽やアメリカのラジオ番組を聴くのが私にとっては生活の重要な一部なので、これがないのはとても辛く、途方に暮れてしまいます。

私は普段ハワイにいるときは、車を運転するとき以外にはまずラジオを聴きません。聴くラジオのうち98%くらいは、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)(『現代アメリカのキーワード』参照)です。それも、ハワイは小さい島で、私は職場までも車で10分とかからないところに住んでいるし、用を足すにも30分以上車に乗ることはまずないので、聴くにしてもごく断片的にしか聴けないのですが、NPRの番組は質の高いものが多くて、話に引き込まれ、最後まで聞きたいので、目的地に着いてもしばらく車を停めて聞くこともあります。私はイヤホンをつける習慣がなく、日本に来るまではiPodすら持っていなかったのですが、こちらに来てからiPhoneでNPRを聴くようになって、普通にラジオを聴くのとはまた別の味わいがあるなあと感じるようになりました。車のなかで聴くとき以上に、話し手の抑揚やアクセント、リズムなどがものすごく生々しく伝わってくるし、なんだか会話の現場に自分が居合わせているような親密さがあるのです。こうして聴いてみると、同じ英語でも、アメリカの人々の声や発音には、年齢や地域、人種や民族(顔が見えず、話し手の人種や民族に直接言及がなくても、声でかなりの程度推測できるところがなかなか興味深い)、職業や社会階層などによって、実に多様なパターンがあるんだなあと改めて実感もします。(ちなみに、アメリカ人のあいだでは、政治思想的傾向によって、「イラク」という単語の発音のパターンがかなりはっきり分かれるという統計があるらしいです。)話の内容以前に、アメリカという国を構成する雑多な人々の声を聞くだけで、なんだか懐かしくなり、小田急線や神奈中バスの中で、ひとり別世界にいるような気持ちになります。

で、NPRのなにを聴くかと言うと、私の一番のお気に入りは、Terry Grossという名ホストが司会・インタビューをするFresh Air。これは政治・外交から映画・音楽にいたるまで、あらゆるトピックをカバーし、話題の人をインタビューする、割と正統的な一般報道番組ですが、Terry Grossの知性とユーモア、そして周到な準備で、聞いているだけでさまざまな問題への理解が深まります。ちなみに私は、「僕の理想の女性はTerry Grossだ」とmatch.comのプロフィールに書いている男性からメールをもらってデートに出かけたことがあります。(笑)

それから、Ira Glassという人物が企画・脚本・インタビューを手がける、This American Life。これは、毎回なにかひとつのテーマに沿って、それに関わる経験をした人をインタビューし、物語性のある構成に仕上げる、言うなれば人間ドラマ。ひとりの人の話だけでまる一時間使われることもあるのですが、話し手(これはたいてい「普通の」人間)の飾らない声や話しぶりと、編集の見事さで、実に引き込まれます。

そして、楽しい気持ちになりたいときに聴くのがCar Talk。これは、ハーバード大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジに住む兄弟がホストを務める、自動車の修理についての電話相談番組なのですが、そう聞いただけではとても想像できないほど面白いのです。バッテリーがあがってもジャンプスタートの仕方すらわからないほどの車音痴の私が好き好んで聴くくらい面白いのです。実際に兄弟が車についてテクニカルな話をしているときには、私にはなんのことだかさっぱりわからないのですが、一時間の番組のうちのかなりの部分は、兄弟間の、そして電話をかけてきた人との、軽妙でおかしなやりとりに費やされます。そのやりとりの多くは、自動車とはなんの関係もない、夫婦関係とか恋愛とか食べ物とかの話題。電話をかけてくる人も、実にいいタイミングとウィットで彼らとやりとりをするので、かかってくる人のうちどの人を番組に出すかというのをよほど慎重に選んでいるのかと思います。ちなみに私は最近のmatch.comの自分のプロフィールには、「私の役割モデルはCar TalkのホストのTom and Rayです。専門的かつ実用的な知識を持っていて、人の役に立つ、でも自分たちのことをエラいなどとは微塵も思っていなくて、とにかく楽しんで仕事をしている、そしてみんなを楽しい気分にさせる、彼らのような人間に私もなりたいと思っています」と書いています。

これらのPodcastは、すべて無料でiTuneからダウンロードできます。英語の勉強にもとてもいいです(名前は出しませんが、「PodcastでNPRを聴くようになって、英語のヒアリング力がずいぶん向上した」と言っている著名な人物もいます)ので、ちょっと聴いてみてください。ただし、「アメリカの多様な声を聞く」という意味では、リベラル寄りのNPRを聴くなら同時に保守系のラジオやテレビ番組も聴いたほうがいいのかもしれません。FOX Newsも無料でいろんな番組をPodcastしているようですが、私は混んだ電車のなかでさらにイライラしたくないので聴かないようにしています。

2009年10月15日木曜日

「正しい退出」

東京はすっかり秋らしい気候になりました。常夏のハワイから来ている私は、秋物の服がなくて困ってしまいますが(これから冬になるとますます困ります)、街頭で焼き芋を売っている光景を見ると、日本の秋を体験できることの幸せを感じます。

ハワイ大学で私が指導している大学院生が、ベトナム戦争で戦ったアメリカの退役軍人が個人的な「和解」や「癒し」を求めてベトナムを訪れる(その人たちの多くは、個人的な訪問にとどまらず、行方不明の兵士たちの捜査や、ベトナムとの民間外交などの活動にも積極的に参加する)ツアーについて、そうした訪問が退役軍人たちにとってどういった心理的な意味をもち、また退役軍人たちは現代アメリカにおいてどういった政治的・社会的立場にあって、彼らの声は外交や軍事をめぐる議論のなかでどのような位置を占めるのか、といったテーマの博士論文を書こうと、研究計画の草稿を作っているところなのですが、その指導をしている矢先に、イラク戦争で負傷したアメリカ兵士たちがイラクを訪問するというプロジェクトについての記事がニューヨーク・タイムズに載りました。軍人を支援する小さな財団が、軍の賛同を得て始めたそのプロジェクトは、その名もOperation Proper Exit、すなわち「正しい退出作戦」。すごい名前です。第二次大戦やベトナム戦争で戦った元兵士たちが、自らの戦争体験に区切りをつけるために、かつて自分が戦った戦場や駐留していた場所を訪れるというのは以前からあったことですが、現在も戦争が進行中の場所に元兵士が行くというのはこれが初めての試みとのことです。六月にも一組そうした元兵士たちがイラクを訪問したものの、それが彼らにどのような精神的影響を与えるかが不明だったため、その訪問についての情報は公開されず、今週一週間イラクを訪れた八人の元兵士たちが、このプロジェクトの第二団だということです。手足を失ったり失明したりといった重傷を負った兵士たちは、自分たちの負った傷は無駄ではなかったということを確認するため、あるいは精神的に区切りをつけるために、イラク訪問を希望するということです。自分が負傷したり戦友が死んでいったりした現場を訪れて、大きく動揺するいっぽうで、爆撃の音などがせず静かになった土地で人々が平和に生活している様子を見て、自分の犠牲が無駄ではなかったことを確認し、抱えていた心理的負担が軽くなる、ということです。

なんとも複雑で重い話です。上述した大学院生には、「ベトナムを訪れるアメリカの元兵士たちにとっての『和解』や『癒し』とは正確にはなにを意味しているのか、現在のアメリカ=ベトナム関係において元軍人たちの『交流』とはどういう意義をもっているのか、ということを丁寧に分析すべし」と言っているのですが、現在も戦争が続いているイラクにおいてのこうした訪問のもつ意味は、兵士たち個人にとっても、アメリカ社会にとっても、終結した戦争の体験を振り返ることよりもさらに複雑でしょう。いろいろなことを考えさせられます。