2023年8月27日日曜日

『不機嫌な英語たち』予約注文スタート!

最新の著書、『不機嫌な英語たち』の情報が解禁となり、予約注文がスタートしました!

東京の小さなマンションでピアノを弾き、本を読んで過ごしていた「ふつう」(?)の女の子の真里は、小学校五年生のとき、親の転勤でカリフォルニアに連れていかれ、まるでわからない英語の世界に放り込まれる。一日一日が永遠に感じられる学校生活をサーバイブするために、必死に英語を勉強する。長い夏休みを終えて中学校に上がる頃には、「英語ができないマリ」という過去を後にして、新しい人生を生きることができるようになる。その過程でマリが経験する出会いや発見の数々。

アメリカ生活に溶け込もうと必死に英語を身につけたにもかかわらず、父親に辞令が下りると一家はあっさりとまた日本に戻ることになる。真里が「帰国子女」として編入したのは、毎日朝夕に国旗掲揚があり、「団体訓練」では「集団責任」の名目で体育の男性教師が女子中学生の頭のスリッパで叩くような学校だった。その学校にある日、絵に描いたような金髪に青い目のオランダ人、レベッカがクラスにやってくる。当たり前のように先生は彼女を真里の隣に座らせた。親切心を動員して彼女に話かける真里の目には、なにかとてつもない不条理が身に降りかかっているとでもいうような悲壮な空気がレベッカを包んでいるように見えた。午後の美術の授業中、真里だけが気づいたレベッカと先生とのやり取りとは……。

日本で大学を卒業した真里は、こんどは自分の意思で再びアメリカに渡り、ニューイングランドの大学院で学び、やがてハワイに職を得る。英語ができるようになってからの真里が出会う「アメリカ」は、カリフォルニアでの経験とはまるで違うものだった。しかしMariは、「英語ができる」だけではなく、「日本人」であり「アジア人」であり「女性」でもあった。そして「大学教授」にもなった。Mariが身につけた、あるいは否応にも課せられた属性は、Mariが見る世界や経験する人間関係をさまざまに形づくっていく……

といったわけで、自分がこれまで生きてきた道を振り返り、そして今の自分が立っている場所を見つめながら、「日本の私」と「アメリカの私」、「日本語の自分」と「英語の自分」の重なりと溝を描いた、バイリンガル私小説…と呼ぶのが相応しいかどうかは、ぜひ読んで判断してみてください。

これまでのどの著作とも違った種類の本です。ひとりでも多くのかたに読んでいただけますように!



2023年8月26日土曜日

亀井俊介先生の訃報を読んで

 この夏はまる2ヶ月日本に滞在し、おかげさまで日本エッセイスト・クラブ賞と河合隼雄物語賞を受賞した『親愛なるレニー』関連やその他の講演、イベントなどで目の回るような忙しさでした。7月後半にやっとスケジュールが少し落ち着いたところで、亀井俊介先生に会いに行こうとメールをしたら、体調不良でその翌日から入院するので、全快したらまた会いましょうというお返事をいただき、心配していたのですが、そうしたら昨日、先生の訃報が届きました。いつかはこの日が来ると覚悟していたつもりでも、いざその日がやって来てみると、脳天を金槌で殴られたような衝撃で、呆然としてしまいます。

立派なひと、多くの人に愛されたひとが亡くなると、いろんな人たちがそのひととの思い出を語ります。そうすることで、悲しさや寂しさ、故人への親愛を人と分かち合いたいという衝動は、とても自然なことだと思います。でもSNSで見かけるもののなかには、「自分は故人とこんなに親しかったんだ」とか「自分はみんなよりよく故人のことを知っている」とかいった自慢話のような印象を受けるものがあるのもたしか。

私にとって亀井先生は、研究者としても教育者としても心から尊敬する相手であり、そしてほんとうに愛情深くしっかりと私のことを理解し応援してくださる、また、亀井先生がどこかで見ているからには人間として曲がったことはできないと思うような、いわゆるmoral compassのような存在でした。だからこそ、思い出語り合戦のようなことには加わりたくないし、なにしろ亀井先生がもうこの世にいないということを、まだちゃんと受け止められていない。少し時間がたって気持ちが落ち着いてから、亀井先生のことはなにか文章にしたいと思うけれど、今はまだ書けない、書きたくない……と言いつつ、なにかしら書かずにはいられないし、やっぱり私が知っている亀井先生を、みんなと共有したい。
というわけで、以下は、2008年に亀井先生が瑞宝中綬章を叙勲なさったときのお祝いパーティ(運良くちょうど私は日本に滞在中だったのです)で私がしたスピーチです。いま読み返してみると、まさしく「私はこんなに亀井先生と親しいんだ自慢」みたいな感もおおいにあり、恥ずかしいのですが、先生のありかたが少しでも伝われば嬉しいです。 亀井先生は、ひょろっとした身体で長い指にタバコをはさんで、ふふふっと笑いながらも、コワいほど冷静にいろんなことを観察し、見抜いているひとでした。仕事においても人生全般においても、亀井先生の教え子として恥ずかしくないような生きかたをしなければ、あの世から「バカだねえ、あなたは」とお叱りの言葉が飛んできそうです。 *****
ご紹介いただきました、亀井先生の遊び相手代表、吉原真里です。
今日のこの集まりのなかでは、おそらく私は亀井先生とのおつきあいが比較的短い部類に入るのではないかと思いますが、それでも、私が駒場の学部生として亀井先生に指導を受けたときからすでに20年間、私は先生といろいろな場所で遊んできました。亀井先生が始められた教養学科アメリカ科の伝統である文学合宿の思い出ももちろんですが、そのほかにも実にいろいろなところで、私は亀井先生とご一緒してきました。
誤解を招くような発言になりますが、私は先生の調布のご自宅と府中のご自宅それぞれに、泊めていただいたことがあり、浴衣を着て一緒に川辺で花火をしたこともあります。それに加えて 私は、思い出せるだけでも、ボストンで2回、プロヴィデンスで1回、ハワイで1回、ニューヨークで1回、先生と遊んでいます。 自分の親や親友でさえ、遊びを求めて私の行くところ行くところこれだけきちんと訪ねて来てくださる人はいません。そして私の毎年一度の帰国の際には必ず1回東京のどこかで、亀井先生とデートをしています。 数年前には、パリでデートをする計画もあったのですが、残念ながらそれは都合が合わずにキャンセルになってしまったので、今後のアジェンダにまだ残っています。
思い出深いシーンはたくさんあります。プロヴィデンスの私の家に先生が泊まりにいらしたとき、私が日本で買ってきた、割と高級なお酒を食後の一杯にと思って取り出してきたら、あれよという間に先生はまるごと一本飲み干してしまわれました。 先生がクルーズでハワイにいらしたとき、私は車で埠頭にお迎えに行ったのですが、他の船客が次々降りてきても、いっこうに先生の姿が見えない。どうしたのかなあと思いながらかなり長い時間待っていると、案の定、先生は、うら若き素敵な女性を伴って船から降りてこられ、船のジャズシンガーだというその女性のことも、私は車でホテルまで送っていく役割をさずかりました。また、先生がハワイにいらっしゃる少し前に、ホノルル市の条例が変わって、一部の例外を除いてレストランやバーではタバコが吸えなくなり、その「一部の例外」のレストランを探して車で町じゅうぐるぐるドライブした挙げ句、やはり先生は食事中タバコを吸えないはめになりました。ニューヨークでは、先生との待ち合わせ場所は、Museum of Sexでした。こうしたわけで、亀井先生の遊び相手をつとめるには、かなりの柔軟性を要求されます。
こうして一緒に亀井先生といろいろなところで遊んでいるうちに、いくつかのパターンが見えてきました。まず、先生は、日本でもアメリカでも、興味をもったらどこにでもひょこひょこと歩いて行きます。亀井先生の身体つきは、端から見たら決してそう頑丈そうには見えませんが、先生はびっくりするほど歩くのが速くて、ニューヨークやボストン、そして渋谷や新宿の雑踏のなかでも、こちらが一生懸命にならなければいけないほどの勢いで、面白いものに向かって進んで行きます。その「面白いもの」とは、 かなりいかがわしげなところが多く、亀井先生は自らの体験に根づいた洞察力と愛情をもって、そうした場所に嬉しそうに出かけて行きます。そして先生は、これまた感心するほどのオープンさで、人とお話をされ、友達を作ります。私が知っている日本人研究者の誰とくらべても、亀井先生は、アメリカじゅうのいろんな街にお友達、遊び相手がいらっしゃいます。そのお友達はたいてい女性です。
つまり、亀井先生の「アメリカ」は、けっして本のなかの世界や、理屈としての社会ではなく、実際の人間が、いろんなところでケッタイなことを一生懸命にやっている、肉感と息吹に満ちた、生身の文化なのです。もちろん、そんなことは、この会にお集りの皆様はとうにご存知のことですが、遊び相手代表としては、亀井先生がたくさんのご著書のなかで描いてきた人間臭いアメリカとは、広範囲にわたる遊びの実践に根づいたものであるということを、証言したいと思います。
亀井先生の遊び相手というとても重要な役割のほかに、サイドビジネスとして、私は亀井先生に教えを受けた研究者という役割も演じておりますので、教師としての亀井先生についても少しお話したいと思います。先生の講義は、ある意味ではとてもよくない授業でした。それは、それぞれの文学作品についての先生の説明が、歴史的文化的状況から登場人物の複雑な感情からなにから、あまりにも生き生きとしていて、先生自身の作品や作者への愛情が伝わってくるので、学生は、実際に自分が読んでいない作品についても、先生の説明や解釈を聞いただけで、まるで自分で原作を読んだような気分になりがちだからです。そのいっぽうで、先生の講義を聞いて、文学好きでもなんでもない学生の多くが、ぜひ自分で読んでみようと、難解な原作をひもとく例も、私はたくさん見てきました。また、先生は、授業の最中や、飲み会の場などで、一見まるで注意を払っていないように見えながら、実は恐ろしいほど的確な観察力で、ひとりひとりの学生を見て、また覚えています。そして、卒論発表会などの場では、ときどき端から見ているものが震え上がるくらい、厳しい質問や辛辣な批判も浴びせるいっぽうで、よいものについては、端から見ているものが拍手をしたくなるようなencouragingなコメントも惜しみません。そして、個人のアドヴァイザーとしての亀井先生は、伝統的な意味での学界での成功といったこととは別の、研究者や教師としての本質的な成長を第一に考えて、教え子の道を見守ってくださいます。仕事を選ぶ上で、他の先生がたの多くが首をかしげるような選択を私がしたときも、その意図をきちんと理解して、「よくやった!」とほめてくださったのは、亀井先生でした。
研究対象に深い愛情と真剣な遊び心をもってのぞみ、人間臭いアメリカの姿を読者に伝え、学生には多くのものを要求しかつたっぷりの愛情とサポートを注ぐ、そうした亀井先生のありかたを、研究者としても物書きとしても教育者としても継承していきたいと思います。亀井先生、本日はおめでとうございます。これからも、いろんなところで、たくさん一緒に遊びましょう。