2019年8月5日月曜日

マウナケア山でTMT 建設反対運動が生むハワイアンの共同体




週末3日間、ハワイ島のマウナケア山に行ってきました。ここ3週間、ハワイアンの人々がリーダーとなって展開している、TMTThirty Meter Telescope)建設反対運動の様子を自分の目で見てみたかったからです。

ごく最近までは、この天文台建設をめぐる議論や騒動については、日本ではほとんど知られていなさそうだという印象をもっていましたが、先週朝日新聞のデジタル版に記事が載ったこともあり、だんだんとニュースが広がっているように思います。昨日はマウナケアでNHKの記者にもお会いしました。

まずは、簡単な背景説明から。

ハワイアンにとって神聖な土地であるマウナケア山は、環境保護地区として州に指定されており、開発が規制されています。天文台のような大規模な施設が建設されるためには、通常は、自然環境や先住民文化への影響などをめぐる厳しい審査を経なければいけないところが、天文観測に理想的な環境とされたマウナケア山頂には、そのような審査を経ずに1960年代から次々と望遠鏡が建てられてきました。マウナケア山頂では土地の宗教的・文化的な意味や自然環境に配慮がなされておらず、ずさんな管理で持続的にゴミや汚染の問題が起きていることが指摘されながらも、ハワイ州や州から山頂の土地を借りて管理するハワイ大学は適切な処置を取らず、数十年間にわたって地元住民や環境団体から抗議の声が上がっていました。1990年代後半には、州政府が実施した監査で30年間にわたるマウナケア管理の失態が指摘されたにもかかわらず、新たな望遠鏡が建設され続け、2004年には下水やディーゼル燃料、水銀などの漏洩が山頂で起きていたことも露呈されました。2011年にはすばる天文台で100リットルの冷却剤が漏れ、2週間にわたって天文台が閉鎖されました。

そのような状況の中で、ハワイアンの人々や地元の住民、ハワイ大学の学生団体などからの強い反対にもかかわらず建設計画が進められてきたTMTは、すでにマウナケア山頂に13基ある天文台のどれよりもはるかに大きな規模の、18階建のビルに相当するサイズの施設です。2015年に建設が開始されようとしたときには、マウナケアを守る活動家たちが抗議運動として山頂への道路をふさぎ、一時的に建設は停止されましたが、2018年には州最高裁が建設再開を認める判決を下し、この夏に建設道具などを山頂に運ぶ作業が始められようとしていました。

それを受けて、再びハワイアン・コミュニティのリーダーたちや若い活動家たちが、山頂への道路の入り口で座り込みを開始し、717日にはクプナと呼ばれる長老たちを含む40人近くが逮捕される騒動へと展開しました。平和的直接行動に対して州がこのような強行措置を取ったことに対して、ハワイアンだけでなくハワイの人々やアメリカ本土、海外からも大きな批判の声が上がり、この問題への関心が大きく高まってきました。マウナケア現地だけでなく、オアフ島でも州議事堂やワイキキ、ハワイ大学キャンパスなどで3週間にわたってほぼ連日デモが行われています。私も数回参加しましたが、ハワイアンだけでなく実に多様な人たちが緊急の呼びかけに応じて集まってくるのがとても印象的でした。














マウナケアでは、座り込みに参加する人たちが各地から集まり、これまでに最大で約3千人ほどの人たちが道路の入り口周辺に集まって、その多くはテントや車の中で寝泊りをしています。プロレスラーのThe Rockや俳優のジェイソン・モモアも抗議運動への賛同を表明するため現地を訪れています。私が行った週末には、ハリケーンが接近しているとの予報が前日にあり、小さなテントは撤去され、多くの人たちは安全な場所へ移動したものの、雨や強風のなか百人以上の人たちが現地に残って夜を明かし、翌日にはまた1000人以上の人たちが集まりました。

私はTMTの問題が明らかに悪化してきた数年前からマウナケアでの建設には反対でしたが、現地に行くことを躊躇していたのは、私がそこに出かけて行くという行為が抗議運動への支持の表明として最適な形であるかどうか、ハワイアンでない人間がハワイアンにとって神聖な空間に押し入ることにはならないか、私が行っても観光客のように外から事態を眺めるだけでなんの貢献にもならないのではないか、などという問いが頭をめぐっていたからです。

それでもとにかく出かけて行ってみようという気持ちになったのは、私の学部の博士課程に在籍している、この運動に深くかかわっているハワイ島ヒロ出身のハワイアンの大学院生が、「マウナケアで今起こっていることを、学部のみんなにぜひ経験してもらいたいので、興味のある人は案内する」と呼びかけて23日の訪問を企画してくれたからです。教員・大学院生やその仲間合わせて約10人がこのマウナケア訪問に参加しました。彼がきわめて綿密で考え抜かれた計画を立てて案内してくれたおかげで、単なる傍観者ではなく、ボランティア活動をしたり、マウナケアに行く途中の道路脇で野生の花を摘んで夜にレイを作り神殿に捧げたり、ハワイアンのチャントを習って式典で歌ったりと、ほんの小さな形でもなにかそこで役割を果たす参加者として、マウナケアでの運動を経験することができました。




この3日間で見たこと、経験したことは、ハワイに引っ越してきてから20年以上が経つ私にとって、もっとも意義深いことのひとつとなりました。感じたこと・考えたことがたくさんありすぎて、まだきちんと言葉で整理できない感がありますが、そのときの印象や直後の思いを記録しておくことも意味があると思うので、ここでシェアしておきます。

一番強く感じたことは、今マウナケアで起こっていることは、TMT建設反対という直接的な目的もさることながら、それをはるかに超えた、まさにハワイアンの共同体創生の大きな波になっている、ということです。

警官が活動家たちをを立ち退かせようとしたり、リーダーたちが逮捕されるような状況のときには、非暴力的直接行動の訓練を受けた活動家たちが腕を組んで座り込みをするなどというアクションが取られます(無駄に状況をエスカレートさせないための、非暴力的直接行動のトレーニングが、現地では定期的に開催されていて、そこにいる人すべてに参加を呼びかけられます)が、TMT建設反対の声が強まると同時に、ハリケーン接近により建設工事もすぐには始まらないということで州知事の非常事態宣言が取り消され、エリア周辺にところどころ巡回するほかは警官も撤退した状況では、道路入り口付近に集まった活動家たちが一日中文字通り道路にじっと座っているわけではありません。

ではそこで何が行われているかというと、まさに、ハワイアンの共同体が営まれ、文化が実践されているのです。

毎日3回、朝8時と正午と夕方6時には、長老たちが常駐しているテントを囲んで、式典が行われます。山や太陽などの神々に祈りを捧げるチャントを歌い、何曲かのフラを踊り、そのあとで、遠隔地からマウナケア山とそれを守る長老たちに敬意を払うためにやってきた人たちやグループが、正式な挨拶としてチャントや歌や演説をしながら長老たちの前に進み出て捧げものをします。それに応じて受け取る側もチャントをします。多くの訪問者がある日には、この最後の部分だけで1時間以上もかかることもあります。








私は、宗教心というものがなく、多くの儀式や式典というものには興味がない人間なのですが、この式典は何時間でも立って見ていたいと思うくらい、身体や頭や心のあらゆる方向から強く響くものがあり、深く心を打たれました。ハワイで暮らすようになってからこれまで、もちろん何度もフラを見たりチャントを聴いたりしてきましたが、その多くは、何かのイベントの際にプロトコルとして行われるものであったり、パフォーマンスとして演じられるものでした。それらももちろん重要な意味を持ったものですが、マウナケアの山を前に広い広い空の下でのチャントやフラは、別の次元のパワーを持っています。オリやフラは、まさに祈祷であり、コミュニケーションであり、愛や決意の表現であり、なにより、ハワイアンの人たちの生きた文化なのだ、ということを深く実感しました。この美しくパワフルな式典を、ひとりでも多くの人に経験してもらいたいと強く思いました。

そして、それ以外の時間には、PuʻuhuluhuluUniversityと名付けられた青空教室が開催されています。この場所に集まった人たちが、式典の時間以外に何もせずにそこにいるだけではもったいない、せっかくだからここに集まる人たちのエネルギーを、ハワイアンの共同体の興隆につなげることに使おう、好都合なことに、マウナケアに集まってきている人たちの中には、ハワイ大学の教員や学生だったり、ハワイ語やフラの指導者だったりする人が多く、シェアする知識やスキルをたくさん持っている。ということで、現地に常駐している若い活動家たちが率先して企画したこの「大学」。毎日朝の式典でスケジュールが発表され、たいてい同時進行で複数の、多い時には5つもの「クラス」が開講されます。クラスの内容は、ハワイ語入門やハワイの神話や伝説、宗教や思想に関するものから、チャントや歌、ハワイ・太平洋地域の植民地化や軍事化の歴史、ハワイアンの移動やディアスポラの力学といったものまで、実にさまざま。そこにいる人は、ハワイアンでなくても、大人でも子供でも、ハワイ語やハワイの歴史や文化の知識があってもなくても、誰でも参加できます。途中で一つのクラスから別のクラスに移動してもよい。学位を持った人が権威として上から下に知識を伝授するという性質のものではなく、空の下、マウナケアの麓で、知や文化を共有し育成しよう、という精神の、有機的な教育活動なのです。こういうものが自然発生的に生まれて、毎日絶え間なく開講されているということは、本当にスゴイ。




山の麓の水道も電気もない場所で、日によっては何千人にもなる人たちが集まって、どうやって「生活」しているのか、というと、人々の見事な自律的運営と組織によっているのです。

長老たちの常駐しているテントを挟んで道路の反対側には、Pu’uhonua すなわち「安全な避難場所」として設置されたエリアがあります。そこには、キッチンテント、衣類や生活用品などを常備したテント、簡易トイレ、ゴミ分別テントなどがあり、すべてボランティアによって実に規律正しく運営されています。発電機も、飲食物や衣類や生活用品も簡易トイレも、そこにあるトイレットペーパーや消毒液なども、すべて各地の人々から寄付されたもの。食料は長老たちやそこに常駐している人たちのためのものなので、日帰りでやってくる人たちは自分の食べ物を持参するようにとは言われていますが、毎日集まる人が誰もお腹を空かせないだけの食料はじゅうぶんあり、常に何十人ものボランティアたちがテントで配膳や片付けに当たっています。トイレ掃除やゴミ処理担当のボランティアも絶えず作業しているので、一帯は実にきれい。私は道路のT字路の両側1キロずつくらいのエリアのゴミ拾いをしたのですが、テントや車で寝泊まりしている人たちも日帰りでやってくる人たちも、みな責任ある行動をしているので、ほとんどゴミといえるようなものは見つかりませんでした。

このことからも、マウナケアで「カプ・アロハ」の精神が徹底して実践されていることがわかります。毎日3回の式典では、運動のリーダーたちが繰り返し、この地での戒律についてみなをリマインドします。誰に対してもアロハの精神で接すること、自分たちの行動を自分で律すること、飲酒や喫煙は一切禁止、ゴミを出さないこと、などといった規律を、みながしっかりと守って行動し生活しています。


そういう共同体ゆえ、皆が本当に温かくお互いに接します。すれ違う誰もが目を見合わせてにっこりしてAloha!と挨拶するし、私が「ごみありませんか〜」と言いながらたくさんのテントが張られた道路沿いを歩いていると、ごみのない人(がほとんど)を含めみんながMahalo!と感謝の気持ちを表現してくれるし、誰かが「ちょっとこれを動かすので手伝ってください」などと呼びかけると、瞬時に近くの人が10人も20人も集まってあっという間に作業が終わるのを見て、胸が熱くなりました。

さらに印象的なのは、ここに集まっている人たちの年齢がきわめて幅広い、ということ。長老テントに常駐しているリーダー層は70代や80代。1970年代のハワイアン運動のリーダーの一人であったMililani Traskや、ミュージシャンとして日本でも知られるKealiʻi Reichelもいますが、マウナケアでこのコミュニティを運営している人たちの多くは、1970年代から1980年代にハワイアン運動の一部として開設されたHawaiian immersion school(すべての学科をハワイ語で勉強し、生活でもすべてハワイ語を使用する学校)で教育を受けたり、子供の頃から真剣にフラを勉強したり、さまざまな形でハワイアン運動に携わってきた世代。そうした人たちが、自分たちの子供を連れて、マウナケアの麓に生活の場と共同体を作って、神聖な土地や自然環境を守っているのです。

「抗議運動」というと、血気盛んな若者や中年男性たちがヘルメットにマスクで突進する、などというイメージを持つ人もいるのではないかと思いますが(いないか?)、マウナケアでは、ティーンエイジャーもたくさんいるし、家族ごとこの共同体にコミットしている人たちが多く、抱かれた赤ちゃんやちょこちょこ歩きの幼児、小学生くらいの年齢の子供たちが何百人もいるのに驚きました。そんな子供が割れ目のたくさんあるゴツゴツした溶岩の地面を走り回っていて危なくないのか、と思われそうですが、これだけみながアロハの精神で連帯している場所なら、まったく危なくないだろうということがわかります。

また、Puʻuhuluhulu Universityのクラスをいくつか覗いてそこで交わされている会話を聞いて感じたことは、ここに集まっている「ハワイアン」の人たちは、「ハワイアン」であることについて実に多様な経験や思いを持ちながらも、TMT建設の危機によってものすごい勢いでこの場に吸い寄せられるように集まってきて、「ハワイアン」の意味を考え直し、ハワイの土地や文化へのコミットメントを新たにしている、ということです。ネイティヴ・ハワイアンの血を引く人でも、ハワイで暮らしたことのない人たちはたくさんいますし、ハワイで生まれ育ったハワイアンでも、ハワイ語やハワイの文化をほとんど知らずに成人した人たちも少なくありません。福音派クリスチャンやモルモン教信者のハワイアンもたくさんいますし、LGBTQのハワイアンもいます。ハワイアン運動の活動家の中でも、ハワイ語やハワイの宗教や神話などの文化的知識を重視する人と、より政治的な問題を重視する人がいます。ハワイアン運動にこれまで深く関わってきた人も、これまで無関心だった人もいます。そうした人たちがここに集まって、一緒に生活しながら、ハワイアンの共同体を営んでいるのです。このことは、TMTそのものがどうなるかを超えて、とても大きな意味を持っていると思います。

人々が祈りを捧げフラを踊り、長老たちに敬意を表し、共同キッチンを運営しトイレの掃除をし、青空のもとで教室を開催している、そのマウナケアの麓で2019年の夏を過ごした子供たちが、10年、20年、30年後に成人してリーダーになった時のハワイがどのような社会になっているのか。それを見ることができるのなら、このまま一生ハワイで過ごすのもよいなという気持ちにもなりました。




この投稿を書いている最中に、TMTの代表がマウナケアの代替案として候補に挙がっているスペインのカナリア諸島に、天文台建設の許可申請を提出したというニュースが出ました。TMTは日本の国立天文台を含む複数の国の大学や組織が共同出資して法人化されている複雑な機構なので、土地を提供するハワイ州や管理するハワイ大学がたとえこの事業の進行に躊躇したとしても、そう簡単に中止したり移動したりできるものではないでしょう。どう収束するのかは私には予測できません。

ただ、マウナケアに行ってみて確信したのは、山にテントを張っている長老たちやそのサポーターたちは、何があってもあの場から動かないだろう、ということ。いざとなったらトラックの下敷きになる覚悟があるだろう、ということ。

そして、マウナケアを中心に、ハワイアン運動の大きな波が高まっている、ということ。長い植民地化や軍事化の歴史の中でいろいろな形で脅かされてきたハワイという共同体が、政治的にも文化的にも強化されつつある、ということ。

また、オアフで行われているアクションやメディアでみるニュースからみて確実なのは、活動家たちを支持する声や運動は急速に広がっている、ということです。

ハワイの住人としても、TMTの建設資金の20パーセント以上を出資する日本の人間としても、他人事として傍観してはいられない、と思いました。日本も夏休み。ハワイに旅行に来る人たちも多いでしょう。観光以外にも、ハワイは日本との関わりの深い場所ですので、マウナケアで起こっていることを、少しでも日本の人たちに知ってほしいと思います。

2019年6月25日火曜日

本と歴史と愛と記憶の玉手箱 中島京子『夢見る帝国図書館』

5月後半から3週間日本に帰国し、2週間前にハワイに戻ってきました。盛りだくさんで慌ただしい3週間でしたが、わずかなフリー時間に仕入れてきた本の小さな山を、我慢しきれずに崩しつつあります。今週はこちらでピアノフェスティバルに参加するのでそちらに集中するべきで、「ああ、今これに手を出してはいけない」と思いつつ、つい読み始めてしまい、案の定止まらなくなって、丸一日読み耽って読了してしまったのが、中島京子『夢見る帝国図書館』

掌のなかで品良くキラキラ光る宝物、本と歴史と愛と記憶の玉手箱のような小説!最初っから最後の最後まで、物語や小説というものの愉しみをたっぷりと味わわせてくれます。

舞台というかネタは、上野の国際子ども図書館。私はここに何度か足を運んだことがあり、初回に行った時から大ファン(最初に行った時の感動はこちらでも投稿してありました)。そして、帰国の際にはリサーチのため永田町の国会図書館にもよく行きます。永田町のほうは上野とは外観からしてまるっきり様子が違って、具体的な目的を持って行く人以外(ましてや子ども)を暖かく迎え入れるような空気ではないのだけれど、いったん入ってみると、私のような人間には遊園地みたいに面白いところ。この小説でも、国会図書館に入るには青色の利用証を駅の改札のようにしてかざして、検索用コンピューターの前に座ってその画面の横に利用証を置いて、端末であれこれ検索して資料を請求してコピーを注文して…ということが書いてありますが、(話の流れということは別にして)なぜそういうディテールを書きたくなるのか、私はその気持ちがよくわかる!あまり人間臭さを感じさせないあのいかつい建物のどこかにある、世界に誇る帝国図書館を夢見てきた人たちが恒常的金欠と政治の荒波に翻弄されながらもせっせと蓄積してきた本やら文書やら音源やらその他の資料が、あの青いカード一枚とマウスのクリックであっという間に目の前に出てくる、その魔法のようなシステムは、本当に感動的で、私もそれについてなにか書きたいなあくらいに思っていたのです。そこいらへんに静かに立っているスタッフの人たちもとっても親切だし…(なーんて書くと、私は国会図書館の回し者みたいですが、単なる一利用者です。ソフトクリームが美味しいことは知らなかったので、次回はぜひ試してみようっと。)

というわけで、国際子ども図書館となった帝国図書館の歴史がセッティングとなっている、と書くと、とりわけ図書館に興味のない人は「ふうん、別にいいや」と去って行ってしまいそうですが、いえいえ、どうぞお待ちを。図書館そのものにとくべつな思い入れがない人も、とーっても楽しめることは保証しますし、読み終わったらやっぱり図書館––地元の図書館でも、町の文庫でも、学校図書館でも、そして国際子ども図書館でも国会図書館でも––に足を運びたくなる、そして親や子どもやきょうだいや友達や恋人と、本の話をしたくなる。そういう小説です。

物語を通じて、「普通の人」たちや「ちょっと変わった人」たち、そして明治大正昭和の文豪たちや黒豹や象(なんのこっちゃ、と思うでしょうが、ご心配なく、突拍子もないように聞こえても、ちゃんと話として辻褄が合っているのです)が次々と登場し、ちょっと不思議で優しく切ない出会いやつながりが、一人称の愉快な語り口で語られます。なんといっても物語の中心となる喜和子さんというちょっと変わったおばさんがサイコー。(ちょっとネタバレ)この喜和子さんは物語の中盤、割とあっさりと亡くなってしまうのですが、この喜和子さんにかかわる様々な人たちを通じて、記憶と歴史、血縁と「家族」、生と性、といった大きなテーマが、手に取るような身近さで展開される。登場人物についての語り手の冷静なツッコミも可笑しく、かつ目線が暖かく、彼女と一緒にちょっとした歴史ミステリーを解きながら、笑いあり涙ありの読書体験をさせてもらえます。

話の大部分が、国会図書館や国際子ども図書館になる前の「帝国図書館」だった頃の話であるように、この図書館の歴史は明治日本の近代国家建設、富国強兵の一部であり、これが間違いなく「帝国」図書館であったことの意味も、ちゃんと鋭く描かれています。また、話し言葉やひらがな、句読点の使いかたが絶妙で、日本語の愉しみも存分に味わわせてくれます。そしてこの物語は、戦前・戦中・戦後をたくましく生きた(あるいは生きることができなかった)日本の庶民の社会史でもあり、いろんな境遇の人たちを懐深く受け入れてきた上野という場所への讃歌でもあり、絵本や樋口一葉全集を通して夢をみたりみずからの生を生きたり人とつながったりする人間たちのロマンスでもある。そしてなんといっても、童話から絵本から聯隊史や憲法書に至るまでの本とその文化、そして図書館というものへの、熱烈なラブレター。

小説を書くのはとても大変なことだとはわかっているけれど、この作品を構想して、そのためのリサーチをして、構成や登場人物や筋を考えて、この文章を書いて物語を作るという作業は、中島京子さんにとってとーっても楽しかったのではないか、そして、ジャケットの装幀だけでなく中身のデザインやフォントの選択に至るまで、あれこれアイデアを出しながらこの本を作っていく作業は、著者(編集者でもあったことだし)と編集者にとって実に愉快な仕事だったのではないか、と想像しながら読みました。こんな小説が書けたらいいなあ、こんな本が作れたら幸せだなあ… そしてひたすら「おもしろ〜い、おもしろ〜い!」と陳腐きわまりない単語を連発して思わず跳びはねながら読んでしまう(いえ、実際にはほとんどすべてをソファに寝っ転がって読みました)ような本です。

またすぐにでも読みたい!

2019年4月13日土曜日

私が東大入学式で祝辞を述べるなら

前回の投稿から半年もの時間が経ってしまったのは、書きたいことがなかったからではなく、今年度から学部長(と日本語でいうとずいぶんエライように聞こえますが、日本の大学でいえば学部長というより学科長に近いのかもしれません)を務めていて、泣きたくなるほど事務作業や会議が多い毎日を送っているからです。この役についているおかげで、アメリカの州立大学運営の現状を、もう知りたくないほど知ってしまいましたが、それについてはまたいずれ…

ところで、先日の東京大学の入学式での上野千鶴子氏による祝辞。あの舞台であの人があの内容を話したということは、とても意義深いことだと思います。一生懸命勉強して東大に入学して晴れ晴れとした気分でいる新入生の中には、あの話を聞いて冷水を浴びさせられたような気持ちになった人も多いでしょう。「祝ってくれよ」という一言のツイッターもありました。これは、多くの新入生の正直な気持ちだったのではないかと思います。

でもそこで、なぜ自分たちが東京大学に入学することが祝福に値するのか、誰が何を祝福しているのか、自分たちが祝福されるのであれば、祝福された自分たちはこれから何をなすべきなのか、といったことを、合格の興奮からそろそろ冷めた新入生たちに、冷静に考えることを促す、というのは大事なことだと思います。

そして、東大そして日本社会におけるジェンダーの問題、機会の不均等や構造的不平等の問題を、こうして正面から提示し、祝辞の最後の三段落のメッセージが伝えられたということは、とても重要なことだと思います。

この祝辞に対するさまざまな反応を見ると、上野氏のメッセージをきちんと捉えていないい、あるいは捉えようとしない姿勢、フェミニズムに対する理解の欠如や反感の根深さ、東大生の意識的・無意識的エンタイトルメントなどを目の当たりにし、暗澹たる気持ちになるのですが、評価する声もあちこちにあるようですし、とにもかくにもこの祝辞の意義は大きいと思います。

さて、もし自分が東大の入学式で祝辞を述べるとしたら、何を言うだろうか、と考えてみました。泣きたくなるほどの事務作業に追われているなか、今自分が少しの時間でもあればなすべきことは、研究であって、誰にも頼まれていない祝辞を試しに書いてみることではないのですが、書いてしまったので、以下公開します。


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 みなさん、ご入学おめでとうございます。
 みなさんが生まれるずっと前のことですが、私も東京大学の入学式に出席しました。ですから、みなさんが今抱いている、晴れ晴れとした気持ちや、明るい前途への期待、新しい世界に足を踏み入れる興奮や緊張は、私も経験しています。自分が送った大学生活についての反省と、その後に学んだことをもとに、みなさんへの激励として、いくつかの希望とアドバイスを述べさせていただきます。

 まず第一に、携帯電話をしまって、私の挨拶が終わるまで顔を上げてこちらを見ながら聞いてください。
 ツイッターその他のSNSが悪いと言うつもりはありません。即時性があり開かれた媒体だからこそ、ダイナミックでレレバントな言論公共領域が形成されるということは評価していますし、私自身そうしたツールを使ってもいます。式が終わってこの会場を出たら、ツイッターでもインスタでもFBでもなんでも、好きなだけ発信していただいて結構です。この祝辞は生中継されていますから、会場の外でさまざまなツイートをしている人はたくさんいるでしょうし、この文面は公開されますから、後から読み直していくらでもコメントしていただいて結構です。
 でも、今みなさんは、式典という儀式に参加し、そこで私は、祝辞という形のスピーチをしています。そこには、生の人間が時間と空間を共有する具体的な相手に向かって語りかける、という営みがあります。音楽や演劇と同じように、スピーチは全体としてひとつのメッセージを発するものであり、それを私なりの方法でみなさんに伝えるために、みなさんの前に身体を出し、言葉を使っているのです。数分間で終わりますから、とにもかくにもその間は、それを受け止めるのにすべての神経を投入してください。それが礼儀というものですし、そのほうが、後で文句をつけるにしても、より立派な文句がつけられます。
 そうやって、人の話をリスペクトをもって聞き(あるいは読み)、意図を正確に把握し、真剣に考えた上で、共感あるいは反論などのコメントを、明快に論理立てて述べる、という作業は、社会生活の基本であり、言葉という人間固有の財産を大切にする行為でもあります。それは、人との関係を築く上でも、理解力や発信力を培う上でも、重要なことです。聞く、話す、読む、書く、のすべてにおいて、そうした高度な言語能力を身につけてほしいと思います。

 第二に、みなさんの周りに座っている同級生たちの顔ぶれを見回してください。また、この舞台に座っている先生がたの顔ぶれを見渡してみてください。
 パッと見てわかるように、そして多くのみなさんが報道などですでに知っているように、みなさんの同級生は、八割以上が男性です。みなさんの過半数が、首都圏をはじめとする都市部の進学校から来ています。みなさんのほとんどが、日本の国籍をもっています。みなさんがこれから師事することになる教員にいたっては、九割が男性で、そのほとんどが、みなさんと同じ東京大学で学部生活を送り、同じ東京大学で学位をとった日本人の先生がたたちです。
 これにはいろいろな理由が考えられ、深い議論や分析をすべき問題ですが、この舞台はそのための場ではありません。ただ今は、これが相当に異様な状況である、ということを指摘するにとどめます。
 みなさんは、私の話を聞きながらこの数分間はこの状況について考えても、そして、会場を出てすぐにツイッターその他でコメントを書いても、いったん大学生活が始まってしまえば、じきにそうした環境が当たり前になって、それが異様なこととも不思議なこととも思わなくなってしまう人が多いのではないでしょうか。
 当たり前と思われていることが、本当に当たり前なのか、なぜそれが当たり前になったのか、当たり前でないとすれば他のどんな可能性があるのか。そうした批判的思考と探究心を、みなさんに持ち続けてほしいと思います。そうした批判や探求の対象とすべきものは、宇宙にも細胞にも聖典にも音楽にも法律にもありますが、大学という場所の中にも、そしてみなさんの意識や感情の中にもあります。そうやって自分や自分の生きる社会や文化を相対化することで、自分にとっても他の人々にとってもよりよい世界が思い描けるのです。
 みなさんの中には、「受験という公平な制度のなか、自分は能力と努力で競争を勝ち抜いて、今この場にいる」と思っている人が多いだろうと思います。私も、入学式に出席した頃には、そう思っていました。
 じっさい、みなさんが受験した入学試験を、できる限り実質的な知力を試す内容と形式にし、公正かつ公平な方式で実施するよう、この大学の先生がたが非常に多くの時間や知恵や体力を投入してきていたことを、私は知っています。試験問題を見ても、これを作った先生がたはさすがだなあと思う同時に、これに答えたみなさんはすごいなあと感心します。
 みなさんが今日この式に出席しているということの背景には、多くの情報を処理し論理的に思考する基礎的な知力、多くの科目を地道に勉強する集中力と継続力、試験で成果を出す瞬発力といった、みなさんの能力と努力があります。精一杯の努力をし、それが成果を生む、ということを若い頃に経験したことは、みなさんのこれからの人生において大きな強みになるはずです。
 それと同時に、みなさんが頑張って勉強して厳しい競争を勝ち抜くことができた背景には、みなさんひとりひとりの能力や努力のほかにも様々な要素があります。みなさんの育ってきた家庭や環境が、勉強に価値を置くものであった、ということ。大学とは何かを理解し、東大入学を目標にするような状況があった、ということ。受験勉強をサポートする学校や予備校に行くことができ、勉強をすることが物理的・経済的に可能であった、ということ。勉強を断念しなければいけないような病気や怪我をせず、大きな事件に巻き込まれたり被害にあったりすることなく、ここ数年間を過ごせた、ということ、などなど。
 入学式に出席していた頃、私はそれらの状況を、自明のことと思っていました。世の中に生きる多くの人にとってそれがいかに特殊な状況であるかを理解するには、多くの時間と、日本内外でのさまざまな出会いや経験を要しました。
 高度な知力をもったみなさんだからこそ、今自分がこの場にいる、という事実を相対化して、「公正な入学試験」とはなにか、そして「公平な社会制度」とはなにかを、これからの大学生活、そしてこれからの人生において、真剣に考えてほしいと思います。そうすることこそが、東京大学に通うみなさんの、それを可能にした状況に対しての、責務であると思うのです。

 第三に、今度は、みなさんたちのなかに、どんな差異や境界があるか、考えてみてください。
 先ほど、「東大には多様性が少ない」という意味のことを述べましたが、「多様性」というのは字義通りの「顔ぶれ」をパッと見てわかるところだけにあるわけではありません。
 スーツ姿で並んで座っているみなさんを見渡すと、一見とても均質的な集団に見えます。でも、みなさんの中には、性的マイノリティもいるでしょう。受験のときに初めて東京に来た人もいるでしょう。いろいろな宗教の信者もいるでしょう。裕福とはいえない家庭環境で育った人もいるでしょう。家や学校で日本語以外の言葉を話して育った人もいるでしょう。病気を持っていたり、精神的トラウマを抱えていたりする人もいるでしょう。
 一見、同じような、似たような人間に見えても、人にはいろいろな差異があります。そうした差異を、ないことにしたり、マジョリティの都合に合わせたり、排除の道具にしたりするのではなく、大学を、それぞれの人が居場所を見つけ安全に活き活きと暮らすことができる場にし、差異と多様性から生まれる無限の可能性を追求するような人間関係や共同体を、みなさんに築いていってほしいと思います。
 大学の外に出ればさらに、日本の社会は、同質性が高いといわれながらも、実に多様で複雑です。みなさんがこれまでに出会う機会のなかったような人たちが、日本のあちこちで一生懸命に生きています。これから先の日本がどのような社会であるべきかを真剣に考えるためには、物見遊山や覗き見趣味でなく、社会の一員として、謙虚にかつ積極的に、日本を知ってほしいです。
 さらに、自分にとっての常識を相対化し、世界における日本の位置づけや、日本が世界においてしてきたこと、日本が世界においてするべきことを、冷静に考えるには、日本の外の世界を知ることも大事です。私が学生だった頃と比べて、留学プログラムや、海外出身の学生と一緒に授業を受けられる機会は、格段に充実しているにも関わらず、そうした制度を活用する学生はごく一部に限られています。世界的・歴史的な視点で見れば、自国で自分の母語で高等教育が受けられる、というのは、特権的なことですが、自分の意志で希望の国に行って勉強できる、というのは、さらに特権的なことです。与えられた特権をぜひ活用していただきたいと思います。

 第四に、大学には多くのことを要求してください。
 せっかく頑張って勉強して入学し、授業料と税金を使って、国立大学のなかでも群を抜いた予算をもつ東京大学に通うみなさんは、最高レベルの教育を受ける権利があります。系統だった知識を伝達し、思考分析の技術を伝授し、教授の情熱を感じさせてくれ、学問の醍醐味を味わわせてくれるような授業を、みなさんは受ける権利があるのです。そして、知的にも人間的にも成長させてくれるような指導を要求する権利があるのです。
 真剣に授業に取り組んだ上で、面白くないと思ったら、なぜ面白くないのかを筋道立てて述べ、抗議してください。開講されている授業の選択肢やカリキュラム、進振り制度、教授の顔ぶれなどについて、なぜこうなっているのかを理解した上で、納得のいかないことがあったら、皆で議論して、教授たちとの話し合いを要求してください。
 そして、本当に勉強したいことを専攻してください。やりたいことをやってこそ、人は努力もできるし、情熱や能力を活かすことができます。就職の際につぶしがきく、などという理由で専攻を選ぶのは、志が低すぎますし、自分に対して失礼です。
 みなさんが大学に要求すべきことは、教育・研究にかかわることだけではありません。クラブやサークル、駒場祭などの課外活動も、大学生活の重要な一部です。そうした活動のありかたについて、主体的に考え議論し発信することで、大学を自分のものにすることができると同時に、社会人として仕事や生活をする重要な訓練ができます。
 大学というのは、ひとつのユートピアだと私は信じています。少なくともそうあるべきだと思っています。さまざまな背景や経験を持った人たちが、真実や真理の追求という共通の目的のもとに、空間と時間を共有する。そんな稀有な場は、世の中に他にまずありません。大学とは、外の社会においては実現困難な理想を追求する実験場でありコミューンであってほしいと思っています。学問においても、大学という場所の営みにおいても、そんな理想郷をみなさんが主体的に作り営んでいってほしいのです。

 最後に、晴れて入学を果たしたみなさんには、一日も早く、卒業していただきたいと思います。
 さっさと必要な単位を取って卒業してほしい、ということではありません。本当に自分がしたいことを見つけてじっくりと勉強し、若いときだからこそできる経験を積むためならば、一年や二年卒業が遅くなることはむしろ好ましいことだと思っています。
 私が言いたいのは、今日この式が終わって、応援してくれた家族や仲間とお祝いをしたら、カギカッコのついた「東大生」をなるべく早く脱ぎ捨ててほしい、ということです。
 東京大学というのは、日本社会において特別な位置を占めています。今日のこの式にも、たくさんの報道関係者が来ています。私のこの祝辞も、今日中にも各種のメディアに掲載されることでしょう。書店には「東大生の勉強法」とか「東大生の部屋」とか「東大生の親」とかいったことを取り上げた本や雑誌の特集がつねに並んでいます。これからのみなさんは、大学はどこかと聞かれて「東大です」と答えれば、「へえ〜!」と感心されることが多いでしょう。「東大生」であることの恩恵を受けることも多いでしょうし、それについてまわるステレオタイプに辟易することもあるでしょう。
 そこで、なにか大きな勘違いをしてしまったり、あるいは、「東大生」というラベルと対峙することにたくさんの時間を費やしたりすることは、せっかくみなさんが持ち合わせた、能力と環境という幸運の組み合わせを無駄にすることになります。多くの努力をすることを知っているみなさんが、もっとも成長できる時期に、その成長が停滞あるいは停止してしまいます。一日も早く、できることならば今日この日にでも、「東大生」であることを卒業して、一東大生として真剣な大学生活を送ってほしいと思います。

 以上、騙されたと思って実行してみてください。そして、私の祝辞はこれで終わりですが、ツイッターは、会場を出てからにしてください。