2009年4月30日木曜日

Arlen Specter共和党を離党・アメリカ詩人、口永良部島で行方不明

オバマ政権発足から100日が経ち、初めの100日間でこれだけの成果を挙げた大統領は前代未聞だという人、オバマ氏が保守と妥協をしすぎであると批判する人などいろいろですが、そんなさなかに、ペンシルヴァニア州のArlen Specter上院議員が共和党を離党して民主党に移ると発表したことが、アメリカ政治ではここ数日間で最大の話題のひとつです。秋の選挙以来いまだに法的な闘いが続いているミネソタ州のAl Franken氏がこの夏に法廷で勝利を収めれば、民主党は上院で60票を確保することになり、共和党がフィリバスター(『現代アメリカのキーワード 』86−88頁参照)によって法案通過を阻止しようとしても、それをやめさせることができることになります。現在79歳のスペクター氏は、中絶の権利やES細胞研究を支持し、同性婚を禁じるための憲法修正に反対するなど、共和党のラインから独立した立場をとることが多く、穏健派の共和党員であったものの、イラク戦争や、ブッシュ大統領の任命した最高裁判事を支持するなど、民主党と相容れない立場も多くとっているため、今後民主党のなかで彼がどのような位置づけになるのかは不明です。しかし、オバマ大統領はスペクター氏の民主党入りを歓迎して、今後の選挙で彼の支援をすると発表しています。共和党の議員は、スペクター氏の決断は当然ながら冷ややかな目でとらえていますが、スペクター氏のような穏健派を党の重要な一部とし、有権者のなかの女性やヒスパニックなどの層を支持基盤にとりいれられなければ、共和党に未来はない、という旨の警告をする共和党員もいます。

ところで、まるで関係ないですが、Craig Arnoldというアメリカの詩人が、鹿児島県の口永良部島(くちのえらぶしま)という、屋久島の近くにある小さな島で、4日前から行方不明になっています。彼は、普段はワイオミング大学で教えている詩人で、日米友好基金のフェローシップで来日中。しばらく前から火山に興味をもち、世界各地の火山をまわり本を執筆中で、口永良部島を訪れたのも火山を見に行くためでした。日本時間27日に屋久島からのフェリーで島に到着し、宿に荷物を置いてすぐに火山に出かけたまま、夜になっても宿に戻らなかったため、宿の人が地元の消防隊に連絡をして捜査が開始されましたが、3日間経ってもまだ発見されていません。地元の警察や消防隊だけでは人員が限られているため、鹿児島県警や自衛隊、沖縄駐留の米軍などを動員してより大規模な捜査がなされればいいのですが、現在はアメリカ領事館および鹿児島圏のレベルでそのプロセスが止まっているとのことです。本来ならば地元の警察による捜査は3日間で打ち切られるところを、あと3日間捜査が延長されたそうですが、より大規模な捜査が動員されるには、政治的プレッシャーやメディアにとりあげられることが必要かもしれません。私は人づてにこの事件について知ったのですが、さっとネット検索するかぎりでは、日本ではこの件は話題になっていないようです。もし、なんらかの形で捜査の手助けになるような情報やコネクションをもっているかたがいたら、このブログを通じて連絡をお願いします。

2009年4月27日月曜日

アメリカの大学に求められる改革

先週、ホノルルでAssociation for Asian American Studies(つまりアジア系アメリカ人・社会に関する研究分野)の学会があったので大わらわでした。アメリカの学会はたいてい毎年違う都市で開催され、会場はホテルであるのが普通です。ですから普通、「学会に行く」というと、飛行機に何時間か乗ってどこかの都市に行き、ホテルに泊まって、ホテル内の会議室や宴会場で研究発表やらその他のイベントに出て、夕方から夜にかけてはホテルのバーや近くのレストランで遠隔地に住む友達と遊ぶ、というのが典型的なパターンです。それが、自分が住んでいる街で学会があるとなると、学会中の数日間の過ごしかたはまるで違ってきます。なにしろ、学会の最中にも授業やらオフィス・アワーやら会議やらといった、普段の大学の業務をしなければならない。そして毎日、家と大学と学会会場のあいだを車で行ったりきたりしなくてはいけない。ホテルに泊まっていれば、途中で疲れたらエレベーターに乗って部屋に戻ってちょっと休憩すればいいけれど、家から通っているとそうもできない。そしてまた、地元の人間ということで、やはり遠方から来る人たちをホストしなくてはいけないような気持ちになるので、自分の家に友達をよんでパーティをしたりする(私も先週木曜日の夜に友達十数人を家によびました)。また、今回は私は地元隊員として運営委員にも入っていたので、なにやかんやと雑用を引き受けることになる。そしてパネルの司会もする(今回のパネルは、真珠湾攻撃の歴史の記憶について。『現代アメリカのキーワード 』を一緒に編集した矢口祐人さんがパネルの一員でした)。ただでも学会では数日間のあいだにたくさんの人と会うし、やはり仕事についても考えさせられることが多く、刺激が多いので、楽しいと同時にどっと疲れるのですが、今回はいつにもましててんてこまいでした。

ところで、昨日のニューヨーク・タイムズに、「大学のありかたを根本的に変えるべし」という主旨の論説が載っています。著者は、現在コロンビア大学の宗教学科長をしているMark Taylorという人です。現在のアメリカの研究大学は、研究の専門化が進み過ぎて、細分化された分野の枠を超えた学際的な対話ができにくい、大学院生の研究はごく少数の専門家にしか読まれないようなたこつぼ的なトピックになりがちである、本来は学問の自由を守るためにできたテニュア(終身雇用資格)制度は現実には多くのベテラン教授の研究や教育における怠慢を招く、などなど。改革案としては、常設の学部・学科を撤廃し、数年ごとにもっともレレヴァンスのある大きなテーマで学際的なグループを作り、その年数が終わったらそのグループを存続するか修正するか撤廃するか決める。テニュア制度を廃止して、代わりに七年ごとに各教授の業績を審査する。とくに人文科学系においては博士論文の形式を大幅に自由化する。大学院生が、学位取得後大学における研究以外の職業にも就けるようなトレーニングを大学院教育に組み込む。などなど。それぞれの提案は、これまでにも多くの大学関係者が言ってきたことで、それほど目新しいことはないのですが、不況の折、とりわけ人文系の研究・教育の将来が問われるようになってくるので、こうした提言が注目されるのだと思います。『アメリカの大学院で成功する方法』を読んでいただけばわかるように、私は、実際のところ、もちろんいろんな問題はありますし、大学とひとくちに言ってもいろんな大学がありますが、アメリカの大学制度というのはかなりしっかりしていると思っています。この論説で指摘されているような問題も、それほどひどくはないと思っています。日本の大学で仕事をしているかたには失礼を承知で言いますが、ましてや日本の大学の仕組みと比べたら、アメリカの大学はずっと健全に機能していると思います。それでも、やはり、大学院に十年間も籍をおいて、十万ドル近くもの借金を抱えて(そういう例はそれほど珍しくありません)卒業した挙句に、大学の就職口はどこもなく、そのトレーニングを活かした別の仕事に就けるわけでもない、なんとか就職したとしても、博士論文の内容があまりにも特化していて研究書として出版できず、結局テニュアをとれずに大学を追われる、という例があまりにも多いので、なんらかの構造改革はアメリカの大学制度にも必要だろうとは思います。

2009年4月19日日曜日

The Audition

『The Audition』というドキュメンタリー映画を観てきました。これは、以前に投稿で言及した、今シーズン始まった、メトロポリタン・オペラの公演を世界各地の映画館で上映するという企画の一環として上映された映画で、毎年全米で何千人もの若いオペラ歌手(志望者)の中からもっとも有望な五、六人を発掘してプロの道へと送り出すための、National Council Auditionというオーディションの2007年度の様子を追ったものです。何段階もの予選を通過して最終選抜に残った11人の歌手たちは、メトロポリタン劇場で、メトロポリタン・オペラ・オーケストラとの共演で行われる本番のオーディションに向けての1週間、メトロポリタン・オペラの指揮者や声楽コーチ、呼吸法コーチなどのもとで徹底的な特訓を受けて準備します。若手の歌手(といっても、他の楽器の演奏者と比べて、自分の身体そのものが楽器であるオペラ歌手は基礎的な技術訓練にさらなる年数がかかるので、20代前半の歌手はまだまだひよっこと思われます)一人一人が背負っている人生や夢、性格などが手にとるように感じられるし、なにしろ私はこの手のものをみるときには本人たちに代わって緊張して、本番が始まるとなるともう手に汗握ってどきどきしまうのですが、本番でのそれぞれの演奏の素晴らしさもさることながら、私にとって一番面白いのは、その一週間の準備の過程を垣間みられることです。私は、芸術作品については、完成品を見るのと同じくらい、その創造過程に関心があるので、レッスンやリハーサルや舞台裏の様子が見られるのはとてもワクワクします(メトロポリタン・オペラの映画館での上映の私にとっての大きな魅力は、舞台裏の様子が見られることにあります)。歌手たちの指導をし、勇気を与え、本番の最中も舞台の裾で息をのんで彼らを見守るメトロポリタン・オペラのスタッフであるコーチたちや指揮者(Maurizio Benini)の純粋な献身にもとても心を打たれます。最高の芸術を生み出すということがどういうことかを覗き見ることができるのと、実際にオペラ歌手としてキャリアを築くというとても小さな可能性にすべてを賭けて(クラシック音楽の世界では実際にプロとして生計をたてていくのはどんな楽器でも信じられないような小さな確率ですが、オペラ歌手の配役は、歌の腕前以外にもたくさんの要素が絡んでくるので、一段と確率が小さくなってきます)、自分のすべてを投入する若者たちの姿に、心の底から感動しました。映画の最後になって(受賞者が発表されたさらに後)明らかになる驚くべきひとつの事実があるのですが(この映画をいずれ観る人たちのために、あえて明かしません)、その事実を知ってから一連のことを反芻するとさらに心打たれます。また、映画がすべて終わったあとに、現在のメトロポリタン・オペラの最大スターである、Renee Fleming、Susan Graham、Thomas Hampsonの対談も上映され、これもまたとても興味深いです。映画館にいた人たちは皆、終わったあと感動でいっぱいの表情をして、私も含め涙のあとがみられる人もたくさんいました。

日本でもこの映画がいずれ上映されると思うので、ぜひ覚えておいて観に行ってください。

2009年4月18日土曜日

Road to Guantanamo

『新潮45』5月号が発売になりました。私の連載「恋愛単語で知るアメリカ」はこの号で締めくくりです。最終回にはそれにふさわしく(?)「自分の感情と向き合う」と題して、アメリカのミドル・クラスの主流文化の一部であるセラピー用語に焦点を絞りました。どうぞ読んでみてください。連載というものを担当したのはこれが最初でしたが、なかなか楽しい仕事でした。

研究助成金応募のための企画書を書かなくてはいけないのですが、それに向かうのが嫌で、代わりにRoad to GuantanamoというドキュメンタリーをDVDで観ました。英国国籍のイスラム系の3人の青年がパキスタンに里帰りしたついでに、アフガニスタンの情勢を見に行ってみようと国境を越えるのですが、アフガニスタン滞在中に爆撃の混乱に巻き込まれ、なにが起こっているのかもわからないまま、彼らはアルカイダの一員との容疑をかけられ北軍に捕らえられ、はるばるキューバのグアンタナモの米軍刑務所に連れていかれ、正式な嫌疑はなにもないまま二年間にわたって非人道的な拷問を受けたのち釈放される、という実際に起こった事件を再現したものです。グアンタナモやアブ・グレーブ刑務所(ともに『現代アメリカのキーワード 』参照)についてのニュースはアメリカにいるとよく入ってくるものの、実際の人たちの具体的な経緯をこうして見ると、本当に背筋が寒くなる思いがします。オバマ大統領は1年以内にグアンタナモ刑務所を閉鎖するとの行政命令を出していますが、現在も拘留されている人たちに関する調査書類がきちんとととのっていないため、釈放される人たちについてもかなりの時間がかかると予測されています。

というわけで、家にあったDVDも観てしまったので、仕方がないので助成金応募書類にとりかかります。

2009年4月10日金曜日

山田詠美「学問」

2008年9月号(この号に水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の一部が載っていたのでたまたま読んだのです)から『新潮』に四回にわたって連載されていた山田詠美の小説「学問」が四月号で完結したのを読みました。連載が始まったときからとても面白いと思って毎回楽しみにしていたのですが、最後まで読んで、とても感動しました。感動なんていう単語を使ってしまうとなんだかばかみたいですが、実にいろいろな感情を呼び起こし、いろいろなことに思いを巡らせてくれると同時に、小説の構成とか文章の技巧にも拍手を送りたくなる作品です。子供期から思春期にはいっていく四人(五人かな)の男女の、複雑で素直で滑稽な感情や行動や関係が、とても優しく描かれています。自分が好きなことや人を発見していく道筋と、恋心や性欲や友情や愛情といったものを、回り道してケガや傷を作りながら少しずつ育んでいく、その過程の物語が、とても愛おしいです。周りに認めてもらったり仲間に入れてもらったりしたい気持ちと、周りへの優越感や競争心がないまぜになった、思春期ならではの心理もとてもよく描けています。私は、登場人物のそれぞれに、自分の一部を見るような気持ちもします。そして、物語の後のそれぞれの人生について読者の想像のかきたてかたが、またとてもよいです。自分の中学・高校時代のいろんなことが思い出されて、気恥ずかしくもなるし、切なくもなるし、その頃の自分に会って「よしよし」と頭をなでてあげたくもなります。また、それからの人生のなかで手に入れたり失ったりしてきたものを、その頃の時間を共有した友達と一緒に、裏山に穴を掘ってしまいに行きたい気持ちにもなります。(私が通った中学・高校にはまさに「裏山」という表現がふさわしいものがあるので、実行しようと思えばできる!)「学問」はそのうち単行本として発売になるでしょうが、興味のあるかたは、図書館で2008月9月号から四回分読んでみてください。

2009年4月7日火曜日

ヴァーモント州でも同性婚合法化

アイオワ州に続いて、ヴァーモント州でも同性婚が合法化されました。これまでに同性婚を合法化してきた州(マサチューセッツ、コネチカット、アイオワ)はみな、結婚を異性愛者のみに限定するのは法の下の平等を掲げる州憲法に違反するとの判決を裁判所がくだしたことによって、つまり司法によって、同性婚が認められてきましたが、ヴァーモントは初めて、州議会によって同性婚が立法化された州となりました。同性婚に反対する人々や団体は、司法によってこうした決断がなされるのは、結婚という制度を、有権者の声よりも政治的なプロセスにゆだねるものだとして抗議してきました。以前に説明したカリフォルニア州のProposition 8に見られるように、同性婚が有権者の投票にかけられた州の多くでは、結婚を異性愛者に限るという新たな立法が近年なされてもいます。ですから、このように議会の立法によって同性婚が達成されたことは、(ハワイも含め)同性婚やシヴィル・ユニオンの合法化にむけての運動が進んでいる他の州に大きな希望を与えることでしょう。

2009年4月5日日曜日

『トウキョウソナタ』

ホノルル映画祭で『トウキョウソナタ』を上映しているので観てきました。不況期の東京の世相をとてもリアリティをもって描いていると思いました。日本のニュースはネットで目を通していますが、最近は本当に悲しいニュースが多いなあと思うものの、日本に住んでいないので経済状況が日常生活にどんなふうな影響をもたらしているのかは間接的にしかわからず、その点で、勉強になるといったらちょっと変ですが、とても実感の湧く映画でした。また、登場人物はみな、それぞれの形で誠意と優しさをもって精一杯生きていながら、そのエネルギーや感情をなかなかいい方向に向けられず、周りの人たちや社会と歯車の合わないことになってしまう、その哀しさと愛おしさをよく伝えているとも思いました。暗く哀しいばかりでなく、そうした状況のなかでの人間の行動の滑稽さも人の優しさも伝わってきます。また、『歩いても歩いても』なんかに通じる、家族の関係がいろんな意味でとても日本的だと思いました。(アメリカ人にはなかなかわかりにくいんじゃないかと思います。)また、出てくる風景に強烈な懐かしさを感じるなー、こういう風景こそが私にとっての東京の風景だよなーと思いながら見ていましたが、駒場東大前の住宅街の実在の家がロケ地だそうなので、なるほど納得。

また、私の関心に沿っていえば、『おくりびと』にしても『トウキョウソナタ』にしても、話のなかでクラシック音楽が周縁的でありながら重要な役割を果たしているのがとても興味深いです。『おくりびと』の主人公がチェロ奏者である必然はなにか。『トウキョウソナタ』でピアノが象徴するものはなにか。(「ピアノの先生」というイメージは、現代でもああいう感じなのか、という点も面白かったです。)面白い。

2009年4月4日土曜日

『考える人』「ピアノの時間」特集

新潮社の季刊誌『考える人』春号が4日発売になりました。「ピアノの時間」という特集です。私は「私の好きなピアノ・アルバム ベスト3」というアンケートに答えただけなのですが、音楽、とくにピアノの好きなかたは手に取ってみてください。ちなみに、このアンケートでは、ホロヴィッツだのリヒテルだのグレン・グールドだの内田光子だのといったところは他にもたくさん挙げる人がいるだろうと思い、私が『Musicians from a Different Shore』のリサーチ・執筆の過程で個人的に知り合いになった、才能あふれる若手のアジア人・アジア系アメリカ人女性のCD三枚を選びました。以下の通りです。

Scarlatti: Complete Keyboard Sonatas, Vol. 8 演奏・Soyeon Lee
韓国出身のSoyeon Leeは、人柄・音楽ともに、明るさと深みを同時に備えている、とても輝いているピアニストです。アジア人として、また女性として西洋クラシック音楽を追求することについての考えを、とてもじっくりと語ってくれました。このCDはバロック音楽の幅の広さを知らせてくれます。

Georg Tintner: Violin Sonatas; Chopin Variations 演奏・Helen Huang (ピアノ) Cho-Liang Lin(ヴァイオリン)
日本生まれ、台湾系、ニューヨーク育ちのHelen Huangは、十歳でコンサート生活を始めたいわゆる「天才少女」でしたが、このCDはそうしたレッテルをはるかに超越した成熟した芸術性を見せています。共演しているのは、世界的に活躍するヴァイオリニストのCho-Liang Lin(彼もMusicians from a Different Shoreにインタビューの抜粋が出てきます)。

Etudes, Seriously 演奏・平田真希子
平田真希子さんは、私のニューヨーク滞在中にすっかり仲良しになったピアニストで、私はしばらく彼女にピアノのレッスンも受けていました。真剣で厳しいと同時に笑いがたくさんの楽しいレッスンで、とても勉強になりました。このCDからは、ピアノ曲ならではの色彩を表現し、聴衆に媚びない真面目な音楽作りをしていることが伝わってきます。

2009年4月3日金曜日

アイオワ州同性婚合法化

今日、アイオワ州の最高裁が、結婚を一人の男性と一人の女性のあいだのものと限定している1998年の州法は違憲であるとの判定をくだし、同性婚を合法化しました。四年間続いた、同性婚を求める人々による法廷闘争に決着がついたことになります。これにより、アイオワは、マサチューセッツとコネチカットについで同性婚を認める三番目の州となりました。これまで同性婚をめぐる法的運動は主に東と西の両海岸でなされてきて、中西部の多くの州では同性法を禁じる州憲法修正がなされていたなかで、今回の判定はとても意義のあるものです。もちろん、同性婚に反対する人々は、この決定をくつがえすための運動をすぐにも始めることでしょうが、同性婚を禁じるように州憲法を修正するためのプロセスはとても長く難しいので、すぐにはそうした結果にはならないだろうとの見通しです。アイオワ州では、州の住民でなくても結婚届を出すことができるので、この決定の結果、他州から多くの同性愛者たちがアイオワで結婚するだろうという予測です。これまで何度も投稿で報告してきたように、ハワイでのシヴィル・ユニオンにむけての運動が続くなかで、この決定は希望と勇気を与えてくれます。

まるで関係ありませんが、十五年間続いたNBCのテレビドラマ「ER」が、昨晩をもって終了しました。確かこの番組は日本でもNHKが数シーズン遅れて放映しているんですよね。私はこの番組が始まったときは初々しき(?)大学院生でした。今では似たような形式の番組はいろいろありますが、当時はなかなか画期的なつくりで、テレビ史のなかでもそれなりに意義のある番組だそうです。最終エピソードでは、途中で番組を去って行ったいろいろな主要登場人物が再登場して、とても懐かしいと同時に、「ああ、それだけの年月がたったんだなあ」と、なんだか自分のトシも実感しました。昨日、授業で「セックス・アンド・ザ・シティ」の話をしていてふと気づいたのですが、私はあの番組が始まったのは(1998年)ついこのあいだのことのように思っていて、「現代文化」のひとつとして考えていますが、番組が始まったとき今の学部生はまだ10歳くらいだったわけで、一シーズンめの服なんかを見ると、「とても昔のこと」と思うようです。「私はキャリー・ブラッドショーと同い年だ」と言ったら、なんとも言えない表情をして私のことを見ていました。