2013年10月24日木曜日

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?—人種・ジェンダー・文化資本』本日発売!

拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』が本日発売になりました!

小澤征爾、ヨーヨー・マ、内田光子、チョン・キョンフア、五嶋みどり、ラン・ランをはじめとする数多くの「アジア人」が西洋音楽の分野で世界的な活躍をするようになったのはなぜか。音楽と人種・性・社会階層にはどのような関係があるのか。音楽的・文化的アイデンティティとはなにか。「アジア人」音楽家たちはクラシック音楽をどのように体験しているのか。そうした問いを、歴史史料および民族誌的フィールドワークを通じて分析したものです。

この本は、もとはMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicというタイトルで、英文で出版したものを、日本の一般読者に向けて、私自身が翻訳したものです。自分が書いた英語を、自分の母語である日本語に訳すのだから、そんなに難しいことはあるまいと思ってのぞんだのですが、この翻訳の作業は、想像をはるかに超えたチャレンジでした。学術的な英語を一般読者のための日本語に訳すという実際的な問題もたくさんありましたが、もっと本質的な次元で、そもそも自分が設定した問いや議論の枠組みが、いかにアメリカ的なものであるかを、翻訳しながら痛感しました。「アイデンティティ」という単語がやたらと飛び交い、人種やジェンダーといったカテゴリーが軸になっている分析は、日本の読者にはピンとこない部分もあるかもしれません。でも、そうした前提や議論の違いを日本の読者に感じ取っていただくことも、意味のあることだと思っています。なるべく読みやすくわかりやすい文章にするため、日本の読者に向けて説明や修正を加えたり、高度に特化した学術議論は削除したりしました。また、クラシック音楽そのものに興味のある読者以外にも考える素材を提供するような本作りを心がけました。少しでも多くの読者に読んでいただけたら幸いです。

私が心から敬愛する水村美苗さんが、帯にとても素敵な推薦文を書いてくださいました。感謝感激です。



もとの研究を始めた2003年頃から続いてきた多くの音楽家たちとの交流や、私自身のピアノとのかかわりも、いろいろな形でこの本の一部となっています。本書に登場する音楽家たちの一部は、私のウェブサイトリンクページで紹介していますので、興味をもったかたはぜひ彼ら・彼女たちの音楽をのぞいてみてください!

2013年10月22日火曜日

11/9(土)佐藤康子二十五絃箏コンサート

何度かこのブログでも紹介している、私の親友の佐藤康子さんの二十五絃箏コンサートが11月9日(土)にあります。年に一度コンサートも今回ですでに7回目。毎度、私が日本にいない時期なのでみずからコンサートを体験できないのが無念でたまりませんが、彼女を通じて、邦楽にまるで馴染みがなかった私も、二十五絃箏という楽器のスゴさを少し知るようになりました。正直言って、「お箏」というと、お嬢様のたしなみごと、という程度のイメージしか抱いていなかったのですが、彼女の音楽は、そういう先入観を粉みじんに(といった単語がふさわしいくらいの強烈さ)打ち破ってくれます。迫力、鮮やかさ、哀しさ、強さ、優しさ、深み、伸び、などなど、それはそれは多くの音の感覚を体験できます。88の鍵とペダルでも平板な音しか出せずにへこんでいる私としては、たった二十五本の絃でこれだけの多様な世界を生み出す楽器そして演奏者に舌を巻くばかり。まだチケットが若干残っているようですので、みなさまぜひどうぞ。

11月9日(土)18:00開演
自由学園明日館ホール
前売り券 2,500円 当日券 3,000円
お問い合わせメール  contact@satoyasuko-koto.com

私の言葉だけでは伝わらないかもしれないので、演奏の動画をひとつだけご紹介しておきます。

2013年10月20日日曜日

ウェブサイト全面リニューアル

25日の新刊発売(これについては発売日にまた宣伝いたします)に合わせて、ちょっと古ぼけた感じになってきていたワタクシのウェブサイトを、全面的にリニューアルいたしました。コンテンツはこれまでとそれほど変わらないのですが、デザインが変わるとずいぶんと印象が違うものです。全ページで使っている木の年輪の模様は、5月にピアノのリサイタルをしたときに、グラフィックデザイナーの友達が作ってくれたチラシに使われた模様にヒントを得たものです。ぱっと見ると花かと思うけれど花ではなく年輪、というのがミソ。歪んだりヒビが入ったりもするけれど、年を重ねるごとに大きくたくましく成長していることを刻む年輪。その模様に、知的でもありエネルギッシュでもある色合いを重ねました。


これまでのウェブサイトと同様、このサイトをデザイン・制作してくれたのは、私の中学高校時代からの親友。私はこだわりのあることに関してはとにかくしつこく細かくうるさいので(他のことにかんしてはきわめて大雑把なのですが)、親友でなかったらさぞかし嫌がられただろうと思うくらい、連日ああでもないこうでもないと注文のメールを送り続け、別の国に住んでいるとは思えない密な連絡が何週間も続きました。彼女が気持ちよく辛抱強くそうした注文に耳を傾け、こちらの意図することを大小すべて汲み取り実現してくれたおかげで、私自身が隅々まで「これぞ私だ!」いや、少なくとも、「これぞ私が目指す私だ!」と思うようなサイトが出来上がりました。私自身が見ていて「よし、頑張るぞ〜!」という気持ちになるサイトです。どうぞごらんください。



2013年10月19日土曜日

報道スキャンダルから新聞ジャーナリズムの倫理を問う『A Fragile Trust』

昨日も引き続きハワイ国際映画祭(毎年とてもいい作品がたくさん集まる映画祭なのですが、時期的に忙しくて行けないことが多いので、1、2本でも観られると得した気分になります)に出かけ、A Fragile Trustという映画を観てきました。先日のDOCUMENTEDとならんで、こちらもドキュメンタリー。元ニューヨーク・タイムズの記者Jayson Blairが、多くの報道において盗用や捏造を重ねていたということが2003年に発覚し、 Blair本人の辞職にとどまらず、ニューヨーク・タイムズの信頼性を大きく揺るがすことになり、上層部の編集・経営責任者の辞任にも至るという、ジャーナリズム史に残る大スキャンダルがありましたが、その事件を追った作品。スキャンダルを通じて、組織としてのニューヨーク・タイムズ社の体質、2001年のテロ事件後の報道のありかた、紙媒体からデジタル媒体への移行が進むなかでの新聞の役割、ジャーナリズムにおける人種関係(Blairはアフリカ系アメリカ人)、精神疾患やアルコール・薬物依存の取り扱いなど、さまざまな視点から、Blairを悪質な行為に導いた要因を探っています。私は、事件のほとぼりが冷めてからはとくに注目していなかったので、ニューヨーク・タイムズというプレッシャーの高い職場でのストレス、とくに2001年テロ事件以後の、ジャーナリストにとって精神的にも身体的にも非常に大きな負担を課した環境のなかで、もともと躁鬱病の要素をもっていたBlairがどんどんと精神を病み、アルコールやコカインにはまって崩壊していった、ということは知りませんでした。また、このような形の盗用や捏造が生まれる背景には、現代の報道活動の形態、そしてとくにデジタル化がもたらす情報の変化によって、ジャーナリズムのありかたが大きく変わってきている、という文脈があることもよく伝わってきました。

映画のタイトルはA Fragile Trust、つまり、「もろい信頼」。ジャーナリストが記事を書くためには、取材相手の信頼をとりつけなければならず、しかし、取材にあてられるごく限られた時間のなかでは、そうやってできる信頼はごくもろいものでしかない、という意味が込められています。が、映画上映後の質疑応答の時間の監督の話を聞いて、この「もろい信頼」とは、取材相手がジャーナリストに向ける信頼のことだけではないのだ、ということがわかりました。この映画では、Blair本人とも何回もインタビューを重ね、彼自身による事件の説明も重要な一部となっています。が、彼の話を聞いても、聴衆は、彼に対して一種の同情は生まれても、共感を抱くことはほとんどなく、最後まで彼は、「信頼できる語り手」にはならない。自らジャーナリストである監督のSamantha Grantは、取材相手をじゅうぶんに信頼できない、という状況のなかでドキュメンタリー映画を作ることの困難について語っていましたが、そう考えると、この「もろい信頼」とは、ジャーナリストが被取材者に託す信頼のことでもあるわけです。もちろん、Blairはきわめて極端な例ではありますが、どんな報道においても、ジャーナリスト(研究者もそうです)は取材相手がつねに100パーセントの「真実」を語るわけではない、という前提のもとで、データの収集・分析や記事の執筆をしなければいけない。そうした意味で、ジャーナリズムという行為の複雑さを垣間みさせてくれる映画でもありました。

私は、2003年から2004年、つまりこの一連の騒ぎの最中にニューヨークに住んでいたのですが、なんと、ニューヨークの地下鉄で目の前にBlairが座っていたことがあります。ちょうど盗用・捏造が発覚してニューヨーク・タイムズを辞職し、大スキャンダルとなって、テレビなどで連日顔が出ていたときだったので、彼だとすぐわかったのですが、彼はそのとき地下鉄に座って、自分の(事件が発覚してまもなく、彼は自分の立場からこのスキャンダルについて語る本を出版しました)をじーっと読みふけっていました。もちろん、自分が書いたものが物理的な本として出来上がってから、それを新たな目で読み直してみる、ということは著者としてはいくらでもあることですが、彼をめぐるスキャンダルの性質上、「自分の本をそんなに珍しげに読みふけるということは、もしかするとその本も本当は自分で書いたんじゃないのでは?」という疑問が頭に浮かんだのを覚えています。

2013年10月18日金曜日

「非合法移民」の意味を追求する映画、DOCUMENTED

昨晩、現在開催中のハワイ国際映画祭の目玉のひとつとして上映された、DOCUMENTEDという映画を観て、その後この映画の主演・制作をつとめるJosé Antonio Vargasを囲んでのレセプションに参加してきました。たいへん考えさせられることの多い、インパクトの強い映画でした。

この映画は、Vargasみずからの生い立ちや家族の物語を通して、アメリカの移民制度、とくに「非合法移民」の扱いの問題点を追求するとともに、「アメリカ人」とはなにかを問うドキュメンタリー。Vargasは、アメリカに移住した祖父母に呼び寄せられて、非合法な米国入国を斡旋する業者のはからいで、12歳のときに単身フィリピンから渡米。子供ゆえ、自分の渡米の意味や法的な立場を理解するよしもなく、祖父母のもとで暮らしながらカリフォルニアでの生活に順応し、学校では成績優秀であらゆる課外活動で活躍する人気者となっていった。16歳のときに、自分が「非合法移民」であることを知った彼は、彼を応援する周囲の大人たちの支援のもとで、自分の夢を追求しながらアメリカ社会の一員として暮らしていく道を探るようになる。好奇心旺盛でさまざまな相手に「厄介な質問」をするのが好きだった彼は、大学ではジャーナリズムを専攻し、卒業後、ワシントン・ポストなどの一流メディアで報道にあたり、ピュリツアー賞も受賞するエリート記者のひとりとして活躍するようになったものの、それぞれの仕事の雇用の際、国籍・米国滞在資格については「アメリカ市民」と記入しながら、いつ事実が発覚して国外退去処分になるかとハラハラしながら10年以上暮らしていた。

さまざまな州での非合法移民の扱いや、連邦政府の移民法をめぐる議論が高まるなか、彼は2011年に自分が「非合法移民」であることを公開することを決意。高校の授業の最中に自分がゲイであることを告白した彼にとっては、2度目の「カミング・アウト」であったが、今度は、全国ネットのテレビ番組ですでに著名なジャーナリストとなった彼が「非合法移民」であるという事実を公開したことで、非常に大きな反響を呼ぶこととなった。自分の物語を通じて、移民法改正の議論に携わる政治家はもちろん、日常生活のさまざまな側面で非合法移民とかかわる一般の「アメリカ人」たちに、移民法のありかたについて考えてもらうきっかけを作ろうと、Vargasは、その後、自分の生い立ちについての長文記事をニューヨーク・タイムズで発表したり、各種メディアに出演したり、保守派の有力な地域で講演をおこなったりしながら、その様子をみずからドキュメンタリー映画として追っていく。その過程で、現在約1100万人と想定されるアメリカの「非合法移民」たちがその立場におかれるようになった経緯や生活ぶり、現行のアメリカ移民法の複雑さ、アメリカのさまざまな地域における人種をめぐる議論などが、多面的に映し出されます。そして、Vargasがフィリピンを離れてから20年間顔を合わせていない母親(本来は、息子を追って渡米する計画だったのが、移民ビザはもちろん、帰国資金が証明できないため観光ビザすら入手できず、フィリピンに残ったまま20年間が経過。渡米後数年間はVargasは母親と頻繁に文通をしていたものの、自分のアメリカでの立場に向き合うにつれ、そのような形で自分をアメリカに送り出した母親に対して冷たい気持ちを抱くようになった彼は、その後連絡を絶ち、ジャーナリストとして名を成してから母親がフェースブックで友達申請をしてきても拒否していた)とスカイプで対面するシーンには、とりわけ多くのことを考えさせられます。

「非合法移民」としてアメリカに居住する人々は、世界各地から来ているものの、とくにフィリピンは、米国植民地の歴史、マルコス政権期の政治経済体制、現在の経済状況などさまざまな要因で、とくにアメリカへの合法・非合法の移民を非常に多く送り出してきており、夫婦や親子が10年以上も離ればなれで暮らすことも珍しくありません。とくにアメリカや香港などでの家事労働者として働く女性たちは、自分の子供をフィリピンに置いたまま何年間も他人の子供の世話をすることで、フィリピンの家族を養うというケースが非常に多くなっています。こうした家族形態を生むグローバルな経済不均衡のなかで、人々がどのような経緯で、どのような思いで国境を越え、アメリカでどのような暮らしを送り、「アメリカ人」からどのような扱いや視線を受けているのか、「非合法」な人たちが「合法」な立場を手に入れることがなぜできないかが、生身の形で伝わってくる映画です。

上映後のレセプションでは、Vargasおよび司会者の意向で、参加者全員「移民」をめぐる話をtシェアし、さまざまな物語が交わされました。サモアやメキシコから非合法移民として入国して10数年がたつという人たちや、合法的な移民でありながらもアメリカ国籍に帰化する手続きに15年かかっているという原始物理学者を母親にもつという人の話を聞きながら、ハワイという、移民とその子孫が人口の大多数を占めている場所でも、現在移民法によってさまざまな形の差別が存在し、それと同時に合法的にこの土地で暮らしている人たちがそうした非合法な人たちの労働に依存している、という状況を、改めて実感しました。

「移民」とくに「非合法移民」というカテゴリーそのものが身近でない多くの日本の人たちに是非みてもらいたい作品です。