2018年9月27日木曜日

「アジアン」が消えた『クレイジー・リッチ!』日本公開




本日928日(金)に日本で公開になる映画『クレイジー・リッチ!』について、このブログに文章を投稿しようと思っていたところ、ちょうど『現代ビジネス』から現代アメリカ文化についての原稿依頼を受けたので、そちらに寄稿させていただきました。こちらの記事は本日公開ですので、読んでいただけたら嬉しいです。

記事でも書いたように、この映画は、アメリカでは、業界の予測も私の予想もはるかに上回る人気となっています。私も公開された週末に劇場に観に行きましたが、かなりの行列となっていました。ハワイは、複数の人種を属性とする人も含めると人口の半数以上がアジア系で、「アジア系アメリカ人」の歴史や社会もアメリカ本土とは違った要素がたくさんあるのですが、そのハワイでもこれだけこの映画が話題になっている、というのも興味深いです。

日本ではこの映画は公開されているのだろうか、されているのならいったいどのように受け取られるのだろう、と思って検索してみたところ、本日公開される日本版のタイトルからなんと「アジアン」が抜けているということを知り、驚愕するやら「そりゃそうだろうなあ」と頷くやらで、この文章を書きました。

限られた字数のなかでカバーできなかったポイントや、リンクをつけられなかったコンテンツについて、補足の参考資料として、以下リストアップしておきます。

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まず、記事の最後のほうで言及した、ヴィエト・タン・ウェンがニューヨーク・タイムズ紙に寄せた文章はこちら。ウェンは小説家であると同時に文学研究者でもあり、『シンパサイザー』がピュリッツァー賞を受賞してからはとくに、自らの影響力を社会啓蒙のために使っている真摯な姿勢に頭が下がります。『シンパサイザー』は邦訳も出ていますが、カルチュラル・スタディーズ的手法を使った彼の研究書NothingEver Dies もたいへん良書でオススメです。

ウェンの文章の最後のほうでも巧妙に示唆されているように、アジア系アメリカ人がみな手放しでこの映画を称賛している訳ではありません。この作品についての批判的な論評からもいろいろなことが学べるので、その例をいくつか挙げておきます。

この映画の製作と流通・消費の様相に見られる「アジア系アメリカ」と「アジア」の関係や、この作品におけるシンガポールの表象についての問題点を論じた記事はこちら。ちなみに、この記事で引用されているCheryl Narumi Naruseは、ハワイ大学在籍中に私が指導したこともある文学研究者です。

アメリカではCrazy Rich Asians Asiansの部分ばかりが注目を浴びていますが、日本版タイトルになっている『クレイジー・リッチ!』の部分、つまり、なぜこの物語に出てくる人々がここまで桁外れな富を築くに至ったのか、その物語がシンガポールで展開されるということにどのような意味があるのか、に焦点を当て、「アジア」の資本主義の歴史におけるシンガポールの位置づけを論じた文章はこちら。きちんと読むとたいへん勉強になります。

この映画における富の描写やシンガポールの表象についてさらに詳しく批評した文章はこちら。最後のほうで言及されている、ふたりの男性の親密なシーンについては、なるほどと思いました。

さて、ちょっと違う路線ですが、物語のクライマックスとなる、レイチェルとエレノアの一騎打ちのシーンの意味は、麻雀のルールを知らないと、うっすらとしか理解できません。私は、映画を観た後でこの解説を読んで「なるほどそういうことだったのか」と理解してから、記事を書くために後日もう一度観に行って、フムフムと納得しました。

そして、自分の記事のポイントに戻って、アメリカにおけるアジア人の表象の歴史については、私のかつての指導教授であるロバート・リーによる『オリエンタルズー大衆文化のなかのアジア系アメリカ人』(貴堂嘉之訳)が今では古典となっています。

もちろん、このようなことを気にかけず、単なるロマンチック・コメディとしてこの映画を楽しむのも、大いに結構なことです。ただ、そうやって楽しめる贅沢に感謝しながら、タイトルから消えた「アジアン」の意味について考えると、別の楽しみが増すとも思います。




2018年9月8日土曜日

USオープン ウィリアムズ=大坂 ドラマにみるマイノリティ女性選手の葛藤と連帯

私は普段テニス(だけでなくスポーツほぼ一般)をほとんど見ないのだけれど、大坂なおみさんについてのニューヨーク・タイムズの記事を少し前に読んで、非常に興味を持っていた。試合前から、報道やインタビューで「日本人初」とやたらと強調される(これはアメリカの報道でも同じ)なか、「日本代表として出場はしていても、父親はハイチ人で、私はハイチも代表しています」と当たり前のようにさらっと言う、その姿にとても好感を持った。今日のUSオープン決勝はさすがに歴史的な組み合わせでは、と思って生で見たら、とんでもない展開に。最後のほうは見ているだけで動揺して、授賞式を見ながらも、見終わってからも、しばらく涙が止まらなかった。
なんと言っても、確実な実力と、あんな状況のなかでも落ち着きと集中力を失わない驚異的な精神力で勝利したのに、素直に喜べない大坂さんが気の毒でならない。それと同時に、不当な警告に抗議したことがさらに警告へとつながり、まる一ゲームも取られてしまうという極端なペナルティで、公正な試合をさせてもらえないという思いを強めるセリーナ・ウィリアムズの、これまでに積もり積もってきた思いと、彼女が背負っている女性アスリートの歴史を思うと、ますます涙が出る。あんな警告がなく、通常の試合をした結果だったら、彼女だって潔く女王の座を笑顔で譲っただろうに。それにしても、FBでの友達の投稿を見る限り(きわめて限定されたサンプルであることは百も承知ですが)、どうもこの試合についての反応が、日本とアメリカでずいぶん違うみたいだなあ、と思っていたのだけど、日本の新聞の文章などを見てちょっとわかった気が… 
私はアメリカのテレビ中継を生で見ていたのだけど、日本の報道の形容と私がアメリカのメディアを通して見たものは、かなり違う。アメリカでは、テレビ解説者の試合中とその後のコメントにしても、メディアでの報道にしても、審判の警告は行き過ぎであり、「男性選手だったらもっと酷いことを言ったりしたりしても警告など受けないのに、抗議をしたことで一ゲームも取るのは女性アスリートへのセクシズムである、というウィリアムズには言い分がある」という論調が主流。これは、単なるアメリカ贔屓、ウィリアムズ贔屓ということだけではなく、スポーツにおける女性、とくにマイノリティ女性の位置付けの歴史の背景がある、というのはアトランティック誌の記事などをみるとよくわかる。
それに対して、たとえば朝日新聞の記事では、「主審に対して『私に謝りなさい。あなたはポイントも奪ったから、泥棒』と口汚く罵倒し、1ゲームの剝奪を言い渡された」との記述があるので驚いた。ウィリアムズの発言は、確かにとても強い口調での抗議ではあったけど、「口汚く罵倒」などはしていないし、You owe me an apology.を「私に謝りなさい」という命令調に訳すのも誤解を呼ぶ。日経新聞には「次第にS・ウィリアムズはイライラを爆発させ、警告を受けた」という文があるが、これはプレーが自分の思うとおりにいかないことにイライラしていたような印象を与える。さらに、授賞式での大坂さんについて、「ブーイングの中で始まった優勝インタビューでは『勝ってごめんなさい』とひと言」という文もあるが、これは明らかな誤訳で、彼女は「勝ってごめんなさい」などとは言っていない。I'm sorry it had to end like this.は「このような終わり方になったことは残念です」であって、謝罪ではない。(sorryという単語が出てくると謝罪だと思うのは間違い。たとえば親しい人を亡くした人に、I'm so sorryというのは普通のことで、悲しみやシンパシーや遺憾の意を表現するのにもsorryは使われる。)テニスの試合の報道でもこのようなことがあるのだから、国際情勢についての報道でどれだけこうしたことがあるのかと思うと、恐ろしい気持ちになる。
日本の報道がある程度「日本贔屓」になるのは仕方ないかもしれないし、日本を代表する選手が勝利したのは、私も単純に嬉しい。でも、今日の展開は、日本人とハイチ人の親のもとで主にアメリカで育った日本代表選手と、スポーツの中でもとくに黒人が入りにくかった歴史をもつテニスで女王の座を築いてきたウィリアムズの対戦だったということで、「国」や「国籍」以上に、歴史的にとても意義深いものだったはず。憧れの対戦相手が苦い思いをする試合となってしまった、観客が新しいスターの誕生を祝福するどころかブーイングまでする(もちろん観客がブーイングしていたのは大坂選手に対してだけでなく、審判やそれが象徴する歴史や体制だけれど)結果となってしまった、そのなかで表彰台に上がり涙する大坂さんを見て、肩を抱いて力づけ、観客に「もうブーイングはやめましょう」と言うウィリアムズ。We'll get through this.という彼女が指すweとは、テニス界を率いたり応援する人々であり、日々セクシズムと闘う女性たちやレイシズムと闘うマイノリティたちであり、このような展開で試合に陰りができてしまった大坂さんと自分のことであろう。そのウィリアムズの姿と言葉に、これが本物の女王だと感じると同時に、マイノリティ女性が次世代のマイノリティ女性を勇気づけて世界の頂点に引き上げる絆と連帯を見て、少し救われた気がした。大坂さんはとても賢く成熟した人間なのは明らかなので、落ち着いた頃に、不公平なことには堂々と抗議するウィリアムズへの憧れをまた強くするだろうし、これから長いキャリアを積んで自らもそのようなロールモデルになるだろう、と期待。

2018年9月1日土曜日

アイオワ、言語、アメリカ、歴史−−柴崎友香『公園へ行かないか?火曜日に』

 友達に薦めてもらい、出版社の人に送ってもらった、柴崎友香『公園へ行かないか?火曜日に』を読了。

 『新潮』その他の文芸誌に掲載されたエッセイを加筆修正してまとめたものなので、章から章へと話が順に展開されていくわけでもないし、話が前後したり繰り返しがあったりするし、各章で扱われているトピックによって、私には共感の温度にだいぶ差があったけれど、それがまた、メモワールとも紀行文とも小説とも評論ともつかぬ不思議な魅力の仕上がりの一要素になっている。

 すべての章の素材となっているのは、アイオワ大学のIWP (International Writing Program)に参加するため、2016年の大統領選に重なる時期に3ヶ月アメリカに滞在した著者の体験。IWPについては、『日本語が亡びるとき』の最初の部分で水村美苗さんが活き活きと描いているし、私の優秀な教え子が博士論文で扱っていることもあって、個人的に興味津々。水村さんのように、長いアメリカ生活経験をもち、英語で会話だけでなく文学作品を読み書きをすることもできるような参加者はともかくとして、世界各国から集まってくる、多くは英語を母語としない作家たちにとって、アイオワでの毎日は実際のところどういうものなのだろう、そこで何を感じたり学んだりするんだろう、と思っていた。舞台芸術や視覚芸術なら、言葉ではなくその芸術媒体を通してコミュニケーションが成立する部分も多いだろうけど、なにしろ作家である彼らの媒体は言葉。共通言語である英語の能力もまちまちだし、お互いの作品をその人の使っている言語で読むことができないなかで、参加者同士の意思疎通はいったいどんなものなのだろう、と単純な疑問を抱いていた。これまでに日本人作家たちも数多く参加してきたらしく、そのほとんどは水村さんと比べると英語力がかなり低いのではないかと想像すると、彼らのアイオワ体験は果たしてどんなものだったんだろう、と、正直言って覗き見趣味的な興味もあった。

 そうした関心にこの作品は大いに答えてくれるだけでなく、他にもたくさん考えたり感じ入ったりする材料を提供してくれた。

 表題作からして、なんとも不思議な雰囲気の文章。気軽でのどかで呑気な散歩に出かけたつもりが、「公園」というものの理解が目の前で覆されることによって、著者の頭の中ではそれが生きるか死ぬかという話に発展し、その体験から、自分とアメリカのあいだ、そして参加者同士のあいだにある、文化や言語ひいては世界観の深く大きな溝を認識するようになる。その洞察の過程が、柔らかくて優しく、そして著者の限定された英語の理解力や表現力をも表している不思議な日本語で綴られていて、そのミスマッチかんがなんともいえない。他の章の文章も、あまり気にせずに読んでいると面白くさらっと読み流してしまいがちなのだけど、よく考えてみると、言葉を介して世界を体験したり表現したりする、ということの意味が、作文上のありとあらゆる選択に込められていて、同じ内容を伝えるにしてもストレートな評論文では実現しにくい効果が発揮されている。

 私にとって一番パワフルだったのは、「ニューオーリンズの幽霊たち」。ここで描かれている、ホイットニー・プランテーションや第二次大戦博物館の展示の様子は、アメリカ研究、とくにミュージアムなどを通しての歴史の表象ということへの私の学問的関心からしても、「そうそう、そうなのだ〜!」と思うことばかりだけれど、それがあくまで個人的な体験や反応という形で書かれているということに、この文章の迫力がある。

 著者は、一般的にアメリカのミュージアム展示というものがお金も知恵も工夫も凝らされて作られているということの理解とそれへのリスペクトをもち、人間として、また作家としての純粋な知的関心も強くもっている。それと同時に、歴史のナラティブというのはどんなものでも特定の人間や集団の視点や立場から作られていて、そのナラティブを受け取るほうもまた、特定の人間や集団の視点や立場からそれに反応する、ということが、そんなよーけごっつい言葉使わんとも(著者の真似して大阪弁で書いてみたけど、私にとって大阪弁は物真似でしかないので、大阪の人はそんな表現はしないかもしれない)、鮮明に伝えられている。米軍の潜水艦と日本の船団との交戦を再生した展示で、自ら発射した魚雷の異常航行で9人の生存者だけを残して潜水艦が沈んだ、という結果を「体験」して呆然とする著者。日本では普通、日米戦争においてアメリカを被害者ととらえる歴史に触れることはないし、しかもアメリカが勝利した第二次大戦におけるアメリカの功績を記念する博物館で、真珠湾攻撃の展示ならともかく、台湾海峡での日本との交戦の展示でアメリカの潜水艦が沈没するのを体験するとは想像していなかった、しかもそれを大学の文学プログラムに招かれてアメリカにやってきた日本人ビジターとして体験するということの位置付けをどのように考えたらいいのか。頭も心もどっと疲れた著者の様子が、ミュージアムを出て路面電車を探すなにげないシーンに見事に描かれている。その文章の中で出てくる、著者の父親についての話も、強烈に印象的で、歴史とは、文化体験とは、ということを別の角度から考えさせられる。

 最終章の「言葉、音楽、言葉」で語られている、大阪弁、共通語、英語についての考察は、水村美苗さんの論とつながる部分もあってとても鋭いと思ったし、この考察のなかで音楽の話、そしてボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の話が入っているのも、とても納得。

 他にもいろいろコメントしたいことはあるのだけど、この本を読んでいると自分が書きたいことがあれこれ出てくるので、そちらに向かうことにします。

2018年3月29日木曜日

日本とのロマンス 『ニッポン放浪記 ジョン・ネイスン回想録』


出たばかりの邦訳を読んでいる友達に、「これは是非読むべき」とすすめられて、2008年に刊行された英語の原著Kindleで購入し、面白さのあまり一気に(先を読み進めたいあまり朝起きてパジャマ姿のまま昼過ぎまでずっと読み続けてしまった)読んでしまったのが、『ニッポン放浪記 ジョン・ネイスン回想録、原題 LivingCarelessly in Tokyo and Elsewhere

私は自分の研究の一環でこの著者が書いたソニーの企業史を数年前に読み、おおいにワクワクし、ある箇所では涙すら流した。企業の歴史を読んで涙するとは想像していなかった。 原著の副題がA Private Life となっているように、盛田昭夫氏や大賀典雄氏をはじめとする、 ソニーを戦後日本の経済成長を象徴する企業に育てていった人物たちに密接に迫り、ソニーの技術や経営そしてグローバル化の過程を内側から人間的に活き活きと描いた本。そしてその著者のプロフィールを見てみると、三島由紀夫や大江健三郎の翻訳を手がけた翻訳者でもあり日本文学者でもある人物で、なんと水村美苗さんともつながりがあるらしい。なぜ文学研究者がソニーの企業史を書くことになったのか、不思議に思ってさらにプロフィールを読むと、この人物、ドキュメンタリー映画の監督、CMのプロデュースなどもしているという。なんとも興味深い人物だなあとは思っていたものの、彼の他の著書はまだ手にとっていなかった。

すすめられてこの回想録を読んで、本当によかった。邦訳の帯に使われている水村美苗さんの文にあるように、「ひたすら面白い」。ニューヨークとアリゾナで育ったユダヤ系アメリカ人の青年が、ハーヴァードで勉強するうちに日本に魅せられ、卒業後1961に初めて日本を訪れて以来、何十年にもわたって日本とのかかわりを深めていく。ネイスンが日本に「深入り」していく時代は、私が今仕上げている日米関係にかんする(それ以上の具体的な内容はまだナイショ)著書で扱っている時代とちょうど重なるので、彼の目から見た日本像を垣間見るのも面白いし、彼が親交をもち一緒に仕事をするようになる、安部公房、大江健三郎、三島由紀夫、勝新太郎、勅使河原宏といった、文学界、映画界の大物たちの仕事ぶり、暮らしぶりが鮮やかに描かれている。文学、芸術、芸能といった世界の巨匠たち特有の、有無を言わせない引力やオーラに、魅了されつつ翻弄されもするネイスン。そしてまた、彼らとかかわることで、ネイスンは自分もまた大きくなった気持ちになりつつ、時に彼らとの距離や自らの立場を目の当たりにして自分を嗤う。受け入れられたい、認められたい、という気持ちが自分に強くあるのに折に触れて気づき、それをごく正直に捉えている。ネイスンは相当大きな身体の人らしいのだが、その身体的サイズと人間としての器量のサイズの差異を、自分で冷徹に受け止めていて、結果的にとても等身大で親近感の湧くネイスンの姿が浮かび上がってくる。

原題を直訳すれば、「東京やその他の場所で軽率に生きる」といったところになろうが、この「軽率」carelessというのがミソ。(この単語の意味するところは「放浪」という日本語でかなり捉えられるので、邦題はなかなかよいと思うのだが、ネイスンが放浪するのは日本だけではなく、ニューヨークやプリンストンやマサチューセッツやカリフォルニアを転々とするのも話の重要な一部なので、「ニッポン」だけに絞られてしまうのは残念だが、日本の読者に向けての本としては仕方ないだろう。) 作品であれ人物であれ、引力のあるものに出会うと素直に惹かれていき、夢中になるうちに大局を見失う。長期的計画を立てないまま興味のあることに没頭する。お金の出入りに無頓着。自分にとって大切な人間関係をおざなりにしてしまう。必然的に巻き込むことになる周りの人間への負担に配慮が回らない。などなど、彼が「軽率」であったからこそ 彩り豊かで波乱万丈な人生。それを大いに楽しみながらも、その過程で失ったものに気づき、落胆し、反省し、哀しむ。その感情の旅程を、読者もともに辿りながら、ネイスンという人間にも近づき、そして日本という社会を他の人間の目から見直すことにもなる。

男性アメリカ人の日本研究者は、日本人女性を妻にもつ人がとても多く、ネイスンも、まるで筋書き通りと言わんばかりに、まゆみさんという素敵なアーティストと結婚する。出会い、恋愛、そして結婚へのふたりの真剣で真摯な姿勢、ネイスンが彼女の家族に受け入れられていく過程は、読者の心も熱くさせる。その幸せな結婚生活はいずれピリオドを打つのだが、その原因の大きな一部であった自らの「軽率さ」をネイスンは冷静に振り返る。結婚生活はずっとは続かなかったとはいえ、まゆみさんも彼との関係を通じて大きな世界に出会い、そのなかで自分を模索し見出していったのだろう、ということが想像でき、そして、別の女性と結婚した後でも、ネイスンはまゆみさんのことを心から愛し続けているのだろうということが伝わってくる。

私にとって一番胸に突き刺さったのは、ネイスンがソール・ベローに言われた一言。それがずっと引っかかって、ネイスンはかなり長い間日本と意識的に距離をおくようになる。この部分は本当に胸が痛んだ。東洋に傾倒する西洋人の眼差しを、オリエンタリズムとかエキゾチズムズムとかと批判して片付けるのは簡単。でも、ある程度の知性と感性をもった西洋人であれば、サイードを持ち出すでもなく、東洋に対する自らの姿勢や立場を理解したうえで、自分が愛するようになった文化や社会とどのように関わっていくか、もがきながらさまざまな形で模索し続けているのだろう。異文化を専門とする生涯をあえて選択している人を軽んじてはいけない。

私が夢中になって読んだソニーの企業史の本についての記述は、該当書を読んだだけではわからない、刊行後の顛末が明らかにしていて、「うーむ」と唸らされた。このプロジェクトだけでなく、勅使河原宏との映画製作にしても、勝新太郎を追ったドキュメンタリー監督にしても、三島由紀夫や大江健三郎の翻訳にしても、ネイスンは相手の信頼や親愛を獲得する人並外れた才能とパーソナリティがあることが感じられるいっぽうで、生身の人間を題材にして作品を創造するというということの複雑さが身に沁みる。

アメリカの大学で仕事をしている私としては、映画やCMの事業が経営破綻に陥ってからネイスンが学界に戻る決意をし、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のポジションの面接を受けるくだりも面白かった。異文化研究(アメリカにおいて当然日本研究は「異文化」研究だ)の分野においてはとくに、彼のような経歴と背景をもった人物が研究や教育に携わるのは重要なことだと思う。しかし、日本と比べても、アメリカの学界というのは、学問のディシプリンを重んじる傾向が強く、また、アカデミアが独立した「界」として存在している。そのぶん、彼のような人間にとってアメリカの大学は必ずしも居心地の良い場所ではないのではないかと思う(だからこそアメリカのアカデミアにおいてこれ以上良い環境はないとすらいえるプリンストンの職を自ら去ったわけだし)し、彼のような非正統的な道程を辿ってきた人間を疎ましく思う研究者も周りにはいるだろうと想像する。それでも、家族を再び根こそぎ新たな環境に移植し、翻訳や研究そして教育という行為に情熱を向け、新たな人生を歩もうとする彼の決意に、ドキドキワクワクする。

最終章を読んで驚いたのだが、私がかつて研究の一環として調査しようと思っていた、「現代日本文学の翻訳・普及事業」(JLPP)は、なんともとはネイスンの発案だった!それはなんとも興味深い発見だったのだが、彼がその企画の概要を作ってからの展開が、あまりにも日本的でガックリする。そして、その最終章は、ネイスンが日本滞在の最終日にひとりで高尾山を登りに行き、楽しそうにする人々の姿を見ながら、「自分はこれまで日本でいったい何をしてきたんだろう」と疎外感、孤独感、無力感を感じるシーンで終わっている。彼とは逆に何十年もアメリカにかかわってきた日本人として、涙が出そうになるし、また、彼にこんな思いをさせるきっかけを作ったのが、自民党政治と文化庁の官僚体制だと思うと、日本を代表して「申し訳ありませんでした」とネイスンに頭を下げたくすらなってくる。

この本を読むようにすすめてくれた友達が、途中で気づいて教えてくれたのだが、邦訳バージョンには、原著が刊行された後で書かれたエピローグがついている。これこそ私が読むべきだ、とその友達がPDFにしてわざわざ送ってくれた。たしかに、このエピローグを読んで大いに救われる気持ちになった。漱石の作品との「再会」、そしてそれを通じて水村美苗さんとの出会いを経て、ネイスンは日本文学そして翻訳への情熱を新たにするのだが、その過程は、まるで恋愛小説の新たな一章を読むようで、こちらの心も熱くなる。

そう、この回想録は、ネイスンと日本の恋愛物語なのだ。そして、恋愛物語は近代小説の根幹である。次々と出てくる具体的なネタがあまりにも面白いので、「どうなるんだろう」とついどんどん先を読み進めてしまうけれど、この本を文学作品としてもう一度じっくり読み直してみたら、きっといろいろな発見があるのではないかと思う。

そして、 彼の書いた三島由紀夫の伝記はとくに、そして明るい陽のあたることのなかった彼の小説も含め、彼の他の著書をすべて読んでみたいし、彼の作った映画も観てみたい。彼に私の本を映画化してもらったらどんなに面白いだろう、などと妄想が膨らむのだが、この本をすすめてくれた友達曰く、この本を読むと、妄想することからチャンスは生まれる、ということがよくわかる。たしかにそうだ。私はお金にかんして小心者なので、ネイスンのような生き方はできないけれど、妄想するのに必要なのは夢と理想だけでお金はいらない。どんどん妄想しよう。

2018年2月7日水曜日

高坂はる香『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を読む

たいへんご無沙汰の投稿になってしまいましたが、高坂はる香さんのホヤホヤ新刊『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を読了しました。

はる香さんとは、2009年にテキサスでクライバーン・コンクールを取材した時に知り合いました。プロの音楽ライターとして世界各地のコンクールを取材している彼女と違って、私は取材目的でコンクールを見学したのはその時が最初で最後でしたが、若い音楽家たちが人生を賭けた演奏を3週間にもわたって連日聴くという濃厚な体験を共有すると、他ではあまりない連帯感が生まれるもので、それ以降もおつきあいが続いています。そんなわけで、はる香さんが中村紘子さんの評伝を書いているということはフェースブックで前から知ってはいたのですが、刊行早々にはる香さんご本人から送っていただき、届いたその日から一気に読んでしまいました。

最初に告白しておくべき点は、著者がはる香さんでなかったら、私はおそらくこの本を手に取っていなかっただろう、ということです。というのは、私がせっせとピアノに向かっていた子供時代から、「日本のピアニスト」=「中村紘子さん」というくらい彼女の知名度は高かったにもかかわらず、私はピアニストとしての中村紘子さんに興味を持ったことがなかったのです。子供時代から大学時代まで、それなりにコンサートに出かけたり録音を聴いたり演奏のテレビ中継を見たりはしていたのですが、中村紘子さんにかんしては、生演奏を聴きに行ったこともなければ、レコードやCDを買おうと思ったこともないし、テレビで演奏を観た記憶もほとんどないという始末。それは一体なぜだったんだろうと考えながらこの本を読んだのですが、読んでいるうちに、音楽をある程度やっていたにもかかわらず中村紘子さんに興味を持たなかったという人間は私だけではないらしい、ということもわかり、となるとますます、それは一体なぜなんだろう、という気持ちが膨らんでくる。そして読み進めるうちに、あれはもしかしたらこういうことだったのかも、といろいろな思いが浮かんできて、実に多くのことを考えさせてくれる、素晴らしい本でした。

なんと言っても、はる香さんの、冷静でありながら常に温かい視線、対象への リスペクトとシンパシーを持ち続けながら、そして取材・執筆の過程でそうした思いを強めながらも、単なる偉人伝にならない分析的な著述に、感動し、多くのものを学びました。あれだけ影響力の大きかった有名人が亡くなって間もない時期に評伝を書くというのは、いろんな意味で難しいと思うのですが、そうした距離感も見事だし、中村紘子さんとはる香さん両方の人間性が滲み出る文章になっています。

本で扱われているテーマは、紘子が「中村紘子」になるまでの生い立ちや教育(こういう細かい点についての執筆者としての悩みがよくわかるので、読みながら思わずはる香さんにメッセージを送ってしまいましたが、第1章では「紘子」、第2章以降では「中村紘子」で通す、という選択に、「そうだな〜、きっと私もそうするだろうな〜」と思いました)、 プロの演奏家としてキャリアを確立する過程、レパートリーや演奏スタイル、業界でのリーダーシップや社会でのアドヴォカシー、日本そして世界におけるピアノ界の現状と将来など。そして、中村紘子さんの道程を辿ることで、戦後日本の社会や経済の歩みが鮮やかに伝わってくる。情報豊かでかつとても読みやすく親しみやすい文章で、ピアノがとくに好きでなくても「中村紘子」という名前やその顔(カレーのCMを通じてでも)を知っている人なら大いに興味を持って読める内容になっています。

実に自分勝手な読みかたではあるけれど、私が読みながら個人的にとくに気づかされたこと、考えさせられたテーマがいくつかあります。

その最大の点は、子供時代から成人期にかけての私にとって、「中村紘子」とは、「日本人」「女性」「ピアニスト」というカテゴリーの円が重なった部分を象徴した存在だったのだ、ということ。(以前の投稿で書いた「インターセクショナリティ」という概念の議論で「ピアニスト」というカテゴリーが出てくることはあまりないけれど、それを入れて考えると、私にとっては非常に納得がいく。)「日本人」「女性」「ピアニスト」というそれぞれのカテゴリーが何を指すかは、中村紘子さん自身の意識や生き方とは別個に、社会や文化によって構築された意味づけによるものだけれど、中村紘子さん本人も、時にはそれを意識しながら、時にはそれに反発しながら、日本人であり女性でありピアニストである自分のあり方を模索しながら堂々と生き切った人物であった、ということがよく伝わってくる。

とりわけ、女性としての中村紘子について書いた部分が私にはとても興味深かった。

私があるとき、きわめて意識的に、音楽大学を受験しない決意をした理由の大部分は、フェミニストとしての意識が芽生えつつあった私にとって、「音大生」(当時の私にとって「音大生」といえばピアノ科や声楽科の女子学生と同義だった)や「ピアニスト」、あるいは「ピアノの先生」という言葉から浮かぶ女性のイメージが、まるで魅力的でなかったから、というのが正直なところ。音大生やピアニストがフェミニストではないなどという根拠はゼロだし、そんなことで音大進学をやめるくらいだったら音楽への思い入れはそれほどなかったのだろうと言われれば、「おっしゃる通りでございます」としか答えようがないのだけど、実際にそうだったのだから仕方がない。とにかく当時の私には、音大生といえば、長い髪をクルクル巻きにして、お姫様ドレスを着て、ピアノにしなだれかかって写真を撮り、家柄も学歴も収入もよい婚約者がいる、といったイメージしかなかった。子供時代はそのイメージに憧れたことも(少しだけ)あったのだろうが、桐島洋子やら(この本で中村紘子と桐島洋子の対談が引用されているのが面白かった)ボーヴォワールやら(桐島洋子とボーヴォワールを同列に論じることができたのは中学生の強みである)を読んで、自立した女性として生きる決意をしていた私には、そのイメージが日に日に気色悪いものに感じられるようになっていったのだった。そして、その頃は(というか、二日前までは)具体的に意識したことはなかったけれど、その漠然と抱いていたイメージ形成に、中村紘子さんはかなりの影響力を及ぼしていたのではないだろうか、ということ。常識的に考えても、そしてこの本を読んでも、中村紘子さんが「自立した女性」であったことは明らかだし、私の人生の選択を中村紘子さんで説明するつもりはまったくないけれど、この本を読んでいるとなんだか妙に自分の人生が理解できた気がしたのです。

もう一点考えさせられたのが、「日本人」ピアニストということの意味。N響世界公演やクライバーン・コンクール出場の際、外務省の要請あってなんと振袖姿でコンチェルトを演奏したという時代、東洋の後進国がよくこれだけ西洋音楽を演奏するものだと感心された時代に、ピアニストとしてのキャリアを築いた中村紘子。そして、ジュリアードで勉強し国際コンクールで上位をおさめ海外での演奏経験も積みながら、結局は日本を拠点とすることを選んだ中村紘子。読みながら、彼女がキャリアを築いた時代はもちろんだけれど、現代でもやはり、どんなに才能のある人物でも、クラシック音楽の世界において、日本を拠点とし続けながら国際的に認知される演奏家として活動を続けていくことは、驚くほど難しいのだろうということを再認識する。(実際、日本国内ではあれほどの有名人であった中村紘子さんは、日本の外では音楽界でもほとんど無名。あれだけ各地でコンクールの審査員を務めていたから、コンクール関係者のあいだではよく知られていただろうけれど、演奏家としての中村紘子という名前を知っている人は珍しい。)若い頃から海外からr来日する音楽家の指導を受けたり 国際コンクールに出場したり留学したりして、国際的な場で多様な研鑽を積むことは、今ではそう珍しいことではないし、そもそも、どこの出身の音楽家であれ、演奏家として食べていくためには年の大半を家から離れて街から街へと旅しながら 公演をしなければいけないのだから、帰る家がどこの国であろうと理論的には無関係なような気もする。それでも、日本に拠点を置いたまま国際的に演奏活動を続ける音楽家がほとんどいないことを考えると、やはり世界的音楽市場へのアクセスというのはまだまだ不均衡なのだろう。

そうしたことを十二分に認識・経験しながら、あえて日本を活動の基盤とすることを選び、日本のピアノ界を牽引することをミッションとして生きた中村紘子。浜松国際ピアノコンクールやアカデミーでの彼女の役割については知っていたし、私が唯一中村紘子さんに会ったのは8年前に研究の一環で見学に行った文化庁のとある審議会で 彼女が発言していたのを見たとき(そのときに、簡単に自己紹介してクライバーン・コンクールについての私の著書を差し上げたのだが、いきなり話しかけた私に温かくかつ驚くほど率直な話をしてくださった思い出が、この本に描かれている中村紘子像とよく重なる)なので、その役割はなんとなくわかっていたつもりだった。でもこの本を読むと、小さな地方都市に公演に行っても、演奏をしてさっさと帰ってくるだけでなくその場所の音楽文化を育てることに貢献しようと積極的にかかわる姿とか、音楽大学に教授職をもたないまま日本の音楽教育にさまざまな提言や問いかけをする行動力とか、若い音楽家をときには泣かせてしまうほどの真剣な指導とか、その影響力は私が想像していたよりずっと大きかったのだということがわかった。次世代を育てる、自分の後に残るものを築く、ということについて、自分ももっと意識的に考えて注力しなくては、と素直に思わされた。

他にも、ハイフィンガー奏法への批判(私はまさにそのハイフィンガー奏法で教わった日本人生徒の典型です)とか、左手でショパンの幻想即興曲を弾きながら右手でスクランブルエッグを作る映像(これについてのはる香さんの記述が絶妙で思わず拍手)とか、庄司薫との結婚生活とか、コンクールの人間関係とか、コメントしたいことはたくさんあるのですが、キリがないのでこのあたりでおしまいにします。いろんなことを感じたり考えさせたりさせてくれる、とっても満足度の高い一冊ですので、みなさん是非ご一読を。
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