2013年9月29日日曜日

海を渡るキティちゃんの「ピンク・グローバリゼーション」

あるジェンダー研究の学術誌に書評を頼まれて読んだのが、ハワイ大学の同僚Christine R. Yanoによる、Pink Globalization: Hello Kitty's Trek Across the Pacific。その名のとおり、ハロー・キティの世界的な人気の意味を探る、文化人類学そしてカルチュラル・スタディーズの手法を使った研究。私は小学生の頃はキティちゃんを可愛いと思ったけれど、今ではむしろ不気味に感じるし、大のおとながキティちゃんグッズを持っているのを目撃すると、まったく大きなお世話ながら「アホかいな」という気持ちにすらなる。こういう子供向けのキャラクターが、銀行の通帳だの飛行機の機体だのについているのを見ると、腹立たしくすらなる、というのが正直なところ。で、いくら研究書とはいえ、わざわざハロー・キティ(「キティちゃん」とまるで知り合いかのような呼び方をしなければいけないことすら腹立たしい:))について勉強するために自分の貴重な時間を割こうとは思わないのですが、著者のChrisは、なにしろ私が心から尊敬する、知性と感性と文章力がピカイチの人物で、これまでの著書(彼女と私は同じ年にハワイ大学に就職したのですが、私が研究書を2冊出すあいだに彼女はすでに4冊出している)もすべて拍手したくなるほど素晴らしいので、書評を頼まれたのを機に読むことにした次第。

いや〜、さすがChris。この白くて丸くてピンクのリボンをつけたネコから、こんなに多くのことを考えさせられるとは思いませんでした。かといって、この本を読み終わった私が、じゃあこれからキティちゃんグッズを店で買うかといったら答は大きな「ノー」ですが、ハロー・キティのもつ意味をもっと多面的に考える機会になったことは確かです。このネコを通じて、ジェンダー規範や性、人種のステレオタイプ、消費主義と表現の自由、芸術の創造性と企業のマーケティング戦略、政府の文化政策と企業や消費者の論理など、実にさまざまな大きなテーマを考えさせられるのです。

著者がこの本で枠組として使っているのが、「ピンク・グローバリゼーション」という概念。「『カワイイ』とされている商品やイメージが、日本からアメリカなどの先進国へと国境を越えて広がること」と著者は説明します。この独特な形のグローバリゼーションは、いろいろな意味で「典型的」なグローバリゼーションの常識や流れを揺さぶるもの。まずは、ポスト・フェミニズムの時代において、「カワイイものはカッコいい」とするこの独自の美学は、いわゆる「ピンク」なもの—つまり、可愛らしく、女性らしく、性的で、情感に訴えるもの—を、女性の重要な一部として賛美する。そして、女性(また男性も)はその「カワイイもの」を武器として、さまざまな自己表現をしたり社会への問いかけをしたりする。("Pink is the new black"だそうな。)ほほう。そしてまた、白人西洋社会から世界の他の地域へと流れる「グローバリゼーション」と違って、キティちゃんの「ピンク」なグローバリゼーションは、日本を出発点として、アメリカやラテン・アメリカ、アジアの他の地域などへと広がっている。しかし、このピンク・グローバリゼーションが従来の世界力学を覆しているかというと、そういうわけではない。ミッキーマウスやバービー人形、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドのおじさんなどのキャラクターが、そのキャラクターを超えてその背景にある「アメリカ」のライフスタイルや経済・文化を象徴するようになっている(そして世界が一面的に「ディズニー化」「マクドナルド化」するのを批判したりおそれたりする人たちがいる)のとは対照的に、キティちゃんがいくら世界で人気だからといって、それを日本による世界制覇の象徴とみて脅威を感じる人は少ない。キティちゃんのグローバリゼーションは、白人西洋中心の文化的ヘゲモニーを揺さぶるものではないのだ。なにしろ、キティちゃんの苗字は「ホワイト」で、キティちゃんとその家族はイギリスに住んでいて、キティちゃんはピアノとテニスが趣味で、ディア・ダニエルという名前のボーイフレンドがいるのだから。

著者は私が感心する名エスノグラファーで、インタビューで人から面白い話を聞き出すのが実に上手なのだが、この本でもそれが明らか。ハロー・キティのファンや収集家、キティちゃんをテーマにした作品を作っている各種メディアのアーティスト、サンリオの日本本社そしてアメリカの支社の代表者などとのインタビューをふんだんに盛り込みながら、ハロー・キティがもつ実に多様な意味を披露すると同時に、キティちゃんのピンク・グローバリゼーションを、より大きな歴史的・政治的・経済的な流れのなかに位置づけます。キティちゃんのファンは、少女たちだけではない。とくにアメリカでは、女性もいれば男性もいる。アジア系アメリカ人もいればヒスパニック系の人もいる。メディア・パーソナリティもいれば会社員もいる。パンク・ロッカーもいればポルノ女優もいる。ゲイの男性もいればレズビアンもいる。そして、みずからも異常と認めるほどキティちゃんグッズにお金や時間をかける人たちもいるいっぽうで、キティちゃん(が象徴するもの)を激しく批判する人たちもいる。キティちゃんの「可愛らしさ」を、幸せ、無垢、親密さなどの象徴とみる人たちがいるいっぽうで、幼稚さ、無力さ、人種や性のステレオタイプ、商品フェティシズム、少女や思春期の女性を消費者として狙い撃ちにする企業文化の象徴とみる人たちもいる。キティちゃん反対論者の多くは、キティちゃんには口がない、という点をとくに問題視する。口がないということは、声を発するすべを持たない、ということであり、アジア女性を無口で従順な存在とするステレオタイプを強調するものだ、という見方である。このように、キティちゃんが内包する「意味」は、実に多様で曖昧で相矛盾するものであり、著者はどの見方に軍配を上げるでもなく、それぞれを丁寧に読み解いていく。

著者の分析においてとくに重要なのが「遊び」と「ウィンク」という概念。ハロー・キティをこよなく愛する人も、痛烈に批判する人も、キティちゃんとのかかわりかたはきわめて意図的なもので、キティちゃんを通じて、消費主義、キッチュの美学、商品フェティシズムなどに対して、遊び心いっぱいに片目でウィンクしながら挑戦を投げかけている。こうした「ウィンク」のもつ先鋭性に、著者はピンク・グローバリゼーションの威力をみる。しかし、それと同時に、著者は、ピンク・グローバリゼーションの限界も見逃さない。消費者やアーティストたちが、キティちゃんを手に取り援用して独自の声を発し、さまざまな挑戦をしかけるいっぽうで、サンリオという企業は、そうした援用をさらに企業のマーケティング戦略に巧みに取り込んでいく。また、小泉首相が提唱した「クール・ジャパン」キャンペーンの一環で、キティちゃんをはじめとする「カワイイ」日本のキャラクターが「ソフト・パワー」外交の親善大使として使われるようになる。このような流れのなかで、創造性とキッチュ、芸術と商業、転覆と収斂、ピンクとブラック、そうした境界はきわめて曖昧なものである、ということを示して、「ピンク」や「ウィンク」のもつ可能性と限界の両方を露呈するのです。

ニューヨークのパーク・アヴェニューの企業オフィスの明かりがほんのりと光るだけの夜の暗闇を背景に、巨大な真っ白のキティちゃんの人形が空を浮いている画像の上に、ピンクの帯がタイトルを縁取っている表紙。「ピンク」と「ブラック」と「ホワイト」が象徴するものの相関関係を探る研究書の表紙としては、なんとも見事なデザインであります。

2013年9月22日日曜日

デジタル時代のリベラル・フェミニスト、シェリル・サンドバーグ

先日のハーバード・ビジネススクールについての投稿のなかで、Facebook社の最高執行責任者(COO)であるシェリル・サンドバーグ(Sheryl Sandberg)の名前をちらっと出しました。ある企画のために、彼女についての文章をちょうど書いたところだったのですが、ワタクシの勝手な事情で、その企画を当面棚上げということにしていただいたので、せっかく書いた文章を発表する場がなくなってしまいました。ボツにするのももったいないので、ちょっと長いですが、ここに掲載いたします。もとの企画というのは、『現代アメリカ女性25人』(仮題)、つまり、現在さまざまな分野で活躍する女性25人にについて、ちょっと突っ込んだ形で紹介する、というものだったので、そういう文脈でサンドバーグについて書いています。
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エリートとしての出発

 20133月に米国で発売され即座にベストセラーになったサンドバーグの著書、『Lean In: Women, Work, and the Will to Lead 』(邦題『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』)は、書店に並ぶ前から各種メディアで 大きな話題を呼んでいた。 サンドバーグは21世紀アメリカ女性のリーダーである、と賞賛する人々がいるいっぽうで、サンドバーグはアンチ・フェミニズムの象徴である、などと痛烈な批判をする論客も多く現れた。そのくらい、サンドバーグという女性の存在は大きい。じっさい、サンドバーグは2012年には『タイム』誌の「世界でもっとも影響力をもつ女性100人」のひとりに選ばれている。
 サンドバーグの「本職」は、とりわけ女性が入り込みにくいIT産業における企業経営であるが、彼女がこの業界に入ったのは2001年のことであり、それ以前は、経済政策に携わっていた。1991年にハーバード大学を経済専攻で卒業し、指導教授であったローレンス・サマーズ(Lawrence Summers)に引き抜かれ、世界銀行でインドの医療関係のプロジェクトに取り組む、というのが彼女の社会人としての仕事の第一歩であった。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得したのちは、マッキンゼー・アンド・カンパニーで経営コンサルタントを1年ほど務めたが、その後1996年から5年間にわたり、クリントン政権下で財務長官となったサマーズの首席補佐官となり、アジア諸国の金融危機の際の負債の取り扱いにかかわった。
 このように、サンドバーグの社会人としての出発 において、サマーズが大きな役割を果たしている。サマーズは、ハーバード大学総長就任中に、経済調査局での講演で「科学や工学で女性の功績が少ないのは、男女間に生まれつきの資質の差があるからではないか」との発言をして議論を巻き起こし、その他の騒動も重なって、総長辞任に追い込まれた経験をもつ人物である。サンドバーグは、この騒動にかんして、「サマーズの発言は本人も後で認めているように、たしかに不適切で感性に欠けたものだったが、彼のこれまでの実績からも、彼はつねに女性の地位や経済的自立の向上に献身している人物であることは間違いない」、と擁護している。

シリコン・バレーに乗り出す女性パイオニア

 2000年の選挙で民主党が敗退した後、サンドバーグは「世界の情報を自由に入手可能にする」というミッションに惹かれたサンドバーグは、西海岸のシリコン・バレーに移った 。政府機関や大企業での経歴を積んできた彼女が、西海岸の若者文化と男性優位のIT産業の体質に馴染むことができるかどうか、疑問を呈するものもいたが、サンドバーグは2001年にグーグル社に入社し、同社の広告・出版関連商品の販売やグーグル書籍検索の運営販売を担当し、副社長の地位についた。今でも女性の進出が少ないIT業界でこうしてリーダー的立場に立ったサンドバーグは、2007年のクリスマスパーティでFacebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)と出会い、以後数ヶ月にわたって、連夜遅くまで話し込む関係となった。
 20083月、Facebookはサンドバーグの採用を発表。当時、ワシントン・ポスト社のシニア・エグゼクティブの職を検討していたサンドバーグにとって、グーグル社から2004年に数人の大学生によって創設されたばかりのソーシャル・ネットワーク・サイトであるFacebookに移るのは、大きなリスクを伴うものであった。
 サンドバーグが入社した当時のFacebookは、「いいサイトを作れば利益はしぜんについてくる」という原理で動いており、利益追求についての明確な方針をもっていなかった。そうしたなかで、サンドバーグの指揮のもとFacebookは広告収入拡大の方針をとることで、2010年から収益をあげる企業となった。同社によると、サンドバーグは、販売、マーケティング、ビジネス開発、人材開発、コミュニケーションなどにかかわるビジネス運営を司っている。
 20136月時点で、Facebookは世界で699百万人のユーザーが毎日利用し、そのうちの約80パーセントが北米以外の地域在住という、まさにグローバルなソーシャル・ネットワーク・サイトとなっており、その影響力は友達同士のコミュニケーションを超えて、国際政治にまで及んでいる。しかし、Facebook20125月にNASDAQ証券取引所で新規株式公開をしたものの、その株価は低迷を続け、公開価格と同じ水準まで回復するのに1年以上の期間がかかっている。また、個人情報のセキュリティ管理について批判の声もあがり、「時の人」であるザッカーバーグは何度もFacebookの方針を弁護したり改めたりする立場に立たされてきている。そうしたなかで、経営手腕とともに政府や公的機関での職歴をもつサンドバーグの視点と能力は、Facebookに重要な役割を果たしているといえるだろう。

『リーン・イン』のメッセージ

 サンドバーグが、IT業界を超えて広く注目を集めるようになったのは、女性の社会進出にかんするテーマで講演や執筆活動をするようになってからである。グーグル勤務中の2004年に長年の親友であったデイヴィッド・ゴールドバーグ(David Goldberg IT業界の起業家で、現在はオンライン調査会社のSurveyMonkeyの取締役を務めている)と結婚し、翌年第一子を出産したサンドバーグは、自身のライフワークバランスの問題に直面するようになった。グーグルに勤める周囲の有能な女性が多くの場合出産後に仕事を辞めてしまうのを目の当たりにし、また、採用時には男女が同等に仕事を始めるにもかかわらず、何年かたつと男性のほうが積極的に新しい大きな企画に取り組み昇進していくようになる様子を見て、サンドバーグは働く女性をめぐる問題意識をもつようになり、女性のキャリアやライフワークバランスについての講演や執筆をするようになった。
 とくに、201012月に、多様な分野のリーダーたちの講演会を企画運営するグループTED (Technology, Entertainment, Design)で、「“Why we have too few women leaders”(なぜ世の中には女性のリーダーが少ないのか)」というタイトルの講演をし 、また翌年5月にはバーナード大学の卒業式で同様のテーマの講演をして大きな話題を呼んだ。 両方においてサンドバーグは、後に著書のタイトルとなるlean in、つまり、「前のめりになって一歩を踏み出す」ということの重要性を強調した。
 現代の若い女性が、母親や祖母の世代と比べるとずっと幅広い機会や権利を与えられているにもかかわらず、依然として社会全体においてリーダーシップを握る立場にいる女性が少ない理由の一部は、女性たち自身の姿勢や選択にある、というのがサンドバーグのメッセージの核にある。
 まず、有能で野心のある女性でも、多くの場合 、仕事につく時点ですでに男性に遅れをとる。職をオファーされた男性の57パーセントは、なるべく高い給与で採用されるよう積極的に交渉するのに対して、同様の交渉をする女性は7パーセントしかいない。入社後も、男性が自分の業績や企画をアピールして昇給や昇進を要求することはごく普通のことで、そうした姿勢は能力の一部として評価されるのに対して、同じような行動をする女性は「傲慢だ」「攻撃的だ」と受け取られがちで、女性自身もそうした行動をしないことが多い。結果的に、 仕事を始めてから数年のうちに、同レベルの能力や業績をもつ男女のあいだで、給与や役職に明らかな差が出る。職場の日常的な場面でも、女性は無意識のうちに男性よりも一歩後ろの位置に自分を置きがちである。重要な人物と席を共にする会議のときに、 誰に言われるでもなく、女性は後ろの席に座って「聞く側」に自らを置くのに対して、男性は真ん中のテーブルの席について積極的に発言しようとする。講演会で質疑応答の時間に、質問をしようと手を挙げているときに、「質問はあとひとつだけ受け付けます」と言われると、たいていの女性は挙げていた手を下ろしてしまうのに対して、男性は最後まで手を挙げ続ける。 そうした姿勢が、社会における男女の位置づけに大きな違いをもたらしている、と指摘するサンドバーグは、女性はまず職場において、自分の存在をアピールし、堂々と発言する立場の人間であるということを、周囲に明確にする必要がある、と主張する。
 またサンドバーグは、多くの働く女性は、出産時に一時的に職場を離れるが、実際に産休に入る前から、大きな企画への参加をためらったり、責任ある役割を辞退したりして、自ら一歩後ろの立場に下がってしまう場合が多く、それが業績 に反映され、出産後の職場復帰を困難にする結果になる、とも指摘する。このような傾向が、長期的に女性の活躍を妨げ、社会全体における女性進出を遅らせている、と観察するサンドバーグは、女性は、選択する職種や生き方にかかわらず、社会に出るときからずっと、全力を投球して、前のめりの姿勢で、仕事に向かうべきだ、と唱える。
 女性が社会で重要な役割を果たせるためには、家庭において男女が真に平等に役割分担をする「本物のパートナー」を選ぶ必要がある、というのもサンドバーグの重要なメッセージのひとつである。きわめて恵まれた境遇にある自分と夫にとっても、日々の子供の送り迎えから食事にいたるまで、仕事と子育ての両立は複雑であるというサンドバーグは、家事や子育てを平等に分担し、 仕事の上でも人生全般においても、相談相手かつ親友でいてくれる相手を伴侶としなければ、女性が仕事に全力投球することは難しい、と説く。
 さらに サンドバーグは、「メンター」の重要性 についても強調する。「メンター」とは、自分を指導したり相談にのったりしてくれる先輩で、かつ、自分を応援し後押ししてくれる後見人のような立場の人間を指す。プロフェッショナルな世界で仕事をする男性は、職場の人脈のなかでしぜんにそうしたメンターを何人ももつようになるのに対して、男性多数の環境で働く女性は、自分にとってのロール・モデルとなる人物が少なく、メンターとしての役割を演じてくれる人を見つけるのが難しい。しかし、メンターをもつことが重要だからといって、 忙しい先輩にむやみと「メンターになってもらえますか」などとアプローチするのは見当違いである、というのがサンドバーグの冷静なアドバイスだ。メンターというのは、お願いしてなってもらうものではない。真面目にいい仕事をしていれば、見ている人はちゃんと見ていて、後進を育てるためにすすんでメンターの役割を買って出てくれるものである。自分がお手本としたいような先輩に出会ったら、その人物に認められるようないい仕事をしながら、その人物の時間や労力を無駄にしない効率的な形で、積極的に質問や相談をもちかける。そうしているうちに、しぜんと自分の味方になってくれるメンターができる、という。
 
サンドバーグの「フェミニズム」が呼ぶ批判

 現代アメリカのビジネス界でもっとも成功している女性のひとりであるサンドバーグのこうしたアドバイスは、すべて職場や文化の現実に即していて実際的であり、女性に意欲と勇気を湧かせると同時に、自分自身の意識や行動を振り返させるものである。では、サンドバーグが熱烈なファンを集めるのと同時に、彼女が現代アメリカのフェミニストとして持ち上げられることを痛烈に批判する人たちが多いのはなぜだろうか。
 サンドバーグに向けられる批判は、いくつかの点にまとめられる。
 ひとつは、サンドバーグのような例外的なエリートが論じる「女性解放」は、一般女性の現実に適用できるものではなく、彼女のような人物が女性の「代表」としてフェミニズムを論じるのは問題である、という説。アメリカの政・財・学界でもっとも影響力をもつ人物であるサマーズの愛弟子としてハーバード大学を卒業し、官民ともにおいて強大なコネクションをもち、Facebookの株が公開されてからはアメリカの財界で最大の富をもつ女性のひとりとなった(2013年時点で、サンドバーグのFacebookでの基本給は328千ドル、ボーナスは277千ドル、それに加え、株公開による彼女の収入は846百万ドルと想定されている)サンドバーグが、たいへん恵まれた立場にいることは間違いない。 公的な医療保険制度がじゅうぶんに整備されておらず、育児休暇や保育制度においてほかの先進国よりずっと遅れをとっているアメリカにおいても、サンドバーグのような人物は、財力や人脈によって日常生活の多くの問題を解決することができる。そのような人物は、職にありつけず生活に困窮する女性、解雇をおそれて職場での不当な扱いに抗議することができない女性、子育てや介護をしながら仕事をする女性の現実を理解することができない、という論である。
 また、女性が自らの意識や行動を変える必要がある、と説くサンドバーグは、法的制度の不備や、文化的偏見、差別といった女性にとっての障壁を問題にするのではなく、女性自身を批判している、つまり、「被害者を責める」アプローチをとっている、という批判もある。たしかに、サンドバーグの講演や著書の重点は、制度的な問題よりも、女性自身の態度に置かれており、「女性がじゅうぶんな社会進出を果たしていないのは、女性自身に問題がある」というメッセージを読み取る読者が少なくないのも不思議ではない。そうした論者は、女性が必要としているのは、自身の意識や行動の変革ではなく、雇用の安定、 正当な給与、保育制度、心身の安全などである、と強調する。
 「私はいつも、自分が社会運動を運営する、具体的には非営利団体で仕事をすると思っていました。自分が民間企業で仕事をするようになるとは思っていませんでした」と語るサンドバーグの、「社会運動」や「フェミニズム」のビジョンを疑問視するものも少なくない。社会運動とは、誰かが「運営」しようと思って上から起こすものではなく、人々が草の根から集まって生まれるものである。また、社会運動としてのフェミニズムが目指すものは、女性の個人的充足や幸せではなく、権利の平等、機会の均等、心身の安全と健康、経済活動の健全、福祉制度の整備などといった社会正義を追求することであるはずが、サンドバーグ版のフェミニズムでは、「女性の問題」は、職場における発言力やライフワークバランス、個人の充足感の問題に還元されている、という批判である。
 さらに、「(女性の仕事についての問題を)真剣に取り上げようというのであれば、まずFacebook社で清掃士をしている女性たちが、毎月どれだけの給与を受け取っているのか、彼女たちには年金が与えられるのか、有給休暇はあるのか、どんな保育制度があるのかを、訊いてみるといいだろう」という例にみられるように、サンドバーグの主張と、自身の職場における女性の扱いの矛盾が取り上げられることもある。2013年には、サンドバーグが主催する財団LeanIn.Orgのスタッフが、 ニューヨーク事務所で 無給のインターンをFacebook上で募集したところ、「財団の活動にはおおいに賛同するし、そうした活動にかかわって経験を積みたい女性は数多くいるが、とくにニューヨークのような物価の高い都市で長期間無給で仕事をしながら生活できるような女性は、ごく限られた裕福な人たちだけであって、こうした経験を積む機会を実質的にそうした人たちに限定するのは、女性の社会進出を主旨とするLeanIn.Orgにふさわしくない」という批判がネット上にあふれた。こうした議論に応えて、同財団では、募集した無給インターンは、自由な時間に遠隔地でボランティアとして仕事に携わり、有給スタッフの代替として使われたものではないが、今後LeanIn.Orgで正式なインターンシップ制度を開始するにあたっては、有給制にする、との発表をしている。

2010年代型「リベラル・フェミニズム」

 『LEAN IN』にまとめられている考えやメッセージ、そして、サンドバーグが巻き起こした議論は、さまざまな意味で、1970年代のアメリカのフェミニズム運動の歴史を彷彿とさせるもので、それに向けられる批判も含めてアメリカ2010年代型の「リベラル・フェミニズム」ともいえる。
 1963年に刊行されて大きな旋風を巻き起こしたベティ・フリーダン(Betty Friedan)の『Feminine Mystique(邦題『新しい女性の創造』)は、主婦としての生活に不満を感じながらも、 「女性らしさ」の神話に捉えられて苦悩する女性たちの「わな」を描いたものである。1966年にNational Organization for Women (NOW、全米女性連盟)の初代会長となったフリーダンは、女性の法的権利や政治参加、雇用均等などの諸問題の旗手として多大な影響力を発揮し、いわゆる「第二次フェミニズム(second-wave feminism)」の象徴となった。
 第二次フェミニズムの力は、制度的改革と同時に、女性個人の意識変革による部分が大きかった。フリーダンの著書に触発された女性たちは、アメリカ各地でconsciousness-raising groupと呼ばれる活動をするようになった。女性が小人数のグループで定期的に集まり、自らの日常生活 や人間関係を振り返り、個人的な経験を話し合うことで、各人の意識を覚醒し、家庭生活や恋愛関係をはじめとする「パーソナル」な領域から男女の力学を変革しよう、という主旨 で、とくに1970年代の多くの女性にとって大きなインパクトを与えた活動である。
 アメリカのジェンダー力学に非常に大きな変化をもたらした第二次フェミニズムであるが、やがて運動内部からさまざまな批判・対立や分裂が生まれた。すべての女性のための運動であるはずのフェミニズムは、実際にはミドルクラスの白人女性によって支配されており、ホワイトカラーの職場における男女機会均等などといった問題が運動の中心となってきた。非白人女性や移民女性、労働者階級の女性、レズビアンの女性などが日々直面する問題は、第二次フェミニズムが取り上げるものとは性質を異にするものである。さらに、consciousness-raising groupは、社会制度から「パーソナル」な問題に目をそらし、自己満足やナルシシズムを助長している 。こうした批判から、真の「女性解放運動」は、「女性」をより包括的に理解し、人種や社会階層やセクシュアリティなどとの相関関係において「女性問題」をとりあげる必要がある、と主張する女性たちが、1980年代からいわゆる「第三次フェミニズム」を提唱するようになったのである。
 いろいろな意味で、サンドバーグに向けられる批判は、こうした20世紀後半の フェミニズムの変遷を彷彿とさせるものである。女性の意識や行動を変革し、キャリアに全力で乗り出し、ライフワークバランスを実現しながら女性が職場そして社会のリーダーになっていくことを提唱するサンドバーグの「フェミニズム」は、たしかに、非合法移民であるために搾取的な環境での仕事を強いられながら助けを求められない女性や、家庭で夫や恋人に暴力を受けている女性など、現実に数多く存在する女性の目前の問題に対応するものではない。また、既存社会での女性の進出を目指す「フェミニズム」は、そもそも資本主義経済が内包する不均衡や、異性愛を軸とする家族形態の規範などを根本的に問い直すものではない。  
 巻き起こした旋風、そして火をつけた議論や批判の両方において、サンドバーグは、21世紀版のリベラル・フェミニズムの象徴といえる。実際、サンドバーグは、著書と併行して、 LeanIn.Orgという財団を主催し、10人前後の同年代の女性たちが「サークル」を作り、定期的に集まって、提供されたネット上の講演や ディスカッション・ガイドを使って、夢の実現を促進するという、 まさに、21世紀版のconsciousness-raising group活動を行っている。サンドバーグの21世紀型リベラル・フェミニズムが、この世代の女性たちにどのような遺産を残すかは、数十年後に明らかになるだろう。

参考文献


Maureen Dowd, “PompomGirl for Feminism,” New York Times (February 23, 2013)

Catherine Rottenberg, “Hijacking Feminism,” Al Jazeera English (March 25, 2013)

Sheryl Sandberg, Lean In: Women, Work and the Will to Lead (New York: Knopf, 2013) 邦題『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』川本裕子、村井章子訳 (日本経済新聞出版社、2013年)

2013年9月7日土曜日

ハーバード・ビジネス・スクールのジェンダー格差是正実験

日本のメディアや日本の友達のフェースブック投稿を見ていると、2020年オリンピックの東京開催の決定で国じゅうが大興奮しているのがよく伝わってきます。日本にいない私は、この決定に至るまでの経緯もフォローしておらず、日本に一時帰国中にオリンピック誘致活動についてのニュースを見たり読んだりしたときには、「日本が今すべきこととしてもっと大事がことが他にたくさんあるんじゃないだろうか」と疑問をもっていました。なので、海を隔てた場所からこの決定のニュースを見ると、「ほんまかいな」というくらいの気持ちで、そしてまた、オリンピックが今の日本のリソースを注入する対象として本当に正しいのか、という点については依然として疑問を抱くのが正直なところです。が、決定したからには、経済的なことだけでなく、あらゆる意味で、日本の元気につながること、そして、これを機に、日本がより世界に開かれた国になること、原発危機の処理問題を含めて、世界諸国のリーダーたちと共同でグローバルな問題に取り組んでいく国になっていくことを、願ってやみません。

さて、まるで違った話題ですが、今日のニューヨーク・タイムズの教育欄に掲載されている長文の記事がとても興味深いです。ここ2年間ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で実施されてきた、ジェンダー格差是正のための実験的な試みを扱ったもの。私はちょうど、フェースブックの最高責任執行者で、最近大きく話題になっている『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』の著者、シェリル・サンドバーグについての文章を書いていたところなので、なおさら興味深く読みました。

アメリカのビジネス・スクールのなかでもHBSは、すでにビジネス界で経験を積み、世界的大企業の幹部と血縁関係にある、といった学生たちを世界各地から集め、また経営のリーダー的立場に送り込む、トップの学校のひとつ。そのHBSでは、男女が同レベルの成績で入学しても、卒業までの2年間で女性が明らかに遅れをとる。また、教員側も、女性の教員が圧倒的に少なく、採用された女性教員でもテニュア(終身雇用権)をとらずに去っていくケースが非常に多い。というパターンがずっと続いてきた。実際のビジネスの世界でも、トップ企業の幹部には女性が非常に少なく、政治・法曹・学術などの分野と比較しても、男女格差が大きいことがかねてから指摘されてきていました。ハーバード大学初の女性総長となったDrew Gilpin Faust氏は、HBSのトップに新しい人物を採用し、彼の指揮のもとHBSは意識的そして徹底的にジェンダー格差是正に取り組んできた、とのこと。

その、意識的そして徹底的な取り組みというのが、まさに学校生活の各側面にわたる多岐なもの。ビジネス・スクールの授業では(ビジネス・スクールに限らずアメリカの大学ではたいていそうですが)、試験などの点数だけでなく、授業中のディスカッションなどにどれだけ積極的そして効果的に貢献したか、といった参加点が、成績の大きな部分を占める。そうしたなかで、多くの場合、女子学生は男子学生よりも発言に消極的であったり、また、実際に発言してもそれを教員に正当に評価されなかったりする。そうした問題を是正するため、女子学生には、授業での手の挙げかたや身のこなしかたに始まって、男性と同じ土俵で競争するための基本スキルを教え込む。また、無意識の性的バイアスによって教員が女子学生の発言を正当に評価しない、ということを避けるために、授業には速記者をつけ、学生の発言やディスカッションをすべて記録し、客観的な成績評価をする。ビジネス・スクールの教育の根幹と言われてきた、ケース・スタディ法すらも見直し、カリキュラム自体を改革する。学生がグループ単位で作業する課題については、グループ構成から勉強法まで、学校側が細かく手を入れる。テニュア取得前の女性教員には、授業観察を含めた個人コーチングをする。また、大学の外での社交が、学校での成績やその後のビジネス界での成功に大きく影響することから、キャンパス外のプライベートな社交において女性が不利な立場におかれることのないよう、学校が意識的な施策をする。などなど。

こうした努力の結果、ここ2年間で、HBSの女性学生の成績は目に見えて上がり、ジェンダーにかんする男性学生の意識も変わり、学校生活についての学生の満足度も高まり、おおむねこの「実験」は成功しているものの、こうした実験の成果が、卒業生が実業界に出てから長期的にどういった形で現れるのかは、もちろん未知数。また、なかには、なにかにつけてジェンダー問題を取り上げる学校のありかたに疑問をはさむ学生もいなくはない。けれども、こうやって正面からそして徹底的にジェンダー問題に取り組むことによって、もともと学校が意図したものとは違った、ビジネス・スクールそして経済界全体に流れる他のさまざまな規範や文化(財力や人脈、服装や体型などで、人間関係が決定され、そうした人間関係が学校そして仕事での成績につながる、といったこと)が問題視されるようになり、そうした問題を学生たちが堂々と議論できる空気が形成された、というのは、とても大きな意義のあることだと思います。また、ハーバードのようなトップの学校がこうした実験に取り組むことで、他の学校やビジネス界にも波及効果をもたらす可能性もあるでしょう。こうした実験的な取り組みは、とくに初期の段階では抵抗や失敗ももちろんあるでしょうが、試行錯誤を重ねながら理想に向かって取り組みを続けていくことで、長期的には重要な変革をもたらすはず。ともかくは、こうした実験をする勇気と実行力をもつHBSに、拍手。