2011年2月26日土曜日

痛烈、痛快、でも議論が必要 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』

昨年から京都外国語大学の学長を務めている松田武氏の『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー―半永久的依存の起源』を読みました。これは、もともと英語で書かれ2007年に出版された原書の日本語版で、英語のほうを図書館から借りたまま積ん読になっていたのですが、文化政策や文化外交についてのプロジェクトを始めたからには読まない訳にはいかず、このたび日本語で読みました。今となっては、中東研究に限らずいわゆる地域研究をする人がサイードの『オリエンタリズム』を読まないわけにはいかないのと同じように、これは、日本のアメリカ研究者は必ず読むべき本です。

本の論旨を簡単に要約すると、こうなります。占領期に始まるアメリカの対日政策は、いわゆる「ソフト・パワー」をきわめて重視した。アメリカの政府もロックフェラーなどの民間財団も、戦後の日米関係を継続的に友好的なものに育て上げるためには積極的な文化攻勢が必要であることを理解し、なかでも、日本のエリート知識人たちへの学術・教育支援、そして日本におけるアメリカ研究の振興の重要性を認識していた。国際文化会館の設立や、日本アメリカ学会の創設、そして日本人学生や研究者にアメリカの大学での教育機会を与えたさまざまな奨学金や助成金プログラムは、そうした文脈のなかで生まれたものである。アメリカのこうした対日文化政策は、日本にアメリカの専門家を育て、日米関係の橋渡し役となる人材を育成するという点では大きな貢献をしたといえるが、それらの政策はあくまで、共産主義に対抗するという冷戦イデオロギーのなかで、日本を親米的な同盟国として保とうとする米国の国策の一環であった。そして、官民合体となったアメリカの対日文化政策は、皮肉な結果を生むことにもなった。たとえば、日本のアメリカ研究に対して注がれたアメリカの支援は、東京と京都の対抗関係や、東大を頂点とする大学の不均衡なヒエラルキーをさらに強化させることになり、占領政策の一部であった高等教育の民主化は実現しないままに終わった。さらに重要なことは、アメリカによる支援は、日本の知識人たちのあいだに深刻な対米依存の精神構造を生み、日本の国民がアメリカの動向について説明を要しているときや、日米関係が危機を迎えたとき、また、アメリカに対して日本が明確な立場を表明すべきときにも、日本のアメリカ研究者たちは沈黙を守り、討論の場から身を引いてきた。そのように、現実の日米関係や社会問題について発言や関与を避ける体質を身につけてしまったアメリカ研究者は、知識人としての社会的・道義的役割を果たしているとは言えない。つまり、ぶっちゃけた言い方をするならば、アメリカ研究を専門とする日本の知識人たちは、占領期からのアメリカの対日文化政策にまんまと釣られ、アメリカの政策や論理を無批判に受け入れる、合衆国ヘゲモニーの駒となり果て、自分たちの専門的知見が日本においても日米関係においてももっとも必要とされているときに、その社会的役割を回避している、ということ。

この論を展開するにあたって事例としてとくに詳しく取り上げられているのが、1950年からの東京と京都での「アメリカ研究セミナー」に始まる、日本のアメリカ研究。私は、まさにこの歴史から生まれた東京大学の教養学部教養学科のアメリカ科の出身であり、現在は日本アメリカ学会の会員でもあり、当学会の『アメリカ研究』に論文を何度か投稿してもいる身なので、当事者としてたいへん興味深くこの本を読みました。そして、ここで展開されている日本のアメリカ研究のありかたへの批判は、私自身長年感じていたこととぴったり合致するものでもあります。たとえば、ここで論じられている占領期からすでに50年が経過した今でも、日本のアメリカ研究の学会やセミナーでは、アメリカからおエラい先生をおよびして講演をしていただき、その先生を囲んで日本人研究者がお勉強をする、といった構造が依然として残っている。(そのおエラい先生たちの講演は、すでにアメリカで講演や論文として発表されたものであることが多く、1950年代ならともかく、今では日本在住の研究者もあらかじめそれらを読んで上で議論に参加するということがじゅうぶん可能なはずなのに、おエラい先生のほうも、ありがたく拝聴するほうも、それがあたかも初めて発表される研究かのような姿勢でのぞんでいることが多い。)また、日本のアメリカ学会で役職を務めていたり、日本のアメリカ研究を代表してアメリカの学会などに参加するのは、明けても暮れても同じような顔ぶれの重鎮たち(その多くが東大の先生や東大出身の研究者)で、たいへん失礼ながら、第一線での研究を正確に反映しているとはいえない。発表される研究の多くからは、それが歴史的な問題を扱ったものであれ、現代にかかわるものであれ、現実のアメリカ社会で今起きていることになんらかの直接的な問いかけや発言をしていくといった姿勢がまるで感じられない。そして、日本の大学の人事は、学閥や人脈などが研究実績よりも重視される傾向が強く、まったくもって理不尽なことが多い。(ちなみに、東京グループと京都グループの対抗関係の話は、その分野の人間である私には「なるほどそういうことだったのか」と思うことが多いですが、うーん、究極的にはどーでもよいことのようにしか思えない。それを「どーでもよい」などとエラそうに言ってしまえるのは、私が日本を拠点にしてアメリカ研究に従事する人間ではないからでしょうか...)私は会員でありながらここ十年以上日本アメリカ学会にあまり近寄っていない理由はこのような点にあるので、この本で展開されている批判には、「よくぞおっしゃってくださいました!」とパチパチ拍手したい気持ちでいっぱいです。が...

提示されている論そのものには賛同するいっぽうで、論の運びには納得のいかない部分もあります。アメリカ研究者たちが、社会のニーズや日米関係の状況に応える形で、分析的・批判的発言をしてこなかったというのは、おおむねその通りだと思いますが、それが、彼らが奨学金や助成金などの「寛大な」支援に代表されるアメリカの対日文化政策に取り込まれ、主体性のない無批判な「親米家」になってしまったからだ、という説明には、もうちょっと具体的な論拠がほしい。私はその説明に必ずしも異論はないけれども、なんの具体的な例もないままそう言い切られても、どうも納得しきれない思いがします。私自身、文化史や文化論を専門としているので、こうした類の研究では、ある論を証明するのにモノや数字などのハードなデータは必ずしも存在せず、状況や現象をさまざまな視点と文脈から考察して読者を説得するしか方法はないというのもよくわかるのですが、この論にかんして言えば、学術研究や著述が素材なのだから、1950年代から数十年にかけて「アメリカ専門家」としての立場を築いていった日本の研究者たちが、実際にどういう研究に従事してどういう議論をしていたのか(いなかったのか)、それらがその研究者たちのアメリカ政府や財団との関係とどのように結びついていたのか(いなかったのか)を、何人かに焦点を当ててじっくり分析してもらえれば、もっと説得力があったと思います。本の結論部分で、いわゆる「状況証拠」として挙げられているのが、1970年代からの貿易摩擦にはじまる日米の緊張関係のなかで、日本のアメリカ研究者たちは自分の専門性を活かした発言をしてこなかった、という例ですが、占領政策の下で日本の学界にアメリカ研究が発足した1950年代からそれまでには20年以上のときが経過しているわけで、その間に日米関係そして日本のアメリカ研究(者)たちになにがあったかという考察のないまま、これを例として日本人知識人の対米「半永久依存」の例としてしまうのは、いささか乱暴な気がします。

そもそも、日本の知識人たちが、いくらアメリカの政府や財団から潤沢な支援を受けてアメリカの大学で学び、そこで寛大で暖かい待遇を受けた経験から、親米的な立場になっていったからといって、それで彼らがアメリカの政策を無批判に受け入れたり、異論があっても口を閉ざしたりしてしまうほど、単純な頭脳と精神の持ち主であるとは、私にはちょっと信じがたい。もちろん、(松田氏自身がそうであるように)長期アメリカで生活をしたり研究をしたりして、アメリカの生身の文化を体験し、アメリカの人々と親交をもった人々は、歪んだステレオタイプではとても説明しきれない、アメリカ文化の多様性や複雑さを理解するようになるので、その理解に基づいてアメリカを説明することはあるでしょうが、それは、アメリカに対する批判的視点を喪失してしまうことには必ずしもならない...と思いたい。とくに、少なくともここ数十年間は、アメリカの学界におけるアメリカ研究(American Studiesと名のつくもの以外にも、歴史学や社会学、人類学、文学などでも)自体が、アメリカの政策や支配的イデオロギーにきわめて批判的なのだから、そうした場できちんと教育を受けた知識人は、そうした批判精神を身につけているはずでは。ちなみに、ハワイでの私の教え子のひとりが、これと同じ文脈で沖縄占領期に沖縄からアメリカに留学したいわゆる「米留組」の社会的位置づけやアイデンティティを研究しています。この本に見られるような、留学や学術交流といった人や知の流れの輪郭を形成している地政学的・政治経済的な枠組みの社会学的分析が、その流れの主体である人物たちが自らの経験や位置づけをどのように理解し実践しているかという人文学的分析で補われると、とてもいいと思います。

そしてまた私は、松田氏に、この本で扱われている時代から現在に至るまでの変化も論じてもらいたい。私自身、日本の大学を卒業した後、アメリカで博士号をとり、その後もアメリカの大学で仕事をする道を選んでいます。1950年代や60年代には、日本人のアメリカ研究者にはそうした選択肢はまず存在しなかったでしょうが(入江昭氏は特異な例外)、今では、大勢ではないものの、ぽつりぽつりとそういう人が出てきています。別にアメリカで仕事をすることが良いとか立派だとかいうのではなく、そうした選択が可能になったということは、日本の研究者とアメリカの関係が、この本で扱われている時代とはずいぶん違ったものになってきている印ではないか、と思うのです。そしてまた、アメリカにおけるアメリカ研究のありかたも、1970年代頃から大きく変化しているので、そうしたことも含めて、日米関係におけるアメリカ研究のありかたや位置づけを考えることは意味のあることだと思います。

というわけで、議論すべき点はいろいろあると思うのですが、私はぜひ、日本アメリカ学会で、松田氏本人と、さまざまな視点や世代を反映した研究者でパネルを構成し、この本を題材にしたディスカッションを開催してほしいです。この本で展開されている議論や批判を堂々と受け止め、自由で率直な意見の交換をするような場であることを、アメリカ学会が自ら証明すれば、この本の論に対する最強の異論となるはず。

2011年2月24日木曜日

これはとにかく必聴!Quatuor Ébène

いやー、ものすごいものを知ってしまいました。ラヴェルの弦楽四重奏の録音を探していて、たまたま行き当たったのが、フランスの若い四人組、Quatuor ÉbèneのCD。私は室内楽はとても好き(といっても、室内楽に興味を持つようになったのはここ十年以内のこと)なのですが、世界のいろいろな室内楽団をフォローしているわけでもないので、今までこのグループのことは知りませんでした。ただ、定評のあるベテランの演奏もいいけれど(先日行った、王子ホールでの東京クワルテットのコンサートでは、その見事な温かいアンサンブルとベートーヴェンの濃密さに、天にも昇るような気持ちにさせられました)、若いグループを聴いてみるのもいいかと思ってダウンロードしてみたという、なんとも素人的な経緯での出会いでした。このドビュッシー、フォーレ、ラヴェルの弦楽四重奏のCD、宣伝用に作られたビデオをYouTubeで観て、「お、これはなんかすごいかも」と思ったのですが、アルバムをまるごと聴いてみると、あまりのすごさに、一切の動きを止めて思わずコンピューターの画面を見つめたまま(音楽を聴くのにコンピューターの画面を見つめても意味はないのですが)じーっと聴き通してしまいました。その後も何度もiPodなどで聴いているのですが、なにかをしながらBGMとして聴くにはあまりにも勿体ない演奏。(ただし、その濃度と洗練度に心も身体も動かされるので、ジョギングをしながら聴くにはけっこういい。)歯切れがよく、色が鮮やかで、濃淡が見事で、歌い方の情感が言葉では言い表せないくらい素晴らしい。そして、なんといってもアンサンブルがすごい。室内楽団のなかには、演奏ではぴったり息が合っていても私生活では仲が悪いといったグループも結構あるようですが、この四人組は、性格はそれぞれ違っても、生活のあらゆる側面でとてもいい具合に絡み合っている様子が、音楽の密度から感じられます。もう、なんと言って説明してよいものやらわからないくらいなので、とにかく聴いてみてください。

このドビュッシー、フォーレ、ラヴェルにあまりにも度肝を抜かれたので、彼らの新作であるジャズ・フュージョン(というのかな)のCD、Fictionも早速入手してみましたが、これまたすごい。クラシックの演奏家がこういうジャンルのものを演奏すると、その成功度には大きな幅があるというのが私の経験ですが、これは大成功例だと思います。ひとりでじーっと聴いていても素晴らしいですが、「デート」で勝負に出るときに私だったらこれをかけるかも(ちなみに、ヨーヨー・マのタンゴのCDも、私はその部類に入れます)。私はQuatuor Ébèneの追っかけになりそうです。

2011年2月23日水曜日

ハワイ州で同性愛者のシヴィル・ユニオン成立!

ほんの1時間ほど前に、ハワイの新知事Neil Abercrombie氏が、州の上下院を通過したシヴィル・ユニオン法案に署名し、2012年1月1日から同性愛者のカップルはハワイで法的に認められたシヴィル・ユニオンの関係に入ることが可能となりました。これで、ハワイは全米でシヴィル・ユニオンを認める7つ目の州となりました。

このブログで何度か紹介してきたように、シヴィル・ユニオンをめぐってここ数年間ハワイで展開された議論や運動は、宗教や階層などの軸でコミュニティが分断され、きわめて困難なものでした。昨年度には議会でシヴィル・ユニオン法案が通過したにもかかわらず、当時の共和党知事Linda Lingle氏が拒否権を発動し、運動は再び出発点に戻ったものの、秋の知事選でシヴィル・ユニオン支持を表明していたAbercrombie氏が大勝したことに勇気を得た活動家たちは、立法・司法の両方に働きかける運動を再開。このたび、晴れて法案が成立し、フェースブック上でもすでに喜びを分かち合う投稿がたくさん共有されています。

『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、私は同性愛者の友達がたくさんいますし、公民権の平等という観点からも、シヴィル・ユニオン法制化の運動には参加してきました。その過程で、10年以上住んできたハワイについて改めていろいろなことを学びました。原理主義的なキリスト教徒たちの排他的な論理には背筋が寒くなる思いがすると同時に、活動家の人たちの勇気とエネルギーに教えられることも多かったです。シヴィル・ユニオンは、州内では同性愛者のカップルに結婚している夫婦と同様の法的権利を与えるものですが、社会的には「結婚」とは別のものとみなされ、また連邦レベルでは既婚者に与えられるさまざまな権利や特典が認められないので、同性愛者にとってこれが完全な勝利とはいえません。また、この法案に反対してきた人や団体は、さまざまな形で抗議の意を表していますし、これでセクシュアリティや同性愛者の権利をめぐる議論がハワイでなくなるわけはありません。それでも、州の法律が認める関係になることは、確実な前進であることは間違いなく、同性愛者の社会的位置づけは徐々に変化していくのではないかと思います。ハワイで仲間と一緒にお祝いをできないのが残念だけど、万歳!

2011年2月21日月曜日

アマチュア・クライバーン・コンクール応募締切間近

『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で、クライバーン財団が力を入れている活動のひとつにアマチュア・クライバーン・コンクール(正式名称はInternational Piano Competition for Outstanding Amateurs)があることを紹介しましたが、次の第6回アマチュア・コンクールは今年5月末に開催されます。応募締切は今日から一週間後の3月1日。

私は、せっかく本を書くまでクライバーン・コンクールにかかわったのだから、できればやはりこちらにも参加してみようと、応募を決め、昨日オーディションのための録音を作って今日投函してきました。なにしろ、アマチュアとはいえ、やたらとレベルが高く、また、前回のコンクールの様子を追ったドキュメンタリー映画They Came to Play(この映画は本当によくできていて感動的なので、インポート版しか存在しないようですが、興味のあるかたはぜひどうぞ。リージョンコードが違ってもパソコンでなら観られるはず)のおかげでこのコンクールの知名度がますます上がり、さらにたくさんの人たちが世界中から応募してくると思われるので、私なぞはオーディションに通らない可能性もじゅうぶんあるのですが、まあやってみないことには始まらない、と思い、ここしばらくは結構マジメに練習に取り組んでいます。毎日2時間は練習時間をとるようにし(本当はもっとやりたいけれど、本業の研究もあるし、今住んでいるマンションは夜8時以降はピアノを弾けないし、といろいろ制約があるのですが、アマチュア・コンクールなのだから、皆そういう制約のなかでいかに限られた時間と労力を有効に使うかが勝負なのだと思います)、毎週レッスンに通って、曲が頭から離れず夢にも出てきてしまう。

録音は、文京シビックホールの練習室を借りて録った(研究のほうで、こうした公共のホールの運営について考えているところなので、自ら利用者の立場にたつのも面白い。この録音の直後に、文化庁で「劇場・音楽堂等の制度的な在り方に関する検討会」の傍聴に行ったのも面白かったです)のですが、ひとりでこもってやるだけでもなかなか緊張。私の先生は、こういう録音をするときには、たいてい2テイクめか3テイクめくらいが一番よくて、それ以上やり続けても集中力や体力が落ちてくるので、どんどんよくなるということはあまりない、と言っていましたが、私はなにしろ経験のない素人なので、集中力がじゅうぶんアップするまでにも、楽器に慣れるまでにも、けっこう時間がかかってしまうし、各テイクでの間違いを次のテイクで直すように心がけていると、録るごとによくなっていく(ような気がする)。でも、さすがに同じ曲を4回も5回も通してやっていると飽きてくるので、もう一曲(オーディションには、異なるタイプの曲を2曲以上、計15分以上の録音を送ります)のほうをしばらくやって、またもとの曲に戻る、などということをやっていると、あっという間に部屋を借りていた3時間は終わってしまいました。ちなみに私が今回録音したのは、サミュエル・バーバーのSouvenirs組曲(これはもともとピアノ連弾のために作曲されたものですが、バーバー自身がソロ用にも編曲しています)のなかのHesitation-Tangoと、ブゾーニ編曲バッハのシャコンヌ。どちらも、何年も前から弾いている曲ですが、それぞれ別の意味で私にはたいへん難しい曲で、とくにブゾーニのほうは、とにかく15分近くもある大曲なので、頑張ってもどうしても各テイクに違う間違いが入ってしまう。私の技術力では録音の編集はできないので、仕方ないから比較的インパクトの小さい間違いはどれか、音がちょっとくらい外れていても音楽的に形になっているのはどれか、という基準で選んだ結果、結局2曲とも最後のテイクを使うことにしました。完璧とはとても言えないけれど、自分なりに頑張って臨んだので、その過程で学んだことはとても多かったし、練習について意識的に考えるようになったことは大きな収穫でした(と過去形で言ってしまうと、もう落ちたみたいか)。

何事においてもそうでしょうが、漫然と曲を弾いているだけでは、自分の悪いクセがどんどん固まってしまうだけでちっとも上手くならない。弾けない箇所はなぜ弾けないのかをきちんと見極め、それを解決する方法を見つけ、そのための練習をする。そうしたガイダンスを的確にしてくれる先生につく。自分の音にきちんと耳を傾ける。そのためには、弾きながら自分の音をちゃんと聴く能力を身につけると同時に、自分の演奏を録音して聴き返す習慣をつけるのも大事。などなど。私は、ピアノの演奏に自分の性格や行動パターンの欠点が非常によく表れる(こらえ性がない、ひとつのことをきちんと終える前に次のことに進みたくなる、好きなことはやたらとデカく速くやりたくなる、前に出るより後ろに引くほうが効果的ということもあるということがじゅうぶんわかっていない、などなど)ので、自分の録音を聴くのはとても勉強になります。前からちょっと考えていることだけれど、レイモンド・カーヴァー村上春樹にあやかって、いつか「ピアノについて語るときに私の語ること」という本かエッセイでも書こうかしらん。

さて、このアマチュア・クライバーン・コンクールには、過去の参加者リストをみると、驚くほど日本人が少ない。日本にはこんなにたくさんのクラシックオタクがいて、おそるべきレベルでピアノを弾くアマチュアが大勢いるんだから、こういうものにもっと参加しそうなものなのに、なぜでしょうか。働き盛りの日本人はコンクールに出るために一週間(コンクール本番は、予選から本選までいれてまる一週間)も休みを取りにくいからでしょうか。それとも、テキサスまで出かけて行って英語で行われるコンクールに出場することの心理的ハードルが高いからでしょうか。でも、クラシック愛好家のなかには、休みをとって世界各地にオーケストラを聴きに行ったりする人も結構いるのだから、こういうものに出る人がもっといてもよさそうなものです。というわけで、もしも興味のあるかたがいたら、こちらをどうぞ。普段から練習を積んでいて、レパートリーの揃っている人なら(オーディション録音は「15分以上」で、そんなにたくさん送っても全部丁寧に聴いてもらえるとはとても思えないので、20分も入れればじゅうぶんでしょうが、応募の時点で本番で演奏する演目を明記しなければならず、それには予選から本選まで入れて全部で一時間ぶんほどのレパートリーが必要)今からでも大丈夫ですよ。「本物」クライバーン・コンクールの経験からして、アマチュア・コンクールも、いろいろな感動や出会いがある場なのだろうと思います。

2011年2月14日月曜日

新しいクラシック音楽体験の舞台、ニュー・ワールド・センター

ニューヨーカーのクラシック音楽評論家であるアレックス・ロスによる最新の記事が、マイアミにオープンしたばかりのニュー・ワールド・センター(New World Center)についてのレポート。

このセンターは、サンフランシスコ交響楽団の芸術監督であるマイケル・ティルソン・トーマスが率いるニュー・ワールド交響楽団(New World Symphony)の新しい拠点としてオープンした、実に画期的なホール(およびそれを包む空間一帯、であることが重要)です。ニュー・ワールド交響楽団とは、音楽大学を卒業した優秀な若手音楽家たちが、オーケストラの楽団員としての修業を積み、プロの演奏家としての準備をするために1987年に創設された交響楽団で、私の友達のホノルル・シンフォニーのメンバーのなかにも、ニュー・ワールドの卒業生(というのかな?)が何人もいます。ロスアンジェルス・フィルハーモニーの拠点であるディズニー・ホールをデザインしたフランク・ゲーリー(ロスアンジェルス・フィルハーモニーについても、ゲーリーについても、『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがありますので読んでくださいね)の設計による新センターは、オーケストラと社会の関係を考え続けてさまざまな実験的試みをしてきているティルソン・トーマスの創造性と、ゲーリーの建築家としての斬新さ、ニュー・ワールド交響楽団そしてマイアミという街のの若いエネルギーが一緒になって生まれた、実に斬新(ロスの記事の副題にはradicalという単語が使われています)なキャンパスだということが、オープニング・ウィークの様子から伝わってきます。日本が誇る音響設計家、豊田泰久氏による世界最高の音響は、ホール内上部に設置されている何層もの壁に投影される画像や動画と一緒になって、新しいジャンルの音楽体験を生み出す。なにしろ、音響と同じくらい視覚的な側面にも注力しているらしく、技術的にも芸術的にも最新の才能が投入されているらしい。そして、演奏は、ホールの外につけられた167個のスピーカーと巨大な画面を通じて、SoundScapeという名の公園で同時上映される。ニューヨーク・タイムズのクラシック音楽評論家であるAnthony Tommasiniも、ロスと同様、音響は最高と評しています。もちろん、すごいのは、そうした物理的空間だけでなく、そこで生み出される音楽そのもの。ティルソン・トーマスのもとで生み出された多岐にわたる実験的プログラミングや演奏形式も画期的で、聴衆はさまざまな形で音楽を体験することができる。ロスは記事の最後で、「クラシック音楽というのは、現代の人間によって生み出されている生きた芸術である、というメッセージをこのセンターは伝えようとしている」という主旨のことを強調しています。

ロスの記事に加えてこちらのスライドショーで、その様子が伝わってきます。見ているだけでワクワクしてきて、「私も是非早く行ってみたい」といてもたってもいられない気持ちになりますが、ロスの記事にもまして臨場感と鋭い分析をもってこのオープニングについてのレポートをしてくれているのが、潮博恵さんのウェブサイト。潮さんについては少し前の投稿でご紹介しましたが、私がお会いしたのは、潮さんがマイアミに出発する数日前のことでした。前にも書きましたが、潮さんの文章は、簡潔にしてポイントをつき、素直な感動と明快な論理が伝わってきますし、なんといってもウェブサイト上の情報の整理のされかたが、拍手をしたくなるくらい見事。ぜひぜひご覧ください。

ちなみにこちらのYouTubeビデオは、ロス自身が撮影したものらしい。ホール外の画像の様子も、音響も、よくわかります。

それにしても、音大を卒業してまもない若手音楽家たちのオーケストラの拠点としてこんな世界最前線のホールができてしまうアメリカ(もちろん、アメリカのいたるところでこんなことが可能なわけではなく、実際には、アメリカの多くの都市で、伝統あるプロのオーケストラが財政難でストライキになったり廃業寸前になったりしています)に対して、日本では、プロのオーケストラのほとんどが、公演をするホールでリハーサルができない(つまり、ホールの音響環境に合わせて音づくりを準備することができない)という惨憺たる状況。困ったなどというものではありません。

「未来を築く子育てプロジェクト」表彰式



今日は、住友生命が主催している「未来を築く子育てプロジェクト」事業の受賞者表彰式に出席してきました。このプロジェクトは、2007年に始まって今回が第4回。(現時点ではプロジェクトのリンクでは第3回までの情報しか出てきませんが、もうじき今日の表彰式の様子や受賞者のプロフィールも掲載されることでしょう。)子育て・子育ちにまつわるエッセイ・コンクール、より良い子育て環境づくりに取り組む個人・団体の表彰、育児のため研究の継続が困難となっている女性研究者や育児を行いながら研究を続けている女性研究者のための助成金、という3部門があり、私の愛弟子のひとりが研究助成を受賞したので、ホテル・ニューオータニで行われた表彰式に私も行ってきた、というわけです。指導教授に受賞の現場を目撃されたら、学生にはプレッシャーがかかってしっかり勉強するだろう、という動機もちょっとあったのですが(笑)、子育ての他にもいろいろな事情のある状況のなかで研究を続けようとしている若手女性たちやその家族たちの姿を見るのは、胸が熱くなるものがありました。小さな子どもを抱いて表彰の舞台に立つ女性も多かったですし、式の後の懇親会で、受賞者の家族や関係者と思われるさまざまな年齢の男女が、そのへんを走り回る子どもたちを見守っている(「見張っている」というほうが正確か?:))のも、心温まる光景でした。

私の学生についての個人的なことについてはここでは書きませんが、家族の事情とはまったく別にして、ハワイ大学の博士課程に入ってきたときからとても優秀な学生でした。問題意識が高く、知的好奇心が幅広く、呑み込みが速く、ひとつ教えたらそれを応用して何倍ものことを理解してくれる。学術的な論理力があると同時に、一筋縄ではいかない生身の人間社会の複雑さにニュアンスとシンパシーをもって接することができる。あらゆる意味で研究者としてとても有望な人物なのですが、ここ数年間、結婚・出産と同時期に思いもしない事情でたいへんな苦労をすることになり、博士課程の途中で故郷に帰り、仕事をして家族の生活を支えなければいけないことになりました。仕事と子育て・家事をこなしながらも勉強を続けようと頑張っているのですが、やはり絶対的な時間が限られているので、200冊の研究書を読まなければいけない資格試験の準備が思うように進まず悩んでいたところに、今回の受賞となりました。この助成は、年間100万円が2年間、ということで、それによって生活していけるというわけではないのですが、仕事を減らして勉強に集中する時間を増やせる、という意味ではとても大きな助けとなります。(でも、私がこのプロジェクトを運営するのであれば、受賞者の数を半数に減らして、各受賞者の助成額を年間250万円か300万円に増額します。研究者にとってとにかく必要なのは、時間です。子育てをしている人が研究に専念するためには、それで家族の家賃と食費がなんとかまかなえるくらいの助成が必要です。)頑張れ〜!(と、こんなパブリックな場で書かれたら、頑張らないわけにはいかないでしょう:))

2011年2月12日土曜日

「フェースブック」ではなく「ソーシャル・ネットワーク」

ソーシャル・ネットワーク』を観ました。1000円の日に劇場で観ようと思っていたのですが、1000円の日に限って予定が入り続けたので、必ずしも大画面で観る必要はない映画だろうと思って(それはたしかにその通りだと思います)、iTunesでダウンロードして観ました。(iTunesアカウントが日本とアメリカで違うということを私は今回初めて知ったのですが、アメリカのアカウントではこの映画はすでにダウンロードできます。)

このブログで何度も書いているように、私は半ば中毒気味なフェースブック使用者なので、フェースブックの誕生そして創始者マーク・ザッカーバーグをめぐる物語だというこの映画に興味があったのですが、想像していたのよりも格段に面白く、24時間レンタルしているうちに2回も観てしまいました。この作品を、フェースブックについての映画だと思って観ることももちろん可能で、フェースブックを使っている人にとってはそれだけでもじゅうぶん面白い。でも、ソーシャル・ネットワーキング・サイトとしてのフェースブックのありかた、つまり、フェースブックが、人々の社交や人間関係にどんなインパクトを与えているのか、といったことについては、意外なくらい洞察は少ないとも言えます。しかし、私がみるに、この映画のポイントは、そこにはない。映画のタイトルに「フェースブック」という単語が使われておらず、「ソーシャル・ネットワーク」(原題には定冠詞がついてThe Social Networkであることも重要。もともとフェースブックにも定冠詞がついていたのが、ある時点でただの「フェースブック」になったことにも映画は言及しています)となっていることには、なかなか深い意味があるのだと思います。

つまり、この映画は、現代アメリカ社会において、「ソーシャル・ネットワーク」というものがどのように形成され、どのように機能するか、その光と影を明らかにしているのです。今ではフェースブックは、誰もが参加でき、基本的には実名でプロフィールを作り、公開する情報を自分でコントロールでき、自分の「友達」を選べると同時に、世界のいたるところで人とつながるごとができる、そして今日のエジプトでみられているように、政治や社会運動の重要なツールとして世界をも動かす力を持っている、民主的なネットワーキング・サイトだというイメージが広まっていますが、この映画を観ると、フェースブックがハーヴァード大学というエリート環境で、人気者グループから外れたいわゆるコンピューターオタクである、20歳にもならない男子学生たちの手によって生まれたということの意味がよくわかります。

才能さえあればなにものでもなれるという建前のアメリカ社会のなかでも、才能ある若者が集まったエリート機関であるハーヴァード大学。そこでは、たしかに20歳にもならない学生たちがとてつもない発明をしたりとてつもない財をなしたりしている。しかしそれと同時に、そこには何百年もの歴史を背景にした厳然たる階級制ともいえるものが存在している。厳しいセレクション(そのセレクション過程には、ハーヴァードの知的伝統に基づいたものと、若者ならではの実に馬鹿馬鹿しいものがないまぜになっている)を経て選ばれたものしか会員になれない排他的な「クラブ」では、名門の家系の子弟が美しい女性たちを集めて華麗なパーティをしたり、OBたちと人脈を作ったりして、アメリカの権力エリートへの道を歩み始める。そうした社交ネットワークの内側にいる人間たちは、エリート独特の高潔さも持っている("we are the gentlemen of Harvard"などというセリフを真顔でいう登場人物もいる)と同時に、外側の人間に対しての傲慢な「上から目線」もしみ込んでいる。どんなに才能があっても、そうした伝統や文化に入れてもらえない、マーク・ザッカーバーグのような人間は、羨望やコンプレックスと悔しさや「見返してやる」という怒りに燃え、それをモティヴェーションの一部にする。(自分をふった彼女に対する怒りも、若者らしい形で表現し、インターネット文化のなかではそれはさらなる深い傷を生む、というのも背景ストーリーの一部。)登場人物のひとりが、"a world where social structure is everything"と形容するそうした文化において、排他的な伝統にくそくらえ挑戦状をつきつけ、自分たちで「ソーシャル・ネットワーク」を作ってしまう、それがフェースブックなのです。しかし、そういうモティヴェーションから生まれたフェースブックは、自らが挑戦している「ソーシャル・ネットワーク」と同様の嫌らしさも持ち合わせている。つまり、当初はフェースブックはハーヴァードの学生だけが加入できるものだった。そして、人は加入しても「知っている人」に「友達」として「招待」されたり「承認」してもらったりしなければ「ネットワーク」には入れない(この点は今でも同じ)。公開性や民主性という点ではすでに存在していたMySpaceやFriendsterはもっていたけれども、まさにその「排他性」にこそ、フェースブックの当初の意味があった、というわけです。もちろん、脚本にはフィクション化された部分も多いらしいですから、すべてを事実として鵜吞みにすることはありませんが、このポイント自体はなかなか興味深い。

そして、映画の後半、ジャスティン・ティンバーレイク演じる、ナップスターの創始者ショーン・パーカーが登場してからの展開も、たいへん面白いです。

ザッカーバーグが俎にのぼる二件の訴訟を扱った一種のサスペンスもののような形式を通して、「オリジナルなアイデア」や「知的所有権」とはなにか、といったことについても考えさせられる(そしてこの点については、映画はどちらの側にも完全には立っておらず、あいまいにしているところがまた面白い)し、財や名声というものが、若さと絡み合ったときに、どういう展開になるか、についてもなかなか鋭い描き方をしていると思いました。ハーヴァードはアメリカの大学のなかでも極めて特殊なところで、たとえばハワイ大学とはあらゆる意味で似ても似つかない環境ですが、それでも、アメリカの大学の文化(当初のフェースブックを「大学生活のソーシャルな経験をまるごとオンライン化したもの」と呼ぶセリフがあります)を覗き見るという点では日本の聴衆にも興味深いのではないかと思います(当時のハーヴァード総長、ローレンス・サマーズが出てくる場面なんかなは結構笑えます)し、ザッカーバーグを、決して好きにはなれないけれども、完全に嫌いになることもできない、という人物像として見事に演じている、ジェッシー・アイゼンバーグの演技が見事。いろんなことを考えさせられる映画ですので、フェースブックを使っている人も、そうでない人も、観る価値はじゅうぶんあります。

2011年2月10日木曜日

水村節子『高台にある家』

ちびりちびりと味わいながら読み進めていた、水村節子『高台にある家 』を昨晩読み終えました。水村節子さんとは、私が深く敬愛しこのブログでも何度も言及している水村美苗さんのお母様です。水村美苗さんの作品(もちろんフィクション化されている部分もいろいろとあるでしょうが)そしてエッセイなどにお母様はたびたび登場し、たいへん興味をひかれる人物なのですが、お母様は数年前にお亡くなりになりました。この本は、そのお母様が、70歳を過ぎてから文章教室に通いながら書き、出版にあたり美苗さんが手を入れて作品に仕上げた自伝的小説です。(ちなみにこの本は、ほぼちょうど一年前に私の父が亡くなってから、母がようやっと家にパソコンを導入した際、私がアマゾンの使い方を説明するときに、「今買いたい本はある?」ときいたところ、母が指定した本です。それもなんだか面白い . . . かな?)

水村美苗さんのファンにとっては、お母様の生い立ちやお祖母さまの人生を知る、というだけでも強烈に面白いのですが、美苗さんと切り離してひとつの小説としてだけ読んでも、たいへん引き込まれる作品です。美苗さんが「祖母と母と私」というあとがきに書いていらっしゃるように、「事実そのもののおもしろさ」があり、「時代そのもののおもしろさ」があり、お母様の「驚嘆すべき記憶力」があり、お母様の文体独特の「艶と妙」があります。そしてなんといっても私の心を打つのは、自分の育った環境や周りの人間たち、そして自分自身に、お母様が、どきっとするほど冷徹でありながら、かつ血の通った人間らしい温かさをもった目を向けていることです。登場する人物(家族関係がかなり複雑なので、私のようにごろごろ寝転がって読んでいると混乱します)たちはたいてい皆、弱さ・虚栄・傲慢・無教養・浅薄さ・ずるさなど、なんらかの欠陥を抱えた人物なのですが、語り手である著者は、それぞれの年齢の視点で、それらを見極めながらも、彼らの善良さや情のあつさ、実直さ、威厳などをもきちんと捉えていて、どの人物もとても人間臭く憎めない描き方になっている。とくに、自分の母親に対する、羞恥や鬱憤ややるせない気持ち、そしてそれらとないまぜになっているがために最後まで素直には表現できない愛情や感謝や尊敬の気持ちが、とても鮮明かつ繊細に描かれている。そして、若かりし日々の自らの、憧れや野心や虚栄、そして経験や視野や想像力の限界をも、とても冷静に振り返っています。私は70を過ぎたときにこんなふうに自分の過去を客観的に捉えられるだろうかと、考え込んでしまいます。

とくに、第二部最終章の「夏の闇」がたいへんリアリティがあり、最後のシーンは実に胸に迫るものがあります。

美苗さんの「祖母と母と私」にも、感じること考えることをたくさん与えられます。ぜひどうぞ。

文楽は面白い

一昨日は、友達に誘われて国立劇場文楽を観てきました。私は歌舞伎や能は観たことがあったけれど、文楽を観たのは生まれて初めて。その友達がたいへん面白いというし、そして、私は今ちょうど日本の文化行政について研究しているので、国立劇場で伝統芸能を観てみるのも大事だろうと思い、ものは試しにと観てみたのですが、想像をはるかに超えた面白さで、また観なければ、という気持ちになりました。今回観たのは、義経千本桜のうち「渡海屋・大物浦の段」と「道行初音旅」。(といっても、プログラムで解説を読むまでは私にはなんのことだかさっぱりわかりませんでしたが。)始まるなり、驚くことばかりで、休憩前の二時間をほとんど口を開けた状態で見入ってしまいました。まず、文楽の人形はもっと小さいものだと勝手に想像していたのですが、意外に大きい。大の大人が三人で動かすのだから、考えてみれば当たり前かもしれません。そして、顔は場合によって眉毛や目の玉がほんのわずかに動くだけにもかかわらず、身体や着物の動きだけで信じられないくらい表情が変化する。ちょっと首をかしげて座っているだけでも、まるで役者さんが演じているかのようなリアリティがあるし、長刀をふるう場面なんかはもう、目も口も大きく開けて没頭してしまいます。それぞれの人形に、顔が出ているメイン(「首」と書いて「かしら」というらしい)そして黒装束の他のふたりの人形遣いさんがついているわけですが、不思議なくらい、舞台上でこの人たちの存在が気にならない。いや、顔が出ている人形遣いさんは、人形となんだか妙に顔が似ている感じがするのは、やはり人形の顔や身体を動かしているうちに感情移入して一体化してくるからなのだろうか。また、語りの大夫さんも圧巻。ひとりで老若男女すべての役そしてナレーションを次々に声で演じなければいけないわけで、それだけでもすごいですが、三味線と語りとのアンサンブル(?)もなんともすごい。いやいや、もし今回観ていなかったら、文楽を観ないまま一生を終えた可能性もあるので、この体験で感動をおぼえて興味をもてたのは大変幸運なことでした。

それにしても、文楽のような伝統芸能は、誰もがしぜんと興味をもつようには現代の日本では位置づけられていないし(私自身、友達に言われるまでまるで興味がありませんでした)、大勢の若い人が競ってその道を志すわけではないでしょうし、志した人にとってはとても長く大変な修業があるのでしょうし、観客は減りこそすれ増えてはいないのでしょうから、こうした日本の素晴らしい芸能を継承して育成していくためには、普通の市場論理にまかせていてはまず無理でしょう。それは、伝統芸能に限らず、効率化と相容れない舞台芸術全般に言えることでしょうが、日本ならではの芸能を、どのようにして守り育て、いい意味で刷新していくのか、真剣に考えなければいけませんねえ。私はここ数週間、文化庁日本芸術文化振興会のいろいろな検討会や研究会の傍聴に通っているので、なおのこと深く考えさせられます。

2011年2月2日水曜日

文化庁メディア芸術祭

今朝は、国立新美術館で開催中の、文化庁メディア芸術祭に行ってきました。私は、現代美術とかメディア芸術といったものにはまったく疎いのですが、文化行政についての研究をすることになった手前、そんなことを言っている場合ではないし、国立新美術館は以前に建物を外から眺めたことはあっても中に入ったことはなかったので、この機会に出かけてきました。国立新美術館は、自らのコレクションを持たない美術館ということで、いったいどういうものなのかしらんと思っていましたが、やっていることを見てみると、なるほど、美術品の購入や保存にかかる費用を、企画展の主催や教育普及活動に投入できるのなら、それはそれでなかなか面白いことができるんじゃないかと興味をそそられます。建物は、想像以上にデカく、美術館というよりコンベンションセンターのような雰囲気。

で、肝心のメディア芸術祭ですが、これは1997年から始まったものだそうで(毎年2月に受賞作がこの芸術祭で展示されるそうですが、私は普段は2月に日本にいないので知りませんでした)、アート、エンターテイメント、アニメーション、マンガの4部門で世界中から公募で集まった作品を審査し、受賞作品を展示するというもの。私は、マンガはさっぱり読まないし、アニメにはどうも馴染めないし、ビデオゲームのようなエンターテイメントはまるっきりやらないし、それ以前にまず「メディア芸術」の根底にあるメディア技術というものがさっぱりわからない人間なので、このイベントを楽しむにはまったくもって不向きな人間なのですが、それでもなかなか面白かったです。アート部門の審査委員がコメントで書いていたように、技術の斬新さやその利用法で勝負するというよりも、それを使ってこそ創造できるものを表現している感じが各作品から伝わってきたし、最新の技術を使った作品のなかに、なにか切なかったり懐かしかったりするものが感じられるのが面白かったです。私はなにしろマンガを読まない人間なので、今のマンガはこういうテーマでこういう手法でかかれているのかということを知るだけでも勉強になったし、受賞作品を手に取って座って読める別室があるのがよい(読み出したら何時間でも座ったままになってしまいそうなので、受賞作の『ヒストリエ』の初めの部分を読んだだけで退室してきました)。エンターテイメント部門は、なにをもってその境界を定めているのかよくわからない感(別に芸術祭のほうで定めているわけでなく、応募する制作者のほうが自ら定めるのでしょうが)もありましたが、展示スタッフが親切で好感度高く、いろいろ触って楽しめてよかったです。これからこの展示終了の13日まで、聴いてみたいテーマシンポジウムなどもあるので、また足を運ぼうかと思います(入場無料なのがありがたい)。

メディア芸術祭に行った主な理由は、それが文化庁主催のイベントであるからなのですが(そんな理由でこの展示を観に行く人は少ないかも)、昨日は、文化庁で開催された、「劇場・音楽堂の制度的な在り方に関する検討会」というものを傍聴に行ってきました。指揮者の佐渡裕さん、その他、さまざまな芸術関係の団体の代表や地方都市で文化行政に携わる人による意見発表のヒアリングだったのですが、発表者の意見には重なる部分が多く、聞いているだけで現在の日本の舞台芸術をめぐる文化行政の問題点がよくわかりました。とくに公的な文化施設にかんしては、市民に公平に開放する「公の施設」としての役割と、芸術文化を創造・育成する場としての役割のあいだでどのように折り合いをつけるのか、という問題。また、芸術・技術面で高度に専門的な知識と能力をもった人材をどのように育成・登用していくのか、という問題。打ち上げ花火的なイベントに終始せず、地域社会の血となり肉となっていくような継続的な芸術文化活動を育成するにあたって、行政のもつ役割はなにか。などなど。私が『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール 』で考えたようなこととつながる点がたくさんあります。ちなみに私は数日前に平田オリザ氏の『芸術立国論 』を読んだばかりで、いずれ平田氏にもインタビューしてみたいと思っているところですが(ちなみに私が学生時代にときどき訪れた駒場のアゴラ劇場は、平田氏の実家であるということを、この本を読んで初めて知りました)、内閣官房参与である平田氏も当然この検討会では前の席に座っていました。話しかけようかとも思いましたが、なんと言って話しかけていいものやら思いつかず、今回はおとなしく退散。それにしても、同じ芸術文化の研究をするといっても、ニューヨークで音楽家たちと話をしたり、フォート・ワースでクライバーン・コンクールを見学したりするのと、文化庁の検討会を傍聴に行くのとでは、ずいぶんと違った視点から「文化」が見えるものです。