2010年8月29日日曜日

ホノルルでの36時間


普段の本拠地ホノルルに戻ってきました。空港で荷物を受け取るときに、必死になって荷物を詰め込んだ大きいほうのスーツケースを他人に持っていかれる(空港に残されていたその人のスーツケースはまったく同じデザインのものだったので間違えてもおかしくはないのですが、それにしても、名札がついているのだから持ち去る前にチェックしそうなものです)というハプニングがあり、いきなりがっくり。数時間後に私が家でシャワーを浴びているあいだに、私のスーツケースを持って行った人から留守電に伝言があり(名札に書いてあった番号を見てかけてきたのでしょう)、「あなたの荷物を持ってきちゃったみたいです、ごめんなさい、私の荷物がそちらの手元にあるのでしたら、中はごちゃごちゃなので見ないでください」と言ったまま、名前も連絡先もメッセージに入れずに切れている。どうしようもないのでそのまま昼寝(飛行機のなかで角田光代
『庭の桜、隣の犬 』を読んでいたらほとんど眠れなかった)し、数時間後に荷物は自宅まで届けられました。日本の宅急便のようとまではいかないまでも、意外にてきぱきした対応でした。

到着以来一日半がたったところですが、一年間の日本生活を経てから戻ってくるホノルルでの生活は、なんとも不思議な気持ちがします。自分のモノがいっぱい詰まった自分のマンションに戻ってきて、自分の車を取り戻し、よく知った道を運転して行きつけのお店に行って用を足したり友達と食事をしたりするのですから、もちろんほっとする部分も大きいですが、それと同時に、十年以上住んでいるうちにすっかり慣れて当たり前になっていたことが、今度はいろいろと新鮮に感じられます。こういうことは、少したつとまた慣れて忘れてしまうので、それを新鮮と感じているうちに書き留めておきましょう。最初の36時間にとりわけ印象に残ったことを挙げてみると...

1.道ですれ違う人、エレベーターで乗り合わせた人、店で目が合った人などが、にこりとしたりHiと挨拶すること。日本でのそういったやりとりの不在が私の目には奇異に映ったぶん、今度は逆に、人がそうするということが新鮮に思えます。

2.いろんな種類の人がいること。ほんとうにまあ、サイズにしても形にしても色にしても、よくもまあこんなにたくさんの種類の人がいるなあと思います。ニューヨークやカリフォルニアと比べたら、ハワイの多様性はより限定されたものですが、それでも、アラモアナ公園を30分間ジョギングしているだけで、一年間まるで見なかった人たちがたくさん見られ、なんともいえない新鮮さと解放感をおぼえます。

3.英語を話すのに、自分の頭が普段より10%くらい多くのエネルギーを使っているのに気づくこと。日本にいるあいだも、授業は留学生を相手に英語で授業をしていたのだし、ニュースなどはインターネットを通じて英語のものを読んだり見たりしていたので、それほど英語から遠ざかっているとは思っていませんでしたが、すべてが英語の生活に戻るには、頭がギアチェンジをしないといけないんだなあと認識して、ちょっとびっくりしました。英語が口から出てこなくて困るということはとくにないのですが、そうしたことよりも、「この人は日本という文脈を共有しないんだ」という前提を意識して話をすることに、ちょっとしたエネルギーを要するからだと思います。

4.店で出てくる食事の量が多いこと。これは、日本人が初めてアメリカに行くときによく言うことですが、かれこれ21年間もアメリカに住んでいる自分が今さらこのことについて驚くことが自分で驚きでした。が、ほんとうに多い。せっかく天気のいいハワイに戻ってきたのだから、健康的な生活にしようと、今日の朝食は近所の行きつけのコーヒーショップ(ちなみに『ドット・コム・ラヴァーズ』の「ジェイソン」は毎週土曜日にこのお店でボーイフレンドと朝食をしています。一緒に住んでいるのに、毎週こうしてわざわざ近所のお店に朝食に出かけて片方がご馳走するというふたりの儀式が、私にはとても心温まるし羨ましいです)で「フルーツとグラノラとヨーグルト」のボウルとコーヒーを頼んだのですが、それで出てくるのがこの写真のもの。かなり頑張ってなんとか食べ終わりましたが、その数時間後には友達とランチでルーベン・サンドイッチを食べることになり、これまたかなり努力をして食べ終わりました。


5.なにしろ快適なこと。日中の最高気温は26度くらい。我が家にはエアコンがないのですが、窓を少し開けておくだけで気持ちのいい風が入ってきて、きわめて快適。夜ももちろんぐっすり眠れます。あまりにも気持ちいいので、東京が暑いのを口実に長らく運動をさぼっていた私は、これで運動しなければ罰が当たるだろうと、夕方さっそくジョギングに行ってきました。しばらくさぼっていたおかげで、すっかり体力が低下しているのを実感しましたが、青空のもと海を見ながら夕暮れ時にジョギングできるなんて、なんて幸せなんでしょう。

6.よしとされている(らしい)男性像が日本とまるで違うこと。日本に着いたばかりのときに、日本のサラリーマンがすっかりかっこよくなっていることに驚き、また、日本の男性の過半数がゲイに見えることに驚いたものですが、しばらくしてそれに慣れてからこちらに来てみると、同じ「かっこいい」男性でも、体格やら姿勢やら身のこなし(とくに歩き方)やら顔の表情やらが、日本とはまったく違うのが新鮮です。街を歩いている人を見ても、テレビを見ても、それはあきらか。もちろん、よしとされている女性像もそれと同じくらい、あるいはそれ以上に違うのですが、それについてはまた後ほどゆっくり。

7.お年寄りが元気なこと。日本は長寿国ですから、もちろん元気なお年寄りもたくさんいますが、それと同時に、見ているだけで「そんなふうにしなくていいですよ」と言いたくなるぐらい、なんだか申し訳なさそうな様子でいるお年寄りも街には多い。社会や世相がそうさせているのでしょう。ハワイにだって、もちろん、家の外にも出られないくらい心身が弱っているお年寄りは違うでしょうが、少なくとも外で見かけるお年寄りは、姿勢も上向きで表情も明るく、声にもはりがあるような気がします。天候もあるでしょうが、とくにハワイのような島社会では、地縁血縁で結ばれたコミュニティが健全だから、というのが大きいのではないでしょうか。

というわけで、興味深い逆(どちらが「逆」なのかもうわからなくなってきましたが)カルチャーショックを味わいながらのホノルル生活再順応をスタートしています。また引き続きご報告します。

2010年8月26日木曜日

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』小林秀雄賞受賞

以前にこのブログで紹介した、加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が、小林秀雄賞を受賞したそうです。素晴らしい!去年の小林秀雄賞は、私がかねてから敬愛している水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』だった(私は訳あって今この本を再度熟読・精読しています。読めば読むほど、学ぶこと、考えさせられることの多い本です)し、この賞の選考委員は私と感性や価値観が通じ合うようです。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』も『日本語が亡びるとき』も、とにかくだまされたと思ってみなさんに読んでいただきたいです。

さて、私は13ヶ月余の日本生活をひとまず終えて、明日いったんハワイに戻ります。帰国子女ならぬ帰国オバサンとしての18年ぶりの日本生活は、驚くこともいっぱいでしたが、旧友たちと関係を深めたり、新しく知り合ったかたたちを通じて知らなかった世界を垣間みたりと、とても実り豊かな滞在でした。仕事の面でも、日本滞在中に2冊の本が発売になり、今後の仕事の可能性も広がって、有意義なときを過ごしました。年明けにはまた日本に戻ってくる予定ですが、それまでは普段どおりハワイから、いろんな話題を提供していくつもりです。日本での一年間を経てからだと、ハワイやアメリカ本土もまた別の視点から見られるのではと、ちょっと楽しみなような、ちょっとコワいような気持ちでいます。そういったことも投稿しますので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。

2010年8月23日月曜日

アメリカの大学「親の子離れ対策」

アメリカの新学期が始まる時期の今、とくに大学生活の始まりにまつわる話題が多いです。以前の投稿でも書いたように、アメリカでは大学生活は親元を離れて自立するための時期と一般的に考えられているものの、寮生活を始める子どもを大学に送り届ける親の側にはいろいろと不安がつきもので、部屋に荷物を運び終わってからもなかなか子どもに別れを告げることができず、何日間も大学街に滞在して子どもの動向を見守る親もいる、とのこと。子どものほうは、親の庇護や監視から解放されて同世代の新しい仲間と新生活を始めることにワクワクしているものの、親のほうがなかなか子離れできない、というのはよくあることのようで、そうした親に、「子どもはもう新しい生活を始めているのだ」と認識させさっさと家に帰ってもらうための対策として、わざわざ親子離れのための式のようなものを開催する大学まである、とのこと。ニューヨーク・タイムズの記事によると、たとえばアイオワ州にある有名私立大学のGrinnell Collegeでは、新入生が寮に入る日に、荷物を運び終わった後で全員が体育館に集まり、親は講堂の片側、学生は反対側に座って、「子どもはもう別世界に行ってしまったんだ」と親に気づかせ、正式にお別れを言って大学を去らせる、という儀式をしているそうです。

学生のプライバシー保護や自己責任の観点から、20歳前後の学生を自立した大人として扱う(たとえば、アメリカの大学では、学生本人の署名による許可がなければ、大学は親に成績や生活状況を報告できない決まりになっています)いっぽうで、大学教育のコストが加速度的に上昇している(アメリカの私立大学では、授業料と寮費や食費を合わせると年間5万ドルもするのが一般的です)なか、子どもが大学でどんな生活を送っているのかと、しきりに首を突っ込む親が増えているのも事実。日本でも、私が学生だった頃は、子どもが大学に入ってしまえば後は親の出る幕はまるでなく、親もそれを歓迎していた(と思う)ものですが(親を卒業式によんでもいいということを私が知らなかったので、卒業式にすら来ませんでした)、今では大学でも親のための説明会やら懇親会やらがやたらとあるらしく、就職対策にまでも親がいろいろと口を出してくるそうです。やれやれ。親も大変ですが、子も大変、大学の先生も大変です。

2010年8月19日木曜日

「外国語を話すベビーシッター求む」

親友の家族旅行にくっついて美ヶ原高原に一泊旅行に行ってきました。あいにく霧や雲で星空や周辺の山々はあまり見えなかったものの、首都圏の猛暑が嘘のように涼しく、きれいな空気をいっぱい吸ってきました。帰途は、中学生ふたりの要望(そして一家の母親と私の支持&絶叫系乗り物の苦手な一家の父親の諦念と寛容)により、富士急ハイランドに行きました。私はジェットコースター大好き人間なのですが、日本で遊園地に行ったのは大学のとき以来で、今ではさすがに大人同士でジェットコースターに乗りに行くということはないので、このおかげで久しぶりの体験ができてたいへんコーフンしました。さすがに乗り物も私が大学のときとくらべるとかなり進化していて、「ええじゃないか」という、いかにも人を小馬鹿にしたようなネーミングの乗り物は、ただごとではなくコワい(けど楽しい)!「フジヤマ」には3回(中学生キッズは4回)も乗ってしまいました。ふと考えてみると、そういう乗り物に長時間並んでまで乗るのは、10代後半からせいぜい30歳くらいまでの若者で、我々はもしかしたら最年長の部類だったのかもしれません。ああいう体験をわざわざしたいという人間の心理は、興味深いものがありますね...と、一応ちょっと知的(?)なコメントをして、「ええじゃないか」に乗るのに2時間も並んだ自分たちを正当化してみようとしたけど、やっぱりただのアホか?(笑)

さて、先日のニューヨーク・タイムズに、ニューヨーク近辺で、外国語を話すベビーシッターを積極的に雇おうとする家庭が増えている、との記事があります。アメリカでは、ベビーシッターやナニーといった家事労働には、メキシコやフィリピンなどの出身の女性が従事していることが多いのですが、少し前までは、子どもが言語的に混乱しないように、また、子どもの英語力が遅れるのを避けるために、英語以外の言語を母語とするベビーシッターにも、英語のみを使用することを要求する家庭が少なくなかったのに対して、多文化主義やグローバル化の流れによってそうした考えかたもかなり変化を遂げ、最近では、子どもに自然にスペイン語を身につけさせるために、ベビーシッターに敢えてスペイン語のみを使うよう要求する、といったケースが増えているそうです。

私の友達にも、異なる言語を母語とする夫婦が、子どもを育てる上で言語の問題をどうしようかと模索している人たちがけっこういます。赤ん坊のときから2カ国語(または3カ国語)を家の内外で日常的に使って、自然にすべての言語を身につけ、かつそれぞれをきちんと区別し使い分けられるようになっている子どももいます。そのいっぽうで、複数の言語をある程度は解するものの、どの言語も完全には駆使できなくなってしまう、という子どももいて、そうした状況になるのを避けるために、敢えてバイリンガル教育はせず、生活している土地の主要言語のみを使っている、という家庭もあります。また、夫婦のどちらも中国語は話さないけれども、わざわざ中国人のベビーシッターを雇って、子どもに中国語を教えてもらっている、という家庭もあります。

私自身は子どもがいないので、現実問題としてそういうことを考える必要はありません。が、2カ国語を使って仕事や生活をし、両方の言語で思考や執筆をする人間としては、また、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』に数多くのことを考えさせられている人間としては、単に用が足せるという以上の、深い言語能力を身につけ、それぞれの言語の背景にある歴史や文化を深く理解する人間を育てるためには、どういう道がもっとも有効なのだろうかと、よく考えます。

私は、ごく一般的にいえば、外国語というものは、母語での基礎的な言語能力に、強い必要と欲求と努力が加われば、大人になってからでもじゅうぶん高度な力を身につけられると思っている(現に私の周りにも、大学を卒業するまで外国に行ったことがなかったけれども、きちんとした勉強によりプロとしてじゅうぶん仕事ができる英語力を身につけている日本人がたくさんいます)ので、必ずしも早く始めればいいというものでもないだろうと思っています。たしかに、小さいときからその言語に接していれば、耳が慣れるという側面は強いだろうし、たえず聞いていれば発音もよくなるでしょうが、言語能力においては発音よりもずっと大事なことがあるので、それはさほど重要なこととは思いません。また、この記事でも指摘されているように、幼少のときに毎日ベビーシッターがスペイン語や中国語を話していたとしても、ベビーシッターにつかない年齢になって、その言語から離れてしまえば、子どもというのはすぐその言語を忘れてしまう、ということもあります。ただ、言語を身につけるということとは別に、子どものときから、別の言語を母語とする大人に日常的に接することで、世の中にはいろいろな言語を話す人たちがいて、同じものやことがらをそれぞれの言語では違う表現をする、という基本的なことを体感的に理解することには、かなり意味があるのではないかと思います。(ちなみに私は、小学5年生のときに親の駐在でアメリカに行きましたが、それまで日本語を使う人としか接したことのなかった私には、「アメリカの人たちは、机をみて『ツクエ』と思わない、お腹が空いたときに『オナカガスイタ』と思わない」ということが、しばらくさっぱり信じられなかったのを覚えています。)そして、自国の外に(そして自国の中にも)さまざまな文化をもつ人たちが生きているということを現実として理解し、異なる言語を話す人たちに変な距離感やコンプレックスを抱かず普通に接し、多様な文化や歴史に積極的な興味を養うことこそが、外国語習得に一番重要なことではないかと思います。


2010年8月12日木曜日

異文化体験としての大学生活

私は、一年間暮らした町田市小山田桜台を数日前に出て、世田谷区上野毛に移ってきました。ここであと二週間過ごしてから、ハワイに戻ります。小山田桜台は、その名のとおり桜がきれいで、家のすぐ横にジョギングにちょうどいい緑道が走っているのですが、恐ろしく交通の便が悪く(町田からバスで30分近くかかる)、都内に飲みに行ったりすると帰ってくることを考えるだけでも面倒だったし、買い物ひとつするにも車がないと至極不便なところだったので、都内(しかも今いるところは駅から徒歩二分)に移動してたいへんな解放感があります。今いるマンションの目の前には居酒屋さんがあり、ひとりで入っても大丈夫だしおいしいという話だったので、試しに行ってみたところ、ほんとうにカウンター席のみ十人分くらいの小さなお店なのですが、私がひとりで行ってもお店をやっている夫婦や隣の席の人としゃべったりして居心地がいいし、お料理も驚くほどおいしく、ひとりでけっこう飲み食いして(ひとりで居酒屋に入ってたくさん飲み食いしてしまうところが、オバサンの素晴らしいところです)3400円。しかも帰途は約30秒。あー、私が求めているのはまさにこういう生活だったのでありました。

ところで、アメリカでは間もなく新学年が始まります。(アメリカでは夏休みが明けるのがけっこう早く、大学によってはもう来週から始まるところもあります。)私の友達にも、子どもが家を出て大学に行く準備をしている人が数人いて、そのへんをちょこまかと走り回っている少年だった頃のことを思い出すと感慨深いです。アメリカでは、大学は学業の場であるだけでなく、親元を離れて生活するなかで自立性や社会性、コミュニティ形成能力を養う場でもあるとの考えから、多くの私立大学は全寮制をとっており、地元から通う学生の多い州立大学でも、多くの学生は敢えて寮やアパートで生活するのが一般的です。一、二年生のうちは、寮の部屋で大学が割り振るルームメート(ひとりの場合もあるし複数の場合もある)と生活を共にし、三年生以降は、自分の親しい友達と一緒にアパートを借りる、といったパターンが典型的です。育ってきた背景や環境も、興味や趣味も、性格も生活習慣も、大学に求めていることも、自分とはまるで違う相手と空間や時間を共有し、掃除や整理整頓、食事の準備やゴミ処理、睡眠時間やステレオの音量、部屋での社交生活や性生活などについてルールを決めたり交渉したりすることで、異なる人間と共生するということの基本を身につけていく。もちろん、どうしても耐えられなくてルームメートを変更してもらうといったこともあるものの、こうした他人との共同生活は大学という経験のなかでも授業での勉強以上に大切なことと考える人が多いです。

ところが最近では、部屋割りをする大学側も、また学生のほうも、トラブルをなるべく少なくしたいという、ある意味当然といえる理由から、ルームメートの適性を調べるサービスを利用するケースが多くなってきている、とのこと。こうしたサービスは、政治指向や勉学に対する態度や清潔度があまりにもかけはなれている者同士が部屋を共にするのは難しいだろうとの前提から、それこそオンライン・デーティングと同様の方式で、適合性の高いと思われるルームメートのマッチングをするのだそうです。確かに、こうした方法である程度フィルタリングされた相手とならば、日常生活で大きな問題が起きる可能性は低くなるだろうけれども、そうやって自分と似た者同士としか生活を共にしないのであれば、広義の「異文化」体験、また他人と共生することを学ぶという意味での大学生活の意義は大きく減少してしまう、とのMaureen Dowdによる論説がニューヨーク・タイムズに載っています。私も大賛成です。もちろん、自分は翌日の授業のための勉強をしたいのに、ルームメートが連日夜中じゅう部屋でお酒を飲みながらパーティをしていたら、自分が大学に来た本来の目的が果たせないし、宗教や政治指向がまるっきり相容れない相手と生活を共にするのは実際問題困難でしょう。でも、大学の一歩外に出たら、そうした自分とまったく違う人たちがいっぱいの社会で生きていくのだし、高等教育を受けた人たちはそうした世界を平和に存続させていく担い手となってもらわなければいけないのだから、まずは大学という小世界で、そうした共生共存の基本を経験しておくというのはとても重要なことだと思います。

アメリカでは、大学を卒業して、大人になってからも、ルームメートと一緒に生活をするということはよくあります。私も、大学院時代は、寮で暮らした最初の一年の後、五年間ずっとルームメート(二人暮らしが二年間、三−四人暮らしが三年間)と一緒に家を借り、ハワイに行ってからも初めの一年間はルームメートのいる生活でした。当然ながら、ひとつ屋根の下で生活していれば、相手がどこの国の人であろうが、いろいろな意味で異文化体験になるし、その家のなかでのミニ文化が形成されてきたりして、たいへん貴重な体験でした。日本ではそういう生活様式はあまりないようですが、若者はもっとそうした共同生活をしていいと思うし(そのためには、アパートの大家さんなどが、家族以外の人同士の共同生活にもっとオープンでなければいけないでしょう)、また、未婚・晩婚が増えさらに高齢化が進む日本では、気の合う高齢者同士が共同生活をする、といった生活形態ももっと増えていっていいと思います。人とのかかわりや、社会のありかたに、かなり根本的な変化をもたらすのではないでしょうか。

2010年8月6日金曜日

『広島 記憶のポリティクス』と『小さいおうち』

広島の平和記念式典にルース駐日大使が参列したことは、とても意味のあることだと思いますが、菅首相の「核抑止力」発言はいくらなんでもいただけない。いくらオバマ大統領のプラハ宣言で核をめぐる世界の論調の流れがずいぶんと変わってきたとはいえ、ある日突然地球から核がいっせいになくなるわけはないのだから、現在の世の中において抑止力が必要なのはそのとおりでしょうが、核廃絶を求める世界の人々が見守っている広島の平和式典の直後に核を是認しているようにとられる発言をするのは、いくらなんだって無神経。こういったところにも、日米安保体制を維持するという以外に、安全保障や外交、国際関係について日本の政府に筋の通った理念のようなものが欠けていることが現れていると思います。

広島の歴史の記憶と現在については、私が敬愛する文化人類学者の米山リサさんによる『広島 記憶のポリティクス』がおすすめです。これは、米山さんによる英語の原著Hiroshima Tracesが翻訳されたものです(私は英語版しか読んでいないので、和訳がどうだかはわかりません)。原著のほうを、今学期私が桜美林大学で担当したHistory and Memoryという授業でリーディングのひとつとして使いました。ポスト構造主義などの批評理論を分析のツールにしていて、理論的用語もたくさん出てくるので、そうした分野にある程度の知識がない読者には、すらすら読めるといった種類の本ではないです(ゆえに、学部生もかなり苦労していました)が、用語や表現がわからないからといって諦めずにしっかりと読み込めば、とても勉強になり、考えさせられる一冊です。

米山さんの鋭い批評は、保守的なナショナリズムだけでなく、反核・平和運動の多くの根底にある普遍的人道主義の言説にも向けられ、広島の都市再生プロジェクトや平和運動もが、日本の植民地主義や戦争責任についての忘却や回避・隠蔽に加担してしまうメカニズムを分析しています。また、そうした歴史の記憶が、国内の政治や文化だけでなく、冷戦構造という国際的文脈によっても形作られる、つまりこの問題にかんして言えば、広島そして日本における普遍的人道主義に根ざした平和運動の言説が、冷戦構造におけるアメリカの覇権を支えることになっている、ということも指摘しています。そしてまた、「歴史」と「記憶」というものそれぞれについて、精緻でニュアンスに満ちた理論的枠組をもってさまざまな素材を分析していて、「記憶」というものがいかにして形成・修正されていくかを見事に示してもくれます。建物や記念碑、語り部の証言、文学作品など、形はなんであれ、「記憶」というものが、言葉やものを媒介して表現される以上、そこには必ず発話の文脈、使用可能な言語、聴き手といった要素が介在する。それらの要素を考慮したうえで「記憶」を理解し分析することは、その「記憶」の真正性・正当性を揺るがすものではない。「歴史」と「記憶」というものは、客観と主観、公と私といった二項対立関係にあるものではなく、つねに相関関係のなかで形成されるものである、ということが示されています。また、この本だけでなく、米山さんの『暴力・戦争・リドレス―多文化主義のポリティクス』についてもそうですが、私が米山さんの一連の著作でとても好きな点は、支配的な言説や構造について精緻な理論分析と妥協のない批評を展開するいっぽうで、そうした支配構造に対抗する有効な動きが存在することも示してくれるので、問題意識を深めると同時に希望も与えてくれる、ということです。歴史・文化研究をする人にはもちろん、そうでないかたにも、是非おすすめです。

話変わって、今回直木賞を受賞した中島京子さんの『小さいおうち』を読んでみました。読む価値はじゅうぶんある、いい作品だとは思いましたが、正直なところ、構想はとてもいいけれども、遂行においてもう一押ししてほしかった、という感想。日本が太平洋戦争に突入していく時代、東京郊外のアッパーミドルクラスの家庭で女中をしていた語り手の目からみた、その「小さいおうち」の中(や外)で起こった小さな出来事を中心にした物語。上で「歴史」と「記憶」は二項対立で相対するものではないと書いておきながらこういうのもなんですが、この作品ではそれこそ現代の「歴史」の著述にはなかなか出てこないような「記憶」によって編まれた、時代の触感がとてもよく出ていて、戦時の状況がアッパーミドルクラスの女性や子ども、家庭にどんな意味をもっていたのか、ということはよく描けていると思います。でも、私には、それぞれの登場人物や情景の書き込みかたが、いまひとつ物足りなく、物語の核となる人間関係(読む価値はじゅうぶんある作品だと思うので、これから読もうというかたのために、敢えて具体的なことは書かないでおきます)についても、どうも説得力に欠けるような気がします。私にとって一番面白かったのは、作品の最後の部分ですが、この部分が一番面白いということは、作品の強みでもあり弱みでもあるんじゃないかと思います。女中の目からみたアッパーミドルクラスの家庭と昭和の日本の流れを題材にした、という点では、これまた私が深く深く敬愛する水村美苗さんの『本格小説』〈上〉 〈下〉 がありますが、本当に寝食忘れて読まずにはいられないこの小説を、また一気に読みたい気持ちになりました。『本格小説』を読んでいないかたは、読まずに死ぬには人生がもったいないというくらい面白い作品ですので、ぜひどうぞ。暑い夏の日を過ごすにはこんな小説を読むのがとてもよいです。


2010年8月5日木曜日

エレナ・ケーガン、米最高裁判事に承認

もとハーヴァード・ロースクールの学部長(deanというのは教員の長とは違って運営者なので、「学部長」と訳すと意味合いがちょっと違うのですが、他に適切な日本語もないのでとりあえず和訳の慣例に従っておきましょう)、オバマ政権で訟務長官を務めてきたエレナ・ケーガンが、最高裁判事として引退するスティーヴンス判事の代わりとしてオバマ大統領に指名されていたことは以前の投稿で書きましたが、このたび63対37で上院で承認され、史上最年少、女性では4人目の最高裁判事となることが決まりました。

おそらくスムーズに承認されるであろうことは、しばらく前から予測されており、じっさい、承認の公聴会でも大きな問題はありませんでしたが、投票の結果は政党によってはっきりと分かれ、党派を超えた連帯を目指すオバマ政権の理念がなかなか実現しにくいことがここでも明らかになりました。彼女の指名に反対する共和党議員は、彼女が判事の経験がないこと、また、ハーヴァード在任中に、軍が同性愛者に差別的な方針をとっていることへの抗議として軍がハーヴァード学内で士官をリクルートすることを禁止したことなどを理由に挙げ、彼女のリベラルな政治性を判決に持ち込むと警告してきました。じっさいには、公聴会の場でみられた彼女の司法にかんする意見は、リベラル派が多少いらつくくらい慎重なものであり、また、彼女の任命によって最高裁判事の政治的指向のバランスは基本的に現状が維持されることになるので、すぐに大きな変化があるとは考えられません。ただし、この先、同性婚、移民法、健康保険など、政治性の強い訴訟が最高裁にもたらされるので、判事たちの動向は大きく注目されます。

2010年8月4日水曜日

連邦地裁、同性婚を禁じるカリフォルニア州の提案8号を違憲と判断

Facebookとともに始まる私の一日ですが、今朝起きてみると何十人もの「Facebook友達」が興奮いっぱいで投稿しているのが、サンフランシスコの連邦地裁で、カリフォルニアの州憲法改正案、提案8号が違憲であるとの判断が出た、というニュースです。提案8号(Proposition 8)については、2008年の選挙のときにこのブログでも書きましたが、2008年に僅差で通過したカリフォルニアの住民投票で、結婚を男性と女性のあいだに限定するよう州憲法を改正する、つまり同性婚を禁止する、というものです。その半年前に、カリフォルニア州最高裁で同性婚が認められたばかりのときにこの提案8号が通過したために、同性婚を支援する人や、その半年間にカリフォルニアで結婚した同性カップルなどには大きな衝撃を与え、多くの波紋を起こしていました。

今回の判決は、同性婚の禁止は、憲法に定められた法の下の平等に反するとして、二組の同性カップルが起こした裁判をもとに出されたものです。LGBTの活動家がこの訴訟を支援するための非営利組織を設立し、保守・リベラル両陣営からきわめて権威ある弁護士を雇い、この裁判にのぞみました。提案8号の支持者たちは、同性婚は結婚という制度を揺るがすものであり、子どもは父親と母親の両方がいてこそ健全に育つ、との論を展開。提案8号反対派は、同性のカップルに育てられた子どもは異性の家庭で育った子どもと比べて、発育や知力・学力においてなんの違いもないというデータを提示。また、同性愛者たちが結婚を求めることで、結婚という制度は揺るがされるどころか、より地位が上がっているとの論も展開。全国のさまざまな大学の研究者や、なぜ自分たちにとって結婚が大事なのかという熱のこもった証言をする同性愛者たちが、裁判で証言をしました。Vaughn R. Walker裁判官による判決は、裁判でなされたこれらの証言に依拠した部分が多いと言われ、提示された事実および法の解釈の両方が判決文には挙げられていました。そして、「提案8号は、同性婚に対する道徳的な否認に基づいたものである」「同性のカップルと異性のカップルを異なるものだとするのは、道徳的・宗教的な考えにのみ依拠するものである」として、提案8号を違憲と判断しました。シュワルツネッガー州知事も、この判決を、「すべての人がもつべき全面的な法による保護を確認するもの」、「カリフォルニアの人々に、未来への道を切り開くという州の歴史、そしてあらゆる人々とその人々のもつ人間関係を等しい尊敬と威厳をもって扱う、というカリフォルニアの評判について考える機会を与えてくれる」として全面的に支持しています。

この判決に抗議する人たちは、すぐに控訴する準備をしており、連邦最高裁まで行くと予測されていますが、とりあえずは、この判決は、同性愛者、そして同性婚を支持する人々にとって大きな勝利といえます。