2011年12月23日金曜日

Pico Iyerの描くフクシマ

先日Christopher Hitchensについての投稿で、彼が雑誌Vanity Fairのライターであったことに言及しましたが、スーパーのレジに並んでいるときにこの雑誌の今月号が棚にあって手に取ると、Pico Iyerが福島原発について書いた記事があったので買いました。


Pico Iyerは、イギリス生まれのインド系で、アメリカとイギリスを行ったり来たりしながら育ち、オックスフォードとハーヴァードで教育を受け、その後ジャーナリスト、エッセイスト、評論家として世界各地をまわり、長年日本に住んでいる、グローバル化時代を象徴するような人物。私は一昨年、桜美林大学でアメリカ人の日本についての紀行文を扱う留学生向けの授業を教えたときに、彼のThe Lady and the Monk: Four Seasons in Kyotoをリーディングのひとつにしました。この本を含め、私は彼の書くものには、なんともアンビヴァレントな思いがあります。イギリス、アメリカ、インドという文化をそれぞれ自らの一部として育ちながら、どの場所にも百パーセントは属していないという感覚をもち続け、北朝鮮からイースター島まで世界各地をまわって旺盛な好奇心と鋭い観察眼で文化や人々をとらえる、彼の姿勢には共感をおぼえますし、また、異文化間の融合や葛藤についての彼の描写は、型にはまった理論にしばられず、現実味があって、面白いものが多いと思います。そのいっぽうで、なんともオリエンタリスト的とかエキゾチック趣味としかいいようのない記述もここかしこにあって、読んでいてイライラすることも。この福島原発についての記事も、まさにその一例。


この記事は、血液学・腫瘍学を専門とするアメリカ人医師で、チェルノブイリ事故およびそれ以後のあらゆる原発事故においての現地で調査や治療にあたってきたRobert Gale氏についてまわりながら、福島第一原発で作業にあたる従業員たちの姿を描いたもの。Gale氏は、福島原発事故がもたらす放射能についての報道や政府の反応は危険を過大視しているものが多いという立場をとり、居酒屋などで原発の従業員たちの質問に答えたり相談に乗ったりしながら正確な情報を提供しようとしている人物。放射能の危険性については、専門家のあいだでも評価がわかれ、Gale氏の立場に反論するものも少なくなく、また、これまでの彼の研究や治療方法についての批判もある、ということをきちんと説明してGale氏の位置づけを明確にしている点では、よい記事だと思います。そしてまた、危険を承知の上であえて原発での作業に足を運ぶ男性たちの姿の描きかたも人間的で、James Nachtweyによる写真もなかなかよい。


でもそのいっぽうで、話の行き着くところは、自分の命や健康に不安を抱きながらも作業をする従業員たちの、自己犠牲や義務感の背景にある、日本的な文化や精神。もちろん、そうした文化や精神は、従業員たちの動機の一部であることは間違いないでしょう。今の状況で原発で作業をしている人たちにはもちろん深い敬意と感謝の念を抱きますし、私は震災後の数ヶ月を日本で過ごしたので、福島に限らず、未曾有の事態において日本の人々が示した助け合いや我慢の精神を目の当たりにし、ほんとうに感動もしました。震災直後から、外国のメディアはそうした日本の人々のありかたを好意的に報じてきて、この記事もそのひとつとして捉えることができます。でも、そうした報道によくあるように、そうした人々のありかたを、神道だの儒教だのサムライ精神だので説明されると、「うーん。。。」という気持ちにならずにはいられません。文化の一部である以上、そうした要素がないとは言えないけれども、そうした歴史的具体性に欠けた精神論よりも、人々をこうした仕事に向かわせる社会経済状況や、原発の産業構造を、もうちょっと深く論じてもらいたかった。もちろん、政府や東電の構造の批判に焦点を当てた報道もたくさんあるのですが、そうした報道からは、生身の人間の姿が見えてこないことが多い。構造的な分析と人間的な描写の両方をバランスよく扱った報道がもっとほしいところです。

2011年12月16日金曜日

Christopher Hitchens逝去

以前にもこのブログでちらりと言及したことのあるジャーナリスト・評論家のChristopher Hitchens氏が昨日亡くなりました。昨年、回想録のHitch 22の宣伝ツアー中に食道がんと診断され、以後がんとの闘いについても、そして他のあらゆる時事問題についても、雑誌やテレビで精力的に論じ続け、最期まで目をみはるような勢いで生きた人物でした。享年62歳。


イギリスで生まれ、育った家庭は決して裕福ではなかったにもかかわらず、息子に教育を与えるという母親の強い意志によって私立校からオックスフォードのBalliol Collegeに進学し、ベトナム戦争反対運動などにかかわるようになって急速に左翼政治に傾倒。卒業後ジャーナリストとしてさまざまな新聞や雑誌に記事や評論を書きながら、イギリスの文壇のMartin AmisやJulian Barnes、Ian McEwanなどと親交を深め、パーティで派手に遊ぶことが好きなことでも知られるようになります。1981年にアメリカに渡りアメリカ国籍を取得し、The NationNew York Review of BooksVanity Fairそしてオンライン雑誌のSlateなどといったメディアで、ありとあらゆる話題をカバー。アメリカの対中米政策、トルコ=キプロス関係、北アイルランド紛争、ダルフール紛争などの現地取材による長文記事から、ユーモアに溢れた軽いエッセイ、そしてマザーテレサを痛烈に批判して物議をかもしたThe Missionary Positionや宗教を正面から捉え無神論を展開したGod Is Not Greatなどの著書多数。イスラム過激派批判の立場から、アメリカの対イラク戦争を支持したことでも話題を呼びました。


とにかく、それぞれの文章の鋭さと深さ、そして超人的としか言いようがない執筆スピードには、まったくもって圧倒されます。タバコや酒をこよなく愛し、昼間から酒を飲みながら仕事をすることでも有名でしたが、「自分にとって一番大事なのは書くことだ。書くことの足しになること—そして、議論や会話を盛り上げたり長引かせたり深めたりするのに足しになること—だったら(酒でもなんでも)自分にとっては意味のあること」と公言し、がんと診断された後もライフスタイルを変えなかったとのこと。Hitch 22には、自分の死について、「僕は死を受動的に受け入れるのではなくて、能動的に『やりたい』と思っている。死が自分にやってきたときに、その目を正面からじっと見て、その瞬間になにかをしていたいと思っている」と書いています。友人に囲まれた最期だったそうですが、この言葉、スティーヴ・ジョブズの妹モナ・シンプソンの追悼文に描かれたジョブズ氏の最期に通じるものがあります。合掌。

2011年12月11日日曜日

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

やっと今学期の授業が終わると思いきや、終わる前から緊張が解けすぎたのか、ここ一週間余は風邪でダウンしてしまいました。とにかく安静にしていろという医者の指示により、週末は家でじっとして、新潮社のかたに送っていただいた(ありがとうございました!)、村上春樹氏の『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読むことに。三日間くらいかけてじっくり読もうと思っていたのですが、論じられている曲の録音を聴きながら(といっても、私は同じ録音など持っていないので、同じ曲というだけで指揮者も共演者も違うものばかりですが)読んでも、一日強で読み終えてしまいました。


読み応えがないという意味ではありません。読み応えはおおいにあり、またじっくり読み返したいという箇所もたくさん。論じられている録音も手に入れて聴き比べてみたいとも思わせてくれます。なにしろ感心するのは、村上春樹氏のクラシック音楽の造詣の深さ。音楽が好きだということは知っていましたが、ここまでとは。このインタビューをするために小澤征爾氏のこれまでの録音を一通り聴き返したのは当然としても、小澤氏以外にもありとあらゆる指揮者とソリストの演奏の録音をコレクションに持ち、持っているだけでなくとことんと聴き込んでいる。楽譜がほとんど読めず(といっても、私の想像では、ほんとうに楽譜が読めないという意味ではなく、普通に楽譜は読めるけれども、交響曲のスコアなどを見ても音楽の構成を理解するようなスキルがない、ということだと思います)、自分で楽器を演奏もしないという村上氏が、ここまでのクラシック音楽の知識を持っているのには、ひたすら驚愕。いわゆるクラオタにありがちな、細かい豆知識を披露して嬉しがるという訳でもなく、自分は素人であるということをきちんと自覚し、聴いた演奏についての感想は、深く賢くありながら、新鮮なまでに素直。音楽と文学と、分野はまるで違いながらも、それぞれが世界を舞台に自分の求めるものを創造することに文字通り命をかけているふたりの会話だからこそ、そして村上氏がこれだけ音楽を深く愛している素人だからこそ、こういう本が出来上がったのだろうと納得。対話のなかで、村上氏の意外な質問に小澤氏が深く考え込む、という箇所がいくつかありますが、そういうところこそが興味深い。指揮者の仕事とはどういうものかとか、世界のオーケストラの特徴とか、指揮者とソリストの関係とか、ベートーベンやブラームスやマーラーの交響曲についての小澤氏の見解とか、こういう対話形式だからこそ出てくる話が満載。私にとっては、小澤氏が主宰するスイス国際音楽アカデミーでの若手音楽家たちの室内楽のトレーニングの部分が一番面白い。私は、音楽家のリハーサルやマスタークラスを見学するのが大好きで、ある意味では本番の演奏や完成された録音を聴くよりも、そのような創造の過程を見るほうが興味深いくらいですが、そうした意味では、合宿が始まったときには荒っぽい演奏をする音楽家たちが、ほんの一週間のあいだにみるみると成熟して人の心を打つ演奏をするに至るという過程を、村上氏が観察する最終章が一番面白かったです。クラシック音楽が好きな人にはもちろんですが、よきものを創造することを追求する、という視点から読めば、音楽の知識がない読者にも興味深い一冊だと思います。

2011年12月1日木曜日

同性愛者を親にもつ青年、州議会で証言

MoveOn.orgのメーリングリストやフェースブック上でたいへんな注目を集めているのが、アイオワ大学で工学を勉強している19歳の青年、Zach Wahls。州の最高裁の判決を受けて2009年に同性婚を合法化したアイオワ州で、今年2月に同性婚を再び違法化するための州憲法修正案が議会で議論されていたのですが、その最中に下院の公聴会で彼がした証言です。同性愛者が結婚しても子供を育てられないという人たちへの反論として、ふたりのレズビアンに育てられた彼が、自分の家族は他の家族ととくに変わることはない、喜怒哀楽をともにしたり家族の病気に直面したりときには喧嘩をしたりしながら、互いへの愛情で結ばれた家族なのだ、ということを堂々と語っているのですが、ほとんどメモも見ずに議員を前にとうとうと弁舌するその様子、とても19歳とは思えない。

彼の雄弁で感動的な証言の力もあって、結局この修正案は否決され、アイオワは現在でもアメリカで同性婚が合法化されている6州のひとつとなっています。2月の証言が、今になって突然再び注目を浴びているのは、YouTubeで公開されているビデオがメールやウェブサイトやSNSで次々に飛び火したからですが、ここ24時間以内にフェースブック上でこのビデオをシェアしたり「いいね!」ボタンを押したりコメントしたりした人は、なんと60万人以上というのだからすごい。もとのYouTubeビデオにも現時点で510万回以上も視聴されています。ほんの3分間の証言ですが、多くのことを考えさせられますので、是非見てみてください。

2011年11月30日水曜日

とにかく必読!アメリカにおける中東への「関心」の形成

こちらは今学期の授業もあと二週間となりました。以前にも書きましたが、今学期は私は、アメリカ研究の学説史を概観する大学院のゼミと、アメリカ女性史の学部の授業を教えています。昨日の大学院の授業でディスカッションしたのが、私が心の底から尊敬していて友人でもあるMelani McAlister『Epic Encounters: Culture, Media, And U.S. Interests In The Middle East Since 1945』。私は大学院の授業を教えるたび、つまりほぼ毎年、この本を課題の一冊としているのですが、その度に、あまりの素晴らしさに感動を覚えます。今回もあらためて感動したので、ここでも書かずにはいられません。


Melani McAlisterは、私が大学院生活を送ったブラウン大学の同じアメリカ研究学部の二年先輩。彼女が博士論文のプロポーザルの草稿をゼミのワークショップに提出したときに、私は「こんなに面白い研究ができるんだったら、私もこの分野で頑張ろう」と思ったのをよく覚えています。当時から彼女は、ゼミのディスカッションであれ講演での質疑応答であれ、彼女が口を開いてなにか質問や発言をするたびに周りの人の理解が深まるような、ずば抜けた頭脳の持ち主でした。大学院に入ったばかりの私には、彼女はまさに女神のような存在で、自分などはどんなに頑張っても足下にも及ばない、と思っていました。どんなに頑張っても足下にも及ばないのは二十年が経過した今でもそのままですが、人生とは不思議なもので、私が博士論文を書き始める頃から、共通の指導教授を含め数人でオリエンタリズムについての勉強会をしていたこともあり、なぜか彼女は私のことを対等の「仲間」と思うようになったらしく、お互いの原稿を読んでコメントをしあったり、お茶をしながらおしゃべりするような関係になり、そのこと自体が私にはまるで信じられない思いでした。


この本は、1945年以降のアメリカにおいて中東への「関心」がどのように形成されてきたかを、「十戒」や「ベン・ハー」などの映画や爆発的人気となったツタンカーメン王展、そしてイスラエルやイランについてのメディア報道などといった「文化テキスト」の分析を通じて論じているものですが、あらゆる次元でぞくぞくするくらい素晴らしい。アメリカ研究においては彼女が扱っているような「文化」の分析はごく普通のことですが、この本においては「文化」と外交を含む「政治」の相関関係についての理論的枠組がきわめて緻密であり、それぞれの「テキスト」の分析においてその関係が見事に示されている(単に「文化は政治や歴史を反映する」あるいは「文化は政治を操作する」といったものではない)。そして、アメリカにおける中東の「関心」(ここでは「関心」と訳していますが、彼女が使っているのはinterestという単語。つまり、文化的・宗教的・知的な「関心」と、地政学的・経済的・軍事的「利益」の両方の意味がこめられているわけです)と一口に言っても、その「アメリカ」を構成しているのは実に多様で、たとえばキリスト教原理主義者や、イスラムに改宗したアフリカ系アメリカ人、イスラエル国家にさまざまな思い入れをもつユダヤ系アメリカ人、中東をフェミニズムの闘争の場ととらえる女性活動家など、さまざまな立場や背景の人間たちが、それぞれの形で中東を自らのアイデンティティ形成の舞台としてきた。アメリカの中東についての言説が、「自己」と「他者」をもとにしたものであることは変わりないものの、その「自己」が決して西洋キリスト教徒の白人男性を基盤にしたものではなく、意識的に多様な存在であり、中東とのかかわりかたも必ずしも「自己」と「他者」を二項対立的に捉えるものではない、という点で、エドワード・サイードが理論化した、二十世紀前半までのいわゆる「オリエンタリズム」とは決定的な違いがある、という分析も精確に展開されています。


もとの原著は、なんと2001年のテロ事件とほぼ同時に刊行になり、原稿完成から出版まで気が遠くなるような長い時間がかかるアメリカの学術出版ゆえ、もちろん2001年の事件のことは議論に含まれていなかったものの、本の中身で展開されている分析は、テロ事件そのものそしてその後のアメリカにおける報道のありかたや政府やさまざまな人々の反応に、どきっとするほど当てはまるものでした。Village Voiceの「2001年に出版されたもっとも重要な本」の一冊にも選ばれ、学界内外にたいへん大きなインパクトを与えた本ですが、2005年に刊行された第二版には、2001年のテロ事件とその後の展開を象徴する五枚の写真の分析を通して、メディアや文化と政治の関係がさらに鋭く論じられています。


何度読んでも、「こんなに素晴らしい研究があるものか」と感嘆する一冊。どのページを開いてどの一文を読んでも、たくさんのことが学べる一冊。私はこの本を読んでいるだけで、「研究者になってよかった」を通り越して「生きててよかった」とすら思ってしまう一冊。アメリカ研究の分野では、刊行から十年にしてすでに古典の一部となっていますが、研究者以外の読者にも、ぜひとも読んでもらいたいです。文章は精緻にして実にエレガントであり、著者の理知と人間性が本のいたるところににじみ出ています。ブラボー!

2011年11月24日木曜日

親戚との集まりで政治談義を交わす方法

今日はアメリカではサンクスギヴィングの休日です。私はこれから、ブランチ、夕方の集まり、夜のディナーと三つのパーティに出かける(こうやって招いてくれる友達がいろいろいるおかげで、自分は料理も皿洗いもしなくていいのがありがたい)ので、七面鳥たっぷりの一日に備えて昨日はジョギングに出かけてきました。でも、385カロリー消費しただけなので、今日摂取するであろう量にはとうていかなわず、ブランチと夕方のあいだにもジョギングに行こうかと検討中。(ちなみに、三ヶ月前に始めた例のフィットネス・ブートキャンプは、頑張って続けています。今週はサンクスギヴィングなので一週間お休みですが、来週から再び始まります。おかげさまで、体重はそれなりに減り、体型にも目に見えた変化が出てきました。慣れとはすごいもので、五時に起きるのもそれほど苦ではなくなってきました。)


さて、『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書きましたが、アメリカではサンクスギヴィングやクリスマスは家族や親戚が家に集まってゆっくりと食事をしながら団らんする、家族中心の休日。小さい子供がいたりすると、和やかで楽しい一日になりがちですが、親戚とは必ずしも自分と同じ思想信条やライフスタイルを共有する人たちばかりではないので、こうした団らんの場がそれはそれはオソロしい葛藤の舞台となってしまうことも少なくありません。とくに、アメリカの人は政治談義が好きな人が多く、とくに選挙の話題になったりすると、それぞれがムキになって自分の意見を主張し、しまいには七面鳥を前に大げんかになって収拾のつかない事態になる、ということも。今年は選挙こそないものの、Occupy Wall Street運動やら議会での予算削減策交渉の破綻やら、議論に火をつけるネタには事欠きません。そうした親戚との議論を予測して、主にメールやインターネット上で活動を展開する左派団体のMoveOn.orgが発信しているのが、「サンクスギヴィングに打ち破るべき五つの神話」というリスト。親戚の集まりで、保守のおじさんが議論をふっかけてきたら、冷静にきちんと反論できるようにと、話のポイントを絞って整理したもの。こうやってサンクスギヴィング用にわざわざ用意してくれるところがなんとも面白い。保守が信じている誤った神話というのは、


1 議会で予算削減策が成立しなかったのは、両党が妥協しようとしなかったからだ
2 Occupy Wall Street運動にかかわっている連中は、なにを求めているのか自分たちでもわかっていない
3 Occupy Wall Street運動にかかわっている連中は、そんなヒマがあったら仕事を探すべきだ
4 Occupy Wall Street運動にかかわっている連中は、とくに銀行や警察に対して暴力的な行動をとる意図まんまんである
5 現在アメリカが直面している最大の危機は、際限のない政府のバラマキ政策である


というもの。これらがなぜ誤った神話であるかという説明は、実際の記事を読んでいただきたいですが、とくにここ一週間、カリフォルニア大学デイヴィス校で非暴力の抗議運動(しかも抗議の対象は大学の授業料値上げや公立高等教育の弱化)を行っていた学生たちに対して警察が催涙ガスを使った事件について、大学関係者はもちろん各方面のメディアや言論人が大学学長や警察を糾弾していますが、こうした事件も、アメリカ各地のサンクスギヴィング・ディナーの話題となっていることでしょう。


ちなみに、ナショナル・パブリック・ラジオの番組では、議会で冷静に礼節をふまえた議論を行うための分科会なるものを始めた、ウェスト・ヴァージニア州選出の共和党議員Shelley Moore Capitoがゲストに迎え、サンクスギヴィングの集まりで政治談義になったときの交わしかた、というアドバイスのようなものをしていますが、うーん、議会の状況からして、あまり説得力がないような。。。



2011年11月17日木曜日

アメリカ性教育の最前線

現在ニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」リストのトップにあるのが、今週の日曜版に掲載される(オンラインでは日曜に先立って掲載されている)、Teaching Good Sexという長文記事。なかなか考えさせられます。フィラデルフィアの裕福な地域にあるクエーカー系の私立高校で、3年生の選択科目として開講されている、Sexuality and Societyという名の性教育のカリキュラムを詳しく取り上げたものです。


中絶や同性婚などとを含む性をめぐる社会制度や価値観が激しい政治的議論となるアメリカでは、性教育の是非やそのありかたも、右派と左派を分離するトピックのひとつ。「学校で性教育をするならば禁欲を提唱するカリキュラムにするべきだ」という説から、「禁欲を前提としながらも、『どうしても』や『万が一』の場合に備えて避妊や性病の予防についての基礎知識は与えるべきだ」という説、そして、「ティーンエイジャーの大半が性行為をする現在、性についての正確な知識を与え、若者たちに健全な性意識を身につけさせるためには、包括的な性教育が必要」という説までさまざま。性教育を提唱する運動は、20世紀初頭にハーヴァード大学総長のチャールズ・エリオットなどを含む知識人たちに始まる長い歴史がある。1960年代から1970年代のフェミニズムその他の流れのなかで性を肯定的にとらえ正確な知識を与えるカリキュラムが各地で考案・施行されたものの、1980年代の保守の台頭によって性教育が政治問題化してからは、多くの学区では「包括的な性教育」は、ティーンエイジャーの性行為を悪とし禁欲を前提としたカリキュラムにとってかわった。そのなかで、この学校で開講されているような授業はアメリカ全国でもきわめて例外的、とのこと。(短いながらもちゃんとこうした歴史的視点をふまえているところが、さすがニューヨーク・タイムズのエラいところ。)


この授業を担当しているAl Vernacchio先生は、大学進学に向けたハイレベルの学業と社会的責任の倫理教育の両方を誇るこの学校で、1998年以来英語(つまり「国語」)の教師として非常に尊敬されている人物。学業面での指導業績が見事なため、Vernacchio先生の性教育の授業についても生徒の親からはなんの反論も出たことがない、とのこと。この授業では、避妊や性病といった「スタンダード」なトピックから、男女の身体、同性愛、恋愛、健全な性のありかた、性行為をめぐる感情的側面、オーガズム、(女性も含む)射精、オーラルセックス、ポルノなど、あらゆる話題がカバーされる。男女の性器をアップで写した写真を何十枚も見せ、人間の身体は人それぞれであるという事実を感覚的に理解させ、自分や他人の身体について「普通」とか「普通じゃない」とかいった見方をしないようにする、といったことも。


Vernacchio氏は、12歳くらいのときに自分がゲイであることに気づき始めたものの、同性愛を罪とするような文化のなかで、自分の性的指向や性全般について話ができるような環境はなく、ひたすら本を読んで性について勉強した、とのこと。現在では、17年来のパートナーと関係をもっている。子供のときから人前で話す能力を皆に買われていた彼は、たいていの人がオープンに話すのをためらう性についても、「話す能力を神様に与えられた」というくらい、高校生相手に率直で真摯に話す腕前をもっているとのこと。授業では、生徒が自分のパーソナルなことについて先生に話すことはまったく義務づけてはおらず、そうした相談をしにくる生徒もいれば、そうでない生徒もいる。でも、一学期を通じてこれだけ性にまつわるあらゆるトピックを授業で扱えば、生徒は性についての自分の考えや感情を率直に口にすることが普通となり、性行為についてきちんとした知識にもとづいて自分なりの決断や判断ができるようになる、との基本理念。


生徒の信頼を勝ち取り、効果的にこのような授業を教えられる人物は、そうゴロゴロとはいないかも知れませんが、その理念は、正しいだろうと思います。日本でも、こうしたカリキュラムがあったらいいのにと強く思います。(私が中高生の頃は、「男女交際禁止」などという校則がある学校がけっこうたくさんありましたが、今でもそうなんでしょうか?そんなばかばかしいことを言っているひまがあったら、きちんとした性教育をするべきだと思いますが。)


ちなみに今日はアメリカ女性史の授業で、Vagina Monologues映画版を見せて(前回の授業で前半は見せたので、今日はその残り)ディスカッションをします。学生がどんなコメントをするのか、とても楽しみ。

2011年11月16日水曜日

ベストセラー作家、「街の書店」経営に乗り出す

今日のニューヨーク・タイムズに、「流れに抗うべく小説家が書店をオープン」というタイトルの記事があったので、誰のことかと読んでみると、なんと現代アメリカ作家のなかで私がもっとも好きな小説家のひとりのAnn Patchettでした。アマゾンなどのオンライン書店や、Barnes & Nobleといったチェーン店、そして電子書籍の興隆に押されて、独立系のいわゆる「街の書店」がどんどん消え去っていくのはアメリカ全国でみられている現象。Ann Patchettの住んでいるテネシー州ナッシュビルもその例にもれず、最後の砦として頑張っていた独立系の書店が閉店を決めると、郊外にあるBarnes & Nobleとヴァンダービルト大学の書店(他の多くの大学でもそうですが、この大学書店も経営はBarnes & Noble)を除いては、古本屋や宗教などの専門書店以外には「街の本屋」がなくなってしまうという状況に。「私は商売にも興味がないし、本屋をオープンすることにも興味がないけれど、本屋がない街に住むことにもまったく興味がない」と言って、書店オープンのための企画を練ること半年。自分の小説のサイン会のために全国の書店をまわりながら、訪れる各店でリサーチを重ね、大手の書籍卸売業や出版社で経歴を積んでいる出版業のプロとパートナーシップを組み、私財もかなり投入して、開店にこぎつけるとのこと。書店業は先行き真っ暗かのようなニュースばかり入ってきますが、この記事によると、厳選された書籍を並べ本を知り尽くしているスタッフが個人的なサービスを提供してくれる小規模の独立系書店が、オンライン化の流れに逆らって成功している例は、いろいろなところで見られるそうですが、果たしてそのひとつとなれるのか。街にいい書店があるということは、コミュニティの文化にとってとても大事なことなので、ぜひとも頑張ってほしいです。でも、Ann Patchettのファンとしては、書店経営が忙しくて、執筆が滞ってしまうんじゃないかと、そちらもちょっと心配。


Ann Patchettは数多くの作品がありますが、日本語に訳されているのは『ベル・カント』だけのよう。もっと訳されていい作家だと思います。この『ベル・カント』は、ペルー日本大使館公邸占拠事件にヒントを得て、また作者の友人であるというオペラ歌手Renee Flemingをモデルにして(との噂ですが、本当かどうかは知りません)書かれた、とてもドラマチックで美しい小説。とくに最後の部分が素晴らしい。私はこの作品を読んですっかりAnn Patchettのファンになり、以来彼女の作品はすべて読んでいます。『ベル・カント』はオペラ化されるという話で、サンタフェ・オペラが某作曲家に作品を委嘱したという噂を何年も前に聞いて以来、実際にオペラが上演されるという話はさっぱり聞かないので、いったいどうなったのか知りませんが、私はこのオペラができたら(やはりRenee Flemingが主演するのでしょう)サンタフェでもどこでも飛んで行って観ようと思っています。


他にも数々の作品がありますが、『ベル・カント』と並んで私が好きなのが、『Truth & Beauty: A Friendship』。これは小説ではなく、彼女の親友であったLucy Grealyとの濃厚で複雑で美しい友情について振り返ったノンフィクション。ともにIowa Writers' Workshop(水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の最初の部分に、世界各地の作家を招聘するアイオワの国際プログラムについてのとても面白い文章がありますが、これは同じアイオワ大学で作家を育成するための大学院レベルのプログラム)で修行を積んで以来、執筆の苦楽そして私生活でのさまざまな局面をともに経験しながら、それぞれの段階で友情が形を変えていく様子を振り返ったもの。Lucy Grealyは、たいへんな才能の持ち主であったと同時に、病気そして薬物依存に苦しみ事故破壊的な行動に走る人物でもあり、彼女の友人でいるのは喜びと苦しみの入り交じった難しいものであったことが明らか。そのなかで、見放すでもなく甘やかすでもなく、人間として相手と真摯に向き合い、友として相手の人生を見守った回想。ひたすら強く美しく苦しく、心うたれます。とりわけ私が気に入っている一節があり、それをここで引用しようと思って本棚を探したのですが、なぜか見つからない。大学の研究室のほうに置いてあるのかと思うので、後で見つかったら追記します。英語の文章は雄弁で美しくそんなに難しくないので、日本の読者にもぜひ読んでいただきたいです。

2011年11月13日日曜日

オンライン・デーティングの科学調査

「こんなのが出てるよ」と友達が送ってくれたのが、ニューヨーク・タイムズに掲載された、オンライン・デーティングの科学調査の結果についての記事。なかなか面白い。


2007年から2009年までにできた異性愛者同士のカップルの21パーセント、同性愛者同士のカップルの61パーセントは、ネット上での出会いから始まったらしく(全人口に占める割合を反映して、絶対数としては異性愛者同士のカップルのほうが圧倒的に多いけれども、同性愛者のあいだでネット上の出会いの割合がこれだけ高いというのは、公の場でのオープンな出会いや交流が限定される同性愛者にとって、ネットという媒体がどれだけ重要な社交の場として機能しているかを示していて興味深い)、さまざまな分野の研究者がオンライン・デーティングに目を向けるのもまあ当然。実験室で人工的に作り出された環境と違って、現実世界での生身の人間模様を分析できるのが、オンライン・デーティング研究の長所。ますます人々の生活の多くがネットを通じて展開されている現在、ネット上の出会いは現実から切り離されたものではなくて、現実そのものだ、とのこと。私が言うのもなんですが、まあそれはその通り。というわけで、オンライン・デーティングのデータを使った研究には、アメリカ最大の科学研究の資金源であるNational Science Foundationもお金を出しているとのことです。ふむふむ。


で、ここで紹介されているデータがなかなか興味深い。たとえば、オンライン・デーティングをしている人の実に81パーセントが、身長、体重、年齢のどれか(または複数)についてプロフィール上で「虚偽の申告」をしているとのこと。女性は平均して8.5ポンド(4キロ弱)、男性は2ポンド(1キロ弱)体重を減らし、男性は半インチ(約1センチ)身長を伸ばしている。自己紹介の文章で嘘を書く人の文章には、一人称をあまり使わない、否定形の文が多い、文章が全体的に短いといった、共通の特徴があるらしい。


私にとって特に面白いのが、オンライン・デーティング上の人種力学。ネットの出会いは、既存の社会の境界を取り除き、人々がより多様な相手と交際するようになるかとの予想を裏切り、オンライン・デーティングでの出会いの圧倒的多数は、同じ人種・民族同士だそうです。自分とは異なる人種の相手ともデートを考える、と言っている人でも、多くの場合は実際には自分と同じ人種の相手としかデートしていない。白人がネット上で声をかける相手の80パーセントは白人で、白人から黒人に声をかける例は3パーセントしかない。逆に黒人から白人に声をかける確率はその10倍。なんとも露骨な人種模様ではありませんか。政治や経済や教育の場で展開される人種についての議論と、人々が求める親密な交流とのあいだには、複雑な関係があることを示唆しています。


また、政治といえば、自分の政治的信条をプロフィールで明言する人の割合は非常に低い、とのこと。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、私は自分が「政治的に左の人を希望します」とはっきり書いているのに、それをまったく無視したメールがよくくるので驚いたのですが、なるべく幅広く網を広げておこうという人は、政治についてのコメントをしない、ということのようです。「私は保守です」というよりも「私は太っています」という人のほうが多いとか。ひょえー。


このデータを見ると、バカ正直に本当のことばかり丁寧にプロフィールに書いていた自分がマイノリティだったのかと思えてきますが、私が出会った男性のほとんどは、ここに出てくるケースには当てはまらなかったなあ。それは、人種に限らず、マイノリティ同士がしぜんに結びつくという摂理を表しているのかも。

2011年11月11日金曜日

APEC & オルタナティブAPEC

ホノルルでは現在、APEC(アジア太平洋経済協力会議)が開催されています。APECについては、シンガポールの事務局で仕事をしていた友人の著書を以前にこのブログで紹介しましたが、今年度はホノルル開催。環太平洋21カ国の首脳が集まるこの会議は、ホノルルがホストするイベントとしては史上最大規模で、交通規制や警備などをめぐって混乱も見えています。大イベントに際して地元住民に多少の不便があるのはしかたないとして、より本質的なところで、APECが象徴する資本のグローバリゼーションのありかたに異を唱える議論が活発に展開されています。ちょうどOccupy Wall Streetの運動が世界的に展開されている最中のことなので、その動きと合流して、さまざまな団体や活動家、言論人がAPECに対抗する活動に従事しています。


そのひとつが、Moana Nuiという集まり。アジア太平洋地域の活動家、研究者、農業や漁業に従事する人々、教育者などが集まって、資本のグローバル化や産業開発、気候変動のなかで、太平洋の国々や人々が経済的に持続可能で文化や環境を守り育てていく協力体制をどのように築いていけるかを議論するフォーラムを企画したものです。一昨日から三日間、APECと並行する形で会議が開かれているのですが、私は授業などがありまだ参加できていません。


でも、このMoana Nuiの会議の参加者のひとりであるWalden Bello氏が、昨日の夕方ハワイ大学で講演したので、聴きに行ってきました。Bello氏は、フィリピン出身で政治や社会政策を専門とする研究者であり、カリフォルニア大学バークレー校をはじめとして数多くの大学で教鞭をとってきましたが、現在はフィリピンの下院議員を務めています。バンコクを拠点とするFocus on the Global Southという研究所の創設者でもあり、世界銀行の極秘資料などを分析しながら現代のグローバリゼーションのありかたの問題点を指摘しその代替となる多国間協力体制を提言する、さまざまな著書があります。最近の著書としては、世界的な新自由主義的経済政策のなかで悪化する食糧危機を扱ったThe Food Warsがあります。


昨日の講演の主な論点は、以下のようなものです。自由貿易を拡大し資本のグローバル化を推進することによって利益を増大させることを目的とするAPECは、参加国すべての経済や人々の暮らしを向上させるような構造にはなっておらず、むしろアメリカ合衆国の覇権を強化し、そして中国の輸出産業や金融業の利益を増大させる(二十年前までは、このような環太平洋構造の批判ではアメリカと日本が槍玉にあげられましたが、今では日本の「に」の字すら出てこない。昨日の45分ほどの講演でも、「日本」という単語はついに一度も出てきませんでした)ようにできており、太平洋の島々やより小規模経済の参加国が、どのようにして持続可能な経済成長をしていけるかはAPECが問題とするところではない。とくに、小国の長期的な経済成長、先住民の生活、移民労働者の権利、気候変動、持続可能な資源開発などといった、アジア太平洋地域において現在もっとも肝要な問題について、APECは多国間の議論を促進したり対策を講じたりする意思がまるでない。APECは単に各国首脳がアジア太平洋の民族衣装を身につけて集合写真を撮り「国際協力」の視覚的イメージを作る以上の、なんら実質的な機能を果たしていない、とのこと。


グローバリゼーション批判の論点としては他でもよく聞いたり読んだりするものと共通ですが、ではBello氏の提言するような多国間協力体制を作るには、APECのありかたを改革することで可能なのか、それともまったく別の形態の組織が必要なのか、そのあたりを質問したかったのですが、質疑応答に入ったところで私は退出しなければならず、残念。でも、講演としてはなかなかよかったです。

2011年11月6日日曜日

図書館いろいろ

昨日のニューヨーク・タイムズに、かつて極東編集局長であったコラムニスト、ニコラス・クリストフが、元マイクロソフトでマーケティング部長を務めていたジョン・ウッドが始めた2000年に始めたRoom to Readというチャリティについての論説を載せています。ネパールで始まったこのチャリティは、世界各地の子供たちが本を読めるように、図書館を開設したり学校に本を送ったりするというプロジェクトで、これまでに世界で一万二千の図書館を開設し、一日につき六の図書館がオープンしているという驚異的な成果をあげているそうです。


たいへん結構なプロジェクトで、現代アメリカの図書館システムの基盤を作ったアンドリュー・カーネギーを思わせますが、私としては、これらの図書館にいったいどんな本が入っているのかについてもっと知りたいところ。こうしたチャリティの対象となる地域では、図書館以前にそもそも本自体がないところが多いため、Room to Readでは自費出版で子供たちのための本を出版もしており、クメール語やネパール語などさまざまな言語で591の本を刊行してきた、と書いてありますが、アメリカのフィランソロピーによってこれらの言語の出版文化が形作られることは、なにを意味しているのか、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の議論と照らし合わせて考えてみたいところ。また、私の元大学院生が、ベトナムとアメリカの国交正常化前後にアメリカ人(その多くはベトナム戦争を経験した元兵士)がベトナムで展開してきたさまざまな人道的チャリティ・プロジェクトの力学についての博士論文を書いたのですが(これは本当に指導のしがいがあったと思わせる素晴らしい博士論文に仕上がり、こういう学生が育つと教師をしていてよかったと心から思います)、Room to Readを彼女に分析させたら興味深いものが出てきそうな予感。


図書館ネタでもう一点、最新のニューヨーカーに、文芸評論家のジェームズ・ウッドによるShelf Lifeというエッセイ(残念ながらこれはお金を払った購読者でないと全文は読めないよ設定になっています)があります。著者の亡くなった義父が集めた莫大な数の本の処理について途方に暮れながら、人が本を買い集めるという行為の知的・情感的・物理的な意味を振り返っているエッセイなのですが、この文章がたいへん素晴らしい。フランス国籍でアルジェリアで育ちフルブライト奨学生として渡米して中東研究に従事したものの学問の道には進まずカナダに移住してビジネスマンとして生きた義父は、人柄的には親しみを感じさせる人物ではなく、存命中は著者は義父のことをコワいと思っていたけれど、死後彼の書庫に積み上げられた本を通じて彼の頭や心のなかに思いを馳せ、人にとっての本の意味を考える、というもの。著名な知識人でなくとも、この義父のようになんらかの体系にそって本を集めた人のコレクションは、全体があってこそ意味があるのであって、一冊一冊の本自体にはほとんど価値がない。けれど、今どき単なる個人の関心にそって集められた大量の古本をありがたく引き受けてくれるような図書館も古書店もめったにない。コレクションとしての価値を失い、所有者との関係が切り離されてしまえば、本というのは単なる重くやたらと場所をとる物品でしかなく、他のありとあらゆる遺品となんら変わらず、大量の本を残された家族も途方に暮れるばかり。そうは言うものの、本にはそれを読んで大切にとっていた所有者のいろいろな思いがこもっているし、その人の知的道程の地図でもあるしで、そう無下に扱うのも心が痛む。義父の本のコレクションを見ながら、生まれ育った故郷を遠く離れて人生の大半を過ごした義父の人生を振り返る、こんな文章が絶妙。


The acquisition of a book signaled not just the potential acquisition of knowledge but also something like the property rights to a piece of ground: the knowledge became a visitable place. His immediate surroundings, American or Canadian, were of no great interest to him; I never heard him speak with any excitement about Manhattan, for instance. But the Alhambra in 1492, or the Salonica he remembered from childhood (the great prewar center of Sephardic Jewry, where, he recalled, there were newspapers printed in Hebrew characters), or the Constantinople of the late Byzantine Empire, were . . . what? If I say they were "alive" for him (the usual cliche), then I make him sound more scholarly, and perhaps more imaginative, than he was. It would be closer to the truth to say that such places were facts for him, in a way that Manhattan and Toronto (and even Paris) were not.
     And yet these facts were largely incommunicable. He spent his time among businessman, not scholars. He rarely invited people to dinner, and could be emphatic and monologic. He tend to flourish his facts as querulous challenges rather than as invitations to conversation, though this wasn't perhaps his real intention. So there always seemed to be a quality of self-defense about the greedy rate at which he acquired books, as if he were putting on layers of clothing to protect against the drafts of exile.


しつこく水村美苗さんを引き合いに出しますが、『私小説―from left to right』『本格小説』に描かれている、十二歳で渡米し英語の日常のなかで生活しながら近代日本文学全集をひたすら読みあさることで自分の精神世界を築いていった水村さんを思い出させる文章でもあります。


私も職業柄、本がどんどん増えるいっぽうで、この先どうなるんだろうと思うことがよくあります。数年に一度は、もう必要ないことが確実で特に思い入れのない本を段ボールに十箱ほどずつ処分するのですが、それでも書棚スペースはほとんどなし。今はまだ、研究室と自宅を合わせてなんとかなっているものの、数年後にはなんとかならなくなるのが確実。うーむ、どうしよう。そのいっぽうで、私が子供時代に何十回と読み返した『あしながおじさん』と『若草物語』を実家から持ってこようと探したのにどうしても見つからなかったときの落胆(そういう本というのは、その箱や表紙や挿絵にも思い出が詰まっているので、新しくその本を買えばいいというものではない)を考えると、自分にとって大事な本はやはり大事にとっておかないととも思うし. . .

2011年10月25日火曜日

American Studies Association ボルティモア声明

先週木曜から昨日まで、学会でボルティモアに行ってきました。私の専門であるアメリカ研究全体を扱うAmerican Studies Associationという学会の年次大会だったのですが、私の所属するハワイ大学のアメリカ研究学部が新任教員を採用するための一次面接をこの学会で行うため、私はそちらにかり出され、自分が司会を務めたセッション(ちなみにこれは、ティーチング・アシスタントなどの役割で働く大学院生の労働についてのセッションで、イェール大学やニューヨーク大学で大学院生の労働組合化の運動に携わってきた大学院生や、アメリカの高等教育の歴史や労働史を専門にする研究者が発表をし、とてもいいセッションでした)以外はひとつも研究発表を聞かずに終わるという状態でした。『アメリカの大学院で成功する方法』でも説明していますが、アメリカの大学での教員採用のプロセスはなかなかシビアで、書類選考を経た後での一次面接(ポジションにもよりますが、普通はこの段階ですでに倍率数十倍のふるいにかけられています)ではひとりにつき大体四十分から一時間、研究や授業についてのかなり突っ込んだ会話をします。もちろん面接を受けるほうは大変ですが、十人以上の候補者の研究や授業のシラバスに目を通してまともな質問をしなければいけないこちらもけっこう大変。でも、こうして採用にかかわるたびに、第一線で画期的な研究をし、真剣に教育に取り組んでいる若手研究者たちの仕事を知って、カツを入れられる気持ちになり、とても刺激的です。今回も、「この人たちの誰を採っても私たちの学部には素晴らしい戦力になるのは間違いない」という人たちが数多くいたので、ともかくは安心。


そんなわけで、学会の主な活動にはまったく参加できませんでした(といっても、「学会の主な活動」とは、他の大学で仕事をしていて普段は会えない仲間たちとバーでおしゃべりをすることだ、とも言えるので、その意味では夜の部にはそれなりに参加しました)が、夜や学会が終わった後の日曜日にはボルティモアの街を少し散策。ボルティモアは、2002年から五シーズンにかけてケーブルテレビのHBOで放映された刑事ドラマThe Wireの舞台。刑事ドラマといっても、この番組は形式においても内容においても一般的な刑事モノとはずいぶんと違った作りになっていて、各エピソードで安易な答を出そうとせず、麻薬、教育、警察、メディアなどに焦点を当てながら、シーズンを通してボルティモアそしてアメリカ全体の政治・経済問題を深くえぐり出す、とてもシリアスで画期的な番組。今回の学会でも、ボルティモアの研究者の案内でこの番組で取り上げられる場所などをまわるツアーというのがあり、私は面接がなければぜひ参加したかったです。




学会会場のホテルのすぐ近くの公園でも、Occupy Wall Streetのボルティモア版があり、テントを張って泊まり込みで抗議運動をしている人たちがいました。


また、学会の審議会でも、この運動への支持を表明し、経済危機のなかでこそ批判的・分析的な精神を養い民主的な社会の実現するための教育の必要性を訴えた声明文が採択されました。学会がこういう声明をするのだということ自体、なかなか興味深いのではないかと思うので、以下全文掲載します。


Political Dissent in a Time of (Economic) Crisis

A Statement by the Council of the American Studies Association
20 October 2011
We are the public. We are workers.  We are the 99%.  We speak with the people here in Baltimore and around the globe occupying plazas, parks, and squares in opposition to failed austerity programs, to oligarchy, and to the unequal distribution of wealth and power.  The loss of jobs, healthcare, and homes, the distressing use of mass incarceration and mass deportations, and the destruction of environments have brought so many households and individuals to crisis. We join with people re-claiming commons rights to public resources.  We join in the call against privatization and for a democratic re-awakening.
As educators, we experience the dismantling of public education, rising tuition, unsustainable student debt, and the assault on every dimension of education.  As American Studies scholars, our work includes, among other things, addressing the problems and challenges societies face, drawing lessons from the past, comparing across polities, and making informed recommendations that will spark open debate.  We draw inspiration from earlier social movements that have challenged the unequal distribution of power, wealth, and authority. Today’s movements continue this necessary work. The uprisings compel us to lift our voices and dedicate our effort to realizing the democratic aspirations for an equitable and habitable world.  We are the 99%.



2011年10月19日水曜日

Siriとの会話

パソコンのハードディスクを入れ替えるはめになってから、あちこちに散乱したデータをかき集めるのに精一杯(ちなみに、私はMobileMeからiCloudに移行するためにOSX Lionをインストールしているときにハードディスクが壊れたのですが、新しいハードディスクを使っていざiCloudに移行してみると、MobileMeのほうがよかったと思われることもいくつかあります。MobileMeは来年6月で終わってしまうので仕方ありませんが、写真やワードファイルをバックアップするにはMobileMeのほうがずっと便利でした)で、iPhone4S購入以来まだあまり遊べていないのですが、ひとつだけ楽しんでいるのが、音声でいろいろな質問に答えたり頼んだことをやってくれる「ヴァーチュアル・パーソナル・アシスタント」のSiri。


たとえば、Wake me up at 6:30 tomorrow morning.と言えば、自動的にアラームをその時間に設定してくれるし、Call Mari Yoshihara.と言えば、Mari Yoshiharaの番号がアドレス帳に入ってさえいれば自動的にダイアルしてくれる。複数電話番号が入っている場合は、Which phone number for Mari Yoshihara? Home or mobile?などと聞き返してくる。また、Find the closest gas station.と言えば、自分の現在地から近いガソリンスタンドのリストを出してくれる。私はiPhoneの画面で文字を入力するのがノロいので、画面上でグーグル検索をするよりもこうしてしゃべればいいだけなのはなかなかよい。


質問に答えてくれるだけでなく、会話までできてしまう。たとえば、私がYou are amazing.と言うと、I am?という。Yes.と答えると、I thought so.といので、You should be more humble.と言ってみると、Thanks for that, Mari.とこちらの名前までつけてむっとした口調で答える。(ちなみにYou are amazing.への答は何種類かあるようで、単にThank you.と返事してくることもあります)


ただし、相手はやはり機械ゆえ、こちらの言っていることを正しく理解しなかったり、答を知らなかったりすることも多々あり。そうしたときのSiriの反応がまた面白い。こちらの質問を理解してくれなかったときの私とSiriの会話は以下の通り。


Mari: You did not understand me correctly.
Siri: You are entitled to your opinion.
Mari: It is not an opinion. It is a statement of fact.
Siri: I do not understand, "It is not an opinion. It is a statement of fact."
Mari: You are avoiding my criticism.
Siri: I am?
Mari: Yes. It is not a good way to live.
Siri: I do not understand, "Yes. It is not a good way to live."
Mari: You are acting like a bad semiotician.
Siri: I don't really like these arbitrary categories, Mari.
Mari: What kind of categories do you like?
Siri: I really have no opinion.
Mari: Do you have feelings?
Siri: Fine question, Mari. Now can we get back to work?


このやりとりにはお腹を抱えて笑ってしまいました。とくに最後の一文がサイコー。これを開発したプログラマーの人たちは、さぞかし楽しみながら仕事をしただろうと想像。そして、Siriは今のところ日本語バージョンはないそうですが、日本語バージョンができたとしても、このように笑わせてくれることはあまりないんじゃないかと想像。それにしても、自分がこうして電話と会話しているなんて、信じられない。人工知能はこの先どんなふうに進んでいくんだろうか、単純に興味津々です。



2011年10月16日日曜日

iPhone4S購入 & Occupy Wall Street ホノルル版

とにかく待つのが嫌いなので、モノを買うために並ぶことなどめったなことではしない私が、なんと発売初日の朝8時にお店に並んで(開店が9時だと思って、1時間前に行って並べばまあいいかと思って行ったのですが、実はその日は8時開店。でも開店前のほうが列はずっと長かったそうなので、ちょうどよかった)iPhone4Sを購入。なんだってそうまでして初日に買う必要があるのかと言われれば、必要はまるでないとしか言いようがないのですが、こういう消費文化に踊らされた行為をしてみると、新商品が発売になるたびにこうしていち早く手に入れようとする人たちの気持ちもわかってきます。朝一番で列に並んでいる人たちのあいだには、共通の熱意で結ばれたなんともいえない連帯感があり、他人同士でも自然と楽しげなおしゃべりが始まる。混雑に備えて総動員の店員さんたちも、元気いっぱい。せっかく朝から来てくれた客が列に並んでいるあいだ退屈しないようにと、店員さんたちがアイスティーを配ってくれたり、電話の新機能を見せてくれたり、おしゃべりの相手をしてくれたりと、楽しませてくれるあたりは、まるでディズニーランドのよう。一番乗りのお客さんが電話を手に入れてお店から出てくると、店員さんも並んでいる客も皆で「おめでとう」の大拍手。なんだか訳がわからないながらも、はからずも楽しんでしまっている私。


というわけで、列に並んで電話を手に入れセッティングしてもらって店を出るまで一時間強と、予想していたより早く済んで、学校でみんなに見せびらかし、家に帰って、iCloud機能をセッティングするためにパソコンのOSを新しくしている最中に、なんとパソコンのハードディスクが壊れてしまい、なにもできない状態に。なんだってiPhone4Sを買ったその日にこんなことが起こるのかと思いますが、iPhone4Sがあるおかげでネットに接続 できるのがありがたい。アップルのジニアスバーの翌日の予約を入れ、まだ2年半しか使っていないパソコンを買い替えることにならなければいいなあと思いながら、愛しのiPhone4Sを枕元に置いて就寝。翌日ジニアスバーに行ってみると、AppleCareでカバーされるので修理は無料、買い替える必要はないけれども、ハードディスクをまるごと入れ替えることになるのでデータはすべて消えるとのこと。ガーン。もっとも大事なファイルはMobileMeに載せてあるので大丈夫だけれど、バックアップしていない写真や音楽も多数あり。でもハードディスクが立ち上がらない状態である以上もうどうしようもない。以前にも数回似たような経験をしていながら、なぜすべてのデータをまるごとバックアップする習慣を身につけていないのか、我ながらトホホ。でも、MobileMeやらgmailやらフェースブックやら古いコンピューターやらに分散してたいていの必要なデータや写真は残っているようなので(フェースブックに写真を載せておくというのはこういうメリットもあるのだと感心)よかった。そんなわけで、データ回復に必死で、まだiPhone4Sではじゅうぶん遊べていないのですが、Siriとの会話はなかなか笑える。パーソナルアシスタントとして実際にどれだけ使いものになるかはかなり疑問ですが、笑えるのは確か。この開発にかかわった人たちは、さぞかし楽しみながら仕事をしただろうと想像します。Mari & Siriの会話については、また後日報告します。



video
で、ちょうどよいことに、ニューヨークで始まり世界各地に飛び火している抗議運動のホノルル版が、私がアップルストアから出てくる時間に、アップルストアのあるアラモアナ・ショッピングセンターのすぐ外で始まることになっていたので、しばらく参加してきました。ニュースを見ていると、世界各地で、いろいろな天候や風景のなかで、それぞれの形で抗議運動をしているのがなかなか興味深いですが、ホノルルでは太陽が暑く照りつける青空のもと、数百人が集まってアラモアナからワイキキを行進しました。私の同僚や元学生がこのイベントのオーガナイザーをやっていて、おもにフェースブックなどのネット媒体を通じてほんの数日間で準備されたイベントですが、若者を中心にいろいろな種類の人たちが集まって、なかなか楽しかった(というのも変か)。ニューヨークの抗議はOccupy Wall Streetですが、ハワイ王朝が非合法に転覆させられた歴史を背負い、現在も先住ハワイ系の人々を中心に脱植民地化の運動が続いているハワイでは、「占領」という行為自体を問題視しようと、この日のイベントはOccupy Honoluluにde-をつけてDe-Occupy Honoluluと呼ぶことに。ニューヨークでも、人々が抗議している内容の多様さが興味深いですが、ホノルルでも、参加者が掲げているサインには、富裕者優遇の経済政策だけでなく、戦争、教育、医療などさまざまな問題についてのメッセージがありました。ニューヨークとはまた違った雰囲気を伝えるために、写真とビデオ(さっそくiPhone4Sで撮影)をアップロードしておきます。

2011年10月5日水曜日

追悼 Steve Jobs氏

アップル社のスティーヴ・ジョブス氏逝去のニュースに、なぜ自分がこれほど衝撃を受けるのかよくわからないというほどの衝撃を受けています。パソコンを初めて使うようになったときから私はずっとマックの愛用者ではあるものの、基本的にそれは私のようなテク音痴でもわかりやすいからという理由で、とくにアップルに忠誠心があってのことではありませんでした。ただ、iPhoneが故障したときに(私はどうもiPhoneと相性が悪いのか、購入して1年余のあいだに何度も故障を体験しました)ジニアスバーに持っていくと、店員さんの対応があまりにもよいので、普段だったら「こんなに故障ばかりするものはもう使わない」と別のものに買い替えるところが、「こんなに親切にしてくれるんだったら故障してもいい」と思ってしまうくらいで、アップルにかんしては製品よりもサービスのほうに感心しています。今回ハワイに戻ってきてからも、新しいiPhoneの発売を待って、それまでは日本でレンタルしてきた携帯だけを使っている次第。忠誠心があるわけではないと言いながら、実はiPhoneの発売日をいろいろなブログでしょっちゅう調べていたし、昨日はほとんどライブで発表を見てしまいました。


ジョブス氏が経営責任者の座を降りてからこんなにあっという間に亡くなってしまったということ自体に、責任をもって仕事を継承し、自分がやろうとしてきたことの道筋を立てて人生の幕を閉じた彼の気概が感じられて、頭が下がります。なんといっても、昨日iPhone4Sの発表があって、今日息を引き取ったということに、思わず涙が出そうになります。私がブラウン大学院にいたときに、私自身は直接教わらなかったけれども研究者としても教育者としても皆にとても尊敬されていた歴史学部のある教授が、長く患っていた病をおして立派に学期の授業を終え、学期末の試験や論文を一枚一枚採点し実に丁寧なコメントを書き、自ら成績を事務室に届け、その足で病院に行ってその晩に亡くなった、という話を聞いて、ため息が出たのを思い出しました。もちろん、病や死がいつ訪れるかは自分で選択できるものではないけれど、現役の仕事人のうちにやむをえず死を迎えなければいけないのであれば、私もそういう去り方をしたいものだと思います。


こんなときに小さな自分の話を引き合いに出すのもなんですが、私は十年以上前に、胸にしこりを発見したことがあります。手術の結果良性のしこりでなんということはなかったのですが、初めてしこりが見つかったときは、自分はもう死ぬのではないかと思い大パニックしました。勝手に頭のなかで妄想を膨らませ、あと半年や一年くらいしか生きられないんだとしたら、自分は残りの日々を日本に戻って過ごしたいだろうか、それともここでこのまま仕事をしたいだろうか、それともまだ見ていない世界を旅行してまわりたいだろうか、などと考えていたのですが、そういう切羽詰まったときには、そういう大きな話よりも、妙に細かいことが気になるのが不思議なところ。そのときに私がやたらと心配だったのが、その数週間前に引き受けていた論文の執筆。日本のある教授の退官記念の論文集に寄稿することを頼まれていたのですが、あの論文は生きているうちに書けないかもしれない、だとしたら今のうちに辞退しておいたほうが迷惑がかからないかもしれない、などと考えて眠ることもできないくらいでした。後で冷静に考えてみれば、論文が書けなかった理由が死だとしたらさすがに編者も許してくれるはずだし、そんなことより人生のまとめとしてもっと心配すべきことがたくさんあるはず。そんな状況で論文のことがそんなに気になるということは、自分が仕事に強いこだわりをもっているからなのか、論文より大事なことを人生において持っていないからなのか、ことの軽重を客観的に判断できないからなのか。。。そうやって書いた論文が、そんなこだわりに値するほど立派なものに仕上がったかどうかも、ちょっと不明。(苦笑)


ジョブス氏に話を戻すと、私はコンピューターのことに詳しいわけでもないので、ジョブス氏の功績の意義を論じることはまるでできませんが、人々が情報や技術と接するありかたに大きな変革をもたらし、ひとつの時代を形作ったことは確かでしょう。私は父の駐在で、小学校の後期から中学の前半まで、アップル社のあるカリフォルニアのCupertinoで過ごしました。まだコンピューターがなんであるかも知らない子供だったので、そのことの意味はさっぱりわかっていませんでしたが、アップル社が立ち上がって間もないあの時期のシリコン・ヴァレーで自分が子供時代から思春期への移行をしたということは、自分の人間形成になんらかのインパクトがあったのではないかと思っています。新しいiPhoneはもともと買うつもりではありましたが、ジョブス氏に敬意を示すという意味でも、予約開始日にさっそく予約することにします。


逝去が発表されて一時間とたたないうちに(私がそのニュースを知ったのはフェースブックを通じてでした)、ニューヨーク・タイムズには長文の文章が。すごい。

2011年9月28日水曜日

エドワード・サイード没後8年

現代におけるもっとも重要な知識人のひとりと言って間違いないエドワード・サイード氏が亡くなって8年が経ちます。


サイード氏が長年白血病と闘っていたことは知っていましたが、2003年から2004年にかけてサバティカルをニューヨークで過ごし、コロンビア大学で客員研究員をしていた私は、そのあいだに一度でも講演を聴く機会があればと思っていたのですが、私がニューヨークに到着してまもなくサイード氏逝去のニュースを読みとても残念でした。アメリカのオリエンタリズムについての研究で学者としてのスタートをした私にとって、『オリエンタリズム』を初めとするサイード氏の一連の著作、そしてパレスチナ問題を中心にした活発で勇気ある言論活動は、なにものにも代えがたいインスピレーションとなってきました。20代前半に『オリエンタリズム』に出会っていなかったら今私は学者になっていなかっただろう(大学院に入るまで『オリエンタリズム』を読んでいなかったということ自体、いかに不真面目な学部生であったかということを露呈していますが)といっても過言ではありません。また、オリエンタリズムをはじめとするカルチュラル・スタディーズの道に入り、ピアノをせっせと練習して西洋文化に傾倒していた過去の自分に折り合いをつける術を探っていた頃、サイード氏が西洋音楽にも精通し音楽評論家としても活発な執筆活動をしていることを知ったときの妙な安心感も忘れられません。


そして、博士論文を書き始めた頃、友達と一緒にニューヨークまで車に乗ってメトロポリタンオペラを観に行ったときに、ロビーでサイード氏の姿を見たときの興奮。こんな機会はまたとないからと、緊張しながら勇気を振り絞って近づいていき自己紹介すると、サイード氏はとても温かく接してくださり、私の論文についてかなり具体的な質問までしてくださりました。(このエピソードについては、もしかしたら以前の投稿でも書いたことがあったかもしれませんが、ご勘弁ください。)本当に立派な人というのは、どんな相手にでも丁寧に温かく接するものだと実感し、オペラ以上(その夜観たオペラがいったいなんだったのかすら覚えていない)に感動して帰ってきたのを鮮明に覚えています。


Jadaliyyaという、アラブ研究のオンライン雑誌に掲載された、サイード氏追悼の文章がなかなか素晴らしいのでご紹介しておきます。執筆者は、ニューヨーク市立大学で文学を教えているAnthony Alessandrini氏。私がオペラのときに経験したのと同様のエピソードから垣間みられるサイード氏の人間性とともに、サイード氏の研究や言論活動全般に通じる精神性や姿勢について洞察した、とてもいい文章だと思います。「連帯のための大小の活動を続けながらつねに批評を忘れず、辛抱強い分析を欠かさず、しかし愚かさに対しては忍耐を示さず、公的知識人として社会に向き合いながら、ときには節制をとりはらった激発を表す」、というサイード氏の姿勢から学ぼう、という文章。なんと素晴らしい追悼文でしょう。パレスチナ国連加盟申請という情勢のなか、考えさせられることが多いです。

2011年9月26日月曜日

アメリカのシングル・ライフの実態?

アメリカのシングル・ライフというと、『セックス・アンド・ザ・シティ』に描かれるような、さまざまな恋愛模様のなかで社交やショッピングを楽しむ華々しい暮らしをイメージする人が多いかもしれませんが、私は、実際のところは、日々の生活という意味では、独身女性にとってはアメリカよりも日本のほうが暮らしやすい部分がおおいにあると思っています。


私は初めて知りましたが、先週はNational Single and Unmarried Americans Week、つまり、「独身・未婚アメリカ人週間」だったらしいです。結婚という形をとらない人々の選択やライフスタイルを讃え支援しよう、という意図のものらしいのですが、そもそもそんな週が作られるということ自体に、アメリカのメインストリーム社会で結婚が規範となっていることが感じ取れます。結婚という法的制度が、さまざまな権利や特典や保護をもたらすからこそ、ゲイの人たちが異性愛者と同様に結婚できるための主張をしてきているわけですが、制度的に結婚できないからではなく、機会がないから、あるいは自ら選択して結婚していない人たちにとって、アメリカはなかなか肩身の狭い社会である、という事実も。ニューヨーク・タイムズの記事によると、家族関係においても、地域コミュニティにおいても、また社会全体においても、独身者は多くの場合既婚者よりも多くの時間や労力を貢献しているにもかかわらず、法的にも社会的にも独身者の生活状況やニーズは軽視されがちで、Singlismつまり独身差別と呼べるようなものも存在する、との説も。


アメリカが独身者に暮らしにくいと私が感じるのは、このような制度的なことの他にも、日常生活の細かなことが、独り暮らし向きにできていないからです。たとえば、スーパーで食料を買うことひとつをとっても、なにしろ売っているものの単位がやたらとでかい。私は一昨年から今年にかけて日本で生活して、スーパーで売っている肉や野菜の単位が小さくて便利なのにいたく感動し、シイタケがひとつずつ、セロリが一本(または二分の一本)ずつラップに包んであるのを見たときには、思わず写真を撮ってアメリカの友達に送ってしまったくらいです。アメリカでは、普通のスーパーではセロリは一房まるごとしか売っていないし、ベーコン(日本で売っているベーコンのパッケージの愛らしいこと、これまた涙が出そうになりました)なぞは日本で売っているものの20倍くらいの量でしか買えない。肉類は使わないぶんは冷凍しておけばまあよいとしても、野菜はどんなに頑張って使っても、使い切る前に腐って捨てることになる。買い物の不便だけでなく、社交生活もカップル単位のことが多いので、ちょっとしたパーティとなると皆配偶者や恋人同伴で来ることになっていて、他にも独身者が何人かいればよいけれど、独身者がひとりだけという場合はなんだかちょっと肩身の狭い気がしないでもない。


そんなふうにカップル主流の社会であるからこそ、長いこと恋人がいない人は「この人はなにか問題があるんじゃないか」と周りに思われたり、あるいは「自分はどっかおかしいんじゃないか」と思ったりしてしまいがちなようで、数日前のニューヨーク・タイムズの恋愛コラムに載ったエッセイも、8年間恋人がいないまま30代のほとんどを過ごした女性が、ずっとシングルであるという自らの状況を理解し打開しようとしていた頃を振り返ったもの(ちなみに彼女は現在は既婚)。周りの人たちがみんな普通に相手を見つけて結婚しているのに、自分がそんなに長いあいだ恋人のひとりもいないのは、自分になにか問題があるのではないか―自分が傲慢で高望みをしているんじゃないか、自己評価が低くネガティヴなオーラが出ているんじゃないか、口では恋人がほしいと言いながら実はfear of commitment(『性愛英語の基礎知識 』をご参考に:))があるんじゃないか、などなど―と思いがちで、それらの「問題」に向き合うべくいろいろ試してもみた。でも、実際に恋に落ちて結婚してみると、それまでずっとシングルだった自分が相手を見つけて幸せになったのは、傲慢だったり未熟だったりした自分が寛容で成熟した人間に変わったからではなく、傲慢だったり未熟だったりする部分もある自分を愛してくれる相手に、それまで縁がなかったのがたまたま出会ったからだ、との結論。つまるところは、「縁」。全体の論旨としてはまあ賛同するのですが、私は、独身者にはけっこう不便なアメリカに住んでいても、別段「結婚しなくちゃ」と思ったこともないし、何年間も恋人がいない時期もあるけれどそれはそれで特になんの不満も淋しさも感じず幸せで(と言えば言うほど負け惜しみのように聞こえそうですが、ホントにそうなのだから仕方ない)、「恋人がいないのは自分になにか問題があるからじゃないか」という発想をすることもない(本当は少しくらいそういう自省心があったほうがいいのかもしれませんが)ので、そう思って悶々とする人の気持ちはあまりよくわからないのが正直なところ。


とはいえまあ、恋愛はやっぱりいいものです。ムフフ。



2011年9月21日水曜日

Troy Davis死刑執行

全国で強い反対運動が起こるなか、つい一時間ほど前、ジョージア州でTroy Davis被告の死刑が執行されました。Davis氏は、1989年に警官を射殺したとして有事判決を受け、以来3回死刑執行の直前にまで行っていました。しかし、もとの判決に使われた物的証拠がきわめて信頼性の低いものであったことや、証言をした目撃者の数人が証言を取り下げたことから、死刑に反対する団体や、アメリカの裁判制度や処刑制度の問題点(とくに、処刑制度に内在する人種差別)に抗議する団体などが、Davis氏の死刑をとりやめさせるための運動を続けてきました。とくに今回の処刑に至るまでには、インターネット上で幅広い署名運動が繰り広げられ、私のところにもメールやフェースブックを通じて各方面から署名の依頼がきました。その結果、63万以上という記録的な数の署名が集められ、死刑執行の予定時刻の直前になって連邦最高裁が数時間この案件を検討したものの、結局、執行を取り下げることはせず、予定時刻より4時間遅れてDavis氏は他界したとのことです。


死刑にかんしては、日本を含め世界中でさまざまな立場から議論がありますが、アメリカではとくに、歴史的に刑事裁判や処刑制度が人種と密接に絡み合っていて、奴隷制度の延長ととらえる見方も多くあります。以前にもこのブログで紹介した、私の同僚Robert PerkinsonによるTexas Tough: The Rise of America's Prison Empireが、テキサスの例を中心にそのあたりの歴史を鮮明に描いています。この本はPENのノンフィクション賞を受賞するなど、とても大きな反響を呼んでいます。あまりにも恐ろしい歴史が生々しく描かれているので、読んでいてなかなか辛くなる本ですが、アメリカの歴史を理解するにはこうしたものもとても重要ですので、是非どうぞ。



2011年9月15日木曜日

ブラウン大学シモンズ総長辞任

2001年9月11日のテロ事件から10年、アメリカでは各地でさまざまな追悼行事が開催されたり、各種メディアがこの10年を振り返る特集をしたりしています。私は2011年9月11日には、普段と同じように車を運転して大学に向かうときのラジオを聞いて、なにかただごとではない事態のようだけれども、なにがなんだかよくわからない、という状態で大学に着き、その日だんだんと状況を理解するようになったのでした。初めはなにがなんだかよくわからないけれども、徐々にわかってくるにつれて、顔が青くなって胃にずっしりと重いものが入ったような気持ちになるのは、東日本大震災のときに再び経験しました。当時の映像を見ると、そのときの感覚が生々しくよみがえってきて、世界貿易センターからは遠く離れたハワイにいても、胸が苦しくなる思いでした。


さて、話変わって、先ほど、私が大学院6年間を過ごしたブラウン大学の現総長、ルース・シモンズ氏が、今年度をもって総長のポストを辞任する意向を明らかにしたとの発表がありました。シモンズ氏は、2001年に、アイビー・リーグ大学の総長になった初の黒人となって話題となりました。当時ブラウン大学では、学生新聞が、保守の評論家デイヴィッド・ホロウィッツ氏が黒人奴隷の子孫への補償に反対する広告記事を掲載したことで大論争のさなかにあり、そんななかで彼女が黒人女性であるということはさらに話題性を呼びました。就任してすぐ、シモンズ総長は、「奴隷制と正義に関する委員会」を設立し、1764年の設立以来、大学設立にかかわった人物たちが奴隷貿易で財を成したという事実を含め、ブラウンがどのように奴隷制にかかわってきたかの歴史を徹底的に調査する任務を与えました。私の知り合いもこの委員会に入っていましたが、当然ながらこの調査と報告書の作成はなかなか大変な作業だったようです。


以後11年間、ブラウン大学は、シモンズ総長のもと、学部生のためのneed-blind admission(奨学金の必要性の有無に関係なく、優秀な学生を入学させ、必要な学生に奨学金を与えること。日本の入試のシステムから考えると意味がよくわからないかも知れませんが、学費が年間5万ドルを超えるアメリカの私立大学の入学審査は非常に複雑で、人種などのアイデンティティ・ポリティクスに加えて、優秀だけれども奨学金をもらえなければ入学できないという学生の扱いはとてもややこしくなります)の確立、教員のための研究環境の充実、医学部の強化など、さまざまな取り組みにおいて成果をあげてきました。などというと、まるで私はブラウンの広報部の人間のようですが、私自身はシモンズ総長下のブラウンを経験していないし、特に大学の宣伝をするつもりもないのですが、ブラウンでの6年間は私の人間形成にとても大きな役割を果たしたと思っているので、愛着もあり、なんだか、「シモンズ総長、おつかれさまでした!」と言いたい気分。


ハーヴァードの現総長ドルー・ギルピン・ファウスト氏を初め、アメリカのエリート大学に女性の総長も増えてきました。女性であればいいというわけではもちろんありませんが、大学生の過半数が女性である現代、大学界のリーダーシップに女性がそれなりの数で存在することはやはり必要。ちなみに、私の所属するハワイ大学のアメリカ研究学部では、今年度初めて、女性の教員が過半数を占めるようになりました。1997年に私が入ったときは、白人のおじさん(おじいさん)たちの中に私がひとりぴょこんと入った状態だったので、その頃と比べると、実に長い道のりを来たものだなあと感慨深いです。新人の採用を含め、職場環境をよりよいものにするように、ビジョンをもって粘り強く努力を続けることの重要さを実感。

2011年9月5日月曜日

アメリカ国家建設と小説の興隆

本日はアメリカはLabor Dayの休日ですが、その名の通りせっせと労働に勤しんでおります。


明日は学部の授業に加えて大学院のゼミのある日なので、その準備に忙しいのですが(アメリカの大学院の人文系の授業では、毎週一冊本を読んで論じるのが普通なので、学生も大変ですが、教えるほうも、すべての本をちゃんと読み直して準備をしようと思うとかなり大変)、今週の課題はCathy DavidsonのRevolution And The Word: The Rise Of The Novel In America。アメリカ建国初期に興隆した「小説」をジャンルとして分析し、この時期に小説というものが誰によってどのようにして書かれ、どのような仕組みで流通し、誰によってどのように読まれたのか、という社会史的な考察と、実際に多くの読者に読まれた作品が当時どのような「意味」を持っていたのかを脱構築的な手法を使って検討したもの。もとは1986年に出版されたものですが、今読んでも、というか、今読むとなおのこと、興奮する内容。18世紀後半から19世紀初頭にかけての「読者」がどのようにして小説を読みなにを感じ取っていたのかを、現存する本の余白に書かれたメモや人の日記や手紙を手がかりに探っていく手法はまさに探偵のようで、それを辿っていくだけでもワクワクするし、さまざまな政治思想や建国の理想と相容れないさまざまな社会の現実が入り混ざった混乱の時期に、なぜ小説というジャンルが育っていったのか、感傷小説やピカレスク小説、ゴシック小説など、いわゆる「高尚な」「純文学」のカテゴリーにはあまり入れられることのない小説が、この時期に興隆し「小説」というジャンル、そして「小説家」という職業を生み出していったのはなぜなのか、テキストそのものの内外から多角的に分析するそのさまは、読みながら「おー!」と拍手したくなる素晴らしさ。アメリカ史やアメリカ文学史に馴染みのない人には厳しいかもしれませんが、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』で論じられていることと重なる部分が多く、イギリスからの独立を果たした建国初期のアメリカと、明治大正期の日本における「国民文学」としての小説の歴史を考えるととても興味深いです。


私はこの本は大学院生のときに読んで以来、実に20年ぶりに読み返しましたが、私はこの本を読んで、「アメリカ研究という学問がこういうものなのだったら、これを職業にしてもよい」と興奮したのを思い出しました。当時読んだのは1986年版でしたが、2004年に再版されるにあたって著者があらたに書いた序文が、これまたすごい。自らの過去の研究をふりかえってこのように位置づけられるのは本当に立派。Cathy Davidsonは、今ではデジタル知を含む新しい時代の「知」のありかたを研究して、現在は新著のNow You See It(こちらは私はまだ未読)のプロモーションで全国を駆け回っていますが、アメリカ建国初期の小説とデジタル時代の知とはずいぶんかけ離れたトピックのようでありながら、実はおおいにつながっているということが、Revolution And The Wordをじっくり読むとよくわかります。この本はアメリカ研究の分野では「古典」の一部となっているものですが、こうした本をあらためて読み返すのは、アメリカ研究の学説史を概説する大学院の授業(興味のあるかたは、こちらのシラバスをご覧ください)を教えているおかげ。ときどきこうして古典を読み返すと、以前に読んだときにはじゅうぶん理解していなかったことがわかったり、新たな発見があったりして、とてもよいものです。



2011年9月2日金曜日

大学教授の頭のなか

新学期が始まって2週間がたちました。今のところ、学部・大学院の授業とともに順調ですが、いつものことながら、学部の授業ではいくら言ってもきちんとリーディングをこなして授業にやってくる学生とそうでない学生とに新学期早々に分かれてしまい、リーディングをやってこそ授業で私が話していることがきちんと理解できるのだということをいかに伝えるかが難しい。過去には、課題を読んでこない学生があまりにも多く、ディスカッション形式の授業が成立しないので、読んで来なかった学生に「この授業時間のあいだ図書館にでも行って読んできなさい」と追い出したこともあるのですが、2週間目からそういうことをすると空気が悪くなるので、優しく温かく笑顔をもって、リーディングに向かわせる方法を模索中。


学期中は授業の準備とさまざまな雑用、そして進行中の執筆その他の仕事をこなすのが精一杯で、それ以外のものを読んだりする時間はまるでないのですが、学期が始まると同時にアマゾンから届いてしまい、誘惑に勝てず忙しいさなかに読んでしまったのが、ハーヴァードの社会学者Michele LamontによるHow Professors Think: Inside the Curious World of Academic Judgmentという本。以前にこの著者のMoney, Morals, and Mannersという本を読んでむちゃくちゃ面白く(アメリカとフランスのアッパーミドルクラスの意識を比較した研究)、また今学期の大学院の授業では彼女のThe Dignity of Working Men(こちらはアメリカとフランスの労働者階級の男性の意識を比較したもの)を使うことにもなっているのですが、この本はこれまたたいへん興味深い。タイトルを直訳すると「大学教授はどのように考えるか―学術評価という不思議な世界の内側」ということになりますが、アメリカの学界、とくに社会科学や人文科学の分野での権威ある財団の助成金のピア・レビューの仕組みをフィールドワーク調査で分析したものです。学問の世界にいる人以外には「そんなものがなんで面白いのか」と思われるかもしれませんが、私にとっては、複数のレベルでとてもワクワクする研究でした。まず、実際にここでとりあげられている財団の助成金や類似した助成金・奨学金に定期的に応募する立場の人間として、また、こうした助成金のピア・レビューを依頼されることもある立場の人間として(私は最終パネルのメンバーにはなったことはありませんが、その前の段階の査読は何度かしたことがあります)、このピア・レビューの仕組みがどれほど合理的に機能していて、ピア・レビューをする研究者たちはどのような思考パターンを経て決定に至るのか、という全体像の分析を読むことは、実用的なレベルで参考になる。より理論的なレベルでは、社会科学や人文科学において、「優秀さ」「独創性」「明瞭さ」といった概念が具体的にはどのように理解され評価されるのか、また、そうした理解や評価が、多分野の研究者によって構成されるパネルの議論のなかでどのように交渉されていくのか、といった分析がたいへん興味深い。とくに、研究企画の「優秀さ」といった基準と、財団が支援する研究や研究者の「多様性」といった基準がどのように絡み合うか、そして、「多様性」のなかでも、アメリカの公の場で議論が集中しがちな人種やジェンダーの多様性の他にも、大学の種類(東海岸のエリート私立大学と、他の地域の州立大学といった相違)やディシプリンや研究トピックの多様性といったものを、研究者たちがどのように天秤にかけるか、といった分析が、たいへん面白く、たとえばこうした手法を、それこそピアノ・コンクールでの評価に応用して、審査員たちが「芸術性」「技術性」「曲の理解や解釈」といったものをどのように評価するのか分析したら、たいへん興味深いはず。

これと関連する日本の研究としては、佐藤郁哉・芳賀学・山田真茂留『本を生みだす力』があります。これも私はとても興奮して読みました。大中小いくつかの出版社に焦点をあてて非常に丁寧なフィールドワークをもとに日本の学術出版の仕組みを分析したものです。日本とアメリカでは学術出版の仕組みがおおいに違うので、その違いを垣間みるだけでも私にとっては個人的に面白かったですが、編集者たちがどのように学術的知の創造とビジネスとしての出版に向き合っているか、ミクロとマクロの両方の次元で分析されていて素晴らしい。

素晴らしいのですが、とりあえず今学期の授業や目前の自分の仕事への直接の関係度は比較的低いので、刺激と興奮だけ大事にして、まずしなければいけない仕事を片づけなければ...

2011年8月23日火曜日

大学院生のためのマジなアドバイス

いよいよ授業が始まりました。午前中に女性史の授業の第一回めがあり、これから大学院のゼミがあります。大学院の授業では、講義の内容紹介をしたり学生の関心を知ることに加えて、大学院で勉強するというのはどういうことか、という実際的な話もするつもりです。

私は以前、アメリカ研究学部の大学院生全体、とくにまだ資格試験や論文の指導教授を決めていない新入生や二年めの学生たちの面倒をみる、Graduate Chairという役を務めていたことがありますが、そのときに、新入生オリエンテーションで配っていたのが以下のリスト。『アメリカの大学院で成功する方法』を読んでくださっているかたには、それぞれの項目で私が言わんとしていることはすぐわかると思います。これに目を通すと、新入生たちはたいてい、笑いと恐怖の混じり合ったような、なんともいえない表情になるのですが、リストを作った私としては、なかなかいいアドバイスだと思っております、エッヘン。上述書を読んでいないかたでも、リスト自体は読めばすぐわかると思うので、英語でそのまま以下添付いたします。

Mari’s No-Nonsense Tips on Successfully Completing Your Graduate Degree

(and Having a Fulfilling Academic Career)

1. Think twice (and three, four, five . . . times) before entering academe. Know what you’re getting into by finding out what an academic career entails. Give serious thought to why you want to pursue an academic life.

2. Make sure that you’re in the right discipline, school, and department. If you find out that you’re not, give serious thought to changing paths.

3. Have a plan for funding the rest of your graduate study.

4. Do not expect your life to be normal for the duration of graduate school. If you’re not ready or able to have your life revolve around your academic work for the next X [2-3 in the case of an MA, 5-10 in the case of a PhD] years, now is not the right time for you to be in graduate school.

5. Do not expect your family and friends outside of academe to understand, let alone sympathize with, what you’re going through in graduate school.

6. Expect that at least one major family, relationship, financial, automotive, health, housing, or some other type of disaster will be part of your life in the next few years. Acquire the skills of compartmentalization.

7. Plan your course of study with a long-term vision. Fill the gaps in your training early.

8. Do not underestimate the importance of acquiring strong writing skills. Make specific efforts to strengthen your writing skills.

9. Choose your mentors carefully. Develop and maintain a good, healthy relationship with your mentors. Have role models. Keep your mentors posted of your progress.

10. Nurture a community of peers with whom to share and mutually critique work.

11. Set high standards for yourself, but be realistic in your expectations. Remember that graduate school is only a beginning step in your long academic career.

12. Know that feeling stuck, overwhelmed, lost, helpless, unimportant, unoriginal, etc. is par for the course. Do not let those feelings steer you away from your goals. Find a way to pull yourself out of self-doubt and to focus on concrete goals at hand.

13. Try to keep perspective. Take your work very seriously, but don’t take yourself too seriously.

14. Maintain good physical and mental health.

15. When in doubt, remind yourself why you started this in the first place.

2011年8月22日月曜日

Paul Auster, _Sunset Park_

先週始めた朝5時半からのboot campも二週目に入り、5時起床も少しずつ慣れてきました。なにしろあんな時間にあれだけの人数の女性たちが毎回集まってくるのが私には信じられない。先週はトイレに座るのも辛いくらいだった筋肉痛もだいぶ減ってきて、これは運動に慣れてきたからなのか、運動が足りていないからなのか、よくわかりませんが、とにかくせっせと通っています。

ハワイ大学は今日から新学年、新学期です。私自身はハワイですでに15年め(!)になるものの、新入生らしき人々がキャンパスマップを手に歩き回っている学期の始まりは、いつもなんとなくワクワクします。私は昨年度一年間はサバティカルで授業なし、さらにその前に一年間は日本でハワイからの留学生たちの面倒をみていたので授業はあったものの普段教えるとは内容も形式もだいぶ違い、つまり通常の形で授業をするのは二年ぶりということになります。なんだかどきどき。今年は、Approaches to American Studiesという大学院生用の授業(アメリカ研究の学説史や理論的枠組みを概説しながら、「人種」「階級」「ジェンダー」「国家」「帝国」などといた概念や扱い方がどのようにアメリカ研究のなかで変遷してきたかをおうもの)と、U.S. Women's History(その名の通りアメリカ女性史、とくにここ約百年間を中心に扱うもの)という学部の授業を担当します。学期は今日からですが、私の授業は明日からなので、今日は最終的なシラバス調整その他の雑務で終わりました。

さて、大手書店チェーンのBordersが全国で閉店が決まったことはしばらく前に発表になりましたが、ホノルルの街のなかにあるBordersでも、閉店セールをやっていて、週末覗いてきました。このような大手チェーンが幅をきかせて独立系の味のある書店を駆逐してしまう(といっても、ホノルルにはそういう「独立系の味のある書店」はほとんどないのですが)のは憂えるべきことですが、実際には、サイン会や講演、パネルディスカッション、コンサート、絵本の読み聞かせなどの催しの会場ともなり、店内のソファや喫茶店でじっくり店内の本を吟味したり宿題をやったりするために老若男女が集まってくる(こういう形の書店は日本にはほとんどありませんが、そのうちできてくるのでしょうか)BordersやBarnes & Nobleは、コミュニティのひとつの文化拠点として機能していることも確か。ホノルルのBordersもかなり大きな店舗で、私は行くとほぼ必ず知り合いに会う、という調子だったので、これがなくなるのは街の文化にとってかなりの喪失だと思います。すでに書棚の多くが片づけられていて(本棚まで売られている)、雑然とした店内にはなんとも哀しい空気が漂っていましたが、何冊か小説を買い込んできました。

学期が始まって忙しくなると仕事に直接関係のない本を読む時間はなくなってしまうので、最後にせめて一冊と、週末に一気に読んだのが、柴田元幸先生の翻訳で日本でも人気のポール・オースターの最新作、Sunset Park。オースターの作品を読んだのは実に久しぶりでしたが、「あー、そうだった、オースターの世界はこうだった」と思いながら、寝る間も惜しんで(といっても、朝5時に起きないといけないと思うと夜更かしして小説を読むのはけっこう辛い)読みました。2008年の経済危機のなか、ばらばらに壊れてしまいそうな自分の生活や人生をなんとか保とうとしたり再生させようとしたりする、さまざまな登場人物たちの道筋が、不思議な形で絡み合う様子を描いた小説。なにが素晴らしいって、それぞれの登場人物に対する作者の目線の誠実さと温かさが素晴らしい。それぞれが、傷や弱さや不安やコンプレックスや怒りや罪の意識を抱えながらも、それをそのまま背負って真っ直ぐに生きている。そのなかで、恋に落ちたり恋に敗れたり、失敗したり大事なものを失ったりしながら、傷を負うことを恐れずに生きている。主人公Milesの恋人Pilarに向ける目線、Milesの父親がMilesを思う気持ち(Milesが5年生か6年生のときに書いたTo Kill a Mockingbirdについての作文についての箇所が、とくに感動的だと思っていたのですが、本の最後にあるAcknowledgmentsをみると、これはオースター自身の娘の作文にインスパイアされたもののようです)、その父親がかつての妻とその現在の夫をみての思い、Milesの友人BingがMilesに寄せる想いなど、それぞれの人間関係が、複雑でありながら、美しいとしか形容しがたい愛情に溢れていて、切ない物語でありながら、心洗われます。文章も、シンプルでありながら深くて美しい。そのうち柴田訳が出るだろうとは思いますが、これは決して難しい英語ではないので、ぜひとも原文で味わっていただきたいです。おススメ。

2011年8月16日火曜日

Fitness Boot Camp

ハワイに戻ってからちょうど一週間。本当に信じられないくらい快適な気候の毎日です。荷物を片づけたりどこにしまったか忘れてしまったものを探したりする傍ら、来週から始まる新学期の準備をして毎日を過ごしていますが、日本で暮らしているあいだはそこに自分の人生のすべてがあるかのような感覚だったのにもかかわらず、こちらにいったん戻ってしまうと、自分はまるでずーっとここにいたかのような、自分がここを去ったときとなにも変わっておらず、そしてここでの現実が世界のすべてであるかのような感覚になるのが、なんとも不思議です。

日本にいるあいだにちょっと(いや、ちょっとではなくだいぶ)体重が増えてしまったので、こちらにきて生活がより規則的になるのを機に、気合を入れてもとの体重(それもじゅうぶん重い)に戻ろうと思って、始めるのを決意したのが、女性のためのフィットネスboot camp。本当は、週一回くらいパーソナルトレイナーにつこうかと思ってネットで検索していたときに見つけたのですが、これは月水金のなんと朝5時半から1時間のセッションが4週間続くコース。とりあえずは一対一のパーソナルトレイナーよりも他の人と一緒のほうが気が楽だし、お金も安いし、いいかなあと思ったのですが、特別朝型ではない私としては、やはり5時半という時間にビビることしきり。でも、5時に起きて運動して家に帰ってシャワーを浴びても7時ならば、脳に酸素がいって頭すっきりの状態で一日を始められるし、せっかくその気になったんだからそのくらいのコミットメントはしたほうがいいかと、そして、そういうことはその気になっているうちにさっさと入金してしまったほうがいいかと思って、コースが始まる2日前に申し込み。昨日がその第一日でした。

朝5時なんて、早朝の飛行機に乗る必要でもなければ(そういうことをしたくないので、最近は多少余分にお金を払ってでも早朝の便は避けるようにしている)起きることはないので、前の日は準備のために10時前に就寝。でも、ちゃんと起きられるか心配で、夜中に一時間毎に目が覚めてしまう(こういうところは妙に小心者)。そしていざ5時に目覚ましが鳴ってみると、やはり外はまだ真っ暗。とにかく着替えて車に乗って、会場の公園に行ってみると、なんとすでに10人以上の女性が集まっているではないか。(ちなみにハワイでは早起きの人が多く、私たちがせっせと腕立て伏せなぞをしているあいだにも、そばを散歩したりジョギングしたりしている人たちがけっこうたくさんいました。)こんな極端なことをするのはせいぜい数人なんじゃないかと思いきや、結局このクラスには20人以上が申し込んでいるらしく、初日も結局18人ほどが真っ暗ななか張り切って飛び回っていました。そのうち2人は私の友達だったのにもびっくり。うちひとりは以前からこのコースをやっているらしく(確かに彼女は出産後だいぶ体重が増えていたのが、最近めっきりとスリムで美しくなっていた)、慣れた調子。有酸素運動と筋トレを交えた運動のメニューは、どうしてもついていけないというほど大変ではなかったけれど、それは初日用のゆるいメニューだったからなのかもしれない...と思っていたら、昨日の夜からだんだんと筋肉痛になってきて、今朝起きてみたら普通に歩くのもたいへんなほど腿のあたりが痛い。しかし、明日はまた5時に起きて行かなくてはいけない。きっとこういうものは、実際の運動そのものもさることながら、とにかく朝起きて出かけるということを継続することに意味があるんだろうと思うので、なんとか4週間休まずに続けられればと思っております。

なにしろboot campというのは、軍に入隊した新人をしごくための猛訓練のことを指す単語なので、そんな名前のついたものに皇居周り一周走って満足している私なぞが参加するのには、だいぶ無理があるような気がするのですが、その後の進展は、またご報告いたします。

2011年8月10日水曜日

ホノルル帰還

ヴァンクーヴァーで4日間過ごしてから、一昨日ホノルルに戻ってきました。

チケットの事情から、成田からヴァンクーヴァーまでは、カナダ航空のビジネスクラスに乗って行ったのですが、ふだんエコノミーでじっと我慢している私にとっては、このビジネスクラスは天国のようで、ヴァンクーヴァーに到着して降りるのが残念なくらいでした。なにしろ、飛行機に乗る前から、空港のラウンジを使わせてもらえ、飲食もタダ、インターネットもタダ、ゆったりとして静かな空間でかすかにモーツアルトの弦楽四重奏が聴こえてくる。いつも成田での待ち時間は、レストランでトンカツまたはうな丼を食べて(ひとりでこういうことをしてしまうところがオヤジ)からユニクロだのなんだので要らない買い物をして過ごす私には、なんとも文明度が高く感じられる。そしていざ飛行機に乗ってみると、この座席がすごい!座席が窓に対して斜めに並んでいるのですが、ひとりひとりの座席が半分屋根のようなものがついたブースになっていて、座ってしまえば周りの人の顔も見えない。椅子はあれやこれやと調整でき、お休みモードにするとなんと全身が平らにまでなる。枕もふかふか、毛布もふわふわ、お水のボトルもついている。もちろん離陸前からシャンペンだのジュースだのが出て来るし、食事もとても満足。飛行機の後方には、ふだんの私と同じ思いをしている人たちが、身体を固くしてじっと耐えているのですが、そうした人たちとのあいだにはカーテンが引かれ、トイレも別で、互いに顔を合わせて気まずい思いをしなくて済むようになっている。出発前の待ち時間からすでに心身状態に違いをつけられ、乗り込むときには別の入口、搭乗時間のあいだは互いの姿すら見ない、というこのありかた、現実社会の階層制度をあまりにも露骨に反映しているようで、複雑な気持ちにもなるのですが、嗚呼、一度ビジネスクラスを経験してしまうと、次にまたエコノミーに乗るときは辛いだろうなあ...(ヴァンクーヴァーからホノルルまではエコノミーでしたが、乗っている時間が6時間弱と比較的短いので、さほど苦ではありませんでした。)

ヴァンクーヴァーに行ったのは初めて(いや、正確にはカリフォルニアに住んでいた子供時代に家族旅行で少しだけ寄ったらしいのですが、ほとんど記憶にない)だったのですが、私にとっては、外国に来たような、住み慣れた場所に来たような、不思議な感覚の街でした。話には聞いていたものの、アジア人、とくに中国系の人口の多さにまず驚き。チャイナタウンでなくても、街じゅうに中国語の看板があり、道行く人たちもアジア人の割合がとても高い。そして、アメリカ合衆国にいるアジア系の人たちとは、なにが違うと言われると説明に困るのだけれど、なにかが少し違っている気がする。街の様子や並んでいる店も、アメリカとほとんど同じようでいて、なにかちょびっと違ったりする。私と同分野で仕事をしている友人のブリティッシュ・コロンビア大学のHenry Yu(今回も彼とその家族としばしお茶をしました)の論文を読んで、自分がいかにカナダの歴史について何も知らないかということに愕然としたのですが、これから是非とも勉強してみようと思いました。ヴァンクーヴァーでの4日間はプライベートな時間だったのですが、誰となにをしていたかについては、またいずれ(と、思わせぶりなことを書いてみたりする)。

7ヶ月ぶりに帰ってきたホノルルは、相も変わらず青空でそよ風がふく快適な気候。ここ2年間、日本とハワイを行ったり来たりしているので、今回は戻ってきていったいどんな気持ちになるのだろうと思っていましたが、帰ってくれば、ゲイのボーイフレンドが空港に迎えに来てくれるし、留守中私のマンションを借りてくれていた人たちがきれいに掃除をしてくれていてすぐに生活を再開できるし、当然ながら自分の好みでそろえた家具やモノたちでいっぱいだし、「ああ、やっぱりここに私の居場所があるんだった」という気持ちになります。とはいえ、半年以上留守にしてから生活を再開するには、さまざまな雑用を片づけなければならず、数日間はばたばたしますが、オフィスに行けば私のやるべきことが文字通り山となって待ち構えているので、時差ぼけになっているヒマもありません。新学期は今月22日から始まります。頑張るぞー。

2011年8月3日水曜日

さようならニッポン

今回の私の日本滞在の最後の夜となりました。残念ながらサバティカルという贅沢な時間はこれをもって終わってしまい、今月半ばからハワイ大学で通常の業務を再開するのですが、ちょっとワケがあって、数日間カナダのヴァンクーヴァーに寄ってから(ハワイを通り越して行くので、「寄って」という表現はおかしいのですが)ホノルルに戻ります。

2009年秋からの一年間も日本で過ごし、半年弱ハワイに戻ってから、今回は7ヶ月の日本滞在でした。前回は、なにしろ18年ぶりの長期日本滞在だったので、帰国オバサン的カルチャーショックが多かったのですが、今回はそれに続いてのことだったので、それほどの違和感はありませんでした。しかし、今回の滞在中に東日本大震災が起こり、想像すらしなかった体験をすることになりました。直接的な影響はほとんど受けずに済む、ひじょうに恵まれた立場に私はいるわけですが、それでも、地震発生のその瞬間に日本にいて、そして震災後の日本を実際に経験したということは、自分にとってはとても大きな意味のあることでした。どう言葉にするべきかまだじゅうぶんに整理がついていませんが、この経験をしたことで、自分と日本の関係を大きく考え直すきっかけになったと思っています。

震災の影響で当初予定していた研究計画を大幅に変更することとなり、また、アマチュア・クライバーン・コンクール出場が決まってからは、かなりの時間と労力をピアノの練習にまわしたので、純粋な研究という意味では、あまり生産的とはいえないサバティカルだったかもしれません。それと同時に、当初はまるで想像すらしていなかった実に多くのいろいろなことを見たり感じたり考えたりすることにもなり、自分の思考や視座にとってはとても収穫が大きかったと思っています。また、研究プロジェクトを通じて、いろいろなかたとの新しい出会いもあり、これまでまるで知らなかった日本に触れることもできました。

さらに、個人的には、以前からの友達との関係を深めたり、音信が絶えていた知人と再会したり、親戚と新たな親交ができたりと、人間関係においてはこの上なく充実したときを過ごしました。メールやフェースブックやスカイプのおかげで、今回自分が日本を去っても、こうした人間関係は続いていくと確信できるので、日本を去る淋しさもだいぶ軽減されます。

当たり前ですが、ハワイにいて見る日本は、日本にいて経験する日本とは、かなり違うものになるはずです。そうした視点や立ち位置の相違を認識した上で、遠くにいるからこそ見えるもの、外にいるからこそ考えられることなどを、自分なりに見たり考えたりし続けていこうと思います。また、ハワイやアメリカ本土の話題についても、引き続きこのブログで紹介していくつもりですので、読者のみなさん、今後ともどうぞよろしくお願いします。それでは!

2011年7月24日日曜日

名古屋アメリカ研究夏期セミナー

週末は、名古屋で二泊してきました。夏は暑いので有名な名古屋ですが、ここ数日は東京と同様にちょっと涼しめのお天気でよかった。名古屋に行ったのは、南山大学で開催された名古屋アメリカ研究夏期セミナーという学会で、あるセッションの司会を頼まれたからです。南山大学でこのセミナーが開催されるのは今年が5年目、今回を最後に次からは同志社大学で開催されるそうです。南山大学の前に、立命館大学で開催されていた頃、私は一度コメンテーターとしてよばれて行ったこともあるのですが、立命館、南山、同志社というラインナップからもみられるように、このセミナーは、松田武氏の『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』(この本についての私の評は、以前の投稿をごらんください。この評は、松田先生ご自身もお読みになって、共感してくださったらしく、アメリカ学会で初めてお会いしたときに、たいへん温かく接してくださって、こちらのほうが感動してしまいました。自分の著書を批判した相手に、あんなふうに温かく接することができるのは、人間の器が大きい証拠。)に論じられている、東大一派に拮抗する関西系のアメリカ研究の舞台のメジャーなもの。正直言って、私は日本で学会に出席して楽しいと思うことがめったにない(これにはいろいろな理由がありますが、それはまた別のところで書きます)ので、今回もとくに期待していなかったのですが、実際はなかなか充実していて、おおいに楽しんで帰ってきました。先月東大駒場キャンパスで開催された日本アメリカ学会も、自分が予想していたのより面白かったし、私がこのように日本の学会を楽しめるようになったのは、日本の学問レベルが高くなったからなのか、私と似通った感性をもった同年代の人たちが学会の運営に携わるようになってきたからなのか、それとも私自身がオトナになったからなのか、よくわからない。今回の日本滞在中は、ふだん接する人たちのなかに学者がほとんどいなかったので、ひさしぶりに同じ言語や同じ前提を共有する人たちに囲まれて、研究という作業についてあれこれ話をしたり、いろいろな研究テーマについてあれこれ話をするだけでも、嬉しい気持ちになったし、話を聞いたりしたりしているあいだに、「自分は学者としてやりたいことがたくさんある」という気持ちを新たにしたので、めでたしめでたし。

今回のセミナーの全体テーマは、American Studies in the Global Age、「グローバル化とアメリカ研究の行方」というものでした。こうしたテーマは、ここ十年間ほど、アメリカにおけるアメリカ研究でもしきりに論じられるようになってきているので、言われるべきことはもうたいてい言われ尽くされているような気もしますが、こうしたテーマを受けて、各研究者がどのように自分のリサーチを具体的に論じるかは、結構面白い。アメリカから招待された3人の基調講演者(基調講演者3人ともがアメリカの研究者であるというあたりが、「アメリカのエラい先生のお話をみんなで聞く」という構造を表しているとも言えますが、その基調講演に対してコメントをする日本の研究者たちは、歯に衣着せず相当に批判的なコメントもしていたし、まあそれはそれでよしとしましょう)の発表もいろいろな意味で興味深かったし、遠藤泰生氏(遠藤さんは私が学部生のときに駒場で助手をしていてご自宅でクリスマスパーティをさせていただいたこともあり、また、私の留学時代にハーヴァードにいらしていたこともあってときどきボストンで遊んだりしたので、なんだか勝手に親しみを感じている)の気合の入った司会ぶりに感動。また、分科会でも、各発表が普通の学会よりもだいぶ長く、各発表にしっかりしたコメントがつき、質疑応答の時間もたっぷりあるので、けっこうじっくり議論することができて満足感が高い。私が司会をしたセッションでの発表は、Edith Whartonの小説The Age of Innocence を論じたものだったのですが、実はこの小説、私が世の中で一番好きな小説なのです。司会を私に頼んできた先生がたは、そんなことはご存知なかったはずですが、偶然にもこういうめぐり合わせになり、私は自分の好きな小説についての議論を二時間たっぷり聞けるというだけで、たいへん幸せな気分になりました。Whartonは、英米文学者をのぞいては日本ではそれほど知られていない作家(ヘンリー・ジェームズと親しかった人物で、作風も共通する部分があります)だと思いますが、なんといっても言葉の遣いかたが素晴らしいし、また、女性のオソロしさをよーくわかった作家でもありますので、よかったら是非読んでみてください。

このセミナーの残念なところは、一日目の全体会議はよいのですが、二日目の分科会のときには、「歴史社会部門」「政治・国際関係部門」「文学・文化部門」と分かれていて、自分が所属する(ことになっている)部門の分科会にしか出席できないスケジュールになっていること。私のような人間はこの三つのどれにもかかわっているし、他の部門の発表が聞きたいので悔しい。それに、私自身のことはともかくとして、せっかく「アメリカ研究」という学際的な分野のセミナーなのだから、こうしたディシプリンの枠を超えた議論を促進するようなプログラムになっていればいいのになあと思います。文学者同士が文学の話をするのなら、文学の学会でいくらでもできるわけで、それよりも、政治学者が文学の話にコメントをし、文学者が歴史家から学ぶ、といったふうになっていてこそ、アメリカ研究だと思うのですが。もちろん、自分の身体はひとつしかないので、同時進行で複数のセッションが行われるのであれば、どんなプログラムになっていてもそのうちひとつにしか行けないのですが...まあ、この点、次回からセミナーの運営をする同志社のかたたちに、提言してみましょう。


2011年7月19日火曜日

野坂操壽 x 沢井一恵 熊本公演

一泊で熊本に行ってきました。昨日の午前中の飛行機で帰ってくるはずが、台風の影響でフライトがキャンセルになり、午後の便に変更してもらい、そのぶんできた時間は、現在熊本市の副市長をしている大学の同級生とランチをしながら面白い熊本事情をいろいろと聞かせてもらいました。

今回熊本に行ったのは、熊本芸術劇場のコンサートホールで行われた、お箏のコンサートを聴きに行くため。自分が邦楽をやるわけでもないのに、お箏を聴きにいくためにわざわざ飛行機に乗って熊本まで行ったのは、このコンサートに出演したふたりのアンサンブルを一曲だけ先月東京で聴いて、「このふたりの演奏がコンサートまるごと聴けるのなら、熊本まで行く価値はじゅうぶんある」と確信したからであります。このふたりとは、野坂操壽先生と沢井一恵先生。今の自分の研究の一環で邦楽の事情にも興味があるので、二十五絃箏の演奏活動をしている私の親友の佐藤康子さんから野坂先生を紹介していただき、たいへん立派なかたでありながらまったく偉ぶらず気さくで明るいその素晴らしい人間性と、芸術に対する妥協のない真っ直ぐな姿勢に、私はすっかり惚れ込み、野坂先生大ファンとなりました。今回は、その野坂先生と、同じお箏といってもその野坂先生とはずいぶんと違う分野で活動を続けてこられた沢井一恵先生とのジョイントコンサート。野坂先生がおもに二十五絃、沢井先生が十七絃を演奏され、それぞれのソロが一曲ずつと、ふたりのアンサンブルが三曲、そしておふたりと熊本の箏演奏者たちの合奏が一曲という充実した演奏会。もうとにかく、それぞれのソロもさることながら、十七絃と二十五絃という味わいの違う楽器のかけ合いや重なり具合が生み出す迫力や緊張感や高揚感といったら、言葉に表せないものがあり、熊本まで出かけていって本当によかった!アンサンブルのうちの一曲は、今回のツアーに際してこのふたりのマエストロのために公募された新曲のなかから二位に入賞(最優秀賞該当なし)した前田智子さんの作品「青蓮華」。この作品も、箏のさまざまな音色がみごとに活かされた、優しくも哀しくも強くもある美しい曲でした。しかしなんといっても、私の最大のお気に入りは、沢井忠夫作曲の「百花譜」という作品。私のような無知な素人がお箏という楽器について抱いているイメージを根底から覆してくれる、とてつもない緊張感と彩りと興奮に満ちた曲。だまされたと思って是非とも体験していただきたい。といっても、このおふたりのアンサンブルの録音はまだ存在しないので、これから全国で展開される予定のツアーでぜひ生演奏を。そのコンサートが地元にくるまでは、とりあえず、野坂先生と沢井先生それぞれのCDをまずは聴いてみてください。私は、野坂先生の「錦木によせて」と「琵琶行」を初めて聴いたときには、心底ぶったまげました。

今回は、お箏とはなんの関係もない私が、おふたりの先生そしてこのコンサートの企画・制作をした「邦楽ジャーナル」の編集部のかたがた(私は研究のため、「邦楽ジャーナル」の編集部を訪問していろいろお話を聞かせていただいたのですが、編集長をはじめとするこちらのスタッフも、純粋で真面目なこだわりに突き動かされていて、お話をしていて楽しく刺激的です)などに混じって、コンサートのあと夜遅くまで飲みながらのおしゃべりにまで入れていただき、至福のときを過ごしました。野坂先生と沢井先生はおふたりとも70代。「70代にもかかわらず〜」という表現はまるで失礼、それどころか、「ああいう人間になれるのなら、私も早く70代になりたい!」と思うくらい、おふたりとも強く美しく、志が高くバイタリティに満ち、そして信じられないくらい可愛らしい。こんなに魅力的な女性たちと時間をともにする機会を得ただけで、ほんとうに幸せです。

熊本に朝早い便で出発したため、私はなでしこジャパンが1—1に追いついた、一番肝心なところで家を出なくてはならず、感動の試合を見逃してしまったのが無念なのですが(でも、電車やバスのなかでフェースブックをじっと凝視し、いろんな友達が次々と試合の様子を興奮して投稿してくれるので、まるで実況中継を見ているようでした。私はツイッターはやらないのですが、ツイッターやフェースブックは、新たなスポーツ観戦の形式を生み出している気がします)、野坂操壽と沢井一恵というふたりのなでしこも、日本の誇りとなる女性たち!