2017年8月6日日曜日

『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡』

前投稿からまたしても長い間が空いてしまったおもな理由は、ここ4年間夢中になって取り組んできた研究・執筆の大詰め段階に入っており、それがなかなか大変なことになっているからです。その研究のために、5月には2週間シドニーに出かけ、そのあとで必死になって執筆(というよりも、原稿の全面的な書き直し)作業をし、さらに、つい数日前まではまる1ヶ月間日本に滞在していました。東大駒場キャンパスや上智大学でさせていただいた講演、北海道大学サマーインスティテュートでの集中講義パシフィック・ミュージック・フェスティバルとの協働プロジェクトなどの仕事に加えて、親族会議やらなにやらでたいへん忙しい毎日でした。日本で感じたこと・考えたことで、いろいろと書きたいこともあるのですが、今回の投稿では、私の大学時代の恩師である亀井俊介先生の『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡』の紹介をいたします。

私は亀井先生が30年間教鞭をとっていらした東大教養学部での最後の教え子のひとりで、以来それはそれは温かく見守っていただいています。(私の『性愛英語の基礎知識』は亀井先生に捧げてあります。)今回の帰国中はあまりにも私のスケジュールがいっぱいでお会いできなかったのが心残りですが、代わりにと言っては何ですがこの『オーラル・ヒストリー』を買って持って帰ってきました。ちびりちびりと味わいながら読もうと思って今朝本を開いたところが、あまりにも面白くて一日で一息に読了してしまいました。

先生が東大退官後長年教えていらした岐阜女子大学のデジタル・アーカイブス・プロジェクトのひとつとして、口述形式で語られた学問的な自伝を編集したものなので、亀井先生特有の語りかけ文体になっていて読みやすい、というのも一因ではありますが、それもさることながら、なんと言ってもやっぱり内容にグイグイ引き込まれる。先生の研究の軌跡の概要は知っていたつもりの私にも、新鮮な驚きや感動がたくさんありました。そして、なぜ自分が亀井先生の教え子となったのか(別に先生に選ばれたわけではなく、文学合宿やら飲み会の幹事をやったり、卒論のトピックを選んだりする過程で、自分から勝手に亀井先生の教え子になったのです)を、あらためて振り返るきっかけになりました。

印象深かったことをいくつか挙げると…

小学校卒業の寄せ書きに「見敵必殺」と書いていた岐阜県中津町の軍国少年が、敗戦を経て急転換して文化少年になり、その様子を読んで想像するだけでも鳥肌が立つような勢いで、英語や英文学を勉強するようになる。その大転換について、先生はこう書いている。
「アメリカというものが敵にしろ味方にしろ一つのリアリティであるということを、自分の生ま身でもって感じたことですね。肯定するにしろ否定するにしろ、現実にわれわれの生活を、いや精神までも反転させる力を持った存在であって、決して頭の中でひねくり回せるような抽象的な存在ではないということです。最近のポスト・モダニズムなんていうのは、そういうアメリカを抽象化してしまった議論を展開している傾きがある。それは少なくとも僕の実感とは違う。アメリカはリアリティである、しかもワンダーを持った、正体がよく分からないけれども何かすごいなあという存在、そしてこちらの「生」を突き動かすような存在なんです。だからこそその実態を、本質を知りたいという気持ちをかき立てられるんですね。アメリカの持っているワンダーを追究したいという気持ちが、僕には今までずっと一貫してあったと思います。」(261)そう、だからこそ、亀井先生の語るアメリカは、文学であれ社会であれ性であれ、日本の他の研究者にはめったにない、血の通った人間臭さがある。(なんと言っても、本書の中で川本皓嗣先生も書いていらっしゃるし、私自身何度も目撃したことですが、亀井先生は本当にアメリカのあらゆる街に「アッシー女性」がいるんですから…)

東大英文学科から院の比較文学科(この選択について先生が振り返った部分もとても面白い)を経て、セントルイスのワシントン大学に留学した時の二年間を「僕の生涯で最も充実した二年間であった」(49)と言い切っているのにも一種の感動を覚えました。はじめて実地で体験するアメリカで、文学だけでなく文化を必死になって勉強し、アメリカの人間の息吹を直に感じ取ったその時期が、先生の研究者としての基盤になっているんだなあと、あらためて感じ入りました。

そして、今さらながら、先生の学問への真摯で実直な姿勢にも感銘を受けました。文学や文化への素直な感動を忘れ、抽象的な理論やこむずかしい学術用語を振り回した、学問のための学問を、亀井先生は嫌い、そうした批判をこの本の中でも何度もしています。が、それと同時に、この本のサブタイトルで自分のことを「一文学者」と呼んでいるように、先生はあくまでも自分が研究者、学者であることを、実に真面目に考えている。そして、一般の読者に感動や面白さや「ワンダー」が伝わるような、自由で自分らしい文体で著述することを強調するいっぽうで、「学者の生命は論文だ」(78)「僕の場合はやっぱり勝負の場は論文ですね。学者の役割はいろいろあるけど、しっかり論文を書くのが基本だと思っております。自分で論文を書いていないと、大学院の場合、ちゃんとした指導ができないんじゃないかしら。理屈だけで学生の論文を指導しようとしても、うまく指導はできないだろうと思う。自分が論文書いて、苦労したり、失敗したり、いろいろなことをして、そういう経験を踏まえて論文指導というものが成り立つんじゃないかと、僕は思っております」(88)と、優しい言葉で断言する。そして、学士院賞を受賞した初期の『近代文学におけるホイットマンの運命』から最近の『有島武郎 世間に対して真剣勝負をし続けて』まで、文体は実にやわらかで読みやすい(それはそれは驚くべき数の)著書においても、きわめて地道な、実証的な調査と分析をしている。このあたりでもう、「ははあ〜」とひれ伏したい気分になってきます。

それと同時に、そのやわらかで読みやすい文体が、先生の頭からペンを経て原稿用紙へとサラサラと流れていくわけではけっしてなく、これまたひれ伏したくなるような精力的な努力と緻密な推敲がなされてこそ生まれているのだ、ということも本書は教えてくれます。インタビューの部分で亀井先生の文体について何度も触れられていることからもわかるように、研究者を含む読者にとって、亀井先生の著述の魅力のかなりの部分が、まさにその文章にあるのですが、そこに込められた先生の思いと努力を知るに、「すみませんでした、出直してきます」という気持ちにさせられます。

文学史という研究の営みについての先生の思いもスゴイ。師曰く、「文学史というものは、学者が自分の知性と、感性と、それに自分の「生」を懸けて、一国の文学の精神だとか精神の展開だとかを考察するわけですから、これは一種の思想の営みだと僕は思う。そしてまたその本を執筆した人の生の証言、時代の証言でもあると思うわけです。」(194)こういう覚悟をもってアメリカ文学・文学史に取り組んでこられた先生のもとで、学部時代に「アメリカの文学」の授業をとった自分の幸運をしみじみと噛みしめます。あの頃、それなりに勉強はしていたつもりだけれど、うーむ、やっぱりもっと真面目にやっていればよかった、とも…

そして、個人的には、「本格小説」としての有島武郎についての部分がゾクゾクしました。実は、先生が有島武郎の評伝を執筆中に、『本格小説』をはじめとする水村美苗さんの著作を先生に紹介した(紹介した、というよりは、「先生、これ読まないとダメです」とアマゾンから一箱送りつけた)のは私です。こういう形で水村さんが捉える「本格小説」が亀井先生の有島研究とつながり、さらには「戦後日本における一文学者の軌跡」の一部となる、というのは、私にとっては筆舌に尽くしがたい感動です。

他にも、書きたいことはたくさんあるのですが、この本を読むと、「さあてと、私も負けずにしっかり研究に取り組まねば!」という気持ちになるので、このへんで切り上げて、自分の執筆に向かうことにします。来週、亀井先生は85歳の誕生日を迎えられます。おめでとうございますのラブレターを書く前に、この本が読めて本当によかった。