私が所属するおもな学会であるAmerican Studies Association (2014年7月からは、この学会の学術誌であるAmerican Quarterlyの編集本部がわがハワイ大学にくることになり、なんと最初の5年間は私が編集長を務めます)が、対イスラエル学術ボイコット決議を採択し、世界的に大きな話題を呼んでいます。今日のニューヨーク・タイムズはこの話題をトップ記事で取り上げています。American Studies Associationがニューヨーク・タイムズのトップ紙面で扱われるなどということは、史上初めてのことだと思われます。対イスラエルのボイコットという、ひじょうに複雑な問題が、アメリカにおいて、そして世界においてもつ意味の大きさを示唆しています。
「対イスラエル学術ボイコット」とはなにか?ひじょうに複雑なこの問題を一言で説明するのは難しいのですが、要は、イスラエル占領下のパレスチナ人研究者や学生たちが、学問の自由や基本的人権を侵害され、イスラエルの大学ではパレスチナ人研究者や学生がさまざまな差別を受けていることなどから、人種差別や植民地主義などを批判的に研究・議論しあらゆる形の社会正義を提唱するアメリカ学会は、パレスチナ人の迫害に加担しているイスラエルの大学や学術団体などと組織的レベルでの交流を拒否する、と表明するものです。ただ、この一文では説明しきれない要素がたくさんあるので、実際の文面をこちらでごらんください。
このボイコット決議が学会会員全員の投票に委ねられるまでの数ヶ月、学会の内外でひじょうに大きな議論が繰り広げられました。ボイコット決議は、ちょうど一年前に、学会内のAcademic and Community Activism Caucusという部会が、役員会に検討を申請したことから始まりました。部会が役員会に申請した決議は、内容にかかわらず役員会で検討すると学会の規約で決められており、規約にしたがって役員会は提出された決議の内容を丁寧に議論してきました。その過程で、決議に反対する会員たちが強い抗議を表明し、ボイコット反対の署名運動を繰り広げたり、高等教育全体にかかわる話題をカバーするChronicle of Higher Educationという媒体で名の知れたブロガーがボイコット決議を強く批判する記事を投稿(その後、このブロガーは修正された決議の文面を読み、この決議をめぐって学会がとってきた手続きなどを知って、立場を変更、決議を支持する投票をしています)したりしたことで、この話題は当学会の外にも大きく広がっていきました。決議に反対する人たちのなかには、検討されているボイコットの具体的な内容や、決議の文面を実際に読まずに、「イスラエルに対するボイコット」という行為に抗議している人も少なくないことが、抗議の内容から明らかでしたが、決議の文面を熟読した上で、パレスチナ人研究者や学生の学問の自由や基本的人権を支持するという理念には賛同するものの、ボイコット決議には反対する、という人もたくさんいました。ボイコットに反対する人たちのなかには、「イスラエル一国をとりあげてボイコットのような制裁措置をとるのは、反セミティズムである」「特定の国の大学や学術団体との交流をボイコットするのは、相手国だけでなくアメリカを拠点とする研究者の学問の自由を侵害するものである」「アメリカ学会とは学術団体であって政治団体や思想団体ではなく、このような問題についてボイコットといった立場を表明するのは組織の主旨に反する」といった意見から反対する人もいましたが、「イスラエルの大学には、イスラエル国家の対パレスチナ政策に強い批判をする研究者も数多くいるなかで、そうした人たちを敵にまわしイスラエルの大学や学者たちとの交流を阻止するのは、パレスチナ支持という目的のむしろ妨げとなるものである」「アメリカ政府がイスラエルに対して巨大な軍事的・経済的支援を続けているなかで、アメリカ学会が自国の政策を棚に上げてイスラエル、しかもイスラエルの学術団体を批判するのは偽善的である」などという意見から決議に反対する人も少なくありませんでした。(注:この段階での議論は、もともと部会から提出された決議の文面にもとづいたもので、以下説明するように、今回会員の投票にふされた実際の決議の文面は、こうした意見をふまえてかなりの修正を加えたものになっています。)そのいっぽうで、さまざまな立場からボイコットを支持する研究者や学生たちも、インターネットをはじめとする多くの場で次々と発言を重ね、議論が白熱していきました。世界各地で展開されるBDS運動(イスラエルの対パレスチナ政策への抗議として、イスラエルに対しボイコット・投資接収・制裁措置をとる運動)の一部として、国際的に話題も広がっていきました。
こうした議論を受けて、学会役員会は、私も参加した先月11月ワシントンで開催された年次大会で、この決議についてじっくりと議論し(学会誌の次期編集長という立場で、私は投票権はないものの役員会には出席しました)、この決議についてさまざまな視点から議論するフォーラムを4日間の学会のあいだに3回主催し、そのうちのひとつは、会員誰でも発言権をもつオープンフォーラム。このフォーラムが真に「オープン」であらゆる立場の人が自由にそして平等に発言できるものになるよう、さまざまな配慮や工夫がなされました。(発言したい人はフォーラム開始前に紙に名前を書いて箱に入れ、進行役がその箱のなかからランダムに名前を抽出する。発言者はみな一様に2分間以内の発言をする。などなど。)私はこのオープンフォーラムは最後の15分ほどしか出席できなかったのですが、そこでの発言や聴衆の態度をみるかぎりは、発言者はみなとても思慮深く、知的で、建設的でかつ情熱に満ちた発言をし(とくに大学院生による勇気ある発言が感動的でした)、聴衆はすべての発言に集中して耳を傾け、中傷・嘲笑・妨害などの行為はまるでなく、きわめて民度の高い議論だと思いました。私が実際に聞いた発言は、ボイコットを支持するものばかりでしたが、後から聞いたところによると、このフォーラムでは決議に反対する人による強い発言もあったものの、発言した人たちの圧倒的多数は決議賛成の立場の人たちだったそうです。
そして、このオープンフォーラムの翌日、役員会はふたたび会議を開き(これには私は不参加)、これまでの議論やフォーラムでの会員たちの発言をふまえて、次のステップを検討。その日2時間の会議では決定に至らず、結局、役員たちがそれぞれの拠点に散らばって行った後で数週間にわたり、メールや電話会議で審議が続けられたそうです。そして、それまでに寄せられたさまざまな意見をふまえた上で、決議の文面を修正し、決議採択の是非を会員全員の投票に付す、という決定が役員会全会一致でなされました。そして、投票した1252人の会員のうち66%が賛成、30.5%が反対、3.43%が棄権という、いわゆる「地滑り」的結果で、決議が採択されました。
人文・社会科学系の学会がこうした決議についてこれだけ白熱した議論を重ねるという状況、そして、この問題がアメリカ社会でどれだけ緊迫した議論を呼ぶかということは、なかなか日本ではわかりにくいかもしれません。私は、今回の決議は、とくに修正された文章は、歴史・政治・軍事などを専門とする研究者たちが各方面からの視点や意見を丁寧に検討した上で草案されたことが明らかな、立派な決議だと思います。私も決議を支持する投票をしました。ですから、決議が採択されてよかったと思いますが、それ以上に、私がもっとも強い帰属意識をもっているこの学会において、こうしたとても複雑な問題について、あらゆる立場の意見にきちんと耳を傾け、丁寧な議論を重ね、規約に沿った手続きを踏んで、民主的な方法でこの決議に至ったということに、一種の感動を覚えます。
学会のサイトで、決議にかんする情報や、この問題にかんしてのさまざまな人々の発言が読めますので、興味のあるかたはぜひ読んでみてください。いろいろな点で勉強になります。