日本に到着してから二週間、見事なまでに毎日予定が詰まり、慌ただしいことこの上ない日々を送っています。仕事関係のミーティングをしたり、二十五年ぶりの高校の同窓会でおおいに盛り上がったり(なんと三次会がお開きになったのは午前三時半。ホントに四十代か?という元気ぶり)、その高校時代に「英語の神様」として畏怖され敬愛されていた名物先生のお宅を訪ねたり、防災訓練をしたり、スカイツリーに人混みを見物に行ったり、と盛りだくさんで刺激たっぷりです。連夜飲み会が続くので、せっかくここ九ヶ月のブートキャンプ通いで減った体重の半分近くが、九日間で戻ってしまった!トホホ。
さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』これは、タイトルを見ただけで、「あ!」と叫んでしまうくらい、私にとっては「この本を誰かに書いてもらいたかった」的な本。
日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。
たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。
『バイエルの謎』というこのタイトル、シンプルにして非常に的確。本当に謎が解け、すっきりしますので、ぜひ読んでみてください。(本をくださったKさん、ありがとうございました!)ついでに、実家のアルバムから出てきた、バイエルを弾いていた(と思われる)頃の私の写真を掲載します。
バタバタと学期末の採点その他の仕事を終え、13日(日)にはホノルルでちょっとしたピアノリサイタルをし(やれやれ)、一昨日日本に一時帰国しました。今回は初めて、羽田着のハワイアン航空で帰ってきてみたのですが、これは大変気に入りました。搭乗までのプロセスも、ユナイテッド航空やデルタ航空などより落ち着いているし(JALはほとんど、ANAは一度も乗ったことがないので比較できません)、機体が新しくてピカピカだし、サービスもいいし、羽田着なので都内への移動は便利だし(ただし夜遅めの時間に到着なので、羽田から遠くに行く人にはちょっと不便かも。今回は私は大森の実家に滞在なので、空港からタクシーに乗りました)、これからは毎回これにしようかしらん。
昨日は、運転免許の更新に行ったり新しくメガネを作りに行ったり(『ドット・コム・ラヴァーズ』の読者にはわかっていただけるでしょうが、友達に紹介してもらった大井町のお店で「セクシーでファンキーでかつ『なめんなよ』効果のあるメガネ」を見つけました)しましたが、いやー、やはり日本は、なにごともテキパキとした国だなあとあらためて実感。このテキパキ力に、骨太の政治力と多様性を尊ぶ精神が加われば、コワいものなしの素晴らしい国になるに違いない!
それとはまるで無関係の話題ですが、飛行機のなかで読んだ数週間前の『ニューヨーカー』誌に、中国のオンライン・デーティングについてのなかなか興味深い記事があります。そのタイトル、まさに、The Love Business。(有料購読者以外は全文が読めないようになっていますが、有料でこの記事だけ単独で読むこともできますので、興味のあるかたはどうぞ。)Gong Haiyanという女性が始めた、Jiayuanというオンライン・デーティング・サービスに焦点を当て、現代中国の恋愛・結婚事情を描写したものなのですが、さすが中国、なにごともそのスケールが違うのが面白い。まず、このサービスを始めたGong Haiyanという人物に興味がそそられる。湖南省の山間部の農村出身で、この記事によれば美人でもなければ社交的でもない彼女は、大学院時代に、まだ駆け出し段階のあるオンライン・デーティング・サービスに登録し、12人の男性を選んだものの、ひとつも返事がなく、会社に文句を言ったところ、「あなたのような不細工な女性がそんな高レベルの男性を追いかけたってムリに決まっています」との返事がきたという。この対応に憤慨して、自分の身近にいる人たちを使って自分のオンライン・デーティング・サービスを始めたという。中国でインターネット業界で活躍している他の人たちとは違い、コンピューターの専門知識をもっているわけでも、英語に堪能なわけでも、男性でもない彼女が、こうした分野に出て行くだけでもじゅうぶん感心なことだが、やがてあるソフト開発者(この人物は後にこのサイトで出会った相手と結婚したという)の投資を手に入れ、サービスを拡大するにつれ、オンライン・デーティングの需要の大きさが明らかになっていったという。一日に2千人近くの新規メンバーがサイトに登録し、2006年には登録者が百万人、そして2011にはそれが五千六百万人(!)にまで拡大し、業界では中国最大のサービスとなった。
この記事によれば、オンライン・デーティングのアメリカと中国での最大の相違は、その基本理念にある。アメリカでは、オンライン・デーティングは自分の伴侶となる可能性のある相手との出会いをなるべく広げるのが目的なのに対して、人口13億の中国では、オンライン・デーティングの目的はその反対に、自分の条件に合った相手を絞り込むことにあるという。北京では約40万人の男性登録者がいる。それを、ある23歳の女性は、血液型、身長、星座などの条件を次々に入力してようやく83人まで絞り込んだという。Jiayuanの登録メンバーが答える53の質問には、顔の形のタイプやら、性格を描写する択一式リストがあり、これがなんとも面白い。こうしたサービスの普及にともない、オンライン・デーティングでの成功の秘訣を伝授するような人物やサービスも登場しているという。そうしたアドバイスには、「立派な車の隣で自慢げにポーズをとって写真をとっているような男性には要注意」「最初のデートのときは、女性にとって便利な場所に男性が足を運ぶべき」「男性の四大アクセサリー(腕時計、携帯電話、ベルト、靴)に注目すべし」「お店で払い終わったときに、大事に領収書をしまいこむ男性には要注意」などが含まれる。
あるとき、創設者のGongの目に、ある33歳の研究者のプロフィールが目に止まり、「身長1.62メートル、容姿は平均以上、大学院卒」という条件があげられているのを見て、自分はひとつも当てはまらないと思ったものの、返事をすることにし、「あなたのプロフィールは書き方がいまひとつです。あなたの挙げている条件に合う女性がいたとしても、そんなに要求の多い男性はごめんだと敬遠すると思います」といって、プロフィールの書き方をアドバイスしてあげることにしたという。プロフィールにいろいろ手直しを加えているうちに、彼の条件に合う女性は自分の周りに4人いることに気づき、そのうちのひとりが自分だったという。そうしてふたりはつきあい始め、2度目のデートで彼がプロポーズし、ふたりは自転車に二人乗りして結婚の手続きをしにいったという、微笑ましい話も。
中国の不動産バブルや一人っ子政策などが、恋愛や結婚のありかたに様々な変化をもたらしている中国。現代のジェンダー観や人生観と、インターネットが媒介する市場関係が、どんなふうに相互に作用しているのかを、垣間みさせてくれる記事で、なかなか面白いです。
昨日、『Wagner's Dream』という映画を観てきました。いや〜、すごかった。
これは、あらゆるオペラのなかでも超傑作とされているワーグナーの『ニーベルングの指輪』全4部の、メトロポリタン歌劇場での新しいプロダクションの様子を追ったドキュメンタリー。監督はSusan Froemkeで、私が大好き(映画館でみてあまりにもよかったので、このあいだニューヨークに行ったときにメトロポリタン歌劇場のギフトショップでDVDを買いました)なドキュメンタリー『The Audition』の監督でもある人。
メトロポリタンでは20年間にわたり『指輪』の新しい演出はなされていなかったところに、演出家Robert Lepageが抜擢され、国境を超えたプロダクションチームが、ワーグナーの壮大な構想を実現するために実に6年間をかけて取り組んだ、芸術的・技術的な大挑戦。私は第一部の『ラインの黄金』が映画でのライブビューイングで上映されたものを観に行きましたが、たしかに斬新なプロダクションに感心すると同時に、あまりにもセットがすごいのでそちらに気を取られて音楽に集中できないな〜、などと思っていたのですが、このドキュメンタリーを観て、いやはや、あのプロダクションにかけられた、尋常でない技術や知恵や情熱をかいま見、素直に感動しました。ひとつのオペラのプロダクションに、Robert Lepageやメトロポリタン歌劇場の総支配人であるPeter Gelbのみならず、巨大なセットを作る大工さんやその移動の方法を考える技術者、スタントマン、衣装スタッフ、そしてもちろん、宙にぶら下がったり動くセットをよじ上ったり滑り降りたりしながら歌わなければいけない歌手たちの、何年にもわたる思いと労力が込められているのをみると、畏れ多い気持ちになります。そして、複雑な技術がたくさんあるからこその、本番でのハプニングもあり、6年間の努力がオープニング当日にすべて実を結ばなかった落胆を考えると、観ているこちらまでスタッフとともに悔しい気持ちになり、また、次の公演のときにちゃんとうまくいくかどうかと、こちらも手に汗握る思い。そして、並んでチケットをとり、斬新なプロダクションについて、むきになってあれこれ論評するオペラファンや、雨のなか合羽を着て何時間も座ってリンカーンセンターの広場やタイムズスクエアのスクリーンでの放映に見入る人たちの姿にも、なんだかじーんとくる。莫大な赤字を抱えていると伝えられるメトロポリタン歌劇場ですが、そのなかで芸術にこれだけ惜しみなく人力・資力・技術を投入する勇気のある人たちと組織が世の中に存在して、本当によかったと、心から思わせてくれます。私はとくに『指輪』にも詳しくないし、観るにもなかなか体力を必要とするのでちょっと躊躇していましたが、機会があったらぜひ全4作、メトロポリタンで生の上演を観てみたいと思いました。この映画、日本で上映される予定があるかどうかわかりませんが、機会があったらぜひぜひどうぞ。