昨日は真珠湾攻撃75周年で、パール•ハーバー=ヒッカム共同基地のキロ埠頭で記念式典が行われました。
私はハワイで生活するようになって20年近くがたちますが、 12月7日を迎えるたびに、ハワイそしてアメリカの歴史観や歴史のナラティヴの中での真珠湾攻撃の位置づけにはっとさせられます。今年は、調査と短い旅行を兼ねて夏に広島に行くことになっていたので、どうせなら平和記念式典を見学してみようと、8月6日に合わせて行きました。せっかく広島の式典に出たので、太平洋戦争の記憶や表象の比較ということで、パール•ハーバーの式典にも出てみようかと思ったのですが、現地に行くためにはなんと朝の4時くらいに指定の駐車場に到着して、そこからシャトルに乗らなければいけない、そしてそんな時間に出かけて行っても一般人は式典会場内に入るのはまず無理で、別の場所に設置された大きなスクリーンで映像を見るだけだ、ということだったので、断念して家でテレビ放送を見ました。そこまでの混雑になるほど多くの人々がこの式典に出かけていく、ということ自体に、人々にとっての真珠湾攻撃の意味を再認識させられますが、今年は75周年という大きな節目で、例年よりもさらに深い意味づけがされています。
12月7日に至るまでのしばらくのあいだ、 地元の新聞やテレビは、75周年記念に向けてのさまざまな特集を組んでいました。その多くは、日本軍の攻撃作戦、攻撃当日のオアフ島の様子と破壊の状況、若いアメリカ兵士たちの勇敢な行動とアメリカ軍の素早い復興、生存者や退役軍人たちのその後、といった点に焦点が当てられていて、これまでのアメリカにおける真珠湾攻撃についての記述や表象と特に変わったことはないように思えました。ただ、存命中の真珠湾攻撃経験者や第二次世界大戦の退役軍人はすでに百歳前後で、彼らの生の声を聞けるのはそう長くはないこと、75周年が重要な歴史の一点である、ということは強調されていました。
当日は朝4時半からテレビで特集番組が始まり(私は6時半くらいまで寝ていたので、式典が始まる少し前からしか見ませんでしたが)、世界から現地に集まった数千人の参加者たち、なかでも攻撃生存者や退役軍人たちの姿を映していました。攻撃の始まった時間である7時55分には黙祷が捧げられ、続いてアメリカ合衆国の国家、もとハワイ王国の国家で現在はハワイ州の州歌であるハワイ•ポノイが演奏され、さらにカフと呼ばれるハワイの儀式を司る僧侶によるチャントと祈祷の言葉がありました。
パール•ハーバーにおける歴史の表象においてもアメリカの人々の意識においても、「真珠湾」とは「1941年12月7日の日本軍による奇襲攻撃」とほぼ同義になっていて、日米戦争の始まりを意味するもの、として認識されています。アメリカの人々に限らず、たいていの日本人にとってもその認識は当てはまるでしょう。
真珠湾が「日米戦争の始まり」という歴史の一点としてしか認識されないということは、そもそも真珠湾はどういう「場所」であったのか、1941年12月7日以前にはそこには何があったのか、という視点が失われることでもあります。より直接的に言えば、 アメリカ海軍の拠点になる以前には真珠湾はハワイアンの人々にとってどんな場所であったのか、アメリカ軍に占拠されることによって湾の自然環境にはどんな変化があったのか、そしてその近隣で暮らしていた人々はどうなったのか、といったことには、現代の人々はまず思いを巡らせることはない。
そういうなかで、真珠湾攻撃を記念する式典でハワイアンのカフが祈祷を捧げる、ということをどう解釈するべきなのかは複雑です。式典の企画委員会がハワイアンの歴史や文化や宗教に敬意を払っている印と見るべきなのか、それとも、ハワイアンの歴史を無視して真珠湾を「日米戦争の始まり」として記念式典をするなかで形だけハワイアンの文化を取り入れて収斂していると見るべきなのか。ハワイアンの祈祷に続いたのが、世界連邦日本宗教委員会の代表による祈祷挨拶であった、ということも、真珠湾をめぐるアメリカ合衆国とハワイと日本のあいだの力学を示しているように思えます。
アメリカ海軍とともにこの式典の主催者の一部である、National Park Serviceの代表である女性ふたりのスピーチは、アメリカの歴史を保存•表象•記念するなかでの国立公園の役割について語っていて、真珠湾攻撃の記念式典でのスピーチとしては興味深かったです。アメリカの国立公園というものは確かに非常に面白く、研究もいろいろなされている(ことは知っていてもその中身はよく知らないので、勉強しなくては)のですが、一般の観光客が「パール•ハーバーに行く」ときに訪れるWorld War II Valor in the Pacific(このネーミングがこれまた象徴的)が、National Park Serviceによって運営されている国立公園である、ということに気づき、そのことの意味を考える人は、あまりいないのではないでしょうか。
いろいろ考えさせられることの多い式典でしたが、なかでも私が一番どきっとしたのが、海軍太平洋司令部のハリー•B•ハリスによるスピーチ。式典の性質上、そして海軍太平洋司令官という立場を考えると、このスピーチが、真珠湾攻撃で亡くなった人たちに祈りを捧げ、生存者や退役軍人の果敢な行動を讃える内容になることは予想していましたが、びっくりしたのが、彼は正式なスピーチ(文面はこちらで公開されています)を始める前に、国歌を演奏した海軍バンドを讃え、そして「私たちが今日敬意を表している人々、そして75年前のあの運命的な朝に命を落とした人々は、国歌が演奏されたときには必ず立ち上がり、跪くなどということは決してしなかったはずです」と強い口調で言ったのです。すると聴衆の多くは立ち上がり、声をあげてまる1分間以上拍手をしていました。
「国歌が演奏されたときに跪く」というのは、フットボールのサンフランシスコ49ersのクオーターバックであるコリン•カパーニックをはじめとする何人かの選手が、今年8月以来、試合開始前の国歌の演奏の際、慣習通り起立するかわりに、跪いて前を直視していることを指したものです。全国各地で次々に起こっている、アフリカ系アメリカ人への警察の暴力と、それに象徴される人種関係に抗議の意を表する行為で、カパーニックは「黒人やほかの有色人種を抑圧する国家の旗に(国歌の演奏中に起立をすることで)誇りを示すことはしない」「僕にとって、この問題はフットボールよりもずっと大きなもので、(無視できない大きなことが世の中で起こっているのに)あえて目をそらすというのは身勝手な行為だと思う。道で人が殺されていて、その殺人を犯した人間が有給休暇をもらっている(黒人に暴力をふるった警察官が処分を受けないことを指す)世の中なんだ」と公式に発言しています。その後、49rsの代表は「国歌の演奏は、これまでもそしてこれからも、試合の儀式の重要な一部です。それは、我々の国家に敬意を表し、アメリカ国民として与えられた自由に思いをはせる機会でもあります。宗教の自由や表現の自由といったアメリカの原理を尊重する上で、国歌の祝福という儀式に参加するかどうかの選択は、選手個人の権利であるということも我々は認識しています」と、彼の選択を認める公式発表をしています。しかし、カパーニックと彼に続いて国歌演奏中に跪くようになった選手たちの行為は、大きな議論や非難を巻き起こし、カパーニックは嫌がらせの標的になり、試合中に彼に向かってものを投げる観客も出てきています。自由や平等といった理念を国家やそれを代表する組織が裏切って、人々が抑圧されている以上、その状況に抗議することこそが愛国的な行為であると、彼に賛同しその勇気を讃える人々も多いいっぽうで、国歌の演奏中に起立しないのは国に対する冒涜である、と強く考える人も多いのです。
アメリカにおける人種関係の深刻さは、今回の選挙の展開にも見られる通りです。国歌の演奏中に起立を拒否するという象徴的な行為が政治的にもつ意味については、大いに議論されるべきことだとは思います。しかし、真珠湾攻撃の記念式典で、国のために命を落としたりキャリアを捧げたりした人々を讃えるのに、わざわざこの話題に言及することで平和的抗議活動を批判するというのは、とくに現在の政治•社会状況においては大きな問題だと思います。この発言に続く正式なスピーチでは、予想通りの内容に加えて、安全保障の重要性、日本をはじめとする環太平洋同盟の強化の必要性を訴えるものでした。トランプ政権誕生を前に、真珠湾攻撃という歴史の記憶とこうした軍事強化のメッセージが重なることで、ハワイ、アメリカ、日本、そして世界はどうなっていくのかと、ますます不安が深まる思いでした。
月末にオバマ大統領と安倍首相が真珠湾を訪問するとの発表がなされたばかり。オバマ大統領の広島訪問に次ぐこの真珠湾での会合は、歴史的にも政治的にも意義深いものになるとは思います。それについで、ムスリムの「登録制」を検討しているトランプ氏の大統領就任前に、マンザナー(ここもまた国立公園となっていますが、私はまだ行ったことはありません)などの第二次大戦中の日系人強制収容所の記念地を訪問してほしい、と私は思っています。
現在の政治そして社会の将来を方向づけていくなかで、歴史の記憶というものの重要性を再認識する75周年でした。式典の全容はこちらで見られます(放映権の関係で、もしかするとアメリカ国外では閲覧できない設定になっているかもしれません)。上述したハリス氏の発言は51:25くらいからです。