とうとうトランプ政権が発足しました。もはやこれはトランプ氏というひとりの人間の人格や価値観や政策の問題だけではなくなっています。閣僚に選ばれている人は、見事にひとり残らず、これまでにアメリカの人々が障壁を克服してきたり権利を勝ち取ってきた流れに逆行する立場を公表している人物。大統領就任の当日には早々、ホワイトハウスの公式ウェブサイトから気候変動やLGBTにかんするページが削除される。オバマケアを撤廃しようという動きはすでに始動中。などなど、ニュースの見出しを見るだけで吐き気がするようなことだらけ。
でもそのいっぽうで、昨日と今日は、計25年近くになる私のアメリカ生活の中でもいい意味でもっとも印象に残る2日間に入るものでした。
トランプ大統領就任が象徴するものに抗議する人々がアメリカ全国でさまざまな活動を企画し、とくに各地の大学では、伝統的な講義やセミナーという形式を超えて、開かれた場で活発な議論をするためのteach-inと呼ばれる活動が行われました。ハワイ大学でもJ20 Day of Resistanceという名のもと多様な活動がありました。午前中は、さまざまな学部がその専門に沿った内容のワークショップやディスカッションを開催。アメリカの宗教と政治を専門にしている同僚が開催した「トランプ時代におけるムスリムとの連帯」というセッションを見学しましたが、ハワイ大学を卒業し現在は医学部の学生である、ムスリムの女性をゲストに呼び、世間に蔓延するムスリムにかんする誤解や、ムスリムとしてアメリカそしてハワイで暮らすということの意味を、体験的に語ってもらいながら、参加者の質問やコメントに答える、というもので、とてもいいセッションでした。私自身は、今学期「アメリカの音楽と文化」という学部生用の授業を担当しているため、これを機会にSongs of Protest, Songs of Solidarityという特別セッションを企画し、授業を受講している学生だけでなく誰でも参加してもらえるように公開しました。私がアメリカにおけるプロテストソングの歴史と、We Shall Not Be Moved, We Shall Overcome, Amazing Graceの3曲の背景や普及の経緯(どれもとても有名な曲ですが、それぞれにとても興味深い歴史があるのです)を簡単に説明。その後で、ゲストとして来てもらった素晴らしいソプラノ歌手の友人であるRachel Schutzがリードし、アメリカ研究学部の同僚で趣味で演奏や作曲をするJoyce Marianoがギター、私がキーボードで伴奏して、皆で実際にその3曲を歌う、というセッション。受講生以外の参加者も予想以上に多く、学生だけでなく他学部の教員やアドミン陣、大学外の一般の人たちも参加して、積極的に質問や発言をしてくださったうえに、初めは気恥ずかしそうにボソボソしていた学生たちも最後には元気に声をあげて歌っていました。(テレビの取材も来ていて、後から友達に聞いたところによると夜のニュースにこのセッションの様子が出ていたそうですが、残念ながら動画はアーカイブされていない模様。)
その後キャンパスの中心で行われた全体のteach-inでは、女性の安全、LGBTの権利、移民政策、ハワイ先住民とアメリカ合衆国の関係史など、さまざまなトピックについての専門家・活動家が問題を提起し行動を促すスピーチをし、その合間に私は再び上記の3曲についての背景説明と伴奏をして皆で歌いました。その後、キャンパスからワイキキまでの行進があり、他の3ルートの行進と合流して、トランプタワーの前でデモをしました。
就任式を見てうんざりした気分になるよりもこうやって過ごすほうが有意義だと心から思えた昨日でしたが、一夜明けて今日はさらに感動的でした。全米の何百もの都市だけでなく世界中の各地で企画されたWomen's Marchがホノルルでも行われ、私も参加しました。
私は計17年間ほどになるハワイ生活で、数多くのデモ集会や行進に参加してきましたが、今日のハワイ州議事堂周りの行進は私がこれまでに参加したもののどれよりも規模が大きく、メディアによる推定人数は5000人から8000人ほど(メディアによって推定人数にだいぶ差がありますが、これは各メディアの政治的指向の他にも、どの時点・地点で人数を推定するのかが難しい、という要素があるでしょう)。Women's Marchとはいっても圧倒的に女性が多いということはなく、私が見た感じだと少なくとも四分の一から三分の一くらいは男性だったし、人種や年齢(若い人たちの元気も胸に迫るものがありますが、車椅子や杖で行進している高齢者の人たちの姿にも勇気をもらいました)や、いわゆる「スタイル」が実に多様な人たちが、こうして一堂に集まり、ホノルルにしてはかなり肌寒く強風で雨もあった天候のなか、皆で行進しているということに、言いようのない感動と高揚感をおぼえました。
そして、家に帰ってからフェースブックを見ると、ボストン、プロビデンス、ニューヨーク、アトランタ、シカゴ、マディソン、コロンバス、セントルイス、ヒューストン、オースティン、シアトル、サクラメント、ロスアンジェルスなど、本当にありとあらゆる都市でみなが行進に参加している写真を投稿している。そして、行進に参加するため、何時間も飛行機や電車や車に乗ってワシントンに出かけていった人たちがたくさんいる。みなが、この行進のトレードマークとなったピンクの毛糸の帽子を被ったり、政治的メッセージとユーモアの混じったサインを掲げたりして、何万人もの人たちと一緒に道を歩いている。その様子をフェースブックで見ていると、「そうだ、これこそが私の信じてきたアメリカだ」という思いがこみ上げてきて涙が出そうになります。
もちろん、考えを同じくする何千人、何万人、都市によっては何十万人もの人たちと、時と場所を体験を共有するというのは、否定しようのない高揚感や連帯感があるものです。それと同時に、こうした行進といった活動はあくまで象徴的なものであって、それ自体が具体的な政策につながるものではないのも事実。行進に参加したということで、自分が政治的な活動をした、フェミニストとしての責務を果たした、というような気分になり、その場で写真を撮ってフェースブックやインスタグラムに投稿することで、自分が「ちゃんと活動している」ことを友達に証明したつもりになり、その翌日からは何もしない受動的な位置に落ち着いてしまう、という可能性もあるでしょう。でも、今日の世界各地での行進で参加者が感じ取った、多くの人に共有されている政治的決意や使命感、そして「皆で力を合わせればこれだけのことができるのだ」という実感は、明日からも息の長いさまざまな活動につながっていくのではないか。そう実感できる一日でした。