
このコンサート、私が今までかかわったイベントの中でも群を抜いて素晴らしいコンサートとなりました。フェースブックなどのソーシャルメディアと、ラジオでのインタビューやチラシやハガキなどの従来型のメディアの両方を使っての宣伝をしたのですが、なにがとくに有効だったのかはよくわからないけれど、とにかく驚くほどたくさんの聴衆が集まり、しかも大学でのイベントであるにもかかわらず、大学とは無関係のコミュニティの人たちがとても大勢来てくださり、そして、普通のコンサートではなかなか感じられない、演奏者と聴衆との一体感が感じられました。演奏者がそれぞれ自分のバックグラウンドなどについて話をしてから演奏したことや、演目のそれぞれがなんらかの形で「移民」に関連するものであったことで、親近感や興味が生まれたのがよかったのかと思います。音楽もスポークン・ワードもダンスもすべてがパワフルで美しく、涙が浮かんだり鳥肌が立ったりするようなパフォーマンスでした。
私自身のトークは、どういった内容にするかかなり悩みました。アメリカ研究者相手なら、知識や「知っているべきこと」の認識を共有している(はずな)ので、準備はむしろ楽。でもこういう一般聴衆との対話を目的としたイベントでは相手が果たして何を知っているのか、何を考えているのか、さっぱり見当がつかない。「こんなことくらいは知っているだろう」との前提で話をして通じなければ意味がないし、逆にあまりにベーシックな話をして「そんなことくらい知ってるよ、バカにするな」と思われるともっと困る。「一般のひとたち」は、1882年の中国移民排斥法や、1965年移民法について、どのくらい(少しでも)知っているのか?ユダヤ系アメリカ人と黒人音楽の関係や、ロシア移民の音楽家たちの位置づけなどについて、どのくらい(少しでも)知っているのか?といったことに加えて、そもそも聴衆が、音楽そのものに興味をもってくるのか、移民問題に興味をもってくるのかも、ちょっと見当がつかない。というわけで、ピッチングの加減についてずいぶん悩みながら準備したのですが、結果的には、自分のトークにこんなにポジティブな反応を聴衆からもらったことはないのでは、と思うくらいの大好評でした。


コンサート終了後、本当にたくさんの人たちが、「実に素晴らしい、有意義なイベントだった、どうもありがとう」と声をかけてくださり、出演者たちと長い時間「対話」をしていたことからも、このコンサートの開催は意味があったのだと実感しました。音楽やダンスや演劇などの生のパフォーマンスは、その場限りのものだからこそ、その経験を共有する人たちにとって意義深いものなのだと感じることができました。ちょうど、自分の研究・執筆において、広島平和記念コンサートについて書いている最中のことだったので、こうした社会問題をテーマにした音楽イベントの意義を再認識できた、という意味でも、私にとって学ぶことの多い一晩でした。