学会出席のため、中間選挙の日の夜にホノルルを発ってアトランタに向かいました。ステイシー・エイブラムスが初の黒人女性知事となるのではと見込まれていたジョージア州に、彼女の当選が決まった日の朝に到着できたらよいなあと思っていたのですが、ホノルルを出発するときにはどうやら僅差で落選したようでガックリしていたら、アトランタに着いてみると、集計されていない票が相当数あり、得票率の差が小ささ過ぎるというので、再集計、ということになり、ジョージアはなんとまだ次期の知事が決まっていません。この件も含め、選挙についてはいろいろと考えること、書くことがあるのですが、それはまたゆっくりということで、今回は、学会会場で購入して、アトランタから帰りの長いフライトで貪るように読み耽った、スチュアート・ホールの回想録、Familiar Strangerについて。
スチュアート・ホールについて知らないかたは、4年前に彼が亡くなったときの投稿を読んでいただければ、彼の仕事についてのきわめて大雑把な概要はわかります。このたび私が読んだのは、長年にわたってのインタビューの書き起こし原稿に、晩年体調も視力も低下していたホール自身が精魂を振り絞って丹念に手を入れて、本の形にまとまり、アメリカでは昨年デューク大学出版より刊行されたもの(イギリスではペンギン社より刊行された模様)。ホールの仕事についてよく知らない読者にとっては、ホールという人物についても、カルチュラル・スタディーズという分野についても、格好の入門になると同時に、ホールの理論に馴染んでいる研究者にとっては、その背景にある人生が実に鮮明に描かれていて、たまらなく感動的な一冊。
まずは、1932年にキングストンで生まれたホールが19歳でオックスフォード大学に旅立つまでの生い立ちが、ジャマイカの歴史と社会についての叙述とタペストリーをなして描かれている。彼自身の経験、そして家族・親族関係のミクロな描写から、コロニアリズムというものが人々の生活や意識、憧れや理想、人間関係を、どのように形作るのかが、鮮明に浮かび上がってくる。そしてまた、「黒人」という概念やアイデンティティが存在しなかった当時のジャマイカで、複雑な濃淡のある社会的ヒエラルキーのさまざまな層に位置する人々が、徐々に脱植民地主義、脱帝国主義、反レイシズムといった目的に向かって動いていく歴史の波が描かれている。そうしたなかで、「主観的」なものと「客観的」なもの、「内面的」なものと「構造的」なもの、といった、二項対立的に捉えられがちなものが、じっさいにはきわめて深く相互作用的に構築されているのだということを、根源的な次元でホール青年は理解するようになる。とくに、母親と姉についての記述が忘れられない。
ジャマイカのミドルクラスとして英国的エリート教育を受け、「文明」と「近代」の洗礼を受け(Conscripts of Modernity、すなわち「近代への徴集兵」という章のタイトルが絶妙)、それと同時進行でコロニアリズムや人種についての意識に徐々に目覚め、自分の家族に対しても、ジャマイカの社会に対しても、居心地の悪さを深めていくホールは、やはり大英帝国支配下のコロニアル・エリートらしく、オックスフォード大学に留学する。この前後の、彼が受けた教育についての叙述にも、グイグイと引き込まれる。私は個人的には、ホールがオックスフォードに留学し、「イングランド」と「ブリテン」というふたつの社会の幻想と現実に直面し、自分とジャマイカ、そして自分と「イギリス」と「ブリテン」との距離や関係性を探りながら、「ディアスポラ」としての立場を受け入れていく時期についての記述に、鳥肌が立つほどの共感を覚えた。共感といっても、もちろん、1990年代に日本人留学生としてアメリカの大学院に行った私と、その40年前にジャマイカからオックスフォードに行ったホールとは、まるっきり状況は違うし、私は「ディアスポラ」という意識はまるでないのだけれど、まるっきり異国ともいえないし、かといってあきらかに自国ではない社会に身を置いて、とにもかくにも、その社会や文化を律している暗黙の「記号」を実際的に身につけていかなければいけない、というプロセスについては、自分の経験や思いを重ねる部分が多かった。そして、その記述のなかで、ホールがヘンリー・ジェイムスを読み耽った、というくだりに、深く感動した。(私は、ヘンリー・ジェイムスと親しく、作品で扱っているテーマにも共通するものが多い、イーディス・ウォートンの小説に大学院時代に出会い、ホールがジェイムスについて抱いたのと同じような思いを抱いたのです。)音楽についての記述もとても興味深かった。
カルチュラル・スタディーズの研究者にとって学術的に一番面白いのは、やはり最終章で、ホールが反核運動をはじめとする社会運動に深くかかわるようになり、そしていわゆる「バーミンガム学派」の創設者のひとりとしてカルチュラル・スタディーズの礎を築いていく時期についての叙述だろう。理論というものは、固有の状況や文脈から生まれるものだ、ということが、この章を読むとよくわかるし、とくに、「バーミンガム学派」の父的存在である、E.P. トンプソンやレイモンド・ウィリアムズについての記述は、どんなに時差で眠気に襲われていても一気に目が覚めるくらい面白い。
なんといっても、文章が美しくかつ雄弁で、単純に読み物として第一級。自らの知的形成を追った回想録でありながら、小説のように読める。深い学術性をもちながら、最初から最後まで深い人間性が感じられる。最終章の最後はこう終わっている。
I had to find a modus vivendi with the world I had entered and indeed with myself. Surprisingly, this turned out to be partly through politics. Establishing, as I had, a foothold in British radicalism and inhabiting a necessary distance from England and its values meant that I never came to be seduced by the old imperial metropole. It allowed me to maintain a space I felt I needed. I wanted to change British society, not adopt it. This commitment enabled me not to have to live my life as a disappointed suitor, or as a disgruntled stranger. I found an outlet for my energies, interests and commitments without giving my soul away. And I had found a new family.
いずれ邦訳も刊行されることと思いますが、英語は決して難解ではないし、ホール自身の言葉を是非とも味わっていただきたいので、この原著を読むことを強くオススメします。