週末3日間、ハワイ島のマウナケア山に行ってきました。ここ3週間、ハワイアンの人々がリーダーとなって展開している、TMT(Thirty
Meter Telescope)建設反対運動の様子を自分の目で見てみたかったからです。
ごく最近までは、この天文台建設をめぐる議論や騒動については、日本ではほとんど知られていなさそうだという印象をもっていましたが、先週朝日新聞のデジタル版に記事が載ったこともあり、だんだんとニュースが広がっているように思います。昨日はマウナケアでNHKの記者にもお会いしました。
まずは、簡単な背景説明から。
ハワイアンにとって神聖な土地であるマウナケア山は、環境保護地区として州に指定されており、開発が規制されています。天文台のような大規模な施設が建設されるためには、通常は、自然環境や先住民文化への影響などをめぐる厳しい審査を経なければいけないところが、天文観測に理想的な環境とされたマウナケア山頂には、そのような審査を経ずに1960年代から次々と望遠鏡が建てられてきました。マウナケア山頂では土地の宗教的・文化的な意味や自然環境に配慮がなされておらず、ずさんな管理で持続的にゴミや汚染の問題が起きていることが指摘されながらも、ハワイ州や州から山頂の土地を借りて管理するハワイ大学は適切な処置を取らず、数十年間にわたって地元住民や環境団体から抗議の声が上がっていました。1990年代後半には、州政府が実施した監査で30年間にわたるマウナケア管理の失態が指摘されたにもかかわらず、新たな望遠鏡が建設され続け、2004年には下水やディーゼル燃料、水銀などの漏洩が山頂で起きていたことも露呈されました。2011年にはすばる天文台で100リットルの冷却剤が漏れ、2週間にわたって天文台が閉鎖されました。
そのような状況の中で、ハワイアンの人々や地元の住民、ハワイ大学の学生団体などからの強い反対にもかかわらず建設計画が進められてきたTMTは、すでにマウナケア山頂に13基ある天文台のどれよりもはるかに大きな規模の、18階建のビルに相当するサイズの施設です。2015年に建設が開始されようとしたときには、マウナケアを守る活動家たちが抗議運動として山頂への道路をふさぎ、一時的に建設は停止されましたが、2018年には州最高裁が建設再開を認める判決を下し、この夏に建設道具などを山頂に運ぶ作業が始められようとしていました。
それを受けて、再びハワイアン・コミュニティのリーダーたちや若い活動家たちが、山頂への道路の入り口で座り込みを開始し、7月17日にはクプナと呼ばれる長老たちを含む40人近くが逮捕される騒動へと展開しました。平和的直接行動に対して州がこのような強行措置を取ったことに対して、ハワイアンだけでなくハワイの人々やアメリカ本土、海外からも大きな批判の声が上がり、この問題への関心が大きく高まってきました。マウナケア現地だけでなく、オアフ島でも州議事堂やワイキキ、ハワイ大学キャンパスなどで3週間にわたってほぼ連日デモが行われています。私も数回参加しましたが、ハワイアンだけでなく実に多様な人たちが緊急の呼びかけに応じて集まってくるのがとても印象的でした。
マウナケアでは、座り込みに参加する人たちが各地から集まり、これまでに最大で約3千人ほどの人たちが道路の入り口周辺に集まって、その多くはテントや車の中で寝泊りをしています。プロレスラーのThe Rockや俳優のジェイソン・モモアも抗議運動への賛同を表明するため現地を訪れています。私が行った週末には、ハリケーンが接近しているとの予報が前日にあり、小さなテントは撤去され、多くの人たちは安全な場所へ移動したものの、雨や強風のなか百人以上の人たちが現地に残って夜を明かし、翌日にはまた1000人以上の人たちが集まりました。
私はTMTの問題が明らかに悪化してきた数年前からマウナケアでの建設には反対でしたが、現地に行くことを躊躇していたのは、私がそこに出かけて行くという行為が抗議運動への支持の表明として最適な形であるかどうか、ハワイアンでない人間がハワイアンにとって神聖な空間に押し入ることにはならないか、私が行っても観光客のように外から事態を眺めるだけでなんの貢献にもならないのではないか、などという問いが頭をめぐっていたからです。
それでもとにかく出かけて行ってみようという気持ちになったのは、私の学部の博士課程に在籍している、この運動に深くかかわっているハワイ島ヒロ出身のハワイアンの大学院生が、「マウナケアで今起こっていることを、学部のみんなにぜひ経験してもらいたいので、興味のある人は案内する」と呼びかけて2泊3日の訪問を企画してくれたからです。教員・大学院生やその仲間合わせて約10人がこのマウナケア訪問に参加しました。彼がきわめて綿密で考え抜かれた計画を立てて案内してくれたおかげで、単なる傍観者ではなく、ボランティア活動をしたり、マウナケアに行く途中の道路脇で野生の花を摘んで夜にレイを作り神殿に捧げたり、ハワイアンのチャントを習って式典で歌ったりと、ほんの小さな形でもなにかそこで役割を果たす参加者として、マウナケアでの運動を経験することができました。
この3日間で見たこと、経験したことは、ハワイに引っ越してきてから20年以上が経つ私にとって、もっとも意義深いことのひとつとなりました。感じたこと・考えたことがたくさんありすぎて、まだきちんと言葉で整理できない感がありますが、そのときの印象や直後の思いを記録しておくことも意味があると思うので、ここでシェアしておきます。
一番強く感じたことは、今マウナケアで起こっていることは、TMT建設反対という直接的な目的もさることながら、それをはるかに超えた、まさにハワイアンの共同体創生の大きな波になっている、ということです。
警官が活動家たちをを立ち退かせようとしたり、リーダーたちが逮捕されるような状況のときには、非暴力的直接行動の訓練を受けた活動家たちが腕を組んで座り込みをするなどというアクションが取られます(無駄に状況をエスカレートさせないための、非暴力的直接行動のトレーニングが、現地では定期的に開催されていて、そこにいる人すべてに参加を呼びかけられます)が、TMT建設反対の声が強まると同時に、ハリケーン接近により建設工事もすぐには始まらないということで州知事の非常事態宣言が取り消され、エリア周辺にところどころ巡回するほかは警官も撤退した状況では、道路入り口付近に集まった活動家たちが一日中文字通り道路にじっと座っているわけではありません。
ではそこで何が行われているかというと、まさに、ハワイアンの共同体が営まれ、文化が実践されているのです。
毎日3回、朝8時と正午と夕方6時には、長老たちが常駐しているテントを囲んで、式典が行われます。山や太陽などの神々に祈りを捧げるチャントを歌い、何曲かのフラを踊り、そのあとで、遠隔地からマウナケア山とそれを守る長老たちに敬意を払うためにやってきた人たちやグループが、正式な挨拶としてチャントや歌や演説をしながら長老たちの前に進み出て捧げものをします。それに応じて受け取る側もチャントをします。多くの訪問者がある日には、この最後の部分だけで1時間以上もかかることもあります。
私は、宗教心というものがなく、多くの儀式や式典というものには興味がない人間なのですが、この式典は何時間でも立って見ていたいと思うくらい、身体や頭や心のあらゆる方向から強く響くものがあり、深く心を打たれました。ハワイで暮らすようになってからこれまで、もちろん何度もフラを見たりチャントを聴いたりしてきましたが、その多くは、何かのイベントの際にプロトコルとして行われるものであったり、パフォーマンスとして演じられるものでした。それらももちろん重要な意味を持ったものですが、マウナケアの山を前に広い広い空の下でのチャントやフラは、別の次元のパワーを持っています。オリやフラは、まさに祈祷であり、コミュニケーションであり、愛や決意の表現であり、なにより、ハワイアンの人たちの生きた文化なのだ、ということを深く実感しました。この美しくパワフルな式典を、ひとりでも多くの人に経験してもらいたいと強く思いました。
そして、それ以外の時間には、PuʻuhuluhuluUniversityと名付けられた青空教室が開催されています。この場所に集まった人たちが、式典の時間以外に何もせずにそこにいるだけではもったいない、せっかくだからここに集まる人たちのエネルギーを、ハワイアンの共同体の興隆につなげることに使おう、好都合なことに、マウナケアに集まってきている人たちの中には、ハワイ大学の教員や学生だったり、ハワイ語やフラの指導者だったりする人が多く、シェアする知識やスキルをたくさん持っている。ということで、現地に常駐している若い活動家たちが率先して企画したこの「大学」。毎日朝の式典でスケジュールが発表され、たいてい同時進行で複数の、多い時には5つもの「クラス」が開講されます。クラスの内容は、ハワイ語入門やハワイの神話や伝説、宗教や思想に関するものから、チャントや歌、ハワイ・太平洋地域の植民地化や軍事化の歴史、ハワイアンの移動やディアスポラの力学といったものまで、実にさまざま。そこにいる人は、ハワイアンでなくても、大人でも子供でも、ハワイ語やハワイの歴史や文化の知識があってもなくても、誰でも参加できます。途中で一つのクラスから別のクラスに移動してもよい。学位を持った人が権威として上から下に知識を伝授するという性質のものではなく、空の下、マウナケアの麓で、知や文化を共有し育成しよう、という精神の、有機的な教育活動なのです。こういうものが自然発生的に生まれて、毎日絶え間なく開講されているということは、本当にスゴイ。
山の麓の水道も電気もない場所で、日によっては何千人にもなる人たちが集まって、どうやって「生活」しているのか、というと、人々の見事な自律的運営と組織によっているのです。
長老たちの常駐しているテントを挟んで道路の反対側には、Pu’uhonua すなわち「安全な避難場所」として設置されたエリアがあります。そこには、キッチンテント、衣類や生活用品などを常備したテント、簡易トイレ、ゴミ分別テントなどがあり、すべてボランティアによって実に規律正しく運営されています。発電機も、飲食物や衣類や生活用品も簡易トイレも、そこにあるトイレットペーパーや消毒液なども、すべて各地の人々から寄付されたもの。食料は長老たちやそこに常駐している人たちのためのものなので、日帰りでやってくる人たちは自分の食べ物を持参するようにとは言われていますが、毎日集まる人が誰もお腹を空かせないだけの食料はじゅうぶんあり、常に何十人ものボランティアたちがテントで配膳や片付けに当たっています。トイレ掃除やゴミ処理担当のボランティアも絶えず作業しているので、一帯は実にきれい。私は道路のT字路の両側1キロずつくらいのエリアのゴミ拾いをしたのですが、テントや車で寝泊まりしている人たちも日帰りでやってくる人たちも、みな責任ある行動をしているので、ほとんどゴミといえるようなものは見つかりませんでした。
このことからも、マウナケアで「カプ・アロハ」の精神が徹底して実践されていることがわかります。毎日3回の式典では、運動のリーダーたちが繰り返し、この地での戒律についてみなをリマインドします。誰に対してもアロハの精神で接すること、自分たちの行動を自分で律すること、飲酒や喫煙は一切禁止、ゴミを出さないこと、などといった規律を、みながしっかりと守って行動し生活しています。
そういう共同体ゆえ、皆が本当に温かくお互いに接します。すれ違う誰もが目を見合わせてにっこりしてAloha!と挨拶するし、私が「ごみありませんか〜」と言いながらたくさんのテントが張られた道路沿いを歩いていると、ごみのない人(がほとんど)を含めみんながMahalo!と感謝の気持ちを表現してくれるし、誰かが「ちょっとこれを動かすので手伝ってください」などと呼びかけると、瞬時に近くの人が10人も20人も集まってあっという間に作業が終わるのを見て、胸が熱くなりました。
さらに印象的なのは、ここに集まっている人たちの年齢がきわめて幅広い、ということ。長老テントに常駐しているリーダー層は70代や80代。1970年代のハワイアン運動のリーダーの一人であったMililani Traskや、ミュージシャンとして日本でも知られるKealiʻi Reichelもいますが、マウナケアでこのコミュニティを運営している人たちの多くは、1970年代から1980年代にハワイアン運動の一部として開設されたHawaiian immersion school(すべての学科をハワイ語で勉強し、生活でもすべてハワイ語を使用する学校)で教育を受けたり、子供の頃から真剣にフラを勉強したり、さまざまな形でハワイアン運動に携わってきた世代。そうした人たちが、自分たちの子供を連れて、マウナケアの麓に生活の場と共同体を作って、神聖な土地や自然環境を守っているのです。
「抗議運動」というと、血気盛んな若者や中年男性たちがヘルメットにマスクで突進する、などというイメージを持つ人もいるのではないかと思いますが(いないか?)、マウナケアでは、ティーンエイジャーもたくさんいるし、家族ごとこの共同体にコミットしている人たちが多く、抱かれた赤ちゃんやちょこちょこ歩きの幼児、小学生くらいの年齢の子供たちが何百人もいるのに驚きました。そんな子供が割れ目のたくさんあるゴツゴツした溶岩の地面を走り回っていて危なくないのか、と思われそうですが、これだけみながアロハの精神で連帯している場所なら、まったく危なくないだろうということがわかります。
また、Puʻuhuluhulu
Universityのクラスをいくつか覗いてそこで交わされている会話を聞いて感じたことは、ここに集まっている「ハワイアン」の人たちは、「ハワイアン」であることについて実に多様な経験や思いを持ちながらも、TMT建設の危機によってものすごい勢いでこの場に吸い寄せられるように集まってきて、「ハワイアン」の意味を考え直し、ハワイの土地や文化へのコミットメントを新たにしている、ということです。ネイティヴ・ハワイアンの血を引く人でも、ハワイで暮らしたことのない人たちはたくさんいますし、ハワイで生まれ育ったハワイアンでも、ハワイ語やハワイの文化をほとんど知らずに成人した人たちも少なくありません。福音派クリスチャンやモルモン教信者のハワイアンもたくさんいますし、LGBTQのハワイアンもいます。ハワイアン運動の活動家の中でも、ハワイ語やハワイの宗教や神話などの文化的知識を重視する人と、より政治的な問題を重視する人がいます。ハワイアン運動にこれまで深く関わってきた人も、これまで無関心だった人もいます。そうした人たちがここに集まって、一緒に生活しながら、ハワイアンの共同体を営んでいるのです。このことは、TMTそのものがどうなるかを超えて、とても大きな意味を持っていると思います。
人々が祈りを捧げフラを踊り、長老たちに敬意を表し、共同キッチンを運営しトイレの掃除をし、青空のもとで教室を開催している、そのマウナケアの麓で2019年の夏を過ごした子供たちが、10年、20年、30年後に成人してリーダーになった時のハワイがどのような社会になっているのか。それを見ることができるのなら、このまま一生ハワイで過ごすのもよいなという気持ちにもなりました。
この投稿を書いている最中に、TMTの代表がマウナケアの代替案として候補に挙がっているスペインのカナリア諸島に、天文台建設の許可申請を提出したというニュースが出ました。TMTは日本の国立天文台を含む複数の国の大学や組織が共同出資して法人化されている複雑な機構なので、土地を提供するハワイ州や管理するハワイ大学がたとえこの事業の進行に躊躇したとしても、そう簡単に中止したり移動したりできるものではないでしょう。どう収束するのかは私には予測できません。
ただ、マウナケアに行ってみて確信したのは、山にテントを張っている長老たちやそのサポーターたちは、何があってもあの場から動かないだろう、ということ。いざとなったらトラックの下敷きになる覚悟があるだろう、ということ。
そして、マウナケアを中心に、ハワイアン運動の大きな波が高まっている、ということ。長い植民地化や軍事化の歴史の中でいろいろな形で脅かされてきたハワイという共同体が、政治的にも文化的にも強化されつつある、ということ。
また、オアフで行われているアクションやメディアでみるニュースからみて確実なのは、活動家たちを支持する声や運動は急速に広がっている、ということです。
ハワイの住人としても、TMTの建設資金の20パーセント以上を出資する日本の人間としても、他人事として傍観してはいられない、と思いました。日本も夏休み。ハワイに旅行に来る人たちも多いでしょう。観光以外にも、ハワイは日本との関わりの深い場所ですので、マウナケアで起こっていることを、少しでも日本の人たちに知ってほしいと思います。