2014年2月10日月曜日

カルチュラル・スタディーズの創始者、スチュアート・ホール氏逝去

朝一番にフェースブックを開いて大打撃を受けたのが、スチュアート・ホール氏逝去のニュース。通称カルチュラル・スタディーズという名で知られるようになった学際的な分野の生みの親のひとりで、第二次大戦後の人文科学・社会科学に非常に大きな貢献をもたらした人物です。私にとっては、エドワード・サイードと並んで、知的にもっとも大きな影響を受けた思想家のひとりといえます。

1932年ジャマイカ生まれ。キングストンで古典的英国式の教育を受けながらも、脱植民地運動に影響を受け、ジャマイカの人種状況の束縛を逃れるため、世界的に権威のあるローズ奨学金を受給して1951年にオックスフォード大学に留学。英文学を専攻しながらも、裕福で名門の家庭背景からくる学生たちの空気に馴染めず、街の移民マイノリティたちとの交流を深めるにつれ、自らの黒人としてのアイデンティティに深く向き合い、そして世界各地の脱植民地主義運動や学生運動にかかわるようになる。New Left Reviewという左派思想雑誌の創設者となり、ロンドンに移住し、大学講師をしながら大衆文化の研究に身を投じるようになる。1964年に思想家Richard Hoggartがバーミンガム大学にCentre for Contemporary Cultural Studiesという研究書を創設した際にホールを教授陣に招待したのがはじまりとなり、ホールは他の数名の思想家たちとともに、いわゆるバーミンガム学派のカルチュラル・スタディーズの生みの親のひとりとして、斬新な研究・教育活動を展開していくことになります。

その広汎な研究・言論活動を一言で要約するならば、広義の「文化」と「政治」「権力」の関係を考察する、ということ。マルクス思想の流れを汲みながら、大衆文化・若者文化・メディアなどの文化を緻密で丁寧に理論化し、現代社会におけるマルクス主義の役割、グローバリゼーションの状況、多文化主義と人種・エスニシティや性の力学などさまざまなテーマについて、文学理論・言語学・哲学・社会学・文化人類学などの手法を使って精力的に論じてきました。批評理論の世界的リーダー、そしてカルチュラル・スタディーズや多文化主義の生みの親とみなされながらも、(とくにアメリカにおける)カルチュラル・スタディーズが流行りの学術用語を駆使した単なる表象分析に傾倒することに強い異議を唱え、本来のマルクス主義の理念を学び直すことを、左派の思想家たちにむかって常に説いてもいました。そしてまた、カリブ海社会はもちろん、アジアやアフリカの研究者たちにも多大な影響を与えながらも、批評理論というものは、固有の歴史・社会の流れのなかで生まれるもので、理論を固定化させてそのまま別の文脈に移植しても意味はない、と警鐘も鳴らしました。正統的な教育制度にアクセスをもたない低所得者層・地方在住者・社会人などに高等教育の機会を与えることを使命として1960年代に創設されたオープン大学での教育活動に身を投じたことからもわかるように、生涯通じてマイノリティや移民や労働者階級との直接のかかわりを優先した人物でもあります。

学術界のスター・システムを嫌い、共同研究や共同執筆、そしてジャーナリズムやメディア一般を通じての言論活動を重視したホールは、その影響力から考えると、単著の書籍は少なく、彼の貢献の多くは、さまざまなエッセイやインタビュー、共編著などの形で残っています。

これを機に、真剣にホールを読み直してみたら、日本の惨憺たる政治状況のなかで、人々が「こりゃあちょっと頑張らにゃあかん」と奮い立つ...かな?


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