5月後半から3週間日本に帰国し、2週間前にハワイに戻ってきました。盛りだくさんで慌ただしい3週間でしたが、わずかなフリー時間に仕入れてきた本の小さな山を、我慢しきれずに崩しつつあります。今週はこちらでピアノフェスティバルに参加するのでそちらに集中するべきで、「ああ、今これに手を出してはいけない」と思いつつ、つい読み始めてしまい、案の定止まらなくなって、丸一日読み耽って読了してしまったのが、中島京子『夢見る帝国図書館』。
掌のなかで品良くキラキラ光る宝物、本と歴史と愛と記憶の玉手箱のような小説!最初っから最後の最後まで、物語や小説というものの愉しみをたっぷりと味わわせてくれます。
舞台というかネタは、上野の国際子ども図書館。私はここに何度か足を運んだことがあり、初回に行った時から大ファン(最初に行った時の感動はこちらでも投稿してありました)。そして、帰国の際にはリサーチのため永田町の国会図書館にもよく行きます。永田町のほうは上野とは外観からしてまるっきり様子が違って、具体的な目的を持って行く人以外(ましてや子ども)を暖かく迎え入れるような空気ではないのだけれど、いったん入ってみると、私のような人間には遊園地みたいに面白いところ。この小説でも、国会図書館に入るには青色の利用証を駅の改札のようにしてかざして、検索用コンピューターの前に座ってその画面の横に利用証を置いて、端末であれこれ検索して資料を請求してコピーを注文して…ということが書いてありますが、(話の流れということは別にして)なぜそういうディテールを書きたくなるのか、私はその気持ちがよくわかる!あまり人間臭さを感じさせないあのいかつい建物のどこかにある、世界に誇る帝国図書館を夢見てきた人たちが恒常的金欠と政治の荒波に翻弄されながらもせっせと蓄積してきた本やら文書やら音源やらその他の資料が、あの青いカード一枚とマウスのクリックであっという間に目の前に出てくる、その魔法のようなシステムは、本当に感動的で、私もそれについてなにか書きたいなあくらいに思っていたのです。そこいらへんに静かに立っているスタッフの人たちもとっても親切だし…(なーんて書くと、私は国会図書館の回し者みたいですが、単なる一利用者です。ソフトクリームが美味しいことは知らなかったので、次回はぜひ試してみようっと。)
というわけで、国際子ども図書館となった帝国図書館の歴史がセッティングとなっている、と書くと、とりわけ図書館に興味のない人は「ふうん、別にいいや」と去って行ってしまいそうですが、いえいえ、どうぞお待ちを。図書館そのものにとくべつな思い入れがない人も、とーっても楽しめることは保証しますし、読み終わったらやっぱり図書館––地元の図書館でも、町の文庫でも、学校図書館でも、そして国際子ども図書館でも国会図書館でも––に足を運びたくなる、そして親や子どもやきょうだいや友達や恋人と、本の話をしたくなる。そういう小説です。
物語を通じて、「普通の人」たちや「ちょっと変わった人」たち、そして明治大正昭和の文豪たちや黒豹や象(なんのこっちゃ、と思うでしょうが、ご心配なく、突拍子もないように聞こえても、ちゃんと話として辻褄が合っているのです)が次々と登場し、ちょっと不思議で優しく切ない出会いやつながりが、一人称の愉快な語り口で語られます。なんといっても物語の中心となる喜和子さんというちょっと変わったおばさんがサイコー。(ちょっとネタバレ)この喜和子さんは物語の中盤、割とあっさりと亡くなってしまうのですが、この喜和子さんにかかわる様々な人たちを通じて、記憶と歴史、血縁と「家族」、生と性、といった大きなテーマが、手に取るような身近さで展開される。登場人物についての語り手の冷静なツッコミも可笑しく、かつ目線が暖かく、彼女と一緒にちょっとした歴史ミステリーを解きながら、笑いあり涙ありの読書体験をさせてもらえます。
話の大部分が、国会図書館や国際子ども図書館になる前の「帝国図書館」だった頃の話であるように、この図書館の歴史は明治日本の近代国家建設、富国強兵の一部であり、これが間違いなく「帝国」図書館であったことの意味も、ちゃんと鋭く描かれています。また、話し言葉やひらがな、句読点の使いかたが絶妙で、日本語の愉しみも存分に味わわせてくれます。そしてこの物語は、戦前・戦中・戦後をたくましく生きた(あるいは生きることができなかった)日本の庶民の社会史でもあり、いろんな境遇の人たちを懐深く受け入れてきた上野という場所への讃歌でもあり、絵本や樋口一葉全集を通して夢をみたりみずからの生を生きたり人とつながったりする人間たちのロマンスでもある。そしてなんといっても、童話から絵本から聯隊史や憲法書に至るまでの本とその文化、そして図書館というものへの、熱烈なラブレター。
小説を書くのはとても大変なことだとはわかっているけれど、この作品を構想して、そのためのリサーチをして、構成や登場人物や筋を考えて、この文章を書いて物語を作るという作業は、中島京子さんにとってとーっても楽しかったのではないか、そして、ジャケットの装幀だけでなく中身のデザインやフォントの選択に至るまで、あれこれアイデアを出しながらこの本を作っていく作業は、著者(編集者でもあったことだし)と編集者にとって実に愉快な仕事だったのではないか、と想像しながら読みました。こんな小説が書けたらいいなあ、こんな本が作れたら幸せだなあ… そしてひたすら「おもしろ〜い、おもしろ〜い!」と陳腐きわまりない単語を連発して思わず跳びはねながら読んでしまう(いえ、実際にはほとんどすべてをソファに寝っ転がって読みました)ような本です。
またすぐにでも読みたい!