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2011年1月27日木曜日

大人の遊び場「国際子ども図書館」

今日は、国際子ども図書館というところに行ってきました。こういうものが存在するということを知ったのはつい先週。調べものをするために国会図書館のウェブサイトを見ていたときに見つけました(国際子ども図書館は、国会図書館の支部図書館ですが、場所は国会図書館とは違って上野公園内にあります)。「絵本の黄金時代 1920〜1930年代 子どもたちに託された伝言」という展示をやっているというので、それを観るために行ったのですが、まずは、図書館の建物にびっくり。およそ子ども図書館らしからぬ雰囲気とサイズの、レンガ造りの明治建築。なんでもこの建物は、シカゴのニューベリー図書館などをモデルに、1906年に創建された帝国図書館の建物を再生・利用したそうです。新建築は安藤忠夫も担当しているということで、なるほど、新しい部分の外観や通路の様子は、クライバーン・コンクールのときに行ったフォート・ワースの近代美術館とよく似ている。で、建物の次に驚いたのが、子ども図書館にしてはやけに黒いスーツを着たおじさんがたくさんいること。日本のおじさんもずいぶん文化的になってきたのかしらんと思いきや、なんと美智子皇后が見学ということで、私たちが会場に入るときにちょうどエレベーターに乗ってお帰りになる姿をちらりと目にしました(天皇陛下の姿は見えませんでしたが、「いったいなにごと?」という表情をしている私に、SPのおじさんが「陛下」という言葉をそっと口にしていたので、おふたりでいらしていたのかもしれません)。

で、その展示は、そのタイトルの通り、絵本の黄金時代といわれる1920年代から1930年代のアメリカとソ連の絵本の展示なのですが、なかなか面白いです。歴史・社会的な背景の解説にかんしては、ソ連の部分のほうがアメリカの部分よりも分析的で充実していると思いましたが、全体としては、まさに絵本を通して子どもたちに世界像を示すという熱のこもった多様な絵本が見られてよかったです。ただ、いくつか注文をつけるならば、(1)なぜソ連の部分で、順路が革命後のソ連からロシア時代に逆行するようになっているのかが不明、(2)作家や出版についてだけでなく、流通や消費、つまり、これらの絵本がどういった読者層や子どもたちにどのような場でどのような形で読まれていったのか、という説明もほしい、(3)絵本の中身が展示してあるところでは、文の訳や物語りのあらすじの要約がほしい、(4)せっかく子ども図書館での展示なのだから、もう少し子どもに親しみやすい展示の作りにしたらどうか、といったところ。もっとも、(4)にかんしては、明らかにこの展示は子どものためのものではないので、見当違いの批判かもしれません。この展示は、あと一週間で終わってしまうので、興味のあるかたはお早めにどうぞ。来月からある「日本の子どもの文学」という展示も面白そうなので、また行こうと思っています。

しかししかし、この図書館は展示を観るためだけに行くのはあまりにももったいない。3階の「メディアふれあいコーナー」では、コンピューター画面で観る「絵本ギャラリー」というものがあり、私はこのごく一部を観ただけですが(それでも画面の前にゆうに15分以上は釘づけ)、これが拍手をしたくなるくらい実によくできている!実在の絵本をもとに、さまざまな視覚・聴覚的な工夫が凝らされていて、子どもも大人もとても楽しめるし、それぞれの作品についての解説なんかもじっくり読めます。私はこの「絵本ギャラリー」を全部観るために通い続けたいくらい。そして、2階の資料室では、日本そして外国で刊行された児童書や関連資料があり、所蔵資料の大半は書庫にあるらしいのですが、開架の部分だけでも、驚くべき数と種類の本が手に取って見られます。よくもここまで集めたものだと思うくらいの世界の絵本(北朝鮮の絵本とか、アゼルバイジャンの絵本とか、パキスタンの絵本とか、字は読めなくても眺めるだけでもたいへん面白い)や、大正・昭和の日本の児童書、唱歌集(「赤い旗」というプロレタリア童謡集を私は床に座り込んで読んでしまいました)などなど。児童文学や翻訳文学にかんする研究書もそろっています。

というわけで、子ども図書館でありながら、知的な刺激に満ちた大人の遊び場みたいなところです。もちろん、実際に子どもを対象にしたさまざまな工夫もなされていて、1階の「子どものへや」や「世界を知るへや」では、実際に子どもがありとあらゆる本を手にとってゆっくり読める(貸し出しはなし)ようになっているし、おはなしや読み聞かせなどのイベントも開催されています。しかも無料(展示も入場無料です)!文化政策の研究をしている身としては、日本の税金がこういう結構なものに使われていることを知るのはたいへん嬉しく、「おー、日本も頑張っているなあ」という気持ちになります。こんなところで、展示やイベントの企画をする仕事ができたらどんなにか楽しいでしょう。

というわけで、せっかくある素晴らしい施設ですので、是非とも足を運んでみてください。

2019年6月25日火曜日

本と歴史と愛と記憶の玉手箱 中島京子『夢見る帝国図書館』

5月後半から3週間日本に帰国し、2週間前にハワイに戻ってきました。盛りだくさんで慌ただしい3週間でしたが、わずかなフリー時間に仕入れてきた本の小さな山を、我慢しきれずに崩しつつあります。今週はこちらでピアノフェスティバルに参加するのでそちらに集中するべきで、「ああ、今これに手を出してはいけない」と思いつつ、つい読み始めてしまい、案の定止まらなくなって、丸一日読み耽って読了してしまったのが、中島京子『夢見る帝国図書館』

掌のなかで品良くキラキラ光る宝物、本と歴史と愛と記憶の玉手箱のような小説!最初っから最後の最後まで、物語や小説というものの愉しみをたっぷりと味わわせてくれます。

舞台というかネタは、上野の国際子ども図書館。私はここに何度か足を運んだことがあり、初回に行った時から大ファン(最初に行った時の感動はこちらでも投稿してありました)。そして、帰国の際にはリサーチのため永田町の国会図書館にもよく行きます。永田町のほうは上野とは外観からしてまるっきり様子が違って、具体的な目的を持って行く人以外(ましてや子ども)を暖かく迎え入れるような空気ではないのだけれど、いったん入ってみると、私のような人間には遊園地みたいに面白いところ。この小説でも、国会図書館に入るには青色の利用証を駅の改札のようにしてかざして、検索用コンピューターの前に座ってその画面の横に利用証を置いて、端末であれこれ検索して資料を請求してコピーを注文して…ということが書いてありますが、(話の流れということは別にして)なぜそういうディテールを書きたくなるのか、私はその気持ちがよくわかる!あまり人間臭さを感じさせないあのいかつい建物のどこかにある、世界に誇る帝国図書館を夢見てきた人たちが恒常的金欠と政治の荒波に翻弄されながらもせっせと蓄積してきた本やら文書やら音源やらその他の資料が、あの青いカード一枚とマウスのクリックであっという間に目の前に出てくる、その魔法のようなシステムは、本当に感動的で、私もそれについてなにか書きたいなあくらいに思っていたのです。そこいらへんに静かに立っているスタッフの人たちもとっても親切だし…(なーんて書くと、私は国会図書館の回し者みたいですが、単なる一利用者です。ソフトクリームが美味しいことは知らなかったので、次回はぜひ試してみようっと。)

というわけで、国際子ども図書館となった帝国図書館の歴史がセッティングとなっている、と書くと、とりわけ図書館に興味のない人は「ふうん、別にいいや」と去って行ってしまいそうですが、いえいえ、どうぞお待ちを。図書館そのものにとくべつな思い入れがない人も、とーっても楽しめることは保証しますし、読み終わったらやっぱり図書館––地元の図書館でも、町の文庫でも、学校図書館でも、そして国際子ども図書館でも国会図書館でも––に足を運びたくなる、そして親や子どもやきょうだいや友達や恋人と、本の話をしたくなる。そういう小説です。

物語を通じて、「普通の人」たちや「ちょっと変わった人」たち、そして明治大正昭和の文豪たちや黒豹や象(なんのこっちゃ、と思うでしょうが、ご心配なく、突拍子もないように聞こえても、ちゃんと話として辻褄が合っているのです)が次々と登場し、ちょっと不思議で優しく切ない出会いやつながりが、一人称の愉快な語り口で語られます。なんといっても物語の中心となる喜和子さんというちょっと変わったおばさんがサイコー。(ちょっとネタバレ)この喜和子さんは物語の中盤、割とあっさりと亡くなってしまうのですが、この喜和子さんにかかわる様々な人たちを通じて、記憶と歴史、血縁と「家族」、生と性、といった大きなテーマが、手に取るような身近さで展開される。登場人物についての語り手の冷静なツッコミも可笑しく、かつ目線が暖かく、彼女と一緒にちょっとした歴史ミステリーを解きながら、笑いあり涙ありの読書体験をさせてもらえます。

話の大部分が、国会図書館や国際子ども図書館になる前の「帝国図書館」だった頃の話であるように、この図書館の歴史は明治日本の近代国家建設、富国強兵の一部であり、これが間違いなく「帝国」図書館であったことの意味も、ちゃんと鋭く描かれています。また、話し言葉やひらがな、句読点の使いかたが絶妙で、日本語の愉しみも存分に味わわせてくれます。そしてこの物語は、戦前・戦中・戦後をたくましく生きた(あるいは生きることができなかった)日本の庶民の社会史でもあり、いろんな境遇の人たちを懐深く受け入れてきた上野という場所への讃歌でもあり、絵本や樋口一葉全集を通して夢をみたりみずからの生を生きたり人とつながったりする人間たちのロマンスでもある。そしてなんといっても、童話から絵本から聯隊史や憲法書に至るまでの本とその文化、そして図書館というものへの、熱烈なラブレター。

小説を書くのはとても大変なことだとはわかっているけれど、この作品を構想して、そのためのリサーチをして、構成や登場人物や筋を考えて、この文章を書いて物語を作るという作業は、中島京子さんにとってとーっても楽しかったのではないか、そして、ジャケットの装幀だけでなく中身のデザインやフォントの選択に至るまで、あれこれアイデアを出しながらこの本を作っていく作業は、著者(編集者でもあったことだし)と編集者にとって実に愉快な仕事だったのではないか、と想像しながら読みました。こんな小説が書けたらいいなあ、こんな本が作れたら幸せだなあ… そしてひたすら「おもしろ〜い、おもしろ〜い!」と陳腐きわまりない単語を連発して思わず跳びはねながら読んでしまう(いえ、実際にはほとんどすべてをソファに寝っ転がって読みました)ような本です。

またすぐにでも読みたい!

2010年9月1日水曜日

クライバーン財団、新会長が就任

ホノルルでの生活に戻るにあたって、身の回りのものを揃える(といっても、私物は置いてあったのでそれほどないのですが)ための買い物をしていると、これまた日本との違いを再認識します。スーパーがなにしろでかく、売っているものもいちいち分量が多い。私は日本にいたとき、「独り暮らしには絶対に日本のほうが便利だ」と強く感じたものですが、それは、スーパーで売っている食料品の単位が小さく、独り暮らしにちょうどいいからです。1回か2回の食事でちゃんと使い切る分量になっている。そのぶん買い物にしょっちゅう行かなければいけないし、家族のいる人は1回の食事のために肉や魚のパッケージをいくつも買わなければいけないでしょうし、逆の不便もあるものの、食料がムダにならなくてよい。こちらでは、肉はすぐ使わないぶんは冷凍しておくにしても、野菜などは、使い切る試しがなくて、いつももったいないなあと思いながら残りを捨ててしまうのです。

また、金物屋(?)に電球を買いに行くと、包みもせずに剥き出しのままの電球をそのまま渡されるので笑ってしまいます。電球といっても、小さい丸電球ではなく、天井につける大きなU字型の電球で、包むといっても難しいし、どうせすぐ外に停めてある車に乗せるのだから、たしかに包装などしてくれなくてもいいのですが、車まで持って行くときに、ふたつのU字型電球をぶつからないように両腕に下げて歩いているのもちょっと滑稽な姿だし、日本だったらU字型だろうが何字型だろうが、丁寧に包んでくれるだろうなと思うと、なんだか可笑しかったです。

大学では、留守中に届いていた学術雑誌の山を前に目次に目を通したり、必要な本を探しに図書館を歩き回ったりしていると、「よーし、勉強するぞー!」というやる気が湧いてきます。正直言って、ハワイ大学は、アメリカの他の大学と比べてとくに知的な空気が充満しているというわけでもないのですが、それでも、アメリカの大学には「勉強しよう」と思わせる独特な雰囲気があると私は思います。また、私が帰ってきたのを喜んでくれる同僚や友達もたくさんいるし、とくに今私のいる学部の同僚は9割がたが、ビジョンとやる気を共有した仲間たちなので、財政やスタッフの不十分という構造的な問題を除いては(これがたいへん大きな問題なのですが)、仕事環境としてはとても恵まれていると実感します。

さて、話題は変わって、クライバーン財団です。クライバーン・コンクールを現在のような国際的に権威のある芸術イベントに、かつ多くの市民に支えられ地域コミュニティに根ざしたイベントに育てあげた、リチャード・ロジンスキ氏が、2009年のコンクールを最後に辞任し、今度はクライバーン・コンクール誕生のきっかけとなったモスクワのチャイコフスキー・コンクールの運営に携わるというニュースが出たことは『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』の最後で書きました。ロジンスキ氏の他にも、重要なポジションについていたスタッフの何人かが、それぞれ別の理由でクライバーン財団を次々に辞め、財団は大きな転換期を迎えています。とにもかくにも、コンクールの運営責任者かつ財団のさまざまな活動を総括する財団長が決まらないことには、次回のコンクールを含め長期的な運営計画が立てられない。そして、ロジンスキ氏の実績が示したように、財団長次第でコンクールも財団全体も大きく成長できる(いっぽうで、まったくダメになってしまう可能性もある)。というわけで、財団理事たちは、ふさわしい人材を世界から公募し慎重な選出を行っていたのですが、このたび新財団長が決まりました。就任が決まったのは、David Chambless Wortersという人物。

Worters氏は(私と同じ)42歳。ボストン郊外で育ち、母親はジュリアードでヴァン・クライバーン氏の師でもあったロジーナ・レヴィン氏に師事したピアニスト。デイヴィッド氏本人も子どもの頃からピアノを学び、ニューイングランド音楽院の予科に通って高校卒業時には賞をとったものの、大学では音楽の道には進まず、ハーヴァードで経済学を専攻。ハーヴァード在学中に、全米最古の男声合唱団であるハーヴァード・グリークラブに在籍し運営に携わったのが、アート・マネージメントにかかわるきっかけとなる。その後、Boston Musica Vivaという室内楽団、そして24歳のときに北西インディアナ・シンフォニー・オーケストラの運営に当たり、シラキュース・シンフォニー・オーケストラを5年間運営した後、1999年からノースカロライナ・シンフォニーの会長を務めてきた、という人物です。この経歴をみても、アート・マネージメントに携わる人々は、仕事のあるところを転々としてキャリアを築いていく(日本と違って、アメリカで「転々とする」というのは国内でも時差のあるような距離を移動するわけですから、かなりのおおごとです)のだということがわかります。ロジンスキ氏ももともとはテキサスとは関係のない人であるにもかかわらず、フォート・ワースというコミュニティの特性を深く理解し、自ら地域の生活にコミットして強いネットワークを築き、クライバーン・コンクールを世界的かつ地域的なイベントに育て上げていったわけです。新会長の指揮下で、クライバーン・コンクールが、そしてクライバーン財団全体が、どういう方向に進んでいくのか、見るのが楽しみです。自分と同い年の人が運営しているかと思うと、さらなる親近感をもって注目しそうです。