2010年2月24日水曜日

アカカ法案、連邦下院通過

私事ですが、先週木曜深夜に父が亡くなりました。父はここ何年も家と病院と施設を行ったり来たりの生活が続き、今回は8ヶ月間も入院しており(ちなみに、8ヶ月の入院生活なんて、アメリカでは想像もできないことです)、心身ともにぼろぼろだったので、惨めな状態がこれ以上延びることなく比較的穏やかに旅立ったことで、母も私もほっとしています。今年一年私が日本で暮らすことにしたのは、父の状態も理由のひとつだったのですが、私が日本にいるときに、しかも大学の授業が休みのときに、こういうことになってよかったです。そろそろ危ないという連絡は受けていたのですが、私は木曜日の夜に東京クワルテットの結成40周年記念コンサートに行くのをとても楽しみにしており、その日より前に父が亡くなってしまうとコンサートに行けなくなるななどと考えていたのですが(親の安否よりも東京クワルテットのほうが気になるというあたりが親不孝の象徴です)、コンサートが終わるのを待ったようにして逝ってくれたのは、父からの最後のプレゼントだったのかも知れません。(ちなみにクワルテットの演奏はとても素晴らしかったです。)父のこと、父と自分の関係のことなどについて、当然ながら思うこと考えることはたくさんありますが、亡くなって数日後にブログで書くようなことではないので、いずれゆっくり考えて適切な場を選んで書こうと思います。坊主が嫌いだとしきりに言っていた父の希望もあり、葬儀(のようなもの)は、身内だけで週末に済ませました。お経も弔辞もないので、代わりに、ジャクリーヌ・デュ・プレ演奏のバッハのトッカータ・アダージョ・フーガハ長調よりアダージョをかけながら黙祷するという、形式も伝統も無視して家族の趣味だけを反映した集いでしたが、父に別れを告げて身内の気持ちに区切りをつけるという目的はいい形で果たせたと思っています。ちょうど春がやって来たところで、私の人生の次の段階が始まります。

では、気持ちを切り替えて、時事の話題。アカカ法案と呼ばれる法案が、今日、アメリカ連邦下院を通過しました。アカカというのは、ハワイ州を代表する連邦上院議員ダニエル・アカカ氏のことで、彼の草案によるものなのでAkaka Billと呼ばれています。これは、簡単に言えば、先住ハワイ系の人びとに、アメリカン・インディアンと呼ばれる先住アメリカ系の部族や先住アラスカ系の人びとに与えられているのと同様の自治権、そして土地の使用や文化保護などについて州や連邦政府と交渉する権利を与えるという法案です。2000年に最初に法案が議会に提出されて以来、下院を通過するのは今回が3度目ですが、さまざまな障壁に出会いこれまでは上院通過がなりませんでした。今回もまだ上院の審議を待たなければいけません。ただし、表面的な説明だけだと、いわゆるリベラル左派が支持しそうな立派な法案のように聞こえますが、この法案には、先住ハワイ系の人びととそれ以外の人びとに別個の取り扱いをするということに異議を唱える保守派(ハワイ州知事のリンダ・リングル氏がこの立場をとっています)だけでなく、先住ハワイ系の一部の左派からも反対の声が上がっており、一筋縄ではいきません。この場でじゅうぶんに説明できるだけの知識を私も持っていないのですが、左派の論点の基本は、この法案は先住ハワイ系の人びとにじゅうぶんな権利を与えるものでなく、この法案が通過してしまったら、先住ハワイ系の自治権や土地をめぐる権利は空洞化したまま、事態はこれまで以上に硬直化してしまう、というものです。この点については、ウェズリアン大学准教授でとても立派な学者でもあり活動家でもあるJ. Kehaulani Kauanui氏の著述が参考になります。彼女は今回の法案にも声高に反対しており、いずれこの問題について本を書こうと考えているそうです。彼女のHawaiian Blood: Colonialism and the Politics of Sovereignty and Indigeneityという本は、先住ハワイ系への土地分配などにおいて1921年から法的に使われるようになった「50%ルール」、すなわち1778年以前にハワイ諸島に住んでいた人びとの血が少なくとも50%流れていると認められた人を「先住ハワイ系」と定義するルールが、いかにハワイの伝統的な家系の認識と異なるもので、そしてそれがその後の先住ハワイ系の人びとの権利闘争にどのようなインパクトを与えてきたかという歴史を、精緻かつ情熱的に披露した力作です。ハワイ研究に興味のある人には必読書ですので、ぜひどうぞ。