簡単に背景説明をすると、ウェスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラというのは、ダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードによって1999年に創設されたオーケストラで、メンバーはイスラエルそしてパレスチナをはじめとする中東諸国の若者たち。
イスラエル国籍の世界的な指揮者・ピアニストであるダニエル・バレンボイムについては、『現代アメリカのキーワード 』で私が執筆を担当しているのでよかったら読んでください。また、以前の投稿でも言及したように、大学院一年目でエドワード・サイードの『オリエンタリズム』を読んだことが私の学者としての第一歩となった(大学院に入るまで『オリエンタリズム』を読んだことがなかったという事実を告白するのもカッコわるいですが)のですが、ものごとの根幹を揺るがす妥協のない学術分析と、パレスチナの権利をめぐる勇気ある活動、そして彼の著述や活動の根底に流れる深いヒューマニズムには心からインスピレーションを受けます。ちょうど私がニューヨークで暮らしていた2003年の秋に、白血病で亡くなり、世界中に惜しまれていますが、彼の残した功績ははかり知れません。そして、バレンボイムとサイードの友情のありかたにも、人間として学ぶことが多いです(この二人の対話を本にしたものは、『バレンボイム/サイード 音楽と社会』)。
このふたりが、戦火のやまない中東諸国の、ユダヤ系・アラブ系の若い音楽家たちを集め、生活をともにしながら音楽を学び演奏する、という試みを始めたのが1999年の夏。初年はドイツのヴァイマールで、その後はスペインのセヴィリアを拠点に、毎夏数週間にわたり集中して研鑽を積み、その後ヨーロッパや米国に演奏ツアーをするのですが、2003年にははじめてアラブ圏のモロッコで演奏をし、2005年には緊迫した政情のなかパレスチナのラマラでの公演を実現します。参加している若い音楽家たちは、それぞれが複雑な状況を抱え、また、なかには親同士が敵として戦争で闘ったという人たちもいます。そうした音楽家たちが、ひとつのオーケストラで肩を並べ、お互いの音に耳を傾け、一緒に音楽を創りあげていく。そして大事なのが、このプロジェクトでは、「音楽は政治とは関係ない」といって政治的な議論を避けたりはせず、逆に、「各人が自由に発言でき、それと同時に他者の声にきちんと耳を傾けることができなければ、多民族・多宗教地域の中東に平和は実現しないし、また、異なる背景の人々がともに音楽を作ることもできない」という考えのもと、厳しいリハーサルと並行して、中東情勢をめぐる真剣な議論を連日交わす、ということです。視点がかみあわず議論が平行線で終わってしまうこともあるし、怒って席を立ってしまう若者が出ることもある。それでも、そうした対話を辛抱強く続け、寝食をともにしながらともに音楽を作っていくことで、お互いにも、曲を書いた作曲家とも、そして自分たちの演奏を聴く聴衆とも、いろいろな形の対話をしていきます。
このドキュメンタリーを観ると、「音楽は普遍なものである」とか「音楽は国境を超える」とかいった文句が、いっぽうではとても空虚なきれいごとに思えてきます。バレンボイム自身言っているように、このプロジェクトがいかに素晴らしいものであろうとも、このオーケストラが中東に平和をもたらすわけはないのです。中東平和は、諸国の政府や国民全体が、他者の歴史や現在をきちんと理解し、相手の声に耳を傾けなければ実現しえないし、このオーケストラは、軍事以外の方法で共存の道を探るという以外の政治的メッセージはもっていません。そしてまた、この若者達の奏でるベートーベンの音楽がどんなに超越的なものであろうとも、そしてコンサートホールでの数時間がいかに愛情と平和に満ちたものであろうとも、演奏会の直後には、彼らは身の安全のため、お互いにゆっくりとさよならを言う時間もろくにないまま、警護のついた車に乗せられて帰途につかなければいけないという現実があります。政情不安定により、翌年は参加できなくなる音楽家もいることでしょう。芸術の普遍性とか超越性とかいった言葉は、戦争や占領といった現実から目を背けたまま唱えていては意味をもたない、ということを知らされます。
けれどそのいっぽうで、現実の状況や、現に目の前にいる他者を見据えた上で、ともに音を聴き、音を作り出そうという行為は、とても困難で、大きな勇気を必要とするものであり、その産物は、音楽に造詣がある人以外にも、深いメッセージを送る、というのも真実なのだ、ということをこのドキュメンタリーは教えてくれます。ラマラの聴衆(ヨーロッパの絢爛豪華なホールに集まる聴衆とは違う種類の聴衆です)が、食い入るような表情で彼らの演奏を聴き、そのメッセージを理解しようとしている様子にもそれは表れているし、若い音楽家たちの表情そして音からもそれは伝わってきます。バレンボイムへの尊敬も深まるし、サイードの偉大さにも改めて感動します。なにしろ、サイードは、「他者」を理解するということの難しさ、そして無意識のうちにも我々すべてが内包しているイデオロギーや我々の置かれた構造的立場から独立した形で世界や人間を表象することの困難を、誰よりも鋭く分析した人です。その彼が、また同時に、クラシック音楽や近代文学をこよなく愛し、そこにこそ希望や慰めを見出した人物でもあるということに、私はヒューマニズムの力を見ます。
音楽は言葉に還元できるものではない。それでも、音楽についてあえて言葉で語ることを自分に強いることによって、その努力をはじめからしないよりは、ずっと深くきちんとものごとを考えることができるし、究極的には言葉や理屈で説明できないものについての情感や畏敬も深まるし、他者との対話をすることができる。だからこそ、私は言葉を使った職業を選んでいるのだと思います。音楽について言葉で考えるということの意味を、あらためて考えさせてくれたという点でも、このドキュメンタリーには大感謝です。
クラシック音楽についてはとくに興味がないという人も、中東情勢はまったくわからないという人も、サイードの名前を聞いたことがない人も、悪いことは言いませんから、ダマされたと思って、とにかく観てみてください。日本の普通のメディアを見ているだけでは、中東の人々の顔をじっくり見ることも少ないと思うので、「イスラエルやパレスチナやシリアやレバノンの人というのがどういう人たちか」というのを視覚的に経験するだけでもなかなか興味深いと思いますし、なにしろこのオーケストラの演奏するモーツアルトやベートーベンを聴いてください。買うにはちょっと高いDVDですが、買って絶対に損はしません(日本語字幕もついていますし、アマゾンなら注文して翌日届きます)。私はもう、10枚くらい買って友達に配ってまわりたいくらいの気持ちです。(私が10枚買うと、みなさんがアマゾンで注文して翌日届かなくなってしまいそうなので、買いません。)