と思っていたところに、『ニューヨーカー』誌に、ハイチから養子をもらった著者によるエッセイが載りました。アメリカで養子をもらう家族のうちの多くは、中国や中南米(最近では東欧なども)などの海外の子供をもらいます。私の友達にも、中国から養子をもらった人が何人もいます(一人っ子政策のため、中国では生みの親に育てられない子供、とくに女の子がたくさんいるので。)このエッセイの著者と彼の妻は、すでに一人の子供がいるのですが、もう一人子供を育てよう、その子供は海外から養子としてもらおうと決め、国際養子縁組で定評のあるキリスト教系の団体を通じてしばらく前から手続きを始めていた。ハイチには以前から個人的なかかわりがあったので、もらうならハイチの子供を、と思ってはいたものの、ハイチは役所組織がきわめて複雑(フランス統治の名残らしい)なのと法的・社会的インフラが整っていないのとで、国際養子縁組のための手続きには何年もかかるのが普通で、それを覚悟で待っていたところ、ハイチ大地震が起きた。人道的救助の一環として、通常であればきわめて煩雑な手続きが簡素化され、思いがけず早くに生後12ヶ月の女の子をアメリカに連れて来ることができた。もちろん、期待よりも早く家族が一人増えたことは言葉では言い表せないくらいの喜びであるが、大地震という悲劇で現地の人々が苦しんでいるなかで、自分たちがまるで恩恵を受けたような気持ちにもなり、一連の経緯にはとても複雑な思いがある。という話なのですが、第二次大戦後にアメリカで広まった国際養子縁組というもののさまざまな力学について、考えさせられる文章です。
貧しい国の孤児院で育つよりも、豊かな社会で子供をほしがっている家族に愛されて育ったほうが、子供にとっては幸せだ、という見方ももちろんできますが、そのいっぽうで、子ども自身には選択の余地が与えられないまま、人種も言葉も文化も違う場所で育てられ、自分の生来の土地や文化とのつながりを持てないまま大人になることが、本当に幸せと言えるのか、という批判もあります。実際にそうして養子としてアメリカで育てられた人が、思春期を迎えたり成人してから生まれ故郷を訪問し、その結果がけっして幸せなものとは言えない場合もありますし、養子として育てられたことに恨みを抱くようになる人もいます。また、国際関係としても、貧しい国から豊かな国へ子供が連れて行かれるのは、人身取引のような搾取であるとの見方もできます。そうした議論をじゅうぶん認識した上で、あえて血のつながりのない海外の子供を育てようという著者の文章に、中国からの養子を育てている私の友達の姿が重なり、深く考えさせられます。家族とはなにか、子育てとはなにか、親とはなにか、アイデンティティとはなにか、そうした問いに、親も子供も日々格闘しながら「家族」の暮らしを営んでいくのでしょう。