ふたつめは、その10日間が終わってから新学期が始まるまでのあいだに、買ってあったJeffrey Eugenidesの新しい小説、The Marriage Plotを読んでしまいたくて、それに没頭していたこと。つい先ほど読み終わったところです(ちなみに新学期は昨日始まりました)。最後の部分はしゃくりあげながら読みましたが、読み終わってしばらくは、ひとりでじっくり思索にふけりたい気分になりました。物語として純粋に楽しめ、単純に「次がどうなるのか知りたい」という気持ちでページを次々とめくるような小説でありながら、知的にも情感的にも精神的(英語でいうところのspirituallyを指しているのですが、「精神的」というのはちょっと違うけれど、他によい日本語が思いつかない)にも大きな波に押されているような気持ちになる、傑作です。
この本を読みたいと思ったひとつの理由は、いくつかの書評を読んで、この小説の舞台が私が大学院時代を送ったブラウン大学であり、しかも、英文学を専攻する女性主人公が、自分の知的世界をとりまく脱構築などの批評理論と自分自身の現実の恋愛とのあいだで格闘する話だということを知っていたからです。物語は、アメリカの学界でデリダやバルト、フーコー、ラカンなどのヨーロッパとくにフランスの批評理論が全盛期であった1980年代前半に展開されます。私がブラウンにいたのはそのちょうど10年ほど後ですが、私が受けた教育や大学の文化はそうした理論の影響をおおいに受けたものだったので、まずは批評理論が小説でどのように取り扱われているのかに興味がありました。もちろん、アメリカの大学でのこうした批評理論をめぐる文化や言説を題材にとった小説は他にもたくさんあるのですが、ブラウン大学が舞台となると個人的な関心が増大。ブラウンと関係のない読者にはなんのことだかさっぱりわからないであろう、建物や場所や通りや店の固有名詞が散りばめられていて、私は小説の初めの三分の一くらいは、読みながらすっかりホームシックになりました。小説の初めのほうに、Madeleine's love troubles had begun at a time when the French theory she was reading deconstructed the very notion of love.という一文があるのですが、この文が象徴するように、この小説の脱構築の取り扱いは、ユーモアに満ちていると同時に、真剣で切ない。こむずかしい用語を濫用して訳のわからないことを自己陶酔的に語り続ける学者や学生を揶揄するような描写をした小説はいろいろありますが、この作品では、これらの理論に陶酔する学生たち、そしてそれと格闘し困惑する学生たちの姿を通して、批評理論や文学作品を通してまさに人生の意味を理解しようとする知的な若者たちの真摯な葛藤がとてもリアルに描かれています。