2012年12月17日月曜日

ダニエル・イノウエ上院議員逝去

いろんなことがあっていつにも増して忙しかった学期末の数週間が過ぎ、先ほど採点を終え、今学期の大学関連の業務はもうちょびっとで終わります。ここ数日間は、コネチカットの小学校での銃乱射事件で言葉を失うほどの衝撃を受け、「なんだって自分はわざわざこの国に住んでいるんだろう」と思っているさなかに、日本の選挙の結果を知り、こちらについてもウームと唸る状態。

国家の状況に取り組むにしても、とりあえず目の前にある自分の仕事をきちんとしなければ、と気分を切り替えて自分の執筆に集中しようと思っているさなかに、ハワイのダニエル・イノウエ上院議員逝去のニュースが入ってきました。88歳とはいえ、そんなに健康状態が悪かったとはまるで知らず、突然のニュースだったので、びっくりしました。

ダニエル・イノウエ議員は、上院でも勤務年数最長のベテラン中のベテラン議員でした。日系移民そして日系二世がアメリカ西海岸(および一部の人はハワイでも)で強制収容されるなか、日系人ばかりの442部隊(戦争中もっとも功績の多かった部隊のひとつ)に入隊し、イタリア戦線で負傷し右腕を失いました。軍の病院で治療・リハビリを受けた後ハワイに戻ってハワイ大学を卒業し、ワシントンのジョージ・ワシントン大学で法律を学んでから、1954年に多くの日系人が当選したいわゆるハワイの「民主党革命」といわれる大きな変化の流れのなかで、政治家としての道を歩み始め、ハワイが1959年に州としての地位を獲得するとともに、連邦議員としてのキャリアを築き始めました。その後、地元ハワイにさまざまな資金をもたらすと同時に、ウオーターゲート事件やイラン=コントラ事件の調査、公民権推進や貧困対策、先住民文化の保護などに大きな貢献を果たし、レーガン政権中の1988年には戦時中強制収容された日系人に謝罪と補償をする法案を、さらに1993年には、1893年にハワイ王国がアメリカ政府によって不当に転覆させられたことについてクリントン大統領が謝罪する法案を実現させるのに決定的な役割を果たしました。日系人、アジア系アメリカ人、非白人の政治家としてまさにパイオニアの存在であるばかりでなく、ベテラン上院議員として党を超えたきわめて強力な政治力をもっていたイノウエ氏。おりしも、もうひとりのハワイからの上院議員のアカカ氏が引退して、メイジー・ヒロノ氏にバトンタッチするところ。今後のワシントンにおけるハワイの位置づけがたいへん気になるところです。

報道によると、イノウエ氏の最期の言葉は、「Aloha」だったそうです。なんと素敵なお別れの言葉でしょうか。こちらからも、Aloha, Senator Inouye。いろいろな新聞の報道もなかなか興味深いので、よかったら読み比べてみてください。

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