2012年11月22日木曜日

Nayan Shah, _Stranger Intimacy_

こちらは今日はサンクスギビング。私は人生においてすでに22回(かな?)もサンクスギビングをアメリカで過ごしているにもかかわらず、いまだに一度も七面鳥を自分で焼いたことがないという驚異的な事実。なにしろ一人暮らしでは、いったんあんな鳥をオーブンで焼いてしまったら残り一生七面鳥ばかり食べることになるのではいうくらい大きいし、いつも人の家に出かけて行ってご馳走をいただくばかりで、たまには自分がホストしようかと思っても、人をよぶ前にまず練習で焼いてみなければと思うとなんとも面倒で、ついついよばれるがままに出かけて行ってしまうのです。今朝はせっかくの休みなのに早く目が覚めてしまったので、早朝ジョギングで400カロリー弱消費してきたものの、これから三つのパーティをはしごするので、400カロリーくらいではどうにも太刀打ちできない模様。

さて、先週は学会でプエルトリコに行ってきました。初めてだったので楽しみでしたが、学会の仕事と、私の学部で新任教員を採用するための一次面接を学会中ずっとやっていたので、観光はまるでできずに終わってしまいました。食事のときにちょっとサン・ホアンの旧市街をまわって、スペイン植民の歴史と現地の暮らしが興味深い形で混じり合っている様子がなんとも面白そうだったので、またいずれゆっくり行ってみたいです。

ハワイとプエルトリコは、まさにアメリカ領の西から東の端同士で、飛行機乗り継ぎ2回を含め片道20時間もかかります。時差も6時間。40代の身体にはなかなかツラい。その長旅の友としたのが、最近カリフォルニア大学サンディエゴ校から南カリフォルニア大学に移ってアメリカ研究・エスニシティ学部の学部長となったNayan ShahのStranger Intimacy: Contesting Race, Sexuality, and the Law in the North American West。彼の前著Contagious Divides: Epidemics and Race in San Francisco's Chinatown
も面白かったけれど、それにも増してこれはものすごい渾身の力作。狭く暗い座席で小さな光をもとに本を読むのは疲れるわ、疲れと時差で眠いわで、本当は飛行機では寝たかったのだけれど(そして実際に何時間かは寝もしたけれど)、読み始めたらあまりにも面白いのでついつい先を読み進めてしまい、往復の旅でほぼ読み終わり、ハワイに戻ってきてから結論を読みました。

この本は、20世紀初頭に南アジアからアメリカそしてカナダの西海岸に渡った労働者たちが、同胞の仲間たちそして白人や多人種の人々と、さまざまな形の親密な関係を築いていく過程において、彼らの人種や性にどのような意味付けがなされていったか、そしてそれらの意味付けが彼らの市民権をどう形作っていったかを、緻密な調査によって明らかにするもの。まず第一に、そのリサーチがすごい。裁判や移民局の記録やら、結婚や離婚の記録やらをくまなく調べ尽くし、南アジア出身の労働者たちの住生活、性生活、労働生活などを鮮明に描きだす。それなりにアジア系アメリカ研究は勉強してきているつもりの私も、まるで知らなかったという類いの話がもりだくさんで、単に「お話」の次元でもワクワクします。これらの労働者たちは、同胞の労働者たちとの共同生活のみならず、自分のもとで働く白人の労働者や、自分よりもずっと年下の少年(「青年」かな)、あるいは街で出会った白人の男性などと、性行為を含むさまざまな親密な関係を築き、移動性の高い労働形態そして同胞の女性との結婚を困難にする移民法の現実のなかで、自分たちなりの共同体そして「家族」を形成していきます。そのいっぽうで、20世紀が進むにつれてどんどんと強固になる二項対立的な性の定義とヘテロノーマティヴな「結婚」や「家庭」の概念が、そうした移民たちの生活や人間関係を排除し、あからさまな人種差別に変わって性と家庭の規範がこうした移民たちの市民権や財力を剥奪する道具となっていきます。その歴史的な流れを、実に多様な「家族」たちの物語を通じて見事に分析し理論化するShahの研究者そして執筆者としての手腕に、唸るばかり。ちょうど一昨日大学院の授業でMary LuiのThe Chinatown Trunk Mystery: Murder, Miscegenation, & Other Dangerous Encounters in Turn-of-the-Century New York Cityを使ったばかりなのですが、いろいろな意味でLuiの本と一緒にして読むとさらに理解が深まり、アイデアも広がります。歴史研究の醍醐味を感じさせてくれ、アメリカ研究・人種研究・セクシュアリティ研究をする人には必読の一冊です。プエルトリコの学会でShahに5秒ほど会ったのだけれど、その時点ではまだ読んでいる途中で感動を伝えられなかったので、後でメールで賛辞を送るつもりです。

では、七面鳥第一弾のブランチを食べに出かけてきます。

2012年11月7日水曜日

選挙あれこれ

昨日は朝一番で投票に行ってから、結果が出るまでの数時間は仕事をしようと一応コンピューターに向かったものの気が気でなく、インターネットで選挙情報ばかりチェックする状態で結局ほとんどなにも達成しないままに終わり、夕方からは我が家に友達が集まってみんなでテレビを見ながらの「Four More Years Party」をしました。オハイオ州のおかげで意外に早く結果が出て、CNNがオバマ再選を宣言した時点でシャンペンを一本あけ、ロムニー氏が敗北宣言をした時点でもう一本あけ、オバマ大統領の再選スピーチの時点でもう一本。みんな、たぶん大丈夫だろうと思いながらも、万が一のことになったらどうしようという不安も抱えていたので、仲間とともにこのときを共有するのはとても心強く、(これは結果がよかったからですが)楽しいものです。我が家に限らず、私のまわりでは各地で選挙ウオッチングパーティが行われていましたが、このように選挙の結果をみんなで一緒に見守る、という文化は、やはりなんだかんだいって政治というものへの期待や希望が健在だからこそのものではないでしょうか。日本では、立候補している人が自分の身内や友達ならば、その人を囲んで選挙結果を見守るということはするでしょうが、そうでない一般の人たちがこのような「選挙パーティ」をして、シャンペンをあけたり冷や汗や涙を流す、という光景はあまり想像できないのでは。

さて、オバマ大統領の再選には本当にほっとしたものの、議会の関係はほとんど変化していないし、実際の投票数をみても、オバマ氏の大勝とはとてもいえないのが事実。オバマ大統領の勝利演説も、2008年の夢と希望に満ちたものとは種を異にするもので、現実の困難を前にした、実に厳粛でsoberingなものでした。「私はみなさんから多くのことを学び、みなさんの力でよりよい大統領になりました」という一言がさすが。(それにしても、チェルシー・クリントンのときもそうでしたが、オバマ大統領のふたりの娘、驚くほど大きくなったなあと、テレビを見ながらみんなで驚嘆しました。)

オバマ大統領再選については日本でもいくらでも報道されているでしょうから、選挙にかんするそれ以外の話題をいくつかご紹介します。

まず、ワタクシのお膝元ハワイでは、引退を表明したアカカ上院議員の後任ポストに、民主党のMazie Hirono下院議員と共和党のLinda Lingle元州知事が出馬していましたが、圧倒多数でHirono氏が当選しました。福島生まれで、8歳のときに母親とともにハワイに移民してきた彼女は、アジア人女性としては初の上院議員、また日本生まれの初の上院議員となります。また、ハワイ選出の下院議員には、日系のColleen Hanabusa氏とサモア生まれでヒンズー教徒のTulsi Gabbard氏のふたりの女性が当選。これによって、Daniel Inouye氏を含む4人のハワイ選出の上下両院の議員の全員が非白人、4人中3人が女性となります。また、ホノルル市では、もうずっと前から議論されている高架鉄道による公共交通網が市長選の争点となっているのですが、現行案に強く反対しているBen Cayetano元州知事はあっけなく落選(Cayetano氏は知事時代に公立教育への支援があまりにひどく、ハワイ大学および公立学校の教員がストライキをする事態になり、私も「ピケットキャプテン」をつとめた経験があるので、私もCayetano氏には投票せず)し、Kirk Caldwell氏が当選しました。

Mazie Hirono氏だけでなく、マサチューセッツ州のElizabeth Warren氏、同性愛者であることを公表している初の上院議員となるウィスコンシン州のTammy Baldwin氏などの当選によって、上院には史上最高の20人の女性議員が入ることが確定しています。下院でも現在の73人を上回る77人の女性議員が確定。レイプや中絶をめぐる共和党議員候補の極端な発言や、雇用における性差別にかんするロムニー氏の態度が大問題となっていましたが、これらの女性の当選は、政治におけるいわゆる「ガラスの天井」を打ち破るのに確かな一歩となっていると思います。

また、メイン州とメリーランド州では、同性婚を合法化する住民投票が通過し、住民投票によって同性婚が合法化される初のケースとなりました(これまで同性婚が合法化された州では、議会での立法または司法の判決による合法化でした)。これも、徐々にアメリカ国民の意識が変化していることの明るい印だと思います。

さらに、コロラド州とワシントン州では、娯楽目的でのマリファナの使用が合法化もされました。

というわけで、経済においても政治においてもけっして楽観するような状況ではないものの、悲観のあまりカナダに移住するような事態でもなく、「よし、頑張ろう」と気を引き締める、というのが今の現実。ともかく選挙で気が散ることはなくなったので、自分もアメリカも、平常心を取り戻してさまざまな仕事に集中せねば。ともかく、記念に、先日アラモアナ・ショッピングセンターで見つけたオバマグッズの写真を載せておきます。

2012年11月5日月曜日

Diana Vreeland: The Eye Has to Travel

もちろん日本でも報道はされているのでしょうが、フェースブックの投稿などを見るかぎり、先週アメリカ東海岸をおそったハリケーンへの日本の人々の反応はかなり鈍いというか、その深刻度が日本にはあまり伝わっていないようだという印象を受けますが、どうなのでしょうか。マンハッタンを含む広域で何百万人もの人が何日間も停電・洪水のなかで過ごし、被害者の数や家屋などの物理的破損・経済的損害も相当なものですが、ウオール・ストリートやニューヨークの地下鉄・トンネルなどが停止してしまうということの心理的打撃はかなり大きいのではないかと思います。

そして、明日はいよいよ選挙。一時はどうなるかと寿命が縮まる思いでしたが、ハリケーンへの対応によってオバマ大統領の再選見込みは助けられているような感触。それでも、もしもロムニー氏に転んでしまったら、最高裁判事の任命など、長期的に非常に大きなインパクトが予想されます。今回は時間がなくてあまり選挙戦に参加できていないのですが、明日は2008年同様、友達と集まって選挙の結果を見守る予定です。

さて、それとはまるで関係ないのですが、今週末に観た映画がたいへん面白かったのでご紹介。Diana Vreeland: The Eye Has to Travelという映画で、20世紀のアメリカ文化においてもっとも影響力をもった女性のひとりとされる、Diana Vreeland (1903-1989)の生涯と仕事と人となりを追ったドキュメンタリーです。

Diana Vreelandは、『ハーパース・バザー』誌のファッション欄担当の編集者を長年務めた後、『ヴォーグ』誌の編集長として、ファッション界の女王の座を占めた人物。『ヴォーグ』誌のポストを失った後は、メトロポリタン美術館の衣装研究所のディレクターとして、メトロポリタン史上初めて存命中のデザイナーを扱った展示を開催したり、美術とファッション・風俗の境界に挑戦を挑むような企画を次々と立ち上げて話題を呼びました。このメトロポリタンの職についたのは、彼女が70歳を迎えた後だったというのだから、そのバイタリティとクリエイティヴィティに脱帽。ファッションや写真を芸術の域まで高め、ジャクリン・ケネディのファッション・アドバイザーをつとめ、ツイッギーやシェールをデビューさせ、標準的な美人とはいえない女性たちの個性を前面的に押し出してその魅力を伝え、奇抜な構想でふんだんに予算を使ったファッション写真を次々に世に出していった彼女。読者が最初のページから最後のページまで順に通して筋を追うのではなく、あちこちに目を飛ばしながら瞬間的・断片的な新鮮さ・面白さをつかむという雑誌という媒体の特性をぞんぶんに活かして、雑誌そのものの価値を高めたという功績も。

映画はまさにその雑誌のような編集になっていて、何十年ものあいだに彼女がテレビ番組などでさまざまなジャーナリストたちと行ったインタビューの数々を切り貼りすることで構成されている。ゆえに、ひとつのテーマが徐々に展開されるとか、筋道だった物語があるとかいうわけではなく、話のなかには謎に包まれたままのこともあるのですが、それはそれでむしろ面白い。なにより魅力的なのが、Vreelandの人柄です。子供の頃は、妹と比べると容姿が悪いとして母親に可愛がられなかった、という彼女。映画にも登場する何人もの人がいうように、たしかに古典的な美人ではないかもしれない(とはいえ、とくに若い頃の写真をみると、ものすごーい美人のように私には見えますが)けれど、確固とした自分をもち、言いたいことを強くもち、それを堂々と人々に伝え、好奇心旺盛で偏見や因習にとらわれず、面白いことにはなんでも飛びついていく、その姿には、とてもインスパイアされます。いろんな意味でハチャメチャな人物なのですが、ハチャメチャのなにが悪い、と思わせてくれるような魅力と確信が彼女にはあります。日本で公開予定があるかどうかわかりませんが、機会のあるかたは是非観てみてください。