2012年10月14日日曜日

潮博恵『オーケストラは未来をつくる』

昨晩、ハワイ大学で開催されたハオチェン・チャンのリサイタルに行ってきましたが、想像どおり、というより想像を超えた演奏でした。2009年のクライバーン・コンクールのときは、彼のことを初めて知ったばかりで、もちろん演奏を聴くのも初めてだったし、なにしろコンクールという舞台だったので、それぞれの曲の演奏のすごさに驚嘆するばかりでしたが、今回はれっきとしたプロの演奏家となった彼のリサイタル。ほぼ毎日別の都市で演奏するというスケジュールのなかでは、練習時間を確保するのももちろんですが、毎回ほぼ同じプログラムの演奏に新鮮さや感動を保ち続けるのも難しいだろうと思うのですが、そんなことはみじんたりとも感じさせない、最高の演奏でした。私がコンクールのときに「天才だ」と思ったのに間違いはなかった、と今回さらに確信。技術的なことにももちろん驚嘆するのですが、それよりなにより、深い知性に裏付けされた繊細でかつ完璧にコントロールされた音楽性がすごい。それは、「月光ソナタ」の第一楽章や、シューマン「謝肉祭」の静かでゆっくりな部分(ペダルの使用をとても抑えている)やドビュッシーの前奏曲などによく表れます。プログラミングも非常によく考えられていて(今回ハワイで演奏したのは来週の日本ツアーと同じ演目)、音色や情感の幅を聴衆が堪能できるようになっています。あー、行ってよかった。

でも、今回の投稿の目玉はハオチェンではなく、今月あたまに発売になったばかりの新刊、『オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦』の紹介です。著者は、2006年以来マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の活動を追跡・紹介するウェブサイトを運営してきた潮博恵さん。このサイトで私の『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』を紹介してくださったのをたまたま目にしたところ、その紹介のしかたが非常に的を得ていて、著者が伝えたかったこと・感じ取ってほしかったことを正確に捉えてくださっているのに感動。そしてサイト全体を見てみると、潮さんがサンフランシスコ交響楽団にかける情熱と驚くべき調査能力とフットワーク(なにしろ、たまたま聴いた一枚のCDに感動して、次の週末にはサンフランシスコまで飛んで演奏会に行った、というのだからすごい。そして、サンフランシスコだけでなく、ヨーロッパだろうがマイアミだろうが、どこでも出かけていくその行動力には圧倒されます)もさることながら、問題意識のもちかたや見聞きしたことの分析・評価、そして情報や文章のまとめかたに、キラリと光る知性(そしてユーモアのセンス)が満ちている。サンフランシスコ交響楽団のことだけでなく、芸術支援全般について幅広い知識と関心をもっているかたであるのが明らかなので、私は潮さんに連絡をとり、光栄にも知り合いとなることができました。で、「これだけ調べ上げ、まとめあげているのだから、このサイトの内容を本の形にしたらいいですよ」と提案し、アルテスパブリッシングの編集者をご紹介してみたところ、本当にそれが実現した、という次第。というわけで、私は自分が書いた本でもないのに、勝手に半分自分の手柄のような気持ちになっているわけです。

と、前置き説明が長くなりましたが、肝心の内容です。日本では、海外オーケストラというと、ベルリン・フィルだとかウィーン・フィルだとか、ヨーロッパの名門オケをありがたがる傾向が強く、アメリカのオーケストラでもせいぜいニューヨーク・フィルハーモニックや小澤征爾が数十年間リードしたボストン交響楽団くらいしか、一般の人には馴染みがないだろうと思います。ニューヨーク・フィルやボストン交響楽団が非常に立派なオケであることは間違いないですが、アメリカで今もっとも「元気のある」オーケストラといえばむしろ、『現代アメリカのキーワード』でも紹介したロスアンジェルス・フィルやここで紹介されているサンフランシスコ交響楽団といった、西海岸のオケ。ロスアンジェルス・フィルは、フランク・ゲーリー設計のディズニー・ホールとエサ=ペッカ・サロネンの指揮のもとで大きく発展した後、クラシック音楽界の新星ギュスタヴォ・デュダメルを迎えて、もうコワいものなし、という感じですが、そのかたわら、サンフランシスコ交響楽団は、1995年以来音楽監督を務めているマイケル・ティルソン・トーマスのもとで、音楽的にも社会的にも多様で重要な問いかけをしながら、第一線の活動を続けています。

この本の核となっているいくつかのポイントは以下のようなもの。

ひとつは、クラシック音楽におけるクリエイティヴィティとはなにか、とくに、オーケストラの演奏が現代の人々にとってもつレレヴァンスとはなにか、という問い。演奏されるレパートリーの多くが百年以上前に作曲されたものであり、いわゆる「名作」はありとあらゆる演奏家が繰り返し演奏・録音をしてきているクラシック音楽の世界において、今の時代の聴衆にとっても意味をもち、問いかけや挑発や興奮を与える音楽創造とは、どういう行為か。

もうひとつは、オーケストラという組織が地域社会、そして広く世界に提供するものはなにか、という問い。アメリカでは、都市の大小にかかわらず、オーケストラはその「街のもの」という意識が強く、ボードと呼ばれる理事会の役員からボランティアをする一般市民にいたるまで、地元の人々がその運営にかかわり支援している。運営資金も半分以上が民間からの寄付によるオーケストラがほとんど。そうしたなかで、オーケストラが地域の人々に愛され支援され続けるためには、どんな活動をしてどんな関係を築いていくことが必要か。また、グローバル化が進むなかで、地元だけでなくひろく世界に評価され、芸術界のリーダーとして活動するには、なにをすべきか。そしてさらに、オーケストラを支える市民の役割とはどんなものか。オーケストラがどんなに頑張って素晴らしい演奏をしたとしても、聴衆がそれを受け身でありがたがっているだけでは、現代の経済構造のなかではオーケストラが持続的にいい活動を続けていくことは難しい。オーケストラが社会で重要な役割を果たす有機的なメンバーとなるためには、市民がなにをすべきか。

そしてさらには、現代において、インターネットをはじめとするテクノロジーと、クラシック音楽は、どのような関係をもちうるか、という問い。新しいデジタル技術がもたらす可能性を、芸術性をさらに高め、かつ音楽家や聴衆との関係を深化させるために使うためには、どのような方法があるか。

といった問いを、潮さんは、マイケル・ティルソン・トーマスのビジョンとリーダーシップ、そしてサンフランシスコ交響楽団が取り組んできたさまざまなプロジェクトを丁寧に紹介しながら考察しています。潮さんは大学で音楽学を専攻し、音楽にかんして深い知識をもった人なので、演奏の記述にかんしてはいわゆる「クラオタ」の読者にとっても読み応えのあるものとなっていますが、この本の中心は、演奏について細かくあれこれ批評することにあるのではなく、芸術団体と社会のかかわりあいを考えることにあります。なので、とくにクラシック音楽の素養がない人でも、クリエイティヴィティの追求や組織の運営・経営といった視点からたいへん興味ぶかく読めるはず。とくに、サンフランシスコ交響楽団の教育プログラムや、ネットを通して世界の誰でも視聴できる「キーピング・スコア」というドキュメンタリーとコンサート映像のプロジェクト、自主レーベルによる録音、フロリダにある若手音楽家養成のためのプログラムであるニュー・ワールド・シンフォニーや、インターネット時代のクラシック音楽のありかたを模索するユーチューブ・シンフォニーなどについての記述は、読んでいて実にワクワクし、是非自分も観てみようとか、いつか現場に行ってみたいとかいう気持ちになります。そしてこの本、読んでいてなんだか「自分も頑張ろう!」という気持ちになって元気が出ます。そして、「ああ、こういう才能とビジョンにあふれた人たちが、こんなに頑張って新しいことを開拓し、社会と文化を刺激し続けてくれているんだったら、世界には希望がある」と思わせてくれます。

あえて注文をつけるなら、サンフランシスコという街そしてベイエリアという地域がどういう歴史と風土をもち、どういう人々がそこに住んでいて、それが東海岸や中西部などとはどのように違う気質を生んできたのか、シリコンバレーのIT産業の成長が地域社会にどんな影響を与えてきたのか、それがサンフランシスコ交響楽団にとってどういうことを意味してきたのか、といったことについて、もうちょっと詳しい記述があればよかったなあと思うのですが、それはアメリカ研究者としての個人的な希望。とにもかくにも、この力作、知識も増えるし、さまざまなことを考えさせられるし、感動も元気も得られる(また、笑わせてももらえます。184ページの「ハックション!!」エピソードには大笑いしました。「事件」自体も可笑しいけれど、それを描く潮さんの姿勢と文章がまた面白い)しで、よいことづくめなので、ぜひとも今すぐご購入を!



2012年10月12日金曜日

The Sapphires @ ハワイ国際映画祭

今年で32回目を迎えるハワイ国際映画祭が、昨日オープンしました。大学の仕事が忙しい時期にいつもあるので、せっかく興味深い映画がたくさんあっても行けないことが多いのですが、初日の映画がとても面白そうで、たまたまスケジュールに合ったので行ってきました。この夏全豪で公開されたという、ウェイン・ブレア監督のオーストラリア映画『The Sapphires』。最近観たなかではもっとも満足度の高い映画のうちのひとつに入る、とてもいい映画でした。

植民地化と白豪政策の歴史をもつオーストラリアで、居留地に住むアボリジニー先住民の子供たち、とくに肌の色が比較的白い子供たちが、政府や教会によって強制的に連れ去られて、家族から隔離されて孤児院などで「白人化」教育を受けさせられた、という信じがたい行為がなんと1960年代まで行われていましたが、その残酷な歴史のなかでの実話をもとにしたこの映画。並外れた歌声と、なにをも恐れぬ性格をもつ、居留地に住む10代の3人姉妹が、町のバーでの音楽コンテストに出場するところから物語は始まる。あきらかに彼女たちがずば抜けたパフォーマンスをしたにもかかわらず、先住民を人間扱いしない白人たちに冷たい目を向けられ、果てには会場から追い出される3人。その姉妹の才能を認め、歯に衣着せずものを言う彼女たちの勢いに動かされて、アイルランド人のデイヴが、ベトナムにいるアメリカ海兵隊の慰問ツアーをする歌手のオーディションに向けて彼女たちを特訓することになる。白人に連れ去られて何年も家族が消息を知らされていなかった従妹が三姉妹に加わり、四人は「あのね、きみたちは黒人なんだから、カントリー&ウェスタンなんて歌ってたってまるで説得力がないんだよ」というデイヴに、ソウルやR&Bの精神と音楽を教え込まれる。「ザ・サファイアーズ」というバンド名でベトナム行きが実現した4人と、彼女たちのマネージャーとして同行するデイヴが、サイゴンの街そして戦地で、アメリカ兵士たちに熱い歓声を浴びながら、戦争や人種関係の現実を目の当たりにし、スターエンターテイナーに成長していく。

純粋に楽しい歌の数々、負けん気に満ちた四人の女性たちと頼りになるのかならないのかよくわからない酒飲みのデイヴのコミカルややりとり、生まれたり消えたりする男女の心の通い合いなど、「エンターテイメント」に満ちた物語でありながら、植民地の暴力や戦争の現実、オーストラリアそしてアメリカの人種関係が生むさまざまな傷から目をそらさないところがよい。居留地での生活のなかで華やかな人生を夢見る若い女性たちの夢を実現させるのが、ベトナム戦争とアメリカ軍であるという皮肉も、そうした矛盾のなかでも歌や舞台が彼女たちにいろんな意味での「パワー」を与えるという事実も、よく描かれています。

ちょうど、私の大学院生のひとりが、1920年代から1970年代にかけて、アメリカの資本や軍の影響下、国境を超えてエンターテイナーとして活躍した韓国人女性たちについての博士論文を書き始めるところなのですが、その学生も、この映画を観て、多くのことを考えたようです。日本で公開予定があるかどうかわかりませんが、機会があったら是非観てみてください。

2012年10月11日木曜日

ハオチェン・チャン 日本ツアー

2009年のクライバーン・コンクールにかんして、日本の報道は辻井伸行さんにばかり集中していました(それはじゅうぶん理解できることです)が、辻井さんと一位の座を分けた上海出身のハオチェン・チャンについては、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で詳しく紹介しました。私はたまたまコンクールの開幕ガラ・ディナーで彼とホストファミリーと同じテーブルになったことから、彼が予選の演奏をする前にかなりじっくりとインタビューをする機会に恵まれ、当時はまだ18歳(彼はコンクールの最中に19歳の誕生日を迎えた)だった彼の類いまれな深い知性に本当に感心しました。演奏は、音のひとつひとつが輝きに満ち、なにかの魔力が心身にとりついたかのような集中力で、とくに準本選でのショパン前奏曲全24曲は、歴史に残る演奏のように私には思えました。

そのハオチェンが、ただ今ハワイを演奏ツアー中。月曜日にハワイ大学でマスタークラスがあったので見学してきましたが、演奏を聴くのとはまた別の大きな感動。彼の音楽家としてのありかたが非常によくわかるマスタークラスでした。もちろん、生徒の演奏について、具体的な箇所の具体的なアドバイスもたくさんするのですが、それと同時に、それぞれの作曲家や作品や様式の背景にある思想や文化について、じっくりと説明する。ショパンのバラード第一番が題材としている物語とか、リストのソナタロ短調が展開している「ファウスト」のテーマのさまざまな解釈の可能性とかいったことは、知識としては、音楽を専門としている人は持っていて当然な種類のものなのでしょうが、そうした説明にかなりの時間を割く、というところに、彼の音楽家としての姿勢が表れていました。技術的なことや、個々のフレーズの表情のつけかたなどについても、きわめて具体的にしてかつ幅広く応用できる指導をしていて、私は聞きながらたくさんノートをとりました。熟年のベテランピアニストならともかくとして、演奏している学生とほぼ同年齢の彼が、「マスター」の名にふさわしい幅広い知識と深い芸術性を備えていることに、あらためて感心。




マスタークラスの後は、ハワイ大学のピアノ教授と私の3人で食事に行き、いろいろとおしゃべりをしました。クライバーン優勝後の彼の生活は、聞いているだけでこちらが疲れるくらいで、生活の拠点であるフィラデルフィア(彼は今年5月にカーティス音楽院を卒業しましたが、その後もフィラデルフィアをadopted homeとしている)で過ごすのは年の三分の一ほどで、後はずっと世界各地をまわるツアー生活。ツアー旅程を見ると、本当にほとんど毎日別の都市で演奏をしている。毎日外食で毎晩別のホテルに泊まり、飛行機で移動するという生活で、病気にならないだけでも不思議なくらいですが、「風邪をひかないための対策とかしているの?」と訊くと、「いや〜、一年に一度くらいは風邪をひく」と言っていましたが、あの生活で一年に一度しか風邪をひかないのは、やはり若さの力でしょうか。どこの都市に行っても観光をする時間もまるでなく、演奏が終わったらホテルに戻って次の日に備える、という生活、私だったら数ヶ月もしたら「もう結構です」と思うんじゃないかという気がしますが、演奏家のキャリアに向いている人とそうでない人の違いには、そういう要素も大きいのでしょう。それでも、知的好奇心の強いハオチェンは、ハワイの歴史や人種関係、自然環境や資源などについて、次々と私たちに質問していました。

彼は今はハワイの他の島をツアー中ですが、今週土曜日にはホノルルに戻ってリサイタルをし、その後は六の都市をまわる日本ツアーがあります。東京での公演は19日(金)のすみだトリフォニーです。まだチケットが残っているのかどうかわかりませんが、私が2009年に「天才の誕生を目撃した」と感じた彼の演奏を、みなさんにも体験していただきたいので、チケットが手に入ったら是非とも聴きに行ってください!

2012年10月8日月曜日

名倉誠人マリンバCD Kickstarterプロジェクト

私の友人で素晴らしいマリンバ奏者である名倉誠人さんのことは以前にこのブログでも紹介したことがありますが、その名倉さんが、Kickstarterというプラットフォームを使って、新しいCD作成のための資金集めをしています。

名倉さんは、目を見張るような技術と深く豊かな音楽性に満ちた演奏家であるだけでなく、現代作曲家への作品委嘱を通して、マリンバという楽器のための新しい音楽の幅を広げることにキャリアを注いでいる、ビジョンと独創性に富んだ芸術家です。また、アフリカや南米、北米というルートを辿って発達してきたマリンバという楽器のさまざまな可能性を、作曲家とともに探ってきた音楽家でもあります。名倉さんのコンサートでは、演奏される作品のほとんどあるいは全曲が、名倉さんのために作曲された曲の世界初演、ということも多く、聴衆にとってはそんな贅沢なことはありません。私は初めて名倉さんの演奏をニューヨークで聴いたとき、木や森を思わせる有機的な響きに心も身体も揺さぶられる思いをしましたが、とくにここ数年間は、名倉さんはこの「木と森」というテーマに真正面から取り組み、このテーマにかかわる作品を作曲家に委嘱しています。

世界各地で演奏を重ねてきたこれらの作品を集めたアルバムを、京都で録音しているのですが、このアルバムの制作・販売にかかる費用を集めるために、今回初めて使っているというのがこのKickstarter。私もこのたび初めて知りましたが、さまざまな芸術その他のプロジェクトが大小の資金を一般の人々から集めるためにできているネット上のプラットフォーム。なるほど現代ならではで、面白い方法だと思います。企画者が設定して期限までに目標額に到達した時点で、寄付を表明した人たちのクレジットカードから指定の額が引き落とされるけれども、もしも目標額に満たなければ、寄付者は負担ゼロ。つまり、オールorナッシングというわけです。(1万ドルを必要とする企画に、5千ドルしか集まらなかった場合、半額でその企画を実行するのは無理があるし、寄付者にとってもそんな中途半端な企画を支援するのは納得がいかない、という論理。)どんなに小額でも、寄付することによって、このプロジェクトの実現に自分がかかわっている、という気持ちになれ、企画者を継続的に支援する気持ちも生まれる。せっかく自分が寄付するのだから、ぜひ実現してほしいと、周りの人たちにもせっせと宣伝する。というわけで、企画者にも寄付者にもやる気をかき立てる仕組みになっているわけです。なかなかウマい。

というわけで、私も小額ながら寄付しました。名倉さんのCDには、不満を抱くことは絶対にないと断言いたしますので、少しでも興味のあるかたは、どんな額でもいいので寄付してみてください。サイトは英語のみですが、クレジットカードの情報を入れるだけです(アマゾンとつながっています)のでそんなに難しいことはありません。

2012年10月3日水曜日

ウォール・ストリートの文化解剖

ひさしぶりに、読んでいて本当にゾクゾクし、疲れていてもつい次々とページをめくってしまうような研究書を読みました。数年前に出版されて読もう読もうと思いつつ積ん読になっていて、読む機会を作るために大学院の授業の課題に入れたのがこの本、Karen HoによるLiquidated: An Ethnography of Wall Street。副題から明らかなように、文化人類学者がウォール・ストリートの文化や価値観を描写・分析したものです。その副題を見るだけで、私なぞは「ひょえ〜!すご〜い!」と思ってしまうのですが、実際に読んでみると、これがほんとにすごい。

スタンフォード大学を卒業し、プリンストン大学で人類学の博士課程に在籍していた著者は、企業の株価の上昇がしばしば企業の大幅な解雇と重なることに素朴な疑問をもち、また、現代のアメリカそして世界経済のもっとも中核的な位置づけにあると考えられている投資銀行の世界で働く人々の価値観や生活に興味をもち、大学院を休学して大手の投資銀行に自ら職を得る。そこでウォール・ストリートの仕事の内容はもちろん、投資銀行という職場の物理的環境や人間関係、そこで働く人々の日常生活や人生目標などを、鋭く冷静に観察する。もちろん、ウォール・ストリートで働く他のエリート銀行員と同様に、とてつもない長時間労働をして、自分に与えられた仕事をこなす。しかしまもなく、彼女の部署が解体となり、彼女自身も解雇の目に遭う。しかしそれも、ウォール・ストリートの世界ではごくごく日常的なこと。解雇された後は本格的なフィールドワークとして数多くのウォール・ストリートのエリートたちをインタビューし、解雇されてはまた次の職につき、臨機応変にさまざまな職を転々としながら自分の銀行員としての価値を上げていく人たちのメンタリティを著者は分析する。ウォール・ストリートのエリート投資銀行が、ごくごく特定少数の名門大学のみから新入社員をリクルートし、そうやって選ばれた若者がウォール・ストリートの文化や発想や行動様式を身につけエリート意識を育み、ウォール・ストリートの世界では至上かつ自明とされていながらもその外の人間からみればきわめて特殊な価値観にのっとって、企業の買収などの大型ディールに取り組み、これまた外の人間から見れば驚異的な報酬を手に入れる。投資銀行という職場の空間的設定(職種のヒエラルキーと職場のフロアが一致していて、使うエレベーターも別になっているとか、クライアントとのミーティングは外の豪勢なレストランやホテルなどで行われるので、銀行員のオフィスは驚くほど質素だとか)から、銀行員の食生活、服装、通勤様式など、その世界にいる人にとってはごく当たり前で特別な意味を見いださないようなことでも、実際は非常に多くのことを物語っている、というような要素を、著者は見事な鮮明さで描き出す。

そうしたエスノグラフィーも読んでいてワクワクするけれども、さらに著者は、shareholder valueを上げることを至上の使命とする現代の金融のありかたは、アメリカの経済史においてもごく最近の現象で、株主の利益と経営者や従業員の利益が一致しない企業のありかたは、20世紀アメリカにおいてもきわめて特殊な状況であるという歴史的文脈を、私のように経済音痴な読者にもわかりやすく説明してくれます。そして、ハイリスク・ハイリターンの原理のもと、短期の収益を上げることで株主にとっての利益をひたすら追求するウォール・ストリートの論理が、ウォール・ストリート以外の経済全体を支配するようになることがもたらす危機を、オソロしいまでの説得力をもって示しています。そういう大きな流れについては、もちろん多くの経済学者や業界内の人々がすでにたくさん示してきているのでしょうが、そうした流れを、銀行家たちの日常のディテールからエスノグラフィックに浮かび上がらせ、金融の世界の根底にある価値観や「マーケット」という概念は、けっして抽象的・客観的なものではなく、銀行員たちがさまざまな行為を通じて作り上げている産物なのだ、ということを描いているところがすごい。

研究としてすごいな〜と感心すると同時に、読んでいてその内容にイヤ〜な気持ちになることも確か。私はバブル末期に大学を卒業したので、大学時代の友達の多くも金融業界に就職し、アメリカの投資銀行で仕事をしている友達も、実際にウォール・ストリートで働いている人たちもいます。そうした人たちの一部と話しているときに、なにか根本的に私と思考パターンが違うと感じながらも、なにがどう違うのかよくわからない、ということがあったのですが、この本を読んで、そのあたりがすごくよくわかるようになった、というメリットも。とにかくすごい本ですので、おすすめです。今晩のオバマ大統領とロムニー候補との討論を聞くにあたって、この本で学んだことも参考になるような気がします。