2010年2月27日土曜日

鬱のプラス効果?

鬱の増加はアメリカ化のしるしか、という記事についての投稿をしばらく前にしましたが、今週のニューヨーク・タイムズ・マガジンに、再び鬱についての長文記事が載っています。鬱は本人にとっても自己破壊的なのはもちろん、家族や周囲の人間にも、仕事などにおいても、さまざまな悪影響が出て、とても苦しいのは間違いありません。しかし、最近のある研究によると、鬱がもたらす苦しみには、目的というか、プラス効果もある、というのです。鬱の人は、ものごとのマイナス面にばかり思考を集中し、そして執拗にそのことばかりを反芻して、精神的な穴に落ち込んでいく。そうした思考パターンは生産的な精神生活を妨げるものであるし、極端になると、自殺にまで追い込むほど破壊的なものであるのは間違いないけれども、そうした反芻思考をよい方向に転じることができれば、それはプラス効果もある、ということです。鬱の人に見られる反芻思考は、自分への厳しさ、深い自省と洞察、客観的な現実分析、長時間集中してものごとを考える、といった特徴の顕われであり、これらをうまく利用できれば、鬱患者は複雑な状況においてより的確な意思決定ができるようになる、というのです。当時は鬱という言葉はなかったけれども、ダーウィンは典型的な鬱だったそうで、鬱だったからこそ自分の世界にこもって集中して研究に打ち込むことができた、との見方すらあるらしいです。芸術家や作家に鬱の人がとても多いのも、創造的な生産活動には長時間しつこくものごとを考える能力が必要で、そうした行為と鬱の症状が合致しているから、とのことです。

もちろん、精神医療や心理学の専門家のあいだでは、鬱についての解釈や対処法については大きく意見がわかれており、鬱のプラス効果などを説いて鬱を美化することの危険性について警鐘を鳴らす人もいるそうです。特定の状況(失業、近親者の死、離婚など)が原因で鬱症状が出ている人と、恒常的な精神疾患として鬱を病んでいる人とでは大きな違いがあるし、抗鬱剤の効果も証明されているので、長期間の鬱状態に悩んでいる人は投薬を含む治療を受けることが重要なのはもちろんです。ただし、これは私がまったくの素人の意見として以前から強く思っていたことですが、精神の疾患に投薬だけで対処しようというのは間違っていて、鬱の原因となっている根本的な問題に取り組むためのトーク・セラピーといった認知療法と合わせてのぞまなければ、長期的にはあまり効果はない、とのこと。アルコール依存症の夫との結婚生活が原因で鬱になっている女性の、「抗鬱剤のおかげで気分はだいぶよくなったけれども、相変わらず同じダメ夫と結婚生活を送っている。ただそれがちょっと耐えやすくなっただけ」という発言にハッとさせられた医師のコメントが載っていますが、投薬によって気分がよくなるぶん、根源的な問題に取り組むことをむしろ避けてしまう、という効果もあるようです。また、投薬だけで認知療法を行わなかった鬱患者は、投薬をやめると再び鬱が再発する確率がとても高いのに対して、認知療法を行った患者の再発率はその半分以下、という統計もあるそうです。私の身近にも鬱に苦しんでいる人が多いですが、アメリカで普及しているようなトーク・セラピーがもっと日本でも広まって、保険でカバーされるようになることを強く望みます。

2010年2月26日金曜日

Texas Tough

浅田真央さんの演技の前半の素晴らしさと後半のミスの残念さ、そして本人の悔しさに、胸がつまりますね。私は、キム・ヨナを見ていると、クライバーン・コンクールで2位になったYeol Eum Sonを思い出します。韓国女性独特の気迫が感じられて、キム・ヨナがピアニストだとしたら、Sonのような演奏家になるに違いない、という気がします。

さて、私の仲良しの同僚Robert Perkinsonの待望の著書Texas Toughが発売になりましたので紹介します。彼はハワイ大学で私と同じアメリカ研究学部で政治史・社会史、とくに刑罰の歴史を専門をしている人で、『現代アメリカのキーワード 』の「刑務所産業複合体」の項目を執筆してくれた人です。この本は、アメリカが世界最大の刑務所帝国となり、なかでもとくにテキサス州が、服役人口、刑務所の民間化、死刑を含む重刑の数、刑における人種間の不均衡などにおいて、全国でも群を抜くという状況になった歴史的背景を、奴隷制の時代から解き明かした力作です。立法・司法関係の文献を幅広く調査すると同時に、服役者や刑務所改革活動家との数多くのインタビューや文通を通して、多角的な視点から歴史と政治を大きくとらえた著作です。読むと背筋が寒くなる思いもしますが、アメリカの重要な一面を知るには格好の書ですので、よかったらどうぞ。テキサスの雑誌に載った著者のインタビューはこちら

2010年2月24日水曜日

アカカ法案、連邦下院通過

私事ですが、先週木曜深夜に父が亡くなりました。父はここ何年も家と病院と施設を行ったり来たりの生活が続き、今回は8ヶ月間も入院しており(ちなみに、8ヶ月の入院生活なんて、アメリカでは想像もできないことです)、心身ともにぼろぼろだったので、惨めな状態がこれ以上延びることなく比較的穏やかに旅立ったことで、母も私もほっとしています。今年一年私が日本で暮らすことにしたのは、父の状態も理由のひとつだったのですが、私が日本にいるときに、しかも大学の授業が休みのときに、こういうことになってよかったです。そろそろ危ないという連絡は受けていたのですが、私は木曜日の夜に東京クワルテットの結成40周年記念コンサートに行くのをとても楽しみにしており、その日より前に父が亡くなってしまうとコンサートに行けなくなるななどと考えていたのですが(親の安否よりも東京クワルテットのほうが気になるというあたりが親不孝の象徴です)、コンサートが終わるのを待ったようにして逝ってくれたのは、父からの最後のプレゼントだったのかも知れません。(ちなみにクワルテットの演奏はとても素晴らしかったです。)父のこと、父と自分の関係のことなどについて、当然ながら思うこと考えることはたくさんありますが、亡くなって数日後にブログで書くようなことではないので、いずれゆっくり考えて適切な場を選んで書こうと思います。坊主が嫌いだとしきりに言っていた父の希望もあり、葬儀(のようなもの)は、身内だけで週末に済ませました。お経も弔辞もないので、代わりに、ジャクリーヌ・デュ・プレ演奏のバッハのトッカータ・アダージョ・フーガハ長調よりアダージョをかけながら黙祷するという、形式も伝統も無視して家族の趣味だけを反映した集いでしたが、父に別れを告げて身内の気持ちに区切りをつけるという目的はいい形で果たせたと思っています。ちょうど春がやって来たところで、私の人生の次の段階が始まります。

では、気持ちを切り替えて、時事の話題。アカカ法案と呼ばれる法案が、今日、アメリカ連邦下院を通過しました。アカカというのは、ハワイ州を代表する連邦上院議員ダニエル・アカカ氏のことで、彼の草案によるものなのでAkaka Billと呼ばれています。これは、簡単に言えば、先住ハワイ系の人びとに、アメリカン・インディアンと呼ばれる先住アメリカ系の部族や先住アラスカ系の人びとに与えられているのと同様の自治権、そして土地の使用や文化保護などについて州や連邦政府と交渉する権利を与えるという法案です。2000年に最初に法案が議会に提出されて以来、下院を通過するのは今回が3度目ですが、さまざまな障壁に出会いこれまでは上院通過がなりませんでした。今回もまだ上院の審議を待たなければいけません。ただし、表面的な説明だけだと、いわゆるリベラル左派が支持しそうな立派な法案のように聞こえますが、この法案には、先住ハワイ系の人びととそれ以外の人びとに別個の取り扱いをするということに異議を唱える保守派(ハワイ州知事のリンダ・リングル氏がこの立場をとっています)だけでなく、先住ハワイ系の一部の左派からも反対の声が上がっており、一筋縄ではいきません。この場でじゅうぶんに説明できるだけの知識を私も持っていないのですが、左派の論点の基本は、この法案は先住ハワイ系の人びとにじゅうぶんな権利を与えるものでなく、この法案が通過してしまったら、先住ハワイ系の自治権や土地をめぐる権利は空洞化したまま、事態はこれまで以上に硬直化してしまう、というものです。この点については、ウェズリアン大学准教授でとても立派な学者でもあり活動家でもあるJ. Kehaulani Kauanui氏の著述が参考になります。彼女は今回の法案にも声高に反対しており、いずれこの問題について本を書こうと考えているそうです。彼女のHawaiian Blood: Colonialism and the Politics of Sovereignty and Indigeneityという本は、先住ハワイ系への土地分配などにおいて1921年から法的に使われるようになった「50%ルール」、すなわち1778年以前にハワイ諸島に住んでいた人びとの血が少なくとも50%流れていると認められた人を「先住ハワイ系」と定義するルールが、いかにハワイの伝統的な家系の認識と異なるもので、そしてそれがその後の先住ハワイ系の人びとの権利闘争にどのようなインパクトを与えてきたかという歴史を、精緻かつ情熱的に披露した力作です。ハワイ研究に興味のある人には必読書ですので、ぜひどうぞ。

2010年2月16日火曜日

Tea Partyはメインストリーム化するか?

ホノルルでの一週間は、あっという間に終わってしまいました。平日の昼間は大学院生とのミーティングや会議やらですべて埋まってしまい、ハワイにいるあいだに少しは書こうと思って持って行った原稿にも、結局まったく手をつけないまま(スーツケースから出すこともないまま)持って帰ってくることになりました。でも、自分を頼りにしてくれる学生がいたり、自分がするべき仕事がある、要は、自分が必要とされていると感じられるということは、とてもありがたいことです。

『ドット・コム・ラヴァーズ』についての講演は、たいへん盛況で、私の専門とはまるで関係のない分野の研究者や大学院生などが大勢来て、たくさん質問をしてくれました。講演の中身は、基本的に11月に北大で講演したときと同じ内容だったのですが、今回は聴衆がまるで違うし、なにしろ『ドット・コム・ラヴァーズ』に登場する男性や、それらの男性を個人的に知っている人たちも聴衆にいたので、いったいどんな反応が出るのか、私としても興味津々でした。どんな執筆や講演でもそうですが、受け手がなにを受け止めどう解釈するのかというのは、こちらが言わんとしていることもさることながら、受け手のほうが持って来る経験や考えによって大きく変わってくるのだなあということを、改めて感じました。「白人男性のオリエンタリズムについて論じたということだが、アジア系アメリカ人男性がアジア系やアジア人女性に対して抱く理想やイメージについてはどう思うか」とか、「(私は講演の前半で『ドット・コム・ラヴァーズ』を桐島洋子や吉田ルイ子による「アメリカ体験記」の系譜に位置づけたのですが)桐島洋子の黒人に対する偏見について述べていたが、自分自身の黒人男性に対する思いはそれと比べてどうか」とか、「ゲイを扱った章についてLGBTコミュニティの反応はどうだったか」とか、「パーソナルなこととポリティカルなこと、個人的なことと構造的なことの関係について述べていたが、パーソナルな著述においてそうした関係をもっとも有効に扱っている理論家や研究者は誰だと思うか」(これに関してはとっさに答が思いつきませんでしたが、まさにその問題を扱った『Academic Lives: Memoir, Cultural Theory, and the University Today』という素晴らしい研究書を書いた私の友達のCynthia Franklinが私の講演の司会をしてくれていたので、彼女にその質問をふってごまかしました:))など、なかなか面白い質問が出ました。

日本とハワイでの自分の生活を比べて、一番違うのは、なんといっても人間関係です。なにがどう違うと具体的に説明するのは、時間も字数もかかるのでまた別の機会に詳しく書きますが、やはり、「家」の感覚が違うとか、人間と人間のあいだの垣根のありかたが違うとか、そういう要素が大きいように思います。日本には、子供から大人になる時期を一緒に過ごした友達がたくさんいるので、大人になってからの生き方が全然違っても、根本的なところでつながり合っていると感じられるし、そうした友達と同じ場所で同じ時代を経験できるのは嬉しいことですが、日常的な人間関係という点では、ハワイやアメリカ全般のほうが、より気軽でもあり濃厚でもあり、考えとか感情とかを投げ合う密度が高いと感じます。どちらがよくてどちらが悪いというわけではないですが、双方のあいだを行き来するときには、大幅なギアチェンジが必要です。

まるで関係ないですが、今日のニューヨーク・タイムズに、以前にもこのブログで言及したTea Partyというアメリカの政治運動についての長文記事があります。Partyとは言っても、そうした名前の正式な政党が存在するわけではなく、保守や極右のさまざまな関連団体のメンバーや、今回の不況まではとくに政治に関わったことのなかった一般市民が、各地でオバマ政権への抗議集会や合衆国憲法の勉強会を開いたりして、徐々に全国化してきた草の根運動で、景気対策法案や金融業の救済に強く反発し、健康保険や社会保障を含む連邦政府の制度全般に反対し、税金のボイコットを提唱し、個人が武装して暴政と闘う準備をする、といった立場が特徴です。今までは、妄想にとりつかれたごく少数派による動きとしてメインストリームにはまともに相手にされてこなかったものが、段々とメディアとの関係や既存の政治組織などと連携して勢力を拡大していると見ることもできる。いったいこの人たちはどういう背景でこうした運動に入り、なにを目的としているのか、ということがよく説明されている記事です(が、読んだからといって運動支持者に共感できるかというとそうではありません)。この投稿の時点では1500人以上の人が記事に「コメント」をポストしていますが、これらのコメントを読むのも面白いです。

2010年2月10日水曜日

ホノルルより

1週間ホノルルに(戻って)来ています。仕事と休暇を兼ねての滞在のつもりだったのですが、1週間しかないと昼間はほぼすべて仕事でつぶれてしまい、ゆっくり散歩に行ったりビーチに寝そべったり本屋に行ったりという時間は残念ながらとれそうもありません。が、青空で気温はつねに20度台、見渡すと青々とした緑や鮮やかな色の花がそこいらじゅうにあるという環境は、やはりたいへんありがたいものです。

12年ほど過ごしたホノルルに、半年間の日本生活を経てから戻ってくるのは、非常に不思議な感覚で、この感じをどう捉えていいものやら、自分で戸惑っているところです。ある意味では、住み慣れて勝手がかなりわかった場所に戻ってきて、とてもホッとするし、ホノルルはなにしろ小さな街なので、道を歩いているだけで知り合いに何人も会い、「ああ、ここには私の生活があるんだ」という気持ちになります。到着したその日の夜には、仲良し(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)が私の友達25人ほどを招いてパーティを開いてくれたりして、ここに自分の居場所がある、ということを実感もします。それと同時に、日常生活を構成するディテールやら、人間関係のありかたやら、なにもかもが、日本での私の暮らしとあまりにも違うので、「こちらの私」の生活にギアチェンジするのには、かなり大きな頭と心の転換が必要でもあります。「日本の私」と「アメリカ/ハワイの私」という2人の人間がいて、それぞれを構成する円はほんのちょびっとしか重なり合わない、そんな気持ちが、最近になってますます強まります。だからといって、とくに困ることもないし辛いこともないのですが、なんとなく戸惑ってしまうのは確かです。

それにしても、日本からホノルルに来て新鮮なことのひとつは、「人間というのは実にいろんな色や形やサイズをしているものだ」ということです。日本では見かけない「種類」ーーそれは、人種や民族ということもそうですが、それ以外にもいろいろーーの人間が実にたくさんいるので、日本にいると忘れがちな「世界は広い」ということを改めて認識します。

明日は、大学で『ドット・コム・ラヴァーズ』についての講演をします。アメリカのアカデミックな場でこの本について話すことは最近まで躊躇していたのですが、どんな反応があるか、楽しみなようなオソロしいような気持ちです。

2010年2月2日火曜日

小川洋子 & 藤原正彦

ここ1週間、風邪でダウンしていたので、自分の原稿書きはちょっとお休みして、ソファや布団のなかで本を読んでばかりいました。まずは、遅ればせながら(刊行当時かなり話題になったそうですが、ふだん日本に住んでいない私はそういうことに疎く、だいぶ時流に遅れている)小川洋子さんの『博士の愛した数式 』を読み、たいへんたいへん気に入りました。このブログで何度かすでに言及しているように、私は中学高校のとき数学がとても苦手だったのですが、この「博士」のような人物に出会っていれば(「博士」ほど奇妙な人物でなくてもいいのですが、要は数学の美しさを面白く説明してくれて、学校で習うことの「意味」を教えてくれる人であればよいのです)、数学が好きになったかもしれないと思いました。いろいろな意味でごく普通の人間である主人公が、「博士」との出会いを通じて、なんだか訳もわからず数学の面白さにだんだんはまっていく、その過程がリアル。たとえば、こんな描写からは読みながら思わず笑みがこぼれます。
 私も博士を見習い、エプロンのポケットに鉛筆とメモ用紙を入れておくようにした。そうすれば、思いついた時いつでも計算ができた。例えば税理士宅の台所で、冷蔵庫の掃除をしている時、扉の内側に刻印された製造番号2311が目に入った。これはなかなか、おもしろそうな数字ではないか?という予感が走り、メモ用紙を取り出し、取り敢えず洗剤と布巾は脇に置いて割算を試してみた。まず最初に3、次に7、その次11。駄目だった。どれも1余った。引き続き13、17、19。やはり割り切れなかった。しかもその割り切れなさが実に巧妙だった。正体をつかんだと思わせた瞬間、するりとすり抜け、新たな展開を予感させながら、またしても微妙な徒労感を残す。それは常に、素数が使ってくる手だった。
 私は2311を素数と認定し、メモ用紙をポケットに仕舞い、掃除を再開した。素数を製造番号に持っているというだけで、その冷蔵庫がいとおしく思えた。潔く、妥協せず、孤高を守り通している冷蔵庫。そんな感じだった。
 事務所の床を磨いている時に出会ったのは、341だった。デスクの下にNo.341の青色申告決算書が落ちていた。
 素数かもしれない。咄嗟に私はモップを動かす手を止めた。長くそこに落ちていたらしい書類で、埃をかぶっていたが、それでもNo.341が放つサインは生気を失っていなかった。いかにも博士の寵愛を受けるにふさわしい魅力を備えていた。(中略)
 341は素数ではなかった。
 「まあ、何ということ...」
 私はもう一度、341÷11を計算した。

 341÷11=31

 見事な割算の完成だった。
 もちろん素数を見つけた時は気分がいい。ならば素数でなかった時、落胆するかと言えば、決してそうではない。素数の予想が外れた場合は、またそれなりの収穫がある。11と31を掛け合わせると、かくも紛らわしい偽素数が誕生するのかということは新鮮な発見であり、素数に最も似た偽素数を作り出す法則はないのだろうか、という思いがけない方向性を示してくれる。
 私は決算書をデスクに置き、モップをバケツの濁った水で洗い、固く絞った。素数を見つけたからと言って、あるいは、素数でないことが判明したからと言って、何も変わらない。私の前には、やらなければいけない仕事が、相変わらず山積みになっている。製造番号がいくらであろうと、冷蔵庫はただ自分の役目を果たすだけだし、No.341の決算書を提出した人は、今も税金問題に頭を悩ませている。メリットがないばかりか、実害さえ生じている。冷蔵庫のアイスクリームは溶け、床磨きははかどらず、税理士さんのイライラを募らせる。それでも尚、2311が素数で、341が合成数であるという真実は、色褪せない。
 「実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」
 と、博士が言っていたのを思い出す。
数学の面白さに引き込まれて行く主人公の他にも、主人公の「博士」に対する態度、「博士」と「ルート」の独特の愛情関係、そして主人公と「ルート」の親子関係が、とてもリアルでかつ暖かく描かれている。たとえば、
 博士はいつどんな場合にも、ルートを守ろうとした。どんなに自分が困難な立場にあろうと、ルートは常にずっと多くの助けを必要としているのであり、自分にはそれを与える義務があると考えていた。そして義務が果たせることを、最上の喜びとした。
 博士の思いは必ずしも行動によってのみ表されるとは限らず、目に見えない形で伝わってくることも多かった。しかしルートはそのすべてを漏らさず感じ取っていた。当然な顔で受け流したり、気付けないままにやり過ごしたりせず、自分が博士から与えられているのは、尊くありがたいものだと分かっていた。いつの間にかルートがそのような力を備えていたことに、私は驚く。
 自分のおかずがルートよりも多いと、博士は顔を曇らせ、私に注意した。魚の切り身でもステーキでも西瓜でも、最上の部位は最年少の者へ、という信念を貫いた。懸賞問題の考察が佳境に入っている時でさえ、ルートのためにはいつでも無制限の時間が用意されていた。何であれ彼から質問されるのを喜んだ。子供は大人よりずっと難しい問題で悩んでいると信じていた。ただ単に正確な答えを示すだけでなく、質問した相手に誇りを与えることができた。ルートは導き出された答えを前に、その答えの見事さだけでなく、ああ、自分は何と立派な質問をしたのだろう、という思いに酔った。博士はまた、ルートの身体を観察する天才でもあった。逆睫毛を見つけたのも、耳の付根にできたおできを見つけたのも、私より早かった。じろじろ眺めたり触ったりしなくても、目の前に子供がいるだけで、注意を払うべき場所を一瞬にして察知した。しかも本人に不安を与えないよう、発見した異変は私だけにこっそり教えた。
なんの血のつながりもない赤の他人であるばかりか、翌日になればルートが誰だか覚えてもいない「博士」が、子供に接する大人としてのあるべき姿を体現しているというところに、おおげさな言い方をすれば人間としての希望を感じさせてくれます。この小説の設定自体はなんとも突拍子もない設定でありながら、そのなかできわめて現実味のある状況や心理描写が展開されるところが作家としての技量のすごさであります。そして、小川洋子さんはとてもいい母親であるに違いない、と思わせてくれます。

その思いをさらに強くしてくれるのが、『ミーナの行進 』。こちらは女の子の成長の物語ですが、子供から思春期への移行する過程で、ひとつひとつは実に小さなことでも、自分の目で状況を観察し、自分の頭でものごとを考え、選択したり決断したり行動したりすることで、だんだんと自立した一個の人間に成長し、そして大人の世界のことを少しずつ理解するようになる、そのプロセスが、これまた実に愛情こめて描かれています。子供のことゆえ、決死の思いでした選択や決断が、きわめて滑稽であることもあるのですが、そのあたりも実にリアルです。子供を中心にした物語だからといって、状況や心理の複雑さに関して妥協していないところがとてもよいです。

『博士の愛した数式』執筆にあたって小川洋子さんが数学者の藤原正彦さんを取材したらしいので(藤原正彦さんが『博士の愛した数式』に寄せている解説もとてもよいです)、この二人の対談を本にしたという『世にも美しい数学入門 』を読もうと思ったのですが、書店に行ったときに置いてなかったので、代わりに藤原正彦さんの『祖国とは国語 』を読んだのですが、うーむ、これは、「そうだそうだ、確かにその通り」と深く頷く箇所もあれば、「そんな無茶苦茶な!」と言いたくなる箇所もたくさん。国語教育が重要であるという主張には大いに共感しますが、「国語」というものの歴史性や政治性について、触れられているようで(ドーデの『最後の授業』について言及がある)、実はまったくきちんとした議論がない。それに、「英語では、自国の国益ばかりを追求する主義はナショナリズムといい、ここでいう祖国愛、パトリオティズムと峻別されている。ナショナリズムは邪であり祖国愛は善である」などというのはあきらかな間違いであるし、そうした前提のもとに「一般国民にとって、ナショナリズムは不必要であり危険でもあるが、祖国愛は絶対不可欠である」などという議論にもっていくのは、そちらのほうがよっぽど危険なのではないでしょうか。パトリオティズムを「祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、またそれらをこよなく愛する精神」と定義して、「家族愛、郷土愛の延長にあるもの」とするのも、愛する対象となる単位が「国家」となった経緯、そしてその過程において「国語」形成が果たした役割というものを、まったく考慮に入れていない。アメリカに関する記述があまりにも浅薄なのも気になる。まあ、この本は、新聞や雑誌に掲載された短い文章を集めたものなので、歴史的な視野も含めた深い議論ができないのは仕方ないにしても、うーむ、数学者にしては議論が破綻している箇所があるのが気になります。この本を読むなら、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』を読んだほうが一万倍くらいためになります。当然、藤原正彦さんは『日本語が亡びるとき』を読んでいるはずですから、それをふまえてもう一度この本を書いていただきたい。あ、水村美苗さんと岩井克人さんと藤原正彦さんの三者対談をやっていただきたいですね。文学者、経済学者、数学者の三人で、なかなか面白い話になるんじゃないでしょうか。