2009年12月31日木曜日

2009年の終わりに

18年ぶりの日本での年越しです。大晦日は雑用と原稿書きで過ごしましたが、2009年が終わる寸前になって原稿の一章を書き上げられたのは気分がいいです。1年の初めの364日間もこのくらい生産的だとよかったのですが、ま、いいか。

個人的には、2009年は、クライバーン・コンクールを見学したことと、夏以降を日本で過ごしたということが最大の収穫でした。クライバーン・コンクールについてはこのブログでたくさん報告しましたし、今それについての本を書いているところなので、ここでは繰り返しません。

1991年に渡米して以来、私は毎年夏に日本に帰ってきてはいるのですが、数週間の滞在と実際に住んで生活するのとでは、当然ながら経験することや感じることがまるっきり違います。今回日本に住んでみて、本当に驚くことが多く、逆カルチャーショックの連続の半年間でした。今は、インターネットや各種メディアの発達で物理的にも心理的にも日米の距離感はかなり縮小され、日本にいなくても日本のいろいろな情報は入ってくるものの、やはり住んでみないとまったくわからないことというのはたくさんあるんだということを再確認しました。

日本に来て一番驚いたのは、とにかく暗い、ということ。景気が悪いのはわかっていましたし、経済状況に関していえば失業率が10パーセントを超えたアメリカのほうが悪い側面もたくさんありますが(ちなみにハワイ大学では、大学側と教員労働組合の契約交渉が破綻し、教員は2010年1月から6.667%の給与削減を一方的に申し渡されました。とほほ)、社会全体の雰囲気としては、日本のほうがずっと暗い印象を受けます。これは、高齢化、少子化がかなり大きな要因なのではないかと思います。

社会全体の雰囲気が暗いことと関連して、日常的な人間関係のありかたが日米で大きく違うのにもかなり衝撃を受けています。もちろん、地域や人によって人間関係のありかたは様々でしょうが、私が観察する限りでは、日本では人と人とのあいだの敷居がずいぶんと高いように思います。他人同士が会話をするということがまずないし、バスや電車のなかはほとんどいつもしーんとしているし、知人や友達同士でも、気軽にものを頼み合ったりすることが少ない。家族同士のつき合いというのが少ないのは、友達が遠く離れたところに住んでいる場合が多いとか、人を家族ごとよべるような大きな家に住んでいる人が少ないといった、プラクティカルな理由もあるにせよ、それを抜きにして考えても、なんだか日本の家族はそれぞれとても閉じた生活を送っているように見えます。

日本のメディアの薄っぺらさにも衝撃を受けました。民放テレビのくだらなさはまったくもって信じがたいですし、新聞や雑誌が物理的にも内容的にも薄っぺらいのにも驚愕です。そして、これだけたくさんの本が世に出ていながら、読み応えのある、きちんとした情報と分析にもとづいた深い考察は本当に少ない。本をまったく読まないという人が増えているという事態は、本を書く人間としては実に困ったものですが、読者の動向を嘆く以前に、まずは言論界のほうがもっとしっかりしないといけないと思います。私はなんでもアメリカのほうがいいなどと言うつもりはこれっぽっちもありませんが、ジャーナリズムや言論界の質に関していえば、トップを見れば日米の差は歴然としています。そんなことを言われるのは納得がいかないと思う人は、騙されたと思って、とにもかくにも、ニューヨーク・タイムズやウオール・ストリート・ジャーナルといった新聞、そしてニューヨーカーといった雑誌をしばらく読んでみてください。日本の一般市民がこうした外のメディアに日常的に触れることなく、日本のテレビや新聞だけから情報を得て生活しているということが、どれだけオソロしいことか、わかっていただけるといいのですが。

そして、日本の教育のありかたについても、大いに悲観せずにはいられません。中等教育までのことは、専門でもないし、自分の子供もいないので、人の話を聞いてしかわかりませんが、それでも、日本の受験のありかたも、学校教育のありかたも、根本的に変わらないと、日本はこれからの時代に経済的にも精神的にも強く生きて行ける若者を育てることはできないのではないかと思います。そして大学に関していえば、もっとひどい。せっかくせっせと受験勉強をして大学に入ってきた、知的好奇心はそれなりにある若者も、大学教育がこれでは、たいていの人は学問に興味をもたないまま終わってしまうし、学問以外の実学についても、今の大学が有益な教育を行っているとはとても思えない。大学は「高等教育」を行う場であるということを大学の経営者側も教員も思い出して(というか、教育という点に関しては、日本のたいていの大学はこれまでまったく真剣に考えてこなかったと思うので、思い出すというよりは、学んで、といったほうが正しいかもしれません)、なにをどのように教えるべきかという基本的な議論からし直し、体系が整ったら、今の10倍くらい大学生に勉強させるべきです。それでついて来られない学生は落第させればよい。でも、教えるほうが本気になって教育に取り組めば、少なくとも過半数の学生は必死の思いをしてでもついて来るものだと、私は信じています。

などと書くと、日本について文句ばっかり言っているように見えるかも知れませんが、日本の暮らしには素晴らしいこともたくさんあります。社会の仕組みや組織のありかたには大いに問題はあっても、その中にいる個々の人たちは、感動的なまでの責任感と勤労倫理をもって良心的に動いている(だからこそ、これだけ時間通りに電車も宅急便もくるのです!)し、学生のなかにも、こちらが見習いたくなるような立派な意識をもって真面目に勉強している人もいます。人の役に立とうとか、世の中をよくしようと思っている人はたくさんいます。日本が経済的にも政治的にも文化的にも力強く立派な国になれる素質はじゅうぶんあると思いますが、いろいろなことが今のままだと、10年20年のあいだではそう大きくは変わらないかもしれませんが、50年のあいだにはやはり日本は静かに衰退していくような気がします。政権が変わって、いくつかのいい動きも確実に見られますので、国民のほうも、絶望せず、気を抜かずに、きちんと自分の頭でものを考えて社会づくりをしていきましょう!

2009年あと10分となりました。今年1年、このブログをフォローしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。面白くて、ものを考えるきっかけになるような話題を提供しつづけて行けるよう、今後も心がけます。来年が、みなさんにとって、より明るい1年になりますように。

2009年12月24日木曜日

米上院、健康保険法案を可決

米時間木曜日、連邦政府上院が、現行の健康保険制度を抜本的に改革する法案を可決しました。まったくもってやれやれです。オバマ大統領が政権の最大目標のひとつとして掲げていた皆保険制度は、保険業界の利権や保守派からの猛烈な反対を受けて、議論は修羅場となってきましたが、類似の法案を先月下院が可決、クリスマスを前にこの法案を上院が可決したことで、オバマ大統領や故テッド・ケネディ上院議員が目指していた健康保険改革のうち最低限の項目は実現することになりそうです。この法案によって、保険会社は、保険加入希望者の過去や現在の疾患を理由に加入を拒否することや、性別や健康状態によって保険料をあげること、また、加入者が病気やケガをしてから保険を取り下げることなどができなくなります。また、この法案によって、現在保険に加入していない3100万人の人々に保険が手に入るようになります。連邦政府の権限拡大という意味では1930年代のニューディール以来と言われるほど、健康保険改革はアメリカにとって重要な案件ですが、連邦政府がスポンサーとなる保険制度への反対の強さには、日本の感覚からすればまったくもって不可解なものがあります。今回の法案も、可決されたとは言え、票は政党ラインではっきりと分かれ、つまり共和党議員はひとりもこの法案に可決票をしませんでした。共和党中道派のメイン州のオリンピア・スノウ上院議員は、両党が協力して保険改革を実現させることを目指して活動を続けてきましたが、それにはまだ長い道のりがありそうです。

それにしても、日本のクリスマスは、当たり前ですがアメリカ本土のそれともハワイのそれともまるっきり違いますね。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、アメリカのホリデー・シーズンは、家族や親戚と過ごすものなので、それにまつわるストレスや悲喜劇も多いのですが、一緒に過ごす人がいなかったりどこにも招待されていなかったりする人にとっては、それはそれで孤独感を刺激する時期でもあります。日本は、まあもちろん家族や恋人や友達とプレゼント交換をしたりケーキを食べたりして楽しく過ごす人たちも多いのでしょうが、あまりにも見事に宗教的な要素が欠落しているので、私などは、こうした商業的なクリスマスのありかたに、首を傾げると同時に妙な解放感を感じたりもします。クリスマスをやらない、ということに、なんの寂しさも感じないからです。というわけで、これからちょっと家の掃除をしてから、授業がないあいだにしかできない仕事に取りかかります。

2009年12月19日土曜日

日本語を読むすべての人に読んでもらいたい本 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読みました。この本は、ほんとうにすごい。日本語を読むすべての人に読んでもらいたい本です。読んでいる最中から、興奮して何人かの友達に、「頼むからこれは絶対に読んでちょうだい、そして子供や生徒にも読ませてあげてちょうだい」と嘆願するメールを送ってしまったほどです。(笑)

私はかねてから、日本の中学・高校での勉強の教えかた、とくに教科書のありかたは、根本的に間違っていると感じてきました。私は数学がとくに苦手だったのですが、たとえば高校の「行列」で、なんだってカッコの中に数字を縦横に並べて、それを掛けたり足したりするのか、そうすることにいったいなんの意味があるのか、一度たりとも説明を受けた記憶がありません。微分・積分の導入部分で、せっかくきれいに曲線を引いたと思ったら、ある接点をとって直線を引いたりする。そしてその直線を軸に曲線をくるくるまわしたりする。二次元までで頭がいっぱいの私は、こうやってくるくるまわってしまうともうそれこそ自分の頭のほうがくるくるまわってしまうのですが、なんだってくるくるまわす必要があるのか、まわすとなにができるのか、誰も説明してくれなかった。そして、くるくるまわした挙句に、今度は二枚の平面でそれをスライスしてその体積を求めたりする。なぜそんなことをしなくちゃいけないのか、せめてちょっとくらい説明してくれれば、興味をもってやったかも知れないのに、意味を説明されないまま、ひたすら問題の解き方を記憶して当てはめるばかりで、私にはまるっきり不毛に感じられたのです。数学は嫌いだったからなおのことでしたが、嫌いではなかった歴史だって、意味がわからなかったことについては似たようなものです。「東フランク王国が云々」とか一文だけで書かれていたって、その「東フランク王国」とはいったいなんなのかもわからない。私は少し前にプラハに旅行をしようと思っていたことがあって(代わりにクライバーン・コンクールに行くことになったので、プラハとは似ても似つかぬテキサスに行き、プラハはとりあえず延期になりました)、そのときに、チェコの歴史に関する本を読んだのですが、そのときに初めて「ああ、東フランク王国とはこういう意味だったのか」と理解しました。私は、高校の世界史の教科書は、今のものの十倍くらいの厚さであるべきだと思っています。それぞれの地域や国が、地理的、文化的にどんなところで、どんな人たちがどんなふうに暮らしていて、というところからまず実際の人間についての話だという実感をもたせて、それぞれの出来事やら流れやらについて、もっとイメージが湧くような描写をもって説明してくれないことには、なんのことだかさっぱりわからない。そして、その出来事や流れがどういう意味をもっていたのか、ということを考えるように差し向けてくれなければ、それを学ぶことの必然性がわからず、ひたすら年号やカタカナや漢字を暗記するばかりになってしまう。歴史というのはいろいろな因果関係や相関関係のなかで形成されるものだから、そうした関係が理解できれば、それを構成する出来事や年号はしぜんと覚えられるはずなのに、そういうふうに教科書も授業もできていない。

この本は、日本近現代史において第一線の研究者である東大教授の加藤陽子先生が、神奈川の栄光学園の中学・高校生を相手に、日清戦争から太平洋戦争までをカバーした五日間の特別講義をし、そのときの講義録を本にしたものです。授業のありかた、そしてこの本のありかたの根底にあるコンセプトそのものが実に見事。複雑怪奇にしてきわめて重要な二十世紀前半の日本の歴史や国際関係史を、ダイナミックに説明するその内容もさることながら、「歴史を学ぶとはどういうことか」「歴史的にものごとを考えるとはどういうことか」「第一線の歴史家たちはどういう問いに答えようとして、どういう資料をどういうふうに分析しているのか」といったことを中高生向けにわかりやすく、かといって、中高生相手だからといってレベルを下げることなく、むしろ頭の柔らかい好奇心旺盛な中高生相手だからこそ、大きく根源的な問題をどんどん投げかける。それぞれの国でさまざまな立場にいた人たちの状況や思考パターンを説明し、自分がその立場だったらなにを考えてどんな選択をしていただろうかと、自分たちの頭でいろいろ考えさせ、なぜ「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」のかを検討させる。検討させる際に、地図やら統計データやらいろいろな立場の人の日記やら手紙の抜粋やら、そしてまた古今の歴史家たちの研究やらをふんだんに紹介し、資料を分析して論点を導き出すという作業を披露する。なんと素晴らしい!

レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルの指揮者・芸術監督を務めていた時代に、彼が成し遂げた最も意義のあるプロジェクトのひとつに、Young People's Concertがありました。これは、子供たちを相手に、「音楽とはなにか」を教えるためのコンサート・シリーズだったのですが、子供たちにもわかるように、かといって子供相手だからといって内容を薄めるのではなく、むしろ子供相手だからこそ、根源的なことに訴えかけ、選曲も本格的でショスタコヴィッチなども平気で入っている。こういう形で、若者に自分でものを考えることを教え、そのための道具を与えることこそが、教育の本質だと思います。中学生や高校生が勉強に興味をもつためには、それぞれの分野の第一線でどんなことが行われているのか、それをやることによってどんなことが可能になる(かもしれない)のか、それがどんな意味をもつのか、といったことを、情熱的にかつわかりやすく語ってくれる人を連れてくるのは、とてもいいことだと思います。

歴史の教え方ということの他にも、内容的にも、知らなかったこと、考えたこともなかったことだらけで、とても読み応えがあり、勉強になります。ただでも複雑な時代のことで、高度な内容を扱っているので、さらさらと読み流すというよりは、一章に一日くらいかけて(実際の授業はその形でなされたわけですし)じっくり読むのがおススメです。

こういう先生に、こういう授業で勉強を教わっていたら、人生が違ったんじゃないかと思います。また、アメリカ史なりアメリカ文化なりジェンダー研究なりで、似たようなプロジェクトを、どこかの中学や高校でやらせてもらえたらいいなあなどとも思います。もちろん、こういうことは私立学校だからこそできることで、また基本的学力も高い栄光学園の生徒相手だからこそ大きな問いに対して大きな答えが返ってくるのでしょうが、カリキュラムにおいて自由がききやすい私立学校は、こういった独創的な教育をどんどんやってほしいものです。

ちなみに、加藤陽子先生の「研究の手ほどき」的なウェブサイトはとても充実していて、私はこれもずいぶん勉強になりました。研究者としても、また教師としても、たいへん尊敬すべき人であるのがこれからも明らかです。

2009年12月18日金曜日

海兵隊がやってくる

数日前に、普天間飛行場のグアム移転案について言及しましたが、すでに決定されている8000人の米海兵隊員のグアム駐留がもたらすインパクトについて考察した番組が、アメリカの公共放送であるPBSで放送されました。今ならインターネット上でビデオが観られます。(こういうものが無料でインターネットで観られるなんて、本当に便利な世の中になったものです。)タイトルは、The Marines Are Landing、つまり「海兵隊がやってくる」です。25分足らずの短い時間のなかで、さまざまな視点を紹介しています。島における米軍の存在が急速に拡大することが環境や社会インフラや文化にもたらす負担を住民が認識しながらも、長い植民地化と軍事化の歴史のなかで、米軍への憧れや依存が島民の意識や生活の奥底にまで浸透しまってもいる。アメリカ国民であり、アメリカ本土よりも米軍志願率が高いほど米国への忠誠心をもちながらも、住民は大統領選には投票することができず、国家間の協定や交渉において住民の声は聞いてもらえない。そうした複雑な状況を、効果的にまとめたいい番組ですので、よかったら観てみてください。アメリカの州となって50周年を迎えるハワイとは、違うこともありますが、共通する点も多いです。

2009年12月15日火曜日

『パリ・オペラ座のすべて』

昨日、映画『パリ・オペラ座のすべて』を観て来ました。以前にこのブログで紹介したフレデリック・ワイズマン監督の最新ドキュメンタリーです。彼は、議会や学校、軍隊などの組織のありかたを捉えた社会派のドキュメンタリーを多く制作していますが、それと同時に、自らが大ファンであるバレエをはじめとする芸術関係の作品も作っています。この映画は、世界最古のバレエ団であるパリ・オペラ座のあらゆる側面を映し出したもので、バレエファンにはもちろん、創造的な活動に興味のある人、また、組織のありかたに興味のある人には、大いに楽しめます。

ただし、楽しめる、とは言っても、ワイズマン監督の作品は、現代で主流となっているドキュメンタリーとはずいぶんとアプローチが違います。そして、今の日本のテレビ番組の作り方とはとてつもなくかけ離れたアプローチを使っているので、日本のテレビに慣れた視聴者にはかなり違和感があるだろうと思います。というのは、彼のドキュメンタリーは、なんのナレーションもなく、効果音やBGMもなく、わかりやすい物語性もなく、ただひたすらさまざまな映像を淡々と映し出して行くだけ。しかも彼の作品は概して長く、この映画も160分もあります。今の日本のテレビでは、トピックやキーワードだけでなく、キャスターやコメンテーターやインタビューされている人が言っていることをそのままやたらと文字表示するのを、私は以前から気持ちが悪いなあと思って見ているのですが(聴覚障害者のためのものだったら理解できますが、そうではないようだし、聞いていることと同じことをなぜ文字で表示するのかがわからない。聞いてるだけではこちらが理解できないと思っているのか、とバカにされたような気持ちになるのは私だけでしょうか?)、ワイズマン監督の作品はそれとは対極的で、まったくなんの説明もないまま、ひたすら映像だけが続いていきます。パリ・オペラ座の歴史とか、ダンサーたちがどのような経過を経て入団するのかとか、組織構造はどうなっているのかとか、これほどお金のかかる芸術活動がどのようにして経済的に成り立っているのかとか、ダンサーのキャリアにはどのような試練があるのかとか、振り付け師やダンサーはバレエという芸術の伝統と革新をどのようにとらえているのかとか、そういったことを、わかりやすくナレーションが解説してくれる、といったことがないのです。映像に現れるそれぞれの人が、どういった人物なのかという説明すらない。代わりに、淡々と続いていく映像を集中して見ることで、視聴者自らが、その意味を考え結論を出す、という作りになっているのです。もちろん、監督独自の視点やメッセージは非常にしっかりとしたものがあるのですが、それを理解するには視聴者がきちんと見て考えることを作品も要求するのです。(ワイズマン監督がハワイ大学に講演に来たときに、私は一緒に食事会に出席したことがあるのですが、そのとき、「マイケル・ムーアの作品をどう思うか」と聞かれて、彼は「僕はああいうのはドキュメンタリーだとは思わない」と言っていました。ワイズマン監督の作品とマイケル・ムーアの作品を見比べてみると、政治的・社会的メッセージにおいては大いに通じるものがあるにしても、ドキュメンタリー制作についての考え方はまるで違うのが明らかです。)そうした意味では、ワイズマン監督の作品は、今の10代の若者の多くにはまったく理解されないでしょう。というか、それ以前に、160分もこうした作品をじっと座って観ていられる若者は少ないかもしれません。でも、自分でものを見て考える意思のある視聴者には、たいへん満足度の高い作品です。音楽にせよダンスにせよ、舞台芸術を扱った映画や番組では、時間の制約もあってそれぞれの曲や演目を細切れにしか見せないものが多いのですが、バレエをきちんと理解している監督の作品だけに、まるごとではないにしても、芸術的に意味のある単位で演目を見せてくれるのが嬉しいです。渋谷Bunkamuraではあさって18日(金)で上映が終わってしまうので、興味のあるかたは急いでどうぞ。


2009年12月13日日曜日

ヒューストンでレズビアン市長誕生

テキサス州ヒューストンの新市長に、レズビアンであることを公言している会計検査官のAnnise Parker氏が当選し、ヒューストンは同性愛者を市長にもつ都市としては全米で最大の都市になりました。より小さい都市(私が通ったブラウン大学のあるロードアイランド州プロヴィデンス市や、ハーヴァード大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジ市など)では同性愛者が市長になっている例はありましたが、ヒューストンは220万人の住人のいる大都市、しかも伝統的に保守的な政治風土で、最近の選挙でも同性婚を禁じる法律が成立したテキサス州で、レズビアン市長が誕生したのは、やはり画期的なことです。彼女は、自らの性的指向を前面に押し出すようなことはせず、むしろ会計検査官としての経験を強みにして選挙運動をしてきたものの、1980年代から同性愛者の権利拡大の活動にさまざまな形で携わってきた彼女がヒューストン市長になったことは、LGBTコミュニティに大きな勇気を与えています。(私がこのニュースを知ったのは、Facebookにゲイの友達がこのニュースを投稿していたからでした。)Parker氏は、19年来のパートナーと共に、3人の子供を育ててきた53歳の女性。地元ヒューストンの新聞の記事はこんな感じです。ビデオもありますのでよかったらどうぞ。

2009年12月10日木曜日

ニュースわからないことだらけ

日本の新聞やテレビのニュースは、なにしろ短すぎて、「今日はこういうことがありました」とだけ言われても、もっといろんなことを説明してくれないと、なんのことなんだかさっぱりわからない、ということが多いです。ニューヨーク・タイムズだったら同じ話題で20倍くらいの紙面を使って取り上げるようなことについて、ほんの5行くらいしか説明がなかったりするので、わからないことだらけ。

たとえば、今日の話題で言えば、小沢一郎氏率いる訪中団。600人って、ただごとではないと思うのですが、これは一体どういう意味があるのでしょうか。議員数名を連れて中国共産党の首脳と会談をするというのならともかく、議員140人を含む600人が一斉に訪れるというのは、明らかになんらかのメッセージです。ではそのメッセージはなんなのか。その基本的なことをきちんと問いかけている(そして答えている)報道をまだ見ません。「小沢氏の政治力を示す」という説明もありますが、それじゃあいくらなんでも分析に欠けていて訳がわからない。だいたい、この600人はいったい中国に行ってなにをしているんでしょうか。小沢氏本人は明日はもうソウルに移動するらしく、残りの一団は、「数グループに分かれて軍事施設や汚水処理場を視察」し、「万里の長城を見学」する予定らしいですが、果たしてこれにはどういう意味があるんでしょう。訪中が悪いというのではありません。どう考えても中国はこれからの世界でたいへんな影響力をもつ国ですから、政治家が積極的に中国との交流を図るのは大事なことですが、だからこそ、それをやる政治家はきちんとした理念と方針をもって、それを報道するジャーナリズムは深い分析をもって、国民に伝えてほしいものです。

そして、いよいよ暗礁に乗り上げてしまったらしい普天間問題。グアムを訪問した北沢防衛相が、「グアム移転は日米合意から大きく外れる」と言ったそうですが、これはいったいどういう意味なのかもよくわからない。グアムでなにを見てそう判断することになったのか。地勢的条件や設備の問題なら、わざわざ現地に行かなくてもわかるだろうし、そもそもなぜ日本の防衛相が、アメリカ領であるグアムを米軍基地の移転先候補として視察に行き、「日米合意から外れる」と判断するのか。北沢氏が「グアムで結構」と判断したらグアムに移転することになったのか。まるで日本とアメリカの政府の意向でグアムはどうにでもなるかのような話の流れですが、グアムには18万人の住民がいます。そこに既にこれから8000人の海兵隊員(その家族や関係者を入れると3万人にもなると言われている)が駐留しようとしていて、そんな小さな島にどーんと米軍が押し寄せたら、社会的にも経済的にも自然環境的にもいろいろなインパクトが及ぶのは必至。グアム知事は「グアムには受け入れ態勢がない」と言っている。だいたいグアムの住民の意向はどうなのか。なぜそういう問いが報道に出てこないのでしょうか。沖縄住民の我慢ももう限界に達しているし、もちろん早く普天間から基地を移転させることはとても重要ですが、「自分の県や自分の国の外であればなんでもいい」という主張では、軍事再編の根本的な問題は解決されないので、基地反対の活動家も、ジャーナリズムも、より大きな視点で問題をとらえてほしいです。

2009年12月7日月曜日

既婚者は読むべし

「既婚者は読むべし」と未婚者の私に言われてもまったく説得力がないかも知れませんが、まあそれはよしとしましょう。今週末のニューヨーク・タイムズ・マガジンのメイン記事で、同紙のなかで「その日にもっとも読者が知人にメールした記事」の一位になったのが、この記事。Married (Happily) With Issues、すなわち、「問題を抱えながら(幸せに)結婚生活を送っている」、という意味のタイトルです。結婚して9年になる著者が、とくに危機を迎えているというわけではないけれども、なんとなく仕事や子育てや日常の雑事のなかでマンネリ化したり受身になったりしてしまいがちな夫婦関係を、より活性化しようと思い立って、渋る夫を駆り立てて「結婚生活活性化」を試みる、その体験にもとづいたエッセイです。私は自分が結婚していないからこそ、多少距離をおいて「なるほどねえ、そういうもんだろうねえ、ふむふむ」などと面白がって読んでいますが、既婚者、それも結婚して5年以上がたつ既婚者にとっては、読んでいて心理的になかなか疲れるエッセイかもしれません。それでも、この記事が「その日にもっとも読者が知人にメールした記事」になっているということは、やはりたいへん興味をもって世界の読者が読んでいるということですから、一読の価値はあるでしょう。(ただし、ニューヨーク・タイムズ・マガジンのメイン記事がたいていそうであるように、かなり長文の記事です。このブログで何度も書いているように、こういう記事がこういう媒体に載るということだけでも、アメリカのメディアのすごさを感じます。まあ、長いですが、英語はそんなに難しくないし、愉快で面白いですので、どうぞ。後半にはセックス活性化の話題もあり。)

「結婚生活活性化」のために、著者は、結婚生活のハウツー本を買ってきて、それに載っている課題や練習問題に夫と一緒に取り組んだり、カップルズ・セラピー(こういうものに通うアメリカ人カップルが少なくないことは『ドット・コム・ラヴァーズ』でもちらりと言及しました)に通ったりと、なんとも懸命な努力をします。そうした「課題」のなかには、アメリカではよく知られているものもあるし、「なるほどねー」と思うようなものもあります。カップルズ・セラピーでよく課される「練習」は、二人でセラピストのオフィスで座っているときに、一人が、自分の今の気持ち(相手にxをされたときに自分がどういう気持ちになるか、ということでもよい)を正直に言う。このときに、あれやこれやと理屈を言って「考え」を述べるのでなく、自分の正直な「気持ち」「感情」を述べることがポイント。(たとえば、「私はあなたが私の話をうわの空でしか聞いてないような気持ちがする」とか、「僕がなにをやっても君には気に入ってもらえないような気持ちがする」とか、「あなたと話していると、私が自分の親や友達と時間を過ごすことがまるで悪いことみたいな気持ちにさせられる」とか。)そして、その直後で、もう一人が、今その相手が言ったことをそのまま繰り返して言う。そのときに、相手の言うことについての自分の反応や意見は一切挿入せずに、今自分が聞いたことをただそのまま繰り返すことがポイント。このエクササイズを何度か繰り返すことで、二人は、相手の言っていることにきちんと耳を傾けているか、言おうとしていることや気持ちを本当に理解しているか、どれだけオープンな気持ちで相手のことを受け入れているか、ということが試される、とのことです。何回か繰り返すどころか、一人が言ったことに対して相手が即座に反論を始めて大喧嘩が始まり修羅場になる、ということも少なくないらしい。確かに、なかなか苦痛ではあるけれども、練習としては効果があるような気はします。他にこの記事で出てくる「練習」は、「あなた/君が...してくれるときに私は愛されて大事にされているんだという気持ちになる」という文の...に入る言葉をなるべくたくさん考えて、完成させた文を相手に言う。また、恋愛初期の頃のことを思い出して、「あなた/君が...してくれたときに私は愛されて大事にされているんだという気持ちになった」という文も作る。などなど。

こういう「練習」は、当然ながら、自分そして相手の心の深い奥底に、ときには故意に、ときには無意識のうちに、埋め込んであった、感情やら過去の経験やらコンプレックスやらを掘り起こすことになって、そうした現実にきちんと立ち向かった上で人間関係や愛情を築き直すということにおいては重要ではあるけれども、それと同時に、しまって整理がついていた(と少なくとも思っていた)ものをわざわざ掘り返すことで不必要にことをややこしくしたり傷つけ合ったりしてしまうこともじゅうぶんありうる。それがうすうすわかっているからこそ、多くの人はこういう改まった「活性化」作業を避けて何年も、ときには何十年も、「なんとなく」の結婚生活を続けるのではないでしょうか。それで日常生活も自分の精神状態もふたりの関係も円滑にいっているのなら、それで悪いということはないでしょう。が、この著者はある日、「仕事や友達関係や子育てに関しては、優等生の私はつねに『努力』をしてきた。なのになぜか結婚生活に関しては『努力』をするということを思いつかなかった」ということに気づき、ひとつのプロジェクトのようなつもりで、「結婚生活を充実させるための『努力』」に励むことにした、とのこと。ここで、えへん、『ドット・コム・ラヴァーズ』より引用:

どんなに似通った背景で育った二人でも、結局は別の人間なのだから、恋愛初期の、どきどきわくわくでいっぱいの時期を超えて、長期間の深い関係を続けていくためには、相手を理解する努力を続け、二人の関係をつねに評価し合わなければいけない。どんな関係でも大小いろいろな問題があるのは当然で、そうした問題から目をそらすことなく、二人で向き合って乗り越える努力を続けなければいけない...
付き合い始めの頃には、自分のことを気に入ってもらおうとしたり相手を幸せにしようとしてせっせと努力をするが、いったん結婚したら、よくも悪くもその関係は一生続くものとの前提のもと、そうした努力をさっぱりやめてしまう男女は、世の中にたくさんいる。そこまで極端でなくても、多くの人は、ステディな関係に入ったり結婚したりしたら、だんだんと相手の存在と愛情を当然視するようになって、関係を深めるためあるいは維持するための意識的な努力を減らしてしまうのではないだろうか...(231−232)

というわけで、結婚しているかたは、是非この記事を読んでみてください。ちなみに、セックスライフの部分は、他の「練習」よりも意外なほど簡単に「活性化」に成功したらしいです。(笑)

2009年12月5日土曜日

3人の天才男と過ごす雨の一日 — バッハ、イシグロ、チョムスキー

昨日は寒いし雨だし外に出たくないので、一日家でゆっくり、3人の天才男たちと過ごしました。過ごしましたといっても、彼らが町田の田舎の団地にやってきたわけではないですが、町田の田舎の団地にいながらにして彼らの才能と仕事に触れ、刺激と感動を味わえるというのは、この上ない贅沢です。

まずは、J. S. バッハ。このブログを読んでくださっているかたは、私がピアノを弾くことはご存知のかたが多いでしょうが、私は町田に来てから、実家に置いてあったアップライトのピアノを運んできて、ちょろちょろと弾いています。こちらに来てからは定期的なレッスンに通っていないので、我流できわめて非体系的に練習しているだけですが、それでも、音楽はやはり右脳と左脳を両方使うので満足感があります。しばらくバッハ=ブゾーニのシャコンヌに取り組んで以来、新たに長い大曲を始める気力がなかなか出ないので、バッハの平均率第二巻の曲を次々に弾いているのですが、いやー、弾いたり聴いたりするたびに(とくに楽譜を見ながら聴いていると)、バッハというのは、天才を通り越して、遺伝子の突然変異かなにかで生まれてきた、ちょっと異常な人間だったのではないかと思います。バッハがスゴいのは当たり前で、改めて言うのも馬鹿馬鹿しいくらいですが、それでも言わずにはいられない。人間業とは思えない数学的な構成と、それによって生まれるこれまた信じられないくらいの美しさ、そして、見事なまでに形式的に整った流れのなかで、そこかしこでぎょっとするような遊びや工夫がなされていて、それらが合わさって、均整のなかからものすごいメッセージが伝わってくる。私は、バッハの音楽を知ることができただけで、この世に生まれてきた甲斐があった、これらの曲を少しでも自分なりに納得がいくように弾けるようになるためだけにでも、長生きしようと思うくらいです。

私が子供時代ずっとついていたピアノの先生は、素晴らしい先生であり、同時にかなり変わった先生でした。毎回バッハの新しい曲を始めるときには、レッスンの最中に、私をソファーに座らせ、先生のレコードコレクションのなかから5枚ほどのレコードを一緒に聴く、ということをしていました。確か、リヒテル、グルダ、ブレンデル、グールド、とあと一人は誰だったか忘れてしまいましたが、とにかく、特にバッハのような音楽に関しては、無限に解釈と演奏のしかたがあって、どれが正しいというものではない、けれども演奏の巨匠たちがそれぞれどんな演奏をするのかを聴き比べてみることは大事である、ということを、小学生相手に教えていただいたのは、とてもありがたいことでした。毎週土曜日の午後がレッスンだったのですが、夕方日が暮れる時間になると、「鍵盤に向かっていることよりも人生には大事なことがある」とレッスンを中断して、夕日の見える部屋に二人で座って日が沈んで空がいろいろな色に変化する様子を眺めること15分ほど。なにもわかっていない小学生だった当時は、レッスンというものはそういうものなのだろうと思っていましたが、今考えるとなんと贅沢な教育を受けたのだろうと思います。ちなみに、私が最近聴いているのはAngela HewittのCDです。現代のピアニストのなかではバッハに関しては彼女は世界でトップのひとりだと言われています。はたして本当にそうかどうか、他の演奏をたくさん聴いてみないと判断できませんが、iTunesのいいところは、CDをまるごと買わなくても一曲ずつダウンロードできることですね。そういう聴き方が、クラシック音楽のCDの聴き方として正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず、ひとつの曲のいろいろな解釈を聴いてみたい、というときに、平均率第二巻のCDばかり何枚も買うような財力はちょっとないので、その点、一曲ずつ聴けるのはとても便利。

次の天才は、カズオ・イシグロ。私は彼の小説はすべて読んでいて、なんともイギリス的(これはステレオタイプ以外のなにものでもないかもしれませんが、まあ私にはそう思える)で独特な内省的な心象風景とか、表面的な言葉のコミュニケーションと本当に言おうとしていることがまったく噛み合わない状況とか、自分に勇気がなかったために大事なものを永遠に失ってしまったことへの後悔とか、そういった世界を完璧にコントロールされた言語で作りだす、天才的な作家だと思っています。そしてまた、なんとも言えぬ不気味な雰囲気、なにかこれからものすごくオソロしいことが起こりそうな感じ、というのを描くことにかけては、イシグロ氏に勝る作家はあまりいません。今回読んだのは、彼の短編集、Nocturnes。音楽がテーマになっているという点でも興味があったのですが、これは彼のこれまでの作品のなかでも一、二に入ると思います。同窓会で大学のクラスメートと20年ぶりに会って間もなく読んだのでなおさら感慨深い気持ちになったのかもしれませんが(40代の主人公が多いのです)、それを別にしても、愛情とか夢とか理想とかいったものが、時間とともにどのように形を変えていくか、そうした変化に人がそれぞれどんなふうに立ち向かったり折り合いをつけたりするか、その懸命でもあり哀しくもあり滑稽でもある(この本に関してはこの「滑稽さ」の描き方が卓越していて、私は読みながら声をあげて笑った箇所がいくつもあります)さまが、シンプルでエレガントな文章で描かれています。読んでしばらくは味わいのある余韻に浸ることができます。翻訳も出ていますが、英語自体は全然難しくないし、イシグロ氏の言語世界にぜひ触れていただきたいので、原文で読むことをおススメします。

最後の天才は、故エドワード・サイード氏(ここでサイードについて書き始めてしまうときりがないのでやめておきますが、私の研究者としての起源の多くはサイードの『オリエンタリズム』〈上〉 〈下〉 にあります。本当は原書で読んでいただきたいですが、学者以外のかたには、まあ翻訳でもいいかな。今となっては古典ですが、何度読み直しても新たに学ぶところがある本です。数ある研究書の名著のなかでも、こういう本はなかなかあるものではありません)を追悼・記念して開催されているコロンビア大学の講義シリーズの一環で行われた、ノーム・チョムスキー氏の講演。チョムスキーを、「現代最高の知識人五人」に入れる人は多いでしょう。もともとは言語学者ですが、歴史や政治など幅広く研究そして言論活動を行い、とくにアメリカの外交政策に鋭い批判をし続けています。知的にも倫理的にも最高レベルの人物で、彼のことを「アメリカの良心」と呼ぶ人も少なくありません。この講義でも、冷戦終結後の国際関係がどのように変わったか変わっていないか、「帝国主義の文化」を軸に語り、オバマ大統領へも鋭い矛先をむけています。この講演を、町田の部屋で見られるというのも、YouTubeのおかげ、また、この講演をYouTubeで見られるということを私が知ったのも、Facebookのおかげです。

というわけで、昨日は実に贅沢な雨の一日でしたが、晴れた今日は、どんな天才とともに過ごそうか、考えているあいだに半日過ぎてしまいました。このあたりに、私の凡才ぶりが表れていますね。

2009年12月4日金曜日

天野郁夫『大学の誕生』

先週末、大学一・二年生時代のクラスの同窓会をしました。私は幹事のひとりだったので、人探しだの名簿作りだのといった準備をしているあいだに、運動会前の子供のように、始まる前からワクワクドキドキ勝手に興奮していたのですが、実際の集まりは大成功で、参加者みんなが心から楽しんでいたようなので、本当にやったかいがあったと思えました。このクラスは、大学の初めの二年間に語学や体育実技の授業を一緒に受ける50人ほどのクラスなのですが、なにしろバブルで遊んでばかりいて授業にほとんど出なかった人もけっこういるし、軟派対硬派(まあ、1980年代の東大の「軟派」と言ったって、全然軟派じゃないのですが、まあこれは内部での相対的な比較です)だの、東京出身者対地方出身者だの、政治活動家対ノンポリ(「ノンポリ」であるということがひとつのアイデンティティの印として機能していたということが今考えるとスゴいような気もする)だのといった、さまざまな分類によって、交際範囲はかなり限定されていて、二年間をともにしたクラスメートのなかにも、当時はほとんど口をきいたことがなかった人というのが結構たくさんいるのです。だから、20年を経た今になってその当時の人たちと集まっても、果たして楽しいのかどうか、そもそも会ってもお互い覚えていない人が多いんじゃないか、などといった不安を抱えながら、おそるおそるやってきた人も少なくなかったようです。が、実際集まってみると、そんな心配はまるで無用で、それこそ不思議なくらいのポジティヴな空気が場内いっぱいに漂う一夜となりました。単に、久しぶりに会う友達とわいわい騒いで楽しかった、というだけではなくて、クラスで一緒だったときの年齢の二倍の年齢になった今、それぞれの人が、あの時代の自分を思い出したり、それから20年のあいだに自分が生きてきた人生を振り返ったり、人とのつながりということについて改めて考えたりするきっかけになったのだと思います。そして、昔はろくにしゃべったこともなかった相手、正直言って「うざったい奴だな〜」とか「訳のわかんない人だな〜」とか思っていた相手とも、こうしてお互い大人になって会ってみると、なかなか魅力的で面白い人間であるということがわかって、昔の知り合いと新しい友達になったような、不思議な幸せ感を味わう、というのもあったと思います。また、このトシになるとやはり、いろいろな山あり谷ありの経験をしてきている人も多く、そうしたものを乗り越えて、大きくも強くも優しくもなって前に進んでいる姿を見ると、とても勇気づけられます。というわけで、いろいろな意味で感動の多い集まりとなり、幹事は勝手に大満足しております。

さて、大学といえば、少し前に、「東大本はもうやめよう!」という投稿をしましたが、私は最近、天野郁夫『大学の誕生〈上〉ー帝国大学の時代 』を読みました。これはとても読み応えがあり、勉強になり、面白い本です。どうせ東大に関係する本を読むのなら、絶対これを読むべきです。本全体が東大の話ではもちろんないのですが、現在の東大が組織の形としても教育や研究の内容としてもなぜ今のようなものになったのか、日本の社会で東大が占めているような位置を占めるようになったのはどういういきさつによるものなのか、他の国立大学や私立大学と帝国大学の関係はどのようにしてできたのか、という歴史が、とてもよくわかります。私は知らなかったことをたくさん学び、「おー、なるほど、こういうわけだったのか!」と線を引いたり付箋をつけたりしながら読みました。明治期に官僚を初めとする国家のリーダー養成の目的で帝国大学が作られたということくらいはわかっていましたが、特有な近代化の過程をたどった明治の日本が急いで大学制度を整える上で、中世ヨーロッパの大学の伝統、フランス型の「専門学校」、ドイツ型の「国家の大学」、アメリカ型の私立大学など、いろいろなモデルがあり、結果的には多様なそれらのモデルが合わさったような形の大学制度ができあった、ということ。また、医師や法律家のための国家試験の仕組みが、大学の整備と絡み合って制度化されていったこと。また、西洋の学問を輸入するという急務が、初期の大学教育のありかたをどのように形作っていったかということ。などなど。(水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』を読んだかたにはこの本はなおのこと面白いはずです。)また、私はアメリカの大学の仕組みから考えるとさっぱり理解できなかった「講座制」というものがいったいどのようにしてできたのかも始めて知りました。日本の大学のありかたには、私は大いに疑問を感じることが多いのですが、なにごとも、改革をするにしても、まずはなぜ今のようになったのかというきちんとした歴史的理解が必要ですので、その点で、この本はとても重要です。大学教育や学問、言論のありかたについて興味のあるかたにはおススメです。というわけで、「東大生の勉強法」の類の本を読むヒマがあったら、こちらを読んだほうが、ずっと勉強になります。