2017年11月14日火曜日

3.11、日本語の世界と英語の世界、そして『母の遺産』の二つのエンディング

先週はAmerican Studies Associationの年次大会でシカゴに行ってきました。大きな湖に面し高層ビルの合間をとりわけ冷たい風が吹き抜けるので有名なシカゴは、連日氷点下で雪まで降る始末。 到着して慌ててユニクロに駆けつけヒートテックやらダウンのベストやら毛糸の帽子やら手袋を買い込みましたが、最近はロスでさえ寒いと感じている私は、連日会議やらセッションの司会運営で忙しかったのを口実に、結局5日間ほとんど学会会場のホテルを出ずに終わりました。

さて、しばらく前に依頼されていたエッセイがオンライン媒体に掲載されましたので、ご紹介しておきます。水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の英訳をしたことがきっかけで声をかけていただき、「海外(ここでいう「海外」とは「アメリカの外」という意味です)の文学、作家、言語活動などになんらかの形でかかわるものなら内容は問わない」ということだったのですが、依頼を受けてすぐに、3.11のことを書こうと頭の中で決まりました。3.11を日本で体験したことは私にとって決定的なインパクトをもち、また、あの時に感じた日本と世界の関係、とりわけ「日本語の世界」と「英語の世界」の関係については、いずれじっくり考えて文章にしたいと思っているのですが、このエッセイの依頼を受けたことでそれに向けてのごく小さな一歩を踏み出すことができました。

とはいえ、いざ書き出してみると、あの時期に感じたことは今でもほとんど身体的なレベルで思い出すものの、それを整理しようとすると何が言いたいのか自分でもわからなくなってきて、短い文章なのに(いやむしろ「短い文章だから」というべきか)、まとめるのにけっこう苦労しました。でも、私にとって、「『日本語の世界』と『英語の世界』」というテーマは、水村さんの一連の作品と密接に結びついているので、こういう形で自分の体験と水村さんのお仕事を結びつけることができたのは嬉しく思っています。英文ですが、3.11を扱ったもので、学術的な文章ではない(ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』について知っていたほうが後半は理解しやすいですが)ので、日本のみなさんにも読んでいただけたら嬉しいです

さて、このエッセイを書く過程で、とても興味深い事実を発見しました。

水村さんの『母の遺産』の単行本が発売された5年前から今までのあいだに、 私は親しい友達を病気で亡くしたり、自分の遺言その他の手続きをしたりしたこともあって、今回読み直してみると初めて読んだときとは違った感動がありました。とりわけ感じ入るのが結末の部分。主人公美津紀の優しさと高潔さ、勇気ある決断に心打たれ、姉奈津紀との関係に「私にもこんなお姉さんがいたらな〜」と単純に羨ましくなり、母親への交錯する思いに涙し、と、小説の文学的な取り組みとは別次元の個人的感情移入で反応してしまうのですが、幅広い読者にそのような感情移入をさせるところこそが小説の醍醐味でもあります。

そして、この小説が3.11で終わっているところがなんともすごい。美津紀ががんじがらめになっていた困難から 解放され、新しい人生へ踏み出そうという矢先に、3.11の衝撃と混沌が降ってくる。そしてその後の桜の開花をみて、これからの人生への勇気を得、これまでの人生を受け入れ、「自分は幸せだ」という認識に至る、という形で結末を迎える。この小説のもとの讀賣新聞での連載は20114月に終わっており、つまり、水村さんがこの作品を執筆していたときには、東日本大震災が起こるなどということは知る由もなかった。日本があんなことになるとは想像すらしないなかで構築された小説なのに、3.11がきわめて必然的な結末となって完結している。驚くほどのリアリティをもって「日本の今の現実」を描いたこの連載小説が結末を迎えると同時に、その読者も美津紀と同じように、これからの人生、これからの日本に向かって勇気をふりしぼって歩みだしていく。これぞ新聞小説だ〜!

と再度感激していたのですが、なんと!

エッセイを書く過程でこの小説を最近読んだ友達とやりとりしていたら、どうも話がかみ合わない。おかしいなあとお互い思いながら、もしや、と確認してみると、なんと、私が読んだ単行本バージョンと、彼が読んだ文庫本バージョンでは、少しだけ、でも決定的に、エンディングが違っていることが判明!

2012年発売の単行本バージョンでは、上記のように3.11への言及が直接的になされているのに対して、2015年発売の文庫本バージョンでは、3.11への言及はなく、美津紀が引越し先のマンションの窓から桜が咲いたのを見るところで終わっている。

それはそれで感慨深いのですが、3.11のときの自分の思いを美津紀に重ね合わせていた私としては、3.11に言及することないあの小説の終わりかたがあるということ自体が衝撃。エッセイを書いていたときには、小説が3.11で終わるということを前提に書いていたので、Juliet Winters Carpentersさん(「日本語が亡びるとき」を一緒に英訳したかたです)の英訳はどちらのバージョンなのか(英訳もハワイにあるのですが、今いるロスに持ってこなかったのですぐ確認できなかったのです)、なぜ3.11への言及を文庫版で削除したのか、水村さんご本人に問い合わせてみました。すると、

当然のことながら、東北大震災は小説の当初の構想には入っていなかった。それがちょうど連載が終盤を迎える頃に震災が起こり、当時のどのメディアも東北大震災一色だったので、「今」を扱っている新聞小説でそのことを扱わないというのはおかしいように思ってああいう結末にした。だが、時間が経ってみると、3.11への言及はやはり浮いてしまったような印象を持った。美津紀の、控えめながら前向きに生きていこうという認識は、その前に小説内のロジックで達している認識であって、3.11は必要ない。また、3.11以来他の作家がこぞってそれについて書いていたので、それが他人の不幸を搾取しているようにも感じられ、それを避けたいという思いもあった。そう思って文庫版では削ってしまった。

とのことでした。


そう説明されると納得するのですが、さまざまな立場で3.11を経験した日本の読者の多くが、美津紀に身を重ねてあの結末に勇気を得ていただろうと思うと、削られてしまったのは少しもったいないようにも感じられる。3.11への直接の言及があるのとないのとでは、小説全体の示唆するところが微妙に違うようにも感じられる。いずれ、「『母の遺産』のふたつの結末」についてエッセイを書いてみようか、などと思ってしまうのは、研究者・物書きとしての職業病的性質でしょう。『母の遺産』を未読のかたにはちょっとネタバレになってしまいましたが、既読のかたには、自分の読んだバージョンとは違うエンディングがあるということを知って、どう感じられるでしょうか?