2021年8月18日水曜日

親中・嫌中では捉えられない海峡を超えた力学とネットワーク 『中国ファクターの政治社会学』

『中国ファクターの政治社会学 台湾への影響力の浸透』を読みました。(情報開示:この本の編者であり監訳者である川上桃子さんは、私の仲良しです。)

私は台湾からの優秀な学生を何人も指導していることや、台湾出身の素晴らしい仕事仲間がいることなどから、勝手にぼんやりとした親しみを感じている台湾。そして、アメリカの大学や音楽界の状況においても無視する訳にはいかない「チャイナ・ファクター」。香港から届く心痛ましいニュースに見る中国の影響。そんなこんなで、自分の専門分野とは違うのですが、とても興味を持って読みました。

私にとって一番面白いのが、第三章。アメリカ人(白人男性)研究者が中国人団体観光ツアーに同行して台湾を見るエスノグラフィー。中国の観光業者や台湾のガイドがどんな台湾をどうやって中国人の観光客たちに見せたり演じたりするか、それに対して観光客たちはどう反応するか、といった様相が、エスノグラフィーならではのthick descriptionで描かれていて、キョーレツに面白い。淡々とした語り口に笑ってしまうような箇所もありながら、ウームと考えさせられます。その前の第二章と合わせて、観光という一見政治とは無関係な活動が、どのように大きな地政学の中で実践されるか、いろいろなヒントを与えてくれます。

中国企業の台湾投資を扱った第五章も面白い。政治とは違ったロジックで動くビジネスの世界、でも当然ながら、政治から独立した形で資本が動くわけではなく、中国・台湾それぞれの政府の政治目的がさまざまな形で作用する中で、中国企業はひっそりと台湾での事業を展開し、台湾企業のほうもあれこれの思惑を検討しながら中国資本を受け入れる。なるほど。

第六章の教科書論争についての論考も、ごく基本的な次元で、そうか、教科書論争というのは台湾にもあるんだな、そしてこういう風に表出するんだなと、なるほどなるほどと思いながら読みました。
共編者であり監訳を担当した川上桃子さんがこの本について語るインタビューが、ブックラウンジアカデミアのポッドキャストで配信されたばかり。とてもわかりやすくて良いのでオススメです。(ちなみにこのブックラウンジアカデミアは、毎回とても面白くて、私は料理をしながら聴くのを楽しみにしています。すっかりファンになったので、自分もインタビュアーとして登場させてもらうことにしました。それについては追ってまたお知らせします。)

2021年8月9日月曜日

ピアノはモノである 田中智晃『ピアノの日本史』

 私は1968年生まれ。育った東京のマンションの4畳半の部屋にはヤマハのアップライトピアノがあり、3歳でレッスンを受け始めました。そのピアノは、今もその実家にカバーがかかり、物置き台となって残っています。私の世代の人たちの約五分の一が似たような経験をしているはず(1979年に国産ピアノの出荷台数はピークを迎え、2000年時点で日本におけるピアノの普及率は21%)。そして、日本の楽器産業は現在圧倒的に世界をリードしている。なぜそうなったのか?それを見事に解明してくれるのがこの本、田中智晃『ピアノの日本史 楽器産業と消費者の形成』。かなりどっしり感のある本ですが、面白くて一気に読了してしまいました。

戦前の複数の日本企業がピアノ製造法を学んで国内での生産と流通システムを作り、戦後にヤマハが高品質を保ちつつ大量生産を可能にする製造技術を開発し、日本の一般家庭にピアノを付随サービス付きで届けるとともに海外市場を開拓し、ブランドを確立して世界トップの楽器メーカーになる過程を、丁寧なデータ分析で解説。でも(少なくとも私にとって)この本で一番面白いのは、その生産の仕組みの部分ではなく、それを継続していくためにピアノ製造業者が考案してきたあれこれの市場開拓や流通システム整備の部分。ピアノとは音楽という芸術のための楽器であると同時に、近代産業の産物であり、モノであり、製品である。それも、やたらと部品が多くて生産には高度な技術が必要、安くなったとは言ってもそれなりに高価、たいていの消費者は一度買ったらそうそう買い換えない、買っても弾けるようになるためには相当の学習が必要、家のスペースを食う、騒音問題あり…など、あれこれややこしい性質を帯びたモノ。そうした性質ゆえ、いくら製造技術を改良し続けても、誰もがテレビや冷蔵庫を買うようにピアノを買うわけではないし、やがて市場は飽和状態になること、すなわち「斜陽化」を、製造業者はある時期からちゃんと見越していた。それに対応するために、あれこれの事業展開を進めてきた。その部分がたいへん面白いのであります。著者は流通史の専門家なので、特約店の仕組みはとりわけ丁寧に分析されていて、「なるほどそういうことだったのか」と腑に落ちることたくさん。私には、とくにヤマハ音楽教室の話がものすごく面白い。カワイが始めた予約販売の話(「ヤマハレディ」への言及がちょっとあるんだけど、もっと知りたい!)も面白い。電子楽器やプレイヤーピアノをめぐる試行錯誤の話も面白い。そしてまた、海外市場の話も面白い。…と、「面白い」という面白くない単語を何度も繰り返してしまうくらい、興味深いデータと分析が満載。テクニカルな情報が多いにもかかわらず、文章も明解で読みやすいです。
個人的には、国内外の労働面(工場の従業員とか、調律師の養成とか、ディーラーの研修とか)についてもっと知りたった気もします。マーケティングについてももっといろいろ分析できそう。また、実に素敵な表紙でも示されているように、一般消費者にとってピアノという楽器は特有のジェンダー化された意味づけがされているので、それが生産・流通・消費の過程でどう作用しているのか、もっと正面からの分析も欲しい(←自分でやれと言われそうなので、はい、やります)。そして、グローバル市場での「日本企業」としてのヤマハの意味付けも知りたい。最後の最後で触れられている、中古ピアノ市場についてももっと知りたい。…などなど、さらに知りたいことが次々に頭に浮かぶということ自体、脳を刺激するよい本の印。これじゃあ何が何だかわからないというくらい、付箋がいっぱいになってしまいました。オススメです! 


2021年8月8日日曜日

「アジア人ですが、なにか? 〜クラシック音楽と人種・ジェンダー・文化資本の力学」オンラインセミナー 8/22(日)より全3回

 南カリフォルニアで2週間を過ごし、10日前にホノルルに戻ってきたのですが、デルタ株によりハワイでは(も)新規感染者数が猛烈な勢いで増えています。ロスでは満員(!)のハリウッドボウルでデュダメル指揮、ヴァイオラ・デイヴィスのナレーションによる「ピーターと狼」を聴いてきましたが、今ではもう何時間も飛行機に乗ったりたくさんの人が集まるところには行く気にならず、行ける間に行っておいてよかったです。

さて、2週間後の8/22(日)より全3回で、オンラインセミナーをします!題して「アジア人ですが、なにか? 〜クラシック音楽と人種・ジェンダー・文化資本の力学」。読んでいただいているかたにはすぐわかるように、拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか? –– 人種・ジェンダー・文化資本』をもとにした内容です。この本が日本語で刊行されたのは2013年、原著である英語版が出たのが2007年、そしてメインのフィールドワークをしたのが2003〜2004年なので、それ以来けっこうな年月が経っているのですが、興味深いことに、ここ一年間立て続けに、このテーマについての取材や講演や執筆の依頼を受けています。つい最近も「ズーカーマン事件」とも呼ぶべき出来事があり、それを受けてニューヨーク・タイムズに掲載された記事でも、名前は載りませんでしたがかなり長時間の取材を受けました。クラシック音楽界におけるアジア人の活躍がさらに広がっているだけでなく、ブラック・ライヴズ・マター運動の流れの中で文化芸術界にもさまざまな問いかけがなされるようになり、また、コロナ禍で急増しているアジア人への暴力などの状況において、「西洋のもの」とされているクラシック音楽における「アジア人」の位置づけや、音楽と人種の関係といった問題が改めてレレバンスを持ってきているのを実感しています。

本を読んでいないかたにもわかりやすいように内容を紹介しながら、本の刊行後のクラシック音楽界やアメリカ社会の展開も視野に入れ、また、自分で本を振り返っての反省や、「今この本をアップデートするならこんな風に」といった話もするつもりです。聞き手は、去年のオンラインセミナーと同じく、坂元勇仁さんが務めてくださいます。見逃し配信もありますので、リアルタイムでの参加ができないかたも、ふるってお申し込みください!質問・コメント大歓迎です!

申し込みはこちらからどうぞ。