2018年10月20日土曜日

カバノー最高裁判事、#MeToo、そして「イヤーブック」

中間選挙もいよいよ差し迫ったアメリカで、ここ1ヶ月ほどアメリカ中をたいへんな騒ぎに巻き込んだ、カバノー最高裁判事候補の10代のときの性暴力疑惑。9月27日に行われた上院司法委員会での公聴会は、多くの人が、街頭で立ち止まって、あるいはバーやレストランで会話を止めて、テレビ中継を見入ったり、あるいは仕事の手を休めてコンピューター画面でネット中継に見入ったりする(私自身もそうだった)ほど注目度が高いものでした。

そして、見ていた女性たちの非常に多くが、SNSなどで、ブラゼイ・フォード氏の証言を「涙なしには見られなかった」、あるいは「辛すぎて見られずに画面を消した」などと述べていました。30年近くも前のことであるはずの1991年のアニタ・ヒルの証言が、まるで昨日のことのように脳裏によみがえってくる上に、性暴力の被害を受けた経験のある女性にとっては、ブラゼイ・フォード氏の証言はまるで人ごとではなく、自らのトラウマや、それについて長いこと誰にも話さずに生きてきた人生を振り返るトリガーになったのです。そのような女性が世の中にどれだけ多く存在するか、ということを、ここ1年間の#MeToo運動が露呈しており、その果てのカバノー候補の承認は、憤りとも悲しみとも絶望ともつかぬ思いを、多くの女性に抱かせています。


アメリカでの大騒ぎぶりに比べると、日本では比較的報道が少なかったようなので、背景説明やことの経緯についてあまり知らないかたには、こちらの解説をおすすめします。


この件については、すぐには整理できないほどたくさん言うことがあるので、まとまった文章を書くのはもう少し時間をかけて考えてからにしますが、公聴会やメディア報道で話題にのぼった「イヤーブック」について記事を書きましたので、読んでいただけると嬉しいです。

カバノー氏のイヤーブックを解読した記事や、公聴会の顛末についての分析は、数えきれないほどあるので、ここではいちいち挙げませんが、この記事でも言及している、「レナタを卒業したヤツら」という表現についての、ニューヨーク・タイムズの記事はこちらです。




追記  以前のUSオープンについての投稿は、非常に多くのかたの目に触れ、たくさんの読者からコメントをいただきました。私と視点や意見を異にするかたのコメントからとくに多くのことを学ぶと同時に、もとの文章では自分が伝えようとしたことが明瞭に伝わらない側面もあったのだと反省もしました。さらに考えを整理していずれ投稿し直そうとも思いますが、いただいたコメントにかんしては、あまりの数の多さに、正直言って時間的にも精神的にも対応できない状態となりました。コメント欄を設置しておきながら、わざわざコメントを送ってくださる読者に対してなにも反応しないのは不誠実であるとの指摘を何人ものかたからいただき、それはその通りだと思うので、これにてコメント欄は閉じることにいたしました。私の投稿についてコメントのあるかたは、それを私や他の読者に伝えたり読者同士で議論したりする術や媒体が他にもありますので、それらを使っていただくようお願いいたします。