2011年9月15日木曜日

ブラウン大学シモンズ総長辞任

2001年9月11日のテロ事件から10年、アメリカでは各地でさまざまな追悼行事が開催されたり、各種メディアがこの10年を振り返る特集をしたりしています。私は2011年9月11日には、普段と同じように車を運転して大学に向かうときのラジオを聞いて、なにかただごとではない事態のようだけれども、なにがなんだかよくわからない、という状態で大学に着き、その日だんだんと状況を理解するようになったのでした。初めはなにがなんだかよくわからないけれども、徐々にわかってくるにつれて、顔が青くなって胃にずっしりと重いものが入ったような気持ちになるのは、東日本大震災のときに再び経験しました。当時の映像を見ると、そのときの感覚が生々しくよみがえってきて、世界貿易センターからは遠く離れたハワイにいても、胸が苦しくなる思いでした。


さて、話変わって、先ほど、私が大学院6年間を過ごしたブラウン大学の現総長、ルース・シモンズ氏が、今年度をもって総長のポストを辞任する意向を明らかにしたとの発表がありました。シモンズ氏は、2001年に、アイビー・リーグ大学の総長になった初の黒人となって話題となりました。当時ブラウン大学では、学生新聞が、保守の評論家デイヴィッド・ホロウィッツ氏が黒人奴隷の子孫への補償に反対する広告記事を掲載したことで大論争のさなかにあり、そんななかで彼女が黒人女性であるということはさらに話題性を呼びました。就任してすぐ、シモンズ総長は、「奴隷制と正義に関する委員会」を設立し、1764年の設立以来、大学設立にかかわった人物たちが奴隷貿易で財を成したという事実を含め、ブラウンがどのように奴隷制にかかわってきたかの歴史を徹底的に調査する任務を与えました。私の知り合いもこの委員会に入っていましたが、当然ながらこの調査と報告書の作成はなかなか大変な作業だったようです。


以後11年間、ブラウン大学は、シモンズ総長のもと、学部生のためのneed-blind admission(奨学金の必要性の有無に関係なく、優秀な学生を入学させ、必要な学生に奨学金を与えること。日本の入試のシステムから考えると意味がよくわからないかも知れませんが、学費が年間5万ドルを超えるアメリカの私立大学の入学審査は非常に複雑で、人種などのアイデンティティ・ポリティクスに加えて、優秀だけれども奨学金をもらえなければ入学できないという学生の扱いはとてもややこしくなります)の確立、教員のための研究環境の充実、医学部の強化など、さまざまな取り組みにおいて成果をあげてきました。などというと、まるで私はブラウンの広報部の人間のようですが、私自身はシモンズ総長下のブラウンを経験していないし、特に大学の宣伝をするつもりもないのですが、ブラウンでの6年間は私の人間形成にとても大きな役割を果たしたと思っているので、愛着もあり、なんだか、「シモンズ総長、おつかれさまでした!」と言いたい気分。


ハーヴァードの現総長ドルー・ギルピン・ファウスト氏を初め、アメリカのエリート大学に女性の総長も増えてきました。女性であればいいというわけではもちろんありませんが、大学生の過半数が女性である現代、大学界のリーダーシップに女性がそれなりの数で存在することはやはり必要。ちなみに、私の所属するハワイ大学のアメリカ研究学部では、今年度初めて、女性の教員が過半数を占めるようになりました。1997年に私が入ったときは、白人のおじさん(おじいさん)たちの中に私がひとりぴょこんと入った状態だったので、その頃と比べると、実に長い道のりを来たものだなあと感慨深いです。新人の採用を含め、職場環境をよりよいものにするように、ビジョンをもって粘り強く努力を続けることの重要さを実感。

2011年9月5日月曜日

アメリカ国家建設と小説の興隆

本日はアメリカはLabor Dayの休日ですが、その名の通りせっせと労働に勤しんでおります。


明日は学部の授業に加えて大学院のゼミのある日なので、その準備に忙しいのですが(アメリカの大学院の人文系の授業では、毎週一冊本を読んで論じるのが普通なので、学生も大変ですが、教えるほうも、すべての本をちゃんと読み直して準備をしようと思うとかなり大変)、今週の課題はCathy DavidsonのRevolution And The Word: The Rise Of The Novel In America。アメリカ建国初期に興隆した「小説」をジャンルとして分析し、この時期に小説というものが誰によってどのようにして書かれ、どのような仕組みで流通し、誰によってどのように読まれたのか、という社会史的な考察と、実際に多くの読者に読まれた作品が当時どのような「意味」を持っていたのかを脱構築的な手法を使って検討したもの。もとは1986年に出版されたものですが、今読んでも、というか、今読むとなおのこと、興奮する内容。18世紀後半から19世紀初頭にかけての「読者」がどのようにして小説を読みなにを感じ取っていたのかを、現存する本の余白に書かれたメモや人の日記や手紙を手がかりに探っていく手法はまさに探偵のようで、それを辿っていくだけでもワクワクするし、さまざまな政治思想や建国の理想と相容れないさまざまな社会の現実が入り混ざった混乱の時期に、なぜ小説というジャンルが育っていったのか、感傷小説やピカレスク小説、ゴシック小説など、いわゆる「高尚な」「純文学」のカテゴリーにはあまり入れられることのない小説が、この時期に興隆し「小説」というジャンル、そして「小説家」という職業を生み出していったのはなぜなのか、テキストそのものの内外から多角的に分析するそのさまは、読みながら「おー!」と拍手したくなる素晴らしさ。アメリカ史やアメリカ文学史に馴染みのない人には厳しいかもしれませんが、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』で論じられていることと重なる部分が多く、イギリスからの独立を果たした建国初期のアメリカと、明治大正期の日本における「国民文学」としての小説の歴史を考えるととても興味深いです。


私はこの本は大学院生のときに読んで以来、実に20年ぶりに読み返しましたが、私はこの本を読んで、「アメリカ研究という学問がこういうものなのだったら、これを職業にしてもよい」と興奮したのを思い出しました。当時読んだのは1986年版でしたが、2004年に再版されるにあたって著者があらたに書いた序文が、これまたすごい。自らの過去の研究をふりかえってこのように位置づけられるのは本当に立派。Cathy Davidsonは、今ではデジタル知を含む新しい時代の「知」のありかたを研究して、現在は新著のNow You See It(こちらは私はまだ未読)のプロモーションで全国を駆け回っていますが、アメリカ建国初期の小説とデジタル時代の知とはずいぶんかけ離れたトピックのようでありながら、実はおおいにつながっているということが、Revolution And The Wordをじっくり読むとよくわかります。この本はアメリカ研究の分野では「古典」の一部となっているものですが、こうした本をあらためて読み返すのは、アメリカ研究の学説史を概説する大学院の授業(興味のあるかたは、こちらのシラバスをご覧ください)を教えているおかげ。ときどきこうして古典を読み返すと、以前に読んだときにはじゅうぶん理解していなかったことがわかったり、新たな発見があったりして、とてもよいものです。



2011年9月2日金曜日

大学教授の頭のなか

新学期が始まって2週間がたちました。今のところ、学部・大学院の授業とともに順調ですが、いつものことながら、学部の授業ではいくら言ってもきちんとリーディングをこなして授業にやってくる学生とそうでない学生とに新学期早々に分かれてしまい、リーディングをやってこそ授業で私が話していることがきちんと理解できるのだということをいかに伝えるかが難しい。過去には、課題を読んでこない学生があまりにも多く、ディスカッション形式の授業が成立しないので、読んで来なかった学生に「この授業時間のあいだ図書館にでも行って読んできなさい」と追い出したこともあるのですが、2週間目からそういうことをすると空気が悪くなるので、優しく温かく笑顔をもって、リーディングに向かわせる方法を模索中。


学期中は授業の準備とさまざまな雑用、そして進行中の執筆その他の仕事をこなすのが精一杯で、それ以外のものを読んだりする時間はまるでないのですが、学期が始まると同時にアマゾンから届いてしまい、誘惑に勝てず忙しいさなかに読んでしまったのが、ハーヴァードの社会学者Michele LamontによるHow Professors Think: Inside the Curious World of Academic Judgmentという本。以前にこの著者のMoney, Morals, and Mannersという本を読んでむちゃくちゃ面白く(アメリカとフランスのアッパーミドルクラスの意識を比較した研究)、また今学期の大学院の授業では彼女のThe Dignity of Working Men(こちらはアメリカとフランスの労働者階級の男性の意識を比較したもの)を使うことにもなっているのですが、この本はこれまたたいへん興味深い。タイトルを直訳すると「大学教授はどのように考えるか―学術評価という不思議な世界の内側」ということになりますが、アメリカの学界、とくに社会科学や人文科学の分野での権威ある財団の助成金のピア・レビューの仕組みをフィールドワーク調査で分析したものです。学問の世界にいる人以外には「そんなものがなんで面白いのか」と思われるかもしれませんが、私にとっては、複数のレベルでとてもワクワクする研究でした。まず、実際にここでとりあげられている財団の助成金や類似した助成金・奨学金に定期的に応募する立場の人間として、また、こうした助成金のピア・レビューを依頼されることもある立場の人間として(私は最終パネルのメンバーにはなったことはありませんが、その前の段階の査読は何度かしたことがあります)、このピア・レビューの仕組みがどれほど合理的に機能していて、ピア・レビューをする研究者たちはどのような思考パターンを経て決定に至るのか、という全体像の分析を読むことは、実用的なレベルで参考になる。より理論的なレベルでは、社会科学や人文科学において、「優秀さ」「独創性」「明瞭さ」といった概念が具体的にはどのように理解され評価されるのか、また、そうした理解や評価が、多分野の研究者によって構成されるパネルの議論のなかでどのように交渉されていくのか、といった分析がたいへん興味深い。とくに、研究企画の「優秀さ」といった基準と、財団が支援する研究や研究者の「多様性」といった基準がどのように絡み合うか、そして、「多様性」のなかでも、アメリカの公の場で議論が集中しがちな人種やジェンダーの多様性の他にも、大学の種類(東海岸のエリート私立大学と、他の地域の州立大学といった相違)やディシプリンや研究トピックの多様性といったものを、研究者たちがどのように天秤にかけるか、といった分析が、たいへん面白く、たとえばこうした手法を、それこそピアノ・コンクールでの評価に応用して、審査員たちが「芸術性」「技術性」「曲の理解や解釈」といったものをどのように評価するのか分析したら、たいへん興味深いはず。

これと関連する日本の研究としては、佐藤郁哉・芳賀学・山田真茂留『本を生みだす力』があります。これも私はとても興奮して読みました。大中小いくつかの出版社に焦点をあてて非常に丁寧なフィールドワークをもとに日本の学術出版の仕組みを分析したものです。日本とアメリカでは学術出版の仕組みがおおいに違うので、その違いを垣間みるだけでも私にとっては個人的に面白かったですが、編集者たちがどのように学術的知の創造とビジネスとしての出版に向き合っているか、ミクロとマクロの両方の次元で分析されていて素晴らしい。

素晴らしいのですが、とりあえず今学期の授業や目前の自分の仕事への直接の関係度は比較的低いので、刺激と興奮だけ大事にして、まずしなければいけない仕事を片づけなければ...

2011年8月23日火曜日

大学院生のためのマジなアドバイス

いよいよ授業が始まりました。午前中に女性史の授業の第一回めがあり、これから大学院のゼミがあります。大学院の授業では、講義の内容紹介をしたり学生の関心を知ることに加えて、大学院で勉強するというのはどういうことか、という実際的な話もするつもりです。

私は以前、アメリカ研究学部の大学院生全体、とくにまだ資格試験や論文の指導教授を決めていない新入生や二年めの学生たちの面倒をみる、Graduate Chairという役を務めていたことがありますが、そのときに、新入生オリエンテーションで配っていたのが以下のリスト。『アメリカの大学院で成功する方法』を読んでくださっているかたには、それぞれの項目で私が言わんとしていることはすぐわかると思います。これに目を通すと、新入生たちはたいてい、笑いと恐怖の混じり合ったような、なんともいえない表情になるのですが、リストを作った私としては、なかなかいいアドバイスだと思っております、エッヘン。上述書を読んでいないかたでも、リスト自体は読めばすぐわかると思うので、英語でそのまま以下添付いたします。

Mari’s No-Nonsense Tips on Successfully Completing Your Graduate Degree

(and Having a Fulfilling Academic Career)

1. Think twice (and three, four, five . . . times) before entering academe. Know what you’re getting into by finding out what an academic career entails. Give serious thought to why you want to pursue an academic life.

2. Make sure that you’re in the right discipline, school, and department. If you find out that you’re not, give serious thought to changing paths.

3. Have a plan for funding the rest of your graduate study.

4. Do not expect your life to be normal for the duration of graduate school. If you’re not ready or able to have your life revolve around your academic work for the next X [2-3 in the case of an MA, 5-10 in the case of a PhD] years, now is not the right time for you to be in graduate school.

5. Do not expect your family and friends outside of academe to understand, let alone sympathize with, what you’re going through in graduate school.

6. Expect that at least one major family, relationship, financial, automotive, health, housing, or some other type of disaster will be part of your life in the next few years. Acquire the skills of compartmentalization.

7. Plan your course of study with a long-term vision. Fill the gaps in your training early.

8. Do not underestimate the importance of acquiring strong writing skills. Make specific efforts to strengthen your writing skills.

9. Choose your mentors carefully. Develop and maintain a good, healthy relationship with your mentors. Have role models. Keep your mentors posted of your progress.

10. Nurture a community of peers with whom to share and mutually critique work.

11. Set high standards for yourself, but be realistic in your expectations. Remember that graduate school is only a beginning step in your long academic career.

12. Know that feeling stuck, overwhelmed, lost, helpless, unimportant, unoriginal, etc. is par for the course. Do not let those feelings steer you away from your goals. Find a way to pull yourself out of self-doubt and to focus on concrete goals at hand.

13. Try to keep perspective. Take your work very seriously, but don’t take yourself too seriously.

14. Maintain good physical and mental health.

15. When in doubt, remind yourself why you started this in the first place.

2011年8月22日月曜日

Paul Auster, _Sunset Park_

先週始めた朝5時半からのboot campも二週目に入り、5時起床も少しずつ慣れてきました。なにしろあんな時間にあれだけの人数の女性たちが毎回集まってくるのが私には信じられない。先週はトイレに座るのも辛いくらいだった筋肉痛もだいぶ減ってきて、これは運動に慣れてきたからなのか、運動が足りていないからなのか、よくわかりませんが、とにかくせっせと通っています。

ハワイ大学は今日から新学年、新学期です。私自身はハワイですでに15年め(!)になるものの、新入生らしき人々がキャンパスマップを手に歩き回っている学期の始まりは、いつもなんとなくワクワクします。私は昨年度一年間はサバティカルで授業なし、さらにその前に一年間は日本でハワイからの留学生たちの面倒をみていたので授業はあったものの普段教えるとは内容も形式もだいぶ違い、つまり通常の形で授業をするのは二年ぶりということになります。なんだかどきどき。今年は、Approaches to American Studiesという大学院生用の授業(アメリカ研究の学説史や理論的枠組みを概説しながら、「人種」「階級」「ジェンダー」「国家」「帝国」などといた概念や扱い方がどのようにアメリカ研究のなかで変遷してきたかをおうもの)と、U.S. Women's History(その名の通りアメリカ女性史、とくにここ約百年間を中心に扱うもの)という学部の授業を担当します。学期は今日からですが、私の授業は明日からなので、今日は最終的なシラバス調整その他の雑務で終わりました。

さて、大手書店チェーンのBordersが全国で閉店が決まったことはしばらく前に発表になりましたが、ホノルルの街のなかにあるBordersでも、閉店セールをやっていて、週末覗いてきました。このような大手チェーンが幅をきかせて独立系の味のある書店を駆逐してしまう(といっても、ホノルルにはそういう「独立系の味のある書店」はほとんどないのですが)のは憂えるべきことですが、実際には、サイン会や講演、パネルディスカッション、コンサート、絵本の読み聞かせなどの催しの会場ともなり、店内のソファや喫茶店でじっくり店内の本を吟味したり宿題をやったりするために老若男女が集まってくる(こういう形の書店は日本にはほとんどありませんが、そのうちできてくるのでしょうか)BordersやBarnes & Nobleは、コミュニティのひとつの文化拠点として機能していることも確か。ホノルルのBordersもかなり大きな店舗で、私は行くとほぼ必ず知り合いに会う、という調子だったので、これがなくなるのは街の文化にとってかなりの喪失だと思います。すでに書棚の多くが片づけられていて(本棚まで売られている)、雑然とした店内にはなんとも哀しい空気が漂っていましたが、何冊か小説を買い込んできました。

学期が始まって忙しくなると仕事に直接関係のない本を読む時間はなくなってしまうので、最後にせめて一冊と、週末に一気に読んだのが、柴田元幸先生の翻訳で日本でも人気のポール・オースターの最新作、Sunset Park。オースターの作品を読んだのは実に久しぶりでしたが、「あー、そうだった、オースターの世界はこうだった」と思いながら、寝る間も惜しんで(といっても、朝5時に起きないといけないと思うと夜更かしして小説を読むのはけっこう辛い)読みました。2008年の経済危機のなか、ばらばらに壊れてしまいそうな自分の生活や人生をなんとか保とうとしたり再生させようとしたりする、さまざまな登場人物たちの道筋が、不思議な形で絡み合う様子を描いた小説。なにが素晴らしいって、それぞれの登場人物に対する作者の目線の誠実さと温かさが素晴らしい。それぞれが、傷や弱さや不安やコンプレックスや怒りや罪の意識を抱えながらも、それをそのまま背負って真っ直ぐに生きている。そのなかで、恋に落ちたり恋に敗れたり、失敗したり大事なものを失ったりしながら、傷を負うことを恐れずに生きている。主人公Milesの恋人Pilarに向ける目線、Milesの父親がMilesを思う気持ち(Milesが5年生か6年生のときに書いたTo Kill a Mockingbirdについての作文についての箇所が、とくに感動的だと思っていたのですが、本の最後にあるAcknowledgmentsをみると、これはオースター自身の娘の作文にインスパイアされたもののようです)、その父親がかつての妻とその現在の夫をみての思い、Milesの友人BingがMilesに寄せる想いなど、それぞれの人間関係が、複雑でありながら、美しいとしか形容しがたい愛情に溢れていて、切ない物語でありながら、心洗われます。文章も、シンプルでありながら深くて美しい。そのうち柴田訳が出るだろうとは思いますが、これは決して難しい英語ではないので、ぜひとも原文で味わっていただきたいです。おススメ。

2011年8月16日火曜日

Fitness Boot Camp

ハワイに戻ってからちょうど一週間。本当に信じられないくらい快適な気候の毎日です。荷物を片づけたりどこにしまったか忘れてしまったものを探したりする傍ら、来週から始まる新学期の準備をして毎日を過ごしていますが、日本で暮らしているあいだはそこに自分の人生のすべてがあるかのような感覚だったのにもかかわらず、こちらにいったん戻ってしまうと、自分はまるでずーっとここにいたかのような、自分がここを去ったときとなにも変わっておらず、そしてここでの現実が世界のすべてであるかのような感覚になるのが、なんとも不思議です。

日本にいるあいだにちょっと(いや、ちょっとではなくだいぶ)体重が増えてしまったので、こちらにきて生活がより規則的になるのを機に、気合を入れてもとの体重(それもじゅうぶん重い)に戻ろうと思って、始めるのを決意したのが、女性のためのフィットネスboot camp。本当は、週一回くらいパーソナルトレイナーにつこうかと思ってネットで検索していたときに見つけたのですが、これは月水金のなんと朝5時半から1時間のセッションが4週間続くコース。とりあえずは一対一のパーソナルトレイナーよりも他の人と一緒のほうが気が楽だし、お金も安いし、いいかなあと思ったのですが、特別朝型ではない私としては、やはり5時半という時間にビビることしきり。でも、5時に起きて運動して家に帰ってシャワーを浴びても7時ならば、脳に酸素がいって頭すっきりの状態で一日を始められるし、せっかくその気になったんだからそのくらいのコミットメントはしたほうがいいかと、そして、そういうことはその気になっているうちにさっさと入金してしまったほうがいいかと思って、コースが始まる2日前に申し込み。昨日がその第一日でした。

朝5時なんて、早朝の飛行機に乗る必要でもなければ(そういうことをしたくないので、最近は多少余分にお金を払ってでも早朝の便は避けるようにしている)起きることはないので、前の日は準備のために10時前に就寝。でも、ちゃんと起きられるか心配で、夜中に一時間毎に目が覚めてしまう(こういうところは妙に小心者)。そしていざ5時に目覚ましが鳴ってみると、やはり外はまだ真っ暗。とにかく着替えて車に乗って、会場の公園に行ってみると、なんとすでに10人以上の女性が集まっているではないか。(ちなみにハワイでは早起きの人が多く、私たちがせっせと腕立て伏せなぞをしているあいだにも、そばを散歩したりジョギングしたりしている人たちがけっこうたくさんいました。)こんな極端なことをするのはせいぜい数人なんじゃないかと思いきや、結局このクラスには20人以上が申し込んでいるらしく、初日も結局18人ほどが真っ暗ななか張り切って飛び回っていました。そのうち2人は私の友達だったのにもびっくり。うちひとりは以前からこのコースをやっているらしく(確かに彼女は出産後だいぶ体重が増えていたのが、最近めっきりとスリムで美しくなっていた)、慣れた調子。有酸素運動と筋トレを交えた運動のメニューは、どうしてもついていけないというほど大変ではなかったけれど、それは初日用のゆるいメニューだったからなのかもしれない...と思っていたら、昨日の夜からだんだんと筋肉痛になってきて、今朝起きてみたら普通に歩くのもたいへんなほど腿のあたりが痛い。しかし、明日はまた5時に起きて行かなくてはいけない。きっとこういうものは、実際の運動そのものもさることながら、とにかく朝起きて出かけるということを継続することに意味があるんだろうと思うので、なんとか4週間休まずに続けられればと思っております。

なにしろboot campというのは、軍に入隊した新人をしごくための猛訓練のことを指す単語なので、そんな名前のついたものに皇居周り一周走って満足している私なぞが参加するのには、だいぶ無理があるような気がするのですが、その後の進展は、またご報告いたします。

2011年8月10日水曜日

ホノルル帰還

ヴァンクーヴァーで4日間過ごしてから、一昨日ホノルルに戻ってきました。

チケットの事情から、成田からヴァンクーヴァーまでは、カナダ航空のビジネスクラスに乗って行ったのですが、ふだんエコノミーでじっと我慢している私にとっては、このビジネスクラスは天国のようで、ヴァンクーヴァーに到着して降りるのが残念なくらいでした。なにしろ、飛行機に乗る前から、空港のラウンジを使わせてもらえ、飲食もタダ、インターネットもタダ、ゆったりとして静かな空間でかすかにモーツアルトの弦楽四重奏が聴こえてくる。いつも成田での待ち時間は、レストランでトンカツまたはうな丼を食べて(ひとりでこういうことをしてしまうところがオヤジ)からユニクロだのなんだので要らない買い物をして過ごす私には、なんとも文明度が高く感じられる。そしていざ飛行機に乗ってみると、この座席がすごい!座席が窓に対して斜めに並んでいるのですが、ひとりひとりの座席が半分屋根のようなものがついたブースになっていて、座ってしまえば周りの人の顔も見えない。椅子はあれやこれやと調整でき、お休みモードにするとなんと全身が平らにまでなる。枕もふかふか、毛布もふわふわ、お水のボトルもついている。もちろん離陸前からシャンペンだのジュースだのが出て来るし、食事もとても満足。飛行機の後方には、ふだんの私と同じ思いをしている人たちが、身体を固くしてじっと耐えているのですが、そうした人たちとのあいだにはカーテンが引かれ、トイレも別で、互いに顔を合わせて気まずい思いをしなくて済むようになっている。出発前の待ち時間からすでに心身状態に違いをつけられ、乗り込むときには別の入口、搭乗時間のあいだは互いの姿すら見ない、というこのありかた、現実社会の階層制度をあまりにも露骨に反映しているようで、複雑な気持ちにもなるのですが、嗚呼、一度ビジネスクラスを経験してしまうと、次にまたエコノミーに乗るときは辛いだろうなあ...(ヴァンクーヴァーからホノルルまではエコノミーでしたが、乗っている時間が6時間弱と比較的短いので、さほど苦ではありませんでした。)

ヴァンクーヴァーに行ったのは初めて(いや、正確にはカリフォルニアに住んでいた子供時代に家族旅行で少しだけ寄ったらしいのですが、ほとんど記憶にない)だったのですが、私にとっては、外国に来たような、住み慣れた場所に来たような、不思議な感覚の街でした。話には聞いていたものの、アジア人、とくに中国系の人口の多さにまず驚き。チャイナタウンでなくても、街じゅうに中国語の看板があり、道行く人たちもアジア人の割合がとても高い。そして、アメリカ合衆国にいるアジア系の人たちとは、なにが違うと言われると説明に困るのだけれど、なにかが少し違っている気がする。街の様子や並んでいる店も、アメリカとほとんど同じようでいて、なにかちょびっと違ったりする。私と同分野で仕事をしている友人のブリティッシュ・コロンビア大学のHenry Yu(今回も彼とその家族としばしお茶をしました)の論文を読んで、自分がいかにカナダの歴史について何も知らないかということに愕然としたのですが、これから是非とも勉強してみようと思いました。ヴァンクーヴァーでの4日間はプライベートな時間だったのですが、誰となにをしていたかについては、またいずれ(と、思わせぶりなことを書いてみたりする)。

7ヶ月ぶりに帰ってきたホノルルは、相も変わらず青空でそよ風がふく快適な気候。ここ2年間、日本とハワイを行ったり来たりしているので、今回は戻ってきていったいどんな気持ちになるのだろうと思っていましたが、帰ってくれば、ゲイのボーイフレンドが空港に迎えに来てくれるし、留守中私のマンションを借りてくれていた人たちがきれいに掃除をしてくれていてすぐに生活を再開できるし、当然ながら自分の好みでそろえた家具やモノたちでいっぱいだし、「ああ、やっぱりここに私の居場所があるんだった」という気持ちになります。とはいえ、半年以上留守にしてから生活を再開するには、さまざまな雑用を片づけなければならず、数日間はばたばたしますが、オフィスに行けば私のやるべきことが文字通り山となって待ち構えているので、時差ぼけになっているヒマもありません。新学期は今月22日から始まります。頑張るぞー。