2013年5月25日土曜日

予選2日目

予選2日目、今日も朝から晩までエキサイティングな演奏に浸った一日でした。

2日間で18人の演奏を聴いた現時点での私の評価は、今日の最後に演奏したAlessandro Deljavanが断然トップ。彼の演奏が終わって45分ほどたった今でも、興奮さめやらず、頭のなかで演奏を反芻し続けている状態です。Deljavanは、前回2009年のコンクールにも参加したイタリアのピアニスト。前回も私は彼の演奏は素晴らしいと思い、とくに室内楽がよくて、彼は本選まで残ると思っていたのですが、準本選どまりでした。で、彼の演奏をまた聴くのを楽しみにしてはいたのですが、今日のコンサートはそんな期待を大きく大きく上回る、鳥肌がたち本当にワクワクする演奏でした。演目は、バッハのパルティータ第5番とショパンのエチュード作品25全曲。バッハには、「芸術というものはこういうものだ」というこだわりが感じられ、「ずーっとこの人の演奏を聴いていたい」という気持ちにさせられましたが、なんといってもすごかったのがショパンのエチュード。第1番からして、「これがエチュードか」と思うような物語性がある。そして2番、3番と続くに、ああ、この人は各曲のなかでも、そして12曲全体を通しても、自分の物語を語っているんだ、と感じさせるのです。これがエチュードであるなんてことはまるで頭からなくなり、とにかく彼の世界に引き込まれる。ポリーニの演奏を彷彿とさせながら、ときに一般的な演奏とはずいぶんと変わった解釈を加え、アルトの声部を強く出したり和声を強調したりするのですが、奇をてらっているといった感じはまったくなく、すべてが有機的に物語を構成している。聴いていて、心から感動と興奮をおぼえる演奏で、今日最初のコンサートから12時間近くがたっているにもかかわらず、この人の演奏を聴いていられるならあと1時間でも2時間でも喜んでここに座っていたい、という気持ちになりました。彼の解釈や演奏はかなり個性的なので、こういうコンクールで1位になるタイプのものではないかもしれませんが、彼が準本選そして本選に行かなかったら、私は今後クライバーン・コンクールをボイコットするぞ、というような演奏でした。とにかく、コンクールの結果がどうであれ、彼はいい芸術家として生きていくはずだし、彼の演奏を聴くためなら私は今後もお金を払って遠いところまで出かけて行くぞ、と思いました。今日の彼の演奏を聴いただけでも、今回コンクールを観に来た甲斐があったと思わせてくれる素晴らしい演奏でした。ぜひぜひ見てみてください。

そして今日の演奏のなかでとてもよかったもうひとりが、阪田知樹くん。「くん」づけするのも失礼でしょうが、なにしろ彼は19歳で今回の参加者のなかで最年少。私は彼が秋に浜松のコンクールに出場したときの演奏を聴いていないのですが、そのときの演奏を聴いたある人物に言わせると、クライバーン・コンクール出場が決まったのはすばらしいけれど、入賞が期待できるほどの成熟さはまだないと思う、ということだったので、正直なところそれほど期待していなかったのですが、今日の演奏は、思わず「おお〜!」と声が出そうなよいものでした。いい意味で若さがある。前回のコンクールのときに、ハオチェン・チャンの演奏について、ある審査員が、「19歳の彼が、35歳や60歳の芸術家になったつもりの演奏をしているのではなく、自分自身の音楽を誠実に演奏しているところにこそ、彼の音楽家としての真摯で成熟した姿勢が表れている」と言っていましたが、今日の阪田くんの演奏にも私は同じことを感じました。まっすぐで、真摯で、そして、こわいものを知らない。ベートーベンの音色も、リストのダイナミックな技巧も素晴らしかったし、なにしろ最後のスクリアビンのソナタ第5番の彩りの豊かさがよかった。昨日と合わせても、彼は私のなかでトップ3入りです。予選の2回目のコンサートでは、私が最近勉強しているアルベニスの曲が演奏されるらしいので、今から楽しみです。

その他には、イタリア勢のもうひとりのAlessandro Tavernaも、個性と正統性がいい具合に合わさったとてもいい演奏でした。また、各地のコンクールで入賞して注目を浴びている20歳(顔は12歳くらいに見える)のロシアのピアニスト、Nikolay Khozyainovの演奏。彼のハイドンは、「ハイドンが自分の曲を思う通りに弾いたらこういう演奏になるんだろう」と思うような絶妙な演奏で、何千人もの聴衆が集まる大きなホールであるにもかかわらず、自分ひとりのためだけに語りかけてくれているような親密さがあり、思わずため息が出ました。が、コンサート後半は、ちょっと疲れが出たような、いまひとつ切れとパワーが欠けた印象。そのほか、ロシアそしてウクライナのピアニストたちの演奏があり、それぞれとくに非のつけどころはなかったけれど、とりわけ感動を覚えたかというと、私はそれほどでもなし、という感じでした。

明日もまたまる一日予選なので、そろそろ寝ますが、昨日は頭のなかに音がいっぱいでなかなか眠りにつけなかったので、最後にDeljavanを聴いてしまった今日は、ますます眠れないかもしれません。。。

2013年5月24日金曜日

クライバーン・コンクール予選第1日目

いよいよ第14回クライバーン・コンクール本番が始まりました。予選のまる一週間は、朝11時から夜の10時過ぎまで、1日9人のリサイタルがあります。集中力を保って聴くのも大変だし、昼食・夕食の時間が1時間半ほどしかないので、近くのお店に入ってもそうゆっくりしていられず、忙しいことこの上なし。これでは、誰かにインタビューしたいと思っても、実際の演奏を生で聴こうと思ったらこちらの時間がない。まあ、クライバーン・コンクールについてもう一冊本を書くことがあるとは思えないので、ともかくは、演奏自体を体験することを最優先しようと決め込みました。

前回と同じく、今回の私の席は最前列から4列めのど真ん中、ピアノの側面からまっすぐのあたりで、残念ながら演奏者の手はほとんど見えない位置。ネットで注意して見ると、客席にカメラが向いたときにときどき私の姿が見られます。前回隣の席でずっと一緒だったジェリーについては拙著で書きましたが、今回も彼とはあいだにひとつ席を置いたところに座っています。他にも、クライバーン・コンクール名物の、いつもアロハシャツを着ている大きなサンタクロースのようなRon DeFordさんも、同じ列にいますし、4年前から顔を覚えている人たちや、アマチュア・コンクールの参加者も何人も会場にいます。これはまさに、ひいきのスポーツチームを応援に試合があるたびにやって来ては顔を合わせる人たちのコミュニティのよう。


さて、抽選で最後に名前を呼ばれたが故に演奏順が初日の最初になってしまったのがClaire Huangci。技巧だけでなくきわめて高い芸術的成熟度が要求されるベートーベンのソナタ第28番から始めるという、勇気あるプログラミングでした。とてもきちんとしたいい演奏でしたが、どうも、音の鳴りがいまいちな印象。これは、演奏順が最初ということが大きいのではないかと思いました。こうした大きな舞台で聴衆を前にした生演奏というのは、まさに生もの。演奏者の本来の腕前は、ホールの空気や、聴衆の集中度などに呼応して、膨らんだり縮んだりもするし、楽器そのものも、その空間でしばらく演奏されているうちにだんだんと響きがよくなってくるものです。だからこそ、演奏者の緊張は別にしても、やはりコンクールで最初に演奏するというのはとても難しいものだと思います。実際、今日一日の演奏は、もちろんそれぞれの演奏のよしあしはいろいろでしたが、「鳴り」という意味では日がたつにつれて大きくなっていったように感じました。

今日はなぜかイタリア勢の演奏が多く、今回参加している6人のイタリア人のうち4人が今日演奏しましたが、彼らの演奏はアメリカやアジア出身のピアニストたちとはなにかひと味違います。いわゆる正統的な解釈とはちょっと違うこともよくあるけれど、ひとりひとりがこだわりのある独特の音楽性を持っているのです。独特すぎてコンクールのような舞台には向かないと思われる解釈もあるけれど、聴いていて退屈はしない。といったわけで、とくに今日演奏した4人のイタリア人のうち、Beatrice Rana、Luca Buratto、Giuseppe Grecoの3人は今日全体のトップに入ると思いました。

そしてまた「うわ!」という演奏だったのが、ジュリアード在籍中のSteven Lin。オーディションを聴きに行ったジェリー氏が、「演奏順が最後の最後だったけど、疲れてきている聴衆全員が目を一気にさまして終わるなり総立ちの拍手になるようなすごい演奏だった」とメールで報告してきていたのですが、たしかに今日の演奏もすごかった。バッハでもメンデルスゾーンでも、音の構築や層の重なりがとてもはっきりしているし、最後に弾いたVineの現代曲は、決して耳に馴染みやすい曲ではないにもかかわらず、彼の演奏だととてもわかりやすい。2009年のハオチェンや、ヨルム・ソン、そしてディー・ウーの演奏に感じた、一種のスター性を感じる演奏でした。そして、演奏にはもちろん無関係だけれども、言わずにはいられないくらい、彼は容姿がキュート。嵐のメンバーか韓流ドラマのスターかと思うような顔をしているし、お辞儀をするときの様子なんかはとにかく「キュート」というより形容のしようがない。私の周りに座っていた女性たちなみんな口々に「キュート」の単語を口にしていました。

他の人たちの演奏も、これといって非があるようなものはひとつもなく、どれもたいへん高レベルなものでしたが、ここまでみんなが高レベルだと、私のようにそれほど高度な音楽的知識をもっているわけではない聴き手にとっては、誰が上手いとか上手くないとかいうよりも、単純に「心を動かされる演奏か」「この人の演奏をもっと聴いてみたいと思うか」を基準に判断するしかありません。しかし、予選の前半だけでもまだあとまる2日半もあります。明日も頑張って聴かねば!

ちなみに、コンクールのチケットすべてとその他のアメニティをまとめて購入する定期会員がワインなど飲みながら休憩時間を過ごせるラウンジが、ホールの道向かいに設置されているのですが、そこで今日見つけたのが、クライバーンのロゴの入ったM&Mチョコ。なんだか妙に感心してしまったので、写真を載せておきます。


2013年5月23日木曜日

第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール開幕

辻井伸行さんが優勝して日本で大旋風を巻き起こしてからまる4年、第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが、テキサス州フォート・ワースでふたたび幕を開けました。昨夜22日がオープニング・ディナーおよび予選の演奏順を決める抽選会でした。

『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』でも書いたように、このイベントは、男性はタキシード、女性はイブニング・ドレス着用と指定されているフォーマルなガラ・ディナー。私が2009年に初めて行ったときには、わざわざそのためにドレスを買わなければいけない状態でしたが、今回は持ち前のドレスに、前日に慌てて買った靴。また、前回はひとりで出かけた上に、まだ誰も知っている人がいなかったので心細かったけれども、今回は同伴者もいるし、この4年間で不思議にもフォート・ワース地域そしてクライバーン関係者にたくさん知り合いができたので、心に余裕をもって登場しました。それでも、その場に行ってみると、やはりこのイベントの豪華さには圧倒されます。全部で600人ほどの参加者がいたかと思いますが、その人たちみなが盛装してワインを手に、フォート・ワース・シンフォニーのメンバーが優雅に室内楽を演奏しているのがまったく聴こえないくらいの賑わいのなか歓談している様子を見るだけで、私がコンクール出場者だったら逃げ出したくなるだろうなあと思うようなゴージャスな雰囲気。




前回のコンクール以来、クライバーン財団長も理事長もかわり、ヴァン・クライバーン氏本人も亡くなりで、変化の多かったこのコンクールですが、少なくともこのパーティの空気は、そうした変化をとくに感じさせないものでした。ディナーに着席すると、現財団理事長のCarla Thompsonがクライバーン氏追悼の挨拶をし、クライバーン氏本人そしてコンクールの歴史を追うスライドショーが流れました。そして、辻井伸行さんが録画された映像で、会場にかけつけたハオチェン・チャン(彼とはカクテルの時間にも少しおしゃべりをしましたが、少し前にハワイで会ったときよりもさらに大人の風格でした)が舞台上で、出場者たちに向けたスピーチをしました。ハオチェンのスピーチは、「このコンクールは、メディアや聴衆から絶え間ない注目を浴びるなか、大きな舞台で次々と演奏をしなければいけない、とてもプレッシャーの大きなコンクールで、出場者にはとても負担が大きいものです。でも、そうしたプレッシャーのなかで、さまざまな要素を除外して、自分の演奏だけに自分のすべてを集中させ、音楽と向き合う、という訓練の場としては、これほど格好の場はありません。そうした機会を得られたということは、演奏家にとってとても幸いなことです。この機会を存分に活かして自分の音楽を演奏してください」という主旨のもの。さすが。

さて、このイベントの主な目的のひとつは、予選の演奏順を決める抽選。これはディナーの最後に行われます。前回は、出演者ひとりひとりが、演奏順の番号が書かれた紙を大きなボウルのなかから一枚取り出す、という方法でしたが、今回は、ハオチェンがボウルのなかから出演者の名前が書かれた紙を一枚ずつ取り出し、最初に選ばれた人から、自分の演奏日時を選べる、という方法でした。今回は予選がなんと2段階で行われ、つまり出演者は全員予選段階で2回のソロ・リサイタルをすることになっています。一週間のあいだに、まったく違う演目のリサイタルを2回しなければいけないので、体力・精神力の調整のためにも、演奏順を選ぶにはかなり神経質になるだろうと思います。2日目、3日目からどんどんと埋まっていき、呼ばれるのが30人の最後になったClaire Huangciはやはり初日の最初の演奏、という結果になりました。結果はともかく、自分がいつ演奏するのかがわからない状態よりは、決まっていたほうが精神的にいいでしょうから、ディナーの後ホスト・ファミリーの家に帰った出演者は、それぞれの思いを抱えながら準備に向かっていることでしょう。この抽選で決まった予選の演奏順は、こちらで見られます。


リチャード・ロジンスキ氏の後継者として、クライバーン財団長を務めているのが、モントリオール出身のジャック・マルキー(Jacques Marquis)氏。ピアノ演奏の学位と、ピアノおよびオーケストラの両方の運営にかかわり、ビジネス経営やファンドレイジングの経験も豊かな、このポジションにはぴったりの人物です。私の同伴者の昔からの友達でもあるので、私も以前に一緒に食事をしたことがありますが、若い(といっても、年齢は私の数年上)エネルギーと人なつっこさ、モントリオールの人らしい国際的な感性を兼ね備えた人物です。また、財団のスタッフも、4年前とはずいぶんと顔ぶれが変わってはいるものの、相変わらず有能でてきぱきと仕事をする女性たちばかりで、4年前に私がリサーチをしていたときや、2年前にアマチュア・コンクールに出たときに会っただけの人も、ちゃんと私のことを覚えていてくれて、おおいに感心。

ディナーのあと、ホテルのバーで、友達数人そしてコンクール関係者と飲みながらさらにおしゃべりをしたのですが、そのときに、マルキー氏に聞いたところによると、今回は審査のしかたを変更したそうです。前回までは、審査員は各演奏を相対評価で得点をつける方法だったのが、今回は、予選・準本選では、それぞれの演奏について、「この出演者の演奏をもっと聴きたいかどうか」をイエスまたはノーで答えるだけ。予選でイエスの数がもっとも多い12人が準本選へ、そのなかからさらにイエスの数がもっとも多い6人が本選に進出します。そして、本選では、それぞれの審査員が、6人のうちで1位にもっともふさわしい出演者の名前を書き、13人の審査員の7人以上から名前を挙げられた人は自動的に1位となり、もしも誰も7人の審査員から名前が挙げられなかった場合は、上位2人のあいだで審査員が再投票する、という方法をとるそうです。審査員にとって、前の方法とこの方法のどちらがやりやすいのかは私にはわかりませんが、予選が2段階で行われるとなると、30人の演奏x2回をすべて総合して相対評価するのは至難の業だと思われるので、少なくとも予選から準本選にしぼるには、新方式が向いているような気はします。

それにしても、2009年のときも、予選で30人のリサイタルを聴くのは、興味深いながらも非常にスタミナを要するものだったのが、それがさらに2倍となると、明日からこちらもさらに気合いを入れてのぞまなければいけません。前回と同様、演奏はすべてウェブキャストされますので、ぜひごらんください。コンクール期間中、演奏についての感想に加えて、私が見聞きするいろいろな話題をこちらで逐次ご報告いたします。

2013年5月21日火曜日

"Midlife C...oncert" および ジョンソン大統領図書館での一週間

またしても大変ご無沙汰いたしました。4月末から5月あたまにかけて、16人の学生の卒論をゴールまで導き、大学院生の各種試験を行い、ピアノリサイタルをし、そしてここ半年ほど自分がリードしてきた仕事にかんする非常に大きなニュースを受け取り(これについては、正式な手続きが済んでから内容を公表いたします)、大興奮のなか、卒業式で教え子たちの晴れの姿を見届け、その日の夜の飛行機でテキサスに出発するという、嵐のような数週間でした。ピアノリサイタルは、間もなく自分が45歳になるので、今回は"Midlife C...oncert"と題して、それぞれの作曲家が45歳のときに作曲または出版された曲ばかりを集めたプログラムにしてみました。演目は以下のとおりです。

バッハ パルティータ第6番
ブラームス 作品76 第7番&第8番
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品78 第1楽章
ショスタコヴィッチ プレリュードとフーガ 第15番
アルベニス 『イベリア』第2巻より 「トリアナ」


こうして集めてみると、45歳のときにはみんなやたらと難しい曲を書いていたものだなあと実感します(笑)が、自分と同じ年齢のときに(とはいっても、18世紀や19世紀の45歳と、現代の45歳では意味合いが違いますが、それはまあおいといて)これらの巨匠たちがどんなことを考えていたのかを探るのは、なかなか興味深いプロセスでした。ヴァイオリン・ソナタを共演してくれたのは、なんとハワイ・シンフォニー(以前このブログでも書いたとおり、前称ホノルル・シンフォニーが倒産後、ハワイ・シンフォニーの名で再生したものの、今シーズンは再び休眠状態)のコンサートマスターであるIgnace Jang。こんな立派な音楽家に演奏を頼めるほどの腕前ではまるでないのですが、45歳(まであとわずか残っていますが)という年齢のよいところは、自分がなにかをしたいと思ったら、恥もためらいもなく(いや、一応少しはためらったのですが)とにかく頼んでみる、という図太さができること。Musicians from a Different Shoreにも登場する彼は以前からの友達で、私の過去のリサイタルにも、ピアニストの奥さんと一緒に律儀に足を運んでくれるので、試しに頼んでみたところ、すんなりと快諾してくれました。2回しかリハーサルをする時間がなかったのですが、本番はけっこう上手くいって、ふだんソロしか弾くことのない私は、これほど高度な音楽性を備えた演奏家と一緒に音楽を作ることの、身体的・情感的な快感を10分間ほど味わって、しごく幸せな気持ちになりました。今回のリサイタルには、いろいろな分野の友達がたくさん来てくれたほか、私の大学院生が何人も聴衆にまざっていました。私は、ピアニストを含めプロの音楽家の友達がたくさんいるので、彼らの前で演奏するのは本当に緊張するのですが、それとはまた別の意味で、学生の前で自分をさらけ出して演奏するのは緊張するもので、舞台に上がって彼らの姿をみた瞬間、「しまった、学生は招待しなければよかった」という思いが頭をよぎったのも事実(笑)。でも、終わった後、学生のみんなは、音楽もとてもよかったし、ふだんとは違う私を見れてとてもよかった(うーむ、どういう意味だろう?:))と言ってくれたので、素直にそれを受け入れることにします。

学期末のいろいろな片付けをする間もないまま、テキサスのオースティンに飛び、先週一週間は、ジョンソン大統領図書館に缶詰になって史料集めをしていました。大統領図書館というのは、それぞれのアメリカ大統領にかんするあらゆる公文書や書簡・音源・画像・映像などを保管・公開している史料館で、アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)が運営しています。私は大統領図書館でリサーチをするのは今回が初めてだったのですが、まずは図書館自体の物理的な規模そして史料の莫大さに圧倒され、そして司書さんたちの専門性に舌を巻き、情報がまだデジタル化されない時代に収集・分類された史料の整理のされかたの綿密さに目が点になりと、驚くことばかり。しかし、滞在予定は一週間のみだったので、驚いているヒマもなく、片っ端から自分の関心に引っかかりそうな史料の箱を取り寄せて、朝から晩までフォルダーに入ったものに目を通すばかり。私が大学院生だった頃とくらべると、リサーチという作業は信じられないくらい便利になったもので、以前は目の前にある史料はいったいなんなのかを見極め、高いお金を払ってコピーをする(お金がかかる)か、それとも手書きまたはパソコンで内容を写す(時間がかかる)か、といった選択をいちいち迫られていたのが、今は、とにかく片っ端からiPadでデジタル写真に撮り、後からじっくり読んで整理すればよい。デジカメを持ってきていない人には、図書館が高性能のデジカメを貸してくれて、撮った写真をCDにまとめてくれさえもする。そんなわけで、最初の2日間は見境なく写真を撮りまくった結果、900枚もの写真がiPadにたまってしまい、いくらなんでもこれでは、後から目を通すのも整理するのも無理そうだ、というわけで、残りの3日間は、写真を撮るに値するものとそうでないものを分別するのにもう少し時間をかけるようにしました。結果、5日間で撮った写真は全部で1800枚ほど。これらの史料をいったいどうするのかは、後から考えることにいたします(笑)。

今回のリサーチの目的は、ジョンソン政権期の文化政策、とくにジョンソン大統領在任中に成立したNational Endowment for the Artsや、ジョンソン政権が終わってから開館したものの、その成立への道筋にはジョンソン大統領が決定的な役割を果たしたJohn F. Kennedy Center for the Performing Artsにかんする史料を集めることだったのですが、この一週間で見つけたなかで一番ワクワクする史料は、National Endowment for the ArtsともKennedy Centerとも直接は関係のないものでした。アーカイブ調査というのは概してそういうもので、探していたものはとんと見つからないけれども、思いがけないところに面白い発見があって思考が意外な局面に広がり、プロジェクトそのものが当初の計画とはまったく違った方向に向かうようになったりするものです。新しい研究のため、一次史料にどっぷり浸かる、という作業をしばらくしていなかったので、そのフラストレーションも興奮も、久しぶりに体験しました。こうしたリサーチは、独特の気力と体力を要するもので、私には、いっときに一週間が限度だと実感しました。

今回見つかったなかで私にとって一番面白かった史料をひとつだけご紹介します。1965年6月14日に、ホワイトハウスでWhite House Festival of the Artsというイベントが開催されました。アメリカの現代芸術文化の祭典として、音楽・映画・演劇・ダンス・絵画・写真・彫刻・文学など、あらゆる芸術分野のリーダーたちをホワイトハウスに招待して、彼らの作品を披露すると同時に、文化人と政治家たちの交流をはかる、という主旨で、このような文化芸術イベントをホワイトハウスが主催したのは史上初のことでした。いろいろな意味で画期的だったこのイベントの企画・運営にかかわる史料が山ほど出てきました。もともとこのイベントで作品を朗読するよう招待されていた詩人のロバート・ロウエルが、ジョンソン政権のベトナム戦争政策に抗議するため参加を拒否した、ということは以前に読んで知っていたのですが、彼がホワイトハウスに送った電報や、彼に賛同して同じくイベントに出席を拒否したさまざまな文化人たちの電報が出てきたときには、思わず「おお〜!」と声が出ました。さらに、ピアニストのルドルフ・ゼルキンがこのイベントで演奏を依頼されていたのですが、彼はちょうどそのとき日本を演奏旅行中。ライシャワー駐日大使を通じて電報を受け取ったゼルキンは、日本での最後の予定を変更してぜひホワイトハウスへの招待を受けたいが、どんな演目を何分間くらい演奏すればよいのか連絡してほしい、とこれまたライシャワー氏を通じて打診。このイベントは、現代アメリカの芸術を讃えるのが主旨なので、存命中のアメリカ人作曲家の作品を十数分演奏してほしい、との返事を受け取ると、残念ながら現在自分のレパートリーには現代アメリカ作品は入っておらず、本番までのわずか数日間で演奏を準備することはできない、ベートーベンやブラームスのソナタなら演奏できるが、現代アメリカ作品の演奏が目的なら、別のピアニストがいくらでもいるはず、と招待を辞退して、15年間まったく休暇をとっていなかった彼は予定通り日本からの帰途ハワイでバケーションに出かけた、ということがわかる一連の電報。他の人にはまったく面白くないかもしれませんが、私にはよだれが出るほど面白く、これが見つかっただけでも一週間缶詰になった甲斐がありました。



図書館を訪れる人は前もって自分の研究トピックと図書館訪問予定をスタッフに知らせ、その分野を専門とする司書がリサーチの手助けをしてくれるのですが、初めて行った日には、専門の司書が一対一で30分以上にもわたるオリエンテーションをしてくれるというご丁寧さ。そして、この図書館の閲覧室は、いっときにせいぜい15人ほどが入れるスペース。ここでリサーチをしている人のほとんどは、世界各地から短期間ここを訪れて集中的に史料集めをしている人たちなので、そこにいるあいだは朝から晩まで(といっても開館9時から閉館5時までですが)ずっと同じ部屋のなかにいることになる。閲覧室では静かにしていなければいけないので、おしゃべりをしたりということはほとんどないものの、同じ空間で大きな意味で共通のトピックにかんする史料を調べまくっている人たちのあいだには、不思議な一体感が生まれる。ちなみに、私の滞在の2日めから5日めには、ジョンソン大統領についての非常に緻密でかつダイナミックな伝記を何冊も書いてピュリツアー賞も受賞している著名な作家、Robert Caro氏が来ていました。ジョンソン大統領図書館に行ったら、Robert Caroがいたりするのかなあ、などと思っていたら、本当にいたのでビックリ。ジョンソン大統領の研究を生涯の使命としているような人なので、その彼がジョンソン大統領図書館にいたってもちろんなんの不思議もないのですが、彼と同じ空間で自分がリサーチをしているということに、感慨を抱きました。

さて、オースティンでの一週間を終えた私は、そこから車で3時間ほどのフォート・ワースに再び来ています。今週金曜日からは、またヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが開催されるので、その見学です。クライバーン氏本人亡き後、そしてクライバーン財団のスタッフの顔ぶれが大きく変わってからのコンクールがどのように展開されるのか、いろいろと注目されるところです。明日の夜は、予選の出場順を決める抽選が行われる、ガラ・オープニング・ディナー。拙著でも書いたように、このディナーはblack tie、つまり男性はタキシード、女性はイヴニング・ドレス着用のフォーマルにしてゴージャスなイベントです。私は、さすがに4年前と同じ姿で行くのも哀しいので(でもこのコンクール見学には何枚もドレスが必要なので、一応それも持ってきました)、2年前にアマチュア・コンクールに出場したときに着たドレスを持ってきてみました。叔母にいただいた絞りの着物をドレスにしたもので、シンプルではあるけれど、こうした場では喜ばれるのではと期待。一緒に出かける相棒は、レンタルしたタキシードを先ほど受け取ってきたところです。コンクールの模様、また逐次ここでご報告いたします。

2013年4月30日火曜日

56 Up にみる人生とイギリス社会と映画監督の変遷

この週末は、心待ちにしていたドキュメンタリー映画、56 Upを観てきました。感じるところ、考えるところ多く、コメントをまとめにくいくらいです。

7 Up シリーズという名で知られるこの映画は、Michael Apted監督が1964年に始めた企画。初回は、イギリスのさまざまな階層の7歳の子どもたち14人の暮らしを追い、彼らの好き嫌いや夢や考えについてインタビューし、その背景にある社会のありかたを間接的に映し出します。そして、7年後にまた再び同じ子どもたちを集め、ティーンエイジャーとなった彼らの成長や変化をとらえます。さらにまた7年後、成人して間もない彼らが社会のさまざまな場所で自らの場所や生きる道を見つけようとしている姿を追います。そしてさらに7年後、そしてまた7年後、というふうに、同じ人たちの人生を追ってきたシリーズ。映画に自分を偏って描かれたと感じたり、または映画にうつった自分の発言が世間の批判をよんだりしたために、途中で企画から降りた人もいますが、ほとんどの人たちは、複雑な思いを抱えながらも映画に参加し続けています。単発でみてもそれほど面白くないかも知れませんが、第1回から通してシリーズを観ると、本当に考えさせられることが多いです。7年という年月が人間にもたらす変化は、どの7年かによってずいぶん違い、7歳から14歳の変化と、14歳から21歳の変化は種類を異にするものだし、また28歳から35歳の変化と35歳から42歳の変化も違う。登場する人たちの変化に、観客はいやでも自分の人生を重ねて振り返ることになるのです。

この企画はもとは、イギリスの階層社会において、出自や環境がどのように人の人生の岐路をわけるか、といった点に主眼があったであろうことは、初期の映画の構成から明らかです。たしかに、登場人物たちの人生の展開をみると、与えられる機会や環境によって人生の選択の幅が大きく変わる、ということが実感できます。裕福な家庭に育ち、幼少時からエリート教育を受ける子供たちは、子供の頃から自分の夢を具体的に思い描き、それを実現するための道筋も理解しているのに対して、低所得の家庭や施設で育った子供たちは、漠然とした夢はあっても、大人になるまでのあいだにさまざまな現実の壁に直面して、夢がおとぎ話で終わってしまうことが多い。裕福な家庭出身の人たちは、大人になった今も、おおむね「豊か」な生活を送っているし、そうでない出自の人たちは、自分が育った家庭とそれほど変わらない経済状況のなかで生活している。そして、今回の映画では、56歳になった彼らの子供や孫の暮らしぶりからも、階層の再生産という現実が垣間みられます。

それだけでもじゅうぶん考えさせられることが多いのですが、このシリーズが面白いのは、そうした階層決定論では説明しきれない人の人生や社会のありかたにあります。階層によって人生がかなりの程度まで決定づけられるという監督の前提や意識自体に、登場する人たち自身が映画のなかで異議を唱えているシーンも映されます。回を重ねるごとに、人の人生を左右するものは、財力の他にも実に多くのものがある、ということも実感されます。両親の離婚、心身の病気、家庭の経済状況の変化、失業、恋愛・結婚・離婚といった人生の出来事は、階層を問わずみなに降りかかります。そうした出来事に直面した際にどのような乗り切り方をするかは、財力によって左右される部分も少なくないいっぽうで、個人の意思や能力による部分も大きい。映画が回を重ね、登場人物たちが年齢を重ねるにつれて、「人の幸せ」とはなにか、「豊かな人生」とはなにかといった問いは、複雑なものになっていきます。そして、登場人物たちと共に自分も年をとりさまざまな人生経験を経てきたはずの映画監督自身が、そうした問いをよりニュアンスをもって捉えるようになっているのが感じられます。そしてなにより、さまざまな状況で自分の人生を生きている登場人物たちのひとりひとりに、聴衆は強い共感と愛着を抱くようになります。なかでも誰に一番親近感を感じるかは、観る人によって差があることでしょう。

登場人物のひとりは、「この映画を観た人たちから、『私はあなたの思いがすごくよくわかります』なんて手紙をもらうことが多いけど、はっきり言って、そんなことを言ってくる人たちが僕のことを本当にわかっていることなんてありえないんだ」と言っていますが、もちろんそれはその通りでしょう。7年間の自分の人生を数分の映像に断片的にまとめられれば、どんなに好意的であれ偏った描かれたをされるのは避けられないのも当然でしょう。でも、これも登場人物のひとりが言っているように、「この映画は僕たちの人生の描写としてはもちろん正確なものとは言えない。でも、この映画がsomeoneの人生の描写であることはたしかだ。」つまり、特定の個人の人生の全体像を描いてはいないけれども、ここに選ばれた人たちが代表する社会のありかたや人生というものの総合体としては、かなりの真実を突いている、といえるでしょう。

今回の映画でとくに前面に出ているのが、サッチャー首相時代以来のイギリス社会への痛烈な批判。社会のセーフティネットを削り続ける新自由主義政策への批判が、階層を超えたものであることも興味深いです。

シリーズそろってDVD
で観られますので、是非ともどうぞ。



2013年4月26日金曜日

威厳ある職業としてのケアワーカーを組織する活動家、Ai-Jen Poo

今週、ハワイ大学での講演その他の活動のためホノルルを訪れているのが、労働活動家のAi-Jen Poo。彼女は、個人の家でベビーシッターや老人介護や家事に従事する「家事労働者」「家政婦」「ケアワーカー」を労働環境を改善し、正当な賃金に加え残業手当や有給休暇を保証し、被雇用者を差別やハラスメントから守るため、こうしたケア労働者たちを組織し、彼らを守るための立法にむけてロビー運動を行う活動のリーダー。コロンビア大学卒業後(コロンビア大学在学中には、社会の多様性に対応したカリキュラムを要求する学生のハンガーストライキの一員で、この活動の結果として同大学にCenter for the Study of Ethnicity and Raceという研究センターが誕生しました。私が2003〜2004年にニューヨークでサバティカルを過ごしていたときに所属していたのがこのセンターです)、ニューヨークで家政婦として働く女性たちを組織する活動を始めた彼女。2000年に設立したDomestic Workers Unitedという団体の働きかけによって、2010年にニューヨーク州は全国初の「家政婦権利宣言(Domestic Workers Bill of Rights)」が立法化され、同州で働く約20万人の家政婦に基本的な労働基準法が適用されるようになりました。その後ニューヨーク州にならった立法をする州もあらわれ、現在ハワイ州でも同様の立法が州議会で審議されている最中で、委員会の会合にAi-Jen Pooも出席したそうです。2007年には、家政婦を組織する全国団体National Domestic Workers Allianceが設立され、彼女は2010年からそのディレクターを務めています。


『現代アメリカのキーワード』にも「家事労働者」というエントリーがありますが、現代アメリカにおいて、こうした職に従事する圧倒的多数は、非白人の移民女性で、しかも彼女たちの多くが非合法移民。工場や農場、会社など、職場で同じ立場の仲間と日常的に顔を合わせる人々と違い、組織を通さない個人的な雇用関係にあり、毎日個人の家のなかで働く労働者たちを組織するのは、至難のわざで、家政婦を組織する労働組合もない。英語力もじゅうぶんでなく、自分にどんな権利があるのかを知らず、なにか問題を起こせば国外追放になる可能性もある移民たちは、搾取やハラスメントや暴力を受けても訴えるすべをもっていない。しかも、長年にわたって小さな子供や老人の世話をして、ときには雇用者の家庭に同居して、雇用者の家族と親密な関係を築くようになるケアワーカーの人間関係や感情は、単に雇用者と被雇用者というだけでは割り切れない複雑なものがある。そうした状況のなかで、雇用者と家族同様の愛情に満ちたよい関係を築く人たちもいるいっぽうで、奴隷同様の扱いを受けながら助けを求められない人たちも数多くいる。なかには、15年間いっさい賃金を払われないまま、雇用者の家のなかに閉じ込められて子供の面倒や家事全般を強要されていた女性もいるとか。そのケースでは、彼女に世話をしてもらって育った子供が、自分の家で起こっていることを理解できる年齢になったときに、彼女を家から連れ出してAi-Jen Pooの団体に紹介し、団体の助けによって彼女はやがて民事訴訟で勝訴した、とのこと(刑事訴訟を起こすこともできたけれど、彼女のボスが受刑ということになれば、彼女が世話をしてきた子供は親なしで暮らすことになる、ということを彼女が避けたかったため、民事訴訟のみにした、ということで、このあたりも複雑)です。

日本ほどではないけれども、アメリカもこれから人口は高齢化が進み、また家庭の外で働く女性が増えるなかで、こうしたケアワーカーの需要は高まるばかり。とくにニューヨークのような大都市では、すべての家政婦がストライキでもしようものなら、彼女たちにさまざまな形で依存している人たちが困窮し、あらゆるセクターの活動が停止してしまうといっても過言ではないくらい。ケアワーカーが、もっとも急速に拡大する職業のひとつであるなかで、彼らの労働にかんする基本的な法律が存在しないというのは大問題。というなかで、Ai-Jen Pooの率いる団体は全国250万人のケアワーカーを組織し、各地域で地道な活動を展開しています。


私は今回彼女の姿を見るまでは、もっと年長のひとだと思っていたのですが、彼女はまだ30代。専門知識とビジョンと組織力によって、数多くの人々の労働環境や生活や人間関係を改善する着実な成果をあげている活動家。というと、いかにも大声を張り上げてこぶしを振り上げ悪者を糾弾するコワい人、というイメージが浮かびがちですが、彼女は自称「どちらかというとシャイ」な性格で、オーガナイザーとしての活動を始めたときには、街頭で知らない相手に話しかけたりチラシを配ったりするのが恐怖だった、という、「普通の」女性。風貌はいたって可愛らしく、雄弁でありながらソフトで優しく、何百人もの聴衆を前にしても、ひとりを相手に対話をしているようなフレンドリーな話しぶり。こういう人だからこそ、自らがアイビーリーグ大学出身のエリートでありながらも、低賃金で働く移民のケアワーカーたちの信頼を集めるんだろうなあと、深く感心すると同時に、おおいにインスパイアされました。彼女は『タイム』誌の2012年度「最も影響力のある人物100人」のひとりにも選ばれ、ありとあらゆる賞を受賞し、メディアでも多いにとりあげられています。ネット上にビデオなどもいろいろあるので、ぜひ見てみてください。

2013年4月14日日曜日

ピアノのおけいこから学ぶこと

たいへんご無沙汰いたしました。前回の投稿のあと、日本から親族一同がハワイを訪れ一週間案内係をつとめ、そのあと少しして自分の春休み一週間をテキサスで過ごし、戻ってきてからは仕事でここしばらく取り組んでいた大きなプロジェクトのとりまとめに忙しく、目の回るような1ヶ月強を過ごしていました。

さて、今日はピアノの話題です。音楽大学で勉強したことがないにもかかわらず1997年のクライバーン・コンクールに優勝して一世を風靡したジョン・ナカマツは、ハワイに親戚がいることもあって定期的にホノルルで演奏をするのですが、一昨日ハワイ大学で彼のマスタークラスがあったので見学してきました。私はマスタークラスというものを見るのが大好きなのです。自分がレッスンを受けているときは、言われていることをやるのに精一杯で、レッスンが終わって少し時間がたってからでないと、いろいろなことを咀嚼できないことが多いけれど、マスタークラスを見学するぶんには、自分は言われていることをその場で実現する必要がないので、先生が言っていることに全神経を集中することができる。そして、生徒の演奏がみるみるとよくなるのが客観的に見られて面白い。また、教え方のスタイルも実にいろいろで、教師としても学ぶことが多い。というわけで、私は機会があれば生のマスタークラスを見学に行き、時間のあるときはYouTubeでいろんな人のマスタークラスを見たりしています。

ジョン・ナカマツのマスタークラスも、たいへん勉強になり、来月にリサイタルを控えている私は、終わったら家にとんで帰って練習したい、という気分になりました(気分だけでなく、実際にその後3時間ほど練習したんですよ〜)。具体的な指導の内容もきわめてわかりやすい上に、なにしろジョン(私はMusicians from a Different Shoreのリサーチのときに彼をインタビューし、個人的なつながりもちょっとあって知り合いなので馴れ馴れしく「ジョン」と呼んでしまうのです)の誠実で気取らず驕らない人間性がにじみ出ている。音楽に対しても生徒に対しても聴衆に対してもリスペクトがある。演奏した生徒も、見学していた聴衆も、みな大満足のマスタークラスでした。その上、「ふだんマスタークラスをするときには、指導が終わったらさっさと会場を出るので、わざわざ聴きにきてくれたみなさんと知り合いになる機会もないのが残念」と、最後に45分ほど質疑応答の時間を設けてくれ、若い学生たちや見学にきていた聴衆(多くはピアノの先生たち)や私の質問に、丁寧に真摯に答えてくれました。

もしかすると前にも紹介したことがあるかもしれませんが、ジョン・ナカマツが2007年のアマチュア・クライバーン・コンクール(私が参加した2011年のコンクールの前の回のコンクールです)の授賞式でしたスピーチのビデオをご紹介します。これほど素晴らしいスピーチは世の中にめったにない、と私は思っていて、ことあるごとに人に見せ、自分も定期的に見て自分を鼓舞するようにしています。そして見るたびに、涙と笑いと感動を与えてくれるスピーチです。今では国際的なピアニストとしてキャリアを確立しているジョンですが、クライバーン・コンクールで優勝するするまでには、人に自慢するほどの落選・不合格・失敗が重なっていた。そうした経験から、コンクールという舞台に出て、内的・外的なさまざまな要因とたたかいながら自分をさらけだし自分を表現しようとする人たちの勇気に、心からの喝采を送ってくれています。初めてこのビデオを見たとき、あまりにも感動したので、ジョンにメールをして、「私をLosers' Clubのゴールド・メンバーにしてください」と言ったところ、すぐに、「申し訳ありませんが、Losers' Clubにはゴールド・メンバーというカテゴリーはありません。あるのは、プラスチックとブリキだけです」との返事が(笑)。彼の英語はひじょうに聞き取りやすく、英語の勉強にもよいと思うので、ここにアップロードしておきます。

さらにピアノの話題で続けると、「ニューヨーカー」誌の最新号に、ピアニスト・ジェレミー・デンクによるエッセイがあります。(このエッセイは、お金を払わないとまるごとは読めないようになっていますが、お金を払って読む価値はあります。)デンクは、チャールズ・アイヴスの「コンコード・ソナタ」を録音した経験についてのエッセイをしばらく前の「ニューヨーカー」に掲載し、これまたとても興味深かったのですが、今回のエッセイは、自分が子供時代そして学生時代に師事したピアノの先生たちについての回想。高校まで師事していた先生が書き綴ってくれていたレッスン・ノートを発見する、というところから話は始まるのですが、そういえば私も、小学生から大学生のときまでついていたピアノの先生が丁寧な文字で毎週綴ってくださったレッスン・ノートがありました。音楽のレッスンというものは、一般的に、そしてある程度真面目にやっていればなおのこと、生徒は自分の能力や努力のさまをさらけだし、また身体的・精神的・知的なものすべてを先生の評価や判断にゆだねる、きわめて濃密で緊迫したものです。そうした力関係をいろいろな意味で悪用する先生もたくさんいるでしょうし、そのような関係のなかでの学習になじまない生徒もたくさんいるはずです。でも、与える側と受け取る側の姿勢がうまくかみ合ったときには、音楽のレッスンは、音楽そのものを超えた深く重要なことをたくさん生み出すものになります。それと同時に、それだけ濃密な関係であるからこそ、音楽家(に限らないでしょうが)がひとりの先生を絶対的に崇拝し自分のすべてをゆだねることの危険もあります。伝説的なピアニストであり指導者であったジョルジー・セボク(デンクの大学院時代の先生)についてのデンクの回想が、そうしたことを感性豊かに語っています。

ちなみに、ナカマツもデンクも、私と同い年。そのこと自体にも、なんだかいろいろなことを感じさせられます。