2013年12月21日土曜日

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』および『ドット・コム・ラヴァーズ』書評・感想文募集!

私は今学期、学部長代理という役を務めていたのですが、昨日の教員会議をもってようやくだいたいの仕事は終わり、月曜日に書類処理を終え、冬休み中にいくつかの業務をメールでやりとりすれば、晴れてお役目終了となります。やれやれ、実に疲れる一学期でした。こういう役につくと、組織として日常的にこなさなければいけない諸々の事務作業に加えて、なぜよりにもよって今こういうことが起きるんだ、といった類の「問題」が次々と浮上し、その危機管理に心身を消耗します。なぜか今学期はとくべつそういった危機が多かったような気がしますが、もしかすると、自分が学部長でないときは知らないだけで、いつの学期にもこういうことが起こっているのかもしれません。ともかく、学部が崩壊することなく学期の終わりを迎えられそうなことに感謝。

さて、まるで関係ないですが、ふと思い立って、拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』および『ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 』についての、書評・感想文コンクールを著者みずから主催することにいたしました。

自分の本が新聞や雑誌に紹介されたり、ウェブサイトやブログに書評を書いてくださるかたがいたり、知人友人そしてときには未知のかたがメールやフェースブックを通じて感想を送ってくれたりするようになって、本の読みかたというのは本当に人さまざまなんだなあということを、深く実感するようになりました。書評や感想を読むと、どういうポイントに読者が反応するのかがわかるだけでなく、著者が意図していなかったものを読者が感じ取ったり考えたりしているのを知ったり、読者からの疑問・質問から多くのことを学んだりします。また、「ああ、自分ではこういうことを伝えようとしたつもりだったんだけど、あの書き方ではいまいち伝わっていなかったんだな」とか、「そうか、あのあたりが書き足りなかったんだな」とか、反省点も見えてきます。なにより、自分の本をきちんと読んで、わざわざ時間を割いて感想を文章にしてくださる読者、それをいろいろな媒体に載せて他の人たちとシェアしてくださるかたがたがいる、というのが、著者としてはなによりありがたく、読者の反応をそのように手応えとして感じられるのが嬉しいのです。というわけで、10月発売になった『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』および、2007年発売の『ドット・コム・ラヴァーズ』について、書評・感想文を募集いたします。(ちなみに、『ドット・コム・ラヴァーズ』は現在の在庫がなくなったら増刷にはならないそうです。(泣)今ならまだ手に入りますので、どうぞお早めにお求めください。)募集要項は以下のとおりです。

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』または『ドット・コム・ラヴァーズ』の書評・感想文(両部門への応募ももちろん歓迎です)

形式自由・字数制限なし (すでにブログなどで書評や感想文を書いてくださっているかたの文章も対象内といたします。その場合は、文章のファイルやリンクをお送りください。その場合は他薦も可です。)

審査は、本の理解が核心を突いている・なにが面白かったか、なにに驚いたか、なにを学んだかなどを具体的に説明している・鋭い疑問や批判を提示している・本の内容に新しい視点をもたらす・読者自身の感じ方を素直に記述している、などなど、複数の基準や視点を組み合わせておこないます。審査員は著者のこのワタクシひとりです。ひとつ強調しておきたいのは、著者が審査員だからといって、本をほめればよいというものではない、ということです。本が気に入ったのであれば、どこがどう面白かったのかを具体的に書いていただければもちろん嬉しいですが、よい書評・感想文、とくに著者にとってもっとも勉強になる書評・感想文というのは、著者に考える題材を与えてくれるような文章です。本を痛烈に批判した文章でも、批判が的を得たものであれば、漫然とほめた書評よりも著者にとってはずっとありがたいものです。なにより重要なのは、読者が感じたこと・考えたことを素直に表現してあることです。

トップ受賞者の書評・感想文は、このブログで紹介させていただき、その書評・感想文へのコメントをワタクシが書かせていただきます。副賞は以下のとおり。

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』部門

受賞者の居住地で受賞から1年以内に開催される、著者オススメの「アジア人」音楽家による演奏会のチケットを2枚差し上げます。ただし、受賞者の居住地によってはこれが不可能な場合もあるので、その場合は、本に登場する「アジア人」音楽家のアルバムを著者が5枚厳選してプレゼントいたします。

『ドット・コム・ラヴァーズ』部門

著者みずからが受賞者を「デート」にお連れいたします。ただし、著者はホノルル在住、日本への帰国はほぼ一年に数週間ですので、有効期限は無期限、実現可能なときに世界のどこかで、ということにいたします。ご了承ください。

応募締切 2014年2月28日(金)
応募先 件名に「書評・感想文コンクール応募」と明記の上、メールの添付ファイルとしてmyoshiha@hawaii.eduまでお送りください。
結果発表 2014年3月中旬 このブログにて

ふるってのご応募を楽しみにしております。


2013年12月16日月曜日

American Studies Association, 対イスラエル学術ボイコット決議を採択

私が所属するおもな学会であるAmerican Studies Association (2014年7月からは、この学会の学術誌であるAmerican Quarterlyの編集本部がわがハワイ大学にくることになり、なんと最初の5年間は私が編集長を務めます)が、対イスラエル学術ボイコット決議を採択し、世界的に大きな話題を呼んでいます。今日のニューヨーク・タイムズはこの話題をトップ記事で取り上げています。American Studies Associationがニューヨーク・タイムズのトップ紙面で扱われるなどということは、史上初めてのことだと思われます。対イスラエルのボイコットという、ひじょうに複雑な問題が、アメリカにおいて、そして世界においてもつ意味の大きさを示唆しています。

「対イスラエル学術ボイコット」とはなにか?ひじょうに複雑なこの問題を一言で説明するのは難しいのですが、要は、イスラエル占領下のパレスチナ人研究者や学生たちが、学問の自由や基本的人権を侵害され、イスラエルの大学ではパレスチナ人研究者や学生がさまざまな差別を受けていることなどから、人種差別や植民地主義などを批判的に研究・議論しあらゆる形の社会正義を提唱するアメリカ学会は、パレスチナ人の迫害に加担しているイスラエルの大学や学術団体などと組織的レベルでの交流を拒否する、と表明するものです。ただ、この一文では説明しきれない要素がたくさんあるので、実際の文面をこちらでごらんください。

このボイコット決議が学会会員全員の投票に委ねられるまでの数ヶ月、学会の内外でひじょうに大きな議論が繰り広げられました。ボイコット決議は、ちょうど一年前に、学会内のAcademic and Community Activism Caucusという部会が、役員会に検討を申請したことから始まりました。部会が役員会に申請した決議は、内容にかかわらず役員会で検討すると学会の規約で決められており、規約にしたがって役員会は提出された決議の内容を丁寧に議論してきました。その過程で、決議に反対する会員たちが強い抗議を表明し、ボイコット反対の署名運動を繰り広げたり、高等教育全体にかかわる話題をカバーするChronicle of Higher Educationという媒体で名の知れたブロガーがボイコット決議を強く批判する記事を投稿(その後、このブロガーは修正された決議の文面を読み、この決議をめぐって学会がとってきた手続きなどを知って、立場を変更、決議を支持する投票をしています)したりしたことで、この話題は当学会の外にも大きく広がっていきました。決議に反対する人たちのなかには、検討されているボイコットの具体的な内容や、決議の文面を実際に読まずに、「イスラエルに対するボイコット」という行為に抗議している人も少なくないことが、抗議の内容から明らかでしたが、決議の文面を熟読した上で、パレスチナ人研究者や学生の学問の自由や基本的人権を支持するという理念には賛同するものの、ボイコット決議には反対する、という人もたくさんいました。ボイコットに反対する人たちのなかには、「イスラエル一国をとりあげてボイコットのような制裁措置をとるのは、反セミティズムである」「特定の国の大学や学術団体との交流をボイコットするのは、相手国だけでなくアメリカを拠点とする研究者の学問の自由を侵害するものである」「アメリカ学会とは学術団体であって政治団体や思想団体ではなく、このような問題についてボイコットといった立場を表明するのは組織の主旨に反する」といった意見から反対する人もいましたが、「イスラエルの大学には、イスラエル国家の対パレスチナ政策に強い批判をする研究者も数多くいるなかで、そうした人たちを敵にまわしイスラエルの大学や学者たちとの交流を阻止するのは、パレスチナ支持という目的のむしろ妨げとなるものである」「アメリカ政府がイスラエルに対して巨大な軍事的・経済的支援を続けているなかで、アメリカ学会が自国の政策を棚に上げてイスラエル、しかもイスラエルの学術団体を批判するのは偽善的である」などという意見から決議に反対する人も少なくありませんでした。(注:この段階での議論は、もともと部会から提出された決議の文面にもとづいたもので、以下説明するように、今回会員の投票にふされた実際の決議の文面は、こうした意見をふまえてかなりの修正を加えたものになっています。)そのいっぽうで、さまざまな立場からボイコットを支持する研究者や学生たちも、インターネットをはじめとする多くの場で次々と発言を重ね、議論が白熱していきました。世界各地で展開されるBDS運動(イスラエルの対パレスチナ政策への抗議として、イスラエルに対しボイコット・投資接収・制裁措置をとる運動)の一部として、国際的に話題も広がっていきました。

こうした議論を受けて、学会役員会は、私も参加した先月11月ワシントンで開催された年次大会で、この決議についてじっくりと議論し(学会誌の次期編集長という立場で、私は投票権はないものの役員会には出席しました)、この決議についてさまざまな視点から議論するフォーラムを4日間の学会のあいだに3回主催し、そのうちのひとつは、会員誰でも発言権をもつオープンフォーラム。このフォーラムが真に「オープン」であらゆる立場の人が自由にそして平等に発言できるものになるよう、さまざまな配慮や工夫がなされました。(発言したい人はフォーラム開始前に紙に名前を書いて箱に入れ、進行役がその箱のなかからランダムに名前を抽出する。発言者はみな一様に2分間以内の発言をする。などなど。)私はこのオープンフォーラムは最後の15分ほどしか出席できなかったのですが、そこでの発言や聴衆の態度をみるかぎりは、発言者はみなとても思慮深く、知的で、建設的でかつ情熱に満ちた発言をし(とくに大学院生による勇気ある発言が感動的でした)、聴衆はすべての発言に集中して耳を傾け、中傷・嘲笑・妨害などの行為はまるでなく、きわめて民度の高い議論だと思いました。私が実際に聞いた発言は、ボイコットを支持するものばかりでしたが、後から聞いたところによると、このフォーラムでは決議に反対する人による強い発言もあったものの、発言した人たちの圧倒的多数は決議賛成の立場の人たちだったそうです。

そして、このオープンフォーラムの翌日、役員会はふたたび会議を開き(これには私は不参加)、これまでの議論やフォーラムでの会員たちの発言をふまえて、次のステップを検討。その日2時間の会議では決定に至らず、結局、役員たちがそれぞれの拠点に散らばって行った後で数週間にわたり、メールや電話会議で審議が続けられたそうです。そして、それまでに寄せられたさまざまな意見をふまえた上で、決議の文面を修正し、決議採択の是非を会員全員の投票に付す、という決定が役員会全会一致でなされました。そして、投票した1252人の会員のうち66%が賛成、30.5%が反対、3.43%が棄権という、いわゆる「地滑り」的結果で、決議が採択されました。

人文・社会科学系の学会がこうした決議についてこれだけ白熱した議論を重ねるという状況、そして、この問題がアメリカ社会でどれだけ緊迫した議論を呼ぶかということは、なかなか日本ではわかりにくいかもしれません。私は、今回の決議は、とくに修正された文章は、歴史・政治・軍事などを専門とする研究者たちが各方面からの視点や意見を丁寧に検討した上で草案されたことが明らかな、立派な決議だと思います。私も決議を支持する投票をしました。ですから、決議が採択されてよかったと思いますが、それ以上に、私がもっとも強い帰属意識をもっているこの学会において、こうしたとても複雑な問題について、あらゆる立場の意見にきちんと耳を傾け、丁寧な議論を重ね、規約に沿った手続きを踏んで、民主的な方法でこの決議に至ったということに、一種の感動を覚えます。

学会のサイトで、決議にかんする情報や、この問題にかんしてのさまざまな人々の発言が読めますので、興味のあるかたはぜひ読んでみてください。いろいろな点で勉強になります。

2013年11月9日土曜日

同性婚法案、ハワイ州議会上下両院を通過

ここ数週間ハワイで最大の話題になっていたのが、州議会の特別会期で審議されているSB1同性婚法案。結果からいうと、昨晩、下院で審議されていた法案が30対19で通過し、すでに法案を通過させた上院と修正案などの具体点をめぐる交渉が来週なされ、正式に同性婚が可能になる模様です。

数年前に、法的な結婚とは違うものの同様のさまざまな権利や保護を同性同士のカップルに付与するシヴィル・ユニオンがハワイで制度化されたことはこのブログでも報告しましたが、これはシヴィル・ユニオンではカバーされない領域を含む、異性者同士の結婚と同じ「結婚」を同性者にも可能にするものです。ここ数年間で、アメリカ全体における同性愛をめぐる世論は確実に変化し、同性婚を認める州も次々に出てきていますが、ハワイでも同様。州議会のリーダーたちが同性婚を支持するようになってきたこと、また、Neil Abercrombie州知事が支持を表明していることから、州議会の特別会期が開催され、上院で提出された法案は難なく通過、その後、先週から下院で審議がされていました。この際、委員会の公聴会で、一般市民が証言をする機会を与えられたことから、何千人という市民が計50時間以上(ひとりに与えられる時間は2分間)にわたって議員たちの前で証言をしました。私は意見文を書面で提出しただけで実際に証言はしませんでしたが、私の友人や学生のなかにも、何時間も自分の順番を待って発言した人たちが何人もいます。

特別会期開催が決まった頃から、法案自体は通過がほぼ確実といわれていたものの、一般市民の証言の実況中継をネットでしばらく見ていると、ふだんの生活のなかでは浮上しない分裂が浮き彫りになり、とても暗い気持ちになりました。法案を支持するさまざまな人々(自身が同性愛者であるという人ももちろんたくさんいますが、そうでない人もたくさん証言しました)が、権利の平等を主張するいっぽうで、反対派の人々(そのほとんどが一部の保守キリスト教団体に属する人々)は、同性愛は神の意思や自然の摂理に反するもので、同性愛者に結婚を許すことは家族という形態ひいては社会全体の崩壊につながる、と説く。数年前のシヴィル・ユニオンの議論のときと比べると、同性愛を小児愛症や屍姦症などと結びつけて憎悪に満ちた攻撃をするといった類の発言は減り、むしろ、「私は同性愛者の同胞にも愛情をもっています。でもだからといって同性愛者の人たちが結婚するべきかというと、それは間違っています。結婚というのは男性と女性のあいだでなされるものです」という種類の証言が続きました。また、州議事堂の前には連日法案反対派の人たちがたくさん集まって道ゆく車に向かってLet the People Decide、つまり、この問題は議会での投票ではなく住民の直接投票によって決定されるべき、というプラカードを掲げていました。

昨日は朝から夜遅くまで州議事堂のまわり法案に賛成する人々・反対する人々の両方が多数集まり、私も午後1時間ほど行ってきました。





支持派は、ゲイ・プライドの象徴である虹色のカラフルな旗を振り回し、人々は虹色のレイを首にかけ、ポップな音楽を大音量でかけて、道行く車に向かって大きく手を振り声をかけながら歌ったり踊ったりして、一大パーティのようでした。

反対派ももちろん数多く集まって、審議がおこなわれている議事堂のなかにむかって抗議の意を表明していましたが、この日はレインボーカラーの元気に押され気味だった模様。この後、法案が正式に成立し、ハワイが同性婚を認める第16の州となれば、さらなる抵抗があるでしょうが、同性愛をめぐる感性や世論が徐々に変化していることは確実。

キリスト教の教義を主張して法案に反対する人々に向けた、Kaniela Ing議員の発言がとても立派だったので、以下紹介しておきます。

2013年10月24日木曜日

『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?—人種・ジェンダー・文化資本』本日発売!

拙著『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』が本日発売になりました!

小澤征爾、ヨーヨー・マ、内田光子、チョン・キョンフア、五嶋みどり、ラン・ランをはじめとする数多くの「アジア人」が西洋音楽の分野で世界的な活躍をするようになったのはなぜか。音楽と人種・性・社会階層にはどのような関係があるのか。音楽的・文化的アイデンティティとはなにか。「アジア人」音楽家たちはクラシック音楽をどのように体験しているのか。そうした問いを、歴史史料および民族誌的フィールドワークを通じて分析したものです。

この本は、もとはMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicというタイトルで、英文で出版したものを、日本の一般読者に向けて、私自身が翻訳したものです。自分が書いた英語を、自分の母語である日本語に訳すのだから、そんなに難しいことはあるまいと思ってのぞんだのですが、この翻訳の作業は、想像をはるかに超えたチャレンジでした。学術的な英語を一般読者のための日本語に訳すという実際的な問題もたくさんありましたが、もっと本質的な次元で、そもそも自分が設定した問いや議論の枠組みが、いかにアメリカ的なものであるかを、翻訳しながら痛感しました。「アイデンティティ」という単語がやたらと飛び交い、人種やジェンダーといったカテゴリーが軸になっている分析は、日本の読者にはピンとこない部分もあるかもしれません。でも、そうした前提や議論の違いを日本の読者に感じ取っていただくことも、意味のあることだと思っています。なるべく読みやすくわかりやすい文章にするため、日本の読者に向けて説明や修正を加えたり、高度に特化した学術議論は削除したりしました。また、クラシック音楽そのものに興味のある読者以外にも考える素材を提供するような本作りを心がけました。少しでも多くの読者に読んでいただけたら幸いです。

私が心から敬愛する水村美苗さんが、帯にとても素敵な推薦文を書いてくださいました。感謝感激です。



もとの研究を始めた2003年頃から続いてきた多くの音楽家たちとの交流や、私自身のピアノとのかかわりも、いろいろな形でこの本の一部となっています。本書に登場する音楽家たちの一部は、私のウェブサイトリンクページで紹介していますので、興味をもったかたはぜひ彼ら・彼女たちの音楽をのぞいてみてください!

2013年10月22日火曜日

11/9(土)佐藤康子二十五絃箏コンサート

何度かこのブログでも紹介している、私の親友の佐藤康子さんの二十五絃箏コンサートが11月9日(土)にあります。年に一度コンサートも今回ですでに7回目。毎度、私が日本にいない時期なのでみずからコンサートを体験できないのが無念でたまりませんが、彼女を通じて、邦楽にまるで馴染みがなかった私も、二十五絃箏という楽器のスゴさを少し知るようになりました。正直言って、「お箏」というと、お嬢様のたしなみごと、という程度のイメージしか抱いていなかったのですが、彼女の音楽は、そういう先入観を粉みじんに(といった単語がふさわしいくらいの強烈さ)打ち破ってくれます。迫力、鮮やかさ、哀しさ、強さ、優しさ、深み、伸び、などなど、それはそれは多くの音の感覚を体験できます。88の鍵とペダルでも平板な音しか出せずにへこんでいる私としては、たった二十五本の絃でこれだけの多様な世界を生み出す楽器そして演奏者に舌を巻くばかり。まだチケットが若干残っているようですので、みなさまぜひどうぞ。

11月9日(土)18:00開演
自由学園明日館ホール
前売り券 2,500円 当日券 3,000円
お問い合わせメール  contact@satoyasuko-koto.com

私の言葉だけでは伝わらないかもしれないので、演奏の動画をひとつだけご紹介しておきます。

2013年10月20日日曜日

ウェブサイト全面リニューアル

25日の新刊発売(これについては発売日にまた宣伝いたします)に合わせて、ちょっと古ぼけた感じになってきていたワタクシのウェブサイトを、全面的にリニューアルいたしました。コンテンツはこれまでとそれほど変わらないのですが、デザインが変わるとずいぶんと印象が違うものです。全ページで使っている木の年輪の模様は、5月にピアノのリサイタルをしたときに、グラフィックデザイナーの友達が作ってくれたチラシに使われた模様にヒントを得たものです。ぱっと見ると花かと思うけれど花ではなく年輪、というのがミソ。歪んだりヒビが入ったりもするけれど、年を重ねるごとに大きくたくましく成長していることを刻む年輪。その模様に、知的でもありエネルギッシュでもある色合いを重ねました。


これまでのウェブサイトと同様、このサイトをデザイン・制作してくれたのは、私の中学高校時代からの親友。私はこだわりのあることに関してはとにかくしつこく細かくうるさいので(他のことにかんしてはきわめて大雑把なのですが)、親友でなかったらさぞかし嫌がられただろうと思うくらい、連日ああでもないこうでもないと注文のメールを送り続け、別の国に住んでいるとは思えない密な連絡が何週間も続きました。彼女が気持ちよく辛抱強くそうした注文に耳を傾け、こちらの意図することを大小すべて汲み取り実現してくれたおかげで、私自身が隅々まで「これぞ私だ!」いや、少なくとも、「これぞ私が目指す私だ!」と思うようなサイトが出来上がりました。私自身が見ていて「よし、頑張るぞ〜!」という気持ちになるサイトです。どうぞごらんください。



2013年10月19日土曜日

報道スキャンダルから新聞ジャーナリズムの倫理を問う『A Fragile Trust』

昨日も引き続きハワイ国際映画祭(毎年とてもいい作品がたくさん集まる映画祭なのですが、時期的に忙しくて行けないことが多いので、1、2本でも観られると得した気分になります)に出かけ、A Fragile Trustという映画を観てきました。先日のDOCUMENTEDとならんで、こちらもドキュメンタリー。元ニューヨーク・タイムズの記者Jayson Blairが、多くの報道において盗用や捏造を重ねていたということが2003年に発覚し、 Blair本人の辞職にとどまらず、ニューヨーク・タイムズの信頼性を大きく揺るがすことになり、上層部の編集・経営責任者の辞任にも至るという、ジャーナリズム史に残る大スキャンダルがありましたが、その事件を追った作品。スキャンダルを通じて、組織としてのニューヨーク・タイムズ社の体質、2001年のテロ事件後の報道のありかた、紙媒体からデジタル媒体への移行が進むなかでの新聞の役割、ジャーナリズムにおける人種関係(Blairはアフリカ系アメリカ人)、精神疾患やアルコール・薬物依存の取り扱いなど、さまざまな視点から、Blairを悪質な行為に導いた要因を探っています。私は、事件のほとぼりが冷めてからはとくに注目していなかったので、ニューヨーク・タイムズというプレッシャーの高い職場でのストレス、とくに2001年テロ事件以後の、ジャーナリストにとって精神的にも身体的にも非常に大きな負担を課した環境のなかで、もともと躁鬱病の要素をもっていたBlairがどんどんと精神を病み、アルコールやコカインにはまって崩壊していった、ということは知りませんでした。また、このような形の盗用や捏造が生まれる背景には、現代の報道活動の形態、そしてとくにデジタル化がもたらす情報の変化によって、ジャーナリズムのありかたが大きく変わってきている、という文脈があることもよく伝わってきました。

映画のタイトルはA Fragile Trust、つまり、「もろい信頼」。ジャーナリストが記事を書くためには、取材相手の信頼をとりつけなければならず、しかし、取材にあてられるごく限られた時間のなかでは、そうやってできる信頼はごくもろいものでしかない、という意味が込められています。が、映画上映後の質疑応答の時間の監督の話を聞いて、この「もろい信頼」とは、取材相手がジャーナリストに向ける信頼のことだけではないのだ、ということがわかりました。この映画では、Blair本人とも何回もインタビューを重ね、彼自身による事件の説明も重要な一部となっています。が、彼の話を聞いても、聴衆は、彼に対して一種の同情は生まれても、共感を抱くことはほとんどなく、最後まで彼は、「信頼できる語り手」にはならない。自らジャーナリストである監督のSamantha Grantは、取材相手をじゅうぶんに信頼できない、という状況のなかでドキュメンタリー映画を作ることの困難について語っていましたが、そう考えると、この「もろい信頼」とは、ジャーナリストが被取材者に託す信頼のことでもあるわけです。もちろん、Blairはきわめて極端な例ではありますが、どんな報道においても、ジャーナリスト(研究者もそうです)は取材相手がつねに100パーセントの「真実」を語るわけではない、という前提のもとで、データの収集・分析や記事の執筆をしなければいけない。そうした意味で、ジャーナリズムという行為の複雑さを垣間みさせてくれる映画でもありました。

私は、2003年から2004年、つまりこの一連の騒ぎの最中にニューヨークに住んでいたのですが、なんと、ニューヨークの地下鉄で目の前にBlairが座っていたことがあります。ちょうど盗用・捏造が発覚してニューヨーク・タイムズを辞職し、大スキャンダルとなって、テレビなどで連日顔が出ていたときだったので、彼だとすぐわかったのですが、彼はそのとき地下鉄に座って、自分の(事件が発覚してまもなく、彼は自分の立場からこのスキャンダルについて語る本を出版しました)をじーっと読みふけっていました。もちろん、自分が書いたものが物理的な本として出来上がってから、それを新たな目で読み直してみる、ということは著者としてはいくらでもあることですが、彼をめぐるスキャンダルの性質上、「自分の本をそんなに珍しげに読みふけるということは、もしかするとその本も本当は自分で書いたんじゃないのでは?」という疑問が頭に浮かんだのを覚えています。