2010年11月20日土曜日

サンアントニオにて

American Studies Associationという、私がほぼ毎年参加する学会があるので、2日前より、テキサスのサンアントニオという街に来ています。今年は私の所属する学部がふたり新任教員(ひとつのポジションは、映画/メディア研究、もうひとつは先住民研究)を採用するので、その候補者たちの面接をこの会場でしており、今回は私は正式には採用チームに入っていないのですが、新任教員の採用は学部にとってもっとも重要な出来事なので、時間の許すかぎり面接に立ち会っています。というわけで、昨日は一日じゅう面接室に缶詰で、せっかく学会に来ているのにまだひとつも研究発表を聞きに行っていません。

それでも、新任教員採用の面接というのは、学会での研究発表を聞くのと同じくらい、あるいはそれ以上に、採用するほうにとっては刺激的です。若い(アメリカではさまざまな経路をたどっている人が多いので、年齢はそれほど若くない候補者もいますが、研究者のキャリアとしては若い)研究者たち、しかも書類選考を通るような優秀な研究者たち(あまり具体的なことは公表できませんが、今回の我々のふたつのポジションは、それぞれゆうに百倍以上の競争率です)と会い、1時間にわたって研究の内容や授業についてのアイデア(日本の大学の採用面接を受けたことがないのでわかりませんが、こちらでは授業や個人指導など、「教える」ことにまつわる会話が面接のなかでかなり大きな部分を占めます)を聞くのは、とても興味深く、勉強になります。この人たちが、いうなれば分野でもっとも新しいことをやっている人たちなわけですから、刺激的なのは当然といえば当然ですが、博士号をとった人たちの就職難が嘆かれて久しいこの世の中で、これだけたくさんの人たちが研究の世界に身を投じ、面白い仕事をしていること、そしてまた、学術研究をつうじて社会をよくしようと真剣に考えている人、そして実際に大学とさまざまなコミュニティを結ぶさまざまな活動に献身している人たちを前にすると、非常に謙虚な気持ちになります。

学会は、サンアントニオのグランド・ハイアットとその隣のコンヴェンション・センターで開催されているのですが、このグランド・ハイアットは現在労働争議中。もっと早くこの状態がわかっていれば、会場変更もありえたのですが、スケジュール的にそれが無理だったため、学会は予定通り行われていますが、昨日の夕方は、学会のメンバーがホテルの従業員への支持を表明し、経営者側に従業員に正当な労働条件を提供することを要求する集会が、ホテル前で行われました。私は面接の最中だったので参加できませんでしたが、私の友達はみな参加し、かなり盛況だったと言っていました。こうしたシンボリックな行動がどれだけ実際の効果をもつかは不明ですが、このように、学会が現実の社会にさまざまな形で関わっていくというのは、実にアメリカ的だと思います。

サンアントニオは、アラモ砦のある街で、歴史的にもなかなか面白いです。サンアントニオ出身の友達がいるので、今日の夕方は少し街を案内してもらう予定です。

2010年11月15日月曜日

議会図書館にて

昨日、ニューヨークからワシントンにやって来ました。アムトラックの列車は、途中までは順調に走っていたのですが、ボルティモアの駅でエンジン不調によりしばらく停車し、結局一時間遅れてワシントンに到着。やはり。私はアムトラックの列車はけっこう快適で好きなのですが、なぜこうも遅れるかというくらいしょっちゅう遅れるのが難点。

ワシントンは、列車の駅を一歩出ただけでも、ニューヨークとはまるっきり違う街であるのが明らか。議事堂や主要な記念碑やら一連のスミソニアン博物館やらのある地域は、いちいち建物が白い大理石でやたらとデカく、荘厳というよりはいかつい雰囲気で、合衆国の偉大さを誇示しているのですが、私などは建物を見ているだけで圧倒されてげんなりしてしまいます。そのいっぽうで、ワシントンに典型的なrow houseと呼ばれる長屋風の住宅建築は、こじんまりとしながらなかなか風情があって、私は好きです。私が泊めてもらっている友達夫婦の家は、ユニオン・ステーション(列車の駅)から歩いて数ブロックのところにあるのですが、議事堂からも歩いて行ける距離で、趣味のいい住宅が並んでいるエリアであると同時に、麻薬ディーラーが行き交い泥棒もよく入るという状況で、首都ワシントンの光と陰を象徴しているようです。そのいっぽうで、私は前からこれを感じていたのですが、ワシントンの街を歩いていると、駐車場のスタッフやら工事のおじさんやらに始まって、いろんな人にやたらと声をかけられる。ニューヨークにも独特の他人との境界の低さがありますが、ワシントンにはそれとは違った、南部風のフレンドリーさがあるように思います。

今日は一日、議会図書館でリサーチをしました。以前も何度か議会図書館で調べものをしたことがありますが、前回はまだワイヤレス・インターネットのなかった時代で、注文した資料が書庫から出されてくるまでの時間(45分のこともあれば、1時間半以上かかることもある)を潰すのが難しかったのですが、今では自分のラップトップでワイヤレスにつなげるので、そのあいだメールやFacebookをしているうちに時間がたって便利。前のときもそうでしたが、議会図書館の司書さんたちは、拍手を送りたくなるくらい親切で有能で、研究者にとっては本当にありがたい存在です。担当部門の資料について知り尽くしていて、また、議会図書館に置いてないものでも調べ方を熟知しているし、あれやこれやとこちらの質問やリクエストに応えるのを職業的な誇りとしているのが明らか。こういうのをプロと言うのだ、と感じ入ります。

私が今回こもっているのは、議会図書館のなかの法律図書館なのですが、そこの閲覧室はそれほど大きくないので、私が座っていた机(ラップトップをつなげるコンセントがある机は限られている)からは、調べものをしている人と司書の会話がすべて聞こえてきます。で、ときどき面白い会話があるので自分の調べものそっちのけで耳をすませていると、元上院議員だった人(顔を見ても誰だかはわからず、会話からなんとかわからないものかと一生懸命聞いていたのですが結局わからないままでした)がアシスタントと一緒にやってきていろいろと質問している。どうやら、その元議員は自伝を書いている途中で、同僚議員の不倫そして別のスキャンダルについて、どれだけが公的な記録に残っているか、そして、それらの出来事についてその本に言及したら当事者に訴訟を起こされるかどうか、ということを知りたかったようです。なるほど、議会図書館にはこういう人がこういう目的で来るんだなあと、妙に感心してしまいました。以前にここでリサーチしたときは、音楽部門でオペラ歌手についての調べものをしたので(『Embracing the East』の第3章のためのリサーチです)、周りにいたのは、図書館に収められているさまざまな手書きの楽譜などを見ている人が多かったのですが、法律図書館では、来ている人の服装やら雰囲気からしてまるで違うのが面白いです。

自分は、National Endowment for the Arts(『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがあります)をめぐる議会の公聴会の記録を読んでいるのですが、この手の記録をじっくり読むことは普段あまりないので、アメリカの議会政治のプロセスや言説が垣間みれて興味深いです。いろいろ思うところがありますが、考えをまとめるのは、いくらなんでももうちょっと資料を読み込んでからにします。

2010年11月13日土曜日

五嶋みどり&ニューヨーク・フィル

昨晩は、アラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルが五嶋みどりと共演するのを聴いてきました。普段のリンカーン・センターでの公演とは違ってこの日はカーネギー・ホールでの演奏会。リンカーン・センターのエイヴリー・フィッシャー・ホールは数回にわたる設計修正にもかかわらず音響がいまいちだと音楽家たちにも聴衆にも悪評なのに対して、カーネギー・ホールは音響は抜群。ただし、私が買うような最上階の安いチケットの席は、ほんとうに信じられないくらい席が狭く、座っていても足をけっこう内側にしまいこまないといけないくらい前の席が詰まっている。身体の大きな西洋人はいったいどうやってコンサートのあいだじっとしているんだろうと不思議です。で、肝心の演奏ですが、この日の演目は、前半はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半はジョン・アダムズ(『現代アメリカのキーワード 』に項目がありますので参考にしてください)の交響曲Harmonielehreだけという、なかなか興味深いプログラミングでした。五嶋みどりのベートーヴェンは、線の細い内省的な演奏で、かなりびっくりしました。聴衆も息をこらして集中して聴くことを要求するような演奏で、わっといわせるタイプの力強い演奏とはまるで違うのですが(それでも聴衆はわっといっていましたが)、いろいろな意味で複雑であったに違いない五嶋みどりのこれまでの人生が表れているようで、独特の感動がありました。ジョン・アダムズの曲は初めて聴きましたが、音の層の重なり具合がなかなか面白くて、私はけっこう楽しみました(一緒に行った友人のひとりは、曲が始まって数分後にすっかり興味を失ったそうですが)。アラン・ギルバートがニューヨーク・フィルの指揮者になってから初めて聴きましたが、コンサートの後で一緒に飲みにいった、オケのメンバーである友達によると、ギルバートは音楽的な指示も実に的確だし、彼が指揮するようになってからオケ全体も確実に腕が上がっている、とのことでした。

天気がいい(寒くないニューヨークというのは本当にありがたいものです)ので、今泊めてもらっている家の近くをさっきしばらく散歩してきましたが、ニューヨークの街並は20世紀初頭またはそれ以前に建てられた重厚な石やれんがの建物が多く、また、建物の入口の扉や窓の鉄枠などもよく見るとなかなか凝ってお洒落(すべてが趣味がいいわけではないですが、凝っているものは多い)で感心します。遊歩道を歩いたり走ったりしている人がみんな川のほうを見ているのに、私ひとりだけ人の家の建物の窓の写真などを撮っていても、誰ひとり変な顔ひとつしないのが、やはりニューヨーク。






2010年11月11日木曜日

Time Stands Still

ニューヨークというところは、実に面白可笑しい街です。アッパーウェストサイドでブロードウェイ沿いを歩いていると、すぐ後ろで70代くらいのユダヤ系らしき夫婦が歩きながら大声で喧嘩をしている。その喧嘩が、妻:「あなたはほんとにスノッブなんだから!」夫:「スノッブなんかじゃないさ!」という内容で、ふたりともムキになって言い争いをしているのが可笑しい。また、コロンビア大学の近くにあるLabyrinth Bookstoreという書店では、アメリカのインテリを風刺した漫画にいかにも出てきそうな男性ふたり(こういうタイプの人間はコロンビア周辺にたくさんいます)が、なんだかの映画がよかったの悪かったので、これまたムキになって大論争をしている。そんなに店内すべてに響き渡るような大声で議論しなくてもいいんじゃないかと思ういっぽうで、聞いていてなんとも面白いので思わず聞いてしまうのは、やはりそうした議論が一種のパフォーマンスでもあるからでしょう。地下鉄に乗っていても、道を歩いていても、ほんとうに感心するくらいいろんな種類の人間がいて(「種類」というのは、人種や民族もそうですが、それだけではなく、階層やら文化的スタイルやらいろいろ)、笑ってしまうくらいです。

ちなみに、今日は『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジョナサン」とランチをしました。彼とは『ドット・コム・ラヴァーズ』で書いた交際の以後も、ときどきメールをやりとりしたり、私がニューヨークに来たときは会ったりする、いい友達関係が続いているのですが、今回会ったのは数年ぶりでした。学問とは関係のない仕事をしているにもかかわらず、二冊めの著書、それもきちんとした研究にもとづいた本を大学出版から出すことが決まっており、今編集作業中だということ。誰にも頼まれず、「昼間の仕事」の足しにもならないのに、自分のやりたいことをしっかりと続けてそれを形にしている人は、素敵な年齢の重ねかたをしているなあと思いました。彼と私はとても「ケミストリー」がいいので、同じ街に住んでいたら長期的な関係になっていたんじゃないかという気がします。そんなことを言っても仕方ないですが...

さて、今日は、ブロードウェイで、Time Stands Stillというお芝居を観てきました。このブログでも何度か言及しているように、私のもっとも好きな女優はLaura Linneyで、何年か前に彼女が主演したブロードウェイのSight Unseenというお芝居も観たのですが、今回の作品はSight Unseenと同じ脚本家David Marguliesによるもの。ジャーナリストと報道カメラマンとして中東などの戦場をまわる男女が、想像を絶する惨劇を目撃して自ら心身に傷を負いアメリカに戻ったあと、その傷とどのように向き合い、自分の人生や自分にとって大事な相手と距離をはかっていくか、というテーマなのですが、脚本も演出も演技も実に素晴らしく、公演中は劇場全体が息を詰めてしーんとなっていました。登場人物四人それぞれの愛情も弱さもひたむきさも痛いほどわかり、それぞれに共感できるし、最後が実に切ない。Laura Linneyの演技はさすがで、さらにファンになってしまいました。もう一度観たいくらいです。ニューヨーク在住のかた、またはニューヨークを訪問する予定のあるかたには、是非ともおすすめです。

2010年11月8日月曜日

ハワイでの結婚式(自分のではありません)

今朝、ニューヨークに来ました。1週間ここで仕事やら遊びやらをして、数日間ワシントンにリサーチに行き、その後テキサスでの学会に行きます。ニューヨークはすでにかなり寒く、冷たい雨が降っています。

ハワイに住んでいると、どこに行くにも長時間飛行機に乗って行かなければならず、せまい空間でじっとしているのが年齢とともに辛くなって嫌なのですが(しかも今ではなんと荷物をチェックインするにもお金をとられ、どうでもいいような食事をもらうにもお金をとられ、夜中のフライトなのに毛布のひとつも使わせてもらえない!)、私は乗り継ぎでいろんな空港を経由するのはなんだか好きです。空港だけでも、いる人の種類が都市によって可笑しいくらいまるっきり違って、人間観察が面白いからです。今回はシカゴのオヘア空港経由でしたが、シカゴを朝6時に出てニューヨークに向かう飛行機は、スーツでびしっときめたビジネスマンばかりで、私のようなフードつきのトレーナーを着た人間はあきらかに場違い。そしてそれらのビジネスマンは見事なまでに白人ばかりで、出張らしき女性も数人はいるものの、驚くほど均一的な集団。ハワイではまるで見かけない種類の人たちで、同じ国のなかでも実にいろんな人たちがいるものだなあと感心してしまいます。ちなみに、ホノルルからシカゴまでのフライトでは、隣の席の人が大学の試験の採点らしきことをしているのでふと顔を見ると、なんとも偶然に知り合いの教授でした。それも、ハワイ大学の教授がどこかに行く途中というのならそれほど驚きもしませんが、彼はミシガン大学の教授。たまたま知り合いと同じ飛行機になったことはあっても、隣の席になったのは驚きでした。

さて、ホノルルを出る前日は、友達の結婚式に出席しました。アメリカの結婚式が日本のものとは似ても似つかないものであることは『ドット・コム・ラヴァーズ』で書きましたが、今回も、新郎が大学の同僚なので出席者には私の友達もたくさんいるとはいえ、やはりひとりで出席するのは居心地が悪そうなので、私のゲイのボーイフレンドに同伴してもらって行ってきました。新郎は私の同僚、新婦は長年ワシントンで労働省に務めたあと、今は中西部の大学で教鞭をとっている、労働や開発関係の仕事をしている女性で、ふたりともフィリピン移民の二世。ふたりがフルブライト研究員としてフィリピンに在住中に出会いました。披露宴で、新郎新婦を代表して新婦が実に堂々とした挨拶をしたのにまず私は感心。別に女性が前に出るからそれだけでよしというわけではないですが、新婦がふたりを代表して挨拶するということに、特に誰も不思議を感じていないようだというのも感心だし、その挨拶の内容にも感じ入るものがありました。ふたりの人生を形成してきたさまざまな人たちに感謝の言葉を述べるなかで、新郎の友人であるオバマ大統領の妹(彼女の父親はインドネシア人)とその夫(中国系カナダ人)に触れた部分。このふたりも出席していたのですが、このふたりに向かって、「2008年の選挙のとき、もちろん世界はあなたのお兄さんに注目していたけれど、私たちは、テレビに映っているあなたがた家族の姿を見て、大きな感動を覚えました。この多人種、多民族、多文化の家族がアメリカン・ファミリーなんだ、そしてこの家族が大統領の家族になったということこそが、私たちの両親のアメリカン・ドリームなんだと思いました」と言いながら涙ぐんでいた新婦(ちなみに、実に堂々とした挨拶のなかで彼女が涙ぐんだのはその部分だけでした)を見て、皆も涙していましたが、自分たちの結婚という個人的な出来事を、こうして歴史的・社会的な文脈に位置づけて語るところが、いかにもアメリカ的。そして挨拶の一番最後は、「そして、私たちにとって特別な日である今日という日がスムーズに進むように、陰で懸命に働いてくださっている当ホテルの従業員のみなさまに感謝します」という一言で、参加者全員が彼女にむけてもホテルのスタッフにむけても拍手を送ったのが、これまた感心でした。その後は、学者であると同時にミュージシャンでもある新郎が、新婦に贈る曲を自分のバンドと共演するなど、楽しい披露宴でありました。簡単には同じ場所で仕事を見つけられない学者同士の結婚はこういうことがしばしばあるのですが、この新郎新婦はこの後もしばらくは、時差だけでも4時間ある長距離の結婚生活を続けることになります。

2010年11月3日水曜日

中間選挙

アメリカの中間選挙は、予想通りの結果となり、下院では共和党が大幅に勝利して多数派となり、上院ではなんとか民主党が多数派を保ったものの、共和党を赤、民主党を青で示す全国地図で見ると、一気に真っ赤っかになってしまいました。オバマ政権の景気対策によっても思うように失業率が下がらず経済は低迷を続けていることへの苛立ち、反対派がObamacareと称して攻撃する健康保険制度改革への反発などが、以前も言及したTea Partyなどの新しい動きや共和党への回帰となって表れた結果ですが、今回の選挙戦の言説は、2年前と比べてあまりにも次元が低く、がっくりするものでした。憲法で政教分離が定められていることを知らなかったデラウェア州のChristine O'Donnellや、強姦や近親相姦による妊娠でも中絶を禁ずるという立場をとる極右のネヴァダ州候補Sharron Angleが落選したのはほっとしましたが...確かに、経済状況は依然としてきわめて悪く、人々が苛立つ気持ちも理解はできるものの、もしもオバマ大統領が2年前に政権をとらず、ここ2年間の政策が施行されていなかったとしたら、今よりどれほど悪い状況になっていたかということを、冷静に考えずに、反動で共和党に流れてしまうのだとすると、頭が痛いです。この結果によって、オバマ政権は議会との関係の強化、そして2年後の選挙対策によりエネルギーを投入しなくてはいけなくなり、それにはメリットがなくもないものの、肝心の政策施行に向けられるリソースが減ってしまうと困る...

伝統的に民主党の強いハワイでも、下院、州知事ともに、民主党はかなり危ないと言われていたのですが、下院は州上院議員のColleen Hanabusaが若手の共和党現職Charles Djouを破り、知事はNeil AbercrombieがLinda Lingleのもとで副知事を務めてきたDuke Aionaに大差で勝利して、民主党が堅持したので、こちらはとりあえずほっとしています。