2010年11月8日月曜日

ハワイでの結婚式(自分のではありません)

今朝、ニューヨークに来ました。1週間ここで仕事やら遊びやらをして、数日間ワシントンにリサーチに行き、その後テキサスでの学会に行きます。ニューヨークはすでにかなり寒く、冷たい雨が降っています。

ハワイに住んでいると、どこに行くにも長時間飛行機に乗って行かなければならず、せまい空間でじっとしているのが年齢とともに辛くなって嫌なのですが(しかも今ではなんと荷物をチェックインするにもお金をとられ、どうでもいいような食事をもらうにもお金をとられ、夜中のフライトなのに毛布のひとつも使わせてもらえない!)、私は乗り継ぎでいろんな空港を経由するのはなんだか好きです。空港だけでも、いる人の種類が都市によって可笑しいくらいまるっきり違って、人間観察が面白いからです。今回はシカゴのオヘア空港経由でしたが、シカゴを朝6時に出てニューヨークに向かう飛行機は、スーツでびしっときめたビジネスマンばかりで、私のようなフードつきのトレーナーを着た人間はあきらかに場違い。そしてそれらのビジネスマンは見事なまでに白人ばかりで、出張らしき女性も数人はいるものの、驚くほど均一的な集団。ハワイではまるで見かけない種類の人たちで、同じ国のなかでも実にいろんな人たちがいるものだなあと感心してしまいます。ちなみに、ホノルルからシカゴまでのフライトでは、隣の席の人が大学の試験の採点らしきことをしているのでふと顔を見ると、なんとも偶然に知り合いの教授でした。それも、ハワイ大学の教授がどこかに行く途中というのならそれほど驚きもしませんが、彼はミシガン大学の教授。たまたま知り合いと同じ飛行機になったことはあっても、隣の席になったのは驚きでした。

さて、ホノルルを出る前日は、友達の結婚式に出席しました。アメリカの結婚式が日本のものとは似ても似つかないものであることは『ドット・コム・ラヴァーズ』で書きましたが、今回も、新郎が大学の同僚なので出席者には私の友達もたくさんいるとはいえ、やはりひとりで出席するのは居心地が悪そうなので、私のゲイのボーイフレンドに同伴してもらって行ってきました。新郎は私の同僚、新婦は長年ワシントンで労働省に務めたあと、今は中西部の大学で教鞭をとっている、労働や開発関係の仕事をしている女性で、ふたりともフィリピン移民の二世。ふたりがフルブライト研究員としてフィリピンに在住中に出会いました。披露宴で、新郎新婦を代表して新婦が実に堂々とした挨拶をしたのにまず私は感心。別に女性が前に出るからそれだけでよしというわけではないですが、新婦がふたりを代表して挨拶するということに、特に誰も不思議を感じていないようだというのも感心だし、その挨拶の内容にも感じ入るものがありました。ふたりの人生を形成してきたさまざまな人たちに感謝の言葉を述べるなかで、新郎の友人であるオバマ大統領の妹(彼女の父親はインドネシア人)とその夫(中国系カナダ人)に触れた部分。このふたりも出席していたのですが、このふたりに向かって、「2008年の選挙のとき、もちろん世界はあなたのお兄さんに注目していたけれど、私たちは、テレビに映っているあなたがた家族の姿を見て、大きな感動を覚えました。この多人種、多民族、多文化の家族がアメリカン・ファミリーなんだ、そしてこの家族が大統領の家族になったということこそが、私たちの両親のアメリカン・ドリームなんだと思いました」と言いながら涙ぐんでいた新婦(ちなみに、実に堂々とした挨拶のなかで彼女が涙ぐんだのはその部分だけでした)を見て、皆も涙していましたが、自分たちの結婚という個人的な出来事を、こうして歴史的・社会的な文脈に位置づけて語るところが、いかにもアメリカ的。そして挨拶の一番最後は、「そして、私たちにとって特別な日である今日という日がスムーズに進むように、陰で懸命に働いてくださっている当ホテルの従業員のみなさまに感謝します」という一言で、参加者全員が彼女にむけてもホテルのスタッフにむけても拍手を送ったのが、これまた感心でした。その後は、学者であると同時にミュージシャンでもある新郎が、新婦に贈る曲を自分のバンドと共演するなど、楽しい披露宴でありました。簡単には同じ場所で仕事を見つけられない学者同士の結婚はこういうことがしばしばあるのですが、この新郎新婦はこの後もしばらくは、時差だけでも4時間ある長距離の結婚生活を続けることになります。