ワシントンは、列車の駅を一歩出ただけでも、ニューヨークとはまるっきり違う街であるのが明らか。議事堂や主要な記念碑やら一連のスミソニアン博物館やらのある地域は、いちいち建物が白い大理石でやたらとデカく、荘厳というよりはいかつい雰囲気で、合衆国の偉大さを誇示しているのですが、私などは建物を見ているだけで圧倒されてげんなりしてしまいます。そのいっぽうで、ワシントンに典型的なrow houseと呼ばれる長屋風の住宅建築は、こじんまりとしながらなかなか風情があって、私は好きです。私が泊めてもらっている友達夫婦の家は、ユニオン・ステーション(列車の駅)から歩いて数ブロックのところにあるのですが、議事堂からも歩いて行ける距離で、趣味のいい住宅が並んでいるエリアであると同時に、麻薬ディーラーが行き交い泥棒もよく入るという状況で、首都ワシントンの光と陰を象徴しているようです。そのいっぽうで、私は前からこれを感じていたのですが、ワシントンの街を歩いていると、駐車場のスタッフやら工事のおじさんやらに始まって、いろんな人にやたらと声をかけられる。ニューヨークにも独特の他人との境界の低さがありますが、ワシントンにはそれとは違った、南部風のフレンドリーさがあるように思います。
今日は一日、議会図書館でリサーチをしました。以前も何度か議会図書館で調べものをしたことがありますが、前回はまだワイヤレス・インターネットのなかった時代で、注文した資料が書庫から出されてくるまでの時間(45分のこともあれば、1時間半以上かかることもある)を潰すのが難しかったのですが、今では自分のラップトップでワイヤレスにつなげるので、そのあいだメールやFacebookをしているうちに時間がたって便利。前のときもそうでしたが、議会図書館の司書さんたちは、拍手を送りたくなるくらい親切で有能で、研究者にとっては本当にありがたい存在です。担当部門の資料について知り尽くしていて、また、議会図書館に置いてないものでも調べ方を熟知しているし、あれやこれやとこちらの質問やリクエストに応えるのを職業的な誇りとしているのが明らか。こういうのをプロと言うのだ、と感じ入ります。
私が今回こもっているのは、議会図書館のなかの法律図書館なのですが、そこの閲覧室はそれほど大きくないので、私が座っていた机(ラップトップをつなげるコンセントがある机は限られている)からは、調べものをしている人と司書の会話がすべて聞こえてきます。で、ときどき面白い会話があるので自分の調べものそっちのけで耳をすませていると、元上院議員だった人(顔を見ても誰だかはわからず、会話からなんとかわからないものかと一生懸命聞いていたのですが結局わからないままでした)がアシスタントと一緒にやってきていろいろと質問している。どうやら、その元議員は自伝を書いている途中で、同僚議員の不倫そして別のスキャンダルについて、どれだけが公的な記録に残っているか、そして、それらの出来事についてその本に言及したら当事者に訴訟を起こされるかどうか、ということを知りたかったようです。なるほど、議会図書館にはこういう人がこういう目的で来るんだなあと、妙に感心してしまいました。以前にここでリサーチしたときは、音楽部門でオペラ歌手についての調べものをしたので(『Embracing the East』の第3章のためのリサーチです)、周りにいたのは、図書館に収められているさまざまな手書きの楽譜などを見ている人が多かったのですが、法律図書館では、来ている人の服装やら雰囲気からしてまるで違うのが面白いです。
自分は、National Endowment for the Arts(『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがあります)をめぐる議会の公聴会の記録を読んでいるのですが、この手の記録をじっくり読むことは普段あまりないので、アメリカの議会政治のプロセスや言説が垣間みれて興味深いです。いろいろ思うところがありますが、考えをまとめるのは、いくらなんでももうちょっと資料を読み込んでからにします。