2011年1月12日水曜日

アリゾナ銃撃事件追悼式典

6人の死亡者と14人の負傷者を出したアリゾナ州ツーソンでの銃撃事件は、政治との関連が明らかではないものの、近年移民法などをめぐって政治的に大きく分裂してきたアリゾナが舞台であったことから、アメリカじゅうに大きな波紋をよんでいます。現地で行われた追悼式典に出席したオバマ大統領の演説が素晴らしいです。とくに最後の10分が素晴らしい。犠牲者たちとその周囲の人々への哀悼の意を示しながらも、事件の原因を単純化せず、2001年9月11日に生まれた9歳の元気いっぱいな女の子を含む犠牲者たちがアメリカという国にたいして抱いていた期待に恥じないような社会にしていこうと、国民すべてに語りかけるその演説は、その言葉においても論理においても感情においても、感動せずにはいられません。ここで説かれるcivilityとは、「品性」とか「礼節」とかいったふうに訳せるでしょうが、この単語の形容詞形であるcivilが、「市民の」「公の」「国家の」「社会の」といった意味でもあることを、深く考えさせられる演説です。ああ、オバマ大統領のパワーはこういうところにあったのだ、と思い出されます。日本のテレビではまるごとは放送されないでしょうから、ぜひこちらで観てみてください。

2 件のコメント:

ayako さんのコメント...

私も感動しました。9歳の女の子の死は、本当にショックでした。冥福を祈るばかりです。

Gun law は変わるのでしょうか・・・
もう、こうなったら、警官以外は一切誰ももてないようにするか、全員銃を携帯するしかどちらかしかない気がします。

Schopenhauer2 さんのコメント...

アメリカをよく知る吉原さんにお尋ねしたい。このような悲劇は忘れかけたときアメリカでは再び繰り返される。

私は長い間、アメリカの報道機関で働いたが
、Drug と shootings のニュースは毎日で、うんざりしたものである。しかしアメリカではGun Control には共和党やNRAを含め強い反対勢力が存在する。それはアメリカという国の成り立ちと関係があるのだろうか。自由ということにたいするこだわりであろうか。

移民の国であるアメリカでは深いところでは他人は心をゆるせない存在であるのだろうか。真の理由はわからないまま退職しました。

現在でも日本からアメリカを旅行した人たちは日本と比べるとアメリカには自由がありすぎると感じる人がいる。貧富の格差のはげしいこと、ポルノの開放的なこと、銃を保持できること、drug の蔓延などなど。

一方規制の多い日本はそのことが国民の活力をそいでるようにも思いますが。それでも私は日本がアメリカのようにはなってほしくない。

アメリカを象徴する言葉として violence を忘れてはならない。